明るい沈黙と湯気の向こう
やっと最後の一人が出てきました。
名前だけは最初の方で出てきてましたが、なかなか出せずでした。
砂漠を抜けた国境の街の中心から、少し外れた場所に小さな雑貨屋があった。
古びて錆びた蝶番が、砂漠から吹く熱い風が扉を揺らす度に、
キィキィと音を立てる。人通りの少ない裏道に面している寂れた街並みは、
すべてが空家?首を傾げそうになるが、雑貨屋の店先で、くわぁと呑気に欠伸
する毛艶のいい老犬ののんびりとした仕草で、そうではないと解る。
いつもと同じ平和な景色に、いつもと同じ穏やかな朝の光。
砂漠からふき抜ける風に少しずつ暖かくなる空気も変わらない。
この小さな街の何時もと同じ一日の始まりであったが、今日は少し違うようだ。
変化の正体は3人の男。
一人は砂漠の民を示す黄色の布を頭に巻き付けた浅黒く闊達な顔の若者。
この辺りでは知っている者もいるであろう、わりと顔が知れた雑貨屋亭主の
馴染みの顔だ。その彼に続く二人は、全身を日よけのローブで覆った背の高い
二人の男性だ。無意識に運ぶ乱れのない足の運びや分厚いローブ越しでも解る
鍛えた体つき。どこか異国を匂わせる凛とした存在感といい、
纏う雰囲気が明らかに一般市民とは違う旅人だ。
外貨が重要な街の資金源である国境の街では、毛色の違う異国の人間はさほど
珍しくはないが、その忙しないピンと張りつめたような空気が、
気軽に他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
現に、昨夜遅くにたどり着いたにも関わらず、彼等は宿が格安で提供する
朝食も取らずに、この国境の街の町はずれのこの雑貨屋を訊ねた。
3人が店に入ると、どこにでもある雑貨や食料品、
そしてちょっとした小物が置かれた棚が目に入る。
太陽の光が十分入る大きな窓のカーテンは開かれ、
天井近くの小窓から入る光で店内は驚くほど明るい。
店正面には3人だけ座れる背の高いスツールと、
どっしりとしたカウンターがあり、カウンター端には、目に癒される瑞々しい
オレンジの小花としっかりした葉を湛えた小さな鉢植えが乗っていた。
小さな間取りの素朴な部屋に、ぴったりなオレンジと黄色の花模様で
彩られたのれんが、正面奥でまったりとした存在感の主人を主張していた。
優しい色合いに、男達の緊張がホンの僅かだが緩む。
黄色のターバンを巻いた青年が、のれんを持ち上げ、
店の奥に声を掛けようとしたら、朗らかな声が奥から彼等を出迎えた。
「あらまあ、あらまあ、いらっしゃいローグ。やっぱり貴方だったのね。
元気だった?ちょっと見ない内に随分素敵になったわね。
貴方はまた背が伸びたのかしら?
もう貴方のお父様より大きいのではなくて?」
真っ白な髪の小さな老女が両手を広げて砂の一族の青年ローグを迎え入れた。
身の丈がローグの胸にも届かない、身長だけを見ると成人とは思えない程
小さな老女である。
その暖かで女性らしい闊達な雰囲気に、彼等三人から緊張感が一気に薄れた。
真っ白な髪を上品に後ろで束ね、品の良い微笑を浮かべているこの女性は、
何時もの様に、彼女の手が届く様に背を屈めたローグの頭を優しく撫でた。
ローグは嬉しそうにはにかみ、しばらく頭を撫でられるままにしていたが、
口はちょっとだけ文句を言っていた。
「へへっ、半年前来た時から、そんなに背は伸びてないし変わらないよ。
ラナ婆ちゃんが小さいから余計 そう思うんだよ。
それにどうせ褒めるならいい男になったとかって言ってくれよ。」
ローグは、小さな少年の様な口調のままで、老女が撫でる手に頬を
自分から摺り寄せた。
「まあ、ローグったら、その一言が余計で、台無しよ。
いい男にはまだまだね。
女性には優しくしなさいってファルデラは貴方を教育したはずなのに」
老女の指がローグの前髪を数本摘まんで軽く引っ張る。
「本当の事を言うのに男も女もないって、族長がいつも言ってるから
いいんだよ。 それに、ラナ婆ちゃんが小さいのは愛嬌っていうんだろ。
ならいいじゃん。 のっぽでガリな母さんは、ラナ婆ちゃんみたいに
小さく可愛く生まれたかったって言ってるし」
つんつんと引っ張られる優しい抗議に、ついローグの頬も目尻も緩む。
「あらまあ、ファルデラったら。彼女の凛とした美しい容姿は、
沢山の殿方の垂涎の的だったのよ。
私を始め、多くの女性が彼女が馬上で駆けるのを
うっとりと見上げたものだったわ。
そんな彼女の血を引いている素敵な貴方に、そんなふうに言われたら
怒るに怒れないじゃないの」
老女の人差し指が咎めるようにローグの額をピンっと弾いた。
ローグは、可愛い痛みに咄嗟に目をつぶり1歩後ろにたたらを踏みつつ、
へらりと笑いを返した。
昔からラナは、ローグにとっての理想の女性であり最も敬愛している相手だ。
仕事で忙しく、砂漠を年中駆け回っている両親を持つローグにとって、
血のつながった母よりも思慕の情を寄せているかもしれない存在だ。
「ラナ婆ちゃんは、変わりはない?発作は?調子悪くない?」
「そうねえ、悪くはないけど、変化はあるわ。発作は、まあ時々ね。
良くなったり悪くなったりだけど、
持病だから気長に付き合えってことかしらねえ。
ああ、でも違う事といえば、昨日から珍しいお客さん続きだって事かしら」
「客?」
目をぱちくりと開けて驚くローグに、老女は優しく言った。
「ええ、ローグ、まずは貴方の後ろの方々を紹介してちょうだい」
老女の言葉で、はっと我に返ったローグは、
扉の向こうで待っていた客人を慌てて振り返った。
「あ、そうだ。婆ちゃん、あのさ、こんな急に連れてきてなんなんだけど、
いいかな?」
老女は、しっかりと頷き微笑んだ。
「ええ、もちろん。さあ、お客様、このお婆さんに素敵な顔を見せて頂戴。
ローグが連れてくるお客様なら、いつでも誰でも大歓迎よ。
もしよかったら珍しい話や楽しい旅の話をこの年寄に聞かせてくれない
かしら? どこから来たの?目的地はどこ?
私はこの国から出たことがないの。教えてくれると嬉しいわ」
好奇心を隠そうともしないその態度は、正直さが垣間見えて
いっそ気持ちいいくらいだ。
老女の全体的に小さく力のない風貌と相まって、
意図せずとも相手に安心感を植え付ける。
身構えていた最後の力がストンと抜けるのを感じた。
客人の二人は頷き合ってバサリとフードを降ろした。
「我々はイルベリー国ハリルトン商会所属の商船を運行することを
生業としている者です。
常日頃が海上の男所帯ゆえ、此度の行き届かぬ不調法に目を瞑って
頂けたら幸いです」
「暖かい出迎えを感謝する、ご婦人。
私は、船長を務めているレヴィウス・コーダー。
そして、こちらは副船長のカース・レイナルド。
我々はラドーラからマッカラ王国に向かう予定の旅人だ」
レヴィウスとカースは、すっと片足を後ろに下げ心臓の前に右手を当てて
軽く頭を下げる。イルベリー国の貴人を思わせる丁寧な挨拶に、
ローグはぎょっとした顔を向ける。
今の今までの彼等の態度や物言いに、地位や生まれを匂わせる事柄が
一切なかったからだ。
だが、そんなローグの単純な驚きを横目にラナ老婦人は、
感動したように大袈裟に喜んだ。
「まあまあ、なんて素敵なの! まるでおとぎ話の王子様ね。
いえ、船長さんなのだから、海を渡る冒険者さんなのかしら。
ご丁寧にどうも有難う、レヴィウスさん、カースさん。私はラナ。
ラナ婆ちゃんって気軽に呼んでちょうだいね。
うふふふ、素敵な殿方にドキドキしちゃうわ。
こんなお婆ちゃんにも夢を見させてくれるなんて、とっても嬉しいわ。
女神様とローグに感謝しなくちゃね。今日はよい一日になりそうよ。
あ、そういえば貴方達、朝食は食べたの?私達はこれからなのだけど」
ラナの問い掛けに、ローグは嬉しそうに破顔した。
「まだ! だって、宿の食事よりラナ婆ちゃんの食事の方が旨いもん!」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるわ。
そうまで言われるなら腕を振るわなくてはね」
ラナは細い腕の袖をグイッと捲り上げて、ころころと笑った。
「ローグ、お客様を奥の客間にご案内してね。
あ、それから、昨夜から他のお客様も見えているから、
一緒に食事を囲うのでもいいかしら」
ローグは二人のマントを受け取りながら首を傾げて尋ねた。
「他の客?」
「ええ、二日前にファイルーシャから来られたの。彼も素敵な殿方よ。
お話も面白くって、そうそう、あの人に用事があるのですって」
マントを壁掛けに掛けていたローグの手がピタリと止まる。
「あの人って誰? まさかだよね?
だって、グレン様がカナンさんと一緒に居るって」
顔をひきつらせているローグに、ラナはコロコロと笑いながら答えた。
「あらあら、そのまさかよ。私が主人と呼ぶのは一人しかいないでしょ。
観念して中に入りなさいな。貴方にも用があるとかで、
二日前からここにいるのよ。
早くしないと、あの人何をしでかすか解らないわよ」
ラナの言葉に、ローグの肩がカクンと落ちた。
「二日って、なんなんだよ、もう。
でも、婆ちゃん一人で俺達の分だけじゃなくて他の客人の分までって、
無理だろ。俺も手伝うよ。あっちは待たせてもいいよ、多分」
厨房の中に入ろうと腕まくりをするローグに、
ラナは大きなマグカップが5つ乗った盆を持たせた。
そのマグカップにはミルクが入った濃いめのお茶が入っていた。
「ほら、あの人の好きなヌイ茶よ。皆の分も一緒に持って行って頂戴。
大丈夫、あの人はあの通りの大食らいだから、
沢山の下準備を昨夜の内にしてるのよ。
貴方達があと5人増えたって問題ない量だから心配ないわ」
ラナの自信ありげな微笑に、ほっと一安心して、
ローグは重い盆を受け取った。
「そっか。運ぶときには呼んでね。
俺、ラナ婆ちゃんの食事を楽しみにしてたんだ。
母さんのよりも断然美味いもん。
あ、でも、無理は絶対に駄目だよ。いいね」
心配そうに振り返るローグの背中をぐいぐいと押しながらラナは笑った。
「わかってるわ。でも、あの人や貴方達に食事を作るのは私の役目。
厨房は私のお城よ。 心配しないで。
貴方みたいに、美味しいって食べてもらえるのが、私は大好きなの。
だからね、こんな風に大勢の御客様は本当に嬉しいのよ。
今からちゃちゃっと作っちゃうから、そのネイ茶が冷めたころに
食事を取りにきてね」
ラナは足取り軽く厨房に向かい、しばらくすると左の部屋から
食器や鍋の音がした。それと同時に、ふわりと香り豊かな食べ物を
煮炊きする食欲を刺激する香が流れてくる。
「よし。
さあ、レヴィウスさん、カースさん、中に入ってお茶を飲みましょう。
ラナ婆ちゃんのヌイ茶は絶品なんですよ」
ローグに促されてレヴィウスはカースと一緒にのれんをくぐり、右奥に進む。
色あせた木目の壁で囲まれた細い廊下を通り抜けた先の部屋は、
大きな家具が無い広々とした部屋。
敷き詰められた明るい色の絨毯と沢山のクッション。
壁には手の込んだ刺繍のタペストリー。
だが、注目すべきは部屋の様相ではなく、部屋中央に座っている二人の男。
彼等は、絨毯の上に座って、楽しそうに談笑していたが、
現れた3人の顔を見て笑った。
「おう、やっときたか。だが、爺、花が居らんぞ。男ばかりだ。
いくら小奇麗な顔でも野郎並べて、朝からなんの苦行だ」
笑いながら第一声を発したのは、左片腕がない大柄な体躯の褐色肌の大男。
男は、黒々した太い眉を軽く歪めながら、
自身の太いモミアゲから顎髭までをざらりと撫で上げた。
「ふむ。ローグがちーと気を利かせてくれとりゃ、
宿のデラミーアちゃんが来るはずじゃったんだがのう」
小さく首を振る老人は、使えないとばかりにローグの顔を見て、
大きなため息をついた。
「おお、デラミーアちゃんか。
あそこの宿は食事は旨くねえが、デラミーアちゃんの尻はいい。
よし、そこの若えの! 宿の看板娘で胸と尻の大きなデラミーアちゃんを、
俺の為に今すぐここに連れてきてくれ!」
大男は面白そうに眼を輝やかせながら、パンパンと自分の膝の上を叩く。
「は? なんでだよ! そんなことすりゃ、俺が宿屋の主人に殺されるよ。
ヤト爺ちゃんも、朝っぱらから何言って、
いや、それよりおっさん誰だよ!」
ローグが目を白黒させながらも、何とか最も気になる疑題を口に出す。
「なんだぁ、最近の若え者は、礼儀ってもんをわかってねえな。
なあ、爺、砂漠の若い世代の教育が廃れたんじゃねえか。
年配を敬えってな」
鼻白んだように嫌味を言う大男にローグは眉を顰めたが、
老人は、くっくっくと楽しそうに笑った。
「おぬしが礼儀を語るとはのう。
大体、それを言うたらお主こそどうなのじゃ。
ワシはおぬしよりも年上じゃぞ。 それに、ほれ、客人のまえじゃぞ。
礼儀なんぞを気にするなら、ちっとは客に気を使ってみてはどうかの」
「はん、爺さんは気にしないだろうが。
後ろのそいつらも今更。気にしねえよ。
なあ、レヴィウス、カース。それとも俺に敬語を使ってほしいってか?
ああん?」
にやにやと笑う見知った大男に、カースは、はぁとため息をついた。
「貴方に敬語など、野生の鮫に礼服を着せる様なものです。
今更、そんなことは一遍んたりとも望みませんよ」
レヴィウスは僅かに口角を上げて目を細め、
久しぶりに会う旧友に手を差し出した。
「久しぶりだ。変わらないな、マラドフ」
レヴィウスの差し出した手を、マラドフは何の躊躇もなしに大きな右手で
がっしりと掴む。
「ああ、久しぶりだ。俺が船を下りてからだから、7,8年ぶりか」
豪快に笑う日に焼けた顔は、年輪を年よりも多く皺で刻んでいるが、
大きな瞳の力強い輝きに、彼がさほど年を取っていないことが良くわかる。
「そうですね。そのくらいです。
貴方は首都のファイルーシャにいるとばかり。
まさか、この国境の街で会えるとは思いもしませんでしたが、
どうしてここに?」
カースの問いに、マラドフは目を瞬かせて、ちろりとヤトに視線を動かした。
「かっかっか、おんしら知り合いか。世界は広いが世間狭いもんじゃの。
レヴィ坊、カース坊も元気そうで何よりじゃ」
老人の坊呼びに、マラドフは、ぶっと吹いた。
「坊って、ガキの呼び名じゃねえか。
まあ、爺さんにとってはこいつ等は坊主だろうな。
俺もそう呼んでいいか? なぁ、カース坊」
その言いぐさにむっとしてカースが言い返そうとしていたら、ヤトが笑った。
「そうかそうか、仲間外れはいかんということかの。マラドフよ。
大きな図体をして寂しがりなぞ、
案外可愛いところがあるのう、マラドフ坊よ」
「ああん? 俺は仲間に入れなくていいんだよ。
俺は、坊なんて可愛げがあったためしがねぇんだからな」
髪の毛を豪快にガリガリと掻いて、爪の間に詰まったゴミをふっと飛ばす。
「確かに貴方に人の敬称など無意味ですよね。
いっそ猛獣の括りに入れた方がさっぱりするでしょうか」
「へえ、それもいいな。 いつでもそう呼んでくれ。
坊呼びよりよっぽどましだ。
それよりヤト爺、こいつらなんだろう。
なのに、なんでこいつ等に話が入ってないんだ?」
マラドフの真っ直ぐな問いに、ヤト爺は顎を癪って楽しそうに瞳を揺らした。
「ほ! 大まかな事は殿から聞いておろうが、
未だ坊らは詳しくは知らんと言ってええからの。
レヴィ坊、カース坊、こやつは祭りの件の手配じゃ、聞いておろうの」
ヤト爺の瞳の奥がキンと尖り、僅かな緊張が部屋に走る。
カースとレヴィウスは小さく目線で頷いた。
「ええ、祭り見物についてですよね。シャール様がおっしゃっていた」
カースが端的にいうと、ヤト爺はニコヤカに微笑んで頷いた。
「そうじゃ。本来ならワシや砂の一族が案内するのが一番なのは解っておるが、
今回は若も行かれるのでな。ワシや一族はそっちに手一杯よ。
だから、この国でも指折りの猛者で、外国育ち船育ちのこやつを
案内人として用意したと言うわけじゃ。
マラドフ坊は、この国でもそれなりに認められた殻付のひよっこでの。
いろいろな方面に伝手があるから、大神殿への御伴に連れて歩くには、
それなりに便利な男じゃて。
このガタイじゃ食い扶持が増えるが、総じてまぁ信頼できる男だからのう」
ラドーラの領主シャールに頼まれた例の件の案内人ということだろう。
元よりグレンの方に注意を集める為に、砂の一族はあちらに目立つように
配備されるだろうと予測はしていた。砂の一族という存在も、ヤト爺も、
敵の目を逸らす意味でレヴィウス達とは別行動をとるのだ。
安全に計画を遂行するなら、彼等はレヴィウス達と一緒に居るべきではない
と解っていた。
予想外だったのは、案内人をして用意された男が、
互いに顔見知りであったことと、この場所だ。
レヴィウス達は、てっきりマッカラ王国で用意された隋人を
案内人として行くものだと思っていた。
「ふん。祭りが近いせいか、
マッカラ王国には浮かれた虫が飛び交っておるでの。
ワシらとの関係は極力どちらにも気どられぬほうがええ。
尻の青いローグよりも、こやつがお主らを連れて祭り見物するなら、
可笑しくないでのう」
それまで黙って聞いていたローグが、湧いてきた疑問に声を上げた。
「虫? 獣避けの香なら俺も持ってるよ。
気取られるって何かあった?それとも危険な何かがあるのか?
俺の力不足ってことで、その人と交代ってことなのか?
爺ちゃん、俺はそんなに頼りないか。
砂の一族の男として案内も出来ないくらいに信用に値しないのか」
ローグの感情を宥める様に、ヤトはローグの肩を軽く叩いた。
「いいやローグ、危険なぞなんもない。
お前の力を疑ったことなぞないくらい信用しておるわい。
だから交代なぞせぬよ。
お前はちゃんと3人をマッカラ王国まで案内するんじゃよ。
お前が一族から受けた指令は、塔にいる引き籠り爺の所まで
3人を連れて行くことじゃ。
それで今回の仕事は仕舞いじゃ。お前はすぐにとんぼ返りよ。村に帰れ。
彼等の祭りまでの案内は、塔で暇しとるルカに頼むことになるでな」
ヤトの言葉に、ローグの肩の力が抜け笑顔が戻った。
「わかった。なら、俺も護衛と道案内で一緒に祭り見物に行ってもいいかな。
トンボ帰りも面倒だし」
子供の様に、祭りに興味を持ったローグを、
ヤト爺は子供を宥めるように笑った。
「ほう、仕事熱心よの。よいよい。
じゃが、祭り見物ならこんな男どもとしても意味がなかろうに。
どうせなら可愛い娘っこ連れて見物するのが、ええと思わんか?
折角の祭りじゃ、目当ての女子に男の甲斐性を見せる
いい機会じゃと思わんか」
キランと目を光らしたマラドフが、ヤト爺の意図を悟って言葉を更に続けた。
「そうだぞ。お前ぇ、知らねぇのか?
祭りって言うのは女を落とす絶好な機会なんだぜ。
普段お堅い女でも祭りの浮かれた気分に釣られて、
こうふらふらっときて、酔っちゃったで、 よっしゃあってなるんだ。
ヤト爺が言ってたが、お前の婚約者は結婚するまではって、
なかなか許してくれねえんだろ。
婚前旅行ってことで、いっちょ男を磨いてこいってことだよ」
ローグの目が驚きで見開かれる。
「ヤト爺、他人に何話してんだよ。 じゃなくて、ええっと、そうなの?
ふらふら? よっしゃあ? いける?
そういう事? え、もしかしてヤト爺がここで待ってたのって俺の為?」
ヤト爺は目を細めて、かっかっかと豪快に笑った。
「そうさのう。ワシは愛の扇動者よ。
可愛い娘に頼まれては嫌といえんでのう」
ローグは興奮しながら腕を上げた。
「彼女がそんなことを!
やった~!俺、仕事終わったら速攻で帰る!飛んで帰っちゃう!」
「おう、そうしろそうしろ。
羨ましいぜ、女とねんごろで祭り見物が出来るなんてよ」
あっという間に二人に転がされるローグを見ていて、
やや鬱屈とした気が晴れる。二人の会話から、
ローグには詳しい仕事の詳細には一切関わらせない方針なのだと悟った。
「ということだ。明日の朝一番にこの街を出立する。
変え馬も人数分用意した。水も食糧も積んである。
書類も今日の昼には届く様に手配済みだ。
鉄砲水でマッカラ王国の主街道が封鎖されたからな。
多分、お前たちは迂回してここに来るってヤト爺が予測して、
俺達はここに居たってわけだ。
ラナさんの料理は旨いし、ちょっとした小遣いも増えるし、
俺としちゃ願ったり叶ったりな依頼な訳だ。
これで俺達がここに居る理由も解ったか?」
マラドフの言葉に、ローグを始め、カースとレヴィウスも頷く。
昨夜にローグから聞いていた当初の予定よりもマッカラ王国に
早く着ける事に安堵する。
メイはマッカラ王国に居るということは予測できていた。
早く着けるなら捜索に時間が取れる。マッカラ王国まで行けば、
照なり猿なりがメイの居場所を感知出来るやもしれない。
小さな希望の光が二人の心に灯った。
そんな心情が顔に現れたようで、二人の頬がやや緩んだ。
それをどうとったのか、マラドフが二人をからかう様ににやりと笑った。
「ローグはいいよなぁ。
可愛い女と祭りだってよ。俺は男ばかりの祭り見物だってのに。
そんな俺の空しさを紛らわすために、楽しい事を話そうぜ。
よう、レヴィウス、 グラナデッチ一族の女騎士エデルと、
ベニシア王国のキャスリーン姫に言い寄られてたよな。
カースは、フランダーズ共和国のガゼリア公女に一目ぼれされたって
噂で聞いたぜ。 あれどうなったんだ?
エデルの顔はそこそこいいとは思うが、きゃんきゃん煩ぇし、
出るとこ出てねえと俺は起たねえなぁ。
姫の方は頭はあれだが、良い体してるぜぇ。
ガゼリア公女は、カースに結婚できなくてもいいから子供くれって
言ったんだろ。 いいよなぁ、ガゼリアは姉御肌だが、いい女だ。
俺ならがっつり食って仕込むところだ。
食ってからお試しができねぇ面倒な相手だが、
どれも背後はしっかりしている。いい縁だと思うぜ」
一体どうやって知ったのかと言うような下世話な話題だが、
相も変らぬ情報網に聊かカースは鼻白む。
「ほう、レヴィ坊もカース坊も女から追いかけられる様になったか。
よいよい。 頭に花が咲こうと、甲高い声で鳴こうと、
女は、それぞれに柔こうて具合がええもんじゃよ。
ほれ、ワシの様に両手に抱えられるだけ女を抱えりゃええ。
それが男じゃよ」
ヤト爺の何かを思い出して、揉むような卑猥な指の動きをするが、
潔癖なカースが顔を顰める。
レヴィウスは、ヌイ茶を飲みながら涼しい顔で答えた。
「どちらも断った」
ストイックすぎるくらいに端的な返事に、
相変わらずだと嬉しくなりながらも、そんなレヴィウスを面白そうに
マラドフは囃し立てる。
「おおぅ、もったいねえ。お前それでも男か?
据え膳って言葉を知ってるか?」
からかう気満載のマラドフに、カースの冷たい視線がぐさぐさと突き刺さる。
「あんな性格の悪い乱暴女と話を聞かない脳内花畑の馬鹿女を
船長に勧めないでください。
あんなのをレヴィウスが選ぶはずがないでしょう。
それに、噂好きで頭が空っぽの慎みのない下品な年増女は、
私の趣味では有りません」
それなりに有名で男に人気のある女性達を、
ばっさりと切って捨てるカースの冷たい口調に、
マラドフが大袈裟に眉をしかめた。
「カース、お前まだ女嫌い治ってねぇのか。
は!もしかして男に走る気じゃぁねぇだろうな」
マラドフの悪ふざけに、ヤト爺は楽しそうに乗る。
「ほ! カース坊は色違いかの。ワシはそちらに偏見はないが、
聊か尻が痒い気がするのう。
ワシは万人に優しいええ男じゃが、妻が大勢おるでの。
悪いが尻は差し出さん。
じゃが、マラドフ坊なら具合がいいかもしれんのう」
「おおい!爺さん、何振ってくれちゃってるんだよ。
俺のごつい尻はカースには向かん。
酒を飲んで酔ってカースが差し出すなら、乗ってやってもいいような、
いや、待て。 今のは気の迷いだ。冗談だ。俺は根っからの女好きだ。
男は対象外だ。諦めてくれ。
そうだ! 俺の友人にそっち専用の男が居るんだ。
多分、カースならモテモテだと思うんだが」
「ふむ。マラドフ坊、お主の世界はちーと歪んで折るの~
ワシは女同士の行為なら歪んでもええかと思うが、あれは目に麗しいからのう」
「おっ爺さん、いい趣味してんじゃねえの。
あれは、お触り厳禁なのがいいんだよなぁ。
そういう店ならファイルーシャにいいのを知ってるぜ。
行くなら案内するぜ」
二人は調子に乗ってどんどんとお手軽に話を作り上げていくが、
カースの視線が、纏う空気が、
どんどん冷たくなっていく事に気が付いてない。
殺気を含みかけた冷え込み澱む空気に、
ローグが耐えきれなくなって立ち上がった。
「え~と、俺、そろそろ料理を運んでくるよ。
爺ちゃん達、与太話はそれくらいにして、
その辺片付けといてよ。お腹減っちゃったからさ。
カースさん、レヴィウスさん、よかったら運ぶの手伝ってくれませんか?
爺さん達、冗談も相手を見てしないと、ラナ婆ちゃんに言いつけるよ」
ローグの機転を利かせた言葉と態度に、カースの冷気がやや薄れる。
レヴィウスとカースは、さっさと立ち上がってローグの後に続いた。
「ラナに言うのは反則じゃよ。怒られたらどうすんじゃ」
「そうだぜ、もし飯抜きになったら、俺ぁ恨むぜ」
二人は軽口を言いながらも、荷物やクッションを端に寄せて、
全員が輪になって座れるように、
慣れた様子で中央に正方形の薄い水色の布と何枚かの鍋敷きを敷いた。
全てが整って直ぐに、大きな鍋や皿を持ったローグ達が戻ってきて、
水色の布の上に所せましと並べられた。
米を使ったマッカラ王国の伝統的な料理に、
砂の一族独特の調味料を効かせた煮込み料理。
数種類の麦と米を合わせて焼いた大きなバンズに、
ふわりと香る濃度の濃い酒。
男達が好むであろう大きな骨付き肉に、
肉汁を使った香り豊かなグレイビーソース。
ワインで煮込んだ羊肉のパイ包みに、
肝と根野菜を煮込んだ力強い濃厚なスープ。
乾燥野菜と一緒に燻した肉と野菜の蒸し料理。
卵に小麦と乾燥果実を合わせたタルト。
朝からこれでもかと思うくらいの料理が所せましと並ぶ。
ラナは、ぱんぱんと手を叩いて、ローグに全員分のカトラリーを手渡す。
「さあ、食事にしましょう。素敵な王子様達、取り分けるわ、
お好きな物はどれ? ローグは手伝って頂戴」
「うわぁ~、美味そうだ~」
よほど腹が減っていたのかローグの腹がきゅるると鳴ったが、誰も気にしない。
「なんと、ワシの好物ばかりじゃ。さすがワシの最愛の嫁じゃ。
坊主ども、こういうええ女を捕まえてこその、男の人生じゃぞ」
ヤトはニコニコと嬉しそうにラナの肩を抱く。
「確かになぁ、料理上手ってのは最大にして最高の加点だよなぁ。
ラナ婆ちゃんが若かったら、ヤト爺潰して奪い取るんだがなぁ」
マラドフの言葉に、ラナはころころ笑って答えた。
「あら、私が若いころは、貴方はおしめをつけた赤ちゃんよ。
いずれ極上のいい男でも、流石に赤ん坊に口説かれるほど
私は節操なしではないわねぇ」
ラナは笑いながら、皿に綺麗に料理を盛り付けて、
客人一人一人に手渡していく。
「かっかっかっ、文字通り尻が青い赤子に、ワシが潰されるわけなかろうが。
しかし、あのころのラナは確かに素晴らしくええ女だった。
ライバルも多くてな。
それを押しのけ潰して、機を見て押し倒したワシの独り勝ちじゃ。
悔し涙をのんだ男ども相手に何度も高笑いしたものよ。
いや、懐かしいのう。
今思うと、あれはワシの一目ぼれだったのう」
「あら、昔は良かったって事?」
慣れた様子でラナは肩に廻されたヤトの手の甲を叩く。
「いいや、昔も今もじゃ。なにしろ、今はますますええ女になっとるからの。
諦めが悪い爺共を、頻繁に叩きのめして駆除せにゃ枕を高くして眠れんわい。
お前はこの街から動こうとせんからの。
離れて暮らす弊害を常々思い知っておるところじゃよ。
ラナ、昔の様に村のワシの家に帰らんか?皆も待っとるぞ」
昔を思い出し、愛しそうに頬にすり寄るヤト爺を放置したままで、
ラナはてきぱきとローグに指図して、飲み物の用意や皿の補充、
手拭の有無を確認して、満面の笑みで手をぱんぱんと叩いた。
「さあ、皆で食べましょう。お腹いっぱい食べたら、疲れも飛んでいくわ。
そのまま寝れば、明日には元気に出発出来るわ。
皆の安全祈願も掛けながら作ったから、しっかり食べて頂戴ね」
ラナの言葉と湯気を立てる美味しい料理に、誰もが考えるのを止めた。
人柄が現れたのだろうか、その料理は暖かく味わい深く、
一匙掬って口に入れる度に気持ちが解れる。
誰もが舌鼓を打ち、じんわりと舌に染みる旨さに感動していた。
これは、とても美味しい。レナードの料理とはまた違ったタイプの美味しさだ。
そう思ったら、自然にカースの脳裏に食べることの好きなメイの姿が過った。
「ここに居たら、目を輝かして喜ぶでしょうに」
ぼそりと思わず呟いた言葉に、レヴィウスも同じように考えていたのか、
優しい目で頷いていた。
「ああ、そうだな。レナードの為にレシピを強請るだろうな」
その様子がありありと目に浮かんで、
二人の脳裏にメイの笑顔が焼き付けられていた。
その二人の言葉に誰よりも先に反応したのは、予想外にラナだった。
「あらあら、貴方達には、この料理を食べさせたいって思う
素敵な女性が居るのね」
ラナの言葉に、マラドフが目を瞠る。
「おい、なんだ。レヴィウスは兎も角、女嫌いのカースまで
そんな顔するってことは天変地異の前触れか
まさか、お前ら、嫁にしたい女がいるのか。どんな女だ。美人か?」
マラドフのからかいと含んだ無遠慮な問いに、カースが顔を顰める。
「貴方には関係ないでしょう」
だが、マラドフは怯まない。何故ならその切り替えしこそが、
彼の求めていた反応だからだ。
「そうか、やはりそういう女性がいると言う事か。
いやぁ、ほっとしたぞ。
お前たちに女っけが全くないとは言わんが、
お前たち相手にそういう話が出来るってことにな。
それに、お前たちの友として、どんな女か知っておきたいって
思って悪いか?もし万が一の時は、 理想のタイプを知っておけば、
似たようなタイプを用意してやることもできるしな」
親切なのか不親切なのか解らないその提案に、
カースが応える前にレヴィウスが応えていた。
「そうだな、いずれお前には紹介するつもりだ」
「式に招待してもいいのですが、正直、
これを紹介するとなると気が進みませんね」
当然逸らされると思っていた会話にまともに答えたレヴィウスとカースに、
マラドフはただ驚き、ラナとヤト爺は満面の笑みを浮かべていた。
「まぁ、素敵素敵! 私も知りたいわ。どんな人なの?可愛い?
料理好きなの? 私と話が合うかしら。あ、式はいつ?
お祝いを受け取ってくれるかしら」
ラナの嬉しそうな顔と質問に、レヴィウスとカースは素直に頷いた。
「料理好きで、素直で、そうだな、話は合うかもしれん」
「そうですね。物怖じしない性格ですし、知り合えば懐くかもしれません」
「懐くって、小動物じゃあるまいし……」
マラドフは驚き戸惑うままに、ただ口ごもった。
正直、小動物の様な女と彼等との組み合わせが想像できないからだ。
だが、ヤトは面白いものを見たとばかりに笑う。
「ほっほっほっ、よきかなよきかな。
人生とは男と女子の絡みがあってこそよ。
レヴィ坊はその女を妻に迎えると言う事か。
ええのう、カナン坊にも春が来たことだし、
若をせっつく理由が出来たわ」
落ち着けとラナの肩をヤト爺が押えながら、
面白そうに言った台詞にローグとラナが食いついた。
「え! カナンさんってあのカナンさん? あのカナンさんに女性! ウソだろ」
「まあ、カナンがとうとう女性を見初めたの?
理想が高くて、正直お嫁さんになってくれる人が居ないのではと
心配してたのよ。どんな人なの? 一族の女性じゃないわよね。
マッカラ王国の方なの? そちらも気になるわ」
カナンに意中の女性。マラドフやレヴィウス達が知るカナンは、
学者肌のお堅い神経質そうな男だ。
女性蔑視とまでは言わないが、女性の話題を振ると低能がとばかりに
蔑みの視線を向ける傾向にあった。
「へぇ、あのカナン坊ちゃんがねぇ」
「ねぇ、どんな人? 私も合えるかしら」
ラナの質問にヤト爺は頷いた。
「どんなとな? そうさな、あの偏屈爺の手綱を取れるほど有能な女子じゃ。
急な事にも慌てず対処できるし、学もある。温厚で真面目で正直者で、
実に優しい。 あのような女子はそうそう居らん。
ワシを可愛いと言いおった事にも目が点になったわ。
カナンは女子を見る目があったと、初めて知ったわ。
しかし、あれなら納得じゃ。
砂の一族ではないが、ワシは文句なしに賛成じゃ。
もし一族に反対されたなら、ワシの養女に迎えて
嫁あわせてもええと思ておる」
文句なしの大絶賛の言葉に、ラナは目を輝かせた。
「まあ、それなら私の娘になるかもしれないのね。素敵!
そうなら、カナンに尚更、頑張ってもらわなくちゃ」
「心配無用じゃ。カナンは奥手じゃと思ておったが、なかなかどうして、
やりおるぞ。 職を世話し自らの近くに引き込んで、
完全に手の中に入れおった。傍で四六時中愛をささやけば、
色事に初心なあの子は、今頃カナンに見事陥落しておることじゃろうて」
ヤト爺の絶賛する言葉と語られた事実に、
マラドフもローグも驚きを隠せなかった。
「へえ、偏屈爺ってあの老師だろ。
女の爺に対する評価は兎も角、あのカナンがねぇ。
グレン様の方が先に見つけるかと思ったがなぁ」
「陥落って、婚約間近で、すぐに結婚てことか。
いいなぁ。相手が一族じゃなければ、
婚約期間が二年だなんて決まり適応しないもん。
俺より先に嫁取り。ちくしょう、羨ましい」
どちらも違うところで驚いているようだが、
ラナは見もしない養女に想像の翼を広げていた。
「素敵ねぇ、うっとりしちゃうわ。賢くて有能で優しいだなんて。
まるでかつてのリモーネ様の様ね」
リモーネ様と言われて、首を傾げる者は誰もいない。
ラドーラの領主シャールの愛妻で、理想の女性とまで歌われたリモーネだ。
皆それぞれに面識なり、有名な逸話を知っていたりしたものだ。
「リモーネ様か、確かにの。背筋がぴんと伸びた礼儀正しい様子は似ておるの。
若も気がついたかもしれんの。 目が一瞬揺れたからの」
「まぁ、グレン様とも面識がおありなのね。
それなら安心だわ。ああ、どんな人なのかしら。
リモーネ様の様に、美人で賢い素敵な女性なんでしょうね。
絵姿がないかしら。 カナンに頼んだら送ってくれるかしら。
私、ドレスを作りたいの。 ほら、リモーネ様は、
私が作ったドレスをことのほか喜んでくださったでしょう。
やっぱり一族の形式も素敵だけど、女性ならばドレスで式も憧れるわよね」
ラナは、間接的にだが嘗てリモーネに助けられたことが有り、
かなりリモーネに傾倒している。
もし、メイに出会ったとして、リモーネとの差に勝手に落胆したら
メイが可愛そうなので、ヤトは釘を刺しておくことにした。
「先に言うとくが、嬢ちゃんは美人というより可愛いという容姿じゃ。
外見はリモーネ様とは全く似とらんぞ。
背も低いし、出るところは全くと言って出とらんからの」
頭の中で、マラドフは、歌劇でみたリモーネ役の女優から胸と尻を外して、
背を縮めたが、どうもしっくりこない。首を傾げるばかりだ。
「なんだ、子供体型か? 俺は趣味じゃねえな」
マラドフの単純な感想に、ヤト爺は笑って答えた。
「女子は体型よりも、いや、そうではないの。
ええか? 総じて女子は変るもんじゃ。
ラナがワシ好みのええ女になったように、一緒になる男で女は変るからの。
そして、男も女子を守り慈しむことによって変わる。
これが人生のもっとも楽しい営みよ」
ヤト爺は、レヴィウスとカースに向き直ると、真っ直ぐに瞳を見据えた。
「レヴィ坊、カース坊、互いに尊重し、愛し、
その人生を慈しめる相手と幸せになれ。
お互いを高め合い、善も悪も、良心も咎も、
相手の全て飲み込めることが夫婦の秘策よ。
年老いても一緒にこうして笑いあえる相手と一緒になれることが、
どれほどの幸運か。 よう覚えて置くがええ。
どんな困難な道でも、二人で挑んで、周りが支えれば、
心も絆も折れることは早々ないものよ」
その言葉に、レヴィウスとカースは頷いた。
「わかった。心に止め置く」
「そうですね。含蓄として受け止めましょう」」
そんな二人の様子に、マラドフは心の奥がじわりと暖かくなっていくのを感じた。
彼等が本当に幸せにしたいと思う女性に会ったのだと、心の底から嬉しくなった。
マラドフの目から見ても、レヴィウスとカースは見目がよく、
能力も高く、収入もいい。性格もそれなりだ。
そういう男が独身であるならば、女は当然ながら朴っておかない。
現に、彼等は多くの女性に秋波を送られ、それなりに女性に囲まれ、
彼等の知らぬところで女同士の醜い争いがあったことだって数知れずだ。
だが、どんなに熱烈に迫られても、
彼等は決して女に隙を見せないことでも有名だった。
彼等とて男だ。娼婦と肌を合わせることはあるだろうが、
決して特定の相手を作らないことでも有名だった。
彼等の船乗りとしての名声が上がるにつれその競争は激戦となっていったが、
彼等の頑なな態度から、いつしか高嶺の王子様のように美化され、
孤高の存在ともなっていた。
いつしか、マラドフは何故そのような態度を取るのか聞いたことがあるが、
過去に酷な事情を抱え、レヴィウスにそれなりに依存している女性不審な
カースは兎も角、いつも曖昧な表情を浮かべ心の内を決して見せない
レヴィウスが、ふと浮かべる信頼できない他人に対しての
厳しい線引きともいえる態度に、どこか寂しい印象を持っていたことは事実だ。
特に女性に対しては拒絶に近い態度を見せることがある。
だが、同時に仕方ないのだろうと一種の諦めに近い感情をも抱いていた。
何故か。 それは、レヴィウスのあの緑碧水晶のような強い意志を放つ瞳だ。
彼のあの瞳は強すぎるのだ。見詰められれば何一つ隠し事が出来ない気になる。
人間生きていれば誰しも、後ろ暗いところや、
目を背けるような過去を持つことだってある。
レヴィウスが意図して真実を暴こうとしているとは思わないが、
あの瞳に見つめられて真っ直ぐに見返せる人間がどれだけいるか。
同じ商館付の船長として先輩で、それなりに付き合いの長いマラドフですら
レヴィウスに真っ直ぐに目の奥を覗かれることが苦手だと言っていい。
彼等の表面だけ見て近づいてくる女は、彼を知ろうとする前に、
心の闇を照らされるような気がして目を逸らす。
そんな相手を妻に出来るか? 答えは決まってる。無理だ。
レヴィウスの心根は、人の機敏に聡く、懐深い、情の濃い男だ。
カースも警戒心が強いが、一度懐に入れたら面倒見の良い優しい男だ。
だからこそ彼等は、誰よりも用心深く、覚めた目で人を見る様になったのだろう。
そんな彼らが、誰かを愛し、妻を持ち、家族を得ようとしている。
マラドフにとって、とても嬉しい報告だった。
そして、同時に、人恋しくなった。
マラドフの脳裏にファイルーシャの家で待っている、馴染みの女の顔が浮かんだ。
美人でもないし賢くもない。愚鈍だが実直で、片腕のマラドフに嫌な顔一つしない奴隷娼婦上がりの女だ。客との諍いで喉を潰され、ハスキーなガラガラ声の女。ちょっとしたことで身請けしたが、それを恩義に感じてマラドフの家で無償で家政婦として働いてくれている律儀な年嵩の女だが、面倒見がよく、情が深く、豊かなその胸が暖かいことをマラドフは誰よりも知っている。
「俺もそろそろ年貢を納め時ってことかな」
そう言いながら、それも悪くないと思い始めた。
目の前のヤト爺夫妻を見ていて妙に納得した。
彼女となら一緒に年老いていく未来を嬉しいと思えるだろうと、
想像して嬉しくなった。
「なんじゃい、マラドフ坊もか。ローグは半年後に祝言じゃし、
カナン坊も、レヴィ坊もだ。
ええのう、幸先明るいわ。ラナ、お前も女達に手紙を送ってくれ。
若を一層派手にせっつこうぞ。
そうすりゃあ、もしかするともしかするかもしれんからの」
ラナは暖かい紅茶を皆の前に置いていき、
自分のカップにポトンと角砂糖を落とした。
スプーンをくるくると回しながら、熱い湯気をふうっと飛ばす。
「皆で幸せになれればいいわねぇ」
その言葉に、誰しもが幸せの像を浮かべて、明るい沈黙を楽しんだ。
暖かい湯気の向こうに、愛しい誰かの顔を思い浮かべながら。
私の愛すべきおじ様キャラ登場です。
彼等は少しずつマッカラ王国に近づいていきます。




