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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
220/240

先輩ができました。

「それでは後は頼みましたよ」


それだけ言うと、カーラーンさんはさっさと踵を返して、

サーリア先生の執務室に入って行きました。

先程まで浮かべていた笑顔は消えて、口元を引き締めた厳しい顔で足早に去っていく。


兎にも角にも仕事が多すぎて、酷く忙しいって言ってたものね。

一刻も早く仕事に戻りたいということでしょう。

サーリア先生も、カーラーンさんも、過労で体調を崩さなければいいのですが。



明日ここに来るときに、疲労回復に効く何かを作ってこようかな。

疲労回復といえば、クエン酸とかが体にはいいのよね。

後で食材市場に行ったときに、お店の人に酸っぱい果物を聞いてみようかしら。


私がぼうっとしながら、その後ろ姿を何気なしに見送っている間に、

少年ジュノは大きなカバンを袈裟がけに掛け、

更にぎっしり詰まった大きな籠が4つぶら下がった天秤棒を担ぎあげ、

持ち上げた勢いが衰えぬままに踵を返し始めた。


「よし! おい、マール。時間がないからさっさと行くぞ。

 そこにある籠持てるか?持てないなら、籠を一つ減らしてもいいから」


「え? あ、は、はい」


ジュノが指さした先に視線と剥けると、同じ様な小さな籠が2つ有りました。

そして同じ様な天秤棒も。

言われるままに持ち上げてみると、ぎしりと肩に食い込みます。


とんでもなく重いし、食い込む棒が肩を抉るようで痛い。

小さな籠だけど、一つが確実に10kg以上ある。

単純推測計算だけでも、二つで20kgだ。


昔、テレビで籠に担いだシジミ売りの女の子を何気なしにみてたけど、

これ凄い重労働です。シジミは貝殻が重い上に、

シジミ自体がしっかり水を含んでいるので、大変重いはず。

更に、シジミ売りの少女は、これ担いで大声で呼びかけ、街中で売るんですよ。

一体どれくらいの力持ちなんだろうか。


「おい、早くしろ!」


ジュノ少年の声に急かされて、

肩に食い込む天秤棒の痛みと篭の重さに涙が出そうになりながらも、

よろよろ進み、ふらふらしながら、なんとか後を着いて行きました。



*********



恐る恐る一段ずつ階段を降りていくと、

ゆらゆらと揺れる籠が更に肩の上で天秤棒を軋ませる。

短い時間ながらも、後で筋肉痛間違いなしの重労働です。


息を切らせながらよたよたと歩いていくと、

階段下で私の数倍近い荷物を担いだジュノ少年が待っていました。


「おい、大丈夫か?」


やっとのことで階段下にたどり着いた時には、かなり息が上がっていました。

それなのに、階段は未だ一つ階を降りただけ。

私の目の前には、更に下に続く階段。階段恐怖症になりそうです。


それは兎も角、私の場合、階段一つ降りるのも時間がとんでもなくかかる。

少年が私を待っている間にも、時間が刻一刻と過ぎていく。


「さ、先に行ってください。何とか後を追いかけますから……」


息も絶え絶えに言うと、ジュノ少年はからりと笑いました。


「何言ってんだ?まだ、お前一人だと、行先も解らないだろう」


そういわれてみればそうです。

やっとのことで息を整えて少年に向き合うと、少年はにかっと笑いました。


「初心者なんだから、いちいち気にすんなよ」


私と身長は変わらないのに、ジュノ少年の肩はしっかり荷物を担ぎ上げている。

ちらりと肩を見ると、天秤棒が私の様に肩に食い込んでいる様子はない。


同じ天秤棒なのに、彼が担いだ荷物をしっかりと支えながらも、

棒は美しい撓みを見せるに止まっていた。

おそらく、肩に筋肉がしっかりついているのだろう。


「それに、やっぱり女には無理だよな。お前は一つにしとけよ」


そういうと、私の担いでいた籠を一つ、あっさりと片手で持ち上げました。

ジュノ少年は思っていたよりも力持ちだったようです。


そういえば、男の子は第二次成長期の14,5の時に、

物凄い勢いで少年から青年へと体を作りかえると聞いたことがある。

ジュノ少年は、大人への成長期にいるのでしょう。


「あ、有難う」


「うん」


ジュノは、何気ない様子で自分の籠の上に私の籠を乗せ、

更に下に降りて行った。

その背中が何だか大人と遜色ないように見えて、

とても頼もしく、将来が楽しみとしか言いようがない。


そんな彼に比べると、今の私には大人の貫録無です。

お手伝いを頼まれたのに、全く役に立っていません。

正に、いいとこなしです。


それにしても、人には向き不向きがあると解っていても、

年下の子に頼りっぱなしって、我ながらちょっと情けないです。


だけど今はそんな反省をしている場合では有りません。

慣れない仕事だからとか、ジュノが言う様に女性だからだなんて、

そんな出来ない理由つけに、納得している場合ではないのです。


このお手伝いは明日も明後日も続くのですから、

せめてジュノの足を引っ張らない様に、

せめて何か私に出来ることを探さなくては。



よしっと気合いをいれ、一つになった籠を持ち上げました。

籠を天秤棒の端にひっかけ、肩に担いで籠の位置を調節します。

今の荷物は、一杯に詰まった買い物袋とほぼ同じくらいの重さ。

うん、これなら持てます。


まずは、出来ることですね。

深呼吸して気を取り直して、まず体を動かす。よし、これです。


ジュノ少年を足早に追いかけました。


私にやっと口を開く余裕が出たのが解ったのか、

ジュノ少年は先程までとは打って変わった様な、

砕けた口調でいろいろ話しかけてきました。


「マール、お前新入生だそうだけど、どこから来たんだ?

 遠いところなのか?この国の住人じゃあないよな。

 この国には来たばかりだよな。見た事ねえもん。

 ここには親と一緒に来たのか?」


ジュノは待っていたかのように立て続けに質問を重ねてくる。

なんだが、どこかの誰かに似ている様な、こんな感じが前にもあったような。

デジャブでしょうか。


しかしながら、熱心に聞いてくれても、

私には答えられる回答も説明できる語彙も少ない。


「遠くです。そして、親をいません。私は一人です」


結果として、簡潔に説明となりました。

だけど、ジュノは全く気にせず更に質問を重ねてくる。


「そっか、寂しいよな。 あ、解った。

 伝手を頼って出稼ぎだろう。干ばつで隣国は大変だからな。

 いいからいいから、言わなくても解ってるよ。

 俺は、そんな奴を沢山知ってるんだ。

 同じ匂いっていうのかな。

 貧乏人ってのは、どこの国に行っても変わらないから解るんだ。

 金を稼ぐ苦労を知っている貧乏人仲間ってことで。

 

 そうだ、どっかで働いているんだろ。どこなんだ?

 いや、それよりも学問所のどのクラスで誰に教わっているんだ?

 俺、昨日学問所に行けなかったから皆に話を聞いてないんだ」


ジュノの言葉は、カーラーンさんの使う言葉よりも解りやすい。

ゆっくりだし、はっきり話すので聞き取りやすい。

新入生だと紹介されているからこその気遣いでしょう。


だが、この怒涛のように話される会話というか言葉の氾濫に、

目が白黒しそうになります。

ええっと最初の質問って何でしたっけ?


「いえ、私は初級クラスです」


「初級クラスって今期開いていたか?いや、開いてないよな。

 あ、解った。ラマエメ先生に特別に受け持ってくれているんだろ。

 俺も以前にそうやって、先生の時間外に教えてもらったことがあるんだ。

 あの先生は本当にいい先生だよ。俺が尊敬する大人の一人だよ」


怒涛の様に続く言葉の羅列。

このマシンガントークは、誰かに似ていると思ったら、

ラマエメさんのお喋りに似てるんだ。


「いえ。ラマエメ先生ではなくて、サーリア先生が担当です」


ジュノがびっくりしたように目を開いた。


「は?サーリア司書長が担当? マジか?

 そういや、学問所監査って名前乗ってた気がする。

 でも、いや、しかし、あの人、授業なんて出来るのか? 

 いやいや、そういった意味じゃあ出来るのかもしれないけど、

 あの人が、先生とか、生徒を受け持つとか、想像がつかない。

 なあ、授業受けたんだろ。どうだったんだ?」


なんでそこまでびっくりするんだろうか。

あそこまで美人が、ここの忙しい仕事を兼任してまで、

学問所の先生なんてということだろうか。



「はい。まだ授業は一度しか受けていませんが、

 授業は解りやすいですし、厳しい良い先生だと思います」


「そうなのか? 意外だなぁ。あの司書長がかぁ。

 噂は噂に過ぎないってことかなあ。

 

 いや以前に誰かが、サーリア司書長の生徒は3日と持たないって、

 聞いたことがあるんだ。だから席を置いているものの、

 学問所ではクラスを持たず、監督官のような役割になっているって」


3日と持たずって一体なぜだろうか。美人だし、熱心だし、

続ける生徒はいそうなものだけどね。


「あ、宿題が多いので、そのせいでは」


「そんなに多いのか?

 ラマエメ先生は一度にプリント2枚までしか宿題を出さないぞ」


プリント2枚。

私は太い問題集の本半分でしたよ。


「昨夜遅くまでかかって仕上げましたが、それより多かったです」


確かに大変だった。

老師様に教わり、なんとかあれだけの量の宿題を終わらせて、

疲労紺杯の脳を抱えて、一晩寝た。


寝た時には、正直、もうじき死んでもおかしくないと、

思った知識の詰め込み具合に、脳が悲鳴をあげていた。

だが、人間は寝たら脳が、コンピューターの様に、

情報を自動的に整理整頓を始めるらしい。

私の脳は容量が小さいなりに頑張ったようだ。



起きて相応に値する事柄にぶつかると、頭の中に昨日よりもより楽に、

理解できるようになっていることに驚いた。


文字や数字などを組み合わせて、文章とまでは行かなくても、

幾つかの単語を拾い集めて意味を推測することが出来る様になっていました。

今も本の背表紙の文字の意味合いがポロポロ解る。


20歳を過ぎたら天才も凡人だとはいうが、

今更ながらに私に才能が開花したのかしら。

僅か一晩でここまで。 詰め込み式とはいえ、これって凄いですよね。


人間、死ぬ気になれば出来るってカースが言ってたけど、

私もついにその領域に達したのでしょうか。


いやいや、天狗になってはいけません。よく考えれば解るじゃないですか。

脳に浸み込ませる様に効率の良い宿題を出すサーリア先生の考察力と、

老師様の懇切丁寧な解りやすい解説のお蔭と考える方が正しい気がします。


そう考えると、サーリア先生も老師様も本当に素晴らしい先生ではないでしょうか。


「そうか、あ、この本の題名、ちょっと読んでみろ」


無造作に籠の一番上に乗っていた細い本を渡された。

紫の布張り背表紙に書かれている文字を一つずつ拾う。


うん、半分読めるし、何となく解る。


「えーっと、フラン、麦、粉、税、集める、表。

 上の方に書いてあるのは、数字ですよね。4、52、804」


読める単語だけを拾って読むと、ジュノがほっと軽く息を突きしっかり頷いた。


「この本は、フランや麦における製粉の税収と検索って書いてあるんだ。

 要するに、フランや麦を粉にした場合の税率が書かれているもの。

 数字は本棚の場所だよ」


最初の一文は難しい単語が入っていたのでわからなかったが、

後の訳は意味が解りました。


「そっか、問題ないな」


問題ない。その言葉は本当に嬉しい限りです。

僅か一晩で。感無量ってこんなことを刺すのですね。


これなら、食材市場のセール商品の看板が読める筈。

ああ、後で行くのが本当に楽しみです。


そうこうしているうちに、一つの部屋の前に付きました。

無造作に扉の横で籠を置き、ジュノはくるりと振り返りました。


「今から仕事を説明する。いいか?」


「はい」


ジュノは籠の一番上の本を持ち上げると、

本の右端に描かれてある葉っぱの様な形の紫のワンポイントを指さした。

模様の所だけやけにでこぼこしていて、本の上に押された押し印の様に見える。


「よく見ろ、ここだ。

 書類の右上や書籍の背表紙右上に絵柄があるだろ。

 この模様は所有する部屋の印だ」


確かに、それぞれの籠に目を向けると、

書類や書籍は同じ模様の印に分類されているらしい。

先程の資料室の山を思い出して、そういえばこんな模様があったようなと、

うろ覚えの記憶を引っ張りだそうと首を傾げてみた。


「それでだ。ここを見ろ。 この絵柄と部屋の印は、同じだろ」


ジュノが指先で扉の上を指さす。

扉の上には、確かに同じ落葉樹の丸い葉の絵が刻まれた看板がある。


「その本や書類の行先はこの部屋ってことだよ。

 絶対に間違えない様に何度か確認して、

 それらを部屋の中の返却窓口に持っていくんだ」


ジュノは担いでいた重い籠を扉の横に降ろして、

自分の籠の一番上に乗っていた幾つかの本と書類を手に中に入った。


ジュノの後ろに付いて部屋の中に入ると、その部屋の人達が、

私達の事を気にもせず一心不乱に仕事をしていました。

その顔色は幽鬼と見まごうばかりに、目はくぼみ隈は黒ずみ、頬がくぼんでいた。

誰が見ても解る。疲労のピークって感じです。


「皆、忙しくて気が立っているから、よほどのことが無い限り、

 話しかけない方がいいよ。

 人によっては、ちょっと話しかけただけでも大変だから」


私はしっかり頷きました。


そうですよね。

疲労のピークにある人間と言うのは思考力が低下し、

何をするか解らないのが常識です。

私だって、試験で徹夜続きだった時は、

自分が宇宙語話しているのではないかというくらいに、

壊れていたと言われた経験があります。



ジュノは返却窓口で止まり、そこに鎮座していた5台のワゴンを指さした。

ワゴンの背にははっきりと書かれた大きな数字。


「この数字は本棚の番号だよ。このワゴンは棚事に分別する為に置かれている。

 で、本の最初の数字が棚の番号。 ほら、分けて並べてみろよ」


そういって渡された本や書類を、ワゴンの数字を見ながら入れていきます。

こういった分類作業なら出来そうだ。

老師様の部屋の本棚でも、今朝掃除の時にいくつか元の場所に戻して置いた。


ジュノも私と同じく、手に持った荷物をワゴンに乗せていく。

流石にジュノは作業に慣れているようで、手際がいい。

私もジュノに言われたように、確認しながら並べて行った。


そうやって、3つ目の部屋を回って一つの大きな籠が空になったら、

ジュノは廊下の端にその空の籠を置く。その同じ場所には、

半分程中身が入った同じような籠が置かれていた。


「空の籠はここに置いておくと、誰かが書類や本を入れていくんだ。

 一番下まで行って帰りがけにこれらの籠を拾って上の部屋に戻る。

 これがカーラーンさんの言う、『単純だけど、ちょっとした重労働』だよ」


出来る?と無言で聞かれた気がして、思わず顔が引き攣った。

出来るでしょうか。


「棚卸終盤までは各階の返却作業の方が多いんだ。

 あと2日もすると格段に減るんだけどね」


パッと見た感じでは、返却した物よりも回収籠の方が量は多い気がします。


「それから、司書長あての書類や本を預かることがあるから、

 大事な物は一緒にせずに鞄に入れて帰って、あの部屋の箱に入れるんだ」


ジュノがそういうと、都合よくというかタイミングよく

どこぞの部屋の人が出てきてジュノに封筒を手渡した。


「ジュノ、司書長にこの書類を頼むよ」


彼の目の下にも大きな隈が。徹夜3日目くらいでしょうか。


「はい」


ジュノは肩掛けにした布のバックの中にそれらを大事に入れた。

ぺちゃんこだった布のバックが少しだけ膨らんだ。


「よし、じゃあ次だ」


ジュノはさっさと残りの籠を担ぎ直し、廊下を進み階段を下りて行った。


先程の3日隈を飼っている彼は、視線を彷徨わせ、壁にぶつかりながらも、

なんとか自力で部屋へふらふらと戻っていく。

あれ、本当に大丈夫でしょうか。


ジュノは気にしたら負けだとばかりに、

さっさと階段を下り、下から声を張り上げた。


「何してんだ。置いてくぞ」


私は籠を担いで、慌ててその後を追いかけました。


「主要な部屋は全部で14部屋。まず、部屋の場所を覚えることからかな。

 そうだ。 明日からは作業を分担するからな。

 今日見た限りでは、力仕事はお前には無理だろうから俺がする」


それは助かりますがいいのでしょうか。


「え? で、でも……」


「もともと、この作業は流れ作業の方が効率がいいんだ。

 去年までは、階毎に担当者がいて、受け取りと分配をしてくれていて、

 俺は言われた物を持って上がったり下りたりするだけだったんだ。

 見た感じ、マールの手さばきに問題があると思えないし。

 そうしてくれると俺の方も仕事が早く片付いていいよ」


そういわれてみれば、力仕事を時間をかけて私がするより、

私に出来るかもと思った仕事を任される方が、

手っ取り早くてほっとするのは事実です。


「右側に上から持ってきた籠をそのまま置いておくから、

 マールは、それぞれの部屋に分類して、ワゴンに乗せ、

 さっきの様に空の籠を部屋の外に出しておくだけでいい。

 回収も俺がする」


ほっとしていた私に、ジュノは眉を顰めてちょっと怒ったように言った。


「おい、単純作業だからって、気を抜くなよ。

 間違えたら、それだけで仕事が増えるからな。

 小さな奥まった部屋もあるからな。抜かすなよ。

 上から順に部屋を回って、きちんと仕事しろよ」


言葉使いはちょっと荒いけど、ちゃんと仕事をする人の言葉だ。

こうやって人を気遣って怒ってくれ注意をしてくれる人は、

本当にいい人です。


私はしっかりと頷いた。


ジュノは私を連れて順繰りに部屋を巡りながら、仕事を進めていく。

改めて何度目かの感心のため息だでた。

その籠担ぎも、手さばきも惚れ惚れするほどだ。

てきぱきと、本当に無駄がない仕事は見ていて気持ちがいい。


目的地に最短距離で向かい、着実に仕事をこなす。

カーラーンさんがジュノ少年がベテランと言った意味が解った。


そうして、下に降りるにつれ、私も作業にだんだんと慣れ

半刻もしない内に最終目的地である一番下の地下倉庫の前に来た。


ジュノは、徐に地下倉庫の扉の前で最後の籠を降ろして中に入った。

私の籠はすでに3階で降ろしてしまったので、今の私は空手です。


中に入ると、今までの部屋と打って変わって誰も居なかった。

その部屋は、シーンと静まり返った、本だけがある寒々とした空間でした。


「この部屋は、実質的には倉庫だから、基本誰も居ないんだ。

 だから、この部屋の作業だけは棚に本を返すまでが仕事。

 ほら、そこの空いているワゴンにこの中身を入れて、

 それで、本に書かれている所定場所まで移動し、棚に差し込む。

 ここでの回収はないから、俺は空の籠だけを持って上に上がる。

 

 さ、見てるから、やってみてよ」


「はい」


指示どうりに数字を追って一から順にワゴンに並べていき、本棚の棚を見上げる。

本棚は入り口側から始まって奥まで、かなりの奥行です。


一冊ずつ並べていくと、少しずつ余裕が出てきたのか、

本の題名を目にして内容をちょっとだけ推測する。


あ、これ料理本だ。こっちは恋愛ものだろうか。

書架市場は、真面目な本しか置いてないのかと思ったけど、

意外に多種多様な品ぞろえらしい。


それに、本の背の文字はこの国の言葉が大半だが、

東大陸の本も、他の国の言葉で書かれた本もあるようだ。

全く未知の文字列を持つ本も沢山あった。

それでも、背表紙に書かれた棚の数字や書籍番号は同じですから、

間違わないですよ。


ああ、懐かしいですね。

ポルクおじいちゃんの図書館もいろんな本がありました。

料理本もありましたし、そういえば昔の王女様の日記の様な物も。

あれ、普通に本人が書籍として残されていると解ったら、

正直、顔から火を噴くのではなかろうかと思うような行もあった。

ここにも同じような本があるのかもしれません。


あ、違いといえば、ポルクおじいちゃんの図書館は、

基本、縦に長い天上が高く、棚が高い、圧迫感のない造りだったが、

ここは、横に広くて天井が低い。


本と紙の匂いが充満していて、空気が澱んでいるような気がするのも、

風が動かない地下ならではと言う事だろう。


壁際に小さな灯り採りがいつくか点在し、

塔の部屋と同じように太陽の光を取り込んでいるが、

天上が低すぎて壁に反射するまでなく光は一部に留まっていた。


その上、高くはないがそれなりに数がある本棚に阻まれて、

部屋の中心部は真っ暗だ。


「この灯り持って前に進んで」


ジュノはいつの間にかカンテラに火をつけ、私に一つ。

そしてもう一つを自分で持って持って、

ワゴンを押す私の先導をしてくれます。


そして、棚のあちこちで足を止めると、

ここだと言わんばかりに振り返ります。

これなら、私はその場所で棚の番号を確認しつつ、

本の番号を確認するだけで済む。


ジュノに見守られながら、本の番号を目で追い、

コトンコトンと本を順繰りに所定の棚に入れていく。


単純作業ながらにも、本の入る場所を探す私の目は細められ、

いつの間にか眉間に皺がよっていたようです。

その様子に何となく不安に思ったのか、ジュノが訊ねてきました。


「どうだ?何とかなりそうか?問題ないか?疲れてないか?」


心配を口にするジュノに、私は大丈夫と笑って答えました。

自分でも何がどう大丈夫なのかはとんとわかっていませんが、

大丈夫と言ったからには、大丈夫になるまで頑張るだけです。


だけど、じっと見つめるジュノの視線が、

何か他に言いたげなのに気が付きました。


「ジュノさん、どうしたんですか?」 

 

尋ねると、ジュノは、私の使用人服を上から下まで改めて見て、

すこし申し訳なさそうに質問してきた。


「なあ、聞いてもいいか?

 その恰好って、アンタはどこかの使用人なんだろう?」


私が来ている制服は、明らかにお仕着せですから、当然そう思いますよね。

私は作業の手を留めて返事をしました。


「はい」


ジュノは、眉を随分とさげて、更に心配そうな顔で言った。


「なら、こんな真昼間にうろうろして、仕事はいいのか?

 さぼってるって雇い主に怒られるんじゃないか?

 ここでこういう風に働いて、マールは本当に大丈夫なのか?」


確かに、常識的に考えて仕事している人は、働いている時間です。

そして、寛大な老師様の所で働く私でも、

仕事が終わっていなければ、もちろん叱られると思います。

本来仕事をする時間に、他の場所で別の事をしているのですから、

普通に考えても褒められた話ではありません。


ですが本日は、老師様のお許しをちゃんともらいましたから、

心配ご無用。 本当に大丈夫なのです。


「大丈夫です。仕事は午前中に済ませましたし、

 雇い主から、ちゃんと学校に行ってもいいと言って頂きましたから」


心配は要りませんよと言ったつもりが、彼の頬が引き攣り、

更に硬い物に変わります。何故?


「その雇い主って……、いや、そこって勤めて長いのか?」


長い?この国に来たばかりって知ってたよね。

ああ、雇用主と一緒にこの国に来たと言う意味で、

取られたのだろうか。


「いえ、まだ雇われたばかりです」


ですので、この国の言葉も文字も勉強中なのですと、

明確ではないものの、学校に通う理由として述べたつもりなのですが。


ジュノは、私の言葉をどう理解したのか、

若いのに年季が入った感じの眉間の皺を更に深くした。


「そうかよ」


それだけの言葉をポツリと言ったら、余計に皺が深くなった。

今の会話のどこに、苦悩する種が有ったのいうのだろうか。

言葉にまだまだ自信がない私は、ちょっとばかし不安です。


そんなに深い皺は、早く矯正しないと取れなくなりますよ。

こちらの言葉でどういったらいいのでしょうか。

皺って、単語なに?

何も言わず実力行使したら、怒られるだろうか。

眉間の深い皺を伸ばしたくなって、ちょっとうずうずしました。


「マールは、随分と面のいい飼い主にあたったんだな」


飼い主? 面? 行き成り話題が変ったのでしょうか。

ええっと、顔って言いましたっけ?

雇い主はハンサムなご主人かどうかってことでしょうか。


確かに、老師様は昔は絶世の美青年だったに違いないと思います。

今でも素敵な要素満載ですし。


「はい。本当に面の良い?素敵な雇用主です」


ジュノは、私の言葉を聞いて引き攣ったように口角をあげた。

あ、やっぱり言葉の使い方が間違っていたのだろうか。


「素敵な……ね」


ジュノは小さく舌打ちをし、更に世慣れた大人ように苦々しげに顔を歪めた。

そうまでされると、流石に何か違ったのだろうと気になります。

どこでしょう?


だけど、ジュノが口に出したのは、私の心配。


「マール、お前、十分に気をつけろよ。 

 まだ働き始めなら、余計に慎重に行動しなくちゃダメだ。

 働き始めなら、アイツらの本音がどうなのか解らないからな。

 カーラーンさんには、マールは雇用主の都合で明日からは無理だって、

 俺から断りの返事を言っておこうか?」


アイツらと言うのが誰なのか解りませんが、

私の心配してくれているのは確かのようです。

本当に、いい子ですね。お姉さんは嬉しい。


「有難う。私は大丈夫ですよ」


思わず、私と身長の変らないジュノの頭を撫でていました。

私には居なかったですが、弟とはこういう存在を言うのでしょうか。

あ、髪がふかふかで気持ちいいかも。


「おい。行き成り子供扱いすんなよ。

 大体、俺と歳は変わらないだろ。

 それよりも、マール、俺は真剣に言ってるんだ。

 もっと真面目に考えろよ」


真面目にですか?


「俺は知ってるんだ。

 大概の飼い主連中は、最初は良い顔するんだ。

 学校に通ってもいいとか、使用人には寛容な主人だとか、

 口ではカッコイイ事言っても、いざってなると、

 使用人をこれでもかってくらい、平気で朝から晩までこき使うんだ。

 貧乏な使用人を、使い捨ての犬猫にしか思ってない。

 表面ばかりがいい奴らが本当に多いんだ。

 お前の所もそうかもしれないだろ」


まあ確かに。全てがそうとは言い切れないものの、

一般的に言っても、そういう人はどこにでもいますよね。


そうか、面がいいとは、そういう事だったのか。

ハンサムな顔とは、意味が違いましたね。


「だから、もし今日帰ってみて、奴らに文句を言われるなり、怒られたなら、

 明日にでもちゃんとサーリア司書長に、この仕事は無理だって言えよ。

 お仕置きは、……多分逃れられないと思うけど、

 俺もその時には、ちょっとは軽くなるように言ってやるから」


ジュノは、心配そうな顔で私の目を覗きこみます。

ここに来るまで言わなかったのは、人の目を気にしてと言う事でしょうか。

私が本当のことを言いやすくなるようにという意味もあるでしょうが、

私の使用人としての立場を慮ってという事でもありますよね。


だって、人のうわさに歯止めは駆けられないのは常識だ。

雇用主の事を悪しざまに言っていたとどこかの誰かが聞いたら、

噂は国中を面白おかしく走ることだってあるかもしれない。

そうしたら事実無根だと訴えても、私は職を失うことになりかねない。


好奇心は猫をも殺すと言うではないか。


その点、誰もいない密閉されたこの空間ならば、

誰に聞きとがめられることもなく、

思ったことが言えますからね。

そんなところまで心配りが出来て、本当にお姉ちゃんは嬉しいよ。


「俺の事やここの仕事は気にするなよ。

 まずは自分の身を守ることが第一だからな」


私よりかなり年下なはずなのに、その瞳には苦労をしてきた経験と、

世間の辛酸をなめてきた傷の様な物が見え隠れしていた。

苦労しているですね。


「有難う、ジュノ。 でも、本当に大丈夫だから。

 心配してくれてありがとう」


ジュノは凄い。私よりもずっと先を見てる。

他人の事なのに、怒って心配してくれる。


「ねえ、ジュノ先輩って呼んでもいいかな?」


年下であろうが人として優れていて、職場では先輩。

ましてやジュノは私よりもかなりのベテランだ。

そんな彼は、先輩と呼ぶべきだろう。


「先輩? まあ、学問所の先輩って点では違わないか。

 先輩かぁ。へぇ、まぁいいもんだな。先輩ね」


ジュノの顔がちょっと赤くなって、顎のあたりを髭も生えてないのに、

しきりに触っていた。照れているようです。

どうやら、先輩呼びは了承してもらえたようです。






そのまま話が途切れ、私は先程の作業の続きを黙々と進めていると、

先導していたジュノが何もない棚と棚の間のような場所で、

ピタっとその足を止めた。


なんだろう?


暗闇を遮るカンテラの光がぼうっと円形に足元を照らす。

墓場も怖いですが、ここの書庫もなかなか雰囲気がある。


しばらく何か考えていたジュノは、また足を進め、

私もちょっとほっとしてその後ろをついて行った。


いやいや大丈夫。一人ではないしね。


先の見えない暗闇も、ワゴンの車輪の音だけがキュルキュルと響く静かな空間も、

今はさほど怖くはないですよ。

あ、次からは一人でここでこの作業をするんだよね。


一人だったら、怖いかもしれないので、幽霊なんていない。

怖くない怖くないと呟きながら、

さささっと作業を進めるに任せると思いますけどね。


いきなり無言になったジュノの顔を時折見つめながら、

返却作業に没頭していたら、背後から独り言を言うような、

ぼそりとしたジュノの声が聞こえました。


「なあマール、お前は将来の夢とか目標はあるのか?」


それはまた唐突な話題ですね。

ええっと、夢に目標ですか。


夢は、素晴らしい淑女になってレヴィ船長の素敵な嫁ですが、

目標と言われれば少しずれますね。

明確な目標は3000クレス貯めて、イルベリー国に帰るでしょうか。


お給料をもらったら貯金箱を買おう。

少しずつ節約して、貯金していけばいつかは溜まる筈。

ですが、そこまでたどり着くには長い道のりです。

考えただけでも気が遠くなりそうです。


だから、ちょっとだけ目線をずらして考えることにしました。

だって、ただ単に金を稼ぐ事というと、

いやに殺伐としていて即物的ですよね。


ジュノの言う目標は、即物的な事柄ではない気がします。

なんとなくですが、人生の目標点という意味ですよね。


だから目の前に掲げる目標は、西大陸言語の習得です。

老師様の所で仕事をするに至っても、お買いものをするにしても、

まずは最初の一歩と考えたら言語の習得は必須ですよね。


船に乗るにしても、誰かに頼まなきゃいけないし、

言葉が解らないと何一つなしえない気がします。


「はい。あります」


ジュノは、私の返事を聞いて、自分から尋ねてきたのに、

嬉しいのか悲しいのか解らない様な、複雑な顔をした。

何故でしょう。


「こんな子供な俺が何をと思うかもしれないけど、

 夢や目標は時に、人を生かしも殺しもするんだ」


うん?言い回しが抽象的すぎて意味が解らない。

私は首を傾げた。


「言っている意味が解らないって顔だな。

 でも、いずれ解る日が来るさ。

 俺は、身に染みて知ってるからね」


知ってる? 何をでしょうか。


「俺達貧乏人の子供は、仕事でいうと大抵は一番辛い仕事を言いつけられる。

 言いつけた過酷な仕事で怪我をしたり病気になっても、

 どこからも文句を言われることないからな。

 子供には到底無茶な事でも、無理強いする雇い主は多い。


 だから、いつかは立派になってやるって夢を見るんだ。

 

 だけど、特に学が無いお前や、かつての俺の様な貧乏人は、

 言いつけられた大量の仕事で毎日がくたくたになる。

 そんな時、夢があって学問所に通い、勉強しようとすれば、

 体を酷使するしかなくなる。夢が足を引っ張るんだ。


 最初はその苦行にも夢があるから耐えられる。

 だけど、次第に夢を持つこと自体が苦しくなる。

 

 夢を叶える為に勉強しなくちゃいけないって解っていても、

 体が疲れてしまって、学校に通う時間を作れない。

 今日はいけない。明日こそは。

 明日もいけない、明後日こそはってね。

 ずるずると毎日が過ぎて行って、

 仕事に慣れたころには、学校に通うつもりなんか無くなる


 夢が終わる、いや別の目標にとってかわられるんだ。

 平穏無事という目標にね」


学が無いと任せられる仕事の幅が狭くなる。これはどこの世界でも常識だ。

だから学校に通って学問を身に着けていつかはって夢を見る。


だけど、下働きに近い底辺の仕事はとかく厳しく辛い。

厳しい仕事をこなせば、体は疲れ切って毎日泥の様に眠るようになる。

体の悲鳴を心で制すことは、本能を押さえつけることに等しい。

そうやって、少しずつ夢が失われていくと言いたいのだろう。


この世界は、就業規則が緩いところより、厳しいところの方が一般的だ。

労働者の権利なんてものは存在しない。

全ては、雇用主の意向次第というところが殆どだろう。

厳しい怖い雇用主に当たれば、

臍をかむことだって数回では済まないだろう。


だが、全てにおいてそれが悪いと言うわけではない面も確かにあるのだ。


殆どの雇用主は長く安く労働者を働かせるには、

程よい環境と賃金を与えるのが一番を解っているから、

余りに無理難題を言うことはないはずという常識的な面もある。


イルべリー国でも、雇用主と従業員は一隻の船と同じ。

持ちつ持たれつという言葉をよく聞いた。


下働きの仕事が一番厳しいのはどの職種でも同じだ。

特に、職人や一芸に秀でた職種などが求める下働きは、

叩きあげによる経験からくる熟練度を持つ者が雇用主や先輩だから、

下の者には厳しく接するのが常識だ。


早く一人前になるように、仕事を徹底的に教え込む方が、

早く独り立ちさせてもらえるいい職場と言われることもある。


それに、勉強も仕事に必要な事だけ覚えるのなら、

仕事をしながら体に叩きこむ過程において役に立つので、

勉強を適度に推奨する職場も確かにあるが、

職場の利益や従業員の円滑な関係などを考えるなら、

全てが程々でいいと思っている雇用主は大多数だろう。

ガッツリと学者に成れるくらい勉強しろとは、

当初から雇い主は思っていない。


だから、学校に行くことを奨励しても、

満足な仕事をしてからだと怒られるいうことだってあるだろう。


そういった意味で学問所に長く通うことは、

雇用主には意図したことではないケースが多く、

その結果、夢が断たれるというか、諦めてしまうと言うのは解る。


「仕事に追われ、気が付けば、夢を追うことも、

 夢があったことも忘れちまうんだ。

 俺は、何人もそういう奴を見てきた」


「そう」


ジュノは悔しそうに唇をかむ。

夢を持つ仲間を失うようで、苦しくて悔しいのだろう。

だけど、その後に続く言葉は正反対の言葉。


「でも最近、俺はそれはそれでもいいと思うようになった。

 夢を叶えようと無理をしたら、決していいことはないから」


ジュノは苦笑いした。


学ぶ方も、優先事項として給料をもらえる仕事を優先する傾向が強いだろう。

学校で学ぶのも大事だとは解っているが、仕事がある程度出来るようになり、

力の抜きどころを覚えると、夢が変わってくるのはよくあることだ。

野球選手を目指した子供が、サラリーマンで部長職を目指す様なものだろう。


それを挫折とよぶか、新たなる未来を見たと称すかは、

その人の人生が終わってみないと解らない。

それで幸せになったのなら、その選択は間違ってなかった事になるだろう。


人の幸せや夢は変化するものだと受け入れたということだろう。


「だけど、俺は違う」


解っていた。

ジュノがそんな苦しい顔をしているのは、

彼自身の夢が変ってないということ。


「毎年、孤児院の子供や貧乏な子供が将来の希望や夢を抱いて、

 学問所に入学するけど、10日もしないうちに来なくなる。

 仕事に疲れ切って、学問所の出す宿題にも手が回らないし、

 学校に通う時間を捻出するためには、睡眠時間を削るしかない。

 

 だけど、学校に通うからといって、仕事に穴を開けたら簡単に首だ。

 下働きの口は、いくらでも代わりは居るからな。

 首になりたくなけりゃ、大人しく言われた通りに仕事をこなすしかない」


仕事をして金をもらうという事は甘くない。

 

「だけど、学が無い奴は、夢をかなえることは出来ない。

 これは、この国の常識だ。どんな奴だって知ってる。

 皆、一度は夢を見る。いつか絶対大成してやる。

 俺はいつか夢を掴むんだって。その夢を諦めきれない奴だけが学校に残る」


だから、学校に通うのですね。

少年よ大志を抱けです。クラークさんはいいことを言ったものです。


「俺は、絶対に諦めない。だから、今もここにある」


ジュノは自分の胸をトントンと叩いた。


「お前の夢はお前だけのものだ。って父さんはいったらしい。

 母さん以外何も持たない貧乏人の俺が、唯一持てるものだ。

 絶対に、諦めない。

 だけど、他の奴らに俺の考えを押し付けるつもりはないんだ。

 だから、そんな俺が言えることは、一つだけだよ。

 決して無理をするな。誰かを頼れって。

 その結果として、いつかは夢に手が届くかもしれない」


頼る。うん、頼ってます。今もですが、全てにおいて、

私は頼りすぎなくらいに頼ってると思います。


「前、眠る時間を削って学校にきていた子が居たよ。

 だけどあの子は、過労で倒れて働き口を首になった」


ジュノの友人にそんな過去が。


「仕事をおろそかにしたとの評価で首になった者に、労働条件の良い職はこない。

 彼女は、もっと条件が悪いところで働くことになり、体が先に壊れた。

 無理しすぎたんだ。1年持たなかったよ。あっという間だった

 夢があいつを殺したんだ」


働きながら学校に通うって、本当に大変なんだ。

大人でも大変なのに、それが子供であったなら、どれほどの苦痛だろう。


ジュノはそんな中、悔しさや苦しみをばねに頑張ってきたんだ。

そう思ったら余計に彼の忠告や苦言が、貴重な心に響く文言として、

心にじんと染み渡る。


「いいか。体に十分に気をつけろよ。

 夢を叶えたいなら、絶対に無茶をするな。

 学校に来て勉強したいのは解るが、無理は絶対にするな。

 俺達貧乏人は、頼れるのは結局自分しかないんだ。

 体を壊した揚句の行く末は、野垂れ死にだけだ」


どこの世界も、貧乏人の世界はシビアなのです。

確かに、体しか資本が無い貧乏人が体を損なうと、

一気に転落するのは世界の摂理。

解っていても口に出されてしまうと悲しい現実だ。


「雇用主を怒らせないよう気を遣いながら、

 夢を叶える方法を探そう。 俺も手伝うから。

 だから、絶対無理だけはするな。いいな」


働きながら夢を追い続けるにはかなりの労力と、周囲の理解が必要になる。

それをジュノは言いたいのだろう。

その理解者一号に自分は成ろうと立候補してくれているのだ。

なんて素敵な考えだろう。


「はい。心配してくれてありがとうジュノ先輩。

 体には気を付けます。無理は絶対にしないから。

 約束します」


優しい言葉に、厳しい助言に、

彼が幼い時から歩んできた険しい道のりが見えた気がしました。


「よし! 本当になにかあったら、俺に相談してこいよ。

 なにがあっても、先輩の俺のところにこい。

 何が出来るって大きなことを言うわけじゃないけど、

 こう見えても顔は広いんだ。伝手もある程度ならある。

 なんせ、この国の生まれだからな」


ジュノは本当に、いい子で、いい弟で、いい先輩です。

昔気質というか、人情に溢れた男の子です。

私の心強い先輩です。


「本当に有難うございます」


ジュノは、嬉しそうに鼻の下を掻いた。


「お前は、俺の後輩だからな。後輩を助けるのは先輩として当然だ。

 それに、俺は、ステラッド乗りだからな」


ステラッド?

どうしてここでステラッド?


私が首を軽く傾げていたら、ジュノが嬉しそうに笑った。


「驚いたか? 俺は、いつもは、ステラッドを運転してるんだ。

 といってもまだ、朝2往復と夕2往復の見習いで、黄色だけどな」


知ってるだろっとばかりに目がきらきらと輝く。

あ、思い出しました。


ジュノは、ラマエメさんと道で話していた、

黄色のステラッド乗りの少年です。


彼と話していくうちに、彼を見かけた記憶がぽろっと脳裏に落ちてきた。

ラマエメ先生と一緒に学問所に歩いていく途中に出会った少年だと、

途端に記憶が甦る。


確か、働き者の賢い少年だとラマエメ先生が言っていたことを思い出しました。


ラマエメさんの生徒さんですよ。

口調が似ているのは伝染したのでしょうか。


そう思ったら、少しだけ肩の力が抜けた。


「黄色」


そういえば、黄色の小さいトロッコに乗っていた。


「荷物運びの黄色だけど、あれだって物凄く苦労したんだ。

 ステラッドの操縦者になるには、試験も資格も沢山あって、

 これがまた難しいのなんのって、本当に大変なんだよ。

 試験を受けるには現場の推薦者も必要だから、何度も頼み込んで、

 8つの時からステラッド工房の下働きして、

 働きながらなんとかして学校に行った」


「頑張ったんですね」


「ああ、だけど、俺一人の力じゃない。

 今思えば、母さんにも、先生達にも、

 周りの大人たちにも本当に世話になったんだ」


ラマエメさんは、彼は本当に物凄い苦労をして、

ステラッドの運転手になったと言ってました。


彼は夢に一歩一歩近づいている。

そして、彼は周囲の人を認めさせるだけのことをしてきたんだ。


「今は黄色だけどな。いつかは青に乗る。

 あの赤い制服を着て、青のステラッドを運転する。

 父さんと同じあの青のステラッドに」


そばかすがくっきり浮き出た焼けたジュノの顔は、

夢を語りながらキラキラと輝く。それがジュノの夢なんですね。


「昔は解らなかったけど、今は解る。

 俺が夢に一歩近づけたのは、俺だけの力では出来なかった。

 何度も何度も挫けたけど、ラマエメ先生や母さんや、工場の親方、司書長、

 街の皆に助けてもらった。だから、今度は俺が誰かを助ける番だ。

 マール、なにかあったらすぐに言え。

 絶対に、いや出来る範囲でだけど、助けてやるからな」


バンッと勢いよく肩が叩かれた。


ジュノは夢に向かって着実に歩いている。

そして、私の夢を応援すべく、忠告と助言を。

私の理解者になろうと声をあげてくれている。


私は、その言葉に嬉しくなって笑った。


「はい。私も、夢を追います。ジュノ先輩のように。

 だから、なにかあったら相談に乗ってください」


ジュノは、先程と同じように照れくさそうに顎の先を掻いた。


「おう」


老師様といい、ラマエメさんといい、ジュノといい、本当にいい人達だ。

この国で、この人達に出会えた幸運を実感してます。


よしっと気合いを入れました。

明日からもしっかり元気が出る様に、ニンニクとか元気のでる食材を

食材市場で買って、今晩のご飯に入れ込もうと決めました。


元気を出して筋肉痛を跳ね飛ばさなければ。

ジュノに負けない様に私も頑張ります。

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