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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
218/240

先生と生徒の攻防戦。

メイです。

*******




人の心は難しい。

知っていたけど、更に輪をかけて解らなくなりました。


ラマエメさんの行動は、私が予想しなかった方向に行ってしまいました。

その結果として決定的破壊とまではいかないが、

今まで二人が築いてきた確かな信頼という名の絆に、

大きな亀裂が入ったのではないだろうか。そう思えてなりません。


ずんと落ち込みました。それも全て私の責任ですよね。絶対。

とてつもなく深い深い穴を掘って、地下深くに埋まってしまいたい気分です。


知ったかぶりで説教したけど、彼には彼の事情があったのかもしれない。

それを考えもしないで、勝手な理屈を押し付けた。

私はなんて無責任な言葉を、ラマエメさんに投げたのだろう。


確かに、ラマエメさんとノーラ先生が幸せになればいいなと思ったけど、

それは当事者以外の誰かが強制することじゃないはず。

お互いが、心の寄り添う関係に成りたいと願わなければ、

青い鳥は留まれない。夫婦は一朝一夕で培われるものではないのだから。


あんなに仲のいい私の父と母だって、過去に何度も喧嘩した事を知っている。

夫婦になってからも危機は何度も訪れるのだ。

人の言葉に乗せられた結果として一緒になったとしても、

後の生活で結婚を後悔するようになったら、最悪だ。

そうなったら、二人の心に大きな傷を作ることに他ならない。


本来なら、ノーラ先生が他の人を選んだとしても、

ラマエメさんが他の人を見つけたとしても、

部外者である私が口を出す権利はない。


異世界渡航二度目だからって、経験値が上がったとか、

余裕があるとか、私は何馬鹿な絵空事を考えていたんでしょうか。

思い上がりも甚だしい。私は馬鹿です。大馬鹿あんぽんたんです。


私は、この世界でも元の世界でも、人生経験が少ない若造に過ぎないのです。

恋愛経験なぞ、はっきり言って欠片位しか持ってない未熟者です。

更にはっきりいえば、片思い驀進中です。

それをもっと自覚すべきです。


キーワードは、もっと謙虚にです。


そう、マーサさんの淑女バイブルの最初の方にも書いてあった。

褒め称えられる淑女になるには、謙虚であることが望ましいと。


頭の天辺あたりに謙虚って言葉を貼り付けたいと思います。

あ、忘れない様に、洋服の手首部分にでも、謙虚って文字刺繍でもしようかしら。


まあ、それはとりあえず置いておくことにして、

今回ご迷惑をかけたラマエメ先生とノーラ先生には謝ろうと思います。

人の恋路を邪魔するものは、馬でけられるという先人のお言葉があるけど、

二人に、一発や二発は殴られる覚悟で頭を下げよう。


私は、ステラッドの停留所の柱に手を当てて深く項垂れ、

しばらくその体勢のまま、心の底から反省しました。




********




さて、気が済むまでとまでは行かないまでも、頑張って反省をした私は、

とりあえず頭を切り替えることにしました。

というのも、反省のポーズで柱にもたれ掛っていたら、

道行く見知らぬ人達に心配されたからです。


「大丈夫かい? 気分が悪いのかい?」


反省をしていただけなのに、なんてこの国の人達は優しいのでしょうか。


「ご親切にどうもありがとうございます。 私は大丈夫です」


深々とお辞儀をしてお礼をいい、反省のポーズを解除して、

元気だと言わんばかりにそそくさとその場を離れました。


さて、これからどうするか。考えます。


私は本来、王立学問所に行く為にステラッドを待っていたのですが、

やっと目の前に来たステラッドを、

一人にしてとのノーラ先生の涙に押されて、見送る形となりました。


つまり、結論を言うと、ステラッドを乗り損ねたのです。


宿題を意気揚々とあのブロンドキラキラ美女のサーリア先生に提出して、

どうだっと胸を張る予定だったのですが、

なんだか、この度の騒動で、その気持ちがしぼんでしまいました。


これからどうしましょうか。


このまま、ここでステラッドを待っているより歩いていくべきかな。

いや、それとも先に食材市場に行って買い物をしてから、王立学問所へいくほうがいい。

大きな荷物は配達してもらえばいいし、

数日分の食事の材料を買うだけなら、大して重い物ではないですし。


うん。そうしましょう。

ええっと、買い物リストは確か鞄の内ポケットに入れたはず。


鞄をごそごそとあさっていたら、ふいにどこからか視線を感じた。

この国に来てから数日、いろんな人にじろじろと見られはしたけど、

其れとは全く異質な視線だ。ねっとりとするような、それでいて、

首筋がぞわぞわするような鳥肌が立つような視線です。


なんだろう? 背中が風邪を引いたみたいにぞくぞくしそうだ。

それでいて今すぐどこかに逃げ出したくなるような、変な視線です。


鳥肌になった腕を擦りながら後ろを振り返り、周りをきょろきょろ見渡すが、

当てはまる視線の主らしき者はどこにも居ない。

だけど、どこからか見ている。


なんだか、気味が悪い。


そうしたら、不意にポンッと肩を叩かれた。


「ひきゃっ」


ビックリして飛び上がりました。心臓がバクンっと脈打って耳に届く。

慌てて振り返るとそこには、どこか見覚えのある男性がいました。


ふわふわの茶色の髪の前髪がやけに長い男の人です。

あれ?このひと誰だっけ? 確かどこかで……


「ああ、驚かしてしまいましたか。申し訳ないですね。

 それはそうと、マールさんはここで何を? お仕事の途中ですか?

 本日、学問所には行く予定はありますか?」


柔らかな口調に、落ち着いた低い低音、学校の単語で思い出しました。

ああ、サーリア先生の傍に居た男の人だ。多分、学校関係者ですね。


「あ、はい。今から宿題を提出して、出来れば授業をと思ったのですが、

 ラマエメ先生曰く、サーリア先生は非常勤とのことでしたので、

 教官室で次の授業の予定と、先生の都合をお伺いするつもりでした」


「ああ、そうでしたか。それなら都合がいい」


はい?


「サーリア先生は本業の仕事が立て込んでいまして、

 本日は学問所に出向けそうもないのです。

 ですので、貴方にこちらに来ていただく旨、

 伝言を頼もうと思っていたのですが、手間が省けました」


私が首をひねると、茶髪の男性は言いました。


「只今、サーリア先生は書架市場5階の執務室におられます。

 今からご案内いたしますので、直接、宿題を提出し、

 サーリア先生に今後の予定をお尋ねください」


あら、そうなんですか。

そう考えたら、あのステラッドに乗らなかったのは正解でしたね。

乗っていたらトンボ帰りになったかもしれません。


「はい。解りました」


茶髪の彼の後ろをついて歩くように書架市場に入ると、

先程の嫌な視線が消えている事に気が付きました。

あの視線の主が、書架市場内には居ないと言う事でしょう。


ちょっとホッとしました。


「マールさん?」


ああ、知らず知らずに歩調が遅くなっていたようです。

振り返った彼に追いつけるように、駆け足で階段を上りました。



********




5階の一番奥の執務室らしき場所に、サーリア先生はいらっしゃいました。


机の上には、びっくりするような書類と本の束。

カナンさんの執務室の書類の塔とまではいいませんが、

それなりにげっそりしそうな量です。


「あら、さすがね、カーラーン。

 子ネズミをもう捕獲してくるなんて」


サーリア先生は、目の前に茶髪の男性が立っているのに、

ちらりと目線を動かしただけで、手を動かし続けている。

大きな執務机の上には、大量の書類が積み上げられている。


うん、本当に忙しそうです。


しかし、今の先生の言葉にはふと疑問が湧きました。

多分、私の横に居る男性の名前がカーラーンさんと言うんだろう。

でも、彼の両手には何かを持っている様子はない。


「いえ、捕獲するまでもなく、目の前に居られましたので」


鼠が目の前にぼうっと立っていたのでしょうか。

随分、タイミングの悪い鼠ですね。鼠のくせに鈍鈍というか、なんというか。

某アニメの鼠は猫と始終追っかけっこをしているけど、

一度も掴まってないくらい、すばしっこいのに。鼠にもいろいろあるんですね。


は、もしかして、鼠取りの設置場所が絶妙なポイントだったのかも。

ほら、害虫の典型のGは、ホイホイの設置場所が重要だっていうでしょ。

冷蔵庫の下とか、エアコンの側とか。

カーラーンさんの隠れた才能は、害虫駆除だったりするのかも。


「そう。運がいいこと、いえ、悪いと言うべきかしら。

 天の采配は思いもよらぬ神の思し召しなりとは良く言った諺よね~」


簡単に掴まった鼠が、不運と言う事でしょうか。

最後の一文はあまりよくわからなかったのですが、

サーリア先生の顔は相変わらず下を向いたままです。

ですが、その口調は何か面白い物を見つけたようで、なんとなく嬉しそうだ。

笑っているのかな?美人の笑みっていいですよね。

私にない要素満載で、見舞えるだけでうっとりしちゃう。 


サーリア先生は、書類を数枚片付けて、更に新たな山に手を伸ばす。

そのスピードはさすがと言えるべきもので、

カナンさんの執務室で仕事をされている老師様を思い出します。

そんな忙しく仕事をこなす最中でもサーリア先生は、私に話しかけてくる。

勿論、手のスピードはまるっきり落ちない。


「と・こ・ろ・で・マール、貴方仕事はどうしたの?

 まさか、さぼって遊んでいるとかではないわよね。

 ああ、宿題はちゃんと終わったんでしょうね」


あれって、どういう思考回路しているんだろう。カースもそうなんだけど、

普通、大事な書類を読んでいたら、他の話なんかできませんよね。

私だったら、書類を片付けてからじゃないと、おしゃべりは無理です。


だけど、カースやポルクお爺ちゃんとか、目の前のサーリア先生も、

同時に2つも3つも思考を巡らせることが出来るようです。

聖徳太子みたいに思考分割できるというものでしょうか。羨ましいですね。


「あ、はい。本日の仕事は、午前中に終わらせてきました。

 あとは買い物をして、夕食の支度までに帰ればいいと言われましたので、

 空いた時間を利用して、これから宿題を学問所に提出に行くつもりでした」


サーリア先生の手がピタッと止まり、その綺麗な額に眉を寄せた。


「あの量の宿題が終わった?本当に~?

 あ、もしかして、カナンやルカに手伝ってもらったとか~?

 そうだったら、カナンやルカも含めて、お仕置き2倍コースだけど~?」


やっと顔をあげたサーリア先生は机に肘をつき、両の指を絡めて顎の下に置いて、

にやっと笑いました。美人はどんな仕草でも綺麗ですね。


ではなくて、何ですか、2倍コースって。

その笑い方といい、前にお仕置きが付くことといい、嫌な予感しかしないですよ。

私は必死で首を振りました。


「いえいえいえいえ、誓って、カナンさんにもルカさんにも手伝ってもらってません」


ここはしっかり否定しないと、お二人に大変迷惑が掛かる気がします。


「は、嘘ね。 貴方の頭程度では一日で終わるわけがないでしょう~

 予想では3日はかかると思ったんだけど。

 本当のことを言いなさい。

 言わないと、どうなるか、わ・か・る・わ・よ・ね~」


サーリア先生は羽根ペンの先をこちらに向けて、ダーツで狙いを定める様に、

私の顔を目がけてシュッシュッと指を動かします。

ちなみに羽根ペンの先は、ペン先に使われるだけあって鋭くとがってます。


どうなるって、それは何の素振りですか?

え? あれをまさか、本当に投げる?とか?


そう思ったら、しゅっと音がして、私の後ろの壁に、ペン先がダンッ突き刺さった。

そして、ペン自体が振動でビィィンと揺れていた。


投げた!投げたよ。私のほぼ真後ろということは、

ちょっとずれていたら、顔に穴が開く羽目になってたはず。


私の引き攣った顔と驚きの満載の目にも関わらず、

カーラーンさんは新しい羽根ペンをサーリア先生の手にさっと渡している。

意思疎通素晴らしい。

ではなくて、そんなに簡単に新しい武器を渡さないでください。


「ほぉら、正直に言わないと、次は目と目の間かしらね~」


わわあわ。目と目の間って、何があった?じゃなくて。


「いえいえいえいえ、本当ーに、手伝ってもらってません。

 老師様に解らないところを教えてもらっただけです。

 本当の本当です。正直に話してます。信じてください」


サーリア先生は目を一層細めた挙句に無表情になり、疑いを顰めたままですが、

やっと羽根ペンをぽちゃんとインク壺に落としました。


私は、ほっと胸をなでおろしました。


「……ふうん」


サーリア先生は、長い髪をさらりと優雅に払った。


耳元でシャラララと音を立てたのは、今日も見事なまでに光る、

水晶の欠片が幾重に重なったようなイヤリングです。

あ、今日は微妙にピンク水晶だ。

昨日のイヤリングは青っぽいような気がしてたので、

もしかして毎日変えているとか? お洒落ですね。


ですが、そんなキラキラお洒落なサーリア先生は、外見に似合わず、

いや似合っているのか、聊か辛辣そうに鼻を鳴らした。


「まあ、いいわ。 一応信じてあげましょ。一応教師だものねえ、私。

 だから、一応生徒である貴方の言葉を信じてあげるわ。

 ああ、それから老師様って、どの老師よ。

 塔は暇を持て余した老人で溢れてるんだから、ちゃんと言いなさい。

 まさか、あんたの雇用主の研究馬鹿陰険爺ではないんでしょう」


私は首を傾げました。

研究馬鹿って、研究者ですから当り前ですよね。


「はい。マサラティ老師様に教わりました」


「まさか。それは明らかに別人ね。はっきりおっしゃい。

 貴方は、塔在住の誰かに宿題を教えてくれるよう頼んだ。

 そして、答えを書き写した。そうでしょう」


これが正解よとばかりに指をびしっと刺される。

あの、その口調に仕草、明らかに信じてないですよね。

さっき、信じるって言ったくせに、なんだかすごく理不尽だ。


銀の輪っかが見える様な不思議な青い目が、きらんと光った気がする。

いや、怖い。明らかに捕食者な目だ。


「いえいえいえいえ。 本当に誰にも頼んでません。 

 宿題は全部自分でしました。本当です。嘘などついてません。

 マサラティ老師様が、丁寧に一つ一つの問題を説明してくださったので、

 私でもなんとか一晩で宿題を終わらせることが出来たのです」


ここをしっかり主張しないと、何が起こるか解らない。

そんな危機感が私の予感にビシバシと引っかかります。

某有名探偵に尋問される容疑者になった気分です。


私とサーリア先生の睨みあいが、じっと続きます。

目線の威力は大型シェパードとチワワくらいに違いますが、じっと耐えます。

私の手のひらに、汗がじっとりと滲んできました。


老師様に家庭教師をお願いしましたが、手伝ってはもらっていませんよ。

夜がとっぷり深けるまで教えてもらいましたが、

老師様は、私を甘やかして手伝うようなことは一切されなかった。


間違っていたら違うと言われ、ヒントをくれてよく考えろと言われ、

それでもわからなくて頭を捩じってた時には、

答えを教えてくれてもいいじゃないか、とは一瞬思いましたけど、

老師様は決してそうはなさらなかった。

だから、一人でちゃんと宿題を済ませましたと胸を張って言える。


もしかして、サーリア先生によるこのような尋問が待っていると、

解っていたのでしょうか。先見の明ですね、流石です老師様。


「ふうん、まあいいわ。嘘ならすぐにぼろが出るものね~

 それでは拝見しましょうか」


サーリア先生はにっこり笑った。

ですが、なんですか、その笑み。

大変怖いです。シェパード却下です。

先生の背後に、舌舐めずりする大型の肉食獣が見える気がしました。


私がちわわでは勝てませんよ。

というか逃げられないどころかぱっくり一飲みで食われそうです。


その時、カーラーンさんが私に手を差し出してきたので、

無意識にその手の上に私の手を乗せたら、明らかに困った顔で言われました。


「いえ、宿題を私に渡してください。

 サーリア先生には私からお渡しいたします」


ああ、そうですね。お手って何を考えていたのでしょうか。

心までチワワになってどうするんですか、本当にもう。


現実に返ってみると、カーラーンさんの心遣いももっともです。

ヘタに近寄って書類の塔が倒れたら大変ですものね。


「はい。それでは、これをお願いいたします」


カーラーンさんに、鞄から紙の束である宿題を出して渡しました。

その分厚さは、紙自体がごわついているので5cmは優にあると思います。

藁半紙を重ねて紐で括った粗末な造りの紙の束ですが、

これは昨日、老師様が下さった宿題の答えを記入する提出用のノートです。


当初、柔らかい木片に割り箸の先を細くしたもので記入してたのですが、

私が余りにも間違えるので、木片がぼこぼこになってしまったのです。

鉛筆と消しゴムが無い世界って、本当に不自由ですね。


紙は、一般的な常識では高価なものですが、この国では聊か事情が違います。

この国は、学問の国、賢者の都と言われるだけあって、

製紙技術、ガリ版複写も進んでいて、紙は東大陸に比べたら、意外に安価。


ましてや、紙の制作過程で生まれた不良在庫である厚さが不均等な藁半紙は、

本当に安い。まあ、無一文な私には手が出ない程度には十分高いので、

学問所の事務所で用意されていた木片を使っていたが、

実は、学者や学生が気兼ねなく紙を身近に使えるほどには安価なのだそうです。


だから気にするなと、この紙の束を老師様は下さいました。


木片に刻む方法よりも力もいらず、紙の上に書くのは気分的に楽です。

鉛筆ではなく木炭で書いているので、羽根ペンを使わなくて済みましたし、

そのお蔭で、案外はやく宿題を終えることが出来ました。

朝までかかっても終わらないと思われた宿題が、夜半には終わったのです。

睡眠もしっかりとれましたし、仕事も滞りなく行うことが出来ました。

本当に老師様に感謝です。


それを無言で受け取ったカーラーンさんは、サーリア先生の背後にぐるっと回って、

右横から冊子を差し出しました。


あ、そういえば、老師様からサーリア先生に、

直接渡すように言われていた手紙を預かっていました。


「あの、老師様から、サーリア先生に直接渡すようにと、

 手紙を預かってきたのですが、こちらも今、お渡ししてよろしいでしょうか」


私がそういうと、サーリア先生はくいっと顎を動かした。

その合図で、カーラーンさんは、サーリア先生の目の前にある、

比較的大きな書類の塔を部屋の隅に移動させました。


何も言わなくても、ちょっとした仕草で通じる意図。

カーラーンさんはサーリア先生の長年連れ添った夫婦みたいです。


「ほら、ここ」


サーリア先生がぽっかりと空いた机の上を、とんとんと指で叩いた。

私は、書類が雪崩を起こさない様に、静かにささっと移動し、

老師様からの手紙を机の上にそっと置きました。


私の宿題を見る前に、老師様の手紙を開けるサーリア先生。

手紙は巻紙風の紙に包まれた一枚の紙。

長く白い指が巻紙を、風に流すように開ける。その仕草は実に綺麗です。


凛とした整った顔立ちが相まって、映画に出てくる女優さんの様な、いえ、

イルベリー国のエリシア王妃様にも負けてない気品のある仕草です。

エリシア王妃様に比べたら、背の高くて顎の角度もかなり直角。

スレンダーでキャリアウーマン風知的美人というものですね。


ですが、人形のような顔と仕草が、老師様の手紙を読んだ後、見事に崩れました。

「は?」「嘘?」っと一人で自問自答しながら何度も手紙を読み返し、

それだけでは収まらず、手紙をくしゃくしゃにして伸ばしてみたり、

机の上から透明な液体が入った瓶を取り出して、細筆で手紙に塗り付けたり、

紙の厚さを調べるように、手紙を目線まで持ち上げて細目で見たりしてます。


なんでしょうか。科学の実験みたいですね。


がたがたといろいろ手紙に細工しているサーリア先生に、

カーラーンさんは、はあっと小さく息を吐いて声を掛けました。


「何をそこまでお疑いですか?」


「全部よ決まってるでしょ。

 疑いたくもなるわ。だって、あの偏屈陰険爺が。

 高慢で人の事情など鼻にも引っ掻けない学者馬鹿爺が。

 宿題はマールが一人で答を導いたのを自分が確認したから疑うなって、

 態々手紙をよこしたのよ。ほら見なさい」


なんと、老師様はこうなることを見越して手紙を書いてくださったのですか。

細やかな気遣いが本当に素晴らしいですね。

全てにおいて未来が解っているかのようです。流石です老師様。

これで、私の疑いは晴れるでしょう。容疑者は無実でハレルヤです。


所で、偏屈爺って誰の事ですか?


「マサラティ老師様は、マールさんを甚く気に入っているそうです。

 なので、あまり疑う余地はない内容かと」


え?そうなの?だったら嬉しいです。

老師様はお優しい立派な雇用主ですからね。

ああ、本当に私、老師様の使用人に慣れてよかった。

カナンさんに心から感謝します。


ですが、サーリア先生はじとっとした目で、疑うように目線を動かします。


「まさか、マール、貴方、その体で……」


私の頭の先からつま先まで、じっと何かを図るように目を細めます。


「私が、なんですか?」


なんだか嫌な目線ですが、尋ねられたので、質問を返し首を傾げた。


カーラーンさんは、苦笑しながらサーリア先生の言葉を遮りました。


「サーリア司書長、それはあの方ですのでありえない事かと。

 それより時間が少々押しております。

 この先が詰っているので、無意味な仮話で遊ぶのは控えていただいて、

 持ってきていただいた宿題を点検してみられては?」


あの方?ありえない?

カーラーンさんの言うことも、ところどころ意味不明で解りませんね。


「そう、無理だ、あり得ない。全く持ってありえないわ~

 本人を前にして、そんなの夢にも引っかからないって解るものね~

 うん。ないわ~ちゃんと理解したわ」


うん、私はさっぱりわからない。

ところどころ解る単語はあるけど、意味が繋がらない。

言葉が不自由って嫌だな、早く言葉を覚えたいと、しみじみ思いました。


サーリア先生は、手紙をカーラーンさんに無造作に渡しました。

そして、ぱらぱらと4コマ漫画を読むがごとくに、

早読で宿題の紙を見終わると、小さくため息をつきました。


「まあまあね。あの老師様が監督されたのだから、当たり前ともいえるわね。

 マール、仕方ないから、お仕置きは次まで保留にしておくわ」


やった。万歳!お仕置きナシです。頑張ったかいがありました。

気分がぱあっと張れました。無罪放免ってこんな感じでしょうか。


さあって、今日のサーリア先生の状態だと授業は無理そうだから、

気分いいままに、今から食材市場で買い物して帰ろうかな。

ちょっと夕食の材料を奮発して美味しい物つくろうかな。

老師様にお礼を兼ねて、ちょっと贅沢プチおやつの用意をしたい。


あ、でも先程のノーラ先生の様子も気になるから、

やっぱり王立学問所まで行こうかな。

お日様はまだ高いところにあるし、時間に余裕がある。

一人にしてと言われたが、そろそろ落ち着いて話が出来るころだろう。


私の大学時代の友人は失恋する度に、鬱になり部屋に閉じこもった。

このままノーラさんが失恋の妄想に駆られて、鬱状態になったら目も当てられない。

早い症状改善のためには、他人の意見をそれとなく意識に挟むのが有効だ。

そうでなくともラマエメさんのあの状態は私のせいだから、正直心が痛む。

何ができるか解らないけど、正直に謝ってノーラ先生の制裁を受けよう。


うん、そうしよう。

王立学問所に行って、食材市場に行き、塔に帰る。


サーリア先生は、カーラーンさんに私の宿題の紙の束を渡すと、

カーラーンさんがどこからか持ってきた20枚くらいの紙を、

にっこり笑って私に渡しました。


「生徒は教師に従うものよね~

 ねえ、マール、これから課外授業しましょうか」


「マールさんは、授業を受ける時間があると先程おっしゃっていたので、

 それがよろしいかと」


え? 今から授業? 予定がこれで、すっ飛びますね。 

まあ、それは最初の予定通りなので、

折角の授業をしてくれるなら否やは言いませんが。

授業が終わったら、食材市場で帰塔だね。学問所は明日にしよう。


「お仕事はよろしいのですか?」


ちらりと書類の山を見ると、サーリア先生とカーラーンさんはにっこり笑いました。


「いいわけないでしょう。ねえ、カーラーン」


「ええ、その通りです」


でも、授業するんですか? 

私が首を傾げていると、サーリア先生は言いました。


「この書架市場は今棚卸の真っ最中なの。 

 それなのに、いつも使っている侍従が急な発熱で休んでしまって困っていたの」


はあ、お仕事仲間がお休みで困っていると。

何となく意味は解りましたよ。


「授業の過程には社会勉強も含まれるの。知ってた?

 よって、本日は、先生の仕事を手伝いなさい」


は? 


「大丈夫です。そこまで無理なことは頼みませんから」


お二人がニコヤカに笑ってます。

要するに人手が少なくて困っているから、少しお手伝いを希望という事でしょうか。


「はい。解りました。

 あの、夕食の買い物があるので、それまででしたら」


うん、私に出来ることであれば、手伝いたいと思います。

生徒が先生の仕事を手伝うことは、よくあることですしね。


「あら、良い返事。 よく言ったわ、マール。

 うふふふ~生徒の心得を見せて頂戴ね~」


「有難うございます、マールさん」


お二人のにっこりと微笑まれた顔が、ちょっと怖かった。



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