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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
213/240

黄昏の乙女の祈り。

今回の話もメイは出ません。すいません。

でも、やっと今回の話の第二ヒロイン出ます。


サマーン王国の美しき首都ファイルーシャ。

砂漠の中に佇む黄金の都。

豊かなオアシスが齎す緑豊かな恩恵と、旨い料理に美味い酒、美しい女達。

砂漠の旅商人が、必ず立ち寄る大きな活気ある町。

彼等の齎す莫大な金が、街を、人を、国を潤し、

世界に名立たる大きく豊かな都として有名となった街である。


多くの吟遊詩人がファイルーシャを訪れ、その美しさを讃え賛美した。


『麗しの美女ファイルーシャ、その微笑は誰に微笑まん。

 月の女神の愛の賜物である、富と幸福を一心に宿した都。

 慈愛を受けるは、国の祖たる王にして女神の愛し子ただ一人。


 乾いた大地に、ひび割れた水盤、崩れ落ちた天井、転げる骸骨。

 水を求めて彷徨い、死を前にした民と、荒れ果てた大地に、

 心優しき王が降臨する。


 死する民の為に涙を流す王に、月の女神は毎夜その腕を広げる。

 そは、大地を潤し、慈しみの水を与え、餓えに苦しむ民を救い、

 王は知恵を持って国を富ませ、

 その血肉を持って、命を育む場所を民に与えたもうた。


 かくして、王の元で民は生を喜び、ファイルーシャは富栄えた。

 民は王と女神に永遠の忠誠を誓い、その意志を子に、そのまた子にも伝え続ける。


 しかしながら王は神の子、月の女神の愛し子、天が育んだ星。

 長く人の世に留まることが出来ぬ。故に、いつしか別れの時が来た。

 

 残していく子と民の為に、王が心を痛めぬよう、

 女神は王の子に空の一番小さな綺羅星を与える。

 空で生きる王と民との絆。いつかまみえる約束の印。

 

 ああ、我らが慈悲深き王は、永遠に天空で女神の腕の中。

 常に我らの頭上で輝く星とならん』


有名な歌詩サーガであるが、その歌が示すとおりに、

雄大な砂漠の中に、神の仕業としか思えないほど豊かな水源のオアシス。

他のどの土地よりも多く降る恵みの雨。

そして、砂漠の中に、奇跡の様に存在する緑なす大地。

それらが齎す沢山の恩恵と大地の恵みに、多くの命が紡がれていた。


それを神の血を継ぐ王の奇跡と人は呼び、

人々はここを『砂漠の楽園』と呼んだ。


だが、砂漠の楽園は平穏で美しいだけでなく、人々の欲望渦巻く街でもあった。

歓楽街に集まる肉感的な女達、人を誘う優美な音楽、

美食と蒐集に金をばらまく欲深き貴族達が集まった。

この世の富が集積するかのような贅沢な光景が、

毎夜繰り広げられる光景は、この街では日常茶飯事であった。


その金を目当てに集まる商人やごろつき、多種多様な人々がファイルーシャを、

いつか掴む一攫千金の夢を見て『夢の街』とも呼んだ。



だが、今のファイルーシャを見て、誰が楽園とも夢とも讃えるだろうか。

一人の皇女が、深い苦しみを抱えながら、大きなため息をついていた。


ファイルーシャに燦然とたたずむ、白亜の王宮。

遠い砂漠の果てからでも目立つ、白磁の建築物。

丸い玉葱の様な天井を中心に、二対の白い尖塔のような建造物。

その佇む姿は、日がな夜がな白く光り旅人を誘う。


そんな麗しの白き貴婦人とまで讃えられた王宮は、

街のほぼ中心部に建っていた。

王宮には、現在、王族と思わしき一族とその取り巻きが住んでいた。

先王の第一王妃の息子で二番目の王子が王となり、このファイルーシャを治めていた。


贅を尽くした王宮の内壁は、白磁の粉と金粉を合わせた塗料を塗られ、

壁も柱も、どこもかしこもがキラキラ光っていた。


そんな壁がどこまでも続く王宮の、人気のない尖塔近くの廊下で、

皇女リリルアーシャは、立ち止まったまま再度深いため息をついた。


「ねえ、ムシュカ。 知ってる? また、村が涸れたそうよ。

 枯村ワジとなって、どれだけの人が困窮していることでしょう」


柔らかな淡い金髪に曇った空の様なグレーの瞳。

顔立ちは、月の女神を彷彿させるくらいに清楚な美しい娘。

長い睫に彩られたグレーの瞳は大きく煌めき、知性の輝きを宿す。


日に一度も焼かれたことのない白磁の肌に、煌めく清廉な瞳。

透き通った水底を見つめるかのような、透明感ある美しい美貌から、

彼女は水晶の姫とも一部の民から噂されていた。


だが、杏の実が熟れたような赤い小さな唇から漏れるのは、

深い慈愛を含んだ悲しい事実。


真っ直ぐに伸ばされた背筋と物怖じしない態度が、

彼女を21歳にして威厳ある物腰の皇女として人々に湛えられた。


皇女リリルアーシャを唯一の主人と信じる年配の侍女ムシュカは、

跪いたまま美しい主人を見上げ、皇女と同じように顔を曇らせた。


「もう、姫様のお耳に入りましたか。

 これで、残る村は首都の近くの3つの村のみとなりました」


「……そう。

 3つではすべての困窮民を受け入れることは出来ないでしょうね」


柔らかなシルクの白い服の裾が、さらりと床を滑る。

リリルアーシャの身に着けている服は、

皇女としての品位を失わない程度に品質は確かなものだが、

飾りも何もない、質素な装いであった。

王やその取り巻きの様にジャラジャラと宝石や金の鎖を身に着けることもなく、

清貧を主とした神殿の職員と変わらない簡易な白いワンピースを着ていた。


「……リリア姫様」


ムシュカは知っていた。

リリア様は何時も貧困する民の事を考え、その心に寄り添うことを願って、

決して華美な服装をしないことを。

そんな彼女とは正反対の婚約者である現王の行状が、

彼女を酷く苦しませていることを。


「いいのよ。はっきり言って」


リリアは白く光る柱にその細すぎる身をそっと預けながら、

眼下に広がる街並みを見下ろした。


「……おそらく、その3つの村は困窮民を受け入れないでしょう。

 唯さえ枯渇しつつある水源に余分など無いからです。

 よそ者は排除され、砂漠を彷徨い、

 生ある者はいづれこの首都にやってくるでしょう。

 ですが……」


侍女が言いよどむ。

だが、彼女はその続きの言葉を誰よりも知っていた。


「いいのです。その言葉の先は解っています。

 王は、決して受け入れはしないでしょう。

 あの人にとって民は、蟻や虫と同じ。

 目の前で、民が苦しみ死しても、眉一つ動かさない。

 何一つ気に留めることなどないでしょう」


侍女は言い淀みながらも、言葉を繋いだ。


「はい。その通りです。

 ワジの報告を聞いた宰相が、王に街の門を開けて受け入れるか否か、

 尋ねたらしいのですが、王の答えは否だったそうです。

 誠に言いにくいのですが、王は救いを求め困窮する民を、

 みすぼらしい貧民が片付いてよいとまでの暴言を吐き、

 捨て置くことに決定されました。 姫様の願うように、

 王家の財を投じて苦しむ民を救うことなど決してないでしょう」


リリルアーシャの顔がクシャリと歪む。

彼女を幼少から育てた侍女であるムシュカが見知った、

涙を必死で我慢している顔だ。


「なんて、なんて酷い。

 彼等は私達と同じ国の民であると言うのに、ただ苦しんで死ねと言うの?

 彼らが一体何をしたと言うの。 

 この国に産まれ、毎日を一生懸命に生き、干ばつの苦しみに日々耐えてきた民に、

 何の罪があると言うの。


 本来なら王族として王は、一番に民の苦しみを理解し、

 誰よりも早く、苦しむ彼らに救いの手を差し伸べねばならないのに。

 王は、どうしてそのように民を無下に扱うことが出来るのでしょうか。


 そして、ああ、私はなんて無力なの。

 皇女なのになんの力もない。

 苦しむ民に救いの手を差し伸べることすら出来ないなんて」


本当に優しく、慈悲深い皇女だ。

現王の血筋とは思えない程、美しく気高い。


母親は、僅かに旧王家に繋がる血筋を鼻にかけた愚かな貴族の娘だ。

父親は、現王の従兄弟で飲んだくれの貴族であっただけの借金まみれの男。


息子である王の後々の正妃として迎える為、

先王の第一王妃であった王母が、王家に彼女を齢5歳にして迎え入れた。


正確には金に困った両親に、リリルアーシャは人形の様に売られたのだ。

後々に勃発するであろう王位争いの確かな駒として、

彼女は王宮の籠の鳥となった。


だが、王も王母も彼女に王族としての教育などする気もなく、

王宮の端で忘れた物の様に、

わずかな侍女と家庭教師と世話人を付けて朴っておいた。


だが、それがよかったのだろう。

皇女の地位を与えられた為、粗略にはされないながらも放置されていたため、

気が付けば王の取り巻き達が嫌う、国を憂う人々が彼女の周りに集まり、

彼女に知識と道理を、理性と覚悟を、そして王族としての教育を授け、

国を守る王族としての心構えを教えた。


リリルアーシャの幼いながらも凛とした眼差しに、民を愛するその健気な心に、

忘れかけた王家への思慕を人々に思い起こさせた。


どんどん賢く成長していく皇女が、

今は王母の言いなりである幼き王の傍らに寄り添い、いつか成長して、

王は彼女の傍らで、本来の王としての責務を自覚するかもしれない。

そう思って、彼等は皇女に大きな期待と未来への希望をかけた。


だが、王とその母は賢しい彼女の言葉と態度を好ましく思わなかった。

旧王家の威厳さえ感じさせる、正しき王族の人形を受け入れる事を拒んだのだ。

正しき王族としての行いを、苦言として楚々と並べる口を忌々しく思い、

自分達の側から遠ざけた。

傍に置くのは、猫撫で声で都合のいいことを話す輩のみ。


王や王母、その取り巻きは、鬱陶しい言葉を紡ぐ人形として彼女を扱い、

次第に、いつか王妃になる筈のこの皇女を煙たく思って遠ざけた。

それをいいことに、王は成人すると多くの側室を王宮に囲った。

遊興にふけり暴飲暴食を推奨し、堕落した毎日を嬉々として過ごした。


本来なら16になった時にリリアは王の妃として迎え入れられるはずであったが、

彼女に権力の一部を渡したくない王の取り巻きによって、

また、上辺だけ美しい寵姫達に入れ込む王の希望もあって、

21になる未だに、彼女は王の婚約者のままであった。


悪しき甘言の赴くままに、王の陣営がリリアを王宮から出すか、

修道院にでも入れてしまえば、リリアにとってまだ幸運だったかもしれない。

だが、彼等は決してリリアを手放すことはしなかった。

人形を所有するように、リリアの自由を奪っただけであった。


リリアに許されたのは、神殿に慰問に訪れたり、医療院を見舞ったり、

孤児院を訪問したりといった政治とは関わらない所に行き、

苦しむ民の手を取って、一緒に話を聞いたり泣いたりするだけだった。


実質、彼女が自由になるのは、皇女が庭師に教えを受けて、

自らの手で育てた薬草と、

王やその取り巻きが、時折思い出したかのように送ってくる、

派手な衣料品(後宮の女性達のお下がり)のみだった。


リリアとムシュカはそれらを街で売って、病人の為の薬を集めていた。

自身の手で作った包帯や当て布、購入した僅かな薬を持って、

病院や神殿を訪れる彼女を、人々は最初は胡乱な目つきで見ていたが、

次第に心待ちにするようになった。


何をしてくれるわけでもない。

彼女には国を変える力などない。王に疎まれているのだから。


しかし、その真摯な態度は、民の信頼を確かに集めていた。

そして、民はこっそりというのだ。

始祖の王の血は、皇女リリルアーシュの中に受け継がれていると。


何故なら、王も、その母も、取り巻きも、国の民も口に出さないだけで知っていた。

真王と名乗る第一王妃の産んだ第二王子も、

新王を名乗る第二王妃の産んだ第一王子も、


王家の血をまったく引いていないことを。


先代の王は、気位が高く金使いの荒い両王妃を嫌って遠ざけ、

また後宮には一切近づかなかったことは有名だったからだ。


其れなのに第一王妃、第二王妃そろって子を産んだ。

そこから導き出される答えは、今の王は双方ともに不義の子。

王を裏切った結実。決して有ってはならないことだった。 


だが、先王は王妃の実家に憂慮して、王妃もその子供も糾弾しなかった。

先王は優しすぎたのかもしれない。生まれた子に罪はないと朴っておいた。

その結果、当然のごとくに彼等は産んだ王子は王の子だと主張した。

それは第二王妃の産んだ第一王子も同じことだった。


この国では不義密通は、許されることない大罪だったからだ。

ばれたら、火の中に生きたまま投げ込まれ、焼き殺される程の罪。


先王の臣下が眉を顰めていた矢先に、先王が死んだ。

突然の死だった。


真相を知っている先王がいない今、それを糾弾する資格を持つものは、

この世にはどこにも居なかった。


つまり現王どちらも、一滴も王国の始祖である王、いや、

月の女神の子の血を継いでいないことになる。

神殿がしめす、神との契約を保つ王の資格を有さないことになる。

それでは誰が王と名乗っても、神殿は決して王と認めない。


だから忌々しく思っても、リリルアーシャを手放すことなど無かった。

彼等にとって彼女と血を結ぶことが、

唯一の王の血筋を残すことなのだから。


決して自由を許さない、彼等の駒として売られた皇女。

飛ぶ羽根をもがれ、囀る声さえも許されぬ哀れな小鳥。

その位置は、彼女が5歳の時からこの王宮では変わらない。


「すでに、あちこちで衝突が起きており、多くの死者が出ています。

 また、あちらこちらで、反乱を起こす兆しがあるようです。

 王とその取り巻きが、その反乱を鎮圧する為に軍を向けました」


「苦しむ民に、王は刃を向けるのですね。

 王に仕える軍人と言えど、

 同じ国の民相手にその刃を向けなければならないなんて。

 その心は、苦しみに満ちていることでしょう」


「……はい。軍の中にも離反者が出ているようです。

 またサマルカンドも同じ様だと、街中では噂になっています」


「苦しみは、元から断たねば増すばかりよ。

 今のこの国は、自分の尾っぽを噛んで廻っている神話の蛇のようだわ。

 ねえ、そうだと思わない?ムシュカ」

 

リリア姫の口調は何時になく軽い。

何かを紛らわすように、態と話題を明るくしているのが見え見えだ。

 

「……姫様? 何かあったのですか?」


彼女の視線は、ここ数年で段々とすさんでいった街から動かない。

泣きそうな顔は、次第に何かを決意した顔に変わる。


「もうじき、月の大神殿で月の女神の生誕祭があるわ。

 王と王母は、私を王の妃として連れて行くと言っていたわ」


本日、珍しく朝一番に姫が王に呼び出されたのだ。

何か話があると言う事だったが、結婚式の相談だったのかと、

ムシュカは少しだけほっとした。


「ええ。ええ、そうでございますね。

 やっと姫様が、この国の妃にお成りあそばすのですよね」


ムシュカの顔がぱあっと明るくなる。

王妃にさえなってしまえば、リリア姫は王妃としての権力を持ち、

国政にかかわることが出来る。明るい未来が来るやもしれぬ。


それは彼女を敬愛するものにとって、待ち望んできたことだった。


「……あのね、それは表向きなんですって」


「は? 姫様? 表向きとはどういう?」


リリアの顔は窓を向いたままで、ムシュカにはその表情が見えない。


「神官様や神殿を騙すのですって。

 だから、男をあてがうから、さっさと同衾を済ませろと言われたわ」


「なん!なんてことを!

 皇女である姫様に、なんて無礼な物言いを!

 だ、誰がそのようなことを姫様に申したのです」


ムシュカは、天と地がひっくり返りそうな声をあげる。

それが面白かったのか、それとも、自分の未来が滑稽に見えたのか、

リリアはくすりと笑ったようだ。


「言ったのは王母様よ。王もそのそばにいらっしゃったわ。

 それにあてがわれた男と言うのは、バシュムンド公爵だそうです」


「な、バシュムンド公爵様は40以上歳の離れた王母様の側近ではありませんか。

 年若き姫様に、なんと惨い仕打ちを」


「21という私の年齢では、もはや行遅れなのだそうです。

 そのような行遅れの、薄っぺらな体しか持たない醜い私を、

 公爵が相手をされるだけ有難いと思えとの王のお言葉でした」


15,6で嫁入りをするのが当然のこの国の常識からしてみれば、

21のリリア姫は行遅れなのだろう。


だが、行遅れにしたのは誰なのか!

王を始めその取り巻き連中ではないか!

ムシュカは声を大にして言いたかった。


確かに、遊女や娼婦のような者達がもつ肉感的な美しさを姫は持っていない。

だが、侍女の欲目を差し引いても、姫は細いなりにも女性らしい美しい曲線を持ち、

女性としての魅力を損なっていることは決してないと断言できた。


むしろ、姫がもつ白い真珠の様な張りのある肌に、引き締まったくびれ、

躍動的で瑞々しい体躯は若々しさに溢れ、清廉とした美貌が相まって、

触れたくとも触れられない高値の花、美しい水晶の姫として、

多くの異性の目を惹きつけてやまないのを知っていた。


そして、姫の持つ内面的な美しさと誠実さ、優しい心根と、

ついぞ消えてしまいそうなほどの儚い美貌が、

姫を知った多くの人の心を掻き立てることを、ムシュカは知っていた。


其れなのに、そのように姫を貶め、我がものにしようと画策するとは。

ムシュカは、怒りで血管が切れそうだった。


「彼等はもはや人ではありません。

 悪鬼です。悪魔です。悪霊です。

 いますぐ天の裁きを受けて、地獄に落ちればいい」


ムシュカは聞かされた衝撃の事実に、悔し涙を流しながら地団駄を踏んだ。


バシュムンド公爵は、現王の実父であると噂がある男だ。

それは公然の事実として、多く世間に知られている。

つまり、先王から王妃を寝取った好色な爺が、今度は年若い姫様に、

その色キチガイの触手を、無節操にも伸ばそうとしている。


その事実に、ムシュカを心の底から腹を立てていた。

だが、姫はムシュカを見ないまま、淡々と事実だけを述べることを止めない。


「ムシュカ、私はこの城から出ることは叶わない。

 そして、私が、彼等の命令を拒むことなど出来ないと言うことを、

 彼等は知っているのです。

 もし拒めば、私の周りに唯一残された私の味方であるムシュカ、

 貴方を彼等は容赦なく取り上げるでしょう。死の鉄槌を持って」


「姫様、私のことなど」


ムシュカはリリアの服の裾に縋った。

だが、リリアは外の景色を見据えたままピクリとも動かない。


「医師であったカウザル、家庭教師のトルティエ、

 見習い騎士のシリシュと老騎士カフシェ、庭師のザマ爺、

 侍女のビジュー、料理人のペルメール、画家のユージン。

 子供の頃より私を愛し支えてくれた臣民たる彼等は、

 もうこの世のどこにもいない。

 皆、皆、私の為にその命を奪われたわ。

 もう、貴方だけ。私の味方は貴方だけなの」


「ですが、それでは姫様が!」


ムシュカは必死で首を振る。

ムシュカのために姫が犠牲になるなど、決してあってはならないからだ。


姫は、ようやく外を見るのを止めて、縋るムシュカの傍に跪きその手を取った。

姫の白い手は驚くほど冷たく、そして今にも壊れてしまいそうな程儚く感じた。


ムシュカの手を握りしめた姫は、酷く大人びた、けれど疲れた顔。

老人が人生を諦めたような顔をしていた。

沢山の絶望を知り、希望を見ることを止めてしまった顔だ。

若い姫がもつには相応しくない、

悲痛な叫びが聞こえてくるような顔だった。


もう何度、姫のこの表情を見たことか。

ムシュカの心に、どうしようもないやるせなさが広がる。


同胞が死ぬ度、民が王の理不尽さに嘆くたび、

姫はこのような顔をしていた。

もう、久しく姫の心から笑う顔を見たことが無い。

そのことに傍に居るムシュカは、誰よりも気が付いていた。


そして、姫の美しい眼からつうっと涙が流れ落ちた。


「お願い。あなたまで私を置いて死なないで。

 私を一人にしないで。

 いつまで続くか解らない地獄に、私一人置いて行かないで」


ムシュカは、泣き崩れるリリア姫を抱きしめた。

ムシュカにとって姫は、我が子も同然の存在。

どうしてわが身に代えられようか。


ここで姫を逃がして、その咎を背負い、ムシュカが死ぬのは容易いこと。

先に逝った同胞の様に、姫への忠義を胸に、

この首をかき切る覚悟は疾うに出来ている。

だが、姫の言葉通り、この地獄に姫一人残しては大人しく冥府に下れぬ。


姫は、この国の民の最後の希望。

それを心の底から知っている姫は、どんなに苦しくても悲しくても、

自ら命を手放すことをしないし、出来ないことを知っている。


希望が消えれば、この国が民が絶望に染まる。


神の血を引く最後の一人と思われている彼女には、

民の未来という責任と重圧が常に圧し掛かる。

自らを悲観して死を選ぶことも出来ない。


そんな彼女を救うために、かつて臣下の一人が彼女を王宮から逃がした。

だが、逃げたことを知った王は国中に布告した。


姫が戻らなければ、国の何処かの村の人間を皆殺しにすると。


姫のもっとも大切なものは、この国の民と臣民。

王と王母はそれを知っているからこそ、

民の命を秤に乗せ、帰ってきた彼女を捕え、

二度と逃げないように、彼女の大切な者の命を、

一人、また一人と奪っていった。


彼女のもっとも守りたいもの、大切にしたいものこそが、

彼女を縛っていた。


悪循環の連鎖だった。


姫の言葉通り、姫を支えてきたこの国の臣民ともいえる嘗ての同胞は、

姫を守るため、姫の立場を支える為、その身を持って姫の命を繋いだ。


リリア姫が逃げられない様に、

王の陣営は、彼女の親しい者の命を盾に脅迫した。

そして、同胞は見せしめも兼ねて殺され、

後を頼むとムシュカに想いを託し逝った。


例えムシュカが居なくなっても民がこの国に居る以上、

姫は王に逆らうことなど出来ないだろう。


優しい姫は、民を救うために、王の理不尽な要求に身を切って答えるだろう。

それは姫の気高く清らかな心と体を蹂躙し、踏み潰していく。

狂う事すら許されない地獄が口を開けて待っていた。


それが解っていて、このまま見過ごすことなど出来ようはずがない。


我らの国の最後の希望が失われるよりも、

ムシュカにとって娘同様のこの姫の命が、

国よりも神よりも、世界のなによりも大事だった。


それだけは、それだけは有ってはならない。


ムシュカは頭を巡らした。

なんとか、なんとかして姫様を救わなければ。

このままだと、姫様は彼等に言い様に使われて、その命を儚くされるだろう。


チリーン。チリーン。


ムシュカの耳に、甲高い音が聞こえてきた。


最近、毎日の様に、夕刻になると街中によく聞こえてくる音。

死者を悼み、月の女神の腕に送り届ける鈴の音だ。


街中に、月の女神を呼ぶ歌が、ぽろぽろと聞こえる。

悲しき調にムシュカは雷を受けたように閃いた。

そして、姫様の耳元でこっそりと囁いた。


「姫様、私に最後のあがきをさせてくださいませ。

 先日、王都の神殿で、姫様が王妃となられる前に、

 月の大神殿で禊の儀式を行う必要があると、神官から聞いたのです」


リリアは、涙を拭きながら、困った顔でムシュカを見つめた。


「ええ、慣例ではそうね」


リリアも同じようにムシュカの耳元に首をあてて、こっそりと返答する。


ムシュカは誰が聞いているか解らない王宮で、

唯一閃いた秘策をばらすつもりはなかった。


「表向きは王妃にと言うことは、慣例に従って、

 神殿で禊の儀式を受けなければならないと伝えましょう。

 それが済んだら、お申し付けに喜んで従うと」


ムシュカは、真剣な顔で姫の耳元でひそひそと告げる。


「ムシュカ、一体何を……」


声が高くなりそうな姫の口をムシュカが塞いだ。


「し! 姫様!

 見張りの兵がどこで聞いているか解りませぬ。

 心穏やかにお静かになさってください」


リリアは刻々と口をふさがれたまま頷いた。


「神殿は未だ中立の立場を崩しては居りませぬ。

 ですが、神を騙そうとする現王家を良く思わないことは周知の事実。

 

 姫もご存じでしょう。この街の神殿に私の甥が勤めております。

 そして大神殿には私の叔父が副神官長としてお仕えしております。

 私が未だ殺されぬのも、彼等の存在があればこそ。

 

 彼等を通じて神殿に助力を仰ぎましょう。

 印を持たぬとはいえ、姫はれっきとした始祖の王の血を引く皇女。

 神殿は、決して姫を粗略には扱いませぬ」


ムシュカの鬼気迫る迫力と眼差しに、リリアは一瞬悩んだ。

リリアはムシュカを失いたくないが、ムシュカはリリアを守りたいのだから。


だが、神殿に行くのなら、万が一リリアが王に掴まっても、

神殿関係者に身内を持つムシュカの保護を、

神殿に頼むことが出来るかもしれない。

リリアはその考えに思い至って、大きく頷いた。


「さあ、時間がありませぬ。

 こうしている間にも、公爵の魔の手は姫様に迫ってくるやもしれませぬ。

 本日中に王に手紙を書いて、街の神殿に慰問に参りましょう。

 そしてそのまま月の大神殿に、禊の手続きをお願いして逗留しましょう」


ムシュカはそこまで話すと、すっくと立ち上がって、

態と大きな声で周りに聞こえる様に話した。


「姫様。 王妃となられる試練なのですから、

 そこまで嘆かれなさいますな。

 公爵様は、女性には優しく立派な方と評判ですわ。

 さあ、本日は気分を変えて神殿に慰問に参りましょう。

 神殿にも、姫様の訪れを心待ちにしている民が大勢いるのですから、

 しっかり公務を全うなさいませ」


リリアが、ムシュカの声に呼応するように声を上げた。


「そうね。くよくよしたって変わらないものね。

 まずは私に出来ることをしなくては。

 神殿に行くわ。支度をお願い。

 先日造った傷薬と塗り薬、膏薬と包帯を薬草を用意して。

 神殿はいつも物資が足りないし、こんなことぐらいしか私は出来ないもの」


リリアのムシュカが元気よく振り返ると、

影が三つ離れた柱の陰にさっと隠れた。


王と王母の腰巾着に仕える兵士だ。

足りない頭なれど、金払いのいい主人の命令で、

姫を逃がさない様に見張っている。


そんな見張りが、王宮にはそこかしこにいた。


ムシュカは、急ぎ足で部屋に戻って、

荷物と金を腰に巻き、姫にも同じようにした。

目立たぬように荷物は最小限にし、

マントで隠すようにして慌ただしく出立の用意をした。


姫とムシュカは、いつものように薬と医薬品、医療道具を持ち、

平静を保ちながら、王宮を出て神殿へと向かった。


神殿に入ると姫とムシュカに張り付いている王家の執拗な犬は、確実にその数を減らす。神殿は治外法権の場所だからだ。

まして儀式の相談と称して、

聖なる場に向かえば、王の犬は入ってはこれ無い。


ムシュカは、次々に思い浮かぶ神殿の構図と作戦に、

逸る心を押えながら、通常通りにと何度も心で呟きながら、

神殿へと足を向けた。


石造りの街中の神殿が見えてきた時、

無事に神殿に付けたことにほっとして、腰が抜けそうになったが、

ぐっと奥歯に力を入れて耐える。


ここで仕損じては、全てが終わる。


「さあ、姫様、神官様にご挨拶をして後、

 いつものように、神殿併設の病院へ慰問に参りましょう」


ムシュカが神殿の階段を上りきったところで、

隣りを歩いていた姫に声を掛けた。


姫は頷いて足を前に踏み出したが、二、三歩進んだところでその歩みを止めた。

神殿内から、月の女神に捧げる祈りの歌が聞えてきたからだ。


『美しき慈愛深き月の女神よ。

 天に居わす我らの王よ。

 その大いなる力を持って、我らを見守りたまえ。

 我等は、いかなる時も正しき王と女神の僕。

 いつの日か相見まえる時を待ち続けん』

 

「姫様?」


ムシュカが振り返ると、神殿で祈る参拝者と共に、

姫は神殿中央にある月の女神の象を見つめ、

その頭を垂れていた。


皇女リリルアーシャは、彼等と同じく女神の象に額づいて、

祈りの言葉を捧げる。


『王よ、何時いかなる時も、我らを決して見捨てないでください。

 貴方は徳高き星。我等の忠誠は永遠に貴方の元に。

 女神よ、いつの日か我らに王を。

 腕に抱いた貴方の愛し子をお返しください

 そは我らの希望、生きる指針にして永遠の祈り』


リリアの傍にムシュカも跪き、一緒に額ずいて同じように祈る。


祈りの言葉を言いながら、ムシュカは心の底から、神に祈った。


(どうかどうか、神よ。 姫様を御救い下さいませ。

 貴方の血を引く皇女に、一滴の憐みをお与えくださいませ)


祈りを終えて顔を上げた二人の祈りに応える者は誰もいない。

そこにあるのは、命通わぬ冷たき石の美しき女神像。


時が建ち、次々と人々が祈りの場から出ていく中、

二人は女神の美しき横顔をじっと見つめ続けていた。

 

その白い小さな背中が、真っ赤な夕日に赤く染め上げられる。

大きな太陽が砂漠に沈む時、何か不吉なことが起きそうな不安や、

どうしようもない悲しみを感じることがある。

それを逢魔が時、または黄昏時と呼ぶ。


二人にとってこの黄昏の光が、心を追い立て、

闇に追い詰めているようだった。

彼女たちの心に、黄昏時の焦燥が、言葉無く襲っていた。 

 

 

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