予言が齎すもの。
この話にメイは出てきません。
砂の砂丘と青い空と太陽。
生きている者が誰も何もいない風景。
真っ赤に照りつける太陽がじりじりと焼くのは、小さな砂粒の集まった砂漠。
昼間の砂漠の温度は通常でも摂氏50度を超える。
じりじりと焼けつくような光と熱に、砂は熱を逃がすことなく蓄え、
砂を更に熱する。
無機物だけが存在するその空間に流れるのは、
時折気まぐれの様に吹く小さな風。
風は、障害物の何もない砂漠の上を縦横無尽に駆け巡る。
吹きすさぶ風が、地面からわずかに熱を奪う。
だが、それすらも一瞬の事。
砂の大地が溜め込んだ熱を冷ますには足らない。
そんな自由気ままな風が、時折砂漠では大惨事を引き起こすことがある。
ビュオォォォー。
吹きすさぶ熱い風は、大きな砂丘を下って登り、
砂漠を渡るにつれ、どんどんとその威力を増す。
最初は一方向に吹いていた風が熱を持つにつれ、
砂丘の頂上で、小さな渦を作り始めた。
ザァァァァー
小さな渦はどんどん大きくなる。
巻き上げる風が大量の砂を空中高くに持ち上げる。
ゴオォォォォー
小さな渦同士がぶつかり合って、その威力は半減するどころか、
渦の軌道は大きくなり高さも威力も、その嵩を増していく。
全長20m以上の大きな砂嵐が出来上がる。
その砂嵐は、何かを求めるがごとくに移動を始めた。
移動を初めて5分もしないうちに、小さな集落にぶちあたった。
集落の入り口には小さな石造りの門と壁。
人が3人横になって通る程の幅しかない小さな門だ。
それに比べて壁は高かった。
大の大人が、手を伸ばしても届かない程の高さ。
そして、壁の上には、剣山の様な槍の先が等間隔で壁に設置されていた。
穂先の向きは、明らかに壁の外に向けてである。
これは本来なら、夜に徘徊し町中に入ろうとする、
砂漠の獣たちの侵入を防ぐための物だ。
サマーン王国のどの集落にも、このような防御壁はある。
だが、今のその壁が防いでいるのは主に獣相手ではない。
その証拠に、小さなその門には相応しくない厳重な警備に、
武器を持って威嚇するように立つ門番達。
彼等が警戒しているのは、壁の外に居座っているある団体だった。
その壁を囲うように、門の外にみすぼらしいテントが、
いくつも周りを囲っていた。
その数は10や20では足らない。
テントは、どこかで見つけてきた木切れにぼろぼろの布を張っただけの、
太陽の日差しすら満足に防げないものだ。
テントの中には、痩せ細った手足の女性や子供。
ぐったりと疲れ果てた様に座り込む老人や男達。
彼等は一様に澱んだ目に、からからに干からびた唇、
骨が浮き上がり皮膚がだらりと落ち込み、
空っぽの胃が垂れ下がり、下腹部だけがポッコリと丸く目立つ。
彼等は避難民である。
人生に疲れ切り、明日をもしれぬわが身を嘆くより前に、
今、息をして手に入る僅かな糧で、命を繋ぐことだけに集中する。
吐く息は細く長く、体力の温存のために声も出さず動かない。
彼等のそんな姿は、都心部で転がる哀れな乞食と何ら変わりない。
だが、そんな彼らに憐みを掛ける者などここには居なかった。
それどころか、運命は過酷なまでに彼等を絶望の淵へと突き落すようだった。
「す、す、砂嵐だ~逃げろ~でかい砂嵐が来るぞ~」
砂嵐の到来に気が付いた集落の門番が、
慌てふためき門前に設置した鐘を打ち鳴らす。
集落の中で、逃げ惑う人々の声が上がり、ばたばたと物音がしていた。
門番は仕事を放棄して、我先にと自分の家に逃げ帰った。
門は開かれたまま。
なのに、集落の外壁に陣取っていた避難民達は、せっかくの機会なのに、
集落に入ろうとはしなかった。
ただ濁ったような目で、そしてどこか懐かしむような顔で、
集落内の騒動をじっと動かずに、耳をすませていただけである。
彼等は緩慢な動作で首を上げ、迫りくる巨大な砂嵐を見つめる。
その瞳には、感情と言うものが欠落しているかのようにも見えた。
そんな彼らの目には、今まで精一杯に足掻いた生が終わる絶望があるのか、
はたまた長い苦しみが終わる歓喜なのかは、誰も解らない。
「……女神よ」
ただ、砂嵐の猛攻を前に、どこの誰とも知らない避難民の男が一言呟いた。
それが、男の人生最後の言葉となる。
その言葉の意味を知る者は、天上の女神だけであろう。
荒れ狂う風、無慈悲に叩きつける砂の嵐。
無造作に荒々しく吹きすさび、乱暴な手を伸ばし、壊す対象物を選ばない。
その存在に関係なく、上へ唯上へと積もっていく砂。
それらは、大地に根を張るわずかな動植物の息の根をあっけなく止めていった。
砂の拳に殴りつけられ意識を刈り取られ、砂の重みで潰されるようにして、
ぽつりぽつりと命の火が失われていった。
そして、どのくらいが経っただろうか。
砂嵐が通り過ぎた後、先程までの景色は一変していた。
高くそびえていた集落の壁は壊され、子供の背よりも小さな残骸となり、
街は破壊され、民家の殆どが砂の凶行になすすべもない瓦礫と化していた。
この集落で大事に守られ、わずかの水を吐き出していた生命線。
そのオアシスとため池が、砂に飲み込まれていた。
どこかで絶望のため息が聞こえる。
塀の外で蹲っていた避難民は砂に埋もれ、ひっそりとその生涯を閉じた。
避難民受け入れを拒んでいた集落の幾人かは助かったが、
生き残った彼等の生きる希望であった大事な水源は砂に消された。
諦めきれない人々が、どんなに手を尽くし掘り進んでも、
砂で覆われた大地から再び水が湧き出ることはなかった。
そして、人々は砂に埋もれた集落を、
一人また一人と後にすることになった。
今度は、彼等が避難民となって砂漠を彷徨うことになるのである。
そして、その先たどり着いた集落は、もちろん受け入れない。
彼等のたどり着く場所は、彼等の良く知る外壁外の避難民と同じ場所。
人生とは、因果応報なのかもしれない。
*********
ここ数年の間に、この国から多くの集落が消えた。
特にここ3年の間、雨が全くといい程、この国に降らなくなったのだ。
雨が降るのは、月の大神殿がある西の街レナーテだけ。
レナーテにしても、雨呼びの巫女が7日7晩必死で祈った末に、
わずかに降る程度だ。
国内でも神殿内部でも、不穏な噂はじわじわと広がっていた。
雨呼びの巫女はすでに高齢。その力が実は衰えているのではないか。
もし巫女が死したのち、更に雨が降らなくなれば、
この国は、自分達国民はどうなるのだ。
人々の心に、底知れぬ不安が横たわっていた。
水は高値で取引され、オアシスや井戸、ため池からの取水制限が行われた。
友好国である隣国のマッカラ王国から、水を商人が運んでくるが、
貴族が我先にと手を出す為、それは目が飛び出る様な高値となった。
生きていくために必要な水ですら、
貧乏人にはめったに手に入らない現状であった。
最初に消えたのが、水源が井戸と偶さかに降る雨に頼るしかない小さな村。
溜まった水が無くなり、人々は仕方なく他の集落へと移住を決行した。
砂漠に生きる民は情に厚く、困った人をよほどのことが無い限り見捨てない。
だから最初は、どの集落も彼等を暖かく受け入れた。
だが次に、小さなオアシスと川からの水を引き入れて水源としていた町が涸れた。
オアシスの水源が涸れたのだ。
街の人々総出で砂地を、干からびたオアシスの底を掘った。
5m掘っても、10m掘っても、20m掘っても、水は出てこなかった。
そして、追い打ちをかけるかのように、川の水量が減った。
あちこちに点在している村も同じように水源が枯れ、
川の水に頼る為に、川の上流に住処を移していた。
水を求めて人々は争った。
最初は口喧嘩、だが、次第に喧嘩はエスカレートし、
激情に逸った人の手には武器があった。
血で血を洗う様な争いが、国のあちこちで勃発していた。
だがある日、それも簡単に終わる。
完全に川の水が干上がったのだ。
川底を走るのは魚や水草ではなく、乾いた小石と砂が風で転がる。
救いを求める人々は、神殿へと助けを求め、水を求めて砂漠を彷徨った。
多くの難民が砂に消え、また砂漠を彷徨う獣の糧となって、
その遺体は砂地の嵩を増した。
神殿の神官は、レナーテの大神殿から届く僅かな水を民衆に分け与え、
神殿にたどり着いた彼等を抱き起こし治療した。
神殿の救済という名の施し。
それは、神からの恵みとして、人々の最後のよすがとなった。
だが、その数が増すにつれ、食糧も水も十分に行き渡らなくなる。
体力のない子供、老人、女性が、少しずつその命を散らし始めた。
人々の目から希望の光が消えつつあった。
神官は、彼等と同じように満足に物を食べれず、痩せ細っていた。
だが、彼の目は人々の死に悲しんでいるが、悲観した様子はない。
それが何なのかはわからないが、神官の目には希望の光が常に浮かんでした。民はそれを唯一の希望として縋った。
そして、神官は静かな口調で、人々に向けて言うのだ。
「一緒に祈りましょう。月の女神に雨を降らしてくれるようにと。
そして、願いましょう。我らに貴方の愛し子をお返し下さいと」
古くから伝わる、月の女神への祈りの言葉の引用だ。
祈りをささげる人々は、月の女神の像の前に跪き月を仰ぐ。
昼も夜も、時間がある限り人々は祈った。
明日をもしれぬわが身を嘆き、天上を仰ぐ。
どうか御救い下さいと。
どうか雨を降らしてくださいと。
だが、雨は降らない。救いは現れない。
必死の願いも、天上の女神には届かない。
そして、ギラギラと照りつける太陽の光に顔を顰め、口は常に乾き、
かさかさでひび割れた皮膚からは、もはや一滴の汗すら出なくなった。
人々は、未来へ希望を繋ぐことを諦めつつ、
日々襲われる絶望感に必死で耐えていた。
今日も無駄だろうと思いつつ、人々は神殿の大広間にて、
女神の銅像の前に額ずいて、女神にその祈りをささげる。
そんな時、一人の男がぽつりと呟いた。
「女神が、……」
1週間前に、妻と二人の子と一緒に神殿にやってきた男である。
神殿にやっとの思いでたどり着いたが、二人の幼い子は相次いで亡くなり、
昨夜、彼の妻も子を失くした悲しみに耐えきれず、こと切れた。
彼は、最愛の妻の痩せ細った体を抱きしめ、心の底から慟哭した。
だが、からからに乾いた体からは、
涙はどんなに苦しくても出なかった。
今の男の顔には、怒りも悲しみも痛みも苦しみも、
何一つ浮かんでいなかった。
有るのは、辛い現実と向き合えない気持ちと、ぼんやりとした心。
この神殿に残って祈りをささげている者は、みな同じような境遇の物だ。
誰に知らせなくても、目を見れば解る。人生に絶望した瞳。
なのに、なぜ祈るのか。誰しもがそう自問自答するだろう。
だが答えは、どうしたって見つけることは出来ないのだ。
そんなジレンマに囚われながらも、誰しもが祈ることを止めなかった。
そんな彼らの中で、ぼんやり座っていたその男がぽつりと呟いた。
「女神が、怒っていらっしゃるのだ」
誰ともなしに、集団の中の誰かがその男の声に答えた。
「女神は、何に怒っていらっしゃるのだ?」
その問いに答えるのは、同じように女神像の前で祈っていた片耳が無い男。
「神の名を継ぐはずの王が、偽物であることだろう」
他から、その言葉を継ぐように、言葉が発せられる。
どよどよとした空気が流れ始めた。あちこちで「偽物」「恐れ多い」
「神の怒り」など小さな声が上がる。
『偽物』、その言葉を確かな物にするために、男は再度言葉を重ねる。
「我らが王は、女神の血を引き継ぐものでなければならない。
それは、悠久の昔から伝わる神と人との約束だ。
なのに今、偽物が王と名乗っている。
だから、女神は怒っていらっしゃるのだ」
男の言葉に、誰しもが反論できなくて押し黙る。
だが、同時に納得し賛同する声も聞こえ始めた。
「やはりそうなのか、なんとなく解っていたけど偽物なのか。
奴らには、一滴も我らの王の血は流れていないのだな」
淡々と呟かれる事実を確めるような言葉にも、誰も驚かない。
誰しもがそうだろうと思っていても、不敬罪に取られる為、
今まで口に出さなかった事柄だからだ。
「俺達が、偽物を王と仰いでいるからだ」
「だから女神は、怒って雨を降らさないのか」
「俺達がこんな目に合うのも、娘や妻が死んじまったのも、
全部全部全部、あの偽物共のせいなんだ」
「そうだ、俺の妹が両親が死んだのも、アイツらのせいだ」
「村が枯れたのも、砂嵐がオアシスを飲み込んだのも、
全部あいつらのせいだ」
人々は口々に、亡くした者を挙げ連れ、それを口火に呪いの様に、
現王である二人の王を、その一族を罵り始めた。
人々の疲れた心に、怒りと憎しみの火が少しずつ灯されていく。
蓄積されていく怒りはどんどんと深まり、やり場のない感情をもてあまし、
歯をぎりぎりと鳴らしながら、拳を握りしめた。
人々の中心に座っていたよぼよぼの小さな老人が話を始めた。
杖で支えないと立てないほどに痩せ細った老人である。
老人の声はどこまでも細い声なのに、そこに居る誰もの耳にその言葉が届いた。
「先王の第一妃や第二妃が産んだ子が王の血を引いてないことは、
アヤツらの顔を見れば一目瞭然だ。誰だって解る。
本当に罰当りなことだ。
奴らは、不忠者なうえ、不義密通を重ねた重罪人だ。
あの素晴らしき王を裏切った極悪人だ。
ああ、先王は、なんと御労しいことか。
ワシは覚えとる。 ああ、絶対に忘れはしない。
誰が騙されてもワシは騙されん。
20年前に亡くなられた素晴らしき我らが王に、
あ奴らはちっとも似ておらん。
瞳の色も顔立ちも体つきもそして王としての資質も、そのすべてが違う」
皆、そうではないかと思っていたが、口をずっと噤んでいたことだ。
「なあ、爺さん。20年前に死んだ王様って、どんな方だったんだい?」
爺さんの後ろに座っていた、片目が包帯に覆われた若者が、
わずかな好奇を含む視線を向け尋ねた。
爺さんの昔話の続きを聞きたいと、他数名が話の続きをねだる。
老人は乾ききった長い白い髭を揺らしながら、軽く頷いた。
「ああ、お前たち若者はあの方を知らないのだな。
あのお方は、我らの王は、本当に素晴らしい方だった。
あの方を知る者は、誰しもが口をそろえて言ったもんだ。
この国に産まれてきてよかったと。
あの方の治める国の民でよかったと。
ワシも、もちろんそう思ったよ」
老人の夢を見る様な口調に、若者は膝を抱えたまま苦笑した。
その手は、無くした目を厭う様に巻かれた包帯の上にあった。
「いいなあ。 オレ、この国に産まれてきてよかったなんて、
今まで生きてきて、一度も思ったことないよ」
老人は、その言葉に顔を顰めた。
若者の片目は明らかに生まれつきのものではない。
包帯の隙間から見える傷跡は刃物と火傷が重なった傷跡。
誰かに害され、故意に片目を潰されたのだろう。
「そうか。 実に哀しいことだ。
この国は、もうお仕舞なのかもしれんな」
爺さんの言葉に、誰しもが肩を落とした。
その時、爺さんの横に小さな子供が這ってきた。
ぎょろっとした大きな目に細すぎる手足と首が痛々しいが、
珍しく元気のある子供だ。
だが、腕と足には、鞭で叩かれ引き攣れた跡が残っていた。
子供でありながらも、過酷な運命と向き合ってきたと解る傷跡だった。
だが、彼の目はまだ輝きを失ってはいなかった。
まだ未来を諦めた様子は欠片もない。
彼を知る大人たちは、そのことが少し嬉しく、
だが同時に、例え様もなく悲しかった。
「なんだよなんだよ。大人たちは難しいことばっかり言っちゃってよ。
偽王が全ての元凶なんだろ。
あいつ等が居なくなればいいんだよ。そうだよな」
「ああ、……そうかもしれんな」
「ちょっとあんた達、そんなこと、簡単にいっちゃあいけないよ。
誰が聞いているか解らないんだよ」
痩せ細った女性の手が、子供の口を塞いだ。
老人の話に、高揚しかけていた気分が一気に下がる。
哀しき現実に、誰しもの口が重くなる。
街中で下手の事を言うと、どこかにいる王家の犬たちに聞かれ、
不敬罪と称して、堂々と牢獄に連行されるのが常だからだ。
あの牢獄に連れて行かれて、帰ってきたものは誰もいない。
「なに、誰かが掴まるならワシが行こう。今のワシには同じことだ。
獄に連れて行かれなくとも、すぐにあの世に行くことだろう。
たださえ、明日生きているか解らない身の上だ。
今更、生を惜しんで口を噤んで何になるのか」
その老人の言葉に、誰しもが苦笑した。
本当にそうなのかもしれないと、痩せ細った自身の腕を見て納得した。
片腕がそでの先からない、片腕の男がポツリと言った。
「俺は、現王をどっちも直接みたことがあるんだ。
俺は、数年前までは旅芸人の一座で、国中を回って砂漠を越え、
あちこちの国で芸を披露をしていた旅芸人だったんだ。
サマルカンドの王宮も、ファイルーシャの王宮も呼ばれたさ。もちろんな。
俺はこれでも、国で1,2を争うと言われた一座の2番看板だったんだぜ。
片手が無くなった今は、見る影もないがな。
俺達が芸を披露している間、貴族や王たちは、楽しそうに笑っていたよ。
だけど、芸を気に入って笑っているんじゃなかったんだ。
笑いながら、商人から献上された酒を浴びる様に飲み、文句をいい、
気に入った美童や少女、女を一座から取り上げハレムに入れるんだ。
俺の婚約者も妹もそうやってとられた。その時抵抗したもんだから、こうなったけどな。
アイツら、あちこちの土地で民が、食うものも飲むものもなくて餓えているのに、
毎日の様に湯水を溜め込んだ風呂に入り、溢れんばかりの料理を食べ散らかし、
綺麗な女性を侍らして、毎日遊んでいやがるんだ」
そうだろうと解っていても、誰かの口から現王の直接の所業が語られ、
腹の奥に、胸の中に、拭いきれない何かがしこりとなって張り付き、
怒りが、呪いが、悔しさとなって再度燃焼し始めた。
物を知らない子供が、熱を煽る様に管を巻く。
「偽物のくせに、なんてそんなことが許されるんだよ。
なあ、俺達はなんで黙って、そいつらの言いなりになってるんだよ。
あいつ等、偽物なんだろう。
堂々とやっつければいいじゃないか」
純粋な子供の言葉に、頑なに恐怖で固まっていた心に、楔が入り始める。
片足の膝から下が無い男が、ふうっとため息をついて言った。
彼の右足のひざから下は、木切れで作った不格好な義足だ。
「そうだな、王だからと好き勝手やってるあいつらは、
お前の言うように、堂々とやっつけても問題ない気がするな。
それとも、王と言うものはそういう者なのか」
彼等にとって王と言う存在は、災厄以外のなにものでもなかった。
皆の目が、一斉に中心の老人に集まる。
かつての前王を知る、唯一の人物だからだ。
20年は長い。その間に、王について知っている者は居なくなった。
そこにいる誰しもが、我らが知り得ない、
かつての王の存在を知りたいと思っていた。
先程の老人が、ふうっと小さなため息を漏らして、
かつての思い出を巡らせるように、目をゆっくりと瞑った。
「20年前に亡くなられた我らが王は、本当に素晴らしい人であった。
そうさな。 ワシが初めて王に会ったのは、
およそ30、いや40年ほど前の事じゃよ。
砂嵐とサソリの大発生で、ワシの村が半分以上死した事があった。
首都から遠く離れた西の小さな村だ。
砂嵐の被害は大きく街は瓦礫と化しサソリは凶暴で数が多く、
多くの働き手を失った。 生き残った村の人間は女子供と老人ばかり。
ワシらはもう駄目だと誰しもが思った。
ワシらの現状を聞いた若き王は、態々足をお運び下さって、
生き残ったワシの手を取り、大丈夫だと心配するなと言われたのだ。
王は、他の村から大勢の働き手を連れてきて、街を瞬く間に修繕し、
働き手を失った家の者には、十分な手当と食料、落ち着き先を用意してくれた。
ワシの村は、ワシたちは、王のお蔭で助かったのだ。
王は、慈悲深く賢くお優しく心広い、そして、始終穏やかな方だった。
そして、誰よりも自分に厳しく、清貧を好まれた。
絵を描くのが唯一の楽しみだと、時折村の様子を自ら筆を持って描いておられた。
王であるのに、ワシらと同じような質素な食事を食べ、
ワシらと同じ目線で砂の上に座り、ワシらと同じ様に火を囲って話をした。
地位や身分に関係なく、我らの話を親身になって聞いてくださった。
ワシらが王に礼を言うと、王は言った。
国と王は、国民のためにある。
民あっての王の自分が、民を助ける為に、
出来ることをするのは当り前だと。
民の幸せがあってこその国なのだと。
ワシはこの時、この人が王でよかった。
この国に産まれ、あの人の造る国ために生きようと思ったもんだ。
さすが女神が選んだ王なのだと、我が国の王が誇らしかった」
老人が、そこでひと息入れる。
沈黙に、誰かがぽつりと言葉を投げ入れる。
「それが、かつての我らが王なのか」
「ああ、夢の様な話だ」
「アンタが羨ましいよ、爺さん。
俺達にもそのような王が居れば、今とは全く違っていただろうに」
その言葉に呼応するように、人々が口ぐちに声を上げた。
「ああ、そんな王が欲しいね」「夢でもいいから会いたいね」
そんな時、誰かが言った。
「20年前、全てが間違っていたんだ。
俺達は、あいつ等を王と認めるべきではなかったんだ。
それを今も正そうとしない俺達に、
女神が怒っておられるのは、当然なのかもしれない」
その言葉に、老人の正面にいた、右手に指が2本しかない男が反論した。
「正道を正すなんて、今となっては遅すぎるだろう。20年だぞ、20年。
今更、俺達に何が出来るって言うんだ!」
男の2本しかない指が持ち上がる。
吐き捨てる様に言われた言葉と、失くした指の存在に、
皆が顔を顰めた。
その男の友人なのか、赤毛の男が、男の肩を叩いて宥めた。
「落ち着け。何かを正すのに、遅すぎると言うことはない。
だが、始めなければ、いつまでたっても正せないことは確かだろう」
赤毛の男の言葉に、皆が頷いた。
その顔を見ながら、赤毛の男は言葉を続ける。
「間違いは、気づいたからには、正さなければならない。
しかし、問題がある。
奴らを王座から引きずりおろしたとして、
次代の王はどこにいるんだ。あの二人が偽物なら、
女神の血を引く王はどこにも居ないじゃないか」
全員の顔が、怒りから一転して暗く沈む。
だが、ふつふつとした怒りは収まらない。
剣呑な計画をどんどんと浮かび上がらせていく。
「だが、このままだと俺達は死ぬ」
「ああ、どうせ死ぬなら、妻の敵も一緒に、いっその事」
「皆で力を合わせて王都を襲ったら、奴らの首を取れるかもしれないな」
「偽者である奴らの首を刎ねて、
許しを得る様に祈れば、女神は許して下さるのではないか」
そこに、かつんと靴の音が鳴り響いた。
緊張感が一斉に高まる。
ばっと勢いよく振り向いた先に居たのは、この神殿の神官様だった。
粗末な生成りの木綿の神官服。
素朴な木靴は、神殿の床を歩くたびにカツンコツンと音をたてる。
彼等の今現在の生活の全てを支えてくれている、慈悲深く心の広い方である。
聞かれたかもしれない。
いや、大丈夫だ、聞かれていない。
そんなささやきが聞こえる中、神官様はにっこり微笑んだ。
「皆さんの気持ちは、解りすぎるほど解っております。
王を排斥し、力ずくで歪みを正そうと思っていらっしゃるのですね」
どうやら、全て聞かれていたようだ。
話しに加わっていた人々は、顔を蒼白に染め、ごくりと唾を飲み込んだ。
痩せ細った骨骨しい腕を、神官は皆に見える様にすっと持ち上げた。
「皆さん、早まった真似は絶対にしてはいけません」
「ですが、神官様。
待つだけでは何も変わらず、死ぬのを待つだけです」
「俺達は、俺達のこの手で、間違いを正さなくちゃなんねえ」
「全員で決起して乗り込んで王宮を襲えば、王だって倒せるかもしれねえ」
「そうだそうだ。どのみち俺達は死ぬんだ。
それなら、あいつ等を道ずれにした方が世の為だ」
食い下がる人々を前に、神官はゆっくりと首を振った。
「それはなりません。血で血を洗う行為は、
女神に仕える神官として、決して認めるわけにはいけません」
「ですが、神官様!」
「お願いです。早まった真似をしないでください。
多くの同胞の死を受け止め、悲しみの中で生き残った貴方達の命は、
何よりも尊いものです。
それを、無残に散らしたくないのです。
ですが、貴方達の気持ちもわかります。 理不尽な怒りも憎しみも。
全てが、愛しき存在を失った悲しみからもたらされるもの。
貴方達は、失くした愛しき存在の為に祈っているのでしょう。
苦しみ惑う貴方達が出した結論は、尊き意見です。
ですが、知っておいていただきたいことがあるのです。
私は、理由も無しに、ただ止めようと思っているのではないのです。
貴方達を、女神と始祖たる王は見捨てた訳ではないのです。
ここで、そこまで思いつめた貴方達に、
隠されていた予言を伝えましょう。
大神殿の巫女姫が受けた神託です。
我等神殿の者にとって、最後の希望として、
秘密裏に受け継がれてきた予言です。
神官しか知らない内容ですが、貴方達が可笑しな事をしないと誓うなら、
お知らせしましょう」
人々から困惑の声が上がる。
「予言」「大神殿の巫女姫」「神託」「最後の希望」
動揺しているのだろう。あちこちで騒めいて収まらない。
中心に居た老人が、杖を突きながら腰をゆっくり上げて、
震えながらも神官様の前に立った。
「神官様、教えてくださらんか。
愚かなワシらに、残された最後の希望とやらを」
全員が、真剣な目で神官をじっと見つめた。
神官はその視線に答えるべく、しっかりと頷いた。
「20年前、王がお亡くなりになった時、大神殿の巫女は神託を受けました。
王が弑逆されたと。これにより女神は嘆き、女神の加護が断ち切られたと」
人々の顔が驚きに染まる。
先王が死んだ。それが殺されたのだという事実に、声をあげることもできす固まった。
「巫女姫はおっしゃられた。
我等はその報いを受けなければならぬと。
これより長きにわたり、この国は王が不在の不遇の時代を迎えるであろうと。
巫女姫は更におっしゃられた。
決して諦めてはならぬと。まだ希望は残されていると」
話を聞く人々の目が、最後の言葉に目を見開く。
「希望とは、何なのですか?神官様」
「巫女姫は、時みちれば、いつの日か必ず、
女神の血を引く王が現れると予言をされたのです。
その王が、新たなる加護を女神と結ぶであろうと」
人々の心に、小さな灯りが灯った。
その予言が本当になればと、少しだけ希望という光が胸に灯る。
「私たちは王が帰るまではと、必死でこの国を守ってきました。
だが、長き闇の時代に、枯れた村、降らない雨。
我々も疲れ、希望を見いだせなくなっていたのです。
だが半年程前に、巫女がようやく待ち望んだ神託を受けられました。
女神の御使いがこの世に現れたと。
もうじき御使いは、我らの王となる者を伴いやってくると。
長き苦しみは終わり、この国は嘗ての様に美しき国に甦ると。
だから、後しばらくの辛抱だと言われました。
私達は、神と王と民を繋ぐもの。
女神の御心と民の思いを大事に守っていくことを誓いました」
老人皺に隠れた目が、やや大きく広がる。
「おお、それでは。王を引き継ぐものがおられるのか。
なんと!なんと喜ばしい報せじゃ!」
人々が思い思いに目を合わせ、思いついたことを話し始めた。
「王の直接の血が絶えたのなら、傍系か? 誰か居たか?」
「ファイルーシャのリリルアーシャ姫は?
神の血を引くと噂があるけど」
「あ、そういや、俺、知ってるんだ。
王都サマルカンドや首都ファイルーシャで、
貴族や悪どい商人ばかりを狙う盗賊の頭が、王家の血筋だって聞いた。
俺達を助ける為に、奴らから金品を奪って、貧しい人に配っているんだ」
小さな子供が目を輝かして、噂話を披露する。
「俺も聞いたぞ、その話。 嘘だと思っていたが、本当なのか?」
ザワメキが大きくなる。
若者の言葉に、老人が顔を顰めた。
「それは嘘だ。 王となるものが盗みなどなさるはずがない。
盗みは大罪だ」
だが、その子供が老人に食い下がる。
「だけど爺さん。考えてみてよ。
王の血筋だって言っても、それなりに事情があるかもしれないだろ。
だって、今のこの国は、あの偽王の物だ。
俺達を助ける為には、多少の罪は仕方ないんじゃないかな」
「だがそれは、確かなことではあるまい。
ただの噂にしか過ぎないことだ」
頑なな老人の声に、誰もが苦笑した。
これ以上、まだ見ぬ王に夢を膨らますなと言いたいのかもしれないからだ。
だけど、子供は老人の否定の言葉を認めない。
「だけど、本物だったら?
俺達を助ける為に、悪い奴らを懲らしめているのかもしれないだろ。
だったらいいなって、俺、思うんだ。
俺、新しい王様が良い王様なら、精一杯応援して御守りする。
女神様にも、いつもの倍お祈りする」
老人は、少年の言葉にふっと笑って、少年の頭を優しく撫でた。
「そうだな。ワシも祈ろう。
新たなる王が、どうか無事予言を果たされます様、ワシも祈る。
2倍だったな」
少年が、うんっと嬉しそうに頷いた。
「神官様、予言のもうじきとは、いつのことなのですか?
私達の救いが来るのは、一体いつ?
お願いです。解っているなら教えてください」
神官の服の裾を、年若い女性が掴んだ。
その片手には、空腹すぎて泣く元気もない赤子を抱いていた。
赤子の顔には、死相が浮かんでいた。
もう幾ばくかも持たないかもしれない。
神官様は、女性の手を取って、
腰に下げた小さな皮袋を子供の口元に持っていき、
誓言を唱えながら僅かの水滴を垂らした。
神官様が持つ大神殿の癒しの聖水だ。
子供の顔に、わずかであるが生気が戻った。
「その日は、月の大神殿レナーテで行われる、
女神の祝祭の日ではないかと言われています」
「おお、もう一月内ではないか。
なんと嬉しいことだ。あと少し、あと少しの辛抱だ。
この生がある内に、王をお迎えできるのか」
老人は、嬉しさのあまり感動に打ち震え、大きな声を上げた。
その言葉に、皆も同じ様に思ったのだろう。
誰しもが、今までにない明るい表情をしていた。
片腕しかない男が、希望に輝く皆の顔を見て、
何かを決意したように立ち上がった。
「神官様、俺は月の大神殿に、西の街レナーテに行こうと思う。
俺は、長く隊商の護衛の任についていた。
片腕でも役に立つことが出来る筈だ。
そこで、真なる王の御手伝いがしたいんだ。
あの傲慢な偽王たちの邪魔が、入らないはずが無いからな」
片目を失い布で巻いただけの青年も立ち上がった。
先程、王の話を聞きたいと強請った青年である。
「俺も行く。爺さんが言う王に、俺はあってみたい。
俺が、この国に産まれて生きた意味を知りたいんだ。
爺さんの様に、生まれてきてよかったと言える日が、
この先あるのかどうか、それを知りたいんだ。
王に会えば、解る気がするんだ」
年配の髭もじゃの男も、のそっと立ち上がった。
頬から首にかけて大きな刀傷があった。
「俺も混ぜてくれ。 俺はスワロー自警団の一員だった。
腕には自信がある」
赤髪の男が同じく立ち上がる。指二本の男も同じくだ。
「俺達もいく。俺は身軽さには自信がある。
俺達の王をお守りする為に、この命を懸けよう」
一人、また一人と、重い腰を持ち上げた。
そんな彼らの顔を見て、神官様も深く頷いた。
「もうじき祭事の為、神官を始め、
この神殿の職員大半が大神殿に赴きます。
その時、大神殿を訪れたいと願う巡礼を、引き連れることが出来ます。
巡礼という形を取るのなら、
現王たちに止められることもなく、大神殿までいけるでしょう」
その神官様の提案に、全員が頷いた。
それから後は、皆で意見を出し合って、いかに効率よく大神殿に行けるかなど、
いろいろと思いつくまま話し合う。
月の大神殿の街、西のレナーテへ。
砂の一族だけが知る道を通るのはどうだ。
いや、西の砂の回廊を横切る方法がある。
それよりも、サマルカンドの軍隊が通らない道を知っている。
次々と建設的な意見が出される。
旅をする体力がある者だけが、参加する巡礼だ。
ここにいる全ての人間が行けるわけじゃない。
女、子供、老人といった体力のない者たちは、
わずかに残された食糧と水を支えに、
神殿の留守を預かることになった。
神官様に聞くと、巡礼が出るのは王都サマルカンドと、首都ファイルーシャ、
そしてマッカラ王国寄りの砂漠の神殿からの3つのみ。
彼等は、一様に女神に祈りを捧げる為に巡礼に行くのだ。
そして、おそらく同じように、神官様から予言の事を聞き、
王を守る為に大神殿を訪れようとしているのかもしれない。
誰しもがそう希望を持った。
「ここにいる人間だけじゃあ足りない」
「ああ、サマルカンドの兵は数万人だと聞く」
「ファイルーシャ王の近衛隊は強力な武器を持っている」
「これから、各地を回って同じように考えている人間を集めよう」
「我らが力を合わせて偽の王を倒し、真の王に王位をお返しするのだ」
「ああ、そうすれば、女神は雨を降らして下さる」
照りつける太陽の光が、斜めに差し込んでくる。
赤い光が夕日を示し、もうじき夜が来ることを知らしていた。
赤い光に照らされた人々の顔は、いつになく希望に溢れていた。
神官様の厳命により、予言のことは一切口に出さないようにと注意された。
誰しもがしっかりと頷いた。
「「「「月の大神殿へ」」」」
人々の口から、それだけが合言葉の様に広がった。
祝祭を目指して、国中の人々が、
月の大神殿があるレナーテの街へ向かっていた。




