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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
209/240

王立学問所の恋模様。

王立学問所に正式に生徒として許可され、私の首にぶら下げた木札。

サームさんに貰ったものと、老師様のお使い札とこれで合計三枚。

私が首を振るたびに木札同士がガラガラと音をたてます。

右を向いてガラン、左を向いてガララ、上を向いたら、ガララン。

なんだか私、カウベルを付けた牛になった気分がします。


あ、カウベルで思い出しましたが、この王立学問所、

建物内部の造りがエピさんのいる馬房とよく似ています。

建物内部は奥行が長いカステラ型なのはもちろん、全体的な間取りが似ているのだ。


違いと言えば、一階中央部分のスロープが階段になっているくらいかな。

あとは、馬房が無くて、個別の部屋があるようです。

一つの階に3、4つのドアがある。おそらくそのドアの向こうは教室だろう。

授業をしている先生の声がドア越しに聞こえてくる。


階段から上を見上げると建物の中央、階段天井部分が、

上から下まで吹き抜けになっている。

天井の天窓から太陽の光が真っ直ぐに差し込んで、

白い漆喰壁に反射し、上の壁部分は目に痛いくらい明るい。


その反射光が斜めに入り、更に反射させて下の壁へ返す。

そうして、どんどん光は下へと運ばれ、

明るく大きく穏やかな光の強さで部屋全体を照らしていた。


この仕組みは塔の内部とよく似ている。

小さな窓や明り取りの空間で、

太陽光を効率よく内部に取り入れる仕組みです。

塔で見たときにも思いましたが、これならば晴れの日は、

日の光が届かない場所でも、日中は蝋燭要らずです。

雨の日はさほど役には立たないかもしれませんが、実にエコ建築ですよね。


感心しながら下から上、右から左を見ていたら、

何かが、ちかちか光って動いてました。

何だろうと思って目を細めて光の元を探すと、上の階の廊下を歩いている人が、

いや、その人の頭がちらりと見えました。


ラマエメさんよりも年配で全体的に神経質そうな印象の中年男性が、

急ぎ足で4階の教室のどこかに入っていくのが見えた。

頭に申し訳程度に残った金の髪がふわっと揺れて僅かに光っていたが、

其れよりも広いおでこの光加減の方が強い。


なるほど、さっきのちかちかはおでこが光っていたらしい。

おでこが光るなんて、まるで提灯アンコウのようです。


レナードさん達の頭はつるつるだが、

自らの信念で剃っているためかあそこまで光らない。

もしかしたら彼は毎日おでこを必死で磨いているのかもしれません。


あのアンコウな人も先生なのだろうか。

あれだけ光るなら、蛍よりも光るかもしれない。

アンコウさんが一家に一台じゃなくて、一人いれば夜でも内職し放題ですね。

彼はさぞかし大事に重宝されるに違いない。

だからせっせとおでこを磨いているのでしょう。


エコな建築にエコでお得なアンコウの人。

この学校は本当にエコに優しい環境です。


そんのことを考えながら上をぼうっと見上げていると、

にこにこ笑っているラマエメさんにこっちだよと肩を叩かれました。

序に口も開いているよと言われ、慌ててかぽんと口を閉じました。



さて、今日は簡単な説明と概要をかいつまんで教えるからと言われ、

案内されて入ったのは学問所二階の部屋です。


「今は誰もいないけど、ここが僕の職場というか、教官室です」


教官室というのは、はっきり言えば職員室です。

心に陰りを覚える生徒が入るには、少し愛を勇気が必要なあの部屋です。

一緒に行こうと友人を誘っても、いやちょっとと大抵断られる代表格です。


職員室という言葉で思い出すのは高校生活ですね。

私を含め、一般生徒が入室するのは大概で月に数回ほど。

殆どが成績優秀とかでのお褒めの招待ではなく、

日直とかそういった用事で行く場所でしたから、

高校生活前半には親近感など欠片も持っていませんでした。


後に、私の個人的事情から高校生活後半は大変頻繁に訪れるようになり、

主に卒業するための補習、補講、補習プリント提出とかで、

他の生徒よりもより多く通った覚えがある。

先生達には本当にお世話になりました。

そうして通っていると、親近感というか愛着が沸いてくるものです。


ちょっとした待ち時間にいつの間にか、殺風景な棚の上にお花を飾ってみたり、

掃除のときにはつい窓をぴかぴかに磨いてみたり、

埃が溜まっていた本棚の本の虫干しとばかりに一冊ずつ開いてみたりと、

密かにいろいろと手をかけていました。懐かしいですね。



そんな私がいた公立高校の職員室には、ある特典があった。

職員室に来た者しか見ることが出来ないものである。


その特典とは、窓から見える整然と列をなす裏庭の桜の風景。

ハラハラと風に舞う桜の花びらと葉擦れの優しい香り、

桜の絨毯が織りなす幻想的な景色は誠に圧巻でした。


その桜を職員室から眺めつつ一緒に桜餅を食べたり、

アイスクリームや饅頭やかりんとうなどなど。

ああ、懐かしいですね。


担任の先生は、春の入学式と桜の開花が最も一年で嬉しい時だと言っていた。

まあ、入学式は兎も角、先生達は毎年花見シーズンに、

職員室で盛大な花見をしていたと記憶している。

一年で最も嬉しい日と花見がイコールで繋がった時、

なるほどと私は心の中で納得した気がしたものだ。


高校卒業時には生徒一同でお金を出し合い、お世話になった恩返しにと、

新たなる桜の苗木を寄付したのはいい思い出だ。

そうやってどんどん増えていくのだ桜の木々よ。いいですよねえ。


話は戻るが、兎にも角にも、職員室というものは先生達の憩いの場。

そんな職員室というかラマエメさんの教官室は、

私の知る職員室の様子とはいささか違っていました。


部屋の大きさは20畳くらいだろうか。

やはり、縦長というか奥行がとにかく長い部屋。

そして奥に続く部屋にいく扉が二つ。


明り取り用の窓が壁の高い位置に幾つか開いているが、

外に面しているのではなく、階段側。つまりすべて内窓です。

ですが白い漆喰で受けた光の反射作用で、

日中の今、窓から斜めに太陽光が差し込んで部屋の中は大変明るかった。


部屋にある机は全部で9つ。

外からの光が入る位置をよく考えた配置です。

8つの机は、お互い向かい合うようにではなく、

壁に張り付くように机は壁に向いてます。


右壁に4席、左壁に4席。

部屋全体を囲うように適度な間隔で机が並べられ、

先生達が椅子に座ると背中を向けあうような感じになる。

机の少し上の壁の漆喰に燭台が埋め込まれるようにあり、

そこから灯りを得ている感じだ。


机と机の間には、小さな本棚が置かれ、先生達が必要とする本が並べられ、

衝立の様な役割を果たしていた。


そして、8つの机を見張る様に大きな机が左奥にでんと置かれていた。

重厚そうな木の机に皮張りの椅子は、ひと目でわかる高級家具。

これは上司が座る椅子と言うものですね。


そして、ぽっかり空いた部屋の中央の空間には、

毛並の深い丸い絨毯が敷かれ、色とりどりの沢山のクッションが置いてあった。


おそらくこれがソファセットの代わりということだろう。

小さなちゃぶ台の様な机の上には可愛らしい茶器、温石を入れた火鉢と水差。

中央には三つ足ブロンズの背の高いランプ台。

その横には陶器製の水パイプがあった。 職員の誰かが水タバコを吸うのだろう。


今は日中でランプの光は灯っていないが、

夕刻や夜間にこの場所でランプや燭台の光が灯ると、

ノスタルジックな雰囲気が漂うだろう。


教官室でくつろげと言わんばかりに寝そべってごろごろできる空間です。

これって昼寝し放題ですよ。

仕事部屋にこんなに寛ぎ空間作っていいのでしょうか。


ふかふかペルシャ絨毯に花の刺繍が入った鮮やかな色調のクッション。

全体的に可愛い印象が強い配置に女性の細やかさを感じさせる。


「ここに座って。今から説明をするから」


ふわっと座ったクッションから花の香りが立ち上った。

ポプリとか香水でしょうか。 優しい香りに、癒し効果抜群です。

ラマエメさんを含め、忙しい先生にも心休まる息抜きは必要だものね。

桜が無くても職場環境はいい感じ。福利厚生ばっちりな教官室です。


「ここはね、僕達が息つく場所でもあるけど、

 来客用の小スペースも兼ねているんだ。

 まあ、外国からの来客を迎えるときは、奥の応接室を使うけどね」


指さされた右側の扉が奥の応接室。左側が校長室だそうです。

応接室には諸外国の常識を照らし合わせた、

一応、一般的な応接セットが置かれているらしいです。


以前に外国留学生を迎え入れた時、

床に膝をつく習慣を生徒が受け入れられなくて苦労したから、

その教訓を生かして例外的に、

一部外国の文化を取り入れる形を取っているらしい。


なにしろ、とある国では床に膝をつくのは服従する意志を示すとかで、

文化の違いに授業が進められなかったらしい。


詳しく話を聞いていると、各教室にも机が無いのだと言われた。

授業はグループセッションのような形で進められる為だと。

生徒が円を描くように床に座り、

先生が中央に座るのが一般的な授業風景なのだとか。

そして、話に参加しながら、生徒は小さい黒板やノートを自分でとる。


学校で勉強するのに教室に机がない。


何故と聞いたら、勉強は頭に入れる物で机は必要ないだろうと返された。

ぽろっと目から何かが落ちたような感じです。

明らかに私の中の常識が覆されました。

記憶の中の生徒の落書きだらけの机を思い出したら、確かにそうかもと思う。



マッカラ国の人達は食事をしたり話し合いをしたりするとき、

絨毯をひいた床の上に直接胡坐をかいて座り込む。

それは、会話相手との距離を計る意味合いもあり、

相手の目を見ながら話せ、相手に対し親近感を覚えやすいという利点がある。


教育現場もその利点を踏まえた上で、生徒同士の連帯感を培う意味合いも込めて、

その教育方針を推奨する。


「活発な意見の交換は新しい発見に繋がるんだ。

 自分以外の人の考えを知ることで、考えが融合し新しい着眼点というのか、

 全く新しい考えが生まれてくることがあるのさ」


なるほど。 三人寄れば文殊の知恵って言うからね。

お互いの才能を高めつつ切磋琢磨するとは、こういうことかもしれません。


そうやって、沢山の人を巻き込んだ充実感溢れる教育現場は、

多くの才能ある学者や良識ある知識人を生みだしたらしいです。

マサラティ老師様もその一人だとか。


余談だが、マッカラ学園は諸外国の要望を完全に取り入れた現場だそうです。

東大陸と言うか一般的な学術形式を取っていて、ちゃんと机といすと黒板がある。

でも最終学年の授業は、グループセッション式で、

これをクリアしないと卒業できないのは変わらないのだとか。


うん、聞けば聞くほど大変のような気がする。



本当に日本と違うなあって実感しました。

日本はどちらかというと個人優劣型の教育現場。

教科書を読んで先生が注意事項を話してノートにガリガリ。

あれは確かに詰め込み式で受験というシステムには適応しただろう。


だが今考えると、あれは脳の記憶領域の限界に挑戦するという、

意味合いが強いのかもしれない。

3年という期間にどれだけ覚えられるかという耐久レースに近い。


そんな耐久レースに耐えてきたはずの私の脳は、

かなり戸口が小さいようだ。

同じ受験問題を今解けと言われたら0点を取る自信はある。

受験が終わったら、必要ないという意味で、

あっさりと脳箪笥の奥深くに仕舞い込まれているのだろう。

本当に、私の箪笥は仕舞うのが早すぎですよね。

うん、消えてはないと思いたい。



まあ、頭の出来不出来はあれど、こんな教育現場なら、

受験地獄は無かっただろうなあって、ちょっとだけ遠い目をしてしましました。


異世界とかという括りの段階以前に、

本当に、文化が違うって納得した感じがします。


でも、それはそれ。これはこれです。

違うからこそ、比べることが出来る。

疑問や、不思議だ、興味深いと思うことが出来る。


それはとても楽しいことだと思います。

大学時代に、海外ボランティアに行って、

異文化交流にはまる学生が多いのはそういうことでしょうね。



床に座って食事や会話。

イルベリー国では眉を顰める行為だが、

これはこれでこの国独自の文化を体験するということの重要な要素だろう。

この教官室はマッカラ王国文化の縮図と思えば、

生徒として受け入れるのが自然に思えた。





「ここには常勤の先生が5人と教頭、非常勤が2人働いているんだよ。

 校長先生と事務員1人もいれて10人。後は顧問官が3人だけど、

 まあ、彼等はめったにここに来ないかな。

 昔はもっと沢山居たけど、マッカラ学園の方が有名になってきたし、

 国が安定してきて、裕福な中流層が増えてきて、こちらの生徒が減ったんだ。

 もともとこの学校は学校に通えない貧乏な住民に学問を授ける為の学校。

 王宮や国からの救済の義務という意味合いが強い。

 だから、それなりの階層の決まった人数しか毎年入学生を入れてないんだ。

 そういった意味で、先生も生徒の数も今はさほど多くないよ」


入学規制ですか。

私、入っていいのかしら?


「以前に入学した生徒の何人かが、体調不良や自己都合で辞めていて、

 今は枠が幾つか開いているんだ。 君は幸運だよ」


確かにそうですね。


ラマエメさんは、私に簡単な読み書きの基礎知識はあるのかとか尋ね、

私が首を振ると、薄い冊子の絵が沢山ついた本を貸してくれました。


「これで先ずは文字の勉強だね。

 黒板を持ってないなら、砂地とか泥に水を張って練習するといい」


この国でも紙は高級品。無駄打ち落書きに使う用途では、

まずもって貧乏人には使えない。

老師様の部屋では溢れるくらいに見ていましたが、

やはりそこそこお高い物なのだそうです。

だから、生徒は小さな黒板を使うか、

箱に砂を張って字を描く練習をするのだそうです。


なるほど、そういえば書庫に小さ目な黒板で、

埃をかぶっていた使われてないのがありましたね。

あれを使えるようにかえって老師様にお願いしてみましょう。


それから、これがあると便利だよと渡されたのが発語表。

A4サイズくらいの丸まった羊皮紙です。

発音と文字を重ねあわせた俗にいう『あいうえお表』です。

簡単な使い方を教えてもらいました。


日本語のいろは表やアルファベット表よりも、

基本系と言われる文字の数が多いが、

この国の言語を学ぶ上で、使い勝手が良さそうです。


これで、絵本が読めるようになるかも。 楽しみですね。


他に学校の教育システムや教科書の種類、必要な文具についてなどなど、

詳しい学校生活を送るためのあれやこれを、

息継く暇なくラマエメさんが教えてくれます。


「学校は、仕事が終わった後でもいいし、早朝も可能だよ。

 僕は基本、夜と週末の授業を受け持っているんだ。

 早朝と平日の昼間の授業は他の先生達が受け持っている。

 それから、二回目の授業以降は宿題が出るから、きちんとやってくるように。

 授業を受ける最低条件だから、宿題は絶対に忘れないように」


なんと、夜間学校だけでなく早朝学校も。

本当にこの学校は至れり尽くせり。

貧乏人や労働者にはとかく優しい学校です。


しかし、宿題かあ。

メイド仕事して夜寝る前とか、早朝とかに出来るだろうか。


読み書きは出来ないとやはり大変不便だから覚えたい。

食材市場の本日のお買い得情報の黒板も読めないもの。


一応老師様の食卓を預かる身になるわけですから、

その時一番の素材とか旬のお買い得情報を逃したくないです。

旬の物は美味しいですものね。


それに、片付け作業にも支障があるのです。

本棚の本も書庫の本も図書館の様に番号を振っているわけではないので、

読めないとどこに何を並べたらいいのか解らない。


だから今は、掃除後には、本を積み重ねてワゴンに放置。

後に暇になったカナンさんの手を煩わせている状態だ。

カナンさんも疲れているのに、本当に申し訳ない。


カナンさんは、僕に頼って下さいと優しい笑顔で、

そっと手を取って言ってくれるが、

いつまでもその状態に甘えていたら、

カナンさんの仕事を妨害する羽目になるかもしれない。


駄目だよね。うん、駄目に決まっている。

優しい雇用主と協力者に甘えていたら、いつか後悔する羽目になる。

よし、ここはしっかり宿題をして覚えていこう。


先ず、目標はこの絵本を読めるようになることだ。


渡された本は明らかに5歳以下の子供が読むであろう絵本。

象のような大きな動物と男の子の絵が描いてある。

ページ数は20枚前後。大きな文字にカラフルな絵柄。

最後のページには少年の楽しそうな笑顔。

ハッピーエンドかな、楽しみです。


楽しく学べてしっかり覚えて、一気に能力5歳まで頑張ります。

人間成せばなるものだ。 頑張って脳を絞れば、何とかなる筈。


多分、きっと、ええおそらく。


それに、5歳の子供に読めて私がいつまでも読めないなんて、

大学まで卒業してる私が、異世界異文化とはいえ、

幾らなんでもちょっと情けないでしょう。

イルベリー国の言葉だって、カースの鬼の特訓で何とかなったのです。

出来ないと言ってしまえば、カースのお説教が聞こえてきそうです。


よし、頑張ろう。

発語表と照らし合わせてじっと眺めていれば、多分なんとかなる筈です。

想像力を働かせれば、絵からも推測できるかもしれません。


私は、出来れば週末の仕事がない日に授業に来るようにしたい、

と言ったら、ラマエメさんが解ったと頷いてくれた。


「学費ならさっきも言ったけど、さほど心配しなくていいよ。

 この学校はちゃんと申請をすれば、教科書も文具も全部貸出可能なんだ。

 多少お金に余裕がない状態でも学校に来さえすれば、ちゃんと授業を受けられる」


なるほど。

教科書も教材も全て貸し出してくれる。

至れり尽くせりだ。


もともと学校に入って勉強するって考えが無かっただけに、

ここに来れてなんだか得した気がする。


仕事序に勉強もできる。

なんだか、とっても好都合ではないですか。

ラマエメさんの言うとおり、私は本当に幸運です。


「申請は僕の方でしておくよ。それでいいかな?

 君は働いているみたいだから、雇用主からも了承のサインが必要だよ。

 あとで書類にサインだけしてくれればいいようにしておくから、

 しっかり雇用主に頼んで置くように。いいね」


確かにそうですね。

住んでいる住所や雇用主の承諾が必要と言うのもわかる。

仕事をおろそかにしない事を前提に雇用主にも労働者が勉学の意志を伝えるのは、

双方にとっても効率的なことだろう。


「もし駄目だって言われても、諦めないでいいから。

 僕か校長先生が一緒に頼んであげることもできるし、

 僕の経験から言うと、将来長い目で見れば、労働者に基礎知識がつくのは、

 雇用主にとって悪い話ではないから、ほとんどの雇用主はちゃんと了承するよ。

 たから大丈夫。心配しないで。

 あ、君の名前の綴りの勉強はしっかりしておいてね。書類に必要だから」


あ、そうでした。

まずは、自分の名前が書けないと駄目ですよね。


メイ・ファーガスランドルって書けないとって、あれ?

私マールになっちゃったんだっけ?


老師様のお使い木札に描かれている私の名前はマール。

ルカさんが木札を見ながら教えてくれました。


後の二つは簡易許可書なので名前が入っていない。


サインって、私の名前どっちを書けばいいんだろう。

老師様の札にはしっかりマールって記載が入っている。

お蔭で塔の人達は私をマールって呼びます。


メイって書いたら名前が違うって、

書類不備で申請書は許可が下りないかもしれない。

お役所仕事ですから、書類不備は困ったことになりそうです。

ちょっと悩むところですね。


私がむむむと悩んでいたら、今まで誰もいなかった教員室に、

唐突に二人の女性が入ってきました。


一人はぽっちゃりした体躯に笑顔の優しそうな女性。

跳ねたくせ毛の濃茶の髪が肩の下で二つに括られ揺れていた。

彼女は、ほほほっと笑いながらもう一人の女性の頬を指で突いている。


もう一人は、大きな目に小さな鼻の小さな子供の様な顔をした、

私よりも少し高いくらいの身長の可愛い系の女性です。

おかっぱ頭のオレンジ色の髪がつやつやと天使の輪の様に輝いている。

こちらは頬を膨らませて怒ったように口を尖らしている。


女性同士の話に花が咲いたということなのか、

ぽっちゃり女性がほほほっと朗らかな笑い声を響かせて、

軽やかに部屋に入ってきた。


ラマエメさんが、咄嗟に私の肩を叩きました。

何故?


「か、か、か、か」


か?化?蚊?


ラマエメさんは、こっそり耳打ちするように私に『か』を連呼しました。

蚊が飛んでいるとかでしょうか。


振り返るとラマエメさんが耳と頬を真っ赤にしながら耳打ちしてきた。

息が止まっているのではないでしょうか。大変苦しそうです。


「か、か、か、彼女なんだ。 さっき、僕が言ったのは」


彼女?ラマエメさんが言った?

何のことでしょう?


首を傾げていると、小さな声が怒る様に耳打ちしました。


「君にさっき頼んだじゃないか。君に見極めを頼みたいって」


見極め?

あ、そういえば、ラマエメさんが結婚したい彼女がその気があるか、

教えてほしいって確かに言われましたね。


「どちらの女性ですか?」


間違えないようにちゃんと聞いておきます。


「笑い顔が素敵な女性のほうだよ」


うーん、実に主観的意見です。

今は一人だけが笑っているけど、

二人ともが笑っていたらこの意見どうなんでしょう。


ですが、なるほど。

笑顔が綺麗な朗らかほっこりタイプですね。

確認の意味も込めてくせ毛の方ですかと聞くと、ラマエメさんがしっかり頷いた。


そうこうしていたら、女性達がこちらにやってきて、私達に声を掛けてきた。


「あら、ラマエメ先生、今日はどうされたのですか?

 本日の貴方の受け持ちの授業は夕刻からですよね」


「はい。その。 ああ、そう、この子を案内してきたんだよ。

 街で偶然会って、その、えっと」


聊か挙動不審な言動なりに、ちゃんと私のことを覚えていたらしい。

だが、ラマエメさんの私に対する説明は明らかに不十分だ。


ほっこり女性が、私と目線を合わせる様に屈んだ。

柔らかな焦げ茶の瞳が優しそうに細められた。

うん、確かに美人ではないが、ほっとするような笑顔だ。


「こんにちは、貴方は外国人ね。マッカラ王立学問所にどんなご用事かしら?」 

 

ほっこりさんの声は耳触りのいい素敵なアルトの声。

包み込むような慈愛に溢れた笑顔に暖かな雰囲気。

これが素なら、彼女を嫁にするにはかなり競争率が高いかもしれない。


「ジュ、ジュディスさん。 

 ええっと、この子は3日前にこの国に来たばかりらしいんです。

 そ、それで、ええっと、そう、勉強したいと、

 熱心にこの学園の門を叩いたので、私が迎え入れました」


うん?

結果としてはあっているようだが、違うような違わないような。


「まあ、流石ラマエメ先生ですわ。 

 王立学問所にようこそ。歓迎いたしますわ。

 私はジュディスよ。ここでは、総合文学と音楽を教えているわ。

 最終学歴専攻は歴史司書。

 算術、砲術、政治学以外ならあらかた教えられるわよ」


ほう、アルトの綺麗な発音が流れるようで大変解りやすい。

年齢はおそらくラマエメさんよりちょっと若いくらいだろうか。

私の頭を撫でる仕草が母親っぽいです。


よい母親にしてよい先生って感じですね。


ジュディスさんの影に隠れるようにして立っていた、

オレンジの髪の女性が前に進み出てきた。


「始めましてえ。 ようこそ王立学問所へ。

 私はノーランディアよう。 ノーラ先生って呼んでね。

 えっとお、総合科学と薬草学を教えていますう。

 私の最終学歴専攻は薬師調合法師。

 専攻以外は、歴史学、政治学、国務論ぐらいなら多分なんとかね。

 あと、算術、文学、音楽は私には無理ですう」


可愛らしい女性が、間延びした甘えた感じで話す。

こちらは、若い女性。おそらく20前後だろう。

甘えた話し方や世慣れない口調を聞いているだけでも舌ったらずで、

アニメのキャラクターを想像してしまいそうな声だ。


ちょっと甲高いけど、こちらもよく聞くと解りやすい発音だ。

おそらくいい先生なのでしょう。


二人の女性教師は少し年の開きはあるように見えるが、

ラマエメさんとそれなりに仲が良い同僚なのだろう。

雰囲気に角が無い。


そして、ラマエメさんが惚れても仕方ないと思えるくらい、

対応が柔らかく丁寧で、どちらも大変魅力的な女性だ。


でも言っていいかな。

私、難しい単語が多すぎて、

先程の挨拶はさっぱり何を言っているのか解りませんでした。


解ったのは名前の部分だけですね。

おそらくこれは自己紹介。

私は、ちゃんとお辞儀をしながら自己紹介をしました。


「ご丁寧にどうも有難うございます。

 私はメイです。 雇用主にはマールと呼ばれています。

 ジュディス先生、ノーラ先生、こちらこそよろしくお願いいたします」


三人揃って首を傾げた。


「メイなのにマール?」


「はい。百人目と言う意味だそうです」


「なにそれえ? 人を馬鹿にしてるわあ」

「聞いてもいいかしら? 雇用主は誰なの?」


ノーラさんとジュディスさんの言葉に、私は頷いて答えた。

私が老師様のところの使用人なのはおそらくこの町の大勢の人間が知っている。

多分、問題はないはずだ。


「マサラティ老師様の研究室で使用人として働いています。

 私は百人目だそうです」


「「「えええええ?」」」


3人揃って驚きの声を上げられました。

そんなに驚く様な事でしょうか。


その後3人で話し合った結果、私の名前はマールに統一されました。

申請書類にもマールという名で明記するらしいです。何故?


それは彼等の敬愛する老師様が決めた呼び名だからだそうです。

さっき、馬鹿にしてるわと怒ってくれたのはなんだったのでしょうか。


「あのマサラティ老師様が意味のないことなどなさるはずがないよ」

「そうね。多分、老師様にも思うところがある筈よ」

「思い出深い名前を付けたかったのかもしれないわよお」


いや、それはないような気がしますが、否定することが出来ません。

なにしろ、三人共きらきらの目で老師様の事を語るのです。


老師様、こんな先生達にもモテモテです。

私のメイという名前がどんどんマールに押されてます。


マール(百)


なんとなく、自分の手の平をじっと見つめてしまいました。



******



三人の教師たちが嬉々として語る、

マサラティ老師の武勇伝の様な憧れ満載の話を聞いたのち、

今の弟子のカナンさんやルカさんのことも聞きました。


カナンさんは隣りの国のラドーラ出身でマッカラ学園の優等生。

その優秀さを買われて老師の所で助手になり、

今ではこの国の政治にもかかわる役職にあるらしい。

実は、偉い人だったんですね、カナンさん。

唯の方向音痴な細目の学者ではなかったようです。


ルカさんはこの王立学問所の卒業生だそうです。

ルカさんは、隣りの孤児院出身で、今一番の若手の注目格。

彼の砂漠の動植物に関する研究はこの国でも随一だそうです。

序にこの学問所の非常勤講師も務めているとか。


そんな有名なルカさんは、大変フットワークが軽いらしく、

年の半分は研究の為、砂漠をうろうろしているので、

優秀なのに非常勤講師にしかできないらしい。


学者としても先生としても真面目で優秀だと言われると、

いままで見てきた姿からは、なんだか想像が出来ません。

真面目に話している姿を見たことが無いからかもしれません。


それにしてもマサラティ老師様も含め、

学者って実は変人の集まりだと言われるのが解せない実績ではないですか。


それだけの武勇伝でしたよ。


あ、馬鹿な実験も笑い話で聞きました。

老師様に憧れた学者たちが、

おならが燃えるかどうかというアホな実験の為に、

小煩い人のお尻に火をつけたらしい。


結果、お尻が火傷して、消えない蒙古斑になったとか。

かちかち山の狸みたいですね。


あ、私の本題のサイラスさんのことについても聞きましたよ。

さっきまですっかり忘れていましたが、ラマエメさんの聞きたいことは他にある?

の一言で思い出しました。


アマーリエのお探しのサイラスさんについてです。 

でも、芳しくない答えしか返ってこなかった。


年のころ20歳前後のサイラスさんという人は職員には居ないし、

聞いたことも見たこともないそうです。

常勤の男性の一番の若手がラマエメだそうです。


ラマエメとサイラス。違いますね。

名前は間違えようがないですよね。

年齢もラマエメさんは30過ぎている。

ペラペラと身の上話を話している間に何度も言ってたからね。

数年前から、母親が自分の顔を見るなり開口一番に、

30過ぎなのにまだ独身って毎晩呟くので辛いと。


アマーリエが探しているサイラスさんの条件に、

なにひとつあってません。


「まあ、今度来る時までに卒業生名簿を探しておくよ。

 君に見せるわけにはいかないから、僕が調べて話す形でいいかな?」


もちろん頷きます。

アマーリエは老師様には頼るなと言ったが、

ラマエメさんを頼るなとは言ってないですからね。大丈夫のはずです。


ですが、ラマエメさんの記憶では、

サイラスという生徒も居たことが無いらしいです。



ラマエメさんは10年以上この学問所で働いていて、

入学した生徒の顔と名前は全部覚えているそうです。

凄いです。先生の鏡ですね。


アマーリエには、もう少し待ってもらおう。

鋭意努力中ですと、しっかり言っておけば、何とかなるはずだ。多分。


なるといいな。



手続き等の話も終わったし時間も押しているようなので、

私は暇を告げて帰る為に立ち上がりました。


何日かかけてジュディスさんの様子を探ることにしますと、

とりあえずラマエメさんに言ったら、

それでいいって涙目でお願いされました。


本当に切実なんですね。







で、一人急いで帰る筈の王立学問所からの帰り道。

何故か私は女性二人に囲まれて、

両手に花状態で広場まで青のステラッドに乗ることになりました。


ラマエメさんはお留守番です。

半強制的に、いつの間にか私は女性教師二人に、

両脇を抱えられるようにして外に連れ出されてました。


青のステラッドは待つこともなくすぐにやってきました。

丁度来る時間だったようです。


大きな二両編成の馬車を足して二で割った感じの幌付きの大型トロッコです。

運転手は前と後ろに二人。

赤の制服を着ていて、青地のステラッドに赤の制服がとても目立ちます。


ビックリしたのは、青のステラッドは乗る人がいても止まりません。


人が歩くよりもちょっと早いスピードなので、

乗客はステラッドの入口脇の棒を掴んで、そのままかけ乗る感じです。


慣れと習慣もあるのか、お年寄りの乗客も足をつまずかせることなく、

ひょいと簡単に飛び乗る。器用ですね。


「ほら、ボウッとしてると置いてけぼりになるわよ」


ジュディス先生に言われて私も慌てて飛び乗りました。

未だ込み合う時間帯には早いらしく人はそこまで乗ってなかった。


中は座れるように木でできた長椅子が1つ。

ステラッドの中央部に縦にでんと備え付けられている。

そして長椅子を囲むように、幌の梁の部分から紐が沢山ぶら下がっている。

これがつり革の役目をしているらしい。


私達はつり革につかまる様に立ち、奥に詰めました。

そうしたら、小声でノーラ先生とジュディス先生が話しかけてきました。


「ねえ、マール、貴方があの噂のう、いいえあのう、そうじゃなくてえ、

 いえ、いいわ。気にしないでえ。」


「ノーラ、そこでなんで言いよどむのよ。

 マール、時間が無いから率直に聞くけど、いいかな、いいよね」


噂?


ノーラ先生はもじもじしてるし、ジュディス先生は私の肩を掴んで揺さぶった。


「な、な、なん、で、しょう、か?」


この国の人って揺さぶるの好きですよね。

頭がぐらぐらするので、あまり歓迎したくない習慣です。


「あのね、貴方を見込んで質問があるの。 

 シュエロファルディーナの貴方なら解るわよね。

 ノーラみたいなタイプって、彼が好きなタイプかしら?

 彼って、広く浅く皆同じような付き合いだから掴みどころがないのよね」


「彼?」


「ラマエメ先生よ」


「ああああ、わーわーわー、なんでえ、そんなにい、はっきりい、

 言っちゃうのよう、ジュディスの馬鹿あ」


「大人しくなさい、ノーラ。他の乗客に迷惑でしょう」


ばたばた暴れるノーラ先生の口をふさぎながらジュディス先生はにっこり笑った。


「あのね、この子は昔、この学校でラマエメの生徒だったの。

 その時からずっと彼を好きなのよ」


ええ?


「彼の傍に居たくて一生懸命に勉強してこの王立学問所に入ったのに、

 うじうじしちゃって、まともに話が出来るのは一日に数回程度。

 やっと話せたと思ったら、意識しちゃって目を逸らしちゃうし。

 見ているこっちがイライラしちゃうの。

 だからここで、すぱっとはっきりさせるのがいいと思うのよ」


「もが、もがが、もががう、もが」


なにかノーラ先生が言っているがジュディス先生がそれを更に抑え込む。

ジュディス先生、随分力強いですね。


なるほど。


「ラマエメ先生の好きなタイプですか?」

 

ここでジュディスさんというと二人の友情に亀裂が入るだろう。

だが、ラマエメさんにとっては悪くない、

ずっと好きだったと言うなら彼をよく知っているだろうし、

おしゃべりでも薄給でも気にしないだろう。 うん、いい話だ。


それにしても、こっちでも恋愛相談ですか。

どうしてでしょう。

それに、ここでもシュエロファルディーナって言われました。

なんて意味でしょう。解りませんね。


今日は、なんだか恋愛相談ばかりにぶちあたります。

私の顔に恋愛相談承り中とか書いてあるのでしょうか。


ため息をつきたいですが、彼等の真剣な顔にそれもできません。


ラマエメさんのジュディスさんへの恋心がどの程度かはわからないが、

一般的に熱烈に恋をしていない限りは、早い者勝ちという戦法が有効である。


ちょっといいなぐらいの淡い恋心なら上書きは可能だ。


それにジュディス先生には、ラマエメさんに対する恋心は見て取れない。

ノーラ先生を全体的に応援している感じがする。

だが、それを第一印象だけで決めていいのか解らないので少し尋ねてみた。


「私も質問していいですか?」


「え? ああ、そうね、いいわよ」


「ジュディス先生の好みの男性はどんなタイプでしょう」


「え? 私? 何で?」


「何も考えずに、率直に答えてください」


私はじっと間髪を入れずに目を見つめて質問した。

答えたのは、半分口をふさがれているたノーラ先生だ。

手を押しのけて嬉しそうに身を乗り出して話し始めた。


「ジュディスはぁ、幼馴染の彼ぐぁ、ごもごも」


しかし、ジュディス先生がノーラ先生の口をいち早く捕える事に成功した。

ジュディス先生は、咄嗟にノーラ先生の口を押えていた手に力を入れ、

更に抑え込みながらも、驚きに目を瞬かせて口に出し始める。


「私の好みの人は、逞しくて笑うと目じりに皺が出来る素敵な人で、

 家族思いで優しくって私が困っているとすぐに手伝ってくれて、

 年下なのに、頼りがいがあって男らしくって、

 ぽんぽんと背中を叩かれると嬉しくっていいなあって思う人で……

 あれ? わ、私何言っちゃってんの。やだもう。

 あのその、今のはそう、一般的な意見で」


なるほど。意中の人が確実にいると解る回答だ。



「わ、私のことは今はどうでもいいの。

 彼は私を好きだって言ってくれたし、何とかなりそうなんだから。

 うん。 大丈夫ったら、大丈夫よ。

 今は、そう今は、ノーラの事を聞いてるのよ。 そうよ。

 ノーラが彼を手に入れる為にはどうしたらいいのか教えて頂戴!」


ノーラ先生の手が空中で泳ぎ、ぴくぴくと苦しそうに痙攣してます。

ジュディス先生、鼻まで抑えてませんか?




それはともかく、わかりました。

ここまで別の男性の影があるなら、横恋慕という可能性は無い。


そうかあ、ノーラ先生の片思い。

なにが僕はモテないなのよ。

ちゃんと居るじゃない、ラマエメさん。


その後、ノーラ先生の言う事には、

先生として一緒の職場にいても、ずっと生徒としか見てもらえず、

明らかに恋愛対象外にされているらしい。


近すぎて見えてないってとこかな。

それとも歳の差を気にしているのだろうか。


気のない男性を振り向かせるには、どうすればよかったんだっけ?

あの時、先輩はなんていった?


片想いに悩む後輩相手に、確かいろいろアドバイスしていたはず。

何度か定食と引き換えに良いアドバイスをもらって、彼氏ゲットした後輩は、

今は無事に一児の母。


ノーラさんはやっとジュディスさんの手のひらの呪縛が解けたようで、

大きく肩を揺らして深呼吸していた。

さっきは打ち上げられた魚の様に、今にも死にそうでした。

 


えーと、えーと、A定食は魚フライじゃなくて、から揚げ。

あ、そうだ、思い出した。


「ノーラ先生は、料理は得意ですか?」


「「は?」」


本日、王立学問所に行く道すがら、ラマエメさんの話を長々と聞いていたおかげで、

ラマエメさんの大抵の事はなんとなくだが解っている。


彼は両親と弟の家族と一緒に暮らしているが、

弟の嫁にいろいろ気恥ずかしくて、最近日課だった甘い物に餓えているらしい。


しかし、薄給なのであまり買えないと言っていた。

つまり、甘い物なら釣れる可能性がある。

誰だって好物を前にして嫌な顔が出来る筈がないのだ。


あの時、先輩は確かこう言っていた。


『男を手に入れる一番確実な方法は、胃袋を手に入れることだ』と。


「ラマエメ先生は甘党ですから、甘い手作りのお菓子を用意することが、

 一番の近道です」


「えーでもう、いきなり手作りってえ、退かれない?」

「そうよね。 ほら、手作りって、重いっていうじゃない」


そうですね。知らない相手からの手作りは確かに重いです。

お返しとか面倒だし受け取りたくないのは当たりまえだと思う。


ですが、昔から知った相手で気心しれた相手なら成功率は高いと、

あの時先輩は、から揚げを高々と挙げながら言いきっていた。


「いえ。 ラマエメさんには有効です。

 それに、気が知れた相手だからこそ、好意を正面から見せる必要があるのです。

 お菓子は彼の好みを反映させたものを用意してください。できれば毎日。

 顔を見た時に手渡しでにっこりが基本です」


「そ、そんなあ、手渡しだなんてえ、無理ですう」


ノーラ先生の顔が真っ赤になっている。

目の前でラマエメさんに見つめられると、

心臓がどきどきして息が出来なるそうです。


そ、そこまで好きなんですね。



「無理ならノーラさんの名前を書いた可愛いカードを添えて机の上に」


それならと、ノーラ先生はほっと肩の力を抜いた。

ノーラ先生は実に可愛い女性だ。


『可愛い女性に手作りお菓子を好意全開で渡されたら、

普通の独身男性ならくらくらよろめくのは間違いない』


と先輩は言っていた。

序によろめかないのはゲイとオカマだけだとも。


だから、世に知れたバレンタインデーの告白は成功率が高いのだと。

可愛い子限定でだがと最後に叫んで、食堂で味噌汁を頭からかけられた。


「そ、それならあ、出来るかも」

「ノーラ、頑張りましょう。私も手伝うわ」


あ、それは駄目。


「いえ、ジュディス先生は手伝わないでください」


先輩は言うには、『告白するのに人の手を借りるな』と言ったと思う。

男性は意外にそれを気にするらしい。


「え?」


大勢の友人が応援という名のプレッシャーをかけるのは、

告白される男性にとって、気持ちいいことではない。

だから、一人でしろと言ったと思う。


「本当にノーラさんを応援するなら、手は出さないでください。

 ノーラさんがラマエメさんを好きな気持ちが解るよう心を込めて作るんです。

 他の人を想っている人が作ると威力が半減します」


先輩の言うことももっともだが、私が考えたのはラマエメさんの事。

後で、ジュディスさんに手伝ってもらったとラマエメさんに知れたら、

今現在ジュディスさんに恋心を抱いているラマエメさんを、

酷く傷つけるかもしれない。


いや、確実に傷つくだろう。


味噌汁を被った先輩曰く、男は傷つきやすい繊細な生き物だとのこと。

先輩を見ていると賛同していいのか否定したいのか、悩み処でした。

 

「うん、そうね。 私、頑張るわあ」 

「わかったわ。 私は手出しは一切しないわ」


頑張る女性と言うものはいいものだ。

特に、恋をしている女性は可愛い。


何を作ろうかノーラ先生は真剣に考えている。

今からお菓子の本を探して書架通りを歩くらしい。


ジュディス先生も、穴党でない幼馴染の彼に何か料理を作ってあげようと、

一緒に書架通りをめぐる予定にしたらしい。


どきどきわくわくしながら、毎日相手のことを思って作る手料理。

それらは告白するのに勇気を与えてくれるはずだ。


私もいつかレヴィ船長に告白できる日が来るかしら。

その時は、そうだな。

先輩が言う様に私もレヴィ船長の大好物を用意して、

胃袋ががっちりつかんだ上で告白がいいかもしれない。


目の前に私の出来る最高のご馳走を用意して、

『食べたいのはご飯、それとも、私?』をやってみたい気もするが、

私はまた、料理の腕も未熟、淑女には程遠い野生のエルザ。

まだまだハードルは高い。


どちらもいらないなんて言われたら、立ち直れない。

想像したら泣きたくなってきた。


『せめて、せめて、ご飯だけでも』と縋る私の姿が脳裏に浮かぶ。

優しいレヴィ船長だから、不味くても食べてくれるかもしれないが、

そうすると胃袋を掴め作戦は大失敗に終わるだろう。


レヴィ船長の好物はレナードさんのご飯だって以前に聞いた。

あの船のコックで、イルベリー国一番と言われるレナードさんのごはん。


見ただけでも涎が止まらない匂い立つような美味しい料理。

一口、口に含んだだけで頭に蝶が舞いそうな幸福感。

思い出しただけでも、唾が口内に溜まっていく。


レナードさんのご飯には、私は一生勝てる気がしない。 

それどころか簡単レシピですら、何一つ勝てる料理はない。

ハードルが、ハードルが高すぎる。


いやまて、レナードさん弟子になって修行すれば、一品くらいは……。

あ、でも、こけしは嫌。


くぅ、どうしたらいいだろう。


考えていたら、いつの間にか中央広場についた。

中央広場の時計塔を見上げると、夕刻の鐘が鳴るまであと半刻。


大変です。

早く帰らないと夕食の支度が間に合いません。


ぱしっと頬を叩いて頭を切り替えます。


とりあえず、未来不確定の私事は、今は棚上げすることにしました。

食事が遅れて怒られたら、私は一気に無一文のまま首。

それだけは、首だけは避けたいです。


私は塔や王宮方面の青のステラッドには乗らず、

そのまま書架通りを駆け足で走り抜けました。


昨日も思いましたけど坂道を走るのは、肺活量を鍛えられそうです。

ぜはぜはと息を切らしながらも、夕刻の鐘が鳴る前に無事塔について、

慌てて洗濯物を畳み、それをもって塔の昇降機で登って部屋に帰りました。


「遅い!何をしておったのだ!

 本を取りに行って買い物をしてくるだけに何時間かかっておるのだ!」


開口一番、老師様の怒声が響きました。

老師様は部屋の中央で仁王立ちして、湯気を出して怒っている。

雷の一つや二つ、びしばし落ちていそうだ。


確かに、4時間以上経過している。

普通に考えても遅すぎる帰宅時間だ。


カナンさんにも大変心配を掛けたようです。

老師様の怒声から庇うように耳と顔がふさがれました。

それは、抱きつくような、いや、抱え込む様な感じです。

何事って思ってびっくりしていたら、耳の傍でよかったっと小さな呟きが聞こえました。

大きな安堵のため息に、本当に心配かけたのだと思いました。


「老師様、カナンさん、ルカさん、ご心配をおかけして申し訳ありません」


「迷子になったか何かに巻き込まれたのではないかと心配しました。

 夕の鐘が鳴って帰らないようなら探しに行こうと考えていたのです」


カナンさんの言葉に、それは二次災害を招くのではとはもちろん言いません。

泣きそうな顔を見たら、本当にとても心配させてしまった事がよくわかります。


なんだかカナンさんって心配性な弟って感じですよね。

年は私よりずっと上なのに、頭を撫でたくなる気がします。


ずっと黙っていたルカさんも困ったように笑いながら、

唯一空いていた私の左手を取った。


手が冷たい。

ルカさんにも、凄く心配をかけたんだ。

本当に申し訳ないです。


「マールちゃん、本当に無事でよかった。

 何があったのか、あとでしっかり聞かせてね」


ルカさんは優しく私の手を取って握りしめます。

私は体温を分け与える様に両手でルカさんの手を包みました。


ルカさんの手は、手袋で覆われていたけど、

骨っぽいほっそりした手でした。


「はい。それでは夕食の時にお話しします」


私は頷いて、猛然と夕食を作り始めたのです。


「ふん。 ワシは、お前の心配などしていなかったがな。

 心配だったのは本の行方だ。

 さっさと本をよこせ。そして、夕飯の準備をしろ。

 今日はカナンとルカも一緒に夕食をここでとる。

 心配をかけたのだから、昨日よりももっと旨い物を用意しろ」


「はい。早速取り掛かります」


もちろんです。4人分ですね。

急いで準備しますよ。


夕食に作る予定のきしめんもどきの生地は出来ているので、

後は茹でて、考えていたニンニク風味のソースと絡めるだけ。


4人前となると足らないだろうから、

明日の朝用に作っておいたパンの生地も序に焼いてしまいましょう。


市場で買ってきた肉を下味つけてたっぷりのゴマのペーストと蜂蜜を付けて、

フライパンでカリカリに焼いて、添え付けの野菜は甘く煮付けてお肉の横に。

今朝から肉の骨を漬け込んでだしを取っていた鍋から骨を取り出して、

刻んだ野菜と香辛料を入れてスープに。


鳥三羽分の肉と、鍋一杯のパスタ。

小鍋ひたひたの野菜スープと山盛のコーンパンは綺麗に完食でした。

三人共細いのに、どこにそこまでの量が入るのか。


しかし、二人からは大絶賛のお声を頂きました。

「凄く美味しいです。毎日食べたいくらいに」

「初めて食べる味付けだけど、本当に美味しいよ。お嫁に来ない?」


二人ともお世辞が上手です。

お世辞と解っていても嬉しいですよね。


「やらん!」「なら僕も邪魔する」「何でだ!」「したいから!」

二人は本当に仲良しです。兄弟げんかみたいですね。



老師様からは、苦々しげに「まあ、食べれる」と。

なんとか合格点のようです。おかわり三回されました。


食事中に、簡単だが王立学問所のラマエメさんに会って、

文字の読み書きを習得する為に、学校に通うことを勧められたと言ったら、

老師様は、ふんっと言っただけでしたが、特に反対はされませんでした。


これは、いいよという意味でしょうか。


食べ終えて部屋に帰る前に、明日の朝食についてもおっしゃいました。

「明日の朝食は、甘い卵パンを作れ」


先日のパンプディングが気に入られたようです。

シナモンもどきも手に入れたので、シナモンロールっぽいのもいいよね。


明日はそれをつくろうと思います。




*********** 



女性陣が一斉に居なくなって、残ったのはラマエメ一人。

不意に部屋が何時もよりも広く見えた。

開けた空間が寂しく、なんだか一気に孤独感が襲ってくる。


ラマエメは、はあっと大きなため息をついた。

ため息の音すら大きく聞こえる。


「なんだか、騒がしいのが一気に居なくなると、

 こう、侘しいものがあるよね」


誰も聞いていないと解っていながら、つい寂しさにかまけて独り言を呟く。


今日は本当にいろいろあった。

朝から、急な仕事で呼び出され、押し付けられた仕事を片付けた後、

気分転換も兼ねて書架市場にまで足を延ばした。


その結果として出会った女の子、マール。

年の割にかっちりした物言いで話す子供だとは思ったが、

まさか彼の最も敬愛する老師様の使用人とは思わなかった。


しっかりとした礼儀作法は素晴らしい。

さすがマサラティ老師様の使用人だ。


ラマエメのくだらない話を最後までちゃんと聞いてくれる優しい子だ。

きちんと受け答えも出来るし、彼の恋愛相談まで乗ってくれた。

おそらくちゃんとした教育を受けてきた育ちの良い子女だろう。


きちんとした家柄の娘が使用人に落ちるにはそれ相応の理由があるはずだ。

だから、あえて彼女から口に出すまではラマエメは聞かないでおこうと思った。


ラマエメとしては、マールにいろいろ頼んでみたものの、

実の所、ジュディスは彼のことをただの同僚としか見ていないことを解っていた。

それどころか、生徒達の噂で、

ジュディスに結婚を言い交わした相手が居るらしいと聞いた。


それでもつい、彼女の笑顔を見る度にトキメク心を無下にしたくなく、

噂を信じたくなくて、幸せを夢見ることを諦めたくなくて、

足掻いた結果がマールにそれとなく様子を探ってもらう事だった。


大の大人が小さな子供に頼って、何をやっているんだか。


そんな風に自嘲するが、勝手に描いた淡い恋心に過ぎない自分の心を、

誰にも知れずなかったことにするのは余りにも切ない。


ラマエメと同じ年の友人は全て結婚している。

弟も嫁を迎えた。

親は、お前もそろそろと、ここ数年ずっと愚痴をこぼす。


正直、ラマエメは焦っていた。

だが、誰でもいいからと言うわけではない。

どうせなら、心から好きだと思える人と縁を結びたいと思ってしまうのだ。


だから、淡い恋心を確実なものにしたくて、マールに頼んだのだ。


だって、直接彼女に体当たりして玉砕するには彼は年を取りすぎていた。

どうせ傷つくのなら、直接ではなくて緩衝材を挟んだ様子でと、

思ったからマールにジュディスの様子を探ってもらうよう頼んだ。


若いころは、なんでも自分の手で確かめてからでないと進まないと、

持論の様に自分で唱えていたが、あれは若いからこその無謀だったのかもしれない。

最近ではそう思うようになった。


そして、こんなことを考える事が、勇気も度胸も自尊心も、

年と共に干からびたということなのかもしれないとも。


ラマエメは、自分が情けなくなった。

こんな自分では、マールの言う様に一生嫁は来ないのかもしれない。


だから、マールがたとえどんな結果を彼に齎そうとも、

彼は受け入れる覚悟をしようと決めた。


今日一日で普段の10倍のエネルギーを使った気がした。


疲れながらも、今から帰るのでは授業に間に合わなくなると思い、

ゆっくりと自分の席に座り授業の用意を進めていく。


「相談するというか話す相手が居ないと、話勝手が悪いよね。

 それにしても、マールは聞き上手だったよね」


独り言を言うがもちろん誰も聞いてない。

ここで返事が無くて寂しいなど思わなければよかった。

そう後で彼は大変後悔した。




教官室の扉が唐突にバタンと大きく開かれた。

蝶番がみしっと音をたてて、漆喰の一部が剥がれ落ちる。


「ラマエメ君、君、君、君のお昼休憩は一体何時間あるんだね!」


顔を真っ赤にして頬を膨らませながら唾を飛ばすバッタ顔の中年の男が、

部屋に入ってすぐに、額をぴかっと光らせながらラマエメに迫った。

彼の容姿は、バッタやイナゴにそっくりだ。

離れた目に頬骨がぐっと持ち上がった瓜顔。本当にバッタ顔に見えた。


「君を探して、私は学校中を走り回ったのだ」


無節操に唾を飛ばす、このバッタの正体は、教頭だ。

今年に入って着任した禿に一歩手前な煩い男。

役に立たないだけでなく、面倒事や仕事をすぐに人に押し付ける男だ。

金銭に煩くドケチで、口汚い。目立った能力もないし、すぐに癇癪を起す。

人をすぐ見下すような態度を平気で取る。


「君は、給料泥棒という言葉を知っておるかね。

 働きもせずのうのうと給料だけをせしめる矮小な人間だ。

 君の事だと思わんかね」


これは教育者のとる態度ではない。

少なくともマッカラ王国ではそう評価するだろう。


この男が何故ここの教師をしているのか、甚だ疑問に思う。


生徒も先生も、もちろんラマエメも、この男が酷く苦手だった。

出資者である王宮がらみでの推薦状が無ければ、

とっくに止めてもらっていたに違いない。



「何時間って、教頭先生。随分大袈裟な言い様ではないでしょうか。

 今日は至急の書類仕事が急遽増えたため、

 私は昼の鐘から二刻以上過ぎてから出たのですよ」


ラマエメは、頭に乗せていた小さな船のような帽子を取って頭を軽く掻いた。

教頭の唾が顔に掛からない様に帽子を正面の空間に掲げ、互いの距離を大きくする。


「そんなのは私の知ったことではないわ。 要らない時には居る癖に、

 私が必要とするときにだけ居ないのはどうしてだと聞いておるんだ!」


「そういわれましても、はあ、申し訳ありません」


いつも思うが、随分理不尽な言い様だ。

子供の癇癪でももっと利口に言う。


「教師たる者の心得が全く君には備わっていない様だ。

 教育現場をなんだと思っているのだ。 もっと精進したまえ」


ラマエメは、眉を顰めて入り口近くの黒板を差した。


「私の今日の予定表に、昼食を取った後、書架市場に教材を取りに行くと、

 昨日から書いてあります。

 今日は夕刻まで授業はありませんし、元々半休と取る予定だったのを、

 急な来客だと貴方が私に呼び出して、貴方の仕事を私に振ったのですよ」


この嫌味なバッタに、いや教頭にラマエメは書類仕事を押し付けられたのだ。

書類の期日は明日の正午。

間に合わせと一言言っただけでこの男は逃げた。

お蔭でラマエメは休みのはずの午前中を書類に埋もれて過ごしたのだ。


それなのにその言いぐさはないだろうと、

嫌味を込めてちらりと見据えた。


「う、うむ。そ、そうだったかね? 

 だが、上に立つものは時に部下の能力を知る為に、

 あえて苦渋の選択をするものなのだ。それくらい理解したまえ」


ふん。何時ものごまかしだ。

こんなこといつまで続くのか。ため息がでそうだった。


「苦渋の選択、本当にそうなんですかねえ」


王宮の財務官を通して、彼の現状は伝えてあるが、

お役所仕事には時間がかかる。

つまり、面倒な時間が長く続くということだ。


「ま、まあいい。 お前には聞きたいことがあるのだ」


「はあ、なんでしょうか。教頭先生」


連続してため息が出そうになるのを我慢しながら会話を続ける。

話好きなラマエメであったが、教頭と話をするのはとにかく苦痛であった。


「この王立学問所の関係者でサイラスという男を知らんか?」


「サイラスですか?」


「そうだ、年の頃20前後の若者だ。

 7、8年前にこの国にやってきてこの王立学問所に入ったとの調はついている」


「サイラス、サイラス、ああ、そういえばさっき……」


バッタが鬼気迫る顔で近寄ってくる。


「おお、知っておるか?」


その勢いを避ける様に、ラマエメは後ろに下がる。


「いえ、そうではありませんよ。

 私の記憶では、7、8年前に入学した生徒にサイラスという者は居りませんね」


「嘘をつくな! 先程心当たりがある風に言っておったではないか」


唾がかかりそうでかからない距離が詰められない様に、

ラマエメは少しずつ後退する。


「違いますよ。 

 先程、同じようにサイラスという名前の者を探している人がいたんです。

 ですからそう言っただけです」


バッタは更に詰め寄る。もうラマエメの後ろは壁だ。逃げ場はない。


ラマエメは、バッタの頭頂部に生えるふわふわと申し訳程度に揺れる金の髪を持って、

空に投げてしまいたい気持ちをぐっと押さえつけた。


「誰だそれは?」


「マールという新しい女子生徒ですよ。

 小さいですが、マサラティ老師の所の新しい使用人です」


だから、彼女は絶対に怪しくないですよと、ラマエメにとっては言ったつもりだったが、

バッタ教頭は違う意味合いで取ったようだ。


「なんと! マサラティ老師だと!」


バッタ教頭は顔色を灰色に変え顔を歪め、

ぶつぶつ呟きながら部屋を出て行った。


ラマエメは教頭が簡単に出て行ったので、問題はなかったのだと肩を下げた。


やはりマサラティ老師の名は偉大だ。

あのバッタ教頭でも畏れ入っているに違いない。

そう思いながら、マールを擁護できたことにほっとした。


だが、バッタ教頭は本当はそうではなかった。

呟きの内容は、悪意ある言葉。


「奴は我らの邪魔をするつもりなのか。

 あの変人偏屈妖怪爺め。

 我らの動きを読んで大金をせしめようとしているのやもしれん。

 

 大体あいつは前から気にくわんのだ。

 一人だけすました顔で、年をとっても髪がフサフサして、

 奇人変人の研究馬鹿のくせに。

 

 しかし、奴の頭脳は侮れん。

 あ奴が相手ならワシでは荷が重いかもしれん。

 

 たかが使用人といえど、奴の保護下にある以上、

 あの妖怪爺相手ではないとも言い切れん。


 これはあちらの手を探る必要がある。

 あの方へ報告せねば」

 

彼の悪意ある呟きは、夕日の影に消えていく。

学校も終わり、帰路を急ぐ人々の波にうずもれる様に、

彼の呟きは落ちる夕日と人々の声にかき消されていった。

  



またもや長いです。

すいません。頑張りましたが、短くなりません。

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