首が重いです。
お昼下がりの暖かい日差しに、行きかう人々の明るい表情。
きゃらきゃらと笑い声を上げながら小さな子供が走る回る。
カーンカーン、キーンキンとどこかで金槌を打つ甲高い音がする。
ゴロゴロガラガラとなにかを転がすような低い音が聞こえる。
私はただ今、ソラマメおじさんと一緒に王立学問所を目指して歩いてます。
道は、貴金属通りをまっすぐ東に向かって歩いてます。
貴金属の店と言えば、金物屋に武器屋が主だけど、
それ以外に部品屋や解体屋、鋳造屋、食器道具屋など専門店的な店が立ち並んでいる。
一般的に見て書架通りやほかの通りに比べて音が多い気がする。
書架通りや飲食店通りに比べたら、行きかう人の数はそこまで多くはないが、
生活の音って言うのかな、ちょっと耳に煩いような感じです。
耳に煩いといえば、書架市場に向かっていた時には、
あれだけいろんな人に絡まれ続けたのですが、おじさんと一緒に歩く道すがら、
ちらちらっと何人かにこちらを見られるものの、
誰も声を掛けてきませんでした。
あれは、時間限定の書架通り限定イベントとかだったのでしょうか。
まあ、3歩ごとに人に当たるのは移動に時間が掛かるので、
そんなイベントは正直言ってさっさと終わっちゃってよかったです。
訳の分からないこともいろいろ言われましたが、
この町特有の冗談だったのかもしれません。
ほら、邦人100万人記念でびっくりさせよう、とかそういう企画かも。
もしそうなら、マッカラ王国って、本当に平和的な楽しい国ですよね。
学校に通う学生が多いとカナンさんが言っていたから、
全体的に街自体が若者志向なのかもしれません。
そうだとしたら、新しい物好きとか面白い物に飛びつく傾向があるのかも。
なんとなく、平和な日本に似てますよね。季節限定チョコとか。
ちょっとだけ、この国に親近感がわいてきました。
私がキョロキョロとあたりを見渡しながら歩いていると、
ソラマメおじさんがふふふっと小さく笑いました。
何でしょうか。
ちょっと首を傾げると、おじさんは目じりを下げたまま言いました。
「君、本当にこの町に来たばかりなんだね。
君の顔立ちを見た時に異国から来たのはわかっていたけど」
えーと、聞き取るのが難しいけど、なんとなくわかった気がする。
「はい。今日で3日目です」
頷きながら正直に答えると、おじさんはにこにこ笑いながら、
尋ねてきました。
「3日目かあ、それなら何がどこにあるかとか解らないよね。
王立学問所に用があるって言ってたけど、届け物か何かかい?
見た所、君はどこかの屋敷に奉公してるのだろう」
ロートルバフィア? シュルツア?
なんでしょう。
「すいません。
私は、まだこちらの言葉は片言しか解らないのです。
その質問はよくわかりません」
正直に応えました。
「ああ、そうなのかい。
そういえば、ちょっと発音に訛りがあるね。
それなら、えーと、君は、どこの、国から、来たのかい?」
おじさんは、丁寧に解りやすく言葉を区切ってくれます。
お蔭で意味がはっきり解りました。
「私は、東大陸のイルベリー国です」
おじさんの目が、びっくりしたように見開きました。
そんなに驚くことかしら。
「東大陸のイルベリー国? おやおや、随分遠くから何でまたこの国に?
学生がこの国に来るのは解るが、君は違うんだろう?」
行き成り早口で言われるとさっぱりわかりません。
さっきの様に、ゆっくりはっきりと区切っていただかないと解らないのです。
この国に来てというか、西大陸にきてまだ一月経っていないのですよ。
頭の中に入っている語録が圧倒的に少ないのです。
そんな私に無理を言わないで欲しいです。
老師様の言葉は綺麗で滑舌がいいし、
ヤトお爺ちゃんが教えてくれた単語ばかりなので大概は解りますが、
このソラマメおじさんの言葉は、大変巻き舌口調で話すんです。
江戸言葉のべらんべい口調に負けない巻き舌です。
こう、らりるれろの発音がすべて舌巻きで舌が釣るというか、なんというか。
ロココよりも巻き巻きで、舌を噛みそうです。
あ、ここで注意しておきますが、
この国というか西大陸の言葉って基本巻き舌口調なのです。
砂漠でのヤトお爺ちゃん講座でも、何度も巻き舌特訓されました。
ですが、人によって巻き舌口調が激しいと単語が繋がって聞こえて、
私には、非常に聞き取り辛いのです。
ソラマメおじさんの口調も巻き舌絶好調です。当然、解りません。
私は顔を顰めたまま、解らないという意味で首を振りました。
「ああ、なるほど。
言えない事情があるんだねえ。
わかったよ。 もういいよ。
すまないねえ、興味本位で聞いて。
若い女性にはいろいろ口に出したくない事情があるもんだと、
解っているがつい好奇心が押えられなくてねえ」
おじさんに肩をポンと叩かれて、なんだか慰められました。
「あ、あの?」
「辛いことがあったとしても、気を落とすんじゃないよ」
何がどうしてそういうことになったのかさっぱりわかりません。
聞き返そうとしたら、いいんだよと優しい笑顔で返され、
聞きそびれてしまいました。
ですが、何度も何度も言葉が解らないんですよ~って、
言うのはなんとなく気が引けて、ついそのままにしてしまいました。
だって、初対面の人が訊いてくる筆頭質問って、大概は5W1H。
つまり、いつどこでだれがが何をどうやって云々と尋ねるのが一般会話です。
私、どうやってイルベリー国からこの国に来たのかとか、
詳しく聞かれたら答えられない。
第一、西大陸の言葉で異世界ってなんていうのか知らないですからね。
根本からして説明不可能なんです。
例え、西大陸の言葉が流暢に話せるようになったとしても、
イルベリー国から異世界経由でちょっと飛んで来ましたなんて、
現実に頭は大丈夫かと疑われる答えだ。
言っても信じる人は殆ど居ないでしょうけど、
いろいろ頭を捻る様な問題だらけなので、とりあえず黙っておこうと思います。
さて、私が言葉が解らないので安心したのか、
それとも、話しかけても相槌ばかりの私を不安に思ったのか、
おじさんはだんだんと饒舌に話し始めました。
最初は、王立学問所のこと。
昨日の天気のこと。
学問所の同僚の話。
仕事での愚痴、家族の話などなど。
おじさんは、ありとあらゆることを絶え間なく話し続ける。
あ、おじさんの名前はラマエメさんだそうです。
ソラマメに似ているようで似てませんね。
私もちゃんと自己紹介しましたよ。
そうしたら、ちょっとびっくりされました。どうしてでしょう。
お辞儀の仕方が東大陸とは違うのかもしれません。
あとで、ヤトお爺ちゃんに聞いておきたいと思います。
しかし、不思議ですね。
黙って聞いていると、不思議と段々意味が解ってくるものもある。
おじさんの口調に慣れたと言うのもあるのかもしれない。
あ、スピードラーニングって、よく宣伝しているけど、
聞き流しって意外に効果抜群なのかもしれないですよ。
私でも、難しいお話でなければ、なんとなくから話が推測できるのです。
素晴らしい。ちょっとだけ頭の回転が良くなった気がします。
頭のいい淑女に20歩ぐらい前進したのかもしれません。
私はなんとなく嬉しくなって、にこにこ笑いながら、
言葉が解った時は相槌を打ちます。
もちろん会話にはならず、私の方は黙ったままですけどね。
なにしろ、ラマエメさんはマシンガントークと言っても過言でないくらい、
ずっと話し続けています。本当に、話し好きなんですね。
話をしながら、ラマエメさんは本当に嬉しそうに笑いました。
「ああ、嬉しいね。こんなに思いっきり話をしたのは久しぶりだ。
それにメイさんは本当に聞き上手だ」
「そうですか?」
黙って聞いているだけなのだが、これを聞き上手と言うのでしょうか。
ちょっと首を傾げる。
「ああ、僕はね、とにかくおしゃべりが好きでね」
ええ、そうでしょう。
「家にいても職場にいても、どこにいても煩いと言われるんだ」
はあ、まあ、口数は確かに多いですから、煩いと言われることもあるかもです。
「母親や兄弟にも言われているんだ。
もっと口を噤めって、そうでなきゃ嫁がこないって」
ほうほう。
「嫁っていってもねえ、たとえ口を閉じて無口な振りをしたって、
僕みたいな薄給相手にその気になる女性がそうそういるわけないのにさあ」
「そうですか?」
「そうだよ。今までに気になっていた子は、すべていいお友達で居ましょうねって。
デートまでやっとこぎつけても、貴方はいい人だけど夫にするにはちょっとって、
言われちゃうんだよ。
これって僕が薄給で甲斐性無しと思われているからだと思うんだ。
まあ、実際その通りなんだけどね。
だけど、弟は違うって苦い顔するばかりでさ。
ねえ、これってどう思う?」
なんだか、恋愛相談の様になってきました。
しかし、このタイプは大学の同期に確かに居ましたねえ。
ペラペラ話すので初対面の異性相手でも気安く話せて最初の会話の取っ付きはよい。
だがそのうち、その口があまりにも軽いので、全て本気にしてもらえなくなる。
典型的ないいお友達で居ましょうパターンだ。
「私は、その通りだと思います」
「その通りって、どの通りなの?
若い子は、どんな考えを持っているか、
おじさんが可哀想と思うならちょっとだけ教えてよ」
可哀想かどうかはさておいて、
弟さんの方が正解だと思うからそう言ったのです。
このソラマメ、いやラマエメさん、言ってることはまともかもしれないが、
口が軽すぎて女性の方で逆に警戒するのが敗因だと思う。
つまり、ここまで話すなら、もしこの人と付き合ったとしたら、
自分たちの付き合いのあれこれまで他人に話すかもしれない。
そう考えたら、深い付き合いになりたくないと誰しもが思うはず。
要は信用度が低いのだ。
それは、おじさんが薄給だとか、本当はいい人かどうかとか、
それ以前の問題だと思う。
「それは、えーと、改善したほうがいいと思います」
「改善? 何を?どうやって?どのように?」
ラマエメさんが真剣な顔で聞いてきました。
「話し方を少し変え、話す内容、及び、相手を選ぶことです」
「話し方? 相手を選ぶ? どういうことだい?」
ええっと、余り言語録が少ないので説明に困るが、
なんとか頭の中で繋げてみる。
「まず、日頃から大声で話すのではなく、普通の人と同じように、もしくは、
ゆっくりと穏やかな声で話すことを心がけてください」
先程から思ったが、意外にこのおじさんは声が大きい。
だから、道行く人が結構振り返る。
一緒に歩いていて恥ずかしがり屋の女性ならちょっと引くと思います。
ラマエメさんはふんふんと頷いた。
「それから?」
おじさんの鼻息が荒い。
いつの間にか手にはノートと墨筆が握られていた。
「特に、人が多いところではもっと小さな声で話すのがよいと思います」
ラマエメさんが、ああ、と言いながら筆の背で頭を掻いた。
心当たりがあるらしい。
ノートにもため息をつきながら書いている。
「そして、話の内容についてですが、
特定の相手のみ限定で内々のことを話すようにします。
他の人には、世間話や誰でも知っている天気の話とか一般の話のみをすること」
「え? 相手によって区別するのかい? どうして?」
「一般的に、女性は秘密の話が大好きです。
が、皆が知っていると分かれば興味を失います。
だから、話す内容をきちんと相手を見て分けないといけません」
ラマエメさんは物凄い勢いでノートに書いていく。
目が爛々と光って怖いかも。
鬼気迫る迫力ってこういう風かとちょっとだけ思った。
「そ、それで? その後、僕はどうしたらいい?」
あ、ああ、続きですね。
「そして、話をする前か後に、目当ての女性に、
君だからここまで話すのだと告げることです。
そして、これは余り口外しないでくれと注意しておきます。
これで、彼女は自分が貴方にとって特別なのだと解る筈です」
おじさんのノートは物凄い勢いで煽られています。
これは本気ですね。
しっかり改善してかわいいお嫁さんゲットしたいということですね。
「それは、誰もいない場所で、とか?」
おじさんはごくりと唾を飲み込む。
いやいや、それは早計です。
そんなことをして許されるのはロマンス小説のハンサム大富豪だけです。
一般的の男性なら、襲われると勘違いされかねない。
ソラマメ風味なラマエメさんにはちょっとハードルが高い選択です。
「いえ、警戒心の強い女性なら、そのような場所は避けます。
ですので、人の少ない場所でなるべく小さな声で話すのが適切です」
「小さな声でって、こ、こっそりってこと?」
「ええ、くれぐれも大声は避け、口調は落ち着いた感じで、
内容をしっかり選別した個人的なものだけ話すのです」
其れさえ守れば、口は軽いけど芯は軽くない印象が残る筈です。
大学の同期の彼は、この教えをある先輩から伝授され、
見事意中の彼女を手に入れて学生結婚へとこぎつけた名アタッカーだ。
しかし、せっかくの極意も土台をしっかりさせないと、ただの与太話に終わる。
「えーでも、つい皆の前で話が出ちゃったり、いつもの癖でぽろってでたりしたら、
仕方ないんじゃないかなあ」
あ、これは自分が悪くないと思っている不平不満型の典型だ。
どうして無口な男がモテるのか。
女性の立場に立って考えてみれば解るだろうに。
このおじさんは初対面の私を連れて街中を歩くくらいにはいい人だ。
だから、性格はいいのだろう。
だが、初対面の私相手に私事情というか内内事情を話し過ぎだろう。
一緒に歩いている20分かそこらで、ラマエメさんの家族構成から始まって、
職場の人間関係とか全部話していた気がする。
あけっぴろげで正直だと言えば聞こえはいいかもしれないが、
裏を返せば、暴露話が大好きな口が軽いお調子者と取られるだろう。
この口の軽さは、本気で嫁が欲しいのなら考えないといけない。
私生活をぽろっと簡単にこぼされるのなら、普通の女性なら嫌がり逃げる。
だから、しっかりはっきり釘をさすことにします。
「その時は、永遠に嫁はこないと諦めてください」
「えええっ、そこまで!?」
「はい。軽すぎる口の男は、大抵の女性にとって信用度が大変低いのです。
信用できない男の嫁に勧んでなる女性はいません。
これは全ての女性に通じる一般常識です」
「で、でも、話さないとストレスが」
「他の方法でストレス発散してください」
「他って、何?!」
知りませんよ、そこまでわかりません。
と言おうとしたら、涙目で見返された。
う、そんな捨てられた子犬のように見ないでほしい。
えーと、あの時先輩はどう言ったんだっけ?
思い出せ、私の灰色の脳細胞。今こそ開けゴマですよ。
「えーと、えーと、適度なスポーツとか、ああそうだ、日記を書くとか、
とにかく他で発散するようにしたらいいと思います」
私は、たじたじになりながら、
とりあえず思い出したままの先輩の言葉を告げた。
あとそれに一人カラオケとか、ボーリングとか訳の分からないものもあったと思う。
この世界にボーリングあるのだろうか。
いつか晴嵐か春海さんにあった時に聞いてみたいと思います。
おじさんは、私の提案を聞いて、ぶつぶつと呟きながら悩み始めた。
うーん、そんなに悩むことかしら。
道をすれ違う人達は、そんなラマエメさんからちょっと距離を取っているようだ。
私も、一歩下がる。 あ、道端では怪しい行動はとらないとか言うべきかな。
でも、最初からあまり要求を上げたら、潰れちゃう気がするし。
悩んでいる時にいろいろ言われたらびっくりして心臓に過負荷がかかるかもしれない。
ここは、朴っておくのが正解でしょう。
ぶつぶつ呟くおじさんの影を追うように、
私はてくてくと丸い石畳の道を歩いてついていきます。
道は、貴金属通りをやっと通り過ぎた所です。
ここで特筆すべきことといえば、大通りの道そのものです。
この道って、普通の石畳じゃなくて、
砂利石を敷き詰めた感じでぼこぼこしてます。
石の色もいろいろで、黒や赤っぽいものや白い物。
金目石や翡翠鉱石を含んだ石など様々な石が無造作に敷き詰められている。
綺麗でかわいいですね。
子供たちはそんな石の色の上を飛び跳ねて笑っている。
椅子取りゲームの石バージョンな感じかな。
お尻を突き合わせて転んで笑う。楽しそうです。
昨日はヤトお爺ちゃんについていくのに必死で、
道を眺める余裕なんてなかったから気にしなかったけど、
色タイルが敷き詰められているようで、大変可愛い。
しかし、タイルなら平坦だが、これは石。
だからですね、いい感じにでこぼこしてます。
このでこぼこが足の土踏まずの部分に当たると、
いい感じにツボを刺激します。ああ、いいですね~
歩くだけで足つぼ健康マッサージ。
なんだか足の裏がぽかぽかと暖かくなってきた。
血行が良くなってきたと言う事でしょう。
これなら、浮腫み知らずで毎日を過ごせそうです。
しかしながら、このぼこぼこ道。
歩行者には優しいマッサージ道かもしれないが、
馬車や運搬用の荷台車にはあまり歓迎されないかもしれないと気が付いた。
どうしてそう思ったかと言うと、この町で馬車や荷車を殆ど見かけないからだ。
普通どの国に行っても、人が住んでいると運搬用の馬車や荷車などが、
道に犇めき合っている。
だが、マッカラ王国に入って馬やエピなどの生き物を見たのは、馬房が最後。
街中で生き物と言えば、店先で欠伸をしている大きな耳の犬らしき動物と、
時折、書架通りの本屋で見かける番犬ならぬ番猫。
尻尾が丸いし、耳が長いのでウサギと迷いそうな猫だ。
どちらの品種もこの大陸独特な品種なのかもしれない。初めて見た。
それとピロロ~と鳴きながら空を飛ぶ鳥だけである。
これでは、物を大量に運搬したいときなど、どうするのだろうか。
この町は、たださえすべての道が坂道。
塔や立派な建物は高台にあるが、市場はそれを下った中央広場。
そして馬房や城門がある場所は坂道の一番下だ。
つまり、行きはよいよい、帰りは息絶え絶え。
昨日も食材市場から帰るの結構大変でした。
まあ、天気が気になって急ぎ早足でしたから、息が切れるのも当然なんですが。
買い物をして荷物を持って帰るのを考えたら、下手な物は購入できない。
そう思ったら、お買いものに優しくない街ではないかとちょっと思った。
そう思っていたら、私の後ろからチリリン、チリリンと鈴の音がした。
何の音?
「ああ、メイさん、そこは危ないよ。
ステラッドが通る時間だ。脇に避けなさい」
さっきまでぶつぶつ言っていたソラマメ、いやラマエメさんが、
道脇まで私の手を引いてくれた。
交通安全おじさんのようですね。
「あ、はい。有難うございます」
私がお礼を言うと、私たちが歩いていた道の中央付近に、
大きな箱型の台車が通った。
大きさは畳1畳ほどの黄色の枠に囲われた箱台車が2つ連結していて、
道の中央に敷かれたレールの上を通っている。
俗にいうトロッコ形車です。
レールの上を滑る様に箱が進む。
見えたのは、そりの様な台座の足。日本の列車とは違いますね。
5cmほど盛り上がったレールの横を沿うように、
レールの両脇にびっしりと小さな丸い滑車が付いていてブレーキの役目を果たしている。、
基本走行はゼンマイ仕掛けのようです。
ギイギイゴトゴトとトロッコ列車が街中を走ってます。
時速はゆっくりで、人が歩く速さより少し早いくらい。
先頭の運転席らしいところにレバーの様なハンドルがあって、少年が座っていた。
ラマエメさんは、にこやかに笑って少年に声を掛けた。
「やあジュノ、元気で頑張っているようで何よりだ。
最近のステラさんの様子はどうだい?」
どうやらラマエメさんの知り合いのようです。
「先生、こんにちわ。
母さんは最近ずっと調子よかったんだけど、
昨日の雨でちょっとまた加減が悪くなったみたいなんだ」
14,5歳くらいだろうか。
日に焼けたそばかす顔の利発そうな少年の顔が曇った。
「そうかい、そうかい。 ステラさんは体が弱いから心配だね。
だけど、ジュノもあんまり無理するんじゃないよ。
困ったら、すぐに周りの大人に相談するように。いいね。
ああ、そうそう、授業に来られないならプリントを用意するから、
後で仕事帰りに取りに来なさい。
解らないことがあったらいつでも尋ねてくれたらいいから」
ラマエメさんは、ジュノ少年の頭を優しく撫でた。
ジュノは嬉しそうににっこり笑った。
「有難う先生。夕の鐘までに俺もう一回りするから、帰りは乗って帰るかい。
帰りの便は荷物がほとんどないから余裕で先生も乗れるぜ」
ジュノはキラキラした目で先生を見た。
「ジュノ、それをして怒られるのは君だよ。
僕のことはいいから、君は自分とステラさんのことだけ考えなさい」
「はーい。有難う先生。
後でプリント貰いに寄るよ。先日の宿題も提出したいしさ」
ジュノは、ラマエメおじさんに元気に手を振るとまたステラッドの上に乗って、
ハンドルを握って鈴をリリリンと鳴らした。
ゴトンと音がして、重そうなステラッドがまたゆっくりと動き始める。
少しずつ小さくなっていくジュノの背中を見ながら、ラマエメさんが話し始めた。
「メイさん、彼、ジュノは王立学問所の生徒です。
母一人子一人で、母親の体が弱いために、
朝から晩まで休む暇なく働いています」
勤労少年です。偉いですね。
「8歳のときから6年、辛い下働きを勤め上げました。
大の大人でも根を上げるのに、本当に見上げたものです。
彼は、今年からようやくあの黄色のステラッドを運転することを許されました。
勤勉で実直で素直な頭のいい子です。
ジュノは、彼の父親と同じ青のステラッドの運転手にずっとなりたがっていました。
ですが、青のステラッドの運転手は国役人と同資格が必要とされます。
つまり、ある程度の読み書き以上の知識が必要でした。
だが、学校に通いたくても通えない。
そんなジュノの悩みを解決するべく我々は手を差し伸べました。
この学校で学び始めて2年、彼は、ようやく夢に一歩近づいたところです」
おじさんの顔は実に誇らしげだ。そうですよね。
夢に向かって羽ばたいていく生徒を見るのは、先生として感無量でしょう。
夢かあ、ジュノくんは大志を抱いているのね。
列車の車掌さんが無知では確かに怖い。
人が乗る車両があるのなら、事故防止の為、
ある程度の危機管理能力を必要とされるのは当然だ。
危機管理マニュアルとか、読めない書けない知らないでは責任追及は免れない。
だから、ジュノ君は一杯勉強するのだろう。
夢に一歩ずつ血数いて行って、いつか将来は車掌さんですね。
良いですね。出発進行~とかいつか言うかもしれませんね。
そして、あの子がいつか運転するのは黄色ではなくて青。あれ?
「ステラッド?」
あのトロッコ連結列車もどきのことだろうか。
尋ねたら、おじさんは嬉しそうに教えてくれました。
「ふふふ、メイさんもびっくりしたかい?
他国の人間は皆、あのステラッドを見たら驚くんだよ。
これはね、我が国の知識の最高峰の人間が設計して作り上げた物さ。
ステラッドといって、馬を必要としない運搬設備だよ。
この国にしかないこの国独自の発明品だよ。
この国のステラッドには2種類あってね。
人を乗せる青い長い大型のステラッドと、物資を乗せる小さな黄色のステラッド。
ええっと、ゼンマイ仕掛けの、トロッコ列車、の大と小だ、と考えれば解るかな」
最後はくっきり切って言ってくれらのでわかります。
ここでもゼンマイですね。
あ、ということは、もしかして。
「マサラティ老師様の作品ですか?」
「そうだよ。 諸外国にも名高い我が国の天才発明家、
マサラティ老師様はさすがに君も知っているんだね。
20年前にこのステラッドが出来た時は、こんなものがと思っていたが、
馬車や荷車より随分楽で簡単で、そしてなにより安全だ。
今や、彼が考案したゼンマイ仕掛けのステラッドは、
我が国の血液と言ってもいいくらいに生活に浸透している」
ふおおお。 老師様、凄いです。カッコイイです。ワンダフルです。
老師様は、日常的に人に役立つ研究をしている本当に素晴らしい人だ。
こんなところにも、研究成果が還元されている。
あの昇降機だって、あるとないでは生活環境が全く変わってくるだろう。
それに市民の足となるステラッドの開発。
下手したら、神様よりも神様らしいくらいに人の願いを叶えているかもしれません。
帰ったらちゃんとご利益がある様に、
とりあえず老師様を拝んでおこうと思いました。
「青ステラッドは朝の鐘から半刻毎に王宮前から中央広場、そして城門まで。
つまり、南から北の往復を走る。
昼の鐘が鳴って夕刻までは1刻ごとに中央広場から4方向。
つまり、街中を走っている。
夕の鐘がなった後は走らない。
青のステラッドは無料だから、いつか乗ってみるといいよ」
無料!
なんていい言葉だ。なんだかますます老師様を尊敬しそうです。
帰ったらおやつ一品増やそうかな。
老師様は甘党だから、喜ぶでしょう。
蜂蜜も買いましたから、セザンさんの蜂蜜たっぷりクッキーを作ってみようかしら。
「まあ、健康のために歩く人も多いけどね。
僕も最近お腹が出てきてちょっと運動をしないといけないと思っていたから、
こうして歩いているわけなんだけどね」
おじさんは情けない顔をしながら自分のお腹の肉を掴んでいる。
おお、同士です。 私のお腹もぷよぷよですよ。
言い訳にしかなりませんが、コニスさんのご飯は高カロリーなんです。
しかし、美味しいので食べるのはやめられない。
おそらくラマエメさんも同じでしょう。
と言うことで、お互い、運動しましょう、そうしましょう、と言うことですね。
解りました。ちょっと乗ってみたいなと思いましたが、
私も、ステラッドに乗るのはお腹が引っ込んだ時までの、
お預けと言うことにしたいと思います。
考えてみれば、体重制限とかあるかもしれないし。
嬉しげに乗った途端に、ビーとかアラームが鳴って降りてくださいとか、
言われたら悲しいし、ちょっと、いやかなり乙女として恥ずかしい。
……おやつは、ダイエット志向にしたいと思います。
蜂蜜は程々ですね。
「さあ、ここが王立学問所だよ」
考え事をしていたらいつの間にかついたようです。
中央広場から歩いて40分と言うところでしょうか。
目の前に聳え立つ建物に思わず首を傾げてしまいました。
背の高い建物に連なる様にして存在している白い漆喰のビル。
エピさんがいる馬房の色違いにしか見えませんが。
これが、学問所ですか?
「ここはね、君も知っていると思うけど、
何らかの理由で学校に通えない生徒が、勉強に励むところだよ。
この国の理念に基づき、学びたい全ての人が学べる環境を与えるために
王家が出資した学問所さ。 隣の孤児院や病院から通う生徒も沢山いる」
いや、まったく知らなかった。
アマーリエは教えてくれなかったし。
そういえば、入り口にある木の看板はペン軸と本のマークだ。
これが学校ということだろうか。
「あの有名なマサラティ老師もここの出身なんだよ。
同門の徒として実に誇らしいよ。
それで、僕はここで教師をしているんだ」
はい、ジュノくんの先生ですよね。
あ、先生だから大きな声で人前で話すのが気にならないのだろうか。
皆の前で言いなれているってことなのかしら。
隣りを見たが、茶色い漆喰と煉瓦の馬房とほぼ変わらない街中の建物と全く同じ。
入り口で揺れている木の看板には、草と三角マーク。
あ、三角マークは世界共通の医師の印だって、セランが言ってた。これは病院かな。
その隣は、太陽と月のマークです。
二者択一ですから、ここが孤児院だろう。
貧乏な人間でも勉強する気があるのなら、その場を与えようって、
言うは簡単だけど、実際に実行するのは本当に難しいものだ。
「この国の教育理念と実行力は本当に素晴らしいですね」
それはとてもいいことだ。
この国の王様は本当に良くできた人なんだろう。
「安心してメイさん。
僕は、君の言いたいことは解っているよ。
君の様に国外から来た生徒でも大歓迎さ。
ここで半年、いや一年学べば君もジュノのように一人前になれるさ」
は?
「ジュノのように、仕事をしていて十分に学べない子供も多いから、
都合のつく日だけ授業を受けに来てもいいよ。
いろいろ相談に乗ってくれたお礼に、僕が一筆書こう」
おじさんは胸をはってえへんと咳をした。
え?
「で、交換条件なんだけど、あ、ある人に会ってもらえないかな。
僕の、えっと、気になるというか、まあ、いいなって思っている人なんだけど。
君の作戦を実行して事が成就する確率がどのくらいあるか見てほしいんだ」
ラマエメさんは人差し指と人差し指をくっつけてもごもご言ってましたが、
内緒の話とばかりにこそっと私に耳打ちしてきた。
そうですよ。それがこっそりです。
ラマエメさん、出来るじゃないですか。
あ、えっと、今はそれより、さっきお礼にとか言ってませんでした?
なんで更にやることが増えているのでしょう。
「頼むよ。僕は、彼女といい感じになりたいんだ。
お願い、後生だから。一生に一度のお願いだよ。
僕を助けると思って、僕と一緒に来てください。お願いします」
気が付けば、ラマエメさんに手を引っ張られ入学手続きをしていました。
一応、仕事が休みの時だけ通う学生として白の生徒証明書の木札をもらいました。
首から下げる札がすでに3つ。
なんだかどんどん重くなってます。
これ、イルベリー国のドッグタグみたいに一つにならないのかしら。
私、王立学問所の無事入れたようです。
スパイのお仕事第一段階は成功でしょうか。
ソラマメおじさんの名前はラマエメさん。
大変言いにくいので、もうソラマメでいいのではと思いましたが、
某導師様のお名前らしいので、ここはソラマメ改めラマエメさんで頑張りたいと思います。
木札は、一枚は塔のサームさん発行の許可書。
一枚は、老師様お使いの為の木札。
最後に学生書。
木札って意外に重いですよね。




