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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
205/240

占い師って、誰のこと?

メイはやっぱり今日もメイドです。

ピーヒョロロロロロー、ピー(アサダ~イイテンキ~)


何時もながら、ぱちっと目が覚めます。

朝です。朝日です。


トンビくんによると外はいい天気らしいです。

私の部屋には窓が無いので晴天具合ははっきりとはわかりませんが、

天井付近から差し込む見事な朝日が、

白く明るい光を壁いっぱいに広げています。


ベッドの中で寝たまま腕を上に伸ばしてストレッチです。

右に左に、上に下に、うん、いい感じです。


さあ、今日も一日しっかり働きましょう。


寝着代わりの服を脱いで、昨日来ていたメイド服を手に取ります。

昨晩、寝る前にブラシで丁寧に埃を取って、

手首やひざ下などにあった汚れやシミを、スポット洗いしておきました。

メイド服には見苦しくない程度に清潔感が戻ってます。


スポット洗いと言うのは、俗にいう部分洗濯です。

水を極力使わないしみ抜き洗濯です。


昔、学生の時に大変お世話になった手法です。

食事の時に気が付いたら飛び跳ねている食材の一部であったシミ。

何故そんなところにと言いたくなる目立つ場所に、

あえて飛ぶ滲んだ汚れ。


ならば、汁が飛び跳ねる様な物を食べるなとよく言われるが、

白い服を着ている時に限って目に入るミートソーススパゲッティとか、

鼻腔をくすぐる匂いを常に発している旨そうなカレーに、

罪はないのかと問いたくなる。

だが、それも一瞬のこと。

茶色のシミを見ながら、がっくり肩を落として自問自答するのだ。

うん、選んだ私が悪いと。


そんな時に、アパートの管理人さんに教えてもらったのがしみ抜き。

洗剤付けて叩く、水を付けて裏から叩く、酢を使う、氷を使うなどなど

汚れごとにいろいろ用法があり大変役に立った。


私の就活リクルートスーツにも大活躍だ。

特に私の懐具合の経済効果は大きかった。


今も、大変お役立ちだ。

人生何があるが解らないが、いろいろ経験していれば、

解らないなりにどこか役立つ事はあるものだ。

それを思うとなんとなく感慨深い気がする。


とにかく、メイド服はお休みの日に改めて洗うとして、

今はこれで十分である。


さっさと起きて、朝食を作りましょう。

今日は何を作りましょうか。


エプロンをさっと一振りして身に着け、炊事場に向かいます。


船で教わった炊事場で朝一番にすることは、竈に火を入れること。

ですがこの部屋には竈オーブンはありません。

あるのは薪ストーブと温石を使ったコンロ二台のみ。


ストーブの戸を開けたら、炭はまだ暖かく火種も残ってます。

新しい薪を入れて火種を軽くかき混ぜて燻らせ、火を大きくします。

温くなった温石をストーブの中に入れて、熱く熱く焼き上げます。


さて、炊事場の奥の倉庫の棚に、昨日買った食材を置いてます。

ジャガイモや玉ねぎなどの野菜と、卵とベーコンの塊、ミルクやチーズなどなどです。

この世界、一般家庭に冷蔵庫なるものは存在しないので、

冷暗所でもたない食材は使い切る量で購入するのが基本です。

だから、昨日買った食材はここ2,3日で使い切る様に献立を考えなければいけません。


ちょっと悩んだけど、細いバケットが2本残っていたので、

今日の朝食にはこれを使うことにしました。


籠から卵とミルクを取り出し、

少量の塩と冷暗所に置いておいたバター油を小さじ一杯。

バケットを小さく切って、大き目の陶器の四角い深皿に入れて、

上からミルクと卵を溶いた液体を掛けて、薪ストーブの上に置いて蓋をしました。

陶器の蓋が立ち上る湯気で持ち上がり、かたかたと音をたてるころ、

ミルクの香と同時に香ばしい匂いがしてきたので、

砂糖を全体に軽く振りかけてから蓋をします。

そして、焦げないようにストーブの端で保温します。


ストーブの取っ手口手前の灰の中に、手ごろな芋を3つほど転がして置き、

真っ赤に焼けた温石をコンロに入れて、ヤカンで湯を沸かします。

小なべに青色玉ねぎ野菜を薄くスライスして飴色になるまで炒めてからお湯を注いで、

塩コショウして味を調えてからチーズを薄くスライスして乗せる。

そのまま薪ストーブの上に置いて保温。オニオンスープです。

見事に青いけど、まあ食材の色なので。

青色オニオンスープ、これはこれです。

玉ねぎに罪はないのです。

気にしないことにしました。


水野菜を幾つか千切り、ストーブの灰の中でホクホクに焼けた芋を取り出して、

皮をとり、バターと塩を絡めて付け合せに皿に乗せる。


美味しそうなベーコンを3cmくらいに厚く切り、

胡椒を振ってフライパンでジューっと焼いていたら、老師様の部屋の扉が開いた。


ふらふらと歩いてくるのは、昨日と同じようにぼうっとしている老師様。

視点は定まらないのに、鼻がひくひく動いています。

ベーコンの匂いについ起きてしまったと言う事でしょうか。


私は水場をさっさと片付けて、

ぼうっとしたまま何時もの習性のまま顔を洗う老師様に、

洗いたてのタオルを渡しました。


この研究室の炊事場と洗面台は同一です。

私が占拠していると水場が使えない。ちょっと不便ですね。


カナンさんによると、塔で生活している人はわずかなので、

各種不便さもさほど問題視されていない。

そして誰かが声高に訴えるまでそのままなのだろうと推測できる。


現実問題、今の様に譲り合いの精神があれば、

特に困ることもないはずだ。


じっと老師様の様子を見ていたら、老師様は顔を拭きながらぼそり一言呟いた。


「腹がへった」


タオルの合間からちらりと向けられた老師様の視線は、

フライパンの上に注がれています。

やはり、この香ばしいベーコンの匂いに食欲がそそられたのだろう。

流石ヤトお爺ちゃんおすすめの美味しいベーコンだ。


それもそのはず、このベーコン、赤みと脂身の割合がとてもいい。

日本のスーパーでもめったにお目に掛かれない黄金比率。

初めて見たときはこれはと唸りたくなるほどの出来でした。


そして、この素晴らしく美味しそうな匂い。

焼いている私ですら口の中から唾液が溢れてくる。

それに呼応するように私のお腹もすいてきました。


私の一切れを残して、後は全て老師様のお皿に乗せます。

絶対に老師様も満足な味ですよ。


「はい、すぐお持ちします。

 お部屋でお待ちください」


背中を向けた老師様を向うに、私はいそいそと用意をします。


給仕には、昨日、掃除の際にロフトで発見したワゴンを使います。

このワゴンは横幅細くて3段なスタイリッシュワゴンです。

正確には本を運んだりする用途なのだと思います。

だって、一番上の台は斜めに本が置けるようになっていましたから。


ですが、ワゴンはワゴン。車輪が付いていて物を運ぶ機能は同じです。

これなら、一度でかなりの量が運べます。


ロフトで埃をかなり被っていた物なので、

それなら食事用ワゴンとしてつかってもいいかなと思いました。

もし咎められたら大人しく怒られて新しい食事用ワゴンを用意してもらおうと思います。


焼けたベーコンが冷めない様に皿に乗せ蓋をしてワゴンの中段に乗せ、

オニオンスープを鍋ごとベーコンの隣に、

フレンチトーストもどきのパンが入った陶器の深皿は蓋をしたまま下段に、

一番上にカトラリーと皿と手ぬぐいなどを用意して、

ワゴンを押して老師様の部屋に向かいました。


老師様の部屋は昨日と同じように本棚に囲まれた部屋。

ですが、昨日と違う事が一つありました。


昨日の朝に食事をとった丸テーブルの上に大量の本や書類だ乗っていた。

あれをまず片付けてから食事を置いたのでよく覚えている。

だけど、今日は綺麗にテーブルの上が片付いています。


ちらりと目線をベッドの上に向けると、

明らかについ先ほど移動させれられたとみられる数冊の本が転がっていた。


食事が来るので片付けてくれたのでしょう。

本当に気が利く雇用主です。

ちょっとした気遣いが嬉しいですね。


机の上を拭いて、ランチョンマットを広げ、カトラリーを並べて、

スープ皿を並べ、ベーコンの皿を並べました。


「お待たせいたしました。どうぞお座りください」


老師様は無言で椅子に座ってクロスを手に取りました。


チーズのうっすら溶け具合を壊さないようにオニオンスープを配膳し、

フレンチトーストもどきの卵と牛乳をしみこませたパンを皿に乗せ、

老師様の正面に置いて頭を軽く下げました。


老師様は、最初の一口はゆっくり食べていたが、

どうやら口にあった様で、気が付けば猛然と口に運んでいた。


スープの皿は三度おかわり。

フレンチトーストもどきはほんの少しだけ鍋に残っているだけ。

ベーコン、芋、野菜は完食でした。


昨日の3倍近い量の朝食でしたが、本当に気もちいい食べっぷりです。


ある程度老師様が食べ終わったら、紅茶を入れに炊事場に戻り、

温めてあったカップとポットをトレーに乗せて部屋に戻りました。


テーブルの上を片付けてワゴンに乗せ、暖かい紅茶を用意する。

蒸らし時間を考えながら紅茶を入れて老師様の前に置く。

受け皿には昨日購入した際におまけで付いてきたオレンジの皮の砂糖漬け。


老師様は甘い物が結構お好きなようですので、

おそらく紅茶と一緒に楽しまれるでしょう。


ゆっくり紅茶を飲み干しながら、優雅に目を瞑る老師様。

改めてじっと顔をみると、やっぱり美形です。

若いころはさぞかしモテモテだったと推測します。



ぼそりと老師様が一言。


「美味かった」


初めていただけたお褒めの一言です。


「有難うございます」


嬉しいです。今日は一日よい日になりそうです。



私も残り物で食事をとりお腹一杯になりました。

私の食事は簡単に残ったパンにベーコンステーキと野菜を挟んだだけですが、

肉汁がじゅわじゅわとパンに染み渡り大変美味しかったです。

また、あの店で同じものを購入することを心に誓いました。


お腹が満足したところで、片づけて掃除を始めました。


と言っても、昨日かなり大まかですが掃除をすませましたので、

今日は箒と布巾をもって軽く上を滑らせるだけで綺麗になります。


今日は老師様から、あれしろこれしろとお仕事指令がないようです。

昨日沢山働いたから、今日は少しだけ加減しようとかの優しい心遣いでしょうか。本当に優しい雇用主です。


しかし、そんな雇用主の善意に甘えるつもりはありません。

ので、昨日後回しにしていた細かな部分の掃除を始めたいと思います。


うん?

指令って言葉に、昨日のアマーリエの顔がポンと浮かびました。


そういえばアマーリエからスパイ業務を押し付けられたのでした。

ちょっと頭痛になりそうですよ。


あ、それに思い出しましたよ。

老師様とアマーリエは幼馴染の婚約者同士。

実際は余り歳が変わらない美男美女の最高カップル。


しかし、あのアマーリエの顔から婆の顔が想像できない。

で、老師様と一緒に並べると明らかに老人と孫。

私の想像力にも限界の字があったようです。


ときに、話は戻るがアマーリエの指令。

一体全体どうしたものかと首をひねる。


まず、肝心の王立学問所の場所も解らない。

そして、探し人のサイラスさんどうやって見つけたらいいのかも解らない。

老師様に尋ねるのもダメって言ってたし。


情報の少なさに思わず臍をかむ。


アマーリエもアマーリエだ。

人が可愛さに見惚れている間にあんまりだ。


スパイ業務は人を見て判断してほしいと思います。

私には適性が無いと一目見ても解るだろうに。


自慢ではないが、いくら神様の守護者という肩書あれど、

私は基本性能が大分下なのだ。

私の高校時代の運動神経と反射神経はいつも下位打線を走っていた。

チャーリーズなんちゃらとかMISに出られる可能性のある人を推薦いたします。


だけど、契約しちゃったって言ってたし。

ああ、もう、どうしたらいいのかなあ。


考えながらも私の掃除する手は休んでいません。

この辺は、マーサさんの侍女教育が行き届いた結果ですね。

淑女たる者、私事で仕事をおろそかにするべからず。

淑女バイブル内定義の一つです。


本棚の棚を乾いた布巾で丁寧に拭いていき、

箒で隙間の埃や汚れを掻きだすように掃いていきます。


裾がうっすら汚れたテーブルクロスやタペストリーなどを回収して、

洗濯籠にいれておきます。


研究室の床や老師様の部屋を廻って掃除しながら洗濯物回収です。

執務室はちらりと見たが、あれは手を付けてはいけない塔が出来ていました。

大量の紙のジェンガを崩す勇気は私にはありません。

あれを今日のカナンさん達が処理するのかと思うと、

なんだか遠い空を見上げたくなるような気がします。

頑張れっと心の中で呟きました。


私が忙しなく右に左にと動いていたら、

カナンさんとルカさんが出勤してきました。


カナンさんは目を細めて嬉しそうに微笑ながら、朝の挨拶をしてくれます。


「お早うございます、メイさん。 

 昨夜は何もなかったですか?

 嫌な夢にうなされたり、物が飛んで怪我をしたとか。

 ああそれに、後頭部の痛みは治まりましたか?」


夢? 見たような見なかったような。

だが起きた時、嫌な気分では無かったので悪夢は見ていないと思う。


それにしても、カナンさんはとても優しい気遣いさんです。

確かに、老師様トラップに引っかかって大きな瘤は作りましたが、

触らなければ瘤は痛くないのです。



「カナンさん、お早うございます。

 大丈夫です。よく眠れました。

 心配してくださって有難うございます」


カナンさんににっこり笑って挨拶を返していると、

横にいたルカさんが私の指をさっと取って、

どこぞの物語の騎士の様に手の甲にキスをした。


ルカさんは邪気が全くない笑顔でにっこりと笑う。

黒メガネの向こうの瞳は解らないけれど、

片膝ついて片手を取るその姿勢がやけに綺麗だ。


普通なら男性にそんな風に手を取られたら、何処か恥ずかしくて照れくさいと思う。

だけど、その仕草は丁寧でありながら、なんだかやけに違和感があった。


違和感がなにかと言われたらきちんと説明できないが、

なんだか現実ではなくて物語の中に居る様な、

俳優が舞台で演技しているようにも見えた。錯覚でしょうか。


かといって、私の乙女心が涸れたと言うわけでは決してないはずです。


以前、ステファンさんやレヴィ船長が私の手の甲にキスしたときには、

ちょっと、いや、かなりドキドキしました。

思い出すと今でもちょっとだけくすぐったいような恥ずかしいような、

それでいて飛び跳ねたいような乙女な気分になる。

跪かれお姫様気分って、一瞬の夢のような錯覚と解っていても、

いいですよね。


だけど、なんだろう。何故?

不思議なことに、ルカさんだとちっともドキドキしない。

タモさんのような黒メガネのせいかしら。


それどころか、西大陸でも手の甲挨拶はあるんですねなんて、

冷静に考えている自分が居た。

だから、その違和感を探る為に、私はじっとルカさんを見つめてしまった。


「お早う、僕の可愛い子猫キュルリーちゃん。今日も可愛いね。

 そんなに熱い瞳で僕を見るなんて、食べちゃってくださいってことかな」


ニコヤカに甘ったるい台詞を放つルカさん。

食べるって、そんな細い体ではっきり言って無理でしょう。

ルカさんの手袋に包まれた手首とか私よりも細い。



よこからカナンさんが、ルカさんの手を素早く払い落としたら、

バランスを崩して軽く尻もちをついた。

たったあれだけの衝撃で尻もちだなんて、ルカさんは軽すぎるのではないでしょうか。 

もしかしたら、私よりも体重軽い?


……じょ、女子の体脂肪率は男性に比べて多くて当たりまえなんですよ。

でも明らかに私よりも断然背は高い。

心がちょっとだけ凹みそうです。


下に俯いたら、ルカさんが腕に抱えていた沢山の書簡が床に落ちていた。

手紙やら大き目の封筒やら小さい箱など、いろいろです。


元気よく立ち上がったルカさんと不機嫌顔のカナンさん。

二人が言い合っている背後、つまり私の目の前で、

老師様が散らばった一つの封筒を拾い上げました。


そして、机の上のペーパーナイフでその封を切り、

広げた手紙に真剣な目で内容に読んでます。


真剣な顔で手紙を読む老師様の眉間にピキピキと皺が寄りました。

目つきが明らかに剣呑さを増してます。

そして、ゆっくりと踵をかえして自分の部屋に帰りました。


何か大変なことがあったのでしょうか。

ちょっと心配になります。


しかし、私の心配は目の前で言い争いを続けている二人に邪魔されます。


「とにかく、朝から変な冗談は止めてください、ルカ。

 彼女は貴方の周りにいるお気軽な友達とは違うのです」


カナンさんは、さっと白いハンカチをポケットから出し、

私の手の甲を優しく拭いてくれました。


「ふうん、カナンって意外に独占欲強いんだ。

 ぞくぞくしちゃいそうだよ。別の意味でもね。 

 あ、そうそう、駄目だよカナン。

 この子はマールちゃん。 老師様が決められたんだ。

 この場所に彼女が働く以上は呼び名はマールで統一するべきだよ。

 そうじゃないと、彼女も周りも困惑するよ」


ルカさんの台詞にカナンさんが息を止める様に一瞬黙ります。


ルカさんの言っている意味は殆ど解りませんが、

なんとなく私の事について言っているような気がした。

だって、何度もマールって言ってるし。


百かあ、数字だと思うと囚人番号みたいでなんとなくいい気はしない。

しかし、金さん銀さんみたいに百歳万歳のお目出度い数字でもある。

縁起のいい数字だと考えを変えてみれば、

なんとなく寛容な気分になってくるから不思議ですね。


「しかし、マール(100)は幾らなんでもではないですか。

 そもそも彼女には、メイという素敵な名前があって、

 それを勝手に変更するのは人道的にも問題が……」


「なんでさ。 呼び名なんて、皆、都合のいいように呼ぶだろ。

 本人の了承なしでね。

 老師様だって、いろいろと呼ばれているけど気にしないじゃないか。

 偏屈爺とか奇人変人とか。

 そんな老師の助手の僕達が彼に倣って何が問題あるのさ」


ルカさんはカナンさんの傍にそっと寄り、声をトーンをおとした。

私にはさっぱり聞こえません。


「大体、そんなに気になるなら、二人っきりの時だけ、

 カナンが耳元でそっと名前を呼んであげればいいじゃないか。

 親密な関係って感じでちょっとドキドキかもね」


カナンさんの右耳がちょっとだけ赤くなった。

ルカさんが耳元でこそこそと内緒話をしているので、くすぐったいのでしょう。

内緒話は耳元でって言うのは、男も女も特に変わらないのですね。


「し、親密な関係って、私は本人の了承があればいつでも…

 ええっと、まあ、メイさんさえ問題なければ、

 私はそこまで意固地になるわけでもないのだが……」


「なら決まり。 仕事するときはマールちゃん。

 私生活は僕の可愛いキュルリーちゃん。

 勝手に呼ぶけど、諦めてね」


私は、突然ルカさんに右手を引っ張られた。

が、ルカさんの行動を把握しているカナンさんがその邪魔をしたことで、

団子の様に3人揃って床に転がった。


私は丁度その時、今日はお茶を何人分用意しようかと考え、

視線をコンロの方に逸らしていたので、咄嗟に受け身が取れませんでした。


結果、鼻が痛いです。

昨日の夜は引っ込んだはずの鼻が、今日は起動しなかったようです。

硬い何かに鼻がぶつかったらしく、ガツンと音がした。

大変痛いです。何が起こったのでしょうか。


気が付けば、一番下が私、ルカさん、カナンさんの順でサンドイッチです。

私の痛む鼻に、ふわっとユリの香がした。

ルカさんの香水でしょうか。

男の人なのに百合って、まあ華奢なルカさんにはよく似合っている。


「な、お前! ルカ! 離れろ馬鹿!

 メイさん、大丈夫ですか? どこか怪我は?」


カナンさんは私の上に被さっていたルカさんの襟首を持ち上げる様に、

べりっと引きはがした。

そして、咳込むルカさんを放置したまま私に手を伸ばした。


「ぐぅ、マールちゃん、ぐっごぼっ、

 き、君の与える熱は、想像を遥かに超えた痛みだよ、げほっ」


ルカさんの口からは血がたらり。

顔は笑顔でいるが、体はくの字に曲がり、

その手は忙しなく鳩尾を押えている。


実は、倒れこんだときに、ルカさんに取られた私の腕が捻じれた為、

痛みが生じない様に私は無意識で体全体を斜めによじっていた。

その結果、私の左肘が見事にルカさんの鳩尾を直撃したのだ。

ルカさんは私の肘に向かって全く受け身が取れない形で倒れこみ、

その上にカナンさんが重しの様に乗る形となった。


人間の肘って大変硬いのです。

それが鳩尾に深々とルカさんに突き刺さった感じとなりました。

咄嗟に上に逃げようにも上から被さってくるのはカナンさんの体。


これは、もしかしなくても胃に穴が開いたかも。



私は鼻を押えたまま、ルカさんの唇から垂れた血を、

ポケットから出した布巾で拭いました。

胃から喀血したのかもしれない。


「ルカさん、大丈夫ですか?

 お医者行きますか? それともお部屋で横になりますか?」


外傷性の胃の穴って、横になっていれば直る?

普通に考えても無理だよね。

本に載っていた病名の欄に要手術とか書いてあった気がする。


「げほっげほっげほ、よ、横になった方がいいかな。

 だ、だけど、今日は、仕事は無理だと思うんだ。僕は家に…」


おろおろとルカさんの顔色を窺っていたら、

カナンさんがルカさんの後頭部をべしっと叩いた。

怪我人に乱暴はいけませんよ。


「駄目だ。それしきで休めると思うのか。奥の部屋は仕事で満載だ。

 大体、私より先に砂漠に出ていたお前に寝ている暇などあるものか。

 今日は、白目をむくまでこき使うからそう思え」


カナンさんがルカさんに怒鳴っている。

だけど、ルカさんは咳込みながらも嬉しそうに笑っていた。


その笑い方なら、怪我はそう大したことないのかもしれない。

ちょっとほっとした。

 

「げほっ、ふう、もういやだなあ、カナンがそのつもりなら僕だってねえ。

 気絶するまでなんて、なんだか禁断の扉を開けそうで怖いなあなんて」


「誰がそのつもりなんだ、誰が! 可笑しなことをほざくな!

 メイさん、ルカの言っていることは全く違いますからね。

 本気にしないでくださいね。私を信じてくださいね。」


カナンさんが私の肩を持って、がくがくと揺さぶった。

頭が、首が、振りすぎて大変気持ち悪い。

私が何か言わないとこのがくがく攻撃は収まらない気がしたので、

とりあえず返事をした。


「は、はい」


カナンさんがほっとした顔で笑った。

うん、多分、これで正解だったのだろう。


昨日に比べたら、なんとなくだが西大陸の言葉が聞き取りやすい。

私の標準以下の脳みそでも、経験値を積み重ねているということですね。

私だって成長しているんです。

おそらく、理知的美人に近づいているんです。多分。


あまり慌ててないのも要因としてありますね。

なにしろ言葉が全く解らないのは我が人生において2度目だ。

この世界に始めてきて船で拾われた時も、全く言葉は通じなかった。


その経験からいうと、言葉が原因で死ぬというような場面は余りない。

まあ、人を見て返事をするのはもちろんだが、

大概は、はい、いいえの二択で済む。


それで駄目なら意味を聞けばいい。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言うではないか。



唐突に、私達の後ろに影がふっとできて、ゴン、ゴンと大きな音がした。

途端にカナンさんとルカさんが、「ぐっ」「ぎゃ」と声を上げ、

頭を押さえてしゃがみこんだ。


振り返ると木槌を右手に掲げている老師様が背後に立っていた。

もしかしなくてもあれで叩いたのでしょうか。

金槌ほどではないにしても頭を押さえて転げまわる仕草を見るに、

結構痛そうです。


「煩い! 考え事の邪魔をするな!」


老師様は木槌を勢いよく床に放り投げた。

木槌がくるくる回りながら床を滑って壁にぶち当たった。

老師様、物は投げるのではなく片付ける習性を持ってください。


「マール、掃除洗濯が終わったら、買い物に行ってこい。

 書架市場に行って本を受け取ってこい。

 これがリストだ。絶対に落とすな汚すな傷つけるな。

 世界に数冊しかない貴重な古書本だ。 

 もし、少しでも損ねたらお前の給料3年分が吹っ飛ぶからそう思え」


老師様は無造作にメモを私に投げる様に渡す。

ちらりと見ると、書いているのは西大陸の言葉で一行のみ。

もちろん読めませんが、これは一冊と言う事でしょうか。


一冊なら持って帰れますね。


あれ、でもさっき、3年分の給料が無くなるって言いましたよね。

ということは、とっても高価な本?


百科事典とかかもしれません。重たいのかな。

そんなに重たいのなら、手が震えてお買いもの籠ごと落とすかもしれません。

落としたら私は3年無給で働かなくてはいけない運命に。

絶対にそれは避けるべきでしょう。


これは、買い物籠の他に袋を持って行った方がいいかもしれません。

うん、いい考えです。


夕食の買い物をするつもりだったので、食材と一緒に本を籠に入れて、

万が一汚れでもしたら、3年分の給料が飛んでいく。


そうときまれば、まずは日本から持ってきた布のトートバック。

あれは一応、斜め掛けにできる紐が中に付いている優れものだ。

素材は布とはいえ帆布だから丈夫だし、

肩から下げてお腹の前に抱えて歩けば、落とさないし汚れない。

気も随分楽だ。


よし、そうしましょう。


「老師様、彼女は店の場所を知りません。

 ヤトは本日いませんし、今日は私が彼女について行きます」


え? カナンさんが?


「却下だ。それはワシが愚者という烙印を押されると同義だ。

 まずは自身を顧みて口に出せ。

 お前の部屋に仕事が山積みだと言ったのはどの口だ」


ですよね。

カナンさんは一緒に行けるはずもない。

それに、老師様の今の言葉は、

カナンさんと一緒にだと迷子警報が発動すると言っている気がした。


昨日のヤトお爺ちゃんの案内で大体の道は覚えたから多分大丈夫。


「カナンさん、大丈夫です」


「し、しかし」


私の言葉にカナンさんは情けないような申し訳ないような、

そんな顔で私を見返していた。


頭を押えたまま、へらりと笑ったルカさんが口を開いた。


「あ、なら、僕が~」


ルカさんの顔に、一枚の紙が勢いよく貼りつけられた。

勢いが強すぎて、紙に顔の凹凸が綺麗に浮かぶ。

仮面の様に紙を張り付けたのは老師様だ。

張り付けられた紙は、先程、老師様が読んでいた手紙。


「ルカ、お前の所属するオスタードから結果報告要請が来ている。

 今日中に耳をそろえて提出しろ。出来ないなら明日からここには来るな。

 無能な役立たずはいらん」


「ええっそんな~」


ルカさんの頭ががっくり落ちた。


「マール、書架市場三階のヘクター・ビリンガムを訊ねていけ。

 彼は東大陸の言葉が解る。書架市場で何かあったら奴を頼れ。

 いいか、お前はどうでもいいが、その本は何があっても無事持ち帰ってこい。」


書架市場の三階のヘクターさんですね。

そうか、東大陸の言葉が解る人がいるのですね。

それは大変心強いです。流石知識の都だ。

頭の良い人が多いのでしょう。


書架市場へは多分、問題なく行けると思う。食材市場の真向いです。

忘れない様に「三階、ヘクター」と手のひらに指で文字を書いた。


それにしても、老師様は本当に親切な方です。

西大陸の言葉が片言しか話せない解らない読めないの3無い私に、

ちゃんと東大陸の言葉が解る人を紹介してくれるなんて。

なんていい雇用主なんでしょう。


「はい、解りました。

 老師様、有難うございます」


老師様に頭を軽く下げると、老師様はふんっと鼻を鳴らして踵を返した。

その後を足取りの重い二人が続く。

まるでドナドナな音楽が聞こえる気がした。


執務室に入る前にカナンさんが振り返って言った。


「ああ、メじゃない、マール。

 本日の昼食も出前を頼んであります。

 コニスが来たら、昨日と同じように迎え入れてください。

 よろしくお願いします」


とうとう、私の名前がマールになった。


「あ、はい。わかりました」


まずは、洗濯です。

そして、買い物に行きお使いをする。


書架市場で、人に聞いたら王立学問所の場所が解るだろう。

だって、学問といえば本でしょう。

もしかしたら、書架市場の人がサイラスさんを知っているかもしれない。


もし、知っていたら教えてもらおう。 そうしたらスパイ業務は完了だ。

老師様には聞いちゃダメとアマーリエはいったが、

他の人に尋ねちゃダメとは言わなかったからいいよね。



よし、ちゃきちゃきと動きましょう。

優しい老師様の為に、頼まれた本と晩御飯の材料を手に入れてくるのです。


洗い物の入った籠をよいせと持ち上げて、一階の洗濯場に向かいました。



*********** 

 

さて、沢山の洗濯を無事終えて掃除も済ませ、

やはり本日も嵐のように尋ねてきたナヴァドさん達三人組を迎えました。

昨日と同じように軽い言い争いは何度もあるが、

ミーアさんは腰に差した半月等の柄を握りしめながらもぐっと堪えている。

対するナヴァドさんも、比較的大人しい言葉使いだ。


ミ「ち、昼食前…」

ナ「我慢比べさ」


ええ、その通りです。

昨日の教訓は生きているようです。



茄子をふんだんに使った美味しいコニスさん出前の昼食を食べて、

意気揚々と買い物籠を持って外に出ました。

あ、ちなみにこちらの茄子は紫ではなく、オレンジです。


外に出てみると、びっくりするほどの晴天でした。

雲一つない青空です。


起き抜けにトンビが言っていた通りにイイテンキです。


抜ける様な青い空がどこまでも続いていて、とても気分がいいです。

スキップしたいように気分が上向きます。


私のメイド生活2日目は、大変順調です。

第二の職業のスパイ一日目は、問題だらけですが。






書架通りを歩いていくうちにどうも気になることがありました。


私、大変視線を感じます。

気のせいではありません。

断っておきますが、自意識過剰でもありません。

事実として、明らかに皆さん私を見てます。


何故?


視線を向けていたであろう人々は、私が振り返ると途端に目を逸らします。

それに、何だか街の人が、こそこそ内緒話をしているんです。


カナンさんとルカさんの内緒話みたいな場面を、

本当に街中のあちらこちらで見かけるのだ。


もしかしてこの町の人って、内緒話が標準仕様なのかしら。

しかし、こうも目をあからさまに避けられたり、

ひそひそ噂話をするって、ちょっとしたストレスを感じそうだ。


繊細な私に十円禿が沢山出来て、小坊主さんどころか、

レナードさんに弟子入りするしか職が無くなったらどうしよう。


し、シャレにならない。

こけし一直線だ。乙女崩壊の危機だ。


き、気にしないことにしたいと思います。

うん、気にしないったら気にしないのです。


心のなかで呟きながら書架通りを歩いていたら、

色の浅黒いボンキュボンなお姉さんにぶつかった。


いや、ぶつかったというより、お姉さんが私の目の前に仁王立ちしていた。


「ちょっと、これを見てちょうだい」


は?


差し出されたのは、赤と白の二つの手のひらサイズの巾着袋。


「ねえ、どっちがいいと思う?」


どっちがいいと聞かれても、中身がなにかも解らないものをどう選べばいいのか。

だけど、お姉さんの視線は真剣そのもの。

どちらかというと、食いつきそうな目でこちらを睨んでいる。

ちょっと怖い。


「えっと。じゃあ、こっちで」


とりあえず私が選んだのは、白の袋。

もちろん選んだのは適当です。


「そっか、ありがとうね。 頑張ってくるよ」


そういって、お姉さんはガッツポーズで私の前から居なくなった。


一体何だったのでしょうか。


首を傾げながら3歩進むと、大人しそうな知らない青年が私の肩を叩いた。

振り返ると、真剣な目でというより血走った目で私の両肩をがしりと掴む。


「どこにも見つからないんだ。僕は一体どうしたらいい」


知りませんよ。


そう答えようとしたら、彼の後ろの人ごみの中に、

ちらちらっと彼を心配そうに窺っている女性が居た。

子リスの様な印象の小さな女性。


あの様子から察するに、あの人はおそらく彼を知っているのだろう。

だから、その心配事は彼女に相談するといいと思います。

そう思って、トントンと項垂れている彼の肩を叩いて、

指で彼の視線を彼女の姿がある方に誘導した。


「あっちに…」


「あああ。リルル、やっとやっと見つけた。

 有難う。感謝する」


彼は、満面の笑みで彼女に向かって走って行った。

子リス彼女の名前はリルルですか。似合ってますね。


しかし、私、何もしてませんが。

どうして行き成り感謝されるのでしょう。


更に反対方向に首を傾げて三歩進んだら、

次は、お爺さんがよたよたと店先から杖を片手に歩いてきた。


「今日は、雨は降らんのか?」


は?天気予報ですか?

私はすぐに空を見上げた。


ポーン。

(本日一日晴天、西風やや強い)


天気予報が頭に浮かんだ。


「はい。今日は一日良い天気みたいです。

 西風がやや強いみたいです」


「そうか、そうか」


お爺さんはよたよたとお店に入っていった。


なんだろうとまたもや3歩進むと、今度は子供が3,4人寄ってきた。


「ねえねえ、どっちに入っていると思う?」


真ん中の比較的大きな背の子供が両の拳を突き出してくる。


右手の端からちろりと赤いリボンが見えている。

どっちって入っているって、リボンが入っているってこと?


「こっち」 子供の右の拳を指さした。


「うわあ、当りだぁ。 凄いや、凄いや」


子供たちは、びっくりしながら嬉しそうに駆けて行った。


私の方がびっくりだ。リボンが見えたから答えただけなのに。

今のは、この町の子供の遊びなんだろうか。


そうして、書架市場に着くまでに老若男女。

3歩進むごとに沢山の人に声を掛けられた。

お蔭で書架市場になかなかたどり着けない。


時に解らない質問や、抽象的な問いかけには、

首を傾げたり、眉をしかめて解らないという意味で首を振った。


そうしたら質問を言ってきた人は、

目の前で物凄いショックを受けたような顔をした。

私がすいません解らないですと正直に謝ると、

いいんだ。気にしないでくれと了承の言葉は口にするのだが、

がっくり肩を落としてとぼとぼと帰って行った。


明らかにいいわけではないのは解るが、

私にはどうしたらいいのかさっぱりだ。

ですので、気にするなの優しい言葉に甘えたいと思います。


あの人達は、この町初心者に何を尋ねるつもりなのでしょう。

さっぱりわかりませんが、この町独特の歓迎と言う事でしょうか。



やっと中央広場に着いたので、書架市場と食材市場を見比べて、

まずは食材市場に行きました。

高い物を失くすリスクは極力無しにしたいからです。


本日の夕食と明日の朝食の買い物を済ませ、

最後にやっと書架市場に入りました。


書架市場は博物館のような図書館のような不思議な建物でした。

建物の中は羊皮紙や本の独特な香りが漂っている。


老師様に言われた通りに、階段を三階に上がってヘクターさんを呼んだ。

ヘクターさんは遅めの昼食を取っているとかで、

しばらく待ってくれと店の人に言われました。

そして、店の椅子を勧められ、暖かい紅茶まで出された。


「ごゆっくりどうぞ」


喫茶店の店員のような口調にちょっと癒される。

高い本高い本と思っていただけに、すこし緊張していうようだ。


体を解し、ちょっとだけ足が疲れた気がしたので、

言われるままに座って出された紅茶をゆっくりと飲みました。


静かですねえ。

このまったりのんびりとした空気もいいです。


書架市場の三階って本当に人が少なくて、落ち着いて紅茶が飲めます。

柑橘系の香が強いさっぱりとした風味の紅茶は大変美味しい。


老師様の家にあった紅茶も、コニスさんが持ってきてくれた紅茶も、

種類は違えどもさっぱりとした柑橘系の香でした。

この国の特産なのでしょうか。


私がまったりと紅茶を堪能していたら、

こちらをちらちら見ていた先程の店員らしい女性が、

すすすっと傍に寄ってきた。


「あ、あの、ちょっとだけ、お話してもいいかな」


腰をかがめてもじもじと可愛い仕草で話しかけてきた女性は、

世間一般にみて可愛い部類に入る女性だ。

そばかすが小さな鼻に散っているが、それが可愛さを後押ししている。


「はい。なんでしょうか」


そうしたら、彼女は私の耳元に内緒話をするようにそっと両手を構え、

声を潜めて、「私、好きな人がいるの」と打ち明けてきた。


私は目を大きく見開き、何度か瞬きした。


この人は、初対面の女性です。

ええ、私の記憶には全く存在しておりません。


この国の人は初対面の相手にこんな内緒話をするのが普通なのでしょうか。

随分とオープンというか内向的かつ開放的なアンバランスな習慣だ。


固まっている私の耳元に、彼女は更に言葉を続ける。


「私は、下の階で働いているミラというの。

 占術シュエロでヘクターが私のことをどう思っているか教えてほしいの」


シュエロ?

それってなんでしょうか。

私が眉を顰めていると、手の平に20シンク分の硬貨が載せられた。


「ね、お願い、この通り」


彼女は、私を拝むように手を合わせた。

が、お願いと言われても、シュエロと言う言葉自体を知らないのですが。


とりあえずお金を返そうとしたら、後ろからポンと肩を叩かれた。

本当に今日は大勢の人に肩を叩かれる日です。


振り返ると、メガネをかけた爽やかイケメンの青年が立っていた。


「やあ、お待たせしちゃって申し訳ない。

 僕がヘクターです。 何のご用でしょうか?」


あ、この人がヘクターさん。


ミラさんが、キャッと小さな悲鳴を上げて、慌てて踵を返して、

階段を急いで降りていった。


この人が彼女の好きな人というわけですね。

なるほどイケメンだ。優しそうな知的タイプ。

筋肉はある様に見えないので草食系イケメンと言うやつでしょうか。


コイバナをしていたら、本人が現れた。

うん、片思いなら、当然逃げるよね。


私ににっこり微笑みかけるヘクターさん。

早く要件を言えと目が語っていた。


ミラさんの質問はまずは放置して、とりあえず忘れない内に、

老師様に預かったメモをポケットから出してヘクターさんに渡した。

東大陸の言葉が通じると言われたのを確める意味も兼ねて、

東大陸の言葉でヘクターさんに質問した。


『老師様から本を貰ってくるようにと言われました』


ヘクターさんは、少しびっくりした顔をしたが、

すぐににっこり笑って東大陸の言葉で返してくれた。


『ああ、この本だね。ちょっと待って、今取ってくるから』


ヘクターさんはさっと身をひるがえし、あっという間に本を取ってきた。

油紙で丁寧に包まれた本の表紙は分厚い紺色な布張りの古書だ。


『これがご注文の本だよ。2年待ってやっと届いたんだ。

 気を付けて持って帰ってね。とても高価なものだから』


私は、もちろんと頷くと、斜め掛けのトートバックにしっかりと入れた。

そして、これでお使いは半分終わったようなものです。

後は帰るだけ。

さて、遅くなったのでお暇しようとヘクターさんを見上げたら、

ヘクターさんは階段の方をぼうっとみて、はあっとため息をついた。


そこで思い出した。

先程のミラさんの告白。

誰かに聞かれて下手に噂になるとまずいので、そのまま東大陸の言葉で話します。


『ヘクターさんは、ミラさんを好きなのですか?』


つい、口からぽろっと毀れた。

ですが、そんな私の心使いも無駄になるヘクターさんの慌てぶり。

返す彼の言葉はしっかり馴染んだ西大陸の言葉。


「え?は? な、なんで。

 どう、どうして、君、僕が、ミラを好きだって」


ヘクターさんの顔が驚くほど真っ赤になった。実に解りやすい。

いや、私は全く知りませんでしたが。

でも、そうですか、両想いですね。


ミラさんの告白内容は、本人の了解が無い以上言うべきではないよね。

だか伝える方法はあるはずだ。

私はヘクターさんに向かって、親指をぐっと立てた。

そして、私が解る西大陸の言葉を頭の中で選んで答えた。


「大丈夫です」


両想いですよ。よかったですね。

その想いをこめてヘクターさんに笑顔で応えた。


「え?本当に?」


私は自信をもって頷きました。

やっぱり告白はカッコよく男からが後々の二人にとってもいい結果になる筈。新婚さん定番某テレビ番組でも、やっぱり告白は男からだよねと、

コメンテーターの女の子が言っていたのを覚えている。


「今すぐ、ミラさんの所に行って下さい」


ヘクターさんの顔がぱあっと笑顔になった。

そして、そのままの勢いで飛び降りる様に下に駆けて行った。


私は、数をゆっくり60数え、その後を追いかける様に階段を下りると、

階段の傍で二人が無事抱き合っていた。


幸福感満載の二人の周囲に大勢の人がいて、

祝福の声援と惜しむことない拍手を送っていた。


告白成功だったみたいです。

おめでとうございます。


ミラさんに先ほどのお金を返そうと近づくと、満面の笑みで言われました。


「有難う。さすが稀代の大占星術師シュエロファルディーナだわ!」

「そうだね。砂の一族推薦の名高いのモントーレだ」


ミラさんが言うシェエロ何とかは知らないが、

ヘクターさんが言ったモントーレって、東大陸の言葉で呪い師。

または、占い師。


は?


誰が占師モントーレ


メイドになったのに、スパイを命じられ、今度は占い師。

もう、どうしてこうなっているのかさっぱりわかりません。





気が付けば三役。

メイの眉は下がりっぱなしです。

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