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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
199/240

もう一人の助手さんです。

登場人物まだまだ増えます。

出来れば頑張ってついてきてください。

キュキュキュ

ガラスを磨く音がリズムよく部屋に響く。


手元のガラスには、自分の顔が歪んだ様に映る。

メイは手馴れた感じでガラスの凹凸部分を手首の上で滑らすようにして回す。

汚れが気になる部分には、はあっと吐息をあてて白い蒸気の膜をつける。

蒸気を打ち消すようにして、手に持ったくしゃくしゃの紙で擦り、

ガラスが更に艶を増していた。


もうこの作業を何回繰り返した解らない。

だが、確実にその成果は出ていると思う。


ふうっと一息ついて手を止め、机の上に視線を向けた。

そこには、磨かれて輝き、浮彫の装飾もあらわになった綺麗な火屋が並んでいた。

新品同様とまでは言えないが、ガラス本来の透明感を取り戻した火屋は、

キラキラと輝いているように見えた。


重い首を回して肩を順番に大きく回すと、こりこりと首と肩の骨が音を立てた。

下を向いて一心不乱にガラスを磨いていたので、肩こりが発生していた。


だが、目の前に並んだガラスの輝きを目にすると、肩の重みも軽く感じてくる。

ここまで綺麗になると、達成感と共になんとなく感動を覚えるというものだ。


ずらりと並べられた火屋の表面には、メイの顔が映っている。

平面ではないので、奇妙に横に伸びて見える。

見た感じは潰れたかぼちゃのような顔だが、今は自分の顔が問題なのではない。


火屋の向こうの景色がちゃんと見えることが重要なのだ。

透明度が甦った証拠だ。

よしよしと自己満足的な笑みを浮かべていた。


最初手に取った時は、火屋として役立たずと言わんばかりにかなり黒かった。

だからだろう。 ランプの幾つかは火屋を外してあった。


安全面を考えるとランプカバーでもある火屋は絶対にはずしてはならない必需品。

以前に塔で火事があったと聞いたことも鑑みるに、決して褒められた行為ではない。


だが、背に腹は変えられない状態だったのだろう。

そのくらいに火屋が真っ黒な煤で内側をびっしりと埋め尽くしていた。


私は、この部屋の火屋磨きをするにあたって、まず火屋を探した。

研究部屋には現在使われているであろうランプが5つ。

そして、部屋の隅や倉庫のガラクタとして転がっていたのが7つあった。

そのすべての火屋がすべて同じ状態だ。

黒い頑固な汚れがこびり付いているのを確認して顔がやや引き攣った。


だが、あの頑固な汚れがここまで綺麗になった。

自画自賛かもしれないが、我ながらの作業成果にじーんと一人感動し、

メイは自分なりに胸を張りたい気分だった。


感動しつつ一呼吸おいていたところで、どこからか甲高いベルの音がした。


カラ~ンカラ~ンカラ~ン。


ベルは部屋の外から聞こえた。それも一度ではない。

ベルの音がしつこいくらいにカランカランと沢山立て続けになり続ける。


この音は何の音だろうと思っていたら、

研究室の出入り口のドアがとんとんとノックされた。


「はい」


布巾を置いて立ち上がりドアを開けると、髭の濃い熊の様な顔の男性と、

赤茶の長めの布で髪全体を包むようにしている恰幅の良い女性がそこには居た。


二人はメイを見て、びっくりしたように目を瞬かせた。

そして、そのまま固まったように動かない。


どうしたのだろう。

メイは首を傾げるが、目の前の二人は微動だにしない。


確かにこの国の人達の顔は陰影がはっきりしていて印象深い顔立ちをしている。

それに比べればメイの様に凹凸のないぼんやり顔は物珍しいかもしれない。

でも、そんなに驚かれるような顔ではないはずだ。


そう思ってはいるが、こんな風に一目見てびっくりされるって、

まるで指名手配犯にでもなった気分だ。

それとも顔に墨とか灰とか埃とか、汚れがついているのだろうか。


思わず自分の顔に手にやったが、何も変わったことはない。

ぺたぺたと鼻は頬を確認したが、いつもと同じ愛着のある低い鼻だ。


二人は目の前で時が止まったように動かない。

もしかしたら泥棒とか不審者だろうかと疑問がむくむくと湧いてくる。

家の中の住人に見られて固まるといえば、

テレビドラマ的には大抵がそのパターンだ。


固まる原因は解らないが、とりあえず二人に声を掛け、

その固まった視線の先を遮るように手を左右に振った。


「あの~」


メイが喋ったことで二人の硬直が解けたのか、二人の瞬きの回数が途端に増えた。

男の方は力が抜けた様に肩を落とし下を向いて項垂れた。

そして、女性の方は大きく深呼吸した。

二人の反応の違いに疑問が残るけれど、人はいろいろだ。

だから、特に気にしないことにした。


先に我を取り戻した女性の方が握りしめていたエプロンの裾をぱんぱんと叩いてから、

メイに向かってにかっと笑った。


「ああ、びっくりさせちまってすまないね。

 まさか噂のお嬢ちゃんにイの一番で会えると思ってなかったからねえ。

 ねえ、お嬢ちゃん、あんた、頑張っておくれよ。

 アンタに私らの虎の子がかかっているんだからねえ」


女性はバンバンと大きくメイの背中を鼓舞するように叩く。

いきなりのことで呼吸が一瞬止まって、げほげほと咽た。


「おい、お前。 あんまり叩いてやるなよ。

 まだこんな小さい子にお前の馬鹿力は加減ってものをだなあ……」


項垂れていたはずの隣の男性が女性の腕を止めた。

それと同時に女性が眉を寄せて唸る様に威圧した。


「はあ? アンタどの口がそんな文句を言うんだい。

 アンタは、黙ってておくれな。 これは、私の心からの応援なのさ。

 逞しい味方がいるって解ったら力が湧いてくるってもんだろ」


豪快な笑みは、親しみを感じる。

メイは、おばさんは世界共通だと、心の底から思っていた。


「だ、だってお前、この子とお前ではまるで違ってるだろ。

 大体こんな小さい子に無理だろう。なあ、今から取り消そうぜ。

 あのことだって、この子に教えてあげれば……」


完全に旦那を尻に敷いている。

このことも、共通事項だろう。


「ああ、煩いね。 アンタは今日1日ずっと黙ってな。

 本当に口が軽いんだから、アンタときたら。

 元々、あの話に旨く乗せられたのはアンタじゃないか。

 いいかい、私がいいって言うまでしゃべるんじゃないよ。

 

 ねえ、嬢ちゃん、この人の言ったことは気にしないで頑張っておくれね。

 私は嬢ちゃんの味方だからね。ヤトさんから昨日ちゃんと聞いたんだよ。

 小さいのにいろいろ大変だったんだねえ。

 いいかい、何かあったら、いつでも言っとくれ。


 私はコニスって言うのさ。こっちは亭主のサバル。

 職人街で酒場兼食堂を開いているのさ。

 困ったことがあったらいつでも尋ねておいでな。

 この町では何かと力になれると思うよ。


 それはともかく、私達は昼食の出前に来たんだけどね。

 カナンさんはいるかい?」


弾丸のように話を進めるおばさんは、話題転換も急発進だ。

やはりどの世界もおばさんには圧倒される。


「は、はい。 私はメイです。

 よろしくお願いします。 今、カナンさんを呼んできます」


しかし、良い人達らしいので不審者でないと解って至極安心した。


彼等はメイに背中に背負った大きな籠を見せる様に籠を揺らした。

中にはお弁当が入っているのだろう。

メイの鼻に、美味しそうな匂いがふわっと漂った。


その時、騒ぎを聞き付けたのか、

執務室から出てきたカナンが入り口に立つ二人を見て寄ってきた。


「やあ、相変わらず時間きっかりですね。 コニスさん。

 いつも態々来ていただいて、本当に助かります」


「あったりまえだよ。そうでなけりゃお宅の老師様にどやされちまうよ。

 職務怠慢だってね。 もう30年ウチをご贔屓してもらってるんだ。

 親父さんの代から今まで、老師様には恩も借りも山ほどあるんだ。

 こんなことはなんてことないさ。 気にしないどくれ。

 それで、食事はどこに運ぶんだい? 

 なんだかやけに部屋が綺麗になっちまってるけど、

 この分だと、この部屋でもいいんじゃないかい」


コニスの言葉で、カナンが部屋をふと振り返り全体を改めて見渡した。

そして、一瞬、その細い目を驚いたように瞬かした。


そこは見慣れたはずの研究室ではあるが、何時もより広く大きく見え、

そして、なによりも部屋自体がやけに明るく見えた。


極め付けは、机の上で燦然と輝く火屋だ。

随分と綺麗になっていた。


メイは、カナンの視線を受けて誇らしそうに微笑んだ。


午前中が終わっただけなのに、随分と手際がいい。

メイはカナンが思っていたよりも掃除に長けているようだ。

これならば老師も文句を言うことはあるまい。

そう思って思わず細い目を更に細くして一人ほくそ笑みメイに微笑み返した。


メイはカナンから一歩下がった場所に楚々として控えて下を向いていた。

メイド仕様なかっちりした地味な服の印象も相まって、まるで王城の女官の様だ。


あのお仕着せは、マッカラ王国の王城メイドのものだ。

以前に服が汚れるとか言った2日でやめた年若な尻軽使用人の為に、

もう一人の助手が用意したものだ。

裾などがやや長い気もするが、とてもよく似合っていた。


カナンは一部の隙もないようなメイの姿勢の良さに、

急に手の届かない存在のような、どこか遠い存在であるかのような、

そんな微妙な距離感を感じ、すこし戸惑った。


だが、その一瞬の感覚を振り切る様に、カナンは視線をコニスに戻した。


「そうですね。 ですが、私の部屋に王城の執政官達も居るのですよ。

 予定外の人員が増えましてね。 コニスさん、余分はありますか?」


「え? 朝方、ナヴァド様の侍従が昼食の追加を託に来たんだよ。

 カナンさんが頼んだ4人分とあと追加で3人分。合計7人分だね。

 それよりもっと増えちまったのかい?

 まあ、大食らいばかりだから、余分を多めに持ってきたけどさ」


カナンがちらりと執務室の半開きになったドアを見た。

見慣れたはずなのだが、いちいち仕草が気障っぽいナヴァドが出てきた。


「はっはぁ~、僕の先見の明に恐れをなしたのかい?

 カナン君ともあろうものが、僕を見くびってもらっては困るね。

 今日のこの状態は、今までの経験から簡単に推測できるだろう。

 ああ、僕を褒め称えるのは吝かではないが、僕としては謙虚に行動したいのさ。

 だから、お礼の言葉も感動の眼差しも今は程々にしてくれたまえ」


謙虚、その言葉を彼ははき違えているの違いない。

そこにいる全ての人間がそう思ったに違いない。

だが、カナンは彼の言葉に波風を立てるでもなくさらっと流した。


「そうですか。 ナヴァドさん、ご苦労様でした。

 それでは、昼食にしたいと思います。 今日はこの大部屋でも問題ないでしょう。

 あちらの部屋は本日は少々手狭ですし。

 ヤードルさんとミーアに頼んで、私の部屋から敷物を運んできてください」


ナヴァドが部屋の中に戻ると、すぐにヤードルとミーアが丸まった敷物を持ってきたので、

すぐさまメイが、邪魔にならないように幾つかの本の塊を脇にそのまま寄せた。


ばさっと広げられた大き目な絨毯ラグの華やかな模様が目に鮮やかだ。

花や動物をあしらった色鮮やかな織文様は、驚くほど緻密な絵図面を描いている。

ペルシャ絨毯と似ているようで似てない織り方。

だが、その模様に感動したのはメイだけだった。


絨毯を敷いた先から、ミーアがさっさと座り込んだ。

いつもの定位置のように座る場所に迷いが無い。


「あらやだ。 ちょっとびっくりしたわ。

 この部屋に敷物が敷けるだけの空間ってあったのね。

 いつも埃まみれで、物が散乱しているのが普通だったのに。

 埃の塊も無くなっているし、空気もやけに清浄で、

 物が多いのは変わらないのに、部屋がやけに広く感じるなんて。

 ねえ、貴方、噂の新しい使用人よね。 

 掃除が得意なの?得意なのよね。 

 もしよかったら、私の所で働かない? ここよりはもっといい条件出してあげれるわよ」


きょろきょろと研究室を見渡していたミーアの視線がメイに止まり、

思ってもいなかった台詞を言ったことで、カナンが思わずぎょっとしてしまう。


「ミーア、冗談は止めてください。

 彼女は今日が初日なのです。可笑しな真似をするなら怒りますよ」


カナンの言葉にヤードルが頷きながら、言葉を続けた。


「そうですよ。

 ミーア女史のあの汚部屋を見たら、どちらがいい条件なのか解りませんものね」


「う、私に片付けの才能がないことは、解っているわよ。

 美人で才女で武勇に優れた私の唯一の小さな欠点じゃない。大目に見てよ」

 

どうやら、天は3物以上は与えなかったようだ。

でも3物でも十分だと思う。


「本当に、昨日までは、あちこちと埃まみれで歩く場所だけがやけに綺麗だったのに、

 今では隅々まで綺麗になって、これを一人でですか。 

 まだ君は小さいのに、きちんと片づけられて偉いですね~」


ヤードルが感心したようにあちこちを見ては感嘆の声を上げてくれた。

が、なんだか感心する仕方が可笑しいように思うのは気のせいでしょうか。


メイは、言っていることは半分くらいしかわからないが、

二人の目には紛れもない称賛の光が見えたから、

とりあえず褒め言葉だけを受け取ることにした。


ナヴァドだけが全く驚く様子はない。


ナヴァドの両手には小さなクッションがいくつも抱えられており、

それが広げられた敷物の上に無造作に並べられた。

それを見て、ヤードルも何かを取りにカナンの執務室へと戻った。


真っ赤なビロードのクッションをミーアが我が物とばかりに抱え込んだ。

その様子は、小さな子供がしている様にも見えて、聊か微笑ましくもある光景だ。


「そうかい?僕には相変わらずの狭い部屋にしか見えないけどね。

 まあ、僕は基本的に美しい物しか目に入らないからねえ。

 この狭い部屋が汚れていようが、散らかっていようが、

 君の部屋が人が住めない魔窟と化した汚部屋だろうが、

 特に問題ないさ。ねえ、ファーミーア女史?」


彼女はナヴァドの言葉で、先程までの微笑ましさを、

すぐさま打ち消すような視線でナヴァドを睨んだ。


「は? 私の部屋が魔窟って、人間が住む場所じゃないっていいたいのかしら。

 よほど地獄に突き落とされたいのかしら、この男」


ミーアの機嫌はどんどん悪くなっていき、顔立ちが般若の様に怒り始めていた。

赤いクッションの四角い形が、握りしめられひょうたん型に変形していく。


「君の男呼ばわりされるなんて、至極光栄だね。

 まあいいじゃないか。使用人を余分に雇えば済むことさ。

 僕は気にしないよ、ミーア。

 君は、汚部屋に咲く地獄花の様だからね」


赤いクッションの中の綿はおそらく二つに分裂しているに違いない。

無造作に床にたたきつけられた先で転がるクッションの無残な姿が、

誰しもの目に哀れに映った。


「それは、私には地獄のベッラドンナが相応しいという嫌味か。

 もういい。 今こそここで引導をわたしてくれる。

 覚悟はいいな、ナヴァド!」


ヤードルがカナンの部屋から小さな敷物を持って、

絨毯の中央に立った時だった。


それが合図の様に、ミーアが今度こそ彼女の自慢の長剣をすらりと抜いて、

ナヴァドに向かって構え、ブンブンと振り回し始めた。

自分の肩を霞めるようにして右に左にと大車輪の様にして刀に威力をつける。

細い体を踊る様に捻じり、刀に回転力を付加して体ごと回る。

三日月のような半月刀は八の字を描くように軌道を残し、ぎらりと光った時、

その鋭い切っ先がナヴァドの首を撫で切りするように向かっていた。


ナヴァドは自身の右わきにぶら下がっていた装飾品の様な金房が付いた黒紐を、

シュッと引っ張って横に取って構え、にやりと笑った。

ナヴァドは、彼女から繰り出される踊る様な歪曲に歪んだ刀身を、

紐を使って右に左にと流して躱す。


その紐はただの紐ではなく細い鎖を幾重にも編み込んだ物だ。

そしてその金の房に隠れるようにして存在しているのが、錘分銅の形の塊がついていた。

ナヴァドは鞭を振るうがごとくに、黒紐を振り回し刀の切っ先を悉く避ける。


ヒュン、ガン、ゴン、カン、ヒュヒュン、カカン……

狭い空間で物騒な音が幾度どなく繰り返される。


両者ともに決定打が無く、呼吸も足元にも乱れはない。

見ていると一種の演舞の様にも見えなくはない。

乱れているのは先に敷かれた立派な模様の絨毯の毛並のみだ。

そこには真剣に向きあう二人の物騒な世界があった。


いや、視界の端、床に伏せる様にしてもう一人いた。

部屋の中央で小さな絨毯を頭に被せ小さく蹲って涙を流しているヤードルだ。

彼を挟むようにして二人は対峙している為、

事実、彼の頭上で騒ぎが起こっていると言えるだろう。

 

「ファーミーア様、ナヴァド様、やめて! やめてください~

 それで切られたり殴られたりしたら、私は痛いではすみません。

 母さん、父さん、先立つ不孝を許して、じゃなくて、

 私はまだまだ全然これっぽっちも死にたくないんです~

 神様、老師様、カナンさん、誰でもいいから、

 お願いですから、何とかしてください!」


ヤードルの悲鳴のような嘆願が聞こえてきてカナンはため息をついた。


カナンが振り返ると、いつの間にかコニス夫婦は安全な戸口の影に移動している。

部屋から出てきたヤトと老師は手の上で何やらコインを転がしている。

ここにメイが居なければ、カナンのいつもの日常の一コマだ。

ヤトの位置が時たま警備の青年にとってかわることもあるが、似たような感じだ。


いつもなら騒がしい二人を止めることはせず、疲れるだけ疲れさせて、

その後、大人しくなった二人をさっさと部屋の外に追い出してお仕舞にするところだ。

馬鹿を相手にするだけ阿呆らしいとは老師の言葉だ。


だが、今日はメイがそこに居た。

彼女はヤードルの泣き声を聞きながら、おろおろと二人の攻防を見ているように見えた。

なので、とりあえずカナンは二人を止めることにした。


「大の大人がなんです。 実にみっともないですね。

 今すぐ止めて大人しくしないなら、二人にはそれ相応の罰を受けていただきます。

 昼食抜きで放り出すのはもちろんですが、

 今日この時から、貴方がたのあれらの案件は、

 一切合切私も老師も知らぬ存ぜぬということで」


カナンの細められた目が、剣呑な光を帯びる。

暴れていた二人が示し合わせていたかのようにぴたっと止まる。

そして、苦瓜を無理矢理口に放りこまれた様な苦々しい顔をして、

お互いしぶしぶ武器を収めた。


メイがほっとした顔をして、肩を撫で下ろしていた。

それを見てカナンが細い目を更に細めて微笑んでいた。


「なんじゃい、もう終わりか。

 いつもなら、どっちかが降参するまで続くのに、つまらんのう。

 これでは勝負のつけようがないじゃろうが。

 カナン坊、いつも言っておるが、

 人生にはぴりりと効いたスパイスが必要な事柄が、数多く必要なのじゃよ」


ヤトが老師の手のひらにコインを二つ乗せた。


「ふん。それみろ、ヤト。 ワシが言った通りになったであろう。

 今日のカナンは心のゆとりがないのだ。

 原因はお前も解っているだろうに」


老師は受け取ったコインを懐にさっと仕舞い込んだ。


「そうじゃのう、嬢ちゃんの反応がカナン坊には新鮮じゃったと解らんとは、

 なんとのう。ワシもまだまだじゃよ」


ヤトはワザとらしく大袈裟に首を振ってため息をつきながら、

足元の絨毯を整えるべく軽く絨毯をまき直し、再度ばさりと広げなおした。

老師はその上に当然とばかりに自分のクッションを置いて胡坐をかいた。

ヤトは、戸口で顔を覗かしていたコニス達を呼ぶように手で招いた。

それを見てからコニス達がゆっくりと入ってきてナヴァドに声を掛けた。


「血気盛んな若者の発散は仕方ないとはいえ、食事の前はいただけないねえ。

 ナヴァド様、今度は食事の後にしてやってくださいよ。

 こうしてぼうっと待っている程、私達もこの時間は暇じゃないんですよ。

 腹が膨れりゃ、カナンさんのご機嫌もそこそこになるんじゃないかい」


「そうだね。誰しも食事前は空腹で意味もなく苛つくものだね。

 貴重な意見を有難う、ご婦人。 

 次からは食後にしようか、ねえ、ミーア女史」


「う、うむ。 すまなかった。

 食事前は、気を付けることにする」


二人はコニスの助言に、反省の色をありありと見せた。

だが、カナンはコニスの助言にも、二人の反省の言葉にも、

小さなため息をついただけで終わった。


「本当は、ここで争うのは金輪際やめていただきたいという意味だったのですが、

 まあ、いいでしょう。 

 さあ、コニスさん、ご主人、昼食の支度を。 

 ヤードル、いつまでも泣いていないで、頭の上の敷物ここに敷いてください。

 貴方達二人は、蹴り上げたクッションを拾い集めて並べてください」


あっという間に広げられた敷物の上に、集められたクッションが再度並べられた。

コニスはにこやかに笑いながら、背負っていた大きな籠を下ろした。


中から出てきたのは、布で覆われた大きな鍋が大小二つずつ、

計4つの鍋と一升瓶のような大きな瓶が一つ籠に入っていた。

そして、鍋と瓶の隙間を埋める様に布で巻かれた細長い何かが敷き詰められていた。


「皿はどうするんだい? 

 いつものように、上か下の階の研究室から借りてくるかい?」


皿の言葉でメイが顔を上げた。


「あ、お皿、あります。 全部、洗いました」


メイが洗い場のドアへと急いで取って返した。

カナンがその後を黙ってついていく。


そうしてすぐに出てきた二人が持っていた物は、

今までに見たことのない大皿数枚と人数分のお皿とカップ。

お皿の上にはカトラリーが置かれていた。


「おやまあ、この研究室にそんな立派な食器があったなんて、

 今の今まで知らなかったよ。

 ルカさんもカナンさんも、いつも上か下に急いで借りに行ってたからね」


カナンが大皿をコニスに渡し、全員に個人の皿とカトラリーを配る。

瓶をミーアが受け取って全員分のカップに飲み物を注ぐ。


小さな鍋が開けられそこには、肉と野菜と緑豆の煮つけが。

もう一つの小さな鍋には新鮮野菜と果肉入りヨーグルト、

そして蜂蜜にたっぷり付け込んだケーキ(シャルト)が。

大きな鍋は大皿の上にひっくり返されて、鍋の中身が固まったケーキの様に出される。

飴色になった玉ねぎの様な野菜の下にあるのは香ばしい匂いの黄色のフラン。

もう一つの大鍋は、赤豆とコーンが入った彩綺麗なフランだ。

こちらは焦げ目をつけず、そのままふわりと大皿に盛られた。


プゥ~ンと部屋中に旨そうな香りが漂う。

ほぼ全員の喉がごくりと音を立てた。


コニスが上手に全員分の皿に料理を盛り、ふうっと息をついて一言言った。


「カナンさん、全部で8人前だね。あとで帳簿に付けとくからね。

 ああ、お嬢ちゃん、皿が一つ足りないけど、もう一枚持ってきてくれるかい?

 アンタも一緒に食べたがいいさ。

 その方が食いっパぐれなくて済むからね。

 まったく、ルカさんが帰ってきてるなら、

 もう1人分増えているって言ってくれりゃいいのにさ。

 あとで、余分を持ってこさせるかい?」


え?と全員が疑問を感じ、コニスの視線の先を追ったら、

老師様のすぐ横で、今まで気配すら感じられなかった存在が、

いつの間にかニコヤカに笑って座っていた。

もちろん、右手には大盛りの食事が乗った皿を持っている。


あっけにとられている皆を前に、やや低い美しい声が奏でられた。


「やあ皆、ただいま」


白にも近い長いグレーの髪に、透ける様な真っ白な肌。

尖ったような細い顎に、品よく顔に収まっている美々しいパーツ。

濡れた様に赤く艶めく唇はサクランボの様だ。

すらりとした体躯は細くたおやかで、折れそうなほどだ。

その細い肩はフード付きのぶかぶかの服を着てなお細すぎる体格を隠せずにいた。


ここまで美々しい形容詞を付けてなんなのだが、

その存在は残念ながら男である。


そして、明らかにもっと残念なことがあった。


まず一つ、彼は顔半分を隠すようなサングラスをしていた。

この世界にもサングラスはあるのかとちょっと驚いてしまうが、

それは置いておいて、ここまで他が美しいのだから、

目もさぞかし美しいに違いないと思わせるのだが、

サングラスのせいで目の形はおろか瞳の色さえも解らない。

これでは、黒メガネ君かタモリさんもどきだ。


そして、もう一つ至極残念な事。


「あっれ~、ねえねえ、この子って新しい使用人だよねえ。

 ふうん、最近、派手な子ばかり相手してたからかなあ。

 なあんか、この素朴さ加減がいい感じかも。

 カナン、僕、今回、ずっごく疲れちゃったからさあ、

 彼女にいろいろ手取り足取り腰とり、

 くんずほぐれつしっぽりしたいなあって思うんだけど、いいかな。

 この初心そうなところがそそるよねえ。

 あ、子猫ちゃん、君名前なんて言うの?

 僕はルカだよ。 名前を教えてくれなきゃ今からずっと、

 君は僕の子猫キュルリーちゃんだよ。 ああ、それもいいね」


そういいながら、メイの手をにぎにぎと握ってくる。

ルカさんの細い手は真っ白な手袋をしていた。

サングラスに、白い手袋、すっぽり頭からフードは完全紫外線対策。

もしかして、日焼け嫌いなのでしょうか。


「おい、お前ら静かにせんか。食事がまずくなるだろう。

 マール、おかわりを注いでくれ。大盛りだ」


老師様がメイに向かって自分の皿を突き出した。

気が付けば、睨み合っている二人以外はがつがつと食事をとっている。


「へえ、君、マールちゃんって言うんだ。

 名前も憶えやすくていいね。

 前みたいに、ベッドの中で間違えなくて済みそうだ。

 これから一つ屋根の下一緒に暮らすんだから、仲良くしようね~

 マールちゃん、僕はルカって呼んでね。

 僕は、何を隠そう老師のもう一人の弟子だよ」


黒メガネ君、もといルカさんは、メイに向かって投げキッス。

メイは、あまりの出来事に茫然自失状態だ。


繊細な外見に似合わず、いや、似合ってといえばいいのか、

彼は、大変調子の軽い様子の方でした。

この人がもう一人いると言っていた助手さんなんですね。


「おい、マール、そっちの豆のフランを山盛にしてくれ。

 聞いているのか。冷めてしまうと飯は拙くなるのだ。

 はやくしろ、マール」


「マールちゃん、僕があーんしてあげようか?」


「ルカ、ふざけるのもいい加減にしろ。お前は食事をとれ。また痩せただろう。

 老師、皿は私に。野菜も取ってください。好き嫌いはいけませんよ。

 メイさん、貴方はご自分の皿を持ってくてください」


カナンは、こんな二人を前に、てきぱきと仕事をこなす。

まるで、ベテランの引率の先生かどこかの母親のようだ。


なんだか、老師さまといいルカさんといい、

カナンさんが日頃からお世話をしている光景が見えたような気がします。



さて、彼の正体は。

もう、解る人にはわかっちゃいますよね。

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