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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
197/240

メイドさんになりました。

マッカラ王国にいるメイのお話です。

ピーロロロロ、ピー、ピーロロロロロ。


どこかでトンビの様な鳥が鳴く声がする。

空に遠く大きく響き渡る鳴き声。


うーん、長閑ですね。

目を瞑ったままですが、鳥が大空を羽ばたいている様子が目に浮かびます。


ちなみに先ほどの鳥の声は私の耳には、朝だ!ご飯だ!出て来い~って聞こえた。

出て来いって、トンビのご飯はなんだろう。虫とか小動物かしら。

その場合、大きな声で叫んでも自分から頭を出すご飯はいないと思います。


目を閉じていますので朝日は全く見えませんが、朝の気配は解ります。

これでも寝起きはとても良いのです。私の数少ない長所の一つですよ。

私はぱちりと目を覚まして、むくりと体を起こしました。


お早うございます。朝ですね。

天井付近に朝の眩しい光が広がりつつあります。


今日もよい天気だ。目覚めすっきりです。

さあ、本日も良い一日を始めましょう。


よっと掛け声をあげながら掛布団代わりの毛布をたたみ、

うーんと背伸びをしました。

ベッドが硬いので、体の筋を伸ばすと背中と首がぽきぽきと音を立てます。


おお、気持ちいいです。

背筋が伸びるっていい感じです。


ベッドが硬いと言っても、世間一般のベッドはこんなものです。

日本のマットレスは基本望むべくもありませんからね。


昨日までは私、エピさん枕で寝てましたからね。

エピさんのお腹は暖かくて柔らかく至福でした。

外毛ごわごわですが中毛はふわふわで最高級の羽毛布団ですからね。

まあ、比べるべくもないでしょう。


しかし、このベッドもなかなか気持ちよかったですよ。

木板の上に筵を轢いてシーツを掛けただけですが、

なにしろまっすぐ平面ですし。

エピさんの寝相次第であっちこっちへコロコロ転がらなくていいですからね。


朝の気温が低めなのか、少し寒いのだけが難点ですが、

野宿に比べればなんのそのです。


まあそれはさておき、起きて私が一番にしたことは、

今いる部屋を見渡すことでした。


塔の中の部屋だけあって、壁や天井は全て石組。

そして、微妙に正方形ではない部屋は意外に天井が高い。


天井付近から明るい光が少しずつ広がっている所を見ると、

おそらくそのあたりに小さな明り取りの窓があるのだろう。


壁の石組は白磁石に近い色をしている為、

光を上手に反射して部屋全体が段々と明るくなっていく。


この部屋には天井付近以外に窓らしい窓は見当たらない。

普通なら四方石組の壁に閉塞感を感じると思うのだが、

高い天井と差し込む光がそれを相殺している。


昨日案内された時に教えてもらった話だと、私が居る部屋は使用人部屋。

カナンさんは、この部屋を自由に使ってくださいと言っていました。

ここに勤める使用人の方が使っていた部屋ですね。


昨日は案内された部屋にベッドがあったことにただ喜んだだけでしたが、

改めて日の光の下で見てみると、ちょっと疑問が湧いてきました。


この部屋、すこし可笑しいと思うのですが気のせいでしょうか。

それとも、これが西大陸では普通なんでしょうか。


ベッドの他は、光を灯すための背の高いランプが二つ。

それらは、壁から一切離れない様に壁に打ち付けられている。

ベッドの他に家具と言えるものは、小さ目なクローゼットのみ。

それだけです。


通常、人が暮らすとなったらいろいろ物が増えるのが当たりまえなのですが、

この部屋あまりにも物がなさすぎです。


イルベリー国の私の部屋や宿屋の部屋などでも、鏡やベッドサイドテーブルや、

チェスト、それに、棚や机などがありました。

なのに、この部屋にはそれらが全く見当たりません。


しかし、それだけではありません。

最も気になるのは、部屋のあちこちにある漬物石です。


何故に漬物石。どうして漬物石。


クローゼットの土台部分に紐が何重にも巻き付けられ、

その紐の先に括られた漬物石が4方に置かれている。

クローゼットが動き出さない様にとどめているみたいにも見える。


そして、私が寝ているベッドにもです。

4つ脚すべてに大きな石が括りつけられている。

大きな石は、クローゼットの漬物石よりも大きい。

おそらく、10kg以上あるかもしれない。


うーん、この部屋を使っていた前任者はもしかして石が大好きとか?

もしくは、石が宇宙人に変身するから紐で括っている。

前任者は芸術家で部屋を漬物石で飾った。


どれも当たって無いようなある様な。


……うん。わかりませんね。私は探偵には向いてないのです。

考えても解らないことは、あっさり放置しましょう。そうしましょう。


部屋の床にうっすら積もった埃や、ベッドのシーツや毛布から感じる埃加減は、

最近まで全く使用人がいなかったのだろうかを伺わせる状態だ。


昨夜は疲れていたので、余計なことは一切気にせず、

埃は適当にパタパタを床に落としただけで寝てしまいました。


砂漠では、埃っぽい以前に砂埃で一日中、鼻がムズムズしていましたから、

こんな些細な埃たちは、今の私の前では何の問題もない。

無敵だ。 胸を張って言ってもいいと思います。


だって、ちゃんとした部屋で屋根があるところで寝られるだけで、

いいかもなんて思っちゃうんですよね。

砂漠では、常に野外就寝でしたからね。

この辺が、今の埃に無頓着な私が出来上がった原因なのかもしれません。

サバイバルって慣れたら、こうなっちゃうのだよ。


埃も汚れも砂も怖くない。どんと来いって感じ。


うん?……ちょっとまって。

いや、自分で言ってて何ですが、

今、なにかがピシリとどこかに皹が入った気がします。


どこか大事な心の場所にひびが入った気がします。

どこでしょうか。 よく考えなければいけない気がします。



……考えました。 やっぱり、それは駄目ではないでしょうか。

今の私って駄目ですよね。

淑女として、いえ、乙女としてそれはどうなんでしょうか。


マーサさんがくれた淑女の心得本の最初の方に、

淑女の基本的要項と言うのがありました。ちゃんと覚えてますよ。

立派な淑女は常に清潔感を保ち、

他人から見て不快にさせない身嗜みを原則とするとあった。


あの時は、うんうん、それは最低限だねとただうなずいていたけど、

今の私の状態って、その最低限を遥かに下落ちレベルに達しているのではないでしょうか。


胸を張っている場合ではないでしょう。私。

このまま範囲を広げていくと、

美意識に頓着が無いどころか無駄に大雑把になること請け合いです。


恐ろしいです、サバイバル。

人間は文化文明がなければ、猿になるって誰かが言ってたけど、

私の知っているお猿は樹来なお猿だけ。

彼は特殊なのかもしれないが、毛繕いなど意外に几帳面で清潔好き。

ということは、今の私はお猿以下。


落ち込む要素満杯ではないでしょうか。

せめてお猿より上に下剋上しないと人間としてなにか間違っている感がします。


今日から私の美意識の向上も兼ねまして、徹底的にお掃除を頑張ろうと思います。


そうと決まればまずは動かなければ。

さて、私は意気込みも新たに、ベッドから足を踏み出して、

あちこちに転がっている石に躓かないように移動して、

クローゼットの取っ手を開けました。


自由に使っていいと言われたからではありませんが、

エプロンかなにか入っていると嬉しいのです。


今の私の服は、埃まみれ砂まみれで汚れた巫女服。

ベージュのコートだったものは、すでに茶色に変色していた。

こんな恰好で掃除したら、掃除する一方で汚している状態になりかねません。


ということで、クローゼットの中をごそごそ開けてみました。


クローゼットを開けてみたら、何着かの服が無造作にハンガーに掛かっている。

そして、クローゼットの内側には縦長の姿見が付いていた。


おお、鏡。

無いと思っていたら、こんなところにって感じですね。


服を手に取ってみると、サイズの大きさも、男性用女性用バラバラだ。

スケスケなネグリジェに近い物や、ジャラジャラと装飾が付いた物もあった。

やけに面積の少ない水着のような服もあった。

一体誰がどうやってどんな目的で着るのでしょうか。

老師やカナンさんが実は女装趣味だとか。


考えても解らないので、とりあえずワンピースに近いものを引っ張り出した。


前開きボタンの濃紺の裾まであるワンピースは袖を通してみると、

大変着心地がよい。肩の部分が丸く膨らんでいるから腕が動かしやすい。

丸襟の襟首と手首に白いレースが付いていて意外に可愛い。

スカート丈が微妙に長いのですが、そこは短いよりましです。


そして、胸元。

思わず、がっくりときてしまう。

胸の部分が大きくマチが取ってあって、それ相応に膨らんでいるのです。

で、私がそれを着ると言うことは、手の平で押すとペコリと凹むのです。

これはつまり、この国の女性の殆どは胸の大きな女性だということですね。


胸の足らない私が子供に見えるのは、おそらくこの胸のせいかもしれません。

うう、自分で言っていて悲しくなってきた。


ぺこぺこと凹む胸元を隠せる何かがないかと、

更にごそごそ探していたら、中の引き出しに求めていた物がありました。


真っ白なエプロンが出てきたのです。

ふりふり装飾が付いたザ・エプロンです。


……えーっと、メイドっていうか、使用人の王道だよね。

これをつけたら今すぐ貴方も立派なメイドさんって感じ。


エプロンをつけて後ろできゅっと結び見てみると、

以外に凹んだ胸元も気にならない。

うん、気にならないったら気にならないんです。


とりあえず、鏡の前でくるりと回ってみて、ほら、いい感じです。


(へえ、なかなかいいんじゃない?)


えへへ、そう思います? 私も思っちゃいました。

褒められると照れますね。

普段から褒められ慣れてない分感慨深いといいますか。

って、ええ? 今の誰?


くるりと振り返ってみたのですが、誰もいません。


……確かに私以外の声が聞こえたような気がしたのですが、

やっぱり誰もいません。

空耳ですかね。


首を傾げながら、クローゼットの扉を閉めて部屋から外に出ました。



*********



まずは、何をすればいいのでしょう。


ピーロロロロ、ピー(朝ごはん~ドコ~)。

トンビは朝も早くからご飯を要求している。

なんども鳴いているところを見ると、やはりご飯が見つからないのだろう。


そうですね。

ここは朝ごはんの支度から始めた方がいいのかもしれません。


足をとりあえず水回りのある場所へと移動します。


昨日、部屋に案内される前に、一応部屋の間取りと言うものを、

大雑把にですが教えてもらいました。


昇降機から降りてまっすぐな細い道を突き当った大きな部屋が老師の研究室。

その部屋から続く部屋の扉が全部で5つ。


入り口の扉から見て一番右手の扉は老師の私室。

二番目の部屋がカナンさんともう一人の助手さんの部屋。

真ん中は書庫。その隣は洗面所と簡易給湯室、奥には小さな倉庫。

左端は使用人部屋。つまり、私がいたのは左端のドアを開けた部屋です。


全体的にみると、真ん中に大きな部屋があって、

その部屋を囲むようにバームクーヘン状に部屋が5つある感じです。


塔の部屋って思っていたよりも広いです。

一つの階全体を使っているから広いと言われればそうなんですが、

天井も思ったより高いのです。


ここは階層にして20階に位置するそうです。

塔の位置的に見て中層の高さ。


カナンさん曰く、この部屋は以前は一番天辺だった部屋なのだとか。

でも、塔の上に上にと建て増しが進んで行って、

今の最上階は30階なんだとか。


いや、十分高いと思います。

昨日、昇降機で登った感じでも、ビル20階って感じで結構高かった。


本当なら塔の責任者で、研究者の中でも一番偉い老師が、

頂上階へ移動するのが慣例なのだが、老師本人が拒否。


理由は、狭いから。

20階より上は建築上の理由で塔自体が細くなっているのです。

つまり、少しずつ部屋自体が狭く小さくなるとのこと。正に筍形です。

現に最上階は20階のほぼ半分ほどのスペースしかない。


マサラティ老師は、見ての通り持ち物が大変多い。

そして、これらをすべて部屋に入れるには、頂上の階の部屋では足りない。

だから、移動しないと言ったそうです。建前は。


カナンさん曰く、本音は引越しは面倒だとの一言だったらしい。


うん。引越しは確かに面倒だよね。

このガラクタ全部捨てるなら解るけど、持って上がることを考えたら、

老師本人でなくても、想像するだけで眩暈がしそうだ。


クゥ~キュルルルゥ。


眩暈ではなくてお腹がなりました。

私のお腹は実に正直ですね。


習慣というものですね。

船に居た時も夜明けに起きて、そのまま食堂で朝食の手伝いをして、

今くらいの時間に良い匂いを嗅いでいましたから。

船を下りてからも、大抵今くらいの時間に朝食です。

ですから、体内時計がそうなっているのだと思います。


昨夜はカナンさんが買ってきてくれた夕食を一緒に食べましたが、

本日から朝食を始め老師の食事を用意するのは私の仕事の一つです。


昨夜案内された水回りの部屋と倉庫。洗面所はここです。

大きなパイプ管が壁の中に埋め込まれており、

イルベリー国にあったようにポンプがある。


お風呂はこの塔の一階に簡易シャワーと個別のお風呂があるそうです。

お風呂に入るには、態々下に降りないといけないのです。

まあ、お風呂とか大量の水を必要としますからね、

設備的にも仕方ないでしょう。


日本みたいに電気が発達しているわけではない。

そう考えたら、こんな上の方まで水を汲み上げることは不可能。

ポンプ式であることから、ほぼ手動だろう。

だが、塔の壁の内側に給水タンク沿うような形でがそれぞれの階に設置されており、

雨水を効率よく使える仕組みになっている。


この国は、山間部に位置するだけあって大変天気が変わりやすく、

二日に一度という短い頻度で大粒の雨が降る。

その性質を利用して、雨水を上水として循環させる仕込みなのだとか。

うん、よくできてますね。


だけれども、感心するというか、目を瞠ったのは別な物です。


手洗いというか洗い物をするシンクは汚れた皿が山盛になって底が見えません。

無造作に突っ込まれた鍋には蜘蛛の巣が張っている。

一体いつから洗ってないのでしょうか。


私は、とりあえず使うものとしてフライパンと鍋を二つ取り出して、

先にそれだけ洗います。水回りには小さな薪ストーブがあり、

そのストーブの下に温石を見つけました。


このストーブは毎日使い込んでいるせいか、蓋を開けたらまだ火種がくすぶっていた。

薪ストーブの中の火種を息を吹きかけて起し、薪を追加しました。

温石を利用した簡易コンロは大きいものと小さい物が二つ。

大きいコンロの上に水を張った鍋を置いて、温石をセットして倉庫に向かいました。


倉庫には干からびた芋と幾つかの干し肉があるだけで、後は小麦のような粉が少々。

干からびた大き目な蜜柑の様な柑橘系の何かと砂糖に塩、香辛料、

酒にお酢といった幾つかの調味料、これだけです。

もう、メニューに悩みようもないですね。


倉庫からとりあえず全ての食材を持って出ました。

棚を探って包丁と紅茶の缶を見つけました。


まず、沸いたお湯の鍋の中に芋と干し肉を入れました。

水を張った小鍋の中に干からびた柑橘系の何かを入れてふやかします。


ボウルの中に粉と水、香辛料と、塩、

干し肉のゆで汁に浮いた油を少し入れて手で練っていきます。

レナードさんならここでハーブとか入るのですが、生憎その手の物は全くないです。

しばらく練ったら、布巾を掛けて日陰に置いておきます。


ふやけた柑橘系の何かを包丁で潰し、小さ目の鍋に入れて見つけた砂糖の塊と水を入れて、

コンロに掛けます。多分マーマレードジャムみたいなものが出来る筈。

果肉が半分干からびているので、そこはまあ皮で何とかなることを希望しよう。

お湯でふやけた芋と肉は、包丁の柄で叩いて柔らかくし、刻んで潰し小判型に。

ゆで汁に浮かんでいた油をひいて、フライパンで香ばしく焼き上げます。


そして、棚に置いていたパンの種を取り出して、二つに切って、

一つを手の平サイズに小さくちぎって丸めて沸いている鍋の中を潜らせます。

オーブンが見当たらないので火力が絶対的に足らないですからね、

ここはベーグルなどの硬焼きパンを作るつもりです。

ふわっと浮いてきたパン種を取り出して水気を取り、

フライパンの上に置いて熱くなった薪ストーブの上で蓋をして焼き上げます。


ジュウ~っといい音がして、ふわんと食欲をそそるいい匂いがしました。

ことこととジャム予定の小鍋が揺れていた。


匂いを嗅ぎながら、手際よくシンクの中の汚れ物を洗っていきます。

この世界には洗剤は無いが、石鹸はある。

ただし、こちらもやや干からびて軽石の様に軽くなっている物ばかり転がっている。

これを水の中に付け込んで柔らかくした後に、

どんどんと泡立てお皿や鍋、カップなどを洗っていく。


小さな束子をこれでもかとばかりに酷使して、

シンクの中や周りで転がっていた食器や湯沸かし器も洗っていきます。


きゅっと蛇口を閉めた時は、朝食の支度もほぼ終わり。

シンクの中は片付いて、沢山の食器は拭いて棚にしまいました。


朝の支度としてはこんなものでしょうか。


老師様はまだ起きてきません。起こしに行った方がいいのでしょうか。

解りませんね。カナンさんはまだでしょうか。


それにしても、このキッチンの有様は酷い物でした。

昨夜初めて見た時は、思わず気が遠くなりかけました。

ですが、船で大量の洗い物に慣れているので、こんなことではへこたれません。


今まで皆さんはどうしていたのかと聞くと、

殆どが助手のカナンさんか、もう一人いる助手の人が、

外の食堂に行って食べ物を調達してくるのだとか。


研究所内である塔の中には食堂らしきものは一切ないそうです。

以前はあったのだが火事を出したことがあり、

火事で慌てた人が飛び降りて大怪我をしたりと、

危うく大惨事になるところだったので、火器の取り扱いには厳重注意なのだとか。


結構不便で、いろいろ大変ですね。

まあ、こんな煙突みたいな塔では、

火事が起こったら飛び降りるしか方法はないですからね。

ここから飛び降りたら高所恐怖症になるし、さすがに死にますよね。

蛙の様にぺっちゃんこになるかもしれない。


ということで殆どの研究者は、ここでは研究だけ。

毎日、夕刻になると塔の外の自宅に帰って食事や睡眠をきちんと取る。

翌朝元気に出勤する。いわゆるサラリーマン出勤というものです。

カナンさんも塔の外に部屋を借りており、昨夜はそちらに帰られました。


昨夜、優しいカナンさんは私を大層心配してくれて、

アパートに帰らずここに自分も泊まりこむと言ってくれたのです。

見知らぬ場所ですからそれは嬉しい提案だったのですが、

この部屋には余分なベッドは存在しません。

だから、カナンさんがここに泊まるのなら、ソファに寝ることになるのです。


折角砂漠から帰ってこれたのです。

カナンさんの心情としては、早く部屋に帰ってさっぱり汗を流し、

自分の部屋でのんびりしたいはずです。


カナンさんの体が心配ですので、

お願いですからお部屋に帰ってゆっくりなさってくださいと、

そうお願いすると、カナンさんはやはり疲れていたようで、

急に眩暈を起こしてそっぽを向いてしまいました。


疲れは溜め込んだら病気の元です。

休めるときはしっかり休むのが健康の秘訣なんですよ。

だから、なおも何か言いたそうなカナンさんの背中を押して、

部屋の外までお見送りしました。


「いいですか、危ないと思ったら、いえ、何かあったらすぐに、

 一階の警備員に知らせてください。 私も連絡があり次第駆けつけますから。

 でも、やっぱりメイさんを一人あの部屋に置くのは老師の命といえど、

 賛成できかねます。やはり、私は残った方がいいと……」


「カナンさん。おやすみなさい」


そういって何度も後ろを振り返ってはぶつぶつと何かを呟いていたカナンさんは、

ようやく帰って行かれました。本当に、心配性ですね。

お爺さんな老師様と二人だからと言って、何があると言うのでしょうか。


流石に夜に金盥は降ってこないと思いますし、変な悪戯もないと思います。


ぞくっ。


うん? 何? 

金盥の言葉で背筋が寒くなりました。

もしかして、下手なトラウマになっているのかもしれないです。


カナンさんをお見送りした時、

同じように沢山の学者さんっぽい人達が帰宅しているのを見かけました。

ぞろぞろ同じ出口に向かって帰っていく姿は、

日本の帰宅ラッシュを思い出しました。



この塔は夜間はきちんと閉めきられ、

朝方警備員によって開門されるまで殆ど人がいなくなる。


ここで寝泊まりしているのは、塔から降りるのが面倒な研究をしている学者と、

偏屈な学者馬鹿のみだそうです。


つまり、マサラティ老師は、偏屈で面倒な研究をしている学者馬鹿だと。


……まあ、そのおかげで私は職にありつけたのですから、文句は言いません。



昨夜のことを思いだしていたら、老師様が起きてこられました。

ぼさぼさ鳥頭をかきながら洗面所に入ってこられましたが、

まだぼうっとされています。

ああ、寝ぼけてますね。


ざばざばっと豪快に顔を洗っておられる老師様の手に、

タオルをさっと渡します。

老師様は、まだ寝ぼけているせいか私の方を見ても何も言いません。


今は老師が起きてきたのは夜明けから3刻以上過ぎてから。

俗にいう朝8時ぐらいです。

顔を洗ったと言うのに、まだ視線が揺れている老師に、まずは朝の挨拶です。


「お早うございます。老師様。

 朝食出来てます。どこ運びますか。

 私室ですか?大部屋ですか?」


「……お、おお、では、私室に持ってきてくれ」


ぱちくりと目を見開いて驚いた顔をした老師様は、

なんどか首を傾げながら私室に向かいました。

私は朝食を乗せたトレーを持ってその後ろをついていきます。


老師様の私室は思っていたよりも綺麗でした。

ちゃんと整理整頓されていて、実験室の荒れようが嘘の様です。

本棚だけがこれでもかとばかりに壁一面にありますが、

さすが偉い学者様と言う事なのでしょう。


老師様が身なりを整えている間に、テーブルを用意します。

丸机の上を簡単に片づけ、布巾で拭いてカトラリーを並べます。


本日の朝食は焼き立てベーグルと出来立てマーマレード。

干し芋と干し肉を潰して焼いたベイクドポテトと

熱い紅茶です。


なんとか朝食らしい形になったと思いませんか。


「あ~、マール、その、あのだな。

 つまり、昨夜はだが、怖かったり痛かったりしなかったのか?

 あの部屋では、……よく眠れたのか?」


老師様が私の気を使って聞いてくれてます。

新しい場所で緊張して眠れないのではとか、頭の瘤の痛みを心配されたのでしょう。

偏屈でもなんでもないではないですか。

優しい良い人です。


「はい。大丈夫です。

 心配、有難うございます」


カタコト言葉ですが、ちゃんとお礼を言います。

私のお礼に眉を寄せたまま考え事をしている老師様は、

今日も素敵にナイスミドルです。皺が憂い美人な方です。

若いころはさぞかしモテたでしょうと言いたくなるような美形っぷりです。


優しい人には褒め言葉を見つけるのも楽です。

いつか流暢に西大陸の言葉が話せるようになったら、

心の赴くまま褒め言葉を並べたいと思います。


私は無言で暖かい紅茶をカップに注いで、お辞儀をしながら退出します。

この辺りは王城で女官として王妃様の食事の世話とかしましたからね。

慣れたものです。





そんな私が去っていた後の扉を見ながら、ぼそりと老師が呟きました。


「ふん。昨夜は事もなしか。

 まあ、今日の仕事でさっさと逃げ出すわい」


その言葉は、誰も他に聞く人はいませんでした。



**********




私はキッチンに残った私の分の朝食を手早く取って、お腹に収めました。

マーマレードの苦みが少し苦しい気がしますが甘さは十分です。

ベーグルもどきのパンももちもちでいい感じです。

ベイクドポテトは干し肉と香辛料が効いてちょっとスパイシーですが、

なかなか悪くありません。


レナードさんの下っ端教育が行き届いた結果です。

よしよし、淑女の道の朝食はクリアだよ。


後は、カナンさんが来てから、掃除と食糧の買い出しと洗濯かな。


うん、何とかなりそうだ。

船での経験、王城での経験、街中での経験。

すべてが私の糧になっているのを実感します。


リリンとベルが鳴ったので、老師の部屋に行くと、

出した朝食は綺麗に食べてくれてました。

綺麗に食べてくれると作った方としては嬉しいです。


「片付けてくれ。それが終わったら、そこの本を奥の書庫に片付けて、

 代わりにこっちを持ってこい。

 それから、備品倉庫から塩を一袋取ってこい。

 もしなければ、買ってこい。一刻で帰ってこい。

 金はその木版を見せて、私の名前を言えば後払いで何とかなる。

 ああ、あとこれしきだと腹の足しにならん。明日から量を二倍に。

 今日の昼は早めに用意をしてくれ。 昼は芋以外がいい。

 それから、実験部屋の窓と机を拭いてくれ。

 先月変えたばかりなのにすぐに曇る。とんだ不良品だ。

 洗濯物が溜まっておる。あれも綺麗に洗っておけ」


早口で立て続けに言われるお仕事、お仕事、お仕事。


な、なんとかなるのでしょうか。

 



カッコよくて美人な老師の性格は、実はお姑。

人使いが大変荒い人です。

性格は、私が書く人物の中で一番面倒かもしれません。


へこたれるなメイと応援してあげてください。


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