白い塔と金の盥。
太陽が緩やかに傾き始めた頃、
私達はマッカラ王国の入国審査らしきものを無事に済ませることが出来ました。
審査と言っても、所々しか解らない質問に、ヤトお爺ちゃんの合図で、
はい、いいえを答えただけ。
うーん、ちょっとだけ、なんだかずるをした気がするのですが、
しかし、細かいことを気にするには後がない。
入国出来なければ、職無宿無金無の3無。
ええっと、とりあえず今は気にしないことにします。
さて、やけに晴れやかな笑顔で見送ってくれた城門の人達から離れると、
やっと街並みに改めて目を向けることが出来ました。
城門を背に最初に見えるのは一本の大きな道。
大通りと言うほどに広い道だ。
だが、不思議なことに真っ直ぐな道があるだけで、
分岐らしい分岐道や脇道がまるでない。
道の両側にはとても高い建物がぎっしり詰まったように並んでいた。
高さや装飾に多少違いがあるものの、
1階の店の門構えは全て同じような印象を受ける似通った造りだ。
扉の形も色も壁面を覆う赤土混じりの漆喰も全く同じ。
扉の横で揺れている看板が無ければ、どこがどこだかわからないと思う。
住所片手に間違いなく知人の家を見つけられるかと聞かれたら、
私だったら首を横に振るだろう。
全くもって不可思議な街並みです。
その不可思議な街並みを一歩一歩前に道に足を進めると、
壁で囲まれた道を進んでいるような、
上の方から誰かに見下ろされているような、
自分が小人にでもなったようなと、
とにかく恐ろしいような怖いような気分になる。
通常の他国の都心部と言うものは、住民が多いせいなのか、
大通りの他に小道や脇道がいたるところに存在している。
地図をもって歩いても他国の人間なら誰でも、
必ず迷うだろう造りになっている街が殆どだとしてもだ。
だがこの街は、大道り沿いの建物と建物の間に隙間はおろか路地も無い。
脚一本が入る隙間すらない。
どちらかというと長く高い1枚の壁にも見える。
同じような造りの玄関構えに、揃った位置にある窓枠。
全てが計画的に建てられた建築物にしか見えない。
多分、窓の位置を見る限り三階建てないし四階建てだろうか。
城門側から見える壁面は石を土と混ぜて組み込んだ赤土壁。
石と泥を練りこんで建てるにしては、あまりにも背の高い建物だ。
詳しくは解らないが、建築技術になにか秘密があるのだろう。
目だった場所に幾つか修繕個所は見受けられるが、
築年数が経っているにも限らず、老朽化要素は見当たらない。
人が、この町の住民が常に手を入れていることがよく解る。
後日、中に入って初めて解ることであったが、
実は一軒一軒の建物は、背が高く横壁を見る限り奥行はとても広いのに、
道に面した店の正面玄関側壁面積はびっくりするほどに狭いのです。
正面入り口付近だけをみると、店の中は4畳半くらいだろうなんて、
つい推測できてしまうほどの壁面積だ。
縦と横の比率がとてつもなく不均等なカステラのような建物だと思う。
そのカステラな建物がずらずらと道なりに並んでいる右側最初の一軒目。
何故カステラと言わんばかりの建物の原因がここに有りました。
その玄関口上部の壁には、馬の鐙が描かれた木の看板が揺れていた。
カナンさんとヤトお爺ちゃんは迷うことなくその入り口の扉を開けた。
開けた途端に、乾いた藁の匂いと、
初めて入った動物園の時ような香りがぷんっと鼻まで届いた。
「ここは、国営の馬房です。
街中で馬やエピなどの大型な生き物を所有する場合は、
すべてこの馬房での預かりとなります。
ですので、私共のエピや馬もこちらで預かりとなります」
カナンさんについて中に一歩入ると、中は完全に藁を全面に敷いた馬小屋。
奥をちらりとのぞいてみると、沢山の馬やロバもどきの生き物もいます。
牛の角に体は山羊のような生き物も、
足の長いカバに近い顔の動物もいるようです。
あれも飼い馬の括りに入るのでしょうか。
本当にいろいろな動物がいます。
それにしてもこの馬房って、
外からでは想像できないくらいに奥行がかなり広い。
入り口は狭いのに、縦に長く上に長く、
また奥に行くと横に長く広がっている。
天井も高く縦に狭い空間なれど、まるで圧迫感を感じない。
馬房って一口に行っても、相当に大規模な物だ。
一階だけ見渡しても、ざっと見積もって100頭以上いる。
馬房中央付近に二階に上がるスロープがあり、二階床にも藁がしっかり敷いてあり、
沢山の馬や動物がいることが解る。
うーん。
馬の立体駐車場でしょうか。
いや、車じゃないんだから、駐馬場かな。
カナンさんが玄関口付近壁際に備え付けてあった黄色の紐を勢いよく引っ張った。
そうすると、その頭上でカランカランカランと牛飼いのベルのような音が、
馬房中に大きく鳴り響いた。
たたたっと軽やかな足音がして、二階のスロープから一人の小柄な男性が、
ひょいと顔を覗かした。
彼は、カナンとエピの姿を見つけると、嬉しそうにカナンに走り寄った。
「お帰りなさい、カナンさん。予定より遅かったね。
なにかあったのかと心配してたところだったんだ。
エピはどう? ああ、よかった、元気そうだね。
お帰りエピ、帰りを待っていたよ」
彼は、出迎え心配していたと述べたカナンさんの存在はとりあえず置いておいて、
優先順位はこっちが先とばかりに、エピさんの首を緩やかに撫でる。
その手つきもエピさんに向ける目も、とても優しいものだ。
エピさんは、目を細めて嬉しそうに喉をぐるっと鳴らした。
(タダイマ~、カロンタ~)
エピさんはかなりご機嫌です。
彼は、カロンタさんというお名前なのですね。
エピさんは、喉を鳴らしながら頭をカロンタさんの手に摺り寄せてます。
犬猫で言えばごろごろと喉を鳴らしている感じです。
彼は、間違いなくエピさんのお気に入りですね。
カロンタさんもエピさんの子分なのでしょうか。
と言うことは私の兄貴分?
そう思ってじっとみていたら、カナンさんの手が肩にポンと乗せられた。
「彼は、エピが子供のころからずっと面倒見てくれている優秀な飼育係です。
そうだな。いってみればエピのもう一人の母親というところだね」
ああ、エピさんのお母さんですか。
「いやですよ。なんですか、母親って。
僕は男なんですから、せめて父親にしてくださいよ。
カナンさんのエピは事情があって、結果的には卵から僕が育てましたからね。
雛の内から育てれば、僕に懐くのは当然なんですよ」
ほう、育ての母。それも卵からと。
おそらく、なかなか複雑な家庭事情があったのですね。
聴くも涙語るも涙的な……。
(カロンタ~、ハラヘッタ~)
……エピさんはお腹が減ったようです。
砂漠でも、街中でも、お腹が減ったとは一言も口にしなかったエピさんが、
カロンタさんにはご飯をねだってます。
これが親に甘えている状況と言うものなのですね。
「あの、エピさん、好きご飯、ある、ですか?」
エピさんを見上げながら、カロンタさんに訊ねました。
エピさんは一体何がお好きなんでしょうか。
飼葉とか、ルーレみたいな果物とかでしょうか。
「あれ? 君は誰?
カナンさんが女性?を連れているなんて珍しいこともあるもんだね」
うん? 今、疑問符が付きましたよね?
まあ、今は確かに顔も手も砂埃で汚れているし、まあ仕方ないです。
それはともかく、カロンタさんは、やっとエピさんとカナンさん以外に、
私がここにいることに気がついたようです。
ちらりと何気なく、でも興味薄気味の視線で見られました。
「ああ、彼女は私の知人です」
エピさんが、カナンさんの言葉に味方するように、
カロンタさんの手から離れてぽてぽてと私の傍まで歩いて来て、
いつものように私の頭上に首をでんと乗っけて、ぐわっぐわっと鳴きました。
(カロンタ~、コレ、コブン~)
あ、親分からの子分紹介と言う事でしょうか。
エピさんの声で、カロンタさんの視線が私にぴたっと止まりました。
私はエピさんの母親代わりのカロンタさんに、
どうぞよろしくとの意味合いも兼ねて、にこっと笑いました。
もちろん、エピさんを頭に乗っけたままです。
カロンタさんは、至極びっくりしたように目を瞬かせています。
「えええっ! び、びっくりした。こっちの方がもっと珍しいよ。
あのエピが、このエピが、……懐いている。 信じられない。
あ、もしかして、彼女はどこかの国の猛獣使なのかな?
それとも、隣国の怪しい魔術師もどき?」
カロンタさんは、面白そうにエピさんと私の顔を何度も見比べる。
だが、その目には何かしらの警戒心を感じられる。
ラコンテ?ファエロディナ? ってどういう意味なのでしょうか。
カナンさんは少し苦笑して、唐突に私の手を引っ張ると、
カロンタさんの丁度正面に私を引き寄せました。
そして、カロンタさんに見せる様に私の手のひらを広げられました。
「もちろん違いますよ。彼女は猛獣使ではありません。
この手を見てください。 ラコンテならば、鞭を常に使いますが、
この手の皮には厚みが全くない。 荒事には決して向いてない手です。
彼女の手には、ファエロディナが使う薬剤も沁みこんでいないし、
傷らしい傷もない。 この柔らかい手は、普通の人間の女性です。
ですが、まあ、彼女が何かしら珍しいことは確かです。
なにしろ、このエピが、ほぼ初対面からこんな感じなのです。
彼女を至極気に入った様子で、私も本当にびっくりしました」
細目のカナンさんは私に微笑んで笑ったと思ったら、
カロンタさんの前に、ぽんっと軽く私の背を押した。
「エピが見込んだのです。彼女は怪しい人間ではありませんよ。
私も彼女は問題ないと思っているからこそ、ここに連れてきたのです。
カロンタもぜひ彼女を見知っておいてください」
あ、これは、挨拶と言うことですね。了解です。
もちろん、素早く頭を下げます。
角度30度で両手はお腹の前に。
「メイです。よろしくお願いします」
うん、挨拶はしっかりおそわりましたからね、多分大丈夫です。
「ご丁寧にどうも。
そうか、カナンさんとエピがそこまで信頼しているなら問題ないか。
じゃあこれからよろしくね、メイさん。 僕はカロンタです」
カロンタさんは、爽やかに笑って手を差し出されました。
笑いかけられて思いましたが、意外に爽やかイクメンママです。
その暖かい笑顔は、幾人も子供を育てましたっていう、
熟練の母親のような確かな自信と安心感のようなものを感じる。
握手の為に差し出された手は、外見に似合わずかなりごつごつしていて、
手の皮が硬くなった働き者の手でした。
レヴィ船長達にも負けないくらいに分厚いグローブのような手のひら。
母親業兼飼育員と言うのは力仕事なのでしょうね。
イクメンの上に、動物に優しく、力持ちで働き者。
うむ、モテる男の要素をなかなか満たしている御仁と見た。
握手を済ませ笑顔で挨拶していたら、エピさんが再度移動してきて、
いつものように私の頭の上で喉の毛繕いを始めました。
もう私の頭は親分の定位置と化してますね
そして、ぴたっと動作が止まったとおもったら、くわわっと鳴きました。
(キャロ~)
エピ親分が私の頭の上で言いました。
「キャロ?」
私が目を瞬かせていると、いつのまにかカロンタさんが、
バケツに入った緑の野菜を持ってきました。
そして、私の頭の上から首を全く動かさないエピさんを見て苦笑しました。
「本当にエピがよく懐いているね。
全く、この目で見ても夢かと思うよ」
「ですが、現実ですからね。これは疑いようがない」
「もちろんそうですね。
はい、カナンさん。エピにキャロをあげてください。
この子は外ではあまり食べないので、
おそらくお腹がすいているでしょう」
カロンタさんはキャロが沢山入ったバケツをカナンさんの前に置きました。
そして少し下がって、後方にいた馬の様子を見る為に、
ヤトお爺ちゃんとなにやらお話を始めました。
「ヤトさん、お久しぶりです。ジーナの様子は相変わらずですか。
彼女は本当に我慢強いから、かえって心配ですよ。
見たところ、以前に怪我をした右後が熱を持っているようですね。
食事の後で薬を塗って水枕を巻いておきます」
「わかるか。流石じゃの、カロンタ。
ジーナには、今回ちーとばかし無茶させた。
止むを得ん事情があっての。今晩は手間をかけるがよろしく頼む」
「了解です」
馬さん、ジーナさんというのですね。
怪我をされていたのでしょうか。
それなのに、文句ひとつ言わずにカナンさんを乗せて砂漠を、
急な山道を運んでくれたのですね。
本当に馬の鏡です。
ここはがっつり休んでしっかり怪我を直してください。
怪我が早く良くなりますように心から祈りたいと思います。
ジーナさんを見ていた私の前に、緑の野菜が差し出されました。
「メイさん、エピにキャロをあげてくれますか?」
はいっと渡されたのは、緑の人参。
ええ、緑です。真緑。
人参の形なのに黄色でもオレンジでもなく、緑なんです。
いやいや、否定してはいけない。
これはこの世界の普通なのだろうと思います。
東大陸にはなかった気がするんだけど、これ美味しいのかしら。
じっとみていたら、頭の上のエピさんが私のつむじを突きました。
(コブン、キャロ~)
ああ、親分を待たせてはいけません。
「はい、お待たせいたしました。
エピさん、どうぞ。 キャロです」
私の頭の上、つまりエピさんの眼前に私がキャロをすっと持ち上げると、
ばくっと頭上で嘴が開いて私の手からキャロを器用に嘴でつまみあげたようです。
序、ガリガリボリボリと頭上で音がして、ゴクンと喉がなりました。
「美味しいですか?」
(ウマイ~)
そうですか、美味しいようです。
キャロが好物なんですね。よく覚えておきます。
カナンさんが、キャロで軽くバケツを叩いてエピさんを呼びました。
ゆっくりと私の頭から親分の首と頭が離れていき、
なんとなく頭が寒い気分になりました。
羽毛に包まれて、さっきまでとても暖かかったですからね。
ですがカナンさんの手ずからキャロを与えられているエピさんは、
本当に嬉しそうです。
「エピ、今回も君は本当によく頑張りました。ご苦労様でした」
カナンさんは、エピさんにキャロを一本一本与えながら頭や首を撫で、
慰労の言葉をエピさんに掛けていました。
エピさんは嬉しそうに目を細めてキャロを味わって食べてます。
深い親愛を感じます。
ヤトお爺ちゃんの方も同じように、
馬に労わりの言葉を掛けながらキャロをあげてました。
「ジーナ、お前さんもよう頑張った。
人二人乗せての旅は、お前にはちと厳しいかと思うたが、
本当にようやった。さすがワシの愛馬じゃ。
ほれ、キャロじゃよ。たんと食え。
たんと食って、よう休め。ええな」
ジーナさんは、円らな瞳をきらきら輝かせながら、
ぶるるっと嬉しそうに鼻を鳴らしました。
(キャロ、オイシイ)
ジーナさんもエピさんもキャロが大好きの様です。
カロンタさんが水を組みに奥に走って行ったのを見て、
カナンさんとヤトお爺ちゃんは、揃って足を玄関に向けました。
「それではメイさん、ここはカロンタに任せて私達は先を急ぎます。
もうじき扉が閉まってしまいますからね」
扉が閉まる? 門限があると言う事でしょうか。
今更ながらに、はっと気が付きました。
私達は一体これからどこに行くのでしょう。
行く宛などまるでない私ですから、カナンさんについていくしかないのは、
重々承知していますが、ちょっとだけ不安になりました。
「カナンさん、あの、これから、どこ、いく、ですか?」
不安を隠せない小さな声で聞いてみたら、
いきなりカナンさんは口を覆って私から顔を背けた。
えっと、私の今の西大陸の言葉、間違っていたでしょうか。
首を傾げて何度か頭の中で考えたが解らない。
解らないのでヤトお爺ちゃんに尋ねる為に首を後方に向けようとした時、
カナンさんの両手が私の両肩にポンと乗りました。
そして、カナンさんは子供を相手するように腰をかがめ、
私と視線を合わせます。
その顔は糸目ながらもとても優しそうな笑顔です。
「これから行くのは私の職場であり、これからの貴方の職場になる所です。
知らない場所で不安になるかもしれませんが、心配いりません。
私が傍に居ます。 大丈夫ですよ、メイさん」
カナンさんが紹介してくれると言った職場は同じ場所なのですね。
ちょっと安心しました。
「はい、安心です。 嬉しいです。カナンさん、一緒です」
ほっと安堵のため息をついた後、私は不安を打ち消すように、
カナンさんに笑いかけました。
カナンさんがまたもや口に手を当てて横を向きました。
その上、今回はふるふると手が肩が震えている。
やはり、私は可笑しなことを言ってしまったようだ。
どう考えても笑いを我慢しているような仕草にしか見えない。
笑いを我慢して固まったままのカナンさんは、とりあえず放置して、
エピさんを振り返りました。
お世話になった親分に、きちんと挨拶を言わないといけません。
「エピさん、お世話になりました」
エピさんはカロンタさんが持ってきてくれた桶の水をがぶがぶ飲みながらも、
しっかりと振り返って、ふごごっと私に応えてくれました。
(コブン、イツデモコイ)
親分の頼もしいお言葉です。
寄る辺ない家なき子の今の私にはとてもじーんとくるお言葉です。
よく考えれば、新しい職場はどんなところか知りません。
カナンさんと一緒と聞いて安心はしましたが、仕事内容は殆ど知らないのです。
私なりに頑張るつもりですが、万が一失敗したら路頭に迷うのです。
そうなって、寝るところが見つからなかったらと考えたら、
親分のこのお言葉は本当にありがたいです。
万が一、何かの理由で雇用主にお断りされたら、
エピ親分の藁の隅っこに寝させてもらいたいと思います。
「はい。エピさん、有難うございます」
ぺこりとエピさんに頭を下げて、カナンさんたちの後ろを追って外に出ました。
**********
店を出ると、日はだいぶ傾いていて街はオレンジ色に染まっていました。
夕焼けの光を浴びて、床に伸びる私達の影がやけに長いです。
街を行き交う人々の姿も少なくなり、
一人一人の影が地面に巨人の様に長く伸びる。
夕暮れ時の斜光が目にちかちか刺してくるようだ。
もうじきに日が暮れる前兆だ。
この世界に来る前に神社の境内で見た荘厳な夕焼けを思い出した。
なんだか夕焼けはもの悲しさと人恋しさを募らせる。
どこの世界もこれは変わらないようだ。
一瞬だけ郷愁に駆られたが、帰路を急ぐカナンさんの後を追い、
小走りでついていきます。
ここで、足の長さと言うものを実感しますね。
カナンさんの一歩が私の二歩なのですよ。
「嬢ちゃん、ワシが手を引いてやろうかの。
それとも背中に乗るかの」
ヤトお爺ちゃんの身長は私と変わりないはずなのに、
一歩のスライド幅が広いです。足の長さが違うのでしょうか。
「い、いいえ、大丈夫です」
ほっそりした体躯のヤトお爺ちゃんに乗ったら、絶対に潰れる。
エピさんにぷっと笑われたほどの重さを持つ私なのですよ。
カナンさんは、ヤトさんの台詞にちょっとだけ速度を落として眉を下げた。
「すみません、メイさん。閉門時間が迫っているので気が焦っていました。
大丈夫ですか?私が背負いましょうか?」
「いえ、大丈夫、先、行く、日沈む、お願い」
カナンさんも全体的ににて細見。
学者さんと言っていたから、おそらく私の体重で潰れる可能性ありです。
首を必死でぶんぶんと振りました。
私の必死の抵抗が効いたのか、カナンさんとヤトお爺ちゃんは、
空を仰ぎ頷いた。
「そうじゃの、急ぐか」
「そうですね」
「はい」
私達は、まっすぐ北に向かって歩いているようです。
途中十字路に当たり、東西南北に伸びた大辻に差し掛かりましたが、
そこも同じく北方面です。
北に向かった先に見えてくるのは、大きな白い塔。
白い筍ではなくて、あの賢者の塔です。
大きな建物なので、近くなってくると唯の大きな建築物にしか見えなくなる。
白いと思っていた壁は、くすんだ白というより黒に近い灰色だ。
塔の壁は、石を切り出して隙間なく建て増しされた石の建築物だ。
思っていたよりもとても大きい。
塔の周りは背の高い鉄柵で囲まれ、柵の一か所に門と小さな詰所。
カナンさんが、柵の前に立つ顔見知りらしい警備員らしき男性に挨拶した。
短い円筒のような白の帽子を被った、
白いかっちりとした服に金の腰帯をした男性だ。
ちょび髭がアクセントですね。
「セーム、ただ今帰りました。まだ、閉塔には間に合いますよね」
「お帰りなさい、カナンさん。
はい、ぎりぎりですが大丈夫ですよ」
「ああ、よかった。
早速ですか、貴方に客人と滞在者用の身分証を頼みたいのです」
カナンは、ニコヤカに笑っていた警備員に持っていた必要な書類を渡して、
同行者二人の身分証の発行をしてもらう。
男は、カナンの後ろにいたヤトお爺ちゃんと私に目を止めた。
「客って、ああ、ヤトさんですか。 お久しぶりです。
珍しいですね、今日はヤトさんお一人ですか?
ええっと、こちらは~、ああ例の。
……カナンさん、こんな小さな子に、本当にいいんですか?
……解りました。 すぐできますから、ちょっと待っていてください」
カナンさんを問うように見つめていた男は、やがて諦めた様に小さく息を吐く。
頭にかぶっていた帽子をおもむろにとって、耳の脇を掻いた。
帽子をとると中からフサフサ髪が。表情だけ見ると意外に若いです。
彼は、ゆっくりと詰所の机の上の箱をあけて、
緑と白のリボンのついた木札を取り出した。
木札の裏にさらさらと何やら記入し、木札に皮ひもを括りつけた。
そして緑の木札をヤトに、
「滞在中の身分証明書です。
無くさない様に首から下げておいてください」
そして、白い方をメイに渡した。
「いいかい、お嬢ちゃん、塔の中や街中で迷子になったら、
まずはこれを誰かに見せてね。
そうすれば行き先を教えてくれるはずですから。
無理はしちゃいけないよ。駄目だと思ったら逃げてもいいんだからね」
ああ、迷子札ですね。
警備のオジサン、いや、お兄さんは私に孫か妹を見ているかのように、
随分優しかった。
しかし、逃げてもいいとは何のことでしょうか。
ヤトお爺ちゃんと私が首に木札を下げると、
警備の男は頷いて柵の中に手を振った。
柵の内側にいた同じ服装をした別の警備員が中から柵の鍵を開けた。
彼も同じようにちょび髭だが、顎髭もプラスしているから表情が解りにくい。
それは兎も角、私達は、問題なくすんなりと中に入れ、
白い塔1階の唯一の入り口から塔の中に入った。
塔の中に入ると、意外なほどに室内は明るい。
一階のあちこちに背の高いランプが置かれている。
背の高いランプは上に向けて大きなラッパ形をしている。
光が上から降ってくるようで、白い壁に反射して部屋全体が大変明るい。
一階は大きな螺旋階段と幾つかの部屋の戸口と大きな大扉。
カナンは、迷うことなく階段奥の大扉を開けた。
大扉の向こうは意外に狭い場所でした。
三方を石壁で囲まれた10畳にも満たない狭い場所。
でも、そこにあるのはびっくりするような仕掛けでした。
人が5人ほど乗れる腰までの高さの大きな箱が3つ鎮座していた。
箱の四方に囲むように張られた沢山の結わえたロープ。
ロープで作られた天井付近に渡された頑丈な鎖。
パッと見た感じ、巨大な木の鳥籠だ。
カナンさんが私とヤトさんを促して一つの箱に乗ると、
中には、腰までの高さの制御盤と思しき板があった。
カナンさんが板にぶら下がっていた数本の内の一本、
小さな楔を制御盤の真ん中あたりの穴に差し込んだ。
そうすると、足元でゴキンと音がして、ぎぎぎと足元から音がしました。
次いでガラガラと頭上のどこかで何かが動いた。
ふわっと体が浮いたような気が一瞬して、
気が付けば、私達が乗っていた箱がゆっくりと上に上がっていきます。
壁際を見ると、大きな砂袋の様なものが、
上から壁沿いに幾つかゆっくり降りてきてました。
ああ、もしかしなくてもこれは昇降エレベーターですか。
砂袋が降りていく代わりに箱が上がると、
うん、単純な仕組みだけど実に効率的です。
上を見れば、鳥籠の天井部分にも滑車の様な物が沢山ついている。
カナンさんは上を見ながら、順番に制御盤に残りの楔を差し込む。
そして、上がるにつれ階の所々に止まっていた袋が同じように降りていく。
そして、所々にゼンマイが組み込まれたような細かい仕組みが見える。
へえ、電気が無くてもエレベーター出来るんですね。
こんな高い建物ですからね。
歩いて階段を上がるのは大変きついと思っていたのですよ。
階段に慣れた私でもそう思うのですから、
他の人だって絶対にそう思ったはずです。
この昇降機は、この塔に住む人々の願いから生まれた最高の一品だと思います。
私が上を見たり横を見たりときょろきょろしていたら、
カナンさんに笑われました。
「素晴らしいでしょう、この昇降機は。
これは、この国独自の発明品なのですよ。
わが師が設計した人力を必要としない画期的な作品です。
この塔は280ヘクトの高さがあります。
塔の天辺の研究室まで人が入ってますので、
上り下りが楽になる様にと、近年この国の研究者総出で作り上げました」
「280ヘクト、高いです」
難しい言葉は解らないけれど、幾つかはわかった。
だから、解ったことだけ答えました。
「ええ、以前は巻き上げ紐と人力を使った大がかりなものでした。
ですが、事故が多く、怖いだの揺れるだの壁にぶつかる等々あり、
引手に負担も重く担い手が少なくなったのを期に改良を迫られました。
この国は他国の様に奴隷を良しとする傾向がないので、
重労働を担う担ぎ手を得るのは難しいのです。
特に一度巻き上げ紐が切れて数人の学者が亡くなってからは余計に、
怖がるものが増えて階段を使用するしかなかったのです。
しかし、階段だとまるで降りてこない研究者もいまして、
中には3年近く顔を見せない研究者もいるくらいで、大層問題になりました。
引き籠りがちな研究者に限って重要な案件を沢山抱えているのですよ。
それで、国に頼み込まれて我が老師がしぶしぶ重い腰があげられまして、
考え出されたのがこの昇降機なのです。
なんとも素晴らしい、本当に軌跡の様な発明だと思いませんか」
カナンさんの顔がきらきらと輝いている。
ヤトさんも面白そうにカナンさんの言葉の後に続く。
「そうさな、この発明はワシらにとっては魔法の様に不思議なものじゃよ。
鳥でもないのに宙に浮き、上へ下へと、誠に持って足元が覚束ぬわい。
あの偏屈老師の頭の中がどんなになっておるか、いつか掻っ捌いてみてみたいと
言っておった輩がいたが、納得じゃ。
とかく天才と言うのは珍しい物を作るものじゃ」
なんとなくだけど、カナンさんの尊敬する老師が作った作品ということが解った。
仕組みとしては現在のエレベーターの仕組みと変わらないのかもしれないが、
電気が無くてもからくりで作れるんですね。
まあ、ゼンマイは世界を制すって昔の発明家は言ったのだから、
それもあり得る話なのだろう。
「はい。カナンさんの老師様、凄いです」
私も素直に答える。
「でしょう。 マサラティ老師は天才なのです」
「ジニオ(天才)とジェイリオ(きちがい)は、
紙一重と言う言葉が当たっとるがの」
ジニオ?ジェイリオ?
なんだろう。
意味は解らないけど、ヤトお爺ちゃんの面白そうな顔に、
カナンさんの困ったような顔からは老師っていう人の人物像が解らない。
老師って、一体どんな人なんだろうか。
がたんと箱が揺れて止まった。
箱の制御盤のほぼ真上に備え付けられていた先がフック状になった長い棒が、
カタンと斜めにゆっくり倒れる。
そして、その棒のフックが、
階の入り口の付近の壁に埋め込まれた丸い輪っかに旨く掛かる。
カナンさんが、箱の中に置いてあった板を玄関への橋板としてかける。
私達は順番に橋板の上を通り、硬い石の感触の玄関口にたどり着いた。
無事に全員が階についたら、足元の橋板を箱中に戻し玄関口の壁の紐を引く。
そうすると入り口上部に埋め込まれた輪っかがぐるんと縦に回り、フックが外れる。
そして、長い棒が元の位置にゆっくりと戻り、
棒がもどったら制御盤に差している小さな杭が、
全てポロッと毀れる様に制御盤から外れた。
そして、ゆっくりと箱が下に降りていく。
うん、素晴らしい。よく考えられた昇降機だね。
「さあ、行きますよ。
まずは帰国の報告をして、早速老師に貴方を引き合わせなければ。
ああ、足元に気を付けて下さい。
いろいろ危ない物も多く散らかってますから。 こちらですよ」
通路の先には一枚の扉。
そこに至るまでの道の両脇が、どうやらガラクタ置き場となっている様だ。
ガラクタで溢れた道は、突くと毀れそうな微妙な安定感でぐらぐら揺れている。
木切れの様な物からばねの様な物、ロボットみたいな箱型の何かが、
所狭しと壁を基調に積み重なっている
これも発明品というやつなのかしら。
なんだか近づくと危なそうです。
ですが、カナンさんもヤトお爺ちゃんも、気にしない様子ですたすたと、
ガラクタ山の間の狭い道を歩いていく。
私も恐る恐るですが両脇に当たらない様に身をかがめてその背を追っていきました。
その道を通って辿りついだ先の重そうな扉。
扉を開けたら、正面上方から、ぶんっと音を立てて盥が降ってきた。
盥は銅で出来ているらしく鈍い金色に輝いて光っていた。
は?
金色の盥?なんで?
カナンさんは慣れた様子で、私の腕を引いて跳んできた盥を避ける。
ヤトお爺ちゃんがその盥を掴んで底についていた縄を切る。
避けた次は、右上から同じように花瓶が降ってきた。
涸れたドライフラワーが入った花瓶。
カナンさんは、それも慣れた様子で難なく受け取り、
花瓶が壊れない様に壁際の棚にそっと置いた。
「カナン、遅いぞ、一体全体何しておった。
お前の手配したロクサーネの所の助手は全然使い物にならん。
一日も持たずに逃げ出したわ。
もうすこしましな助手は見つけられなかったのか。
お蔭で研究が随分と滞ってしまったではないか。 責任を取れ!」
渦と巻くほどに積みあがった本の山から凛と響く声がした。
カナンさんは、声の主の傍に行くべく本の山を上手にかき分け始めた。
あの奥に誰かがいるのですね。
もしかして、老師という方でしょうか。
カナンさんは壁際の本の山の傍に立ってます。
あれ?いつの間にそっちに移動したのですか?
ところで、私の側に居たはずのヤトお爺ちゃんは?
「嬢ちゃん! 後ろじゃ。伏せじゃ!」
私の右前方からヤトお爺ちゃんの声がしました。
伏せろと、西大陸の言葉で言われて、まずは東大陸の言葉に置き換える。
なんて真似をしていたら私に反応できるはずないでしょう。
まあ、もともと反射神経はありませんが。
そして、その結果、ぼうっと立っていた私の後頭部を何かが直撃しました。
クワワワァ~ンと誠にいい音がして、見えたのは金の盥と、
目の中に飛び散りくるくる回るお星様。
先ほど避けたはずの盥よりすこし小さめな盥でした。
「二つ目……」
私はぷっつりと意識を失いました。
280ヘクト=280m単純換算です。
カナンとヤト爺はとっさにメイを助ける為に手を伸ばしましたが、
全く間に合いませんでした。
ちなみに盥は銅を磨いた薄く軽いものです。
殺傷能力は皆無ではないですが、瘤は出来るが死なない程度の悪戯です。




