予期せぬ友人の到来。
レヴィウス達の話です。
ラドーラの港町の喧騒から早足で離れて、
無事に領主館の前についたレヴィウスとカースは、
門番に嫌な顔をされつつも無事背の高い門から中に入ることが出来た。
それはレヴィウス達が、何故かラドーラ伯の紋章入りの指輪を持っていたからだ。
ラドーラ伯が親愛の印として渡す装飾品。
貴族は指輪やブローチなど、身の回りにつけている物を友愛の意味も兼ねて渡すのだ。
そうして難なく門を通り抜けたレヴィウス達であったが、
正面玄関の大扉の前で予想外に強い足止めにあっていた。
「ご領主様は多忙ゆえ、貴方がたとお会いすること叶いません。
若様は現在不在でございます。
お戻りは承っておりませんので、今は解りかねます」
褐色の肌に白い白髪の背の高い若年の執事が、扉を背に丁寧に目を伏せて答える。
その表情はぴくりとも動かない。
精巧な人形のようで感情が全く見えない。
口にする言葉は、絶対に領主に会わせるわけにはいかないという強い拒絶。
この言葉も、先程から何度も繰り返された。
表情も対応も一言一句変わらない。
壊れたレコードを相手にしているように繰り返される無機質な対応。
その規則正しい不変さを前に、
カースは仮面を被った人形を相手にしているような錯覚を覚える。
「先程も申し上げましたが、我等は決して怪しいものではありません。
我々は、若君のご家族であるご領主様一家にも何度か面識があります。
5年前にはご領主様ご家族の晩餐にも呼んでいただきました
その縁あって、この町に来た時には気軽に家に訪れてもよいとの言葉も賜りました。
若君がいらっしゃらないならご領主様に、どうか面会の時間をとっていただけませんか」
まるで手ごたえを感じない相手に、ここで、訳もなく怖気ずく訳にはいかない。
カースは、それでも言葉を選んで言い募った。
「何度申されましてもお返事は同じことです。
ご領主様は多忙なうえに、現在体調を酷く崩されております。
お会いすることは叶わないと存じます。
折がありましたら、面会の希望を主に伝えましょう。
日を改めて出直していらしてください」
だが、目の前の青年執事は、またもやきっぱりと拒絶する。
カースは眉を寄せながら、目の前の若い執事の顔を僅かに睨む。
このような対応は、イルベリー国でも他の国でも貴族であればよくあることだ。
突然領主館を訪ねてきた他国の人間であるレヴィウスとカースを怪しむのは、
家を預かる執事としては当然の対応だろう。
だが、主の紋章入り指輪を持っている相手に対し、
主人に伝えることもせず門前払いとは、聊かその対応が厳し過ぎる。
なにかあるのかもしれない。
彼等の脳裏にはそんな考えが浮かんだ。
その何かを探ろうと何度か言葉を変えて、目の前の男に嘆願するが、
先程と同じ台詞を繰り返されるだけ。
男の様子を見る限りでは、明日出直してきたとして、
取り次いでもらえるとは到底思えない。
人形の様な感情が見えない若い男。
彼の顔や態度からは、何一つ情報は得られない。
一見とはいえ、面識があると告げている訪問客を断る。
その様子に、なにやら良くない懸念があるやもしれないと、ふと邪推した。
5年前、ここの領主の晩餐に招かれ訪れた時には、この男はいなかった。
領主とその妻、その息子と彼の養育を任された老人。
そして年老いた使用人達が所せましと大勢働いていた記憶がある。
年老いて身寄りが無く働き口がない老人を領主館で雇っていると聞いた。
彼等は、一様に領主一家に対し心からの親愛を抱き仕えていた。
5年前の領主一家と心優しい使用人が招いてくれた晩餐は、
レヴィウス達にとっても、とても心温まる丁寧なもてなしだった。
5年も経てば、使用人が一新されてても不思議はない。
ましてや、老人ばかりだった館だ。
時期が来て、そっくり入れ替わったとしてもあり得る話だろう。
が、今のこの館は余りにも人の気配がなかった。
館の門前には、警護の男が二人だけ。
以前来た時には門前に二人、玄関先に二人、庭には大勢の庭師が働いていた。
館はどこもかしこも綺麗に磨き上げられ、
十分に手入れされた庭には美しい花が咲きほこっていた。
だが、今の館は薄汚れた外装もさておきで、窓が曇りガラスのように曇っている。
そして、申し訳なさそうに玄関先の見える範囲だけが整えられ、
ちらりと見える奥庭はやや荒廃しかけている。
大きな不安と苛立ちが心を波立たせた。
更に何か言い募ろうとしたカースの肩を、レヴィウスがポンと後ろから叩く。
カースがレヴィウスに視線を向けると、レヴィウスは首を横に軽く振った。
今は何も言うなということだ。
カースは黙って頷いた。
「俺達はイルベリー国のハリルトン商館所属の船乗りだ。
俺の名はレヴィウス・コーダーという。
若君が帰ったなら、我らが連絡を持つと伝えてほしい。
領主様には、快癒される日を祈っておりますとお伝えください。」
そう言って、レヴィウスはまっすぐに緑の瞳で青年執事を見据えた。
青年は、レヴィウスの緑の瞳に少し気圧される様に目を眇め一歩下がる。
だが、目を細めて視線をやや外しただけで、その視線に耐える。
「はい。承知いたしました。
すべては砂漠の運命のおぼしめしのままに(ケシャク・サラーム)」
最後の言葉を合図に、会話の終了を知る。
砂漠の一族の一般的な別れの挨拶だ。
レヴィウス達の面前で、目の前の扉が静かに閉まった。
*************
マッカラ王国に入るには、一昔前は砂漠越えしかなかった。
その為、マッカラ王国は苦難の末に到達できる秘境の国とも呼ばれていた。
しかし、大航海時代の幕開けと共に起こった航海術の発展や、
怒涛のように押し寄せる異国との文化交流が、時勢の変化の波となり、
マッカラ王国を含む数々の国々の情勢を変えた。
目に入り耳に聞こえる目新しい富を産む新しい世界。
数多くの国々が平和協定を結び自国の発展の為に港を持ち、船を我先にと出した。
マッカラ王国は深い山間部に位置するため港こそ持たなかったが、
ラドーラの港を所持する隣国とラドーラ領主との約定をもって、
ラドーラの港が正式にマッカラ王国の玄関口となった。
その結果、年端もいかない女子供であっても、
楽にマッカラ王国に行くことが出来るようになった。
良家の子供の教育にはマッカラ王国が最適であると、
世界中に知れ渡るようにもなり、毎年多くの入学希望者が訪れた。
ラドーラ港は隣国との国境沿いにある微妙な場所の港であり、
都心部から離れすぎているので国の主要港としての位置付けはない。
だが、マッカラ王国へは一番近い。
そして、マッカラ王国へ最終的につながる道は細い山道一本のみ。
山道での混乱を避ける為、道慣れたラドーラの人間が案内に雇われ、
一定の人数を組んで定期便の様にマッカラ王国行の団体が毎日出発した。
その結果、多くの旅の差配がラドーラの町で行われるようになった。
便利な玄関口であるこの港は予想外に大いなる利益をもたらした。
それゆえ、この港の自治権を欲しがる輩は国内外を問わず無尽蔵にいる。
うまくいけば莫大な財産を国とは関係なく楽に手に入れることが出来るからだ。
だが、邪な者共の横やりが入る隙は全くと言っていい程無い。
港使用に際しマッカラ王国から多大なる援助を受けていることを背景に、
この土地をおさめる初代領主は、国からの独立権を含む永久自治権を拝領しており、
国の元首と言えど、下手な口出しは出来ないようになっていた。
そしてもう一つ、遥か昔より砂漠の王と呼ばれた砂漠の一族が、
このラドーラの領主の一族に絶対的な忠誠を誓い、彼等を、そして彼らの護る土地を、
接待的の守護をもって守っていたからである。
彼等の血の中に呪術のように刻み込まれたその心は、ラドーラの一族と砂漠の一族を、
硬い絆によって結び付けていた。彼等は決してお互いを裏切らない。
代々続く領主一族を唯一無二の主君と崇め仕えてる。
ラドーラの一族も彼らに相応しき主君となる為に、決して正しき道を踏み外さない。
それは血に刻まれた永き美しき誓い。
いつしか、町全体がその空気に染まり、強固な結束力と連帯感を持つ町となった。
砂漠の一族は、別名砂漠の狼とも呼ばれ、
砂漠を縦横無尽に我が庭のように駆け巡る。
砂漠を少しでも知っているものならば、決して彼等に敵対しようとはしない。
砂漠に囲まれた国の民ならば砂漠の怖さは物心つくと同時に知っている。
万が一砂漠で迷ったならば、生き延びる希望は砂漠の一族しかないことも知っている。
砂漠の一族に敵対すること、それは即ち、砂漠の一族から見放されるということだ。
砂漠に囲まれた国が決して手を出してはならない一族。
それが、砂漠の一族であり、彼らが主として仕えるラドーラの領主一族であった。
ラドーラの領主の一族。
それは、生まれながらにて、大いなる重責を背負うことを意味する。
砂漠の一族の信頼を損ねぬように、常に自分を律した人生を送ることを第一とした。
武芸や学問、全てにおいて彼等の主となるため、高見を目指すことをやめない。
領主の一族は、幼少の頃より徹底的に学び、清貧を常とし領主を町を支える為に、
その能力全てを惜しむことなく発揮した。
次代の領主に据えられる跡取りや近しい者は、
一族の者の誰よりも非凡な才能を求められる。
物心つかぬ頃より、過酷とも言われるくらい厳しい修練を受け、
ラドーラの土地の自治に必要な全てを成人までに修得することを厳命としていた。
そんな歴代の領主一族は変わり者だと評判はあれど、多くの人に好かれ頼られ、
とかく優秀な者が多かった。
実際、領主の一族の中にはマッカラ王国で教鞭をとるものも多く、
結果として、マッカラ王国とラドーラ一族とで深い絆が築かれた。
一族に教えを乞うた教え子からは、尊敬と感謝の意を持って迎えられ、
世界中に散らばった一族の血筋は、時に各国上層部との強固な繋がりを残していった。
そうやって、姻戚関係やありとあらゆる方法で、
ラドーラの領主一族は確かな実績と経験、砂漠の一族との強固な関係、
そして自身の知性を示すことで、長年絶大なる支持を市民から得ていた。
今のラドーラの領主は年齢も50そこそこの働き盛り。
30年前、先代の死と共に後を継いだ若き領主だが、所領自治能力は随一。
人心掌握能力に優れ、強烈なカリスマ性を持つ男で、民に敬愛されている男だ。
若いころから武術に優れ、逞しい隆々とした体に鋼の様な強靭なる精神、
人を動かす指揮官としての冷酷なまでの的確なる判断力。
鋼のシャールと呼ばれる由来である。
なのに、遊学先の女性に一目ぼれし、さらってきて妻に迎える情熱家。
彼の情熱的なプロポーズはこの国でも有名だ。
「君の為なら、世界も、国も、この命さえ惜しくない。
世界中の誰よりも君を愛す。
君以外の存在はわが生涯にかけて決して妻と呼ばぬ。我が命かけて誓う。
だから、俺のただ一人の妻になってくれ。」
観劇の台詞に使われたこともある有名台詞である。
観劇だけを見るとロマンチストであり、近代一の色男と捉えられることもあるが、
その実は、文武共に歴代随一を誇る実力者だと国内外に評判が高い人物である。
領主の名は、シャール・セダム・アマド・ミラトリア・フル・ラドーラ。
彼の長い名前の内訳は、シャールは本人の名、セダムは父の名で、アマドは祖父の名、
ミラトリアは爵位、一応伯爵で領主、最後のラドーラは領地の名前だ。
そのまま直訳すると、ラドーラ辺境伯、セダムの子供でアマドの孫のシャールとなる。
祖父や父を知っている人が聞けば、途端に昔の話に花が咲くと言ったところだ。
真夏の空を切り取ったような澄みきった青い瞳に、
狼の毛皮のような灰白髪のフサフサとした髪。
堂々とした筋骨たくましい体躯を持つラドーラの鋼の領主である。
そんな彼は、早くに領主を継ぎ、権力、知力、見栄えとどれをとっても一級品。
自国でも外国でもとにかくモテた。
だれが彼を射止めるか、独身女性の間で垂涎の的であった。
なのにあっさりと突然出てきた女性が彼をいとも簡単に射止めたのである。
彼が本当に結婚したと世間に知れた時には、大勢の女性が悲嘆の涙を流した。
だから、どんな女性なのかと多くの人間が彼の妻に興味を抱いた。
彼に熱烈に愛された女性は、かつてイルベリー王城の女官をしていた女性だった。
美しく嫋やかでありながら、芯が強く情が深い、懐もとても深い人だった。
一見、聖母を思わせるような慈愛の雰囲気を漂わせる柔らかな印象を持つ女性。
完璧な礼儀作法に知的な話題、王族と相対しても臆することのない瞳。
興味だけを持って近づいた者達も、あっという間に彼女に魅了された。
異国人だといって理由もなく彼女を蔑む人間が、
いつの間にか誰一人居なくなった。
しかし、優しく笑っているのは平常時だけで、緊急時には、
夫もびっくりするほどに思い切りの良い男顔負けの差配を振るう。
これには誰しもが唸った。
強い正義感を持つ女性で、悪いことをした人を見かけると、
たとえそれが身分の高い人であろうとも躊躇することなく窘める。
言うことを聞かない子供のような相手なら、
実力行使とばかりに頭から水をぶっかけるなどなど。
その武勇伝はなかなかに多種多様だ。
気が付けば、ラドーラの住民の愛すべき名物の担う一角となっていた。
困ったことはあるものの、そのまっすぐな性格は誰からも愛されていた。
だから、領主夫婦の逸話を元にした観劇が世に広まっているのだ。
彼女が微笑む様子は、輝く花が毀れんばかりの美しい。
偶々イルベリー国を訪れていた領主は、その笑顔と性格に一目ぼれしたらしい。
そして、先ほどの台詞を男前の領主が膝をついて告白するのだ。
片手は彼女の手を取り口づけを、反対の手は100本からなる大振りな花束。
群がる求婚者の山を蹴散らすようにしてあっさりと彼女を自国へ連れ帰った。
その手腕は、惚れ惚れするものだったらしい。
観劇では理想の愛の逃避行として聊か大袈裟に描かれているので、
花の数云々や本当なのかどうかなどの講釈は、まあこの際は適当に置いておく。
らしいと言うのは、その真偽を確かめる相手が、
今は、口の堅い領主しかいないからだ。
彼の愛妻は3年程前に流行病でその命を儚くした。
妻を失った嘆きは相当に深かったらしい。
愛妻の死から、領主はめったに外に顔を出さなくなった。
町の人間は寂しいねえっと度々囁き合って、
彼等の愛する領主の屋敷を仰ぎ見ては悲しげに瞳を曇らせた。
その彼に変わって民と触れ合い交渉しているのは、
次代の領主である彼等の息子である。
街中では気軽にウチの若様と呼ばれ、愛されている青年だ。
ラドーラの領主教育の一環として、
跡取りは国外で本人の意志とは関係なく厳しく育てられる。
だから、ラドーラも町の民は、彼の幼少時を知らない。
だが、敬愛する領主と奥方のたった一人の跡取り息子だ。
ラドーラの住民は、彼を次代の自分達の主として当然の様に受け入れた。
若いころの領主本人を彷彿させる似通った容貌からも、
努力家で勤勉な姿勢、練達さを兼ね備えた能力からも、
砂漠の一族を従えた盤石たる後継としても、期待される逸材と評判が高かった。
跡取りの息子の名前は、グレン・ロッシュ。
爵位を継ぐまではただの一般市民と同じであるので、
爵位はないし先祖の名も背負わない。
ロッシュは言わずと知れたグレンの亡き母の姓である。
グレンは、母の故郷である東大陸のイルベリー国で幼少時を過ごした。
そこで多くのことを学び、希望する未来を手に入れる為に誰よりも努力した。
イルベリー国から帰ってきてからは、
マッカラ王国の某教授からはお墨付きをもらうほどに勉学に励んだ。
卒業してからも精力的に父の仕事を覚え、知識量も武芸一般も卒なくこなし、
今や一族の誰よりもその能力を開花させたと言っても過言ではないであろう。
だが、母から受け継いだのか、実に一本気な真面目な性格であり、
それがいつまでたっても世慣れない印象をぬぐえない。
百戦錬磨な相手をするには、全くと言って向いてない。
次代として跡取りに据えるにはまだまだ心配なところが多い息子である。
妻に似た性格は微笑ましく愛おしいと思うものの、
領主としてはまだまだとため息をつくしかない。
その息子を訪ねて、昔の友人と名乗る二人組がラドーラの館を訪れた。
領主も知っている賢い息子の憧れの先輩であり、息子の自慢の友。
5年前に一緒に過ごした晩餐で、彼等の人となりは理解している。
グレンが夢心地で語った素晴らしい逸話を合わせて考えるに、
本当に尊敬に値するほどに素晴らしい人物だった。
こんな気持ちの良い相手ならば、息子の良き指針となってくれるに違いないと、
ひそかに期待して領主の代々伝わる指輪の一つを友愛の印に渡したのだ。
いつかまた会いたいとは思っていたが、なぜそれが今なのだ。
今のこの時期に、彼らが訪ねてくること。
これがなんの意味を齎すのか。
窓から晴れた空をじっと見上げる。
薄い雲の合間から日の光が差し込む。
その光の色が、亡き妻の琥珀色の瞳に似ていて、とても、とても綺麗だった。
泣きたくなるほどに。
領主はぼそりと呟く。
「ねえ、リモーネ。 独りで運命を見つめるとは辛いものだね」
今は亡き最愛の妻の名を呼びながら、雲の形を目で追う。
運命というものが動き出そうとしているのかもしれないと眉を寄せた。
ふと、頭の隅に何かが閃いた気がした。
それが何かは漠然としていて解らないが、これは天啓かもしれぬと思い直した。
そっと、自分の袖を二の腕付近まで持ち上げた。
かつて鋼と呼ばれた隆々とした太い腕は、いまや痩せ細っている。
そのことに苦笑は得ども、いまの問題はそれではない。
二の腕に見えるのは星形の痣。産まれた時からある。
決して明らかにしてはいけない一族の直系のみが持つ秘密だ。
愛する息子にも、もちろん同じように星形の痣がある。
そろそろ、息子にも教えておくべきだろうと覚悟した。
今まであえて口にしなかったのは、口に出すと、
それが、息子を抗えない運命に巻き込んでいく気がしてならなかったからだ。
どうにかしたいと心は焦るが、刻々と時勢はよくない方へと転がっていた。
それに、彼には時間が余り残されてなかった。
その理由は、自身のどんどん細くなっていく体。
色を無くしたように体中に広がっていく白い斑紋。
今はもう背中全体に広がっている。
白い斑紋は、砂漠の者がかかる砂漠病と呼ばれる病だ。
砂漠の影響が強い地域独特の風土病。
有効な治療法は見つかっておらず、死すると砂に溶ける様に体の全てが崩れる。
白い砂となる運命を持つ者。
砂漠で暮らす人々の間では、この病での死を、砂漠に愛された者の病として、
静かに運命として受け入れられていた。
痛みはまるで感じないが、力が衰えているのを感じる。
体のすべてがじわじわと白に浸食され、生命を吸い取っているように見える。
俺には一体どのくらいの時間が残されているのか。
愛する妻の元に旅立てるのだから、喜んで自分の運命は受け入れる。
だが、妻と自分が愛した息子が、自分達を支え守ってきた町の民が、
望まない運命に巻き込まれることは望まなかった。
ならば、天啓に従ってみるべきではないか。
そんな考えが頭から離れなくなった。
領主は、彼等に見とがめられない様に、カーテンの影から、
玄関付近に話しているグレンの友人をそっと窺った。
彼等の訪問は、自分達にとって、吉兆か凶か。
巻き込まれる彼らにとっては災難となるやもしれない。
しかし、やはりそれしかないと決断した。
愛する息子の為、愛するこの町の未来の為に。
どんなに抗おうとも巡る運命は変えられぬ。
人が絶対に死なねばならぬのと同じように。
根強い砂漠の運命に抵抗するためには、砂漠の民以外の助けを借りるしかない。
彼等ならと強い期待感が溢れそうになった。
追い返され玄関先で佇む彼らを呼び寄せるべく、
ベッドサイドにおかれたベルを手に持ち
りりんと高らかに鳴らした。
*********
「本当に、取りつく島もないとはこのことですね。
事前に知らせてあったはずなのに、グレンはどこに行ったのでしょうか」
カースは、はぁと小さくため息をついた。
「連絡が行き違いになったのやもしれない。
我々の今回の旅はかなりの早足だったからな」
レヴィウスは、どうしたものかとなにかを考えながら顎を触っていた。
その視線は玄関から上の窓に向いている。
カースもレヴィウスの視線の意味を解って言葉を紡いだ。
「そうですね。
ですが、面会にも応じられない程に領主の容態は悪いのでしょうか。
それならばグレンが外出しっぱなしと言うのは理に合わない気がしますが」
「町の住人の話では、グレンは領主代行をほぼ全権担っていると聞いた。
それならば、不測の事態で不在となるのも仕方ないことだろう」
だが、領主の容態が悪く、明日をもしれぬと言うのなら、
医者なり既知の町の者が訪問するなりと人の出入りは些少あるはずだ。
ここの領主はそれほどにこの町の民に愛されていたから。
「街中で聞いたところによると、妻の死のショックから、
領主は人前にめったに姿を現さなくなったというだけで、
酷い病気だとかは聞きませんでした。
まあ、人前に出てこないので、その真偽のほどは解りませんが」
そんなカースを横目に、レヴィウスは自身の肩に乗る樹来に視線を向けた。
「樹来、中に居る領主の様子はわからないか?」
レヴィウスの右肩のフードの脇から、小さな猿が顔をひょいとのぞかした。
猿はすんすんと鼻を鳴らして、庭の木々に向かって小さく泣き声をあげた。
庭の草木が風もないのにざわりと揺れた。
キキキッと鳴く猿の声と、それに応える木々のさえずりと草のこすれる音。
人には感知できないが、本当に話をしているように見える。
揺れが程よく収まったところで猿が答える。
「リョッシュ様、上いたなし、元気ないあるなかとナシ」
どちらに取ったらいいのか解らない返事だが、レヴィウスにはわかったようだ。
「そうか、……領主の具合が悪いのなら今回は無理だろうな。
カース、他にこの付近に住む伝手は、……誰かいたか?」
「私が覚えている限りでは、1人は現在マッカラ王国にいます。
ほら、5年前にグレンの友人として一緒に晩餐に招待された青年です。
確か、名前が……そう、カナン、だったと思います。
二言三言話しただけですが、マッカラ王国で助手をしていると記憶してます。
しかし、マッカラ王国にどのぐらい伝手があるのか、
またどうやってここから、彼と連絡を取っていいのか解りません。
こんなことなら、もっと詳しく聞いておくのでした。
他は、そうですね。
おそらく一番近いのはこの国の首都のファイルーシャですね。
確か、以前に船団を組んでいたあの片腕マラドフが、
この国で手広く商売をしてると聞いたことがあります。
しかし、首都ファイルーシャはマッカラ王国とは真逆の方角です。
首都でマラドフを探して彷徨うより、商館で正規に三日待った方が、
結果的には早いかもしれません。
早速、商館に連絡を取り、トマンズに無理を言って急がせましょう。
案内人待ちリストに名前を入れる手続きをしなくては」
「そうか。急かしても早くと言うわけにはいかないだろうな」
「そうですね。ラドーラ時間ですからね。
それに、以前の様にトマンズの家族が待ち構えているでしょうし」
カースは、先程別れたトマンズの様子を思い出し、小さくため息をついた。
二人を自宅の夕食に招こうと、今にも言い出そうとしていた赤ら顔のトマンズ。
彼の体からは、沢山の種類の女性特有の香水の香りが混ざった変な匂いがしていた。
おそらく、家には香水を頭から振りかけたような臭い女性たちが、
相も変わらず彼を取り巻いているのだろうと予測が出来る。
あの様子では、以前と同じく、彼の家族での地位は底辺のままだろう。
「そうだな、トマンズの家のあの女傑達に囲まれるのは厄介だろうな」
「ええ、全くです」
結婚を迫ってくる彼等は実に積極的だ。
前回の招待では、既成事実を作ろうと、強い酒を勧め酔ったところで、
女性達が夜中に彼等の寝室に忍び込んで事を成そうと計画していた。
それをたまたまカースが事前に知って、
慌てて至急の用事だと嘘をついて、取る物もとりあえず、
二人で早々と船に舞い戻ったのである。
翌日からは、執拗に誘ってくるトマンズと彼の家族を避ける為に、
旧友である領主の息子のグレンが大層協力的で、
ラドーラ滞在は殆ど領主館で過ごしたので、無事彼等は事なきを得たのである。
トマンズはいい奴だと思うが、彼の家族には会いたくなかった。
舌なめずりしながら男を査定する視線だけでなく、
蛇の様に体にまとわりつくしぐさも、甘えたような猫なで声も、
執拗に胸や尻を押し付けて誘惑しようとする下賤な娼婦顔負けの手練手管は、
気持ち悪くて反吐が出そうになる。
その嫌な記憶があるだけに、真っ赤に塗りたくった口紅お化けのような、
トマンズの女性ばかりの家族にはできれば近づきたくなかった。
カースの肩上に、そうっと金髪を揺らしながら小さな照が顔を覗かした。
「ねえ、マッカラ王国に行くだけでしょう。
どうして、案内人が必要なの? どうして領主に会わないといけないの?
いちいち迷子になる子供でもあるまいし、
地図と馬があれば、自分達でいけるじゃない」
子供の様な口調の、何も知らない無神経さに、少しだけカースが苛ついた。
だから、肩を少し揺らした。
だが、照はカースの髪をしっかりと両手で掴んでいる。
とても慣れた様子だった。
「煩いですよ、照。
役立たずは引っ込んでいなさい」
「なっ、もう、もう、貴方本当に生意気だわ。
私はこれでも200年以上生きているのよ。
貴方達の知らない何かが私にも出来るかもしれないじゃない」
「ずっと無人島にいた引き籠り精霊もどきが何が出来ると言うのです」
照は、カースの肩の上で子供の様に足を踏み鳴らして地団駄を踏む。
「くぅ~。悔しい。何よ何よ、ただの人間のくせに。
もどきって、私はれっきとした大人の精霊なのよ」
照の姿を見て、カースの目が楽しそうに揺れた。
そして、更に反応を引き出すように感情を煽る。
「大人の姿もとれないチビを精霊とは片腹痛いですね。
蟻の仲間だと言い換えた方がいいのではありませんか」
「蟻? それよりはもっと大きいわよ。せめてリスとか……。
はっ、いえ、そうではなくて。
今のこの姿は、えっと、そう、仮の姿なのよ。
本当はちゃんと大人の精霊なのよ。貴方も見たから解っているでしょう」
一生懸命に言い訳をする小さな精霊。
メイがその姿を見たならば、多分可愛いと喜ぶだろう。
だが、カースには小さなおもちゃが動いている様にしか思えない。
「ええ、一瞬の幻でしたね。
遺跡を出た途端に、見事に縮んでちんちくりんになって。
わずかしかあの姿が取れないのなら、本来の姿は今の極小サイズでしょう」
海の上の伝説の恐ろしい精霊とは思えない程の人間臭さ。
それがメイによる影響だとわかる。
照の仕草や反応は、かつてのカースの知らないメイの痕跡を辿るようでとても嬉しかった。
たから、カースは殊更に照をからかって遊ぶのである。
「だ、だって、あの遺跡で力を使いすぎたのだもの。
仕方ないじゃない。メイとの約束だったんだもの。
メイもいないし、大人の姿を保つにはもっと眠りが必要なのに、
寝ていたところを叩き起こしたのは貴方でしょう」
言い訳をする時に、服の裾を握りしめる様にしていたのはメイと同じ。
カースはメイを相手にする様に、今は照との会話を楽しんでいた。
照も、カースの気持ちを解っているのか、
いくら言い争っても、嫌っているような仕草は見せない。
「メイを見つけると大きな顔をして、あんなにはっきりと言ったくせに、
のうのうと惰眠を貪っているから起こしたのです。
はっきり言って、寝汚いですよ。 朝はきちんと起きるものです。
それを言い訳だらだらと、貴方が立派な精霊に成れる日は遠い先ですね。
メイが淑女になる日とどちらが早いでしょうか」
「メイより、絶対私の方が早いわ。
あ、でも、私は眠っている時間が長いから、
それを考えたら……」
いつものように照とカースの進展のない話し合いが始まったが、
このまま続けるわけにはいかない。
ほっとくと二人は延々にメイの思い出話をしているのだ。
もし他の人間がその場に居たら、カースを独り言を呟く可笑しな人と認定したに違いない。
何度か試したが、照の姿は、猿と違ってレヴィウスとカースにしか見えない。
セランですら、精霊である照の姿をとらえることは出来なかった。
だからいつものように、レヴィウスは指をぱちんと軽く鳴らした。
終了の合図のように、二人の声がピタリと止まる。
「カース、照、ここで話し込むな。ここは門前だ。人目がある。
照、俺達が案内人を必要とするのは理由がある」
カースは照と言いあうことで、自分の苛立ちを聊か晴らしたようだ。
今は落ち着きを取り戻し、小さく肩をさげ仕方ないと言った顔で、
レヴィウスの言葉の続きを話し始めた。
「マッカラ王国に入るには案内人の持つ特定の随行書と、
入国には推薦状を携えた許可書が必要です。
この国の案内人とは、マッカラ王国へ続く険しい道を隊全体に細かく指示し、
無事に入国者を届ける役目を負っている専門職のことです。
道は一本道なれど、旅慣れた者でないと、本当に危ない場所は多いのです。
案内人がいればその危険は必ず回避できるでしょう。
そして、入国審査に信頼と実績のある案内人が付けば、
審査の順番を早めることもできるし、問題なく入国出来る。
といった様々な理由で案内人が必要なのです。
我々は、マッカラ王国への入国推薦状にあたる国の手紙は持っていますが、
案内人も、案内人が発行する随行書も手に入れられませんでした。
焦って我々だけで出発し、仮に無事にマッカラ王国についたとしても、
案内人がいない状態では入国審査の順番はなかなか廻ってこないでしょう。
マッカラ王国は今の時期、入国人数の制限をしていますから。
手続き関連がかなり厄介だとわかっていたから、
前の港を出るときに、グレンに当てて手紙を出していたのですが、
どうやらグレンとは行き違いになったようです。
本当に間が悪いというか運が無いですね。
私たちが役立たずの厄神を連れているからでしょうか」
話しながら、カースは再度何かを思い出したのか照をちらっと見る。
カースの最後の言葉と視線に、照が首を傾げる。
「厄神? そんな神様いるの? どこにいるの?
でも、ええと、よくわかったわ」
「そうですか、解ったならもうその口を閉じていなさい」
さっさと会話を終わらそうとするカースを引き止める様に、
照がカースの髪を引っ張った。
「ま、待って。 もう一つ言いたいことがあるの」
「厄神照はそんなに寝たいのなら寝ていなさい」
「な、誰がそんな名前だって言ったのよ。
私は照という名のセイレーンだって言ってるでしょう。
メイが私につけてくれた名前なんだから、変に改名しないでちょうだい」
レヴィウスが彼らの公論を遮る様に再度指を鳴らした。
「いいかげんにしろ、カース。
いちいちカースの言葉に乗せられるな、照」
レヴィウスの言葉を受けてカースは軽く肩をあげて照から視線をずらす。
照はカースの後方に向けて真っ直ぐに指さした。
「領主の家の扉が開いて、そこからさっきの男の人が出てきたの。
多分、私達に用があるらしいわ。
今、カースのすぐ後ろに立っているのだけど…」
レヴィウスとカースが一瞬で酷く驚き、ばっとカースの後ろを振り返った。
執事な彼は、よくわからない無表情のまま、黙ってカースの1m後ろに立っていた。
いつからそこに居たのか。
気配は全くと言っていいほどに感じられなかった。
彼等の視線を受け、人形顔の執事が、ゆったりと腰を曲げた。
そして、先ほどまでと同じ抑揚のない口調で、レヴィウスたちに話しかけた。
「主がお目覚めになりました。
お会いされるそうですので、どうぞ当家にお入りください」
気配の無さには本当に驚いたが、ここで領主に会えるのなら文句などない。
レヴィウスとカースはちらりと互いに目を合わせ軽く頷いた。
「わかった。 行こう」
レヴィウスの返事を聞くや否や、
執事の青年は、くるりと向きを変え先導するように館の門を開いた。
彼が開けてくれた館の入り口に二人は足を踏み入れた。
その背後で、重たい木の扉がギィィィと軋みながらゆっくりと閉じていき、
バタンと大きな音を立てて閉まった。
気が付けば、照とカースが仲良しになってます。




