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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
190/240

英雄が産まれた場所。

メイはこの話には出てきません。

記憶にあるのは慣れた暗闇の狭い部屋。

冷たい石床にごつごつした石の壁。

聞えてくるのは、今にも消えそうな寝息が重なる音。


石壁の向こうから時折隙間風がひゅうぅぅと通り抜ける。

窓も何もない狭い空間。

子供と呼ばれるであろう存在が一塊になって存在していた。



子供たちは一様にがいつからここにいるのか解らない。

自分もわからないし、何も知りたくない。

気が付けばここにいたのだ。


目覚めて一番に確認することがある。

目が覚め息をしていたらいつもと同じだと解る。

動かなくなったら、いつもと違う。


今日も2人の子供が動かなくなって小さな袋に入れられて運ばれていった。

こんな風に、寝息の幾つかは消えていることもよくあった。


彼等はここではないどこか遠くにいくのだと思った。

なんとなく羨ましかった。


知らない場所、遠くの何処か。

それは彼に知らず知らずに憧れの様な感情を心に植え付けた。




一日の始まりはガンガンガンと響く何かで格子を叩く音。

その音が鳴らされると部屋の扉が開き全員が外に出る。


空は、うっすらと明るくなっている程度の早朝。


日が昇る前にいつもの壁に掘られた穴に連れて行かれ、

細く長く狭い穴の中を4つ脚で進み、穴の先にある広い採掘場で小さな槌を構えた。


採掘場に持ち込んだ小さなランプの明かりとその光を受けて鈍く光る鉱石の反射。

それだけが唯一の目に入る光だった。


コーンコーン、キンキンと小さな音がいくつも響いて耳がツーンと痛む。

鼻から息を抜いて、耳の奥に唾液が付いた指を入れる。

そうすると、耳の痛みが多少だけだが緩和されるからだ。


取ったきらきらした石は小さな滑車が付いた木箱に乗せる。

木箱の大きさは高さ横幅はさほどないが、子供が3人余裕で入れるほど縦に長い。

一日かけて2つの木箱を採掘した石でいっぱいにする。

夕刻になり、外から滑車が引っ張られ木箱が先に引き出される。


一日に箱2つ分を石で一杯にしなければ、全員が食事を抜かれる。

水はかろうじて取れるが、所詮床に散らされた泥水だ。

床を舐める様にして舌を伸ばして水を飲む仕草は畜生の様だった。


与えられる食事は簡素なスープとパンだけだが、なければ餓えて動けなくなる。

だから必ず箱2杯は一杯にする。


沢山取りすぎると、明日が取れなくなる。

だから、意識的に量を調節する。

子供内での無言の規律がいつの間にかできていた。


来る日も来る日も石を掘り、爪で砂を引っ掻くようにして掃う。

何度も爪が割れ黒い色が沈着して、爪が生えてこなかくなった。


日が沈むと穴から出て、いつもの部屋に戻される。

何年も何か月も何日も同じことをする。繰り返しの毎日。





気が付けば、子供たちのなかでは俺が一番の古株になり、

十分に栄養を取れていないにも関わらず、俺の体は大きくなりかけていた。


大きな俺に、時折小さな子供は頼る様な光を目に浮かべる。

それを憂うわけではないが、気が付けば手を貸していることもあった。


視力は退化し瞳孔が常に開いている状態が常時となる。

その結果、闇夜にしかその視力を発揮できなくなった。


日の光に痛みを感じる為、部屋の隙間から光が漏れる時間が来る前に、

日中は目に布を巻くようになった。


部屋に入れられ、いつものように食事をもらうと、

一日の作業で疲れ切った体を屈め、壁際にどさりと寄り掛る。

小さな部屋にいる人数は50人前後、いやもっといたかもしれない。

彼等の顔も特徴も覚えていない。

同じにしか見えないからだ。



枯れ木の枝の様な手足に浮き出た頬骨。

どこもかしこも柔らかみの無い骨ばった背中。

下腹部だけが奇妙に出っ張って、地獄の餓鬼を思わせる体躯。

目だけがぎょろぎょろと大きく闇夜に光っている。

細く痩せすぎの小さな体躯には厚みというものが全くなかった。


俺を含む全ての子供は一様にそんな感じだった。


だが、寄せ集まっているとそれなりに暖かい。

だから固まって寝る。それだけだ。



一日一度の食事という名のエサ。

余りの臭さに鼻をつまんで無理に喉に流し込む。

カビが浮いた硬いパンを口の中に押し込んで押しつぶすように咀嚼する。


小さな子供であっても圧倒的に量が足らない。

重労働で疲れた体はもっとたくさんの食べ物を欲していた。

だが、無いものは仕方ない。空腹に慣れた体を丸めて目を閉じる。


時々、成長期の子供が夜中に餓えて錯乱し小さな子供に齧りつくことがある。

齧られた子供は痛みに悲鳴を上げ、咄嗟に俺に視線を向ける。


俺は、その視線を受けて全員を起こして錯乱した奴を取り囲むように指示を出す。

そして、奴が動けなくなるまで周りの全員で奴を囲んで噛みついた。


全員から噛みつかれた奴は一気に大人しくなり、その体は痙攣し、

朝には動かなくなっていた。

腕を噛まれ泣いていた子供も、傷が元で高熱を出して翌々朝には息が無かった。


こんなことは珍しいことではない。

だから動かなくなった二人をみても何の感情もわかなかった。


石を掘る人数が二人減ったが、翌日には補充の二人が追加される。


全て元の通りだ。


何も変わらない。

何も思わない。


あれらはもう使えなくなった。 それだけだ。

いつか俺も動かなくなるだろう。 それだけだ。


全てが繰り返される日常。


疑問を持つことも何もなかった。

それどころか、俺がなにかであるという認識すらなかったのだ。



あの時、あの人が俺に手を差し伸べてくれたその時まで。



俺の体が次第に大きくなり始め、坑道を進む肩や膝が擦れて服が破れていた。


このまま成長すれば、もうじき穴をくぐれなくなるだろう。

そうなったら、自分は一体どうなるのかと考え始めた時、その日は不意にやってきた。



ある夜、いつもエサを運ぶ大きな奴が俺を含む数人を角の小部屋に連れて行った。

にやにやと笑う口元が笑いを堪えきれないらしく、奇妙な三日月を描いていた。


どうやら、今度こそ俺が動かなくなる時が来たようだとだけ思った。

何故なら、この角の部屋に連れていかれて生きて部屋に帰った者は誰もいなかったからだ。


全員を一列に並ばせてた。 自分は真ん中から2つ目。



大きく振りかぶった奴の足が、一番端で震えていた小さな子供の背中を蹴りつけた。


「ぐぼっ」


細い小さな体は背骨をへし折られたようで、

血を吐きながら石床をごろごろ転がり、部屋の隅でうつぶせ状態で止まった。

血で咽る様にして浅い息を数度繰り返し、そして呼吸音がふっと途絶えた。


列の左端、涙を流して懇願するように奴を見ていた色白の小さな子供が、

奴の乱暴な腕に引き上げられ次いで首を絞められた。


「がっ、ぐぅぅ」


絶え間なく涙を流す小さな子供が、苦痛の声を上げる。

苦悶の中、泡を吹きながら無い爪で奴の腕を掻き毟る様にして抵抗する。


奴は恍惚とした表情で笑っていた。


そして、ぼきりっと音がして子供の体がだらりと力なくつりさげられていた。

子供の首は捻じれるような感じで真後ろを向いていた。

男は、先ほど背中を折られた子供の遺体が転がっている部屋の隅にそれを投げ捨てた。


そうして、どんどん動かなくなる者が積み重ねられた。


体の小さい順から行っているのだろう。

部屋の隅には死体で出来た小さな小山が出来ていた。


小さな体から片付けたのは、場所を取らない為かと不意に納得した。

ならば、彼等の中で一番背が高い俺は最後だと思った。



俺まであと少しというところで、どおんっとどこかで大きな爆音が響いた。

石壁が酷く揺れて天井の一部が落ちてきた。

部屋一面の床上にもうもうと埃が立つ。


崩れた天井から差し込む月の光が舞い上がった埃をきらきら光らせる。

砂交じりの埃を吸い込んだ為、ごぼごぼと咳込んだ。


天井の石壁は日干し煉瓦と赤土の漆喰で塗り固められたもの。

古い煉瓦は砕けて細かい粒子となって更に舞い上がり、

手のひらで口を覆って遮っても意味なく忍び寄る。

目や鼻にまで浸食し始めた。


右肩の上に手のひらサイズの瓦礫が落ちてきて、その衝撃で膝ががくんと折れる。

ぺたりと床に膝をついて座り込み、熱い痛みを訴え始めた右肩を左手で押える。


ぬるりとした感触が指から伝わってきた。

血の匂いが砂の匂いと混じり鼻の奥がびりびりし始める。

埃を排除するために、目からじわりと液体が出てくる。


何が起こったのか解らないけれど、

その確かな痛みに、止まらない血に、どくどくと音を立てる心臓に、

思わす笑みが漏れた。


このままここに居れば、俺の明日は違うものとなるやもしれない。

もう、二度とあの毎日を繰り返さなくてすむのだろう。

やっと俺にも訪れた。 ここでないどこかに行けるのだ。

その想いが心を支配した。


はあっとため息をついて肩を押えたまま目を瞑り床に転がった。

これで終われる。心の底から安堵していた。



だが、埃が収まってきて、流れ続ける血に意識が朦朧とし始めた時、

弱視である俺の瞳が何かの光を瞼の上から捉えていた。


緩慢な動作で光の方に体を動かし、重くなってきた瞼をゆっくりと持ち上げると、

その一瞬で、視界以外のすべての情報が意識から切り離された様に霧散した。


目にした途端、本当に何も考えられなくなったのだ。


白く眩しい光を放っているような美しい存在。

その空間すべてを支配するかのような圧倒的な存在感。

きらきらと月の光できらきらと輝き透き通る水晶のような髪が、

この世の者とは思えない幻想を抱かせた。


いきなりそんな存在が俺の目の前に現れた。

驚き以外の何物もない。


月の光を背後から受けて、きらきらと輝いて見えた。

ひらひらと揺れる白いマントが、洋服の裾が天女の羽衣を思わせる。

軽やかに立つその姿は、天から降りてきたばかりの神だと言われれば、

そのまま信じてしまうかもしれない。


それほどまでに、神秘的で美しかった。


その神が、不意に近づいてきた。



「大丈夫?」



言葉は必要最低限の言葉しか知らない為、

何を言っているのか解らない。


夜鳴く夜玄鳥の声よりも艶やかで耳に染みるような声。

明らかに俺に対して掛けられた声なのに、

その声が指し示す言葉の意味が解らないことが、とても悔しかった。


その時、俺は初めて自分の感情と言うものを手に入れたのだ。


悔しいなんて俺の心に今まで存在しなかった。

なにかを美しいと感じることもなかった。


そして、その声の持ち主である俺の神の姿をずっとみていたいと強く欲した。


こんなに何かに執着するなんて、初めてだった。

初めての感情の波にもまれ、心が、胸がじいんと熱くうねった。


心は忙しなく怒涛のように動いているのに、顔は人形のように無表情のまま。

感情を表に出したことが無いので、顔の筋肉が動きを忘れていた。


無表情のままで顔が変わらないのを不審に思った神が、

首を傾げながら腰を落として俺の顔色を下から覗き込むように窺った。


華奢な細い指を持つ手が俺の肩を気遣うように手を伸ばされる。

月光の光で透けそうなほど真っ白な柔らかそうな手。

血色のよさそうなピンク色の小さな爪。


逆光であったため顔は見えない。

だが、初めて触れた美しい色に目が奪われていた。


背後で、みしりと小さな音がした。

咄嗟に、神の手を掴みドア付近の壁際まで跳んだ。

木のドアのくぼみに神の小さな体を押しやり、

自分の体をかぶせる様にして落ちてくる石をやり過ごす。


背中に幾つか石礫が当たったのだろう。

背中に幾つかの衝撃があったが、体の中に囲った小さな温もりに柔らかさに、

心は奪われていた。


神秘的で近寄りがたかったはずの神の温もりに、神は人であったことを知った。

執着心は更に大きく育つ。

見るだけでは足らない。

ずっとそばに、俺はこの人の傍でこの温もりを守りたい。


その感情の名前は解らないけれど、

それらもすべて初めての感覚。


ずっとずっとこの感覚を無くしたくない。

この小さな体を抱きしめながら、そう願った。


天井の半分以上が崩れて、次いで横壁がぐらりと揺らいでさらに崩れる。


砂埃が収まって、やっと辺りが見える様になって、

自分の腕の中にいた人が俺よりも小さな少女だと気づいた。


「あ、有難う。 もう、大丈夫だから、あの、離して」


彼女が言っている意味は解らなかったが、

少女が体をよじって離れようとしたので、腕の力を抜いて手を離す。


その時、少女は俺の腕の付け根にあった星形の痣に目を止めた。

そして、俺の腕を掴んで言った。


「見つけた。見つけたわ」


彼女は歓喜を伴って大きな喜びの声を上げた。

言葉が解らないので、彼女が何をもって楽しいのかはわからないが、

少女の笑顔を見れたことが嬉しかった。


俺から一歩離れた少女の足元でぴちゃりとなにかが音を立てた。

視線を足元に移すと、瓦礫の下から赤黒い液がじわじわと石床に流れていた。

崩れた石から見えているのは、肉厚な大きな手。

先程、にやにやと笑って子供たちを殺していた男の手だ。

男はもはや動かない肉片になっている。


奴は時折、鬱憤を晴らすかのように幾人かを蹴り殺した。

にやりと笑う顔に巻きつくような動きをする気持ち悪い舌が特徴的な奴だった。


以前、鉱石採掘作業が旨く行かず、箱二つ分溜まらなかった時に、

子供の何人かが代わりにそこらの石を箱に入れて誤魔化そうとしたことがあった。

そんな子供の浅知恵はすぐに露見する。


その採掘場に居た全員が奴から仕置きだと蹴られ殴られた。

石を入れた子供はその場で死んだ。

俺は腹に近い骨がぼきりぼきりと枯れ木を踏むように踏まれて折れた。

喉の奥から熱いものが上ってきて喉が焼ける気がした。

口から真っ赤な血がどふっと毀れて床に広がる。


奴は血を吐く俺を見降ろし、踏みつけた脚から伝わる腹に響く声でくくくと笑う。


あの時は俺が動かなくなる番だとただそう思っていた。

奴の太い脚を見上げ、やっとその番が来たのかと、内心安堵していたのだと思う。


だが、泣きわめかない抵抗しない人形なような俺に奴は目標を変えた。

何日か熱を出し、痛みは続いたが、かろうじて命を繋ぐことが出来た。

奴に蹴られた腹は今でも奴の傍に行くと反射的に軋みを上げ、

口の中に苦い味が広がる様な気がしていた。


憎いかとか聞かれても憎いと言う感情すら解らない。

潰れたその顔を見たいとも見れなくて残念だとも思わなかった。

ただ、もう俺の腹は軋むことはない。

それだけに小さな安堵を覚えていた。


少女の後ろから誰かの声がした。


反射的に身構えるが、俺の動揺を察した彼女が、

首をゆっくり振って大輪の花のように笑った。


俺の肩から力がふっと抜ける。


少女は、俺に再度手を差し出した。


「君をずっと探していたの。 私と一緒に行きましょう。」


言われた言葉も、その意味も解らない。

だが、その瞳に映った美しい光に、優しい口調に、

差し出された白く柔らかい手に魅せられた。


気が付けば自身の黒く痩せ細った骨と皮だけの醜い手を重ねていた。


その時から、俺の未来は決まったのだ。




 





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