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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
188/240

ラドーラの港町。

レヴィウス達のお話です。

ドドウ、ザザンと絶え間なく大きな波の音が鳴り響く。

巻きつけるような激しい波が深く抉れた岸壁を打ち付け、

波の切っ先が岸壁の曲線で渦を巻き、真っ白な泡の羅列が海岸線を彩る。

その海岸線がたどり着く場所にある港街、ラドーラ。


ラドーラ近海は一年を通して全体的に波が高く荒い。

風や海流の向きが突発的に変わることもあり、船乗り泣かせの海と知られている。

毎年、多くの船がその付近で座礁したり沈没したりすることでも有名だ。


その波を常に受ける硬く鋭い岸壁は、全体的にくの字を描くように削られており、

突出したギロチンの刃の様な鈍い輝きと共に、絶大なる殺傷能力を持つ。


過去、海賊や異国の船が港以外の岸壁から上陸しようとしたことがあるが、

通常なら海岸に近づくにつれ穏やかになる筈の波が、ある一定の距離を超えると、

大海の荒波のごとくにうねり始め梶が効かなくなる。


その結果、獲物を待ち構えていたような切り立った岸壁に、

波に煽られる形で船はぶつかり、あっという間に海の藻屑と消えた。


そういった事柄から、この付近ではラドーラ港以外からの上陸は、

事実上不可能であると言われている。


それに、ラドーラという港町は、俗にいう陸の孤島に近い町だ。

三方は砂漠、残る一方は山岳地帯へと続く街道。

国の重要な海への玄関口の一つである主要地ではあるが、

首都からも遠く、政治的主観からで言えばかなりの僻地だ。


難のある海流にぽつんとある港。


普通に考えたら、立ち寄る意味もない辺鄙な場所の港だが、

幾つかの要素から、とても利用客の多い港としても知られている。


まずはこの港が、海賊や無法者の襲撃が極端に少ない安全な港だと言うことだ。

その理由として、この港の作りにある。

この港は、軌跡の様な天然の地形を利用して出来たものだ。


ラドーラ港は、一般的な入り江を利用した港の形と聊か変わった形をしている。


もし上空からその湾全体を眺めることが出来たなら、

その形は楕円を縦に2つ繋げた様にも見える。

もっと端的に言えば、ひょうたん状な変わった形の湾だと解るだろう。


しかしながら、この可笑しげな湾の形がラドーラの港街にとって、

最も頼りになる最強の崩御率を持った天然の要塞になるのである。


この港は見た感じでは、厳重な警備や装備を配置していない。

どこの田舎の港の風景かと疑われるかもしれない程、のどかな雰囲気である。


大航海時代から沢山の海賊や無法者が跋扈する海で、

他の港ならあり得ないほどの警戒の無さだが、

この港にはそもそも大袈裟な警備配置など必要がないのである。


水深も深く全体的に大型船が乗り入れ可能な港でもあることから、

割合に多くの大型船がこの港を訪れるが、

日に二度、つまり干潮時に近くなるほど乗り入れ出航が不可能になることを、

殆どの船は実地で知ることとなる。



海岸から5km程離れた海中に、海流を遮る様にして地底が一部隆起しており、

干潮時にはその場所が岩場を伴った砂浜となって現れる。

丁度、ひょうたんの括れの部分が、ぽっこりと隆起している形となる。

その時、内側の入り江が離れ池のように海から切り離されるのである。


その為、干潮時には入り江である港に外海から乗り入れることが叶わず、

また、出航することも出来ない。

袋の鼠のように、入り江の特徴である凶器と化した岩石が、

小さな海水の湖を囲むようにして孤立させる。


干潮時に走行できる場所は岸壁近くのわずかなくぼみのみ。

それでもそのくぼみの幅は約5m程、水深はわずかに2m弱しかない。

その上、沢山の珊瑚や岩が海底を埋め尽くしており、

干潮時には中型船はおろか小型船でさえも座礁しかねない。


これでは、大型船はおろか中型でさえ運航できない。


また、そのくぼみのすぐ目の前の岸には、

この港の湾岸警備隊が常時見張りと常備兵を置いており、

怪しい船籍はすぐさま差し止められる。


その結果として、船とわが身が可愛い海賊や海の無法者はこの港には近づかない。

満潮時に運よく中に潜入できたとしても、

短時間で制圧して略奪し、船で逃げるには時間が圧倒的に足りない。


そうこうしているうちに、ラドーラ湾岸警備兵や、

ラドーラの領主の直属であるラドーラ警邏隊が、

船を押え船員を捕縛し無法者は始末される。


決して素早いという動きではないが、領主の指示の元で分業制が確立しており、

水が流れるがごとくに次から次へと人や物が動き、街中に混乱をきたさない。


警邏や警備の職を得ている者は、

この港町を代々収める立派な領主の元に代々仕えている者であり、

規律正しく誇り高く、忠誠心が強い忠犬であることから、袖の下は使えない。


そして、いざとなったら領主の判断で一糸乱れぬその手腕を発揮するのである。


現在の領主は、歳は若いが博学で、その洞察力と行動力は、

先代を凌駕すると言われているほどの男だ。


民から、敬愛と共に絶大な支持を得ているのは、

町にあふれる民の笑顔を見ていれば解る。


立派な組織の長と、自然の恵みを最大限に利用したラドーラ港は、

まさに信頼と実績を兼ねた安心の港なのである。


たから、海を疾走する商船や各国の旗を掲げた正規の船たちが、

安心と共にのんびりと船をつけることが出来る港の一つであった。


もう一つ、この港が主要寄港地となる最大の理由が、

隣国のマッカラ王国に一番近い港という理由がある。


世界一の知識が集まる場所、マッカラ王国。

この国に入るには、この港から山岳地帯を抜けて入るか、

港の三方をしめる広大なるタジファールの砂漠と抜けて入るしかない。


砂漠越えは素人には難しく、殆どの人間が、

この国を目指すときに、この港を船で訪れるのである。



そういった幾つかの要素から、本日もラドーラの港には沢山の船が止まり、

それらの船を歓待することで生活を立てている民には笑顔があふれ、

街中には活気が満ちていた。






*******





本日も海から吹きつける風は強く波が荒いが、

青い空は気持ちよく晴れ白い雲が風に乗って勢いよく流れていた。

満潮時の海風は気持ちよく湾内を吹き抜ける。


あちらこちらの窓辺で沢山の洗濯物が、はたはたと元気よく揺れていた。

太陽の光はぴかっと輝き、目に痛い。


青い空を背景にした真っ白な灯台が日に反射してやけに眩しい。



ここは、ラドーラの港。

マッカラ王国に一番近い港である。


ラドーラの港についての記述を紐解くと、

一風変わった独特の雰囲気を携えた港だと誰もが口をそろえて言う。


その特質の一つとして一番に挙げられるのは、

この港は時間がとてもゆっくりに進んでいるかのように見えるということである。


それは何故か。


まずは、日中の日照時間の長さにある。


雨期を除いて一年の殆ど乾期の国の港が持つ特性だ。


太陽の日照時間は実に長く、ほぼ一日の三分の二にあたる16時間。

朝は5時に始まり夜9時頃まで沈まない。

その為一日が大変長く感じるのである。


この港の場所は、大陸の最南端でもあり赤道直下の位置にある。

俗にいう一番太陽に愛された場所として知られている。


二つ目は港の住民の性質というか、生活常識に依るものだ。


この港の住人は、他国の人間からしてみると、

良く言えば、のんびりと気が長く穏やかでおおらかだが、

悪く言えば、怠惰であり愚鈍。 全てに時間がかかりすぎるのだ。


例えば、他国の商人が明日までに積荷を馬車に乗せてくれと頼んだとする。

金を払っての依頼だ。 もちろん、受け手はいる。

受け手は、にこにこと人の好い顔で了承する。


その様子を見た依頼人は当然明日の朝、

日が昇るまでに積荷は馬車に積まれていると思うだろう。

だが、この国の常識では明日までにと言えば、明日中にと考えるらしく、

日が落ちるまでにすればいいと、受け手は実にのんびり構えているのである。

つまり明日の夜の日暮れまでに完了すればいいと。


この港をよく知るものならば、これば押えておくべき要点なのだが、

この港での仕事は、期日を区切るときに時間指定が出来ないということだ。


なにしろ、この港の住人がよく使う標語で、

「今日出来ることは、明日か明後日、また、その翌日に」というのがある。


これは本来なら、「明日出来ることを今日する」予定通りに事を進めること、

もしくは予定を前倒しする標語を皮肉と共に捩っているのだが、

この港の人々は、ゆっくり物事を進めないと大事な何かを逃すという、

実に都合の良い意味でとらえているらしい。


そのような性質からわかるように、立ち並ぶ店も露店も倉庫も、

のんびりの人間にすべての作業が左右されるため全てがゆっくりなのである。


道かう人も親切で優しく穏やかで、仕事は丁寧で正確だが、

とにかく時間がかかるのである。


その結果として、この港で停泊した船や、渡航者は、

一も二もなくこの港で数週間の滞在を余儀なくされることとなる。



ここに、一隻の船がこのラドーラの港に三日前から寄港している。


幾層もの大きな帆を堂々と広げた大きな船であるその商船の掲げる旗は、

世界中に名が知れた信用厚いイルベリー国のハリルトン商会所属を示すもの。


この港にもハリルトン商会の代理店と言う名の商店は幾つか存在し、

沢山の代行注文を承っているのである。


そして、船着き場で船の前に居て空の荷駄を携え、

じっと役人から渡される書類を待っている数人の男たちがいた。

彼等はこの港の商会の代理店の者であり、管理倉庫の責任者であり、

荷駄を運ぶ労働者であった。


総勢20人からなる一行が一様に嬉しそうに見上げているのは、

目の前の船の船首である。


その船の船首の女神像は、緑の目の獅子を従えた海の女神を象ったもの。

それを見れば船長は誰か、ある程度海で経験を積んだものや、

ハリルトン商会の関係者なら誰でも知っている。


海の女神レアナに愛された緑の目の獅子、

レヴィウス・コーダー船長その人である。


彼等の目は憧れの目をもってして船首を見上げ、

そして、船長が出ているのを今か今かとそわそわしながら待っていた。


役人がやっとすべての書類にサインを済ませ、

手続きに不備がないか確認し、大きく頷いて船の上に合図を送った。


船の上で、レヴィウス船長の右腕と知られる黒髪のカース副船長が、

その合図を受けて甲板長に合図を送る。


バルト甲板長の怒声が響いた。


「よおおし、やっと降りられるぞ。

 野郎ども、下船の準備だ!」


「おお!」


船員達の安堵を含んだ声が大きく応えた。


一気に活気ずく甲板上。

沢山の足音と掛け声が響き渡る。


荷物を下ろすためにロープで先に降りた乗組員達は、

声を掛けあって実に手際よく荷物を降ろしていく。


荷物が降ろされるのを横目に、橋桁から二人の男が堂々と歩いてきた。


特に華美な服装をしているわけではないのに、

彼等の周りは景色から浮き上がる様に、人の目を惹きつける。


獅子のような堂々とした赤褐色の髪とたぐいまれな緑の宝石のような瞳の船長。

闇を思わせる漆黒の髪に美しい水を湛えたような青の瞳の副船長。

その二人が纏う空気は、経験値を兼ね備えた自信ある一級品の佇まい。


その圧倒される存在感に誰しもが目を奪われ、

大の男でさえも、気が付けば憧れのため息をついていた。


待っていた一行は、嬉々として彼らを迎え、

頭の禿げかけた中肉中背の男が代表者として一歩前に出た。


「お待ちしておりました。 ようこそ、ラドーラの港へ。

 レヴィウス船長、 カース副船長。

 お久しぶりでございます。実に5年ぶりですかな。

 貴方がたをお迎えできることを、我々は本当に嬉しく思います」


赤褐色の髪に目の覚めるような緑の目の男、レヴィウス船長が、

差し出された手を握り返して挨拶に応えた。


「出迎え感謝する、トマンズ」


傍で控えていた副船長であるカースも比較的にこやかに言葉を添える。


「貴方にお越しいただけたおかげで監査が2日早くなりました。

 感謝しますよ、トマンズ」


本日は船がこの港に乗り入れてから3日目である。


そのカースの言葉に、元はイルベリー国の人間であるトマンズは、

わずかに苦笑する。


「この国の流儀ではこれが精一杯ですよ。

 それはともかく、さあ移動しましょう。

 荷物は全て倉庫に運ぶ手筈はつけてありますが、

 急ぎの物だけ荷駄に載せられるようにそこに連れてきております。

 お手数ですが船員達をお貸し願えますか。

 いつものように賃金は我々が上乗せいたしますので」


トマンズの言葉を受けて、船端に立っていたバルトが指示を出す。


「おい、本日の酒代が欲しいやつは立候補しろ。

 荷駄を一緒に商会に運ぶんだ。

 ソラート、お前は慣れているだろう。

 荷物と荷駄を引き連れて商会の倉庫に行ってくれ」


バルトが目に付いた船員の一人に声を掛けた。

ソラートと呼ばれた茶髪の船員は苦笑しながらも頷く。


「おおし、俺が行く。

 お前ら見てろよ。

 今夜の酒場の酒樽一番空けは俺のもんだ」


「馬鹿言え、お前1人だと朝までに樽ひとつも飲み終わらんさ。

 仲良く半分手伝ってやるよ」


「そうだなワシも行くか。 寝すぎて体がなまっちまった。

 ここで運動しとかなきゃ、帰った時母ちゃんに腹つままれて、

 何言われるかわからねえからな」


「おいおい、運動して酒かっくらって寝てりゃあ、

 腹に肉が付くのは一緒じゃねえか?」


「まあ、仕方ねえさ。 たださえ、我らの料理長の料理は旨すぎるからな」


「そりゃそうだ!」


 


バルトの声を受けて、幾人かの船員が笑いながら立候補する。

上がる手は予想外に多い。

3日間の留め置きは、体力気力共に力が有り余っていると言う事であろう。


先着20人程が選ばれて、降りた荷物を荷駄に順序良く載せていく。

そして、後は任せろとばかりにバルトがカースとレヴィウスに向かって、

ぐっと親指を立てる。


つまり、予定通り船に残る人員の配置及び船の管理は任せろと言うことだ。


レヴィウスが頷いて手を上げる。


「下船を希望していた者は、宿の手配を終えたら商会に連絡を入れろ。

 船番はバルトの指示で動け。

 出航は4週間後だ。 3日前には船に戻れ」


下船の希望を出していた者が、荷物を各自もって下船する。

彼等の脇を通り過ぎる時、浮かれた様に久しぶりの大地を踏みしめる船員達の耳に、

カースの忠告が冷たく染み渡り、一瞬ぞくっとし震えた。


「いいですか。 くれぐれも問題ごとは個人で速やかに解決するように。

 借金の宛て逃げや面倒事に巻き込まれた場合は、

 きちんと簀巻きにしてこの地に捨て置きます。

 出航時に間に合わない場合や、居場所がわからない者も同様です。

 この国の大地に骨をうずめたくなければ、肝に銘じておいてください」


浮かれ気分をばっさりと切り捨てる一刀であった。


船員達は、お互いの顔を見ながらその忠告を忘れない様に頷きあう。


「なあ、おい、俺の酔いが過ぎたら止めてくれよ」


「馬鹿野郎、そんなことを言ったら、俺が飲めねえじゃねえか」


「酔っ払い同士じゃあ、当てにならねえな。

 よし、ここは久しぶりに娼館にいって飲むか」


「アホンダラ、ここに4週間いるんだぞ。

 俺の財布が空になっても足りんわ。」


「ここは、誰かが飲まない外れくじを引くってのはどうだ。

 俺は、簀巻きになって置いて行かれるのは御免だぜ」


「そうだな、サームの港で調子に乗って酒場で暴れたカルダムは副船長の言った通りに、

 簀巻きで酒場の床に転がされたからな。 

 今頃、あいつ酒場の下働きしているんじゃねえか」


「まあ、今回はいつもより急ぎの航海だったから、カルダムも油断したんだろ。

 それに、カルダムがいるサームの港は寄港地だ。

 あいつが船に戻りたきゃ、帰りに拾ってもいいだろ。

 だけど、このラドーラは5年前に来たっきりだ。

 ここで置いて帰られたら、次はいつになるか解らねえしな」


「だな。で、誰が外れくじを引くんだ?」


「お前だ」「いや、お前だ」「馬鹿野郎、言いだしっぺのお前だろ」


と賑やかに言い合い押し合いをしながら、

ラドーラの港町を仲良く船員達は歩いて行った。


トマンズは彼等の後ろ姿をやや片眉を上げながら見送り、

小さく首を振ってから下船の用意をしたレヴィウス達に声を掛けた。


「さて、お二方もお疲れでしょう。

 宿はいつもの場所を取ってあります。

 ご案内方々積もる話もありますのでご一緒しましょう」



トマンズの言葉に、レヴィウスが首を振る。


「いや、せっかくだが我々は宿には止まらない。

 すまないが、今すぐにマッカラ王国に行く一番早い商隊に渉りをつけてくれ」


トマンズは目を瞬かせ、レヴィウスとカースを仰ぎ見る。


「え、今から? それは、無茶ですよ。

 貴方がたもこの国の事情はよくご存じでしょう。

 この国では、すぐと言ってもすぐのことになりませんよ。

 精々3日後の出発になります。

 それに、4週間で往復なんて無理です。片道10日の行程ですよ。

 4週間なんて、行ったら2、3日寝て帰るだけになりますよ」


カースがトマンズの耳元で内緒話のように、こそっと耳打ちする。


「大きな声では言えませんが、

 我々は国からの依頼で至急の書簡を持参しているのです。

 それに、本来の行程なら山越えで3日、街道に3日の計6日で着く筈でしょう。

 それをのんべんだらりとこの国の流儀で進んでいるからそんなにかかるのです。」


トマンズも小声でカースに言い返す。


「で、ですが、そんな無茶を言われても……」


蚊の鳴くような声で話すトマンズの声を遮る様に、

カースが先程までとは違うはっきりとした声で言った。


「無茶は先刻承知です。

 商隊が駄目なら、この港の領主に連絡を付けてください。

 彼とは些少ですが面識がありますので、案内人と馬を借りられるでしょう」


トマンズは慌ててカースの言葉を遮る。


「え、あ、ちょっと待ってください。 

 ええと、領主様ですか?

 それだって、今すぐというわけにはいきませんよ。

 早くて明日の午後、遅くなったらやっぱり3日後ですよ」


カースはにこやかに笑って、レヴィウスを横目で見ながら告げた。


「いえ、おそらく問題ないはずです。

 レヴィウス・コーダー船長の代理人と告げればすぐに面会が叶うはずです」


その言葉に、トマンズは目を白黒させる。

そしてその言葉の意味するものはなんなのかと、

疑問を載せた目でレヴィウスを見上げた。


だが、レヴィウスはトマンズの疑問に答えることなく、

顎に左手をあてて考える仕草をしていた手を降ろして言った。


「いやいい。

 トマンズ、領主館の場所を教えてくれ。

 このまま、俺達が出向いた方が話が早い」


レヴィウスの言葉にカースが同意する。


「ああ、そうですね。

 領主館の位置は以前と変わりなければわかります。

 それでは、このまま行きましょう。 

 今は一刻も時間が惜しい」


あっという間に決まった決定に、トマンズがついてこれずに言葉を失っていたら、

カースがにっこりと笑って言った。


「トマンズ、船の積荷や必要な書類は全てバルトとセラン、

 アントンに任せてあります。

 4週間後に帰ってきた時、全てが片付いているようにと言ってありますが、

 滞在中の船員達の相談に出来れば乗ってやってください。

 先ほどの言葉は本気ですが、出来ればここで新人を雇い入れるよりは、

 慣れた人員をこき使う方が扱いやすいので」


「あ、ああ。それはいいが……」


カースの言葉に茫然としたまま、トマンズは頷いた。


そのトマンズの言葉の続きを待たずに、カースがレヴィウスに向き直る。


「行くぞ」


「ええ、こちらです」


「し、しかし、そんな、今すぐ出なくても……」


そして二人は道を迷いなくまっすぐに領主館への道筋をたどる。

トマンズは後を追うように手を伸ばしたが、彼等は振り返りもしない。


レヴィウス達が滞在中に故郷の話やいろいろと聞きたいことがあったので、

トマンズの家で今夜と言わずほぼ毎日の歓待の準備をしていたのだが、

国の大事があるとまで言われて引き止めるわけにはいかない。

トマンズには彼らの為に尽力することが出来ないことを知っていたからだ。

ましてや、今までにない彼等の真剣な顔に否を唱えることは出来なかった。



トマンズは、肩をがっくりと落とした。


マッカラ王国を目指す人々が何時も口ぐちにトマンズに言う言葉があった。


どうしてそんなに時間がかかるんだ。

もっと早く出来ないのか。


この国自体の速度に慣れてしまえば、無茶を言うなと言うだけで済むが、

他の国から来た人々は焦れるものだ。


どんなにトマンズの伝手を使っても領主へのつなぎは早くとも3日、

本当は商隊への申し込みなどはどう見積もっても1週間はかかる。

通常の手続きならば、その倍以上の日数がかかるだろう。


無茶を言ってトマンズを困らせるのではなく、自ら動くと言うのだ。

ましてや、領主様へ有力な伝手があると言うのなら、

トマンズとしては、手間が省けて願ったり叶ったりだ。


目下、トマンズの一番の懸念は今晩の我が家にあった。


妻と3人の娘達とその友人に頼まれて、

レヴィウス船長とカース副船長を招いた食事会を開く予定でいたのだ。


彼等のいずれ帰る故郷の話を聞きたいと言うこともあったのだが、

妻と娘達の目的は明らかに違う。


イルベリー国でも結婚したい独身男性の上位に位置する彼らは、

この国でも独身女性にはかなり有名である。

なにしろ、財産、顔、才能、名声、どれをとっても一級品なのだから。

トマンズの娘達や、友人達にとっても理想の夫候補であった。


一月といういつになく長い滞在。


もしかしたらお近づきになって、妻問いをしてくれるかもと、

毎日夢を膨らませて、新しい服を買ったり髪形を変えたり、

珍しい料理を作ったり、部屋の模様替えをしたりと、

目を輝かして一日千秋の想いで待っていたのだ。


彼等の予定も聞かずに計画を立てた自分達も悪いのだが、

妻と娘達にふがいないとなじられる自分の未来が容易に想像できた。


外れないであろう未来の絵図は、トマンズの背中を丸めさせ更に肩を落とした。

とぼとぼと商館に向けて歩く足がやけに重い。

気が付けば、更に深い深いため息をついていた。




*********





レヴィウス達は、港よりも騒がしい宿屋街を足早に歩いていた。


このラドーラの港の変わった3つ目の特徴として、

倉庫よりも多い数の立ち並ぶ宿屋街がある。


騒がしいと言っても、喧騒などがあるわけではない。


なにしろ、この港町独特の性質なのか、

揺蕩う雲のように実にのんびり穏やかである。


ここの住民の大半は、ラドーラの港で過ごす人々の宿で生計を立てていた。


と言うのも、ラドーラの港の利用者の多くはマッカラ王国へいく人々である。


通常なら、この港に着いて船の中で5日、そして、降りてさらに5,6日。

マッカラ王国行きの商隊が出るまで待つ場所として、

このラドーラの宿屋街があったのだ。


普通なら唯の通過点である港街であるが、このラドーラのゆっくり事情が、

この宿屋街の発展の元となった。


マッカラ王国に向かう彼らに快適な宿と、

船旅で浸かれた体を休める場所を与える為に作られた宿屋街。


現に港の桟橋で下船する人の殆どが、

マッカラ王国を目指す前に最低でも5日程、場合によってはもっと長く連泊する。



明らかに貴族のような恰好をした若君とその従者や、

ぼろぼろのマントと草臥れた靴に本をを抱えた若者。


腰に剣をさしているが、知的な光をたたえた青年や、

物静かで女と見まごうばかりの細見の男性。


田舎から出てきたのであろう浅黒い肌の異国の服装の小さな子供や、

旅をするのに相応しくないドレスを着て着飾っている少女に、よく似た容貌の母親。


物珍しげに顔を常にきょろきょろうごかしている簡素なドレスを着た女性に、

大人しく自分のトランクに座って本を読み続ける女の子とその父親。


彼等は乗ってきた船からもわかる様に、殆どが外国人である。

全てがマッカラ王国を目指してこの港を訪れた者達だ。


港でレヴィウス達が下船許可を待っている間に先に下船した彼らは、

全員この宿屋街で足止めされている状態だ。


彼等はここで体を休め、そして沢山の情報を手に入れる。

なにしろ宿屋には多種様様な人々が闊歩しているのだから。


そんな彼らを横目に、レヴィウス達はただひたすらまっすぐに先を進む。


そこに大変仕事熱心は宿屋街の住人から、

沢山のお誘いと言う名の客引き合戦が始まっていた。

彼等の服装をみて東大陸の船乗りだと踏んだのだろう、

東大陸の公用語で話しかけてくる。


「ねえ、ねえ、素敵なお兄さん達~

 家の宿に泊って行ってよ。 綺麗な子が沢山いるわよ~」


「ちょっと、兄さん達今下船許可が下りたのかい。

 ご苦労だったね~。 家で疲れを癒していかないかい~」


「疲れを取ると言ったら、家が一番さ~

 家庭的なサービス満点だよ。どうだい、寄ってかないかい~」


「いらっしゃ~い、家の自慢の料理を提供するよ~

 これを食べればたちどころに元気百倍だよ~」


にこやかな笑顔を張り付けたまま、

鬱陶しいくらいに道行く人に朗らかな声を掛けながら、

手を変え品を代えと先行きを邪魔するのである。


ラドーラの港はイルベリー国のロンメル港程大きなものではない。

だが、知識の宝庫であるマッカラ王国を訪れるのは、船だとこの港が一番近い。


その上、マッカラ王国を訪れる客を乗せた船は税金を一部免除される為、

近隣の国々の船に至っては態々マッカラ王国行きの寄港者を募るくらいだ。


そのついでとばかりに、

沢山の船が客を降ろした後のこの港を休息地に選んでいた。


だから、船乗り専用と思われる酒場を兼ねた安い宿から、

娼館を備えている宿まで多種様様だ。


一風変わった女子供専用の宿屋を謳い文句にする宿の看板もあった。


気が付けば、先程下船したレヴィウス達の乗組員の姿も、

酒場を兼ねた安い宿屋の軒先でちらほら見える。


粘って値段交渉をしているのか、

娼館を兼ねた店の軒先にも難しい顔を彷徨わしている。


もしくは、沢山の謳い文句にどれにしようか迷っているのだろう。

船員達の顔は一様に晴れやかだ。


だが、レヴィウス達はここには用はない。


普通の人が走る速度と変わらないくらいの速足で、

鬱陶しい虫の様な勧誘者たちを躱しつつ、振り切る為に裏道に逸れる。


裏道に入ると、噂話のような話題があちこちで聞えてくる。

会話は全て西大陸のこの地方の言葉で話されているため、

東大陸の人間や、外国人には解らないからかもしれないからか、

街の人間は会話を隠くそうとしない。


(ねえねえ、聞いた~?

 首都のファイルーシャでまた出たんですって。

 狙われたの、悪どい金貸しのゴダールの屋敷ですって)


(ええ、知ってるわよ~。

 ゴダールって最低の奴でしょう。

 前に、首都に住んでいた私の友人の知り合いが酷い目にあったってきいたわ。

 悪いことしているから天罰よ。ざまあみろって感じ~)


(でね、今回は西の貧民街が幸運にあたったんですって。いいわよね~。

 ゴダールは私兵を連れて貧民街に乗り込んだけど、

 盗まれた財産は回収できなかったんですって。

 それどころか、私兵に奴らの仲間がいたらしく、

 ゴダールは身ぐるみ剥がされて城壁の外に転がされて泣いてたって。

 見たかったわね~さぞや見物だったでしょうに)


(あら、あんた。

 以前にコダールの旦那に服や宝石をもらってなかった?)


(うふふ、服や宝石にはあいつの名前は書いてないわよ~。

 万が一取り立てに来たならとぼけるに決まっているでしょう~

 全部忘れるのが、賢い選択なのよ~あなたも忘れて頂戴ね~)


女達の能天気な噂話に、カースは眉を顰めるだけで何も言わずに通り過ぎた。


前の寄港地で手に入れた情報通りに、

この国では少々厄介な問題が持ち上がっているようだ。

だが、レヴィウス達には関わるつもりは毛頭ない。 



マントのフードを下げて、足早に裏道を抜けていった。



宿屋街を抜けたら人の気配が全くなくなった。

開けた場所に見えるのは一本の砂利道。



目の前は黒と白の砂利を敷き詰めた急な坂道。

その砂利道の先には、堂々とした佇まいの領主の館が見えていた。



迷うことなく坂道を上り始めた彼らのマントの襟首から、

髪の毛以外の物がひょいと顔を覗かした。


「ねえ、本当に大丈夫なの?

 あんまり水場から離れた場所に行くと、私の力はあまり使えないんだけど」


金の髪に金の瞳の小人サイズの照である。


「貴方の力はもはや当てにしてませんよ。

 あれだけ大見得を切っておきながら、

 大体、何でメイの居場所がはっきりと解らないのですか」


カースは出てくるなとばかりに襟元を邪険に払う。


「だ、だって、距離が遠すぎて力が届かないのだもの。

 仕方ないじゃない。 メイとは簡易契約しかしてないのよ。

 それに、この国の空気が悪いのよ。

 乾きすぎでからからなんだもの。私の力が及ばないって言ってるじゃないの。

 でも、多分、これから向かう先あたりにいるはずなんだから!」


「なんですか。 多分?

 は! 全く当てにならないですね。

 子供だましもいいところです」


「な、酷いわ。

 くぅ~、貴方がメイの腕輪をしてなければ、引っ掻いてやるのに」


カースの襟元でその襟を噛みしめながら悔しがる照の姿は、

最近では日常茶飯事だ。


「猿の方が今の所あなたより役に立っているのだから、

 そういわれても仕方ないでしょう」


最近では見られた光景である照とカースのやり取りを、

レヴィウスの襟から顔を覗かしたもう一つの存在が話を遮る。


薄茶色の毛並に若葉な新緑を思わせる緑の瞳の可愛らしい子猿である。

 

「役たち照ないあるかなよし。

 しかたないあるとよし」


片言の言葉であるが、カースの言葉の上書きをしているようだ。


その言葉に再度照が金切り声をあげようとするが、

レヴィウスが3人?の間に入って喧嘩を止める。


「メイがマッカラ王国にいると言うのは間違いないんだな」


猿は大きく頷き、照は眉を寄せて困った顔で答える。


「マッカラ王国近くに無事でいるとしかわからないわ」


カースもなにかを考えながらレヴィウスに話す。


「この付近にメイが現れるなら、この先どこへ向かうか。

 私も予測を立ててみました。

 メイの立場に立って考えてみると、

 彼女が、言葉も通じないこの国で理解者を得ようとし、

 尚且つ帰る方法をいち早く探すなら、

 言葉を通じる人を探す為におそらくマッカラ王国を目指すでしょう」


確かに、カースの予測はあり得る物だろう。

だがしかし、情報が少なすぎるし、探す範囲は広すぎる。

レヴィウス達は今はその情報に希望を託すしかないのが現状だ。


「わかった。カース、今は目先の問題を片付けるぞ。

 樹来と照は、メイの気配をマッカラ王国に行く行程で探ってくれ」


レヴィウスの言葉に全員が頷いた時、二人の足は領主館の門扉の前にあった。


カースは、門扉の内側に座って居眠りをしている門兵に声を掛けるべく、

門を大きく叩いた。



*********



照は、先日偶然にも風に乗って聞こえてきたメイの声を思い出した。


(会いたいよ、どこにいるの?)


耳にそっと呟かれるように流れて来たか細い力のないその声は、

照の心に焦りを齎す。


メイ、どこにいるの?


照は、乾いた青い空の下、マッカラ王国の方向に視線を向けて呟いた。







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