鐘が告げる夜明けの光。
遺跡内部に残っているレヴィウス達のお話です。
「皆さん、ここはもう幾時も持ちません。
急いでこの場から脱出してください」
新緑の瞳に白く長い髪の男が、聊か緊迫した声で唐突に告げた。
和解し友情を確めあっていた3人と、
メイが入ったままの封印を見つめているフィオンと照。
彼らは一様に突然現れた新参者の言う事に眉を顰めた。
「脱出って、俺達だけでってこと?
そんな、メイさんは? 彼女を一人置いていくなんて」
ディコンの言葉にそこにいたほぼ全員が頷いた。
その言葉に呼応するように、照が自慢げに鼻を鳴らす。
「貴方の言う事なんて誰も聞かないわよ。
大体、いきなり現れて第一声がそれ?
笑っちゃうわ。いい加減にしなさいよ。
私がいる限り遺跡が壊れたってここの空間は問題ないわ。
私は、貴方とは違うんだから。
煩い猿は、尻尾を巻いてさっさと勝手に逃げ出しなさい」
照の喧嘩腰の挑発の言葉に、白い髪の男は口角を意識的にあげて、
ワザとらしい笑顔を作った。
「これはこれは。 素晴らしく威勢がいいですね。
大した経験のない若者の自信というものは、微笑ましいものです。
ですが、あの封印が破裂した場合の力の余波を考えると、
貴方の力では、全員を守り切れると言えないでしょう」
男はさらりと照の言葉を否定して、
話が通じるであろう人間達に向かって頭を下げた。
「この姿では初めてですね。私は樹来と申します。
かつての我が主の最後の願いの為に、貴方達の大事なメイ様に、
ご無理をさせたこと、深くお詫びいたします」
樹来の謝罪を受けて、カースが最初に口を開いた。
「この姿ではということは、この彼女の言うように貴方があの猿ですか」
カースは眉を顰めて苦々しげに確認した。
「はい。あの時の私の力では猿の姿を借りるのが精一杯でした。
森に住む猿に身を、思考を変えて、彼女に助けを求めました。
幸いにして、彼女の要望が私と似通っていましたので、
メイ様は快く引き受けてくださり、このような運びとなりました。
メイ様自身がこの後うけるであろう処遇についてはご本人も了承済みです。
もちろん、私もメイ様の為に精一杯のことをいたします。
ですが、貴方達の身に危険が及ぶことは、メイ様の心痛となりますでしょう。
恩人である彼女の為にも再度言いますが、ここは危険です。
皆様は急ぎここから脱出してください」
申し訳なさそうに目を細め、丁寧に忠告を与える腰の低い美しい男を、
明らかに敵対視している照の様子は一応置いといて、
とりあえず彼の言に気になった文句があったので、カースが訊ねた。
「メイの要望?それは一体何ですか?」
カースの問いに樹来はディコンに視線を向ける。
「メイ様のご要望は貴方達の友人を助けること。
そして、貴方達を守ることです。
誰も傷つかないように、誰も死なないように」
その言葉に、カースの表情が固まり言葉が詰まる。
解っていたであろうその言葉に、メイの面影がカースの思考に広がる。
カースが黙ったので、フィオンが先ほどから思っていた疑問を投げかけた。
「君は、樹来と言ったか。
君の姿は以前にどこかで見た事がある気がするんだがな」
そのフィオンの言葉に、樹来はやわらかい微笑を見せる。
「貴方が見たのは、おそらく里の蜃気楼でしょう。
あれは、この封印の力を眠らせておくための頸木。
かつての私の力の名残です」
それを聞いて納得したのか、フィオンは軽く頷く。
だが、驚きの声を上げたのは予想外にも小さな時に里を出たディコンだった。
「それでは貴方は白き神なのですか?
里を安永に導くとされるレグドールの守り神。
あれはただの幻影なのだとばかり思ってました」
その驚きの声に、樹来はゆっくりと首を振って否定する。
「私は神ではありません。 私は、ここにいる彼女と同じような存在。
確かに人ではありませんが、世の理を超える存在ではありません。
私は、貴方達と同じこの世の住民であり、うつろう影。
人間にとって、私の存在は幻影のようなものです。
里の人々を導く力など我々は持ちえません」
今までずっと気を失っていたディコンの祖母、アルナが、
いつの間にか意識が戻り、目の前の樹来の姿をじっと見つめていた。
その目は、樹来との待望の対面に嬉しさが熱く満ち溢れていた。
だが、その樹来の否定の言葉に長い長いため息をついて、
悲しげに瞳を揺らした。
とぎれとぎれになる空気をようやく溜め込み言葉を紡いだ。
「……ああ、我が神に会いまみえることが出来た。なんと嬉しや。
白き神よ。お願いですからそのようにおっしゃいますな。
貴方が神でないなら、我々は誰を信仰とすればいいのです。
長らく見守ってくださっていたのなら、そのままでいてください。
我々には貴方が必要なのです」
そのアルナの小さな震えるか細い声に、力なく伸ばされる細い腕に、
樹来は表情を変えることなく再度首を横に振った。
「いいえ。それは私の望むところではありません。
私は、私の主の望みだけを考える利己的な存在です。
私たちは本来そういった我を押えることはありません。
我が主の遠い子孫である貴方がたの命を気に掛けることはありますが、
その他の命についてはどうでもいいのです」
口調はやわらかいがその言葉は完全なる否定。
それに対して、フィオンが、ディコンが口を挟んだ。
「随分な言いぐさだな。 もともと過度に期待させたのは君だろう。
あんな幻影を残さなければ、
長も里の住人もおかしな考えを起こさなかったとは思わないのか」
「貴方を一心に慕う傷ついた老人に対して、
その言い方は、あまりにも酷すぎるだろう」
喘鳴を鳴らしながら苦しそうに呼吸するアルナが、
自身の血に染まった震える赤い手を疲れたようにそっと下げた。
「止せ。フィオン、ディコン。 よいのだ。 もうよい。
白き神が我々の想いを汲んでくれぬからと責めて何になろう。
だが、やはり、やはり、そう、なのですね。
本当は、解っていたのです。
私は、貴方がそうおっしゃることを
いつの日からか、わかっていた様な気がします。
決して我々を見ない貴方の姿に、あの背後の豊かな風景に、
希望を抱き、幻想を夢と理想に変え、里の人心を治める指針に据えたのは、
我々が勝手にしたことだ。
その責任を取れとばかりに救いを求められ、追いすがられても、
かの方には迷惑にしかならないだろう。
我々の苦しい生活のなかで、美しい幻影の貴方を追い求めることは、
美しい夢を我々に与えてくれた。
本来はそれだけで満足すべきだったのだ」
アルナの腹の傷が開いたようで、ジワリと血が巻かれた布に染み出した。
口調も吐く息も苦しさでとぎれとぎれになる。
ディコンが血を止める為に、服の袖を破って新たな包帯を作って巻きつける。
その間もアルナの独白は止まらない。
「わかって、解っていたのだ。 我らにはもはや神は微笑まぬことを。
我々は、我々の足で立つべきだと。
だが、我々の弱さが、いや、代々の長達の、
そして私のプライドの高さがそれを受け入れられなかった。
選ばれた民という間違った思想が独り歩きし、そして、
イルドゥクを恨むことすら、すでに間違いなのだと気づこうとしなかった。
いや、気づきたくなかったのだ。
我々は、愚かな歴史を、何度繰り返せば、わかるのだろうか。
死を間近にして、やっと解るとは」
フィオンは、小さなため息と共に言葉を乗せた。
「ああ、あんたの息子のディエムが何時も言っていただろう。
我々はそんな思想をさっさと捨てるべきだと。
イルドゥクという民も、我々の敵も、すでにもう存在しない。
壁を作って里を孤立させ、民を貧窮させたのはイグドール自身だ。
それがわかっていたから、ディエムは里の外から妻を娶り、
多くのイグドールの友人と交流を持った。
その言葉を聞き入れたものは、わずかだが存在し、
すでにイルベリー国の住民として、
ディコンのように受け入れられている者もいる。
里の住人に、裏切り者と呼ばれた者達だが、幸せそうにしているよ」
フィオンの言葉に、アルナは目を細めて微笑んだ。
「我々が、馬鹿な妄執に、憑かれて確執を、育てていただけだった。
民の幸せの道は、とっくに息子達によって、示されていたというのに。
民を幸せに、導くはずの長として、情けない限りだ」
息苦しい声がだんだんと小さくなる。
途切れ途切れのアルナの唇から、一筋の血が流れる。
今にも死に直面しそうなアルナのか細い手を、ディコンが取った。
「長、お婆様、気を確かに持ってください。
貴方はまだ生きなくてはいけない。
やっと見えたのでしょう。民を幸せへと導く道筋が。
それを実現しないでこの世を去る決断をしてはいけないでしょう」
「しかし、ディコン、私はもう……」
アルナの目も見えなくなっているのかもしれない。
アルナの視点はディコンを捉えないまま左右に揺れた。
「ある人が俺に教えてくれました。
諦めないと強く想うならば、必ず道は開くと。
彼女は、自ら命を捨てる行為は愚かで馬鹿馬鹿しいと言いました。
足掻いてもがいて、苦しむ果てに得るものは素晴らしいと教えてくれました。
貴方は、やるべきことが見えたのでしょう。
それならば、決して諦めてはいけないんです。
生きる勇気を持ってください。
未来を引き寄せる為の勇気を。命を繋ぐための執着を。
ほんの少しでいいんです。
ここで諦めないでください。お婆様」
その目じりから一粒二粒と涙を流れた。
その目に、わずかだが生気が戻る。
そんなアルナを励ますようにディコンの握りしめた手に力が入る。
「私がするべきこと……。 勇気。
ああ、生きたい。 まだ、まだ死ねない」
細い、小さな声でアルナはディコンの言葉を繰り返した。
アルナの傍に、樹来はゆっくりと近づいて跪き、白い手を翳した。
樹来の手の平に白い小さな光が灯り、それはゆっくとだが、
アルナの傷口をふさいでいった。
「かつての我が主の最後の命は、彼の子供を守れということでした。
だから、彼の子孫である貴方の命をここで繋ぎましょう。
ですが、これが最後です。彼の魂の喪失で契約は切れてます。
封印もメイ様の尽力で消えるでしょうし、それと同時に幻影も消えます。
私の幻影は、この封印の眠りを繋ぐ為に必要であったもの。
それが貴方がたを惑わしたと非難されても、私には致し方ないことです。
ですが、主の子孫である貴方がたを苦しめることになったのならば、
ここで謝罪いたしましょう。申し訳ありませんでした」
樹来の手のひらから漏れる光がすうっとアルナの体に吸い込まれて消えた。
アルナの傷口から血が出なくなり、その口から喘鳴音が聞こえなくなる。
虚ろい気味であったアルナの目にしっかりとした光が灯る。
「……お婆様、傷が」
ディコンのアルナを気遣う問いに、アルナは大きく息を吐いて微笑む。
樹来の力で傷口が修復されていた。
血を失った量が多いのか、貧血で頭痛と眩暈はやまないが、
先程まで感じていた今にも気が遠くなりそうな喪失感は、
もう体のどこにも感じられない。
アルナは、次第に暖かくなっていく指先を軽く動かし、
重いながらも動くようになった体で、ゆっくりと樹来に頭を下げた。
「我が神、いいえ、白きお方。
もうこれ以上おっしゃいますな。
貴方に謝罪など我々は求められませぬ。
むしろ、永く我々と共にいてくださったことに感謝したい。
私共の身勝手に付き合ってくれただけでも有難いことなのに、
貴方の主の子孫という微々たる印の為だけに力を使い続けてくださった。
その上、我が孫を助けて下さり、今は私の傷まで。
貴方が嫌がるのなら、もう神とは呼びませぬが、
改めて言わせていただきたい。
白きお方、本当に有難うございます」
アルナは下げていた頭を上げ、実に晴れ晴れとした表情で樹来を見上げた。
長年、喉につかえていた何かが外れたような感じだ。
その態度は長たるに相応しい威厳を感じられた。
その目には、何かをこれから成そうとする信念があふれていた。
樹来は、微笑みだけでアルナの言葉に返事を返した。
まだまだ何かを言いたい感が残るフィオンではあったが、
アルナが納得しているならば、もういいと、この話題を打ち切ることにした。
肩をすくめているフィオンを横目に、
今まで後ろで黙っていた聞いていたレヴィウスが樹来に話しかけた。
「話を戻そう。 ここを脱出しろというのは、メイの言葉なのか?」
レヴィウスの言葉に、カースが目を剥いた。
「そんな、メイを置いて脱出など出来るわけがないでしょう」
切羽詰まったような声を上げるカースの言葉を手で止めて、
レヴィウスは言葉を続ける。
「樹来、メイを救いにあの中に再度入れるか?」
その言葉で、全員の目がはっと樹来の方に向き直る。
だが、その返事に樹来は黙ったまま首を振るだけだった。
その様子に、イライラしながら腕を組んで仁王立ちしていた照が、
食って掛かる。
「チンケな猿の格好でメイの気を引いて味方に引き込んだ揚句にこの有様?
大体、あの男は連れ帰ってきたのに、なんでメイを置いてきたのよ。
さっさと引き返してメイを連れてきなさいよ」
その照の言葉に、はあっと樹来は小さく息を吐いた。
「無理です。そんなに簡単に入れるくらいなら、
こんなまわりくどいことをせずに、さっさと入ってましたよ。
この封印に入れたのは、主の血と同じくする者のみです。
私があの時入れたのは、ここに居る彼の存在と同化させていたからです。
ですが、今の封印は、もはや彼でも入ることが出来ないでしょう」
その言葉に照は首を傾げる。
「どういうこと?」
照の問いに、樹来は封印に視線を向ける。
「メイ様によって、封印が書き換えられつつあるからです。
今、この封印に入れるものは、もはや神だけでしょう」
「封印が書き換えられるとは、どういう……」
カースの疑問の先は樹来によって遮られた。
「それより、私は新たなる主の命を遂行しなくてはいけません。
貴方も子供の様に我を張るのではなく、手伝ってください」
照に向かって樹来はにっこり笑った。
それに対し、照は目を剥き絶句した。
「あ、あ、新たなる主って、誰のことよ。
も、も、もしかして、まさか、メイのことじゃないでしょうね。
私とも契約しなかったのに、なんで……」
「ああ、正式な契約はしておりませんよ。
この封印から出る為に、仮ですが契約を交わしました。
メイ様は私と契約をしたとはこれっぽっちも思っていないでしょうね。
ですが、私が望みました。 彼女を私の主とすることを。
ですから、お帰りの暁には、正式な契約を交わしたいと思います」
わなわなと体を震わせる照に、樹来は追い打ちのように言葉を掛ける。
「メイ様は、どうやらいろいろな厄介事に巻き込まれる体質らしいので、
些少ではございますが、私がお助けしたいと思っているのですよ」
「あんたなんか、必要ないって言ってるでしょう。
メイには私だけで十分なのよ」
目を吊り上げて怒る照の形相にも爽やかに樹来は答える。
「一人より二人ですよ。
そんなに怒ることはないでしょう。
彼女の運命の波は大きい。その分、沢山の力を必要とするでしょう。
今も、これから先も。 貴方一人では心許無い。
現に、彼女は言いました。
貴方と協力して彼らを遺跡の外に出すようにと。
これは、メイ様たってのお願いであり、厳命でもあります」
尚もいい縋ろうとした照の言葉をレヴィウスが止めた。
「メイの身に危険はないのか」
決して嘘は許さないとばかりに、まっすぐに緑の目が樹来を射抜く。
樹来は、レヴィウスに向き直ってその目を見て頷く。
「はい。本来の手順通りならば、まず問題ないでしょう。
ですが、封印が破裂するのは避けられません。
そのあおりを正面から受けるメイ様には、
加護を私からもかけておきました。
ですから、怪我などは最小限ですむはずです」
その言葉にレヴィウスはゆっくり頷く。
何時もの癖で組んでいた腕を、意識的に解いた。
「わかった。ここにいる我々の方が危ないということか」
樹来は深く頷き、レヴィウスにその理由を述べた。
「今、この里の地下から大きな力がうねりを上げています。
今にも力を開放し、爆発しそうな勢いです。
封印の破裂の余波に、地面が付きあげる力。
ここは、遺跡の最地下層です。
この場に居ては、誰も助かりません。
ですから、すぐに脱出をお願いします」
樹来は、レヴィウスの目を逸らすことなく見返して答えた。
その言葉には嘘はないとレヴィウスは判断する。
「わかった」
レヴィウスは一度目を瞑って頷き、
そしてレヴィウスの返答に青白い顔をしたカースに視線を向けた。
「カース、メイは大丈夫だ。
彼女は死にはしない。 俺達とあの時約束しただろう。
メイは、決して約束を破らない。
それに、飛ばされた彼女を探す為にも我々がここで死ぬわけにはいかない」
まだ何か言いたそうにしていたカースだが、
レヴィウスの目を見て、青白い顔のまま小さく頷いた。
「わかりました。 そうですね。
メイは決して死なないと約束しましたし、
見つけてくれと頼まれたのですから、我々が居なくては話になりませんね」
レヴィウスは、カースの背をポンと叩く。
「移動しよう」
レヴィウスの言葉で、カースも頭を軽く振って思考を切り替える。
「カミーユを起こしましょう。
そこに倒れている男たちはどうしますか?」
カースの言葉に、フィオンが答える。
「奴らは、薬でもうどうにもならないほど洗脳されている。
置いて行こう。 ここで死んだ方が幸せかもしれない。
まあ、外に転がしている脳筋のあいつだけは大丈夫かもしれんがな」
その言葉を聞いて、アルナがフィオンに頭を下げた。
「フィオン、そして、ディコンの勇敢なる友人たちよ。
この通りだ。頼む。
彼らの息がまだあるというのなら、助けてやってはくれまいか。
長として、彼らを見捨てる選択肢を取りたくない。
どうしても無理ならば、私をここに置いて行ってくれ。
彼らを看取るものが必要だろう」
アルナの言葉に、ディコンが首を勢いよく振る。
「長、お婆様、命を粗末にしてはなりません。
フィオンさん、レヴィウス、カース、そして、樹来に照さん。
俺からも頼みます。 彼らを俺達と一緒に脱出させてください」
ディコンはアルナの傍で、その頭をまっすぐに下げた。
樹来は、彼の姿に秋久のかつての姿を見た気がして、ふっと微笑んだ。
「ここの地下層にいる人間は私が上まで持ち上げます。
脱出経路を示してください。 私が救出活動に勤しんでいる間、
今までのように貴方は周りの空間の補強をお願いします。
もちろん出来ないなんて言わないですよね」
樹来は、ちろっと照を横目で見て、くっと口角を上げた。
照はその言葉にもちろん乗せられる。
「当り前よ。出来ないなんて一言もいってないじゃない」
大人となった照。
フィオン相手ならば、にっこりと煙に巻いたが、
しかしながら、人生経験の差というものが確かに存在した。
「メイ様との契約で、私も本来の力が戻りました。
これで、主の命が問題なく遂行できます」
人相手ならともかく、自分と同じ精霊である。
それも、自分よりも遥かに長い年月を生きてきた存在。
本来の力を取り戻したならば、照を遥かに凌駕する。
「契約って、仮でしょう。仮。
まだ、メイが貴方の主って、私は認めた訳じゃないわ。
メイの一番は私なんだから」
「そうですね。
貴方が一番というところを後続の私に見せていただけますか」
「当り前よ。そんなの簡単よ」
もちろん生来の気質もあることながら、
やはり、照はあっという間に樹来に載せられた。
樹来はにっこりと照に微笑んだ。
レヴィウスとカースとフィオンが地図を片手に話し始めた。
フィオンが、脱出経路を指で指し示した。
「この部分の天井に穴をあけてある。
梯子をかけてあるから、動けるものから移動しよう。
樹来、人一人が通れるぐらいの幅しかないがいけるか?」
樹来が頷くと、全員が一斉に動き始めた。
カースはカミーユを起こし、全員で転がっている住人を再度縛り上げる。
フィオンは外に転がしている狂熊エルバフを、蜘蛛の糸で巻き直した。
「よし、全員脱出する。
カース、フィオン、カミーユ、ディコン、先に上れ。
アルナと住人を引き揚げろ。
俺と樹来、照は殿だ。
急げ、大地の揺れ幅がかなり大きい。
穴がふさがるかもしれない」
レヴィウスの号令で全員が一斉に脱出経路に向かう。
樹来の腕から伸びた蔦の様な植物が、アルナを始め、
気絶した住人を上へと順繰りに持ち上げる。
先に上ったカース、ディコン、フィオン、カミーユが穴に引き上げる。
一人、一人と穴に消えていき、レヴィウスを残して、照と樹来だけになる。
レヴィウスは、メイが居る封印に目をやって、
そこにある封印内部のメイに聞こえるように声を残した。
「メイ、どこに飛ばされようと、必ず見つける。
だから、無事でいろ。 何があっても俺はお前を決して諦めない。
俺との約束を果たすその時まで、決して忘れるな!」
そう封印に声を掛けると、唇をきゅっと引き結んで、封印に背を向けた。
そして、脱出経路にその姿を消した。
樹来と照もその封印に一度目を向けるが、意を決したように、
レヴィウス達の跡を追って二つの光球となって消える。
そして、その場には、誰もいなくなった。
照の力が及ばなくなったその場所は、地震の力を余すところなく伝える。
ぼろぼろと天井を崩れさせ、地面に亀裂を入れていく。
古代の人間が描いた絵皿が亀裂に毀れる様に落ちていく。
鳥居が足元から崩れ、柱が床に埋まる。
地震がすべての物を崩壊へと導いていた。
かつて、メイと同じ国から来たのかもしれない古代人が描いた、
遺跡の遺物が、その文明の証が、全てが地中に飲み込まれていった。
*******
レヴィウス達が無事に遺跡の外までの最短距離を這い上がり、
全員無事に脱出し、白くなり始めた空を見上げたその時、異変は起こった。
ドゴン、バキッ、ドガッ。
幾つもの大きな音を立てて、遺跡の中央部の天井が割れた。
遺跡の中心部、棺が置いてあったであろうその場所から上に向けて、
ものすごい量の閃光の束がまっすぐに空を劈く。
その光は、夜明け近くの白けた空を真昼のように照らした。
レヴィウス達全員が、その様子に目を瞠る。
そして、これが封印が破裂するということなのかと、
その威力にぐうっと唇を噛みしめた。
あれだけの威力の余波をまともに近くで食らうならば、
確かに彼らの命が保証できるはずもない。
光は空を突き抜ける様にまっすぐに、ただまっすぐに伸びている。
レヴィウスも、カースも、この光の中のどこかにメイがいるのかと思うと、
離れていくメイの存在に、手放した愛しい存在に、
胸が掻き毟られるように痛く、切なくなり、ぎゅっと胸元を握りしめた。
光がどこに向かうのかそれを見極めようと目を空に向けてこらそうとした。
その時、今度は大きく地面が揺れた。
上下に縦揺れに揺れて、立っていられる者は誰もいない。
地面の唸りは大きくなり、本能からの行動で、全員が地面に身を伏せた。
ドドン、ブシュウウ。
大きな音がして、序、美しい鐘の音が聞こえた。
リンゴンリンゴン。
その音に気を取られ、咄嗟に目を向けた先で見たもの。
それは、打ち上げられる湯気を伴った膨大の水流に、
天高く持ち上げられた大灯篭。
そして、大灯篭に打ちつけられている鐘楼が揺れる姿だった。
誰も聞いたことのない鐘が放つ美しい音色に、
噴水のように熱い湯を高々に吹き出す間欠泉。
里の中央部からこんこんと熱い湯が噴出していた。
そして、ぼこぼこと蒸気を上げながら周りと熱い湯の泉へと変えていく。
石のように硬い大地は湯を吸い込まず、そのまま湯貯めの池を作る。
湯気が冷たい朝の空気に冷やされ、霧雨のような煙を生み出していた。
里が、だんだんと湯気と湯に浸食されていった。
里のあちこちに転がっていた住人達は、その湯の雨に、
そして霧雨に咽る様にして息を繋いでいた。
それだけを見るとまるで地獄絵図だが、
朝の太陽の光が、美しい音色を放つ鐘の音が否定する。
そして、光と水しぶきの屈折作用により、
小さな虹が架け橋のように幾つも里のあちこちに掛かった。
七色の虹が朝の光に照らされて、きらきらと輝く。
見たこともないその風景に誰もが目を奪われていた。
誰もが口を訊けないほどに、圧倒されていた。
カースとレヴィウスが、はっと気が付いた時には、
遺跡から伸びていたメイをどこかへ運ぶ光は消えていた。
「メイ、一体どこに……」
カースの言葉が、虚空にぼそりと聞こえた。
その言葉に重なるようにして、山向うの高台から、
レヴィウス達に手をふるゼノの声がして、大勢の軍人の姿が見えた。
その後ろには、トアルやレイモン、コナーの姿も見えた。
「おーいい。お前ら、無事か? 一体なんだ、ありゃあ」
気が抜けそうなレイモンの言葉に、気が付けば全員で手を振りかえしていた。
メイの知らない間にお供がもう一人増えました。
ちょっとS気味な樹来さんです。




