鳥が教えてくれました。
ポンポンポンって軽く弦をはじく音。
柔らかなフルートのような綺麗な旋律。
小さくリズムを取るように時折入る鈴の音。
耳に心地よい。
旋律はどこかで聞いたことがあるような、ないような。
不思議な懐かしさ。
気分が落ち着いて、ぎゅっと閉じていた目もとの筋肉の力が抜ける。
これは何?
誰が演奏してるの?
目を開けようとしたけど、私の瞼は私の意志を反映しない。
一体、私はどうしたんだろう。
誰かが私のそばにいる。
私の胸と首に手が触れた。
触れたところが暖かい。
痛みが消えていった。
*******
「それで、どうしてメイは首を絞められたんだ?」
セランの大きな声が響く。
「カースさんが私物を洗濯物の中に落としてしまったのを、
メイが拾っんだよ。それを泥棒って、勘違いされたんだ」
ルディの声にくやしさがにじむ。
「なんだよ。泥棒って、ありえないだろうが」
「そうだよ! 部屋に入ったのは僕だし。
メイは洗濯籠の中からペンダントを見つけて、僕に尋ねてきたんだ。
誰のか知らないかって」
「メイは悪くないだろうが!」
セランの声がはき捨てるように言い放つ。
「そうだな。カースは冷静さを欠いていた。
首をしめるのはやりすぎだ」
レヴィ船長の声。
「働くのを俺が許可した以上、メイは船員で俺の部下だ。
カースには後できつく言っておこう。
しばらくは謹慎させる」
セランの大きなため息が聞こえる。
「謹慎ね。まあ、確かに頭を冷やすには必要だろうな」
「セラン、メイは大丈夫なの?」
ルディの声が震えてた。
「ああ。 首をしめられた痛みと息が出来なかった苦しさで、
気を失っただけだ。 軟膏も塗ったし、
もうすこししたら、目をさますだろう」
軟膏?
さっき暖かいと思ったのはセランの軟膏?
軟膏って冷たいと思ってたのに、暖かいのもあるんだね。
「メイが起きたら、カースにはちゃんと謝罪させる」
皆の会話が少しづつ頭の中に蓄積されていって、
私の今の状況がぼやっと理解できた。
そうだ。
私、泥棒に間違われて、カースに首絞められたんだった。
カースの目、怖かったなあ。
でも、なんだか泣きそうな、怖がっているような目…
そういえば、と昔の記憶がふと蘇る。
あの目、あの目に似た色。
私、昔、見たことがある。
中学生の時、幼馴染が万引きさせられていたことがあった。
万引きに気づいて、思わず呆然と彼を見ていた私を、彼が睨んだ。
そんな目の彼は初めてみた。衝撃的だった。
カースのあの時の目は、その彼の目に酷く似ていた。
それにしても、
私は死なないってあの狸男が言ってたけど、
軽く死ぬとこだったような気がする。
それに、痛かったし、苦しかった。
どうせ死なないなら、
痛みを感じないとかのオプションがあったらいいのに。
でも、痛みを感じないと駄目だって、以前に偉い人がテレビで言ってた。
どこかでケガをして、出血が出ててもわからないと
死に到ることは確実だって。
と、いうことは、私の場合、死なないんだから、ゾンビ???
某マイケルのスリラー出演のゾンビくん達。
いやです。仲間入りしたくありません。
人間のままでいさせてください。
無駄なことをつらつら考えていると、瞼がピクピクしてきた。
あら、目が開きそうです。
「おっ、メイ、目が覚めたか。どうだ、声は出るか?」
セラン、顔近いです。
ぎょっとして、セランの顔を隠すように両手で防御する。
「はい。セラン。声出ます」
「メイ、起きた? よかった、目が覚めて。
ごめんね。カースさんを止められなくて。
僕、そばにいたのに」
ルディが、ベット右脇で、悲しそうに目を細めて謝ってた。
「ルディ、私、大丈夫」
全然、ルディのせいじゃないのに。
私が考えなしに、あそこでペンダントを出したりしたからなのに。
あとで、ルディが船長に聞いてくれるって言ってたのに。
それを無視して勝手にしたからなのに。
ルディとセランに心配を掛けてしまった。
「ルディ、セラン、心配、
ごめんなさい。あと、ありがとう」
ダメダメな私を見捨てないでくれて、本当にありがとう。
感謝の気持ちを込めて、彼らに全開の笑顔でお礼を言う。
セランは苦笑い、ルディはもっと泣きそうになってる。
なんで?
「メイ、今回の件は後でカースにちゃんと謝罪させるし、
当分、謹慎させる」
レヴィ船長も真剣な顔をしてます。
いつもの張り詰めている感じの緑の目には、
やさしい色合いが浮かんでいました。
レヴィ船長も心配してくれたんですね。
それに、私のそばにいてくれたんですね。
気絶する前に、レヴィ船長の姿がぼやけていった時は、
パニックになりかけました。
顔が見えなくて、レヴィ船長が怒っているのか悲しんでいるのか解らなくて。
それでつい、信じてくださいって私は言った気がする。
レヴィ船長は信じてくれた。
さっきの言葉はそういうことでしょう。
嬉しいです。
嬉しくて、嬉しくて、胸が一杯になっている。
今なら、何でも寛大になってしまうでしょう。
浮かれたってなんだっていいのです。
だって、今の私は、心が大層広いですよ。
カースの睨みなんて、なんのそのですよ。
「レヴィ船長、カース、謝罪、いらない。
私、大丈夫。 もうすぐ治る。謹慎、何?」
知らない言葉です。
「船の自室で反省することだ。
もっとも、あまり長くは無理だが」
なるほど、反省されるんですね。
「はい。ごはん。カース、運ぶ、必要?」
「おい、メイ。
お前がカースにメシを運んだら、謹慎にならないだろうが。
当然、カースは今日は飯抜きさ」
セランが笑いながら私の頭をぽんぽん。
なんと、メシ抜きですか。
ガーン。
それは大変な罰です。私だったら発狂します。
私のショックを受けている顔をみて、ルディもわらってくれた。
良かった。さっきからルディはずっと泣きそうな顔をしてたから、
すこし気になっていた。
やっぱり、哀しい顔より笑顔がルディには似合う。
「ルディ、洗濯、終わった? まだなら、私、手伝う」
ベットの上から降りた。
ルディがはっとした顔をしてた。
洗濯のことを忘れていたみたい。
「いまから急いで洗濯するよ。メイは寝てて」
私をベットに戻そうとする。
もう、大丈夫なのに。私は首を振って元気よく答えた。
「二人で洗濯、早い、だから 私、働く」
ルディの目をみて、私は大丈夫って伝える。
ルディの困った顔。
レヴィ船長がセランに、チラッと目で合図した。
「大丈夫だろ。
まあ、気分悪くなったら、ここに帰ってくればいい」
実にあっけなく許可が下りました。
まあ、見ての通り元気ですからね。
それでルディもしぶしぶ私を仕事に参加させることを了承した。
セランからお許しが出て、甲板にルディと一緒に上がりました。
風が、ひゅるひゅるいってます。
青空が高くて、雲がわたあめのようです。
「そこの洗濯の道具だして待っていて。
今から、洗濯物を持ってくるから」
ルディは走って船内に戻っていった。
船の4番目のマスト付近に、括りつけてある3つ樽。
その中に洗濯道具と掃除道具が入ってます。
洗濯板を二つ取り出し、
樽にかぶせてあった桶を二つ用意しました。
海水をくみ上げるのは、私では力が足りないので、
ルディが帰ってくるまで、大人しく待つことにしました。
空には、カモメよりちょっと大きな鳥が飛んでいて、
この船のマストの頂上に何匹かとまっていました。
海を渡る、渡り鳥の一種でしょうか。
マストの天辺は、止まり木に丁度いいのかもしれないね。
そう思って見上げていると、
鳥の鳴き声がキーキー、ギャーギャーから意味のある言葉に、
なぜか変換されて聞こえてきた。
「ねえねえ、あんた。神様の加護者でしょ」
「ねえねえ、あんた。神様の守護者でしょ」
え? 今の、もしかして、もしかしなくても、あの鳥達?
「ねえねえ、あんた。知ってる?
私たち、知ってるの。だから教えてあげる」
は? 鳥が、カモメが何を?
「もうじき、ここに嵐が来るの」
「とっても、酷い風、大きな雨」
はい?
「ねえねえ。あんた。私、教えてあげた。
もういくね」
ちょっと待て、鳥よ。
そんな、不吉なことをサラッと簡単に済ませるな。
「またね、神様の加護者で、守護者」
「教えたよ。もう行くよ。またね」
バサバサバサッっよ、鳥が一斉に羽ばたいた。
西に向かっていく。
鳥の羽がいくつも甲板に落ちてきた。
言うだけ言って放置とは、これいかに。
鳥よ。救助方法とか助けになることを、
もっと教えてくれてもいいじゃないか。
ゆらりゆらりと上から落ちてきた羽が、私の頭の上にふわりと着地した。
周りをきょろきょろ見渡す。
私の周り、つまり甲板の上には
沢山の人がいろんな作業をしていた。
さっきの不吉な鳥の予言。
聞こえていたなら、皆、今頃パニックのはず。
でも皆の表情は、さっきまでと変わらず、のんびり穏やかです。
はぅ、私の耳はどうにかなったのかな。
聴力検査は、今まで一度も問題なかったはず。
ここは、頭を切り替えて忘れるべき?
でも、さっきの鳥の言葉。
神様の加護者って言ってたよね。
それを知るのは私が寝言で叫んでない限り、春海以外にはいないはず。
そして、さっきの鳥は、私の想像上の産物では無い。
この羽が証拠。
つまり、現実に鳥が話しかけてきた。
鳥が態々。もしかして、大事な事だから?
えっと、鳥、何ていった?
そうだ、凄い嵐来るって、言ってたよね。
鳥の言葉と新聞やテレビで得た嵐についての情報が、
頭の中でぐるぐる回って撹拌し、危険、危険! 嵐!
危機発生と頭の中で警報がなり始めた。
これって危ないよね。確実に!絶対に!
酷い嵐ってことは、揺れる以前の問題で、
下手したらこの船も沈んじゃうよ。
ルディが洗濯物の籠を持ってきた。
「ルディ、洗濯、駄目、雨、風、酷い、来る」
急いで、ルディの手を取って言う。
「何?え? 雨? 天気だよ。 メイ、どうしたの?」
「お願い、ルディ。大変、船長、知らせて。
船、西、必要、行く。 風、もうじき来る、早く!」
最初は、私の突然の言葉に困惑していたルディだったが、
私の真剣な表情を見て頷いてくれた。
「わかった。メイはすぐその道具をかたづけて。
洗濯籠は船内に入れておいて。
重たかったら引きずってもかまわないから」
ルディはすぐさま船内にとって返した。
早く、早く。
心がせく。
道具を急いで樽に入れて、しっかりと蓋をする。
洗濯物の籠を引きずって動かしていたら、
私のそばで網の修理をしていた小太りのオジサンが手伝ってくれた。
「おい、ペッソ。雨が来るのか? 何でわかる?」
「風、変、鳥、西へ逃げた。 雨来る、解かる」
解かる言葉をつないで、一生懸命伝えた。
オジサンは眉をひそめて
「風でわかるのか? 酷く荒れるのか?」
「酷い雨、風、早く、船、逃げる、必要」
「嵐が来るのか。本当にそうなら、いそがなきゃならねえ」
おじさんは、おじさんの部下達に一斉に合図をだす。
「おい、今日の作業は中止だ。
そこいらに散らばっているものを船内に急いでしまえ。
あと、係留ロープを持って来い。
船の甲板に出ている設備を補強する。
樽が動かないようにしっかり柱に固定しろ。急げ!」
オジサンの大きな号令に、甲板でのんびり作業していた人たちが、
一斉に体を起こして甲板の上や船内を走り始めた。
バタバタと船員が動き始める。
早く、早く。
空を何度も見上げるが、風が少しずつ向きを変え始めていて、
空には鳥の姿も、さっきまで浮かんでいた大きな雲がも無くなっていて、
慌てて去ったような細い雲が、千切れたように小さく細く棚引いていた。
「おい、何があった?」
バルトさんが走ってきた。
「これから、でかい嵐がここに来るそうです。
だから急いで船の補強準備をしています」
おじさんがバルトさんに説明をする。
「なんだと? 俺は聞いてないぞ?
カークや船長はどこいった?」
「このペッソが言ったんですよ。
風がオカシイ、雨がくるのがわかる。
大きな嵐がくるから鳥が一斉に逃げたって」
オジサンが私の言いたいことをしっかりとバルトさんに伝えてくれた。
バルトさんは毛むくじゃらの大きな体を揺らして、
私の身長にあわせて屈んで、私と目の高さをあわせてじっと見る。
「おい、メイ。本当なのか?
嘘だったら、ただじゃすまないぞ」
「本当、来る、信じて」
目を逸らさずに訴える。
早く早く。
「わかった。どっちにしろ嵐に備えるのは
万が一を考えても、悪いことじゃねえしな」
バルトさんの大きな毛むくじゃらの手が
私の頭をぐしゃぐしゃにした。
早く早く。
船内から、ルディが船長をつれて着てくれた。
「メイ、海が荒れるのか?」
レヴィ船長の真剣な目に私もまっすぐ視線を返した。
「風、おかしい、雨、くる。
大きい、酷い、嵐。 鳥、西に逃げた」
レヴィ船長は眉間にしわをよせて一瞬考えた後、質問してきた。
「メイ、今日は雲も多いし風も速いが、嵐になるほどじゃない。
しかし、西か…」
レヴィ船長があごに手をやって考え込む。
「メイ、西がどっちかわかるか?」
何を今、そんなこと。
メイはぐるっと手を左の方向に動かした。
「こっち、西。鳥行った」
早く早く。
「カース、どうだ?」
後ろにカースがいた。
息がはずんでいる。急いで走ってきたんだろう。
忙しい時に呼び出されて、すこしばかり不機嫌そうに見えたが、
今はカースの機嫌を気にしている場合ではない。
「方角はあってます。
波の位置と風の向きが、やや強いのも事実です。
しかし、ただそれだけでは、嵐がくる前兆とは言えません。
可能性はあるという程度です。
ですが、大きな雨雲はまだ見えてきませんし、
波の先も泡だっていない。
嵐と決め付けるのは早計です」
レヴィ船長はカースの話を聞いて、私の必死の表情を見て、空を見上げて言った。
「バルト、船内全員に伝えろ。
嵐が来る。 総員、備えを急げ」
バルトが甲板船尾に取り付けてある
大きなベルを鳴らすように指示をだす。
カンカンカン。
不満そうに顔を歪めたカースの言葉を遮る様に、レヴィ船長はすっと指を上げた。
「急な嵐なら雨雲が見えてから、進路を変えるのでは遅すぎる。
可能性があるのなら、万全の備えをしておく」
カースが悔しそうに口を引き締めて、私を睨んだ。
「もし違ってたら、船からたたき出します」
捨て台詞だよ。
いいけどね。
「面舵一杯!」
レヴィ船長が大きな声で船の方向を変える指示を出す。
船員が、ヤードの位置を右舷からの風を受けるように
索具の留めをずらした。
滑車からロープが勢いよく放たれる。
大きな4本のマストに張られていた帆の向きが変わり、
船の進行方向が西に向かう。
たたまれていた船尾の三角帆が一斉に開き、帆が膨らんだ。
船の針路が西に変わったその時、
「船長、大変だ! 南から大きな黒い雲が凄い速さでこっちにきます」
メインマストの上部、見張り台から大きな声が響いた。
緊張の糸が周囲に張りめぐらされた。
レヴィ船長は冷静な声で船員に告げる。
「来たか! 急げ、船の進路を嵐から逸らすんだ」
ばたばた人が船内と甲板で動く。
皆、真剣な顔。
バルト甲板長がやってきて私の背を戸口に向けて押した。
「メイ、船内に入れ。
入ったら体をロープで柱かどこかに括りつけて固定しろ」
私は頷いて、船内に入るため戸口に向かって走った。
船内に入る時にちらりと振り返った。
船長と甲板長、カースが船員達に大きな声で指示を出す。
空を見ると、南の方から近づいている大きな黒い雲が、
不気味に広がっていく。
さっきまで青かった空が、みるみる黒い雲で覆われていく。
ぞっとした。




