神の力の真実。
松明の火がゆらりと大きく揺れる。
広い部屋であっても密閉された空間だ。
人が入ってきたことで、すこしだけ空気が動き密度が増した。
老人の後から付き添うように入ってきた背中の曲がった男が、
その肩から、どさりと重い荷物を降ろすように無造作に、
気絶した男のぐったりとした体を下ろした。
男は、三十台後半ぐらいだろう。
金と茶が交じり合った乾いた干草のような髪が、
やや褐色の肌を撫でるようにさらりと顔にかかる。
ひょろりとした体の筋肉層は、成人男性としてはかなり薄い。
だが、ぐったりとした力の入っていない体は担いでみたらかなりの重量がある。
背中の曲がった男は、ふうっと小さく息を吐き、
ちらりと先ほど降ろした男の腹部に目をやった。
女性ならば妊娠を疑うばかりに腹がぽっこりと出ていたからだ。
あれが、重さの原因だろうと予測をつけて唯納得した。
その男、カイミールは、口をぽかっと埴輪のように開けたまま、
実に緊張感のない顔で唯寝ているように見えた。
その様子に、背中の曲がった男、ニドはふんっと鼻で笑う。
ニドのその鼻息の意味は、どういったことだったのか。
その意味を誰にも理解されたくないとばかりに、
頭からすっぽりと被ったフードの前を更に引っ張り、表情を隠す。
ニドはアニエスに向き直り、膝をついて左胸に手をあてて大きく頭を下げた。
その様子は些か芝居じみているが、見る人が見れば解かるだろう。
イルベリーの国の正式な礼であった。
指先までの完成された動き、ニドの育ちのよさが伺われた。
「アニエス様、これで貴方のご要望が揃いました。
すぐに始められますが、いかがなさいますか?」
アニエスは、従者のニドの慇懃な礼を前に、
女王のように胸を張ってにこやかに微笑んだ。
「ええ、すべては予定通りに。
さあ、始めましょう、レグドールの祭りを。
宴はこれからが全ての始まり。
私達の不運の全てが終わる。さあ、ニド。」
ニドと呼ばれた背中の曲がった男は大きく頷いた。
「はい。おい、入れ。」
そう返事を返すと、戸口の外に向かって声を掛けた。
たった一つしかない出入り口から、屈強な男達が何人ものっそりとその姿を現した。
彼らはニドと同じく頭からすっぽりとフードを被っているが、
執拗に顔を隠しているわけではなかった。
一歩一歩踏み出すごとに、体が傾げ、先頭の男の顔がはらりとあらわになる。
その顔は、里の住人で闇の影でもある若い男。
明るくいつも朗らかで、どこからでも聞こえる大きな笑い声が特徴であった。
里に年老いた母親と妹を持つ、心温かな青年だった。
だが、フードの下から現れた顔は、
本当に彼なのかと疑いたくなるほどに、表情が無かった。
いや、その青年だけでなく、その後ろの男達も彼と全く同じだった。
彼らは、思考を全く持たないガラクタ人形のようにただそこにいた。
男達は入れと言われたから入ったが、その体の制御はやや心もとない。
ゆらゆらと小枝が風でそよぐように、足元が覚束ない。
本来ならばしっかりと意思を持つその瞳は、今は焦点が合っていない。
周りの暗闇を反映しているような虚ろな瞳。
彼らは一様に手に身の丈よりも大きな槍を持ち、
その槍で体を支えているようにも見えた。
その彼らの様子に、先ほど入ってきたばかりの老人、
長老でありアニエスの祖母であるはずのアルナは、大きく顔を顰めた。
「哀れなものよの。こやつらはもう戻れぬのだろうな。」
アルナの視線は、自身の孫であるアニエスに向かっていたが、
その瞳には肉親の情というものは欠片も見えない。
どちらかというと、蔑みにも似た感情をあらわにしていた。
そのアルナの視線にも詰問にも似た口調にも全く躊躇せず、
アニエスはなんでもないかのようにさらりと答えた。
「さあ、知らないわ。運がよければ死ぬまでに戻ることもあるかもね。
ニドがいろいろ調合していく過程で出来た薬だから、解毒薬はないの。
でもそれになんの問題があるのかしら。
彼らは私の側で、私に使われて幸せなの。」
罪悪感など欠片も持たぬその返事に、アルナは手を震わせて感情を抑えるに留めた。
なぜなら、アルナが感情をあらわにすることをアニエスはことのほか喜ぶのだ。
特に、嫌がらせの範囲では収まらないくらいに、酷い仕打ちを平気でさせる。
自分で手を汚さず、自分の従者、求婚者、友人に到るまで、
アニエスにとって唯の替りがきく駒に過ぎなかった。
アニエスの駒は、アニエスの要望を叶えるべく、
アルナの持ち物、好きなもの、古くから持つもの、全てを壊し破り踏みにじる。
それがどんな物、人、生き物であろうとも関係なかった。
そして、今はアルナのわずかに残った身内までもがその毒牙にかかろうとしていた。
目線すら向けることを自身に禁じた先で床に転がっているのは、
確かにアルナの孫、次男の残した2人の孫のうちの一人、ディコンだった。
そのアルナの頑なな表情を見ながら、アニエスは極上の微笑みを浮かべた。
「楽しみね。」
ぼそっと小さく呟いた言葉は、すぐ側に立っていた祖母にあてたものなのか、
自身の感想として口から出たものなのか。
耳に届いた言葉にアルナはぎりっと奥歯をかみ締めた。
********
私達の後ろに立っていたのは杖をついた、深い皺が眉間に目立つおばあさん。
あそこまで深い皺はなかなかお目にかかれない。
人生においてさぞかし渋面を多様してきたに違いない。
人生とは苦難の連続だと言ったのは、どこの有名人だったか。
それを思えば、お祖母ちゃんの顔は人生の達人の証明なのかもしれない。
コツコツと杖を突きながら体を重たそうにゆっくりと揺らしながら歩いてくる。
体は小さいのに、なんだか威厳があるお祖母ちゃんです。
そのお祖母ちゃんの後にさっきの背中の曲がった人と、
その背中の知らない誰かがどさりと私の横に降ろされ、
ディコンさんと並べられた。
男の人ですね。
うーん、オスカル様とならべるとこのおじさん、残念太郎になっちゃいます。
ランクをつけるなら、ディコンさんが銀星4つ。残念太郎は枠外銅星小さめです。
このなんとも気の抜けたおじさん顔が、とっても可哀相です。
誰だかわかりませんが、くっと涙で選外通告を出したいと思います。
私の金星5つはレヴィ船長やカースですね。
最近寝顔を見る機会に恵まれたので、心のカメラにぱっちりとおさめてあります。
本当に、素敵でカッコいいんです。惚れた弱みとかではありませんよ。
もし携帯が壊れてなければ連写して、
24時間眺めていても眺め足りないほどに、満足度高しです。
私が脳内選別作業をしている内に、気がつけば部屋の人口密度が増している。
オッスって言いたいくらいの体格の良い男の人たちが、部屋に入ってきていた。
レヴィ船長とカースは、無事なのだろうか。
お友達のディコンさんは、今、私の側にいる。
無事に彼を連れて、レヴィ船長の下へ行き着けるだろうか。
ちらりとディコンさんを見下ろすと、すうすうと穏やかな寝息が聞こえた。
顔色も土気色から、健康そうな顔色に変わっていた。
やっぱり脱水症状を起こしていたんですね。
人間、水がなくては生きていけないと言う事ですね。
しかし、ここまで症状がよくなったなら、目が覚めるのを待って、
一緒にこの遺跡から逃げることも出来るのではないでしょうか。
そうしたら、レヴィ船長とカースの所まで一緒に探しにいける。
うん、なんとなく前向きに元気ななってきました。
ぐっと小さく握りこぶしをつくり決意を新たに、
顔を上げると、フィオンさんと視線がばっちりあいました。
にっこりと笑うフィオンさん。
ディコンさんが元気になったのは、フィオンさんがアニエスさんに頼んでくれた為。
その目的がどうであれ、結果元気になったのならば、フィオンさんのお手柄です。
そう思って、にぱっと元気に笑いました。
そして、親指を立てて大丈夫と明確に合図します。
街中ではよく見かけるよくやったとか、よしっとかの庶民の合図。
この笑顔と合図は、ディコンさんは元気になりました報告です。
アニエスさんにも知らせようと振り向いたら、老女と睨みあっている。
睨みあっているといっても、アニエスさんの方は笑ってます。
ここまでかとドキドキしそうなくらい美人の微笑みです。
このドキドキは、そう、魔女の微笑みというやつですよ。
美人なんだけど、引っ掛けがありそうな、一筋縄ではいかない笑みです。
ぼそっと何かを呟き、その言葉はお祖母ちゃんを一層怒らしたようだ。
お祖母ちゃんは、ぎりっと鳴らして歯を食い縛っていた。
彼女の額にある縦皺は更にその深さを増す。
*******
「長、お待ちしていましたわ。
その様子だと、フィオン様の横槍は貴方にも及んだと言う事ですわね。
フィオン様、先ほど邪魔をしないと言った矢先ですのに酷い人。」
アニエスの視線ちらっと受けて、フィオンは軽く肩をすくめた。
「長の血筋は必要なんだろう。」
「……まあ、保険ということですわね。 本当に気が効く人ですわね。」
アニエスの言葉に被せるようにして長ははっきりとした声で告げた。
「祭りの興手である長が人形では神も浮かばれまいて。
今の長は私だ。 お前や里の者がどう思おうとな。」
長は、アニエスの近くまでは来ず、すこし距離をとった場所で足を止めた。
「肩書きだけの長という役割にしがみ付いて、みっともないのは貴方ですわね。
まあ、いいわ。
祭りの太鼓の音が鳴り始めたのが聞こえるでしょう。
時間だわ。 長、始めましょう。 」
ニドが松明の明かりを一つ、扉の中に投げ入れた。
枯れた蔓にあっという間に火がついて、ぼうっと大きな炎が上がった。
炎は蔓の塊を舐めるように覆いつくし、ぼろぼろと蔦の輪が崩れていった。
その下から出てきたものは、一つの石棺。
縦3m弱、横1m強、高さ1m強の石棺。
長方形の白い石の棺。
大理石にも似た白い石は長年そこにあったにも関わらず、
新品のような輝きを放っていた。
蓋と思しきものは、奇妙な丸みを持って突起が6箇所あった。
丁度左右対称にある突起は、どうやらそこを持って引っ張るのだと言う事だろう。
ぼろぼろに朽ちた蔓が無くなるのと同時に炎が消えた。
「おい、あの蓋を開けろ。」
ニドの号令で、蓋の側に男達は数人立ち、
突起と起点に紐をかけて梱包した荷物のように括りつける。
男達は扉の外から一斉にその紐を持ち上げるようにして、引っ張る。
棺の蓋は、ずずずっと重い音を響かせながら、少しずつ持ち上がっていった。
よほどその蓋は重いのだろう。
虚ろな目の男達の肩に大きく縄目が食い込んでいた。
だが、男達の表情は全くといって変わらない。
ゆっくりとだが、石の蓋が棺から離れた。
********
その蓋が持ち上げられるのを見ていたら、
なんだか、私の胸がかあっと熱くなった。
あれ?
正確には熱くなったのは私の胸の球。
ディコンさんを見たときに感じたような同じ反応。
どういうことでしょう。
宝珠の持ち主はディコンさんなのですよね。
しかしながら、石棺の中の何かにも同じような、
いえ、もっと激しい反応があります。
今の球は、かあっと唯単純に熱くなるだけでなく、
どちらかというと今にも爆発しそうなくらいに震えていた。
過剰反応とも思われる球の様子。
声が聞けるならどうしたのと問いたいが、さっぱり解からない。
ドキドキしながら座ったまま様子を見ていたら、
石棺の中には3つの人骨があった。
その人骨の一つには、メイと同じような球のネックレスがあった。
輝きも無く煤けた灰のような色だが、丸い球のネックレス。
その球に確かに私の胸の球が激しく反応してます。
なぜ?
あれも私のものと同じもの?
どうしてお墓の中にあるんだろう。
そして、その上に重なった一人の骨の腕部分には、
メイがしているのと同じようなブレスレットがかすかに光っていた。
*******
真っ白な綺麗な頭蓋骨と骨。
一番奥の一体は真っ直ぐに眠るように。
その上に重なるようにして、ほぼ抱き合うようにして2体の骨があった。
その骨は所々赤黒く変色していた。
その石棺の中に手をふれようとして、アニエスの手が静電気のようなもので、
ばちっと弾かれ、美人な顔が痛みで歪む。
耳なりが聞こえる。小さな小さな甲高い音が鳴り、部屋の中で共鳴する。
その共鳴の中心は石棺。
棺の周りの空気が、小さく目の中でその残像がぶれるように振動している。
目を擦ったが、振動は収まらない。
先ほどの静電気といい、この振動といい、この墓の主は、
なんだか人を拒絶しているようだ。
「伝承通りだの。」
お祖母ちゃんの言葉が、声を張り上げているわけでもないのに、やけに部屋に響く。
「そうね。 まずは、カイミール様にお願いしましょうか。ニド。」
ニドと呼ばれた人が、倒れている残念太郎、
ではなくてカイミールという人の体を転がすように石棺の中へ落した。
石棺のほぼ真上に落ちた彼の体は振動の壁にぶつかり、バチっと大きな音を立てて、
そこでほぼ宙に浮く感じで止まった。
彼の全身は光の粒子のようなもので覆われ、かすかに光る発光しているように見えた。
その幻想的な光景は、一瞬彼が人間ではないのかとも思われた。
だが、その音は痛みをともなって彼を襲った。
痛みで彼は正気に戻ったようで、起きたての場にそぐわない声をあげる。
「いた、いった、いたたたた、痛い。
何、何だ、何で、いた、いいたい、いたあああち、あ、あああ、ひいいい。」
次第に声が大きくなり、体を守るようにして丸くなる。
助けを求めようと視線を彷徨わせ、その目が一点を捉えて大きく開かれ、体が仰け反る。
視線の先には彼の婚約者のアニエス。
彼が愛した、彼の妻となるはずの心から惚れた女。
彼の視線はその一点で止まったまま、そのオレンジの目に赤い血が涙の様に溜まる。
耳鳴りと共に、耳からも血が滴る。
バチバチと音は苛烈を極め、ブスブスと何かな焦げる音がして、
臭い脂と肉が焼ける異臭がぷうーんと辺りに漂う。
彼の視線を受けて、アニエスはいつもの聖母のような微笑を見せる。
「ど、どうして、アニエス、ぎゃあああああああああああああぁぁぁぁぁ。」
絶叫が辺りを支配する。
祭りの太鼓の音が外から聞こえてくる。
彼の耳に最後に届いたのは、太鼓の音と自身の焦げる音と絶叫。
絶叫が絶えた後、彼の体がぼうっとガソリンをかけた枯木のように、
勢いよく燃えた。
それは、一本の松明にも似た炎であるが、原材料は松の木ではなく、人であったものだ。
当然、異臭は先ほどよりも鼻を強く刺激する。
炎は赤くゆらゆらと揺れ、石棺の脇にボテっとゴミのように転がり落ちた。
頭部であろう真っ黒な塊が折れたように、ころころと転がる。
その様子をみていたのは、そこにいる全ての人。
「ひ、あ、あ。」
小さく声をあげたのは、メイ。
その体は、誰が見ても解かるほどに震えていた。
何を言っても今のメイは言葉を繋ぐことができないだろう。
それほどに歯の根はかみ合わず、かちかちと音を立てていた。
全身が震えて、腰が抜けていた。
手足に力が入らず、だが、頭は何かを拒絶するかのように唯左右に振られる。
フィオンが急いでメイの側に行こうとするが、ニドに足止めをされ舌打ちした。
ニドはフィオンが動かないように、一瞬の隙を突いて転がし、
縄の先をがっしりと握り、動けないように足元にも巻きつけた。
彼を縛った縄は彼が思っていたよりもがっちりと括られていて、身動きが取れない。
「ふうん、カイミール様は、やっぱり偽者なのね。」
アニエスの声が聞こえる。
その声は、今までと変わりない。
恐怖も、驚きも、目の前で人が死んだというのに、全く変わらない。
かちかちと歯を鳴らしながら、メイは、アニエスを見上げた。
アニエスの顔は聖母のような微笑。
物言わぬ死体を見つめる瞳は、楽しそうにすら見えた。
その微笑が、メイには恐ろしい悪魔に見えた。
「カイミール様は残念だこと。 それに臭くて仕方ないわ。」
ぱたぱたと手で鼻の前を扇ぐ所作は可愛らしいが、
今この場で、彼女を可愛らしいと称すものは誰も居ないに違いない。
「仮にもお主の婚約者であろうに。 なんとも思わんのか。」
アルナの言に、アニエスは面白そうに眉をすこし上げる。
「あら、お婆様、婚約者であったというべきね。
長の血筋だなんて嘘をいうから、祖先の恨みを買ったのでしょう。
本当に怖いこと。」
「どの口が祖先を語るのか。お前こそが恨みを買うべきであろうに。」
憎憎しげに語る口調は手厳しい。
だが、アニエスはそれにも余計に微笑みを濃くするばかりだ。
「真実、長の血筋ならばあんな風になるはずがないのは知っているくせに、
貴方は止めもしなかった。彼の死が私のせいならば、貴方も同罪。
民をまもるべき長の貴方の責任。 」
アルナの顔が大きく歪む。
「さて、次にいきましょうか。ニド。」
楽しげに次の作業の指示を出す。
アニエスの言葉で、ニドが倒れているディコンさんの腕を掴んだ。
次という言葉で、メイはとっさにニドの手を叩いて弾いた。
アニエスの意図が解かった今、ディコンを渡すことは出来ない。
メイの頭の中でディコンを守らなければとそれだけが頭に廻る。
口の中を噛んで、感覚を確かめる。
血の味と共に、痛みを感じる。
足と手に力を入れて、ディコンさんの体を引っ張りあげる。
肩に乗せるように腕をひっぱり、全身に力を入れる。
ぐったりとしたディコンさんの体は思っていたのより重い。
だが、躊躇している暇はない。
「メイ、無駄なことは止めなさい。
出口は一つだけ、貴方には彼を連れて逃げることなど出来ないわ。」
アニエスの笑みが口角をにいっと広げ、山姥のようにも見えた。
「アニエスさん、止めてください。」
声を張り上げアニエスに切望するように見つめたが、
アニエスは両手を広げて、聖母のような万民に手を差し伸べているようなポーズをとる。
「これは儀式。罪でも罰でもないことよ。
メイ、貴方も知らない振りをしていればいいの。
これで貴方も立派な偽善者の仲間入り。
私、そんな貴方を歓迎するわ。 私のお気に入りの玩具としてね。」
メイはディコンの体を抱きかかえるようにして、壁までずるずると後ずさる。
メイの手のひらに負荷がかかり、指や関節が白くなる。
息が切れ、白い吐息がはあはあと漏れる。
「いいえ、駄目です。アニエスさん。
先ほどの彼を殺したのは、貴方と貴方の従者です。
神様のせいにしてはいけません。
私は、ディコンさんを貴方達に決して渡しません。」
メイは、アニエスの目をぎっと睨みつける。
先ほどアニエスに、体の震えが止まらないほどに恐怖を覚えていたであろうに、
真っ直ぐにアニエスを見据える。
その様子になぜか、相対しているアニエス自身が喜びを覚えた。
「ならば、貴方もカイミール様と同じようになるのね。
一緒に落してあげるわ。 ディコンと一緒にね。」
これで、厄介ごとが全てアニエスの目の前から消える。
アニエスは、それに喩えようもない喜びを感じていた。
ニドが手を振ると、壁際に立っていた男達が、一斉に槍を構えた。
メイとディコンに真っ直ぐに尖った槍先が向けられる。
フィオンはなんとか縄を外そうともがくが、ニドにその背を踏みつけられる。
ニドはフィオンが思っていたよりも腕が立つ。
予想外の伏兵に、フィオンの目が怒りに燃える。
「まて、私が生贄に落ちよう。ディコンとその娘は見逃してくれ。」
しゃがれた切羽詰ったような声が、部屋に響く。
アルナは槍の前に飛び出して、腰と腕に槍先を刺し突かれた。
「長、お婆様、余計な事はなさらないでください。
貴方は私と共に、ここで一緒に貴方の大事な孫が死ぬのを見届けるのよ。」
小さな老人の体がくの字に曲がり、ぼたぼたと血が床に落ちる。
アニエスは、長の体を蹴りつけて壁に転がした。
その時、メイの脳裏に夢の中の光景が蘇った。
フラッシュバックのように、映画の一シーンが何度も蘇る。
黒髪の同胞。
レグドール特有の容姿の妻。
火と緑の友人。
メイと同じ異邦人で、もう一つの白い球の持ち主。
力を求めてきた男達に槍で刺されて、
子供を庇って刺されて死んだ。
先ほど見た石棺の一人は、白い球を首からかけていた。
あれは、夢でない本当のこと?
メイの頭に混乱が走る。
だが、同時に彼の叫んだ言葉が耳に蘇る。
(力は力でしかない。
大きすぎる力は不幸を呼ぶ。
どうしてそれがわからない。)
彼は、仲間に子供を託してその生涯を閉じた。
あの後、村は森は、火に包まれて焼け落ちた。
沢山の人が無作為に炎に殺された。
彼の子供は、里の生き残りが育てた。
彼の仲間は、腕輪を子供に残した。
二つの重なった人骨の一本の腕に填まっていた腕輪。
アレは、その腕輪。
前にゼノさんが言っていた。
200年前、レグドールとの戦争の勝敗を決めたのは、儀式の失敗。
失敗したのは、あの二人の人骨の持ち主。
彼の子孫。
アニエスさんは、ディコンさんを同じように儀式に使って、
神の力を手に入れようとしているのだ。
「貴方は、貴方の先祖がした同じ過ちをしようとしているのよ。
大きすぎる力は決して幸福を齎さない。
貴方が神の力と呼ぶものは滅びの力。
そんな力で何を手に入れようというのですか。」
メイは、心を振り絞るようにしてアニエスに大きな声で訴える。
槍はメイの喉元まで迫り、喉にプツリと刺さり、
赤い血の球が喉元をつうっと首まで滴った。
喉元に火がついたように痛みが走る。
死んだ同胞の姿が、自身に重なる。
このままだと、蜂の巣ならぬ、槍の巣になりかねない。
背筋に冷や汗がたらたらと落ちる。
そんな絶体絶命のメイの質問に、にっこりとアニエスは微笑んで応えた。
「全てに滅びを。それが望み。」
早くレヴィウスとカースが出てきてくれたらと思うのですが、
次回こそです。




