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箱をあけよう  作者: ひろりん
第5章:遺跡編
154/240

三者三様の駆け引き。

外からお囃子のような調子の良い笛の音が聞こえる。

それと同じくして銅鑼と鈴を鳴らす音、カラカラと音を立てる囃子木の音、

何種類かの太鼓の打ち鳴らされる音、人々の手拍子と甲高い笑い声。


お祭りが外で始まったようだ。


遺跡内部に、それも地下層に居るのに結構はっきりと外の音が聞こえてくる。

多分、空気穴のようなものがあちこちにあって、そこから外の音を拾えるんだろう。


楽しそうな笑い声に、機嫌のよさそうに上機嫌に囃し立てる声。

さすがに夜中だけあって子供の声は聞こえないけれど、

女性陣の楽しそうな声も聞こえてくる。


わいわいがやがやと随分と楽しそうだ。

懐かしい子供の頃の縁日を思い出す。

屋台に提灯に金魚にヒヨコ。

夜なのに提灯と店の明かりが目に眩しく明るい。


記憶というものは美化しすぎなきらいはあるが、

それでもやはりメイにとって、縁日には楽しい思い出の方が多い。

思い出すとほんわりと暖かな気持ちが胸に広がる。


しかしながら、祭りの中心であるはずの遺跡のこの場所では、

現在極寒といいますか、ブリザードが吹き荒れるがごとくに、冷気で空気が痛いです。


勿論、その原因は直接的に雪が降っているわけでも氷に囲まれているわけでもありません。


目の前に見詰め合う美男美女といえば、どこかの恋愛映画のポスターの配置なのだが、

その二人の間に漂う雰囲気は、雹が舞っているように見える。

見詰め合う二人は、私が口出しできないくらいに凍っています。永久凍土です。


赤金のフィオンさんの瞳と朱金のアニエスさんの瞳。

字面で書くと似ているようで、全く似ていない色。


フィオンさんが明るい赤に対して、アニエスさんはマットな赤。

前者が燃える炎のようなら、後者は赤辛子に金粉入り辛子を練りこんだような色。

どちらも共通して言えることは、手にしても口にしても辛くて熱く痛い。


「優しく思慮深い君のする事に感心しているだけだよ。

 完璧な君に俺ごときが文句を挟むわけがないだろう。

 先ほどのは唯の疑問であり確認さ。

 ここまで来て祭り反対など無粋だろう。そう睨まないでくれ。

 そんな風に、君のような美女に威嚇されたら魅力に負けて沈みそうだ」


優しく一定のリズムを刻むように発せられる言葉は、

耳には馴染みやすく実に装飾豊かに聞こえる。

それに優しく響く低音な声は女性受けしそうな声だ。


多分、フィオンさんは声だけで一財産作れるかもしれません。

蚊変態気質を隠していればですけどね。


対するアニエスさんは、ころころと嬉しそうな笑いと立てながら、

フィオンさんに受け答えをする。


「あら、ご立派なフィオン様に威嚇なんて、私が出来ようはずないわ。

 それに、貴方に謙遜は似合いませんわよ。

 貴方のような方が私の魅力に沈んでくださるのなら、光栄ですわね。

 ですが、沈んだ後に何をなされようとしているのかしら。

 こっそり教えてくださるかしら」


アニエスさんは、両手を前で組み、

胸を強調するようにぎゅっとしなを作って流し目を送る。

むにゅっと寄せられた豊満な胸と細い首。

実に色っぽい、某不二子ちゃんな必殺技です。


「勿論、君の秘密を探るのさ。

 俺達の楽しいひと時のためにね。

 君がその美貌で沢山の取り巻きで周りを固めたから、

 君と時間を過ごす為には、それ相応の用意が必要だろう。

 大きな力に対する多大な用意がね。

 その美しさという毒に当てられないようにね」


アニエスさんのお色気攻撃に、フィオンさんはニコニコと笑顔のままで、

美辞麗句をそらんじています。


凄いですね、フィオンさん、仕事転職したらどうでしょう。

女性相手にそんなに口が回るのはホスト道で上位にいけるかもしれません。

あ、この世界にホストクラブってあったんでしたっけ。

自分に全く縁のない世界なので、解かりませんね。


「ほほほ、用心深いのは私だけではないということですわね。

 私達は似たもの同士というわけですね。

 どこまで似ているか直に確かめてもよろしいのですよ。

 儀式の観覧だけなど仰らず、協力者としてですが。 

 貴方なら、大歓迎ですわ」


アニエスさんはご機嫌に高笑い。

フィオンさんも、ふふふって笑ってます。

なんだか大人な会話なのに、どうしてこうも寒く感じるのだろうか。


「似たもの同士のよしみで、仲良く確かめ合うのは賛成だね。

 もちろん協力者となることは光栄極まりないところだよ。

 協力者になら教えてくれるかい、この扉の中身を。

 賢く優しい君ならば知らないと恍けはしないだろう。

 これが、例の神の力なのかな。

 伝承では祖先の墓のはずだけどね」


うーん。

神の力っていうよりは植物の力ってタイトルが相応しいのではないでしょうか。

私には蔦の塊に見えますね。

墓ということは、蔦の中身は死体でしょうか。

昔のということはもしかしてミイラとか。

いや、前方後円墳にミイラはないよね。やっぱり。

そうなると唯のお墓と考えるべきだよね。


「ええ、ええ、その通り。私達の祖先の墓ですわ。

 さすがはフィオン様、よくご存知ですこと。

 本当にどこまでご存知なのか、恐ろしくなりますわね。

 私は貴方と違って、祖先の墓を前にして怖くて震えていますわ。

 眠りを妨げて不敬だと怒られるのではないかしらとね。

 神の力というのは、祖先の御霊が放つ力ではありませんか。

 墓を荒らした不届きな人間にかかると言われている呪いのことではなくて」


恐ろしいって言っているのは、楽しいの間違いだと思う。

アニエスさんの顔は、随分と楽しそうだ。


しかし、墓荒しに呪いって、そうなら私すでに呪われているってことだよね。

有名なのはエジプトのツタンカーメンの呪いだっけ。

墓を開けてすぐ体が腐るって映画で言ってた。

ゾンビ道まっしぐらですね。あれは嫌です。

今すぐ、お墓は埋めてしまいませんか。

そうしたら、幽霊は許してくれるかもしれませんよ。


「とんでもない、墓荒しの大罪に恐れ震えているよ。

 怒られるだけですむのなら、君にはその呪いは無効なのかな。

 さすがは神の血を継ぐ長の血筋ということだね。

 神の力が呪い、そうだとすると、君に頼って俺達はここで震えていよう。

 呪いがかからないようにね。

 君の手助けもしないよ、君は準備万端のようだからね。

 さすがは、才女にして麗しいアニエスだ」


つまりは、アニエスさんに丸投げということですね。

アニエスさんは、ふふふと笑いながら丸投げ状態をよしとしているようだ。

本当に、呪い全般をよろしくって言ってるのに、なんで笑っていられるんだか。

あ、もしかして、アニエスさんって幽霊大好きホラー人間?


「否定はしませんわ。私が準備万端なのは、仕方ないことですもの。

 私は貴方と違ってか弱い唯の女性にすぎませんわ。

 そう、怖がりで心配性なのですわ。

 何事も起こらないように心配しすぎて、倒れないよう必死なのです。

 だからありとあらゆる方法で身を守るのですわ。

 準備はその為のもの。 

 そして、儀式は神の意志でしか止められませんわ。

 もちろん、壊したり害したりも神と祖先の霊にしか出来ぬこと。

 そうでしょう。 フィオン様に解かっていただけて嬉しいですわ」


か弱い、怖がり、心配性。

目の前のアニエスさんに、その言葉が最も当てはまらないように感じるのは、

フィオンさんだけではないはずです。

ですが、それに指摘を入れてくる心強い輩は、私も含め、誰も居ないと言っておく。





*********






その場に居る二人以外の人間といえば、メイしかいないのだが、

さっきから、そのピンと張られた緊張感と、

打てば響くような口合戦の応戦に舌を挟めずにいた。


メイは倒れているディコンの様子がさっきから気になっていたようで、

視点はちらちらと何度もディコンの上を行ったりきたりしている。


ディコンは、ぐったりとして全く目も開けなくなったからだ。


メイは、どうにかして二人の会話にディコンの救出案件を挟めないか、

実にはらはらしながら二人の会話を聞いているようだった。


メイには、唯の大人な会話にしか聞こえていないが、

フィオンは、アニエスとの会話の中で、

この扉の中の物についての探りを入れていた。


勿論、アニエスも会話の中に入れられた幾つもの比喩をわかって、

あえてぼかしたまま返事を返している。


神の力というものが何なのか、アニエスも解かっていない。

あえて呪いと言ったのは、近づくなと言う事だとフィオンは推察する。


力あるものを掘り起こす。

だからこその準備。


部屋のあちこちにある小さな香炉に木箱。

その中からは火薬や薬品の臭いがする。


操られた屈強な男達に、生贄となる100人の奴隷。


長に長の血筋の予備であるディコンとカイミール。

神の力が暴走しない為の用意かもしれない。

伝承では暴走した神の力は長の血筋をもってして収めたとあるから、

力の制御の為なのであろうか。


とりあえず、あの中を確かめるしかないだろうというのが、フィオンの見解だ。

そこまでは邪魔はしないとも、先ほどアニエスに言った。


アニエスは、邪魔が入ってももはや誰も止める事は出来ないとも。

それだけの力がそこにあるのだと暗に促している。

そして、それはどんなことをしても壊すことなど出来ないとも。


そこまで情報を得てから、ふとアニエスの視線が自分から離れていることに気がついた。

彼女の視点は今自分ではなく、横にいるメイに向いている。


メイは、その喜怒哀楽がはっきりとした顔で、アニエスの興味の何かを引いたようだ。


メイの顔は上を向いたり、下を向いたり、もじもじとしながら、

さしずめ落ち着かないリスのように仕草が忙しない。


その上、メイの視線はフィオンでもアニエスでもなく、

ディコンの上あたりでうろうろしている。


その様子に、フィオンはすこし心が騒いだ。

今手に入る情報は掴んだ。もうアニエスはこれ以上は話さないだろう。

ならば、心騒ぎを止めるべく、今はこの無味乾燥な会話をやめ、

最適な手をとることにする。



「そうだね。 双方誤解が解けて和解できて何よりだ。

 ところで、心配性で優しい君に提案があるんだが」


いきなり引いてきたフィオンの態度に、アニエスは訝しげに眉を顰めるが、

顔は笑顔の仮面のままだ。


「ほかならぬフィオン様からのご提案ですものね。

 何でしょうか。 叶う叶わないは別として、ご拝聴したいですわ」


「有難う。やはり優しいね、君は。

 ディコンに水を飲ませたいんだがどうだろうか。

 このままだと祭りまで持ちそうもないようだ。

 俺としても、ディコンの父親には以前に世話になったこともある。

 このままあの世へ送るのは良心が痛みそうだ」


フィオンの提案に、アニエスは足元で意識を飛ばしているディコンにちらっと視線を送る。

良心云々は置いといて、その提案に眉を寄せた。


メイは、フィオンの言葉にびっくりしながら、フィオンを見上げた。

そして、なにかに感動したように、キラキラと尊敬の眼差しをフィオンに向けていた。


「そう、フィオン様の懸念は彼ですのね。

 確かに、彼の父には私の母もお世話になりましたわ。

 里を裏切って一族以外の人間を妻とした裏切り者ですけれどね。

 そんな彼の子供にまで情けをかけるなんて、ご立派な闇の影ですわ。

 一体何が目的なのかしら」


アニエスは明らかに軽蔑の眼差しをもってしてディコンを冷たく見下ろす。


「死に直面している人間に末期の水は、可笑しなことではないだろう。

 闇の影としては、放って置いてもかまわないが、情け以前の問題だ。

 多分、儀式には生きたままが望ましいのではと思っただけさ」


その台詞をいうフィオンの意図が何なのかと考えて、アニエスは眉を顰めた。

瞳の奥を覗き込んでいても、感情の糸口すらつかめない。

フィオンの目はディコンの姿になんの感傷も全く持ってないように見える。


ふとディコンの横にちんまりと居るメイの顔が目に入った。

先ほどまでフィオンをちょっとした尊敬のきらきら目で見ていた顔が、

今は、最低と言っているような冷ややか目をした顔をしていた。


アニエスは、びっくりするほどに解かりやすい感情に素直なメイの顔に、

思わず目の前にフィオンが居ることも忘れて噴出しそうになる。


そしてそのメイの視線を受けたフィオンが、些か居心地悪そうにメイに苦笑している姿も、

取り留めのない単純な笑いが心に生まれた。


先ほどもフィオンと比喩を交えて会話していた時も、メイは、

顔を赤くしたり青くしたりと一体どのように想像したのかと笑いたくなるほどに、

表情が実に感情に直結しており、馬鹿正直に近い。


多分、先ほどのフィオンの会話もその会話どおりに受け取って、

今、メイの中でフィオンの印象は大暴落しているのだろう。


そして、それを予想できてあのフィオンが慌てている。

闇の影の首領として皆に恐れられているあの男が。


その様子が実に可笑しい。

一人ならば腹を抱えて大笑いしたい気分だ。


笑いを堪えると、すこしだけアニエスの溜飲が下がる。


改めて、彼らの話題になったディコンを見下ろす。

ぐったりとした体は、今にもあの世に旅立つと言っても過言ではない気がした。


確かに、彼女の計画にはディコンが生きていることが最適。

ならば、水を飲ませ祭りの儀式の時まで生きながらえさせることは確かに望ましい。

その考えは正しい。


だが、フィオンは油断がならないとアニエスの脳裏に警告音が鳴っていた。

何を企んでいるのか解からないからだ。

先ほどの会話から、邪魔はしないといっていても信じられない。


アニエスにとってもこの祭りの最大の邪魔者は最初からフィオンだった。

祭りに参加しないというからすこしは安心していたものを。


しかし、アニエス手ずからディコンに水を飲ませるなど、絶対に死んでも嫌だ。

憎憎しく、忌々しい従兄弟。

彼女が苦しんでいる時にも、離れた場所でのうのうと笑っていた。

レグドールでありながら、レグドールの頚木を逃れた卑怯者。

半端者のくせに、幸せそうに笑う忌々しい兄妹の片割れ。


そうしたら選択肢は一つだけだ。

幸いにして、メイは黙っていても考えていることは全て顔に出る。

読みやすく扱いが簡単な女だ。


「いいわ。フィオン様のお顔を立てましょう。

 ただし、水はメイ、貴方が飲ませるのよ。

 こちらにいらっしゃい。 手の縄を外しましょう。

 ただし、メイ、可笑しな真似はしないでね。

 貴方の大事な人たちの命は私が握っているのを忘れては駄目よ」


その言葉を聞いて、明らかにメイの顔がぱあっと明るくなる。


「はい。アニエスさん、有難うございます」


アニエスがたじろぐくらいに素直で明るい笑顔。


フィオンは、メイのその笑顔が見れたことに喩えようもない程の満足を覚えていた。


大きな取引で潤った時以上に、手ごわい奴を陥れ暗い愉悦を味わった時以上に、

闇の影の首領として上に立つ時以上に、確かな手ごたえと達成感を感じていた。


そして、闇の影として、いやフィオン自身として、

覚えていないくらいに遠い過去にあったかもしれないなにかと既視感を感じていた。


メイの笑顔はフィオンにとって、甘い記憶すら呼び起こしそうだ。

自然にフィオンは優しい笑みを浮かべていた。


メイはなんの疑問も持たずに、アニエスの側に寄っていった。

そして、犬が主人を見上げるがごとくに何の裏もない笑顔でアニエスを見上げる。


アニエスは、メイの視線の強さにたじろぎながらも、

すっと差し出されたメイの手の縄を短剣でざっくりと切った。


フィオンは顔色を変えたりはしないが、一瞬その切れ味に背筋がひやりとした。


随分と切れ味がよさそうだ。

人間ならば一突きで心臓まで届くかもしれない。


その禍々しい短剣の鈍い光に、それを持つアニエスに一層の警戒心を持つ。


だが、そのナイフの切れ味を試されたであろう当の本人は、

嬉しそうにアニエスを笑って礼を言っていた。


「アニエスさん、お上手です。全然痛くありませんでした。

 有難うございます。 あ、お水持ってませんか。

 もし、持ってないなら、確かフィオンさんが持っていたと思うのですが」


メイの真っ直ぐな視線とその存在感に気おされる度にアニエスは、

心に澱みのようなものが沈殿して溜まっていくような、

真綿でじっくりと首を絞められているような奇妙な苦しさを覚えた。


何度も繰り返されるメイの感謝の言葉に、知らず知らず舌打ちをしていた。




*********




ちっと舌打ちが聞こえました。


今のは、美人なアニエスさんがしたのでしょうか。

美人はどんな仕草も絵になりますねって、違うよ。

舌打ちするってことは、何か気に障ることを私言ったのでしょうか。


「アニエスさん? 何かに怒っているんですか。

 教えてください。約束ですよね」


アニエスさんはいらいらしながら金の長い髪をバサリと肩から背中に流した。


「怒ってなんかないわよ。 いいから、水はこれよ。

 貴方は今は言われたことだけしてればいいのよ。

 余計な口出しは一切しないで頂戴」


明らかに怒っているアニエスさん。

怒っている理由をはっきりと口に出せばすっきりするのに。

アニエスさんも、私も、多分。

溜め込みすぎは、心身ともによくないんですよ。

便秘は美容にも大敵ですし。

あんまり溜め込むと将来10円禿げが出来るって言ったらたぶんもっと怒るだろう。

ここは、ぐっと口を閉じることにします。


「煩いわね、私が禿げるわけないでしょう。

 それに、誰が便秘なのよ。貴方と一緒にしないで頂戴」


あれ?何で私の考えていることがわかったんですか?


「いや、口から考えていること全部漏れてるよ」


なんと。


なんて正直な私の口。


いやいや感心している場合ではありません。

ここは、アニエスさんの折角の好意を無にしてはいけません。


アニエスさんは、水が入った水筒もどきの竹筒を私にずいっと差し出した。

水筒の中の水がチャポンと揺れた矢先に音を立てる。


おお、アニエスさんも水筒準備万端とは、遭難準備ばっちりなんですね。

これは里の人たち全員完備な装備なのでしょうか。


「では、早速ディコンさんにお水をあげますね」


首から上を私の膝に乗せて、顎をぐっと上に突き出すように顔をセットしました。

そして、いざっと水を口に入れたら、とたんに咽てしまいました。

ごほごほっと苦しそうに咳をしてます。

咳を共に先ほど流し込んだ水は全て私の膝の上と床に落ちてしまいました。


どうしたらいいんだろう。

うーん、意識のない人に水を飲ませる。

そういえば、カースの時は、口移しでした。


ここは、同じ様にすべきだろうか。

女は度胸だし、人命救助だものね。レヴィ船長だって怒らないだろう。

そうだ、ためらっている場合ではない。


一度出来たんだから、二度目はもっと上手に出来るはず。


ちんちくりんの私に口移しで水を飲まされたとて、

ディコンさんが覚えていなければ、なんの問題も無いはず。



睫毛ばさばさの褐色オスカル様の美貌には近づくだけで気後れします。

が、背に腹は変えられぬ。ここは合戦上だ。

気分は戦国武将だ。いくぞ前足。一歩前進。


いやそうではなくて、私は私に出来ることを精一杯するんです。

そう決めたのです。


決めたことは、貫かねば女が廃る。


マーサさんのような淑女に、

カースとレヴィ船長が誇る立派な淑女になるためにも、さあ。


ディコンさんを膝から降ろして、床に横たえました。

私はぐいっと水を呷り、その開いた口に水を流し込みました。


お願いだからディコンさんがお水をすこしでも飲んでくれますように。

ディコンさんがすこしでもよくなりますようにと願いを込めて。




そうしたら、私の胸の球が一瞬だが、ぽわっと暖かくなった。

それはじんわりと解けるように私の体の中をすべり一周した後、

水を通して、ディコンさんの口に流れ込んでいく。


ディコンさんは、今度はごくりと水を飲んでくれました。

一口二口と、喉が何度も水を嚥下していきます。

先ほどまでと違い、きちんと気管ではなく胃に届いたようです。

うん。成功です。



顔を上げて首をちょっと傾げて深呼吸します。

で、今のは何?


手で胸の球を押さえてみますが、5人目に反応している球は相変わらず、

暖かいというか熱い感触です。


今までの反応と変わりないので、さっきの感覚はよくわからないですが、

まあ気にしないと言う事にします。

だって、未だにこの球の取り扱いはさっぱりわかりませんからね。



「ん、うん」


ディコンさんの口から、声が漏れました。


水を殆ど飲んだディコンさんを、改めて見ると、

苦しそうな吐息がおさまり、眉間の皺も無くなって穏やかな表情になっている。

呼吸も穏やかで普通に眠っているだけに見える。

顔色も目に見えてよくなってきている。



「よかった。水、全部飲めて楽になったようです」


多分、脱水症状を起こしていたんでしょう。

お水って必要ですね。やっぱり。


ふうっと大きなため息をついてアニエスさんを振り返ると、あきれたような顔。

そして、なにか嘲るような馬鹿にしたような顔をしていた。

反対のフィオンさんを振り返ると苦虫を潰したみたいな嫌そうな顔をしていた。


何故?

首を傾げて尋ねる。


「どうしたんですか?」


「貴方、誰彼かまわずそんなことをしてるの?」


そんなこととは、どんなことですか?


「見知らぬ男性に簡単に口付けするなんて、随分と軽いのね。

 イルドゥクでは、そんな娼婦のような行為を推奨するのかしら」


はい?

イルベリー国では、船乗り連中は平気で壁やら大地やら船やらにキスしてたけど。

序にお給料くれる商会の女の人にも、投げキッスを送っていた。


私とてミリアさんとお店で働いていた時は、投げキッスをされて、

お客さんの後ろ頭をはたいたミリアさんをただ笑っていた。


王城ではポルクお爺ちゃんから、頬と手に何度もキスされたし、

キスって、この国では親愛のしるしの一種ですよね。


今更ですが、そんな大正時代の古臭いおばあちゃんのようなことを、

婚約者もいるし大人な会話が出来るアニエスさんが言うのはどうかとおもうのですよ。


それにしても、随分な言い草だ。

ここは、はっきりといっておかねばなりません。

淑女予備軍の一員としてきっぱりはっきりと。


「いいですか。今のがそんな色気があるような行為にみえましたか?

 見えないでしょう。当然です。

 医者の世界ではコレは人工呼吸の一環で立派な医療行為ですよ。

 人命救助ですから、口付けの数に数えるべきではありません」


私に元から色気なんて皆無ですけどね。

これは、胸を張って威張れます。真実です。


「貴方、もしかして医者なの?」


「いや、だが、メイの父親は確か医者だ。国でも指折りの名医だ」


医者?ああ、セランですね。

私の父は農家生まれのサラリーマンですが、確かにこの世界での父は医者でした。

それにしても指折りの名医だなんて。

凄いぞ、セラン。 娘として、褒められて凄く嬉しい。


「医者、そう、指折りの名医の娘なのね。

 メイ、貴方はことごとく私を苛つかせる天才ね。

 いっそ神がかりとでも言いたいくらいに、本当に私の神経を逆撫でする」


何?いきなり早口で怒り始めた挙句に、

目が三角になりそうなくらいに烈火のごとくに怒っている。


「すこしは落ち着いたらどうじゃ。みっともない」


何がなんだかわからないで眼をパチパチさせていたら、

じゃがれた老婆のような声が聞こえた。


振り返ると、小さな老婆が後ろに立っていた。

一緒にいるのは先ほどまでここに居た腰の曲がった男。

彼は大きな男性を荷物のように肩に担いでいた。


どうやら待ち人が来たようです。

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