フィオンの変化。
渡された解毒剤を彼女の口に運び、顎を開き、喉を滑らせるようにして流し込んだ。
薄い灰汁のような色の液体が口の脇から漏れ、喉をつたい、鎖骨のくぼみで止まる。
それと同時に喉が、ゴクリと音を立てる。
この解毒剤は少々味に問題があるのだが、
とりあえず水分だと理解して飲み込んだようだ。
毒を吸い込んだ後は酷く喉が渇く。
体がそれを排除しようとするからだ。
フィオンはそれを経験で知っていた。
無造作に抱え上げ、数回に分けて喉に流し込んだ液体を、
彼女は、猫のように喉を鳴らして、口の中の液体を嚥下する。
喉がこくこくと水分を取るたびに上下する。
落ち着いたら、ふっと小さな吐息が漏れた。
水分を取り、乾きがやや治まったと言う事だろう。
脱水症状を起こしている体にその水分が、じわっと広がっているというところか。
乾いた体が水を更に求め、口がはくはくと小さく震える。
しばらくして、足先が動いた。 かすかに痺れが起こっているようだ。
わずかに動かすだけで、何かに擦れてびりっと小さな電気が走るような反応をする。
順調な見知った反応だ。
足先から送られる電気信号が、次第に耳に大きく響く。
ドクンドクンという心臓の音と一緒のリズムを刻む。
心臓の振動にあわせて、瞼の下の眼球がぴくぴくと動く。
全てがフィオンの知る正しい生命の流れだ。
感じられる生命の流れに安堵し、その状態を逃さぬように、
その流れを掴むことに神経を集中させる。
生きていくことに貪欲な、生き物としての本能の起こす技。
もし、メイに意識があったならば、人間の生命力の強さというものを鑑みるに、
ほとほと感嘆したに違いない。
白い敷物の上に横たわった彼女に意識がある訳ではない。
体の反射に過ぎないが、ぴくぴくと動く瞼の生命反応に安堵する。
「薬は強薬2種の混合だ。
体の大きな男でも3日は昏倒する代物だ。
こんな小さな子だったらもっとかかるだろうな。
ああ、こちらの解毒薬も必要だろう。
今、用意する。 飲ませておくといい」
淡々と事実のみを述べる目の前の背の曲がった男に、フィオンが眉を顰めた。
「彼女には、危害を加えない約束のはずだが」
背中の曲がった男は、フードを更に下げフィオンと目をあわさない様に注意深く動く。
決して近寄らず、小さな紫色の解毒薬の入ったビンを無造作にフィオンに投げた。
「あの場合は仕方なかった。
予想では、最初か二番目の罠辺りで立ち往生しているか、
幾人か死人が出て人数が減っている計算だった。
あれらの罠を誰一人欠けることなく、こんなに早くあの部屋までこれるとは思わなかった」
フィオンは、投げられたビンを受け取って軽く揺らす。
透明なビンの中に入っているのは、黒く鈍く光る液体。
チャポンっとビンの中で小さな音が鳴った。
フィオンは、ふんっと面白そうに小さく鼻を鳴らした。
「お前達の予測が甘すぎると言う事だろう。
ゼノ総長の名前は伊達ではないのさ。
音に聞こえるイルドゥクの英雄は馬鹿じゃない」
目の前の背中が曲がった男、ニドは、忌々しそうに舌打ちをした。
この男にしては珍しいとフィオンは、心の中ですこしだけ驚いた。
普段から感情を余り出さない男があからさまな感情を示す。
その原因は何に対してかと推測し、すこしだけ興味がわいた。
だが、顔にも態度にも、もちろん一切匂わせない。
「それで、これはどのくらい飲ませればいい。
適量を教えろ」
何事も気がつかなかったような振りをして、腕に抱いたメイの顔を見下ろした。
視線で、そのすべらかな頬や顎の輪郭、目の形などと線を描くように追っていく。
あの男が彼女に触れている様子をみて、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまったのは、
まだ自分の記憶に新しい。その記憶を裏書するようにして、メイに触れたいと思った。
先日、すこしだけ触れた時に、彼女の肌は柔らかいとわかっていたが、
手に吸い付くような絹の様な手触りは、癖になりそうだと密かにほくそ笑んだ。
「……そのビンの半分ほど飲めば、半刻で目覚めるだろう」
フィオンのその優しげな視線に、ニドの声は戸惑いを隠せなかった。
「問題は無いんだな?」
フィオンは、そっと指先で丁寧に顔の輪郭を撫でている。
何度も何度も撫で続けるその行為は、一種の執着すら感じられる。
「後遺症は無いはずだ。まだ薬を摂取してから時間が経っていないからな。
ところで、その女はもしかして貴方の特別なのか」
ニドは、なんとなく聞いてみたくなった。
噂に聞こえる闇の影の頭領であるこの男は、
常に冷静な判断を下し、決して情に流されない非情さと
なにものにも執着しないゆえの残忍さが特徴の、
類を見ないほどに頭のよい冷酷な男であるはずだ。
ニドが会ったのは数えるほどしかないが、
彼の主のアニエスが無邪気な小悪魔であるのに対し、
フィオンは、一族の中でも特別に、近づき難い畏怖する対象であったはず。
闇の影を従える頭であるからには、
すべての闇を背負うことが出来るものでなくてはならない。
これはこの里の過去の長の言葉だ。
彼は、フィオンは誰しもが認める闇の影の頭領だ。
闇を背負うのが誰よりも似つかわしい。
だが、その彼の酷評と目の前にいる男との絵が全く重ならない。
これが同一人物だとどうしても言い切ることが出来ない。
ニドの戸惑いを前にしても、フィオンの態度は変わらない。
フィオンは、先ほど渡したビンの蓋を口で外して、ぷっと下に落す。
そして、ぐいっとその液体の半分を呷った。
横たわったままのメイを抱きかかえ、その顎を固定し唇から液体を流し込んだ。
フィオンの口の端から、紫紺にも黒にも見える液体がつうっと薄く糸を描く。
メイの喉がごくりと嚥下したのを確認して体を元のとおりに横たえる。
フィオンは右手の親指でぐいっと自分の唇を拭う。
「…さあな。いつもの気まぐれかもな。
抱き心地は確かにいいから、気に入っている。
意識がないというのもいいものだが、やっぱりすこし飽きてきたな。
反応が鈍いと面白みが半減する」
そう言いながら、横たわった彼女の首元に指を滑らす。
「やっぱり、反応があったほうがより興奮するだろう」
そういいながら、鎖骨のくぼみに落ちていた水滴に舌を這わす。
腕の中の意識のないメイの体が、びくっと小さく震える。
何をするつもりなのか、あからさまな態度をニドの前で見せる。
「……半刻したら、迎えにくる」
邪推を振り払うように頭を軽く振って、ニドはくるりと踵を返して部屋を後にした。
きいっと木のドアが軋む音がして、ニドの気配が少しずつ遠ざかるのを、
フィオンは目を閉じ気配を探り、確認してからメイから離れた。
そして、指を小さく鳴らした。
その音に反応して、天井近い闇の中から影が動いた。
影は床に滑るように移動し、フィオンの前で膝をついた。
フィオンは二本のビンを取り出し、影に向かって投げる。
影はビンの蓋を開け、臭いを嗅ぎこくりと頷いた。
そして、ビンを床にゆっくりと置いた。
「解毒薬を至急用意しろ。ああ、そうだ。地下牢へ。
いいな。全ては俺の計画どうりだ。そう、ゼノ総長に伝えろ」
影はこくりと頷くと、ゆらりと揺れてその姿を消した。
フィオンは床に置かれたビンを取り上げ、
部屋の隅に置かれていた小さな高机の上に置いた。
問題の遺跡の奥深くの部屋に入る扉は一つだけ。
そこには当然のごとくにアニエスとニドが居る。
ゼノの計画通りに行ったとしても、
ゼノ達は彼らに鉢合わせすることは免れない。
そして、出会ったが最後、
彼らがゼノ達の思い通りに事が運ぶのを黙ってみているはずがない。
最悪、斬り合いになる。
どちらが死んでも、フィオンにとって痛くも痒くもないが、
今は、メイに危害を加えられることは避けたかった。
だから、ニドがゼノ達に気がついたという報告を部下から受けた時点で、
わざと情報を漏らした。
メイの言語学者としての特異点を述べた上でだ。
最後の扉をあける事ができる唯一の人間として知らしめ、無事を確保した。
ゼノには悪いが、彼らを囮に使わせてもらった。
アニエスは、ゼノ達の動きを察知してそちらに気を取られているようなので、
彼らに注意を向け、こちらは水面下で動くのに好都合だった。
ゼノ達を利用したようにも聞こえるかもしれないが、
アニエスが黙って彼らを殺すのを見ていたわけじゃない。
ニドやアニエスには、祭りに執着している里の皆を納得させる為に、
すぐには殺さないように誘導し、自分の支配の影にその命の糸を繋がせる。
軍が粛清になだれ込んでくるのを止める手段は、彼らを生かすことにあるからだ。
だが、一族の問題を他の者に手を出させるわけにはいかないという思いもあった。
出来れば、彼らには黙って外で見ていて欲しいというのが正直な感想だ。
メイに関しては思いっきり巻き込んだ形になるが、
それはそれで必要な犠牲ということだ。
すこし残念な気分もあるが、いずれ諦めもつくだろうと予測した。
しかし、後顧の憂いを絶つためにも、問題の扉を開けるべきだと闇の影として判断した。
開けて問題の元を確かめる必要があった。
たとえ今回扉を開けなかったとして、また崩落事故などが起こり、
その扉が何らかの理由で開くかもしれない。
それが、次世代の長や野心家なカイミールのような奴の手で開けられたなら、
その後がどうなるのか。
多分に漏れず悲惨なことになるだろう。
それは、どうしても避けなければならない。
その為には、ゼノやポルクが判断した扉を開けられる鍵である彼女が、
フィオンにも必要だった。
問題の場所にあるものは、一族の悲願が込められた希望というお荷物だ。
大量破壊兵器が我らの手に負えるものであれば、アニエスたちを黙らして、
闇の影が手に入れる。
もし、それが史実に基づいた通りに余りにも危険なものなら
二度と使えなくするために、徹底的に破壊する。
大きすぎる力は、狂気を呼ぶ。
血に飢えた狂人は誰しもが歓迎しない。
全ての国と人が、レグドールを敵と見做す前にとめなければならない。
レグドールの里は一度、その力によって滅びたのだ。
もう二度とそのような愚考は起こさせるわけにはいかなかった。
今は、全てがフィオンの筋書き通りに進んでいる。
「う……ん。」
メイの声が、フィオンの思考を中断した。
視線をメイに向けて状態を確認する。
膝を床につき、彼女の口元に手をかざし、呼吸の状態を確認する。
規則正しく動く胸の動きに、すうすうと聞こえる呼吸音に安堵する。
これならば問題ないだろう。
彼女が寝返りを打ち、そのポケットから一匹の死に掛けた猿が転がり落ちた。
小さな猿にはあの薬は猛毒に違いない。
まだ生きているのは信じられないくらいだ。
いつもならそのまま放っておくところだが、メイの平和そうな寝顔を見て気が変わった。
猿の死体を見たらメイが悲しみフィオンに協力しないかもしれない。
それほどに、メイは猿を大切にしていた。
机の上の薬のビンを取り上げ、猿の開いた口に指で何滴がしずくをたらす。
体の小さな猿にはこのぐらいだろうかと適当に辺りをつける。
しばらくしたら、ぴくぴくと猿の瞼がメイと同じように動き始めた。
もう一つのビンの薬も同じように猿の口に垂らす。
メイと同じように平和そうな寝顔になる。
これでいいと、猿をメイのポケットに戻し、薬を机の上に戻した。
その時、突然ぐらっと大地が揺れ、小刻みに床を震わせた。
フィオンの視界が波にゆれるように、上下の揺れた。
このような地震は、この谷付近では珍しくない。
特に、最近では頻繁にあり、その規模も大きいものが増えた。
先日の崩落事故の直接の原因はこの地震だ。
今の揺れよりももっと大きいもので、里の住人12人が犠牲になった。
ゴゴゴと小さく大地が鳴いていた。
小さな横揺れに、がたがたと机が上下左右に動き、机の上のビンが転がり、
床に落ちて派手な大きな破裂音を響かせた。
ガッシャーン。パリン。
その音で、メイがぱちりと目を覚ました。
「え、あ、何? は? う、じ、地震?」
随分と目覚めはいいようだ。
慌てて居るようだが、特に問題等はないだろう。
「ああ、この程度ならすぐに治まる。
まずは、落ち着こうね」
手をばたばたとして、起き上がろうとしてしているのを止めた。
目覚めたばかりの上に薬の症状が抜けるには早すぎる。
めまいでも起こして変に倒れて頭でもぶつけたら問題だからだ。
きょとんとした目のメイは俺の存在を認識し、俺の言葉に素直に従い、
自分なりに落ち着く為に、深い深呼吸を数回繰り返した。
そうこうしているうちに揺れが収まっていく。
がたがたと音を立てていた机の足が揺れなくなり、沈黙する。
「あ、本当です。 もう治まったみたいですね」
メイは、ほっとした表情で笑みを浮かべる。
「落ち着いた? 水でも飲むかい?」
そんな単純な反応をする彼女が可笑しくて、つい世話を焼く。
「水? はい、ください。 多分、凄く喉渇いてます」
首を傾げながら、自分の感覚なのにどこか不思議そうに告げる彼女は面白かった。
腰に常に携帯している竹の水筒に手を伸ばし、彼女の口元に持っていく。
「自分で飲めるかい? それとも口移しがいい?
俺としては、後者がお勧めだ」
彼女はしっかりとした仕草で俺の手から水筒を取り上げた。
いささかむっと口を尖らせたまま、反論する。
「子供や、病人ではないですから、手伝いは要りません」
その答えは、フィオンの問いにどこかずれている。
だが、それを突っ込むことなくフィオンは話を続ける。
「まだ本調子ではないはずだから、無理をしてはいけない。
ところで、何が起こったか覚えているかい?」
こくこくと水筒に直接口をつけるようにして水を飲み干す彼女に、
記憶の確認をする為に話題をふる。
「はあ、美味しいお水でした。 有難うございます。
えーと、何が起こったのかって、ちょっと待ってくださいね。
さそりの部屋から冷たい階段を降りて、あ、そうだ。
ボンキュボンの怖いお姉さんに会いました。
それから、腰の曲がった小さいおじいさん?らしき人にも」
水筒を返しながら、米神に指をあてて記憶を探るメイは随分と解かりやすい。
危うく殺されかけたというのに、嫌悪感や恐怖などを感じていないらしい。
現実味がないだけかもしれないが、随分と鈍いだけかもしれない。
「うん、それで?」
メイの表現も可笑しかったが、茶化さずに続きを促す。
「それで、埴輪と奴隷と職業選択の自由について話したと思います。
それで、そう、私、凄く怒られました。
でも、あの人、笑いながら怒るんですよ。
私、多分、彼女の地雷を踏んじゃったんだと思います」
くしゃっと顔を歪めながら、目を細める。
メイは、アニエスを怒らしたことを後悔しているように見える。
初対面の相手に、どうしてそんな風に思えるのか。
関係のない人間相手に、なぜそんな感情を持つことができるのだ。
フィオンは、本当にびっくりしていた。
これは、なんだ。
いや、なぜ俺は、こんなにも動揺しているのだろうか。
「どうしてそう思うんだ?」
感情の赴くまま、メイに問いかける。
「あの時、私、彼女の目に悲しみの色が見えました。
見えていたのに、否定したんです。
今思えば、私は最低な事を言いました。怒られて当然なのです」
メイは、俯いて自身の服の裾をぎゅっと掴む。
「そう、それで?」
本当ならこんなことを聞いている場合ではないのだが、なんとなく聞いてみたかった。
「他人の苦しみは代わる事など出来ないって知っているのに、
否定されるとどんなに傷つくか知っているのに、気のせいで済まそうとしたんです。
私の、私の心に、偏見があったんです」
フィオンは、その素直な言葉が、自分の心の何かを突き刺すように感じた。
「偏見とは?」
「彼女は、凄く綺麗でした。 ボンキュボンで、美人で頭がよさそうで、
天から幾つも才能を与えられている恵まれた人だと思ってしまったんです。
だから、あんなに素敵なのに差別されているなんて、
恵まれている分苦労するのは当然だと、私は一瞬思ってしまったんです。
私は、あの時あの瞬間、彼女を見下しました。
実に、傲慢で、偏見に満ちた判断で言葉を返したんです。
彼女が怒るのも当然です」
真剣に自分の心に向き合い、言葉を選ぶ彼女から目が話せなかった。
彼女の心は、真っ白で汚れていない。
かつて、自分にもこんな時があっただろうか。
一種の憧憬にも似た感情が生まれた。
「それで、どうするんだ。 反省するだけか?」
メイは俯いていた顔を上げて、自分なりの反省を終えたようだ。
その目は新たな決意に満ちている。
黒い瞳は見たこともないくらい明るく、強い光を放っていた。
その光は眩しく目をくらませ、強くその姿を焼き付けた。
「私は彼女に謝ろうと思います。
そして、許してくれるなら、彼女の言葉を、心を聞こうと思います。
差別されていると感じている彼女の言葉と、
きちんと向き合いたいと思います」
その強い視線に、そのきっぱりとした言葉に、フィオンは圧倒されていた。
その時、初めてメイという人間の本当に触れた感じがしたのだ。
強く優しく誠実で、お人よしで甘い世間知らず、そして、
何者にも染まらない真っ白な女。
こんな女は、初めてだ。
先ほどからドアの外に誰かの気配がしていた。 ニドが戻ってきたのだろう。
些か早いが、先ほどの地震を気にしたのかもしれない。
メイの会話も聞いていただろうが、別に対した問題でもないだろう。
ドアの外で立ったまま入ってこないのは邪魔する気がないということだろう。
さっさと確認することを済ませよう。
「そう、わかった。
ところで、彼女を怒らした後のことで思いつくことない?」
彼女はきょとんとした顔をして、会話の変化に合わせて思考をめぐらし、
先程までのしっかりとした表情から一転して、子供のような表情を見せた。
本当にくるくると表情が万華鏡のように変わる。
「後って、そういえば、おじいさんが持つ箱のようなものが揺れていたんです。
そしたら、そう、カースやカミーユさんが倒れて、私も眠っちゃって。
あの後、覚えてないんだけど、あの、レヴィ船長やカースは大丈夫なんでしょうか。
ぶ、無事ですか? 怪我しているとか、動けないとか」
どうやら記憶の混同などの問題はないようだ。
目を白黒させて、泡を食うように慌てていると思えば、
今は、心配し青白い顔で両手を前に組んで祈るようにフィオンを見上げている。
目尻にうっすらと涙がにじんでいた。
その視線に、自分でも解かるくらいにドキンと心臓の音がした。
「ちゃんと確認したわけではないから無事とは言いがたいけど、問題ないよ。
薬のせいでまあ、自由は利かないだろうけど、命に別状ないからね」
嘘は言っていないが、すこし後ろめたい気がして、すこし目線をずらす。
そんな感情は、フィオンにとっては新鮮で、やけにくすぐったく感じる。
彼女の目に小さな涙を浮いていたのを、救い上げようと手を伸ばすが、
彼女が体を翻したことで、手が届かず宙に留まる。
彼女は、ほっと小さな安堵のため息を吐き、体を起こしてすっくと立ち上がる。
「レヴィ船長達の所へ連れて行ってください」
彼女の口から、他の男の名前が出るのが勘に触る。
眉をしかめ、彼女の肩をそっと押さえてその行動を止める。
「落ち着いて。 医者でもない君が行っても何も出来ないよ」
彼女は縋りつくような目で俺を見上げた。
その目は、誰のためのものだと怒りすら覚える。
「無事でないならなおの事、側でついていたいんです」
そんな彼女の心配する対象が、自分でない事にいらいらする。
あの緑の目の男の存在が今にもまして忌々しい。
これは、この感情は嫉妬だ。
フィオンが、今まで馬鹿にしてきた最も愚かしい感情。
嫉妬に振り回されている自分に愚かしいを思いながらも、
どうにもならないほど感情が翻弄されていた。
自分のコントロールがきかない。
こんなことは、初めてだった。
舌打ちしそうな感情に諸手を上げていると、外にいた誰かが動く気配かした。
誰であるかは予測がつくが、そのタイミングを今は歓迎したかった。
きぃぃと木の軋む音がしてドアが開かれる。
ドアの外の人物が、立ち聞きを止めて中に入ってくる。
「彼らの無事は、貴方次第ね」
さらりと長い髪を靡かせてアニエスがニドを引き攣れてその部屋に入ってきた。
外で聞いていたのは、二人だったようだ。




