約束をしましょう。
私にとっての秋は、やっぱりこれでした。
庶民には、手に届きやすいですからね。
蛇プールの部屋を無事に抜け出たら、そこは奇妙に狭く広い部屋でした。
その描写では解かりにくいと思われますが、
つまり天井が斜めになっていて床も天井とほぼ逆平行に斜めになっているのです。
床の角度はほぼ40度くらい。
結構な急角度です。荷物を無造作に置くとずずずっと勝手に動く。
ここに居ると自分の平行感覚が狂ってきそうです。
足の裏に力を入れて体を平行に保っても、天井までがずれているので、
本当は私が間違っているのではないかという錯覚をおこします。
ゼノさんは、この部屋で休憩を入れるといいました。
というのも、時間にして今は真夜中。
ここで休憩しないと地下層まで休む場所が無いかららしい。
レヴィ船長達はこの部屋のからくりの説明をゼノさんに受ける為、
私とお猿だけ先に寝ることになりました。
こんな斜めの場所で眠れるかしらと思ったけど、人間疲れていれば、
案外どんな所でも寝れるものです。
ころころと斜めに転がらないように、一応支えの意味でのカースの荷物を枕にして、
気がつけばぐうぐうすやすやとお猿と一緒に眠っていました。
********
こんな場所で寝ているのに、メイは、のんきに夢を見ていた。
夢は願望が現れるというが、今まで夢など見たことが無い。
いや、正式には覚えていないのが正しい。
いい夢も悪夢も、起きてすぐには何かしらの感情をともなっているようだが、
時間が経つとそれが一体どうしてだったのか、さっぱり思い出せないからだ。
春海と過ごす古書店での夢は、自分の夢といっていいのかわからないくくりにあり、
あれは例外的な呼び出し方法だと思っていた。
だから、この夢も多分起きたら覚えていないのだろう。
そう思いながらも目の前の風景を、どうせすぐ忘れると、
単純に切り捨てることなど出来なかった。
なぜなら、途轍もなく懐かしさを、心痛くなるほどの哀愁を感じたからだ。
夢の中、目の前にあるのは、ホカホカの焼きたてのお芋。
逆光の中、ほっかむりに近い帽子を被った祖母が差し出してくる。
子供の頃、とある事情で母の田舎にいたときに、いつもオヤツに焼いてくれた。
落ち葉が沢山落ちる秋、幼馴染と二人で身の丈よりも大きな箒で落ち葉を集めて、
一生懸命に庭を綺麗にしたら、祖母が納屋から取ってきたお芋を落ち葉に放りこんだ。
パチパチと小さな火が煙る中、私達はどこからとも無く大きな枝を持ってきた。
焼き加減を調べる為、その枝でつつきながら、時々お芋をひっくり返す。
しわしわの手で、ほうらと渡されるのは、真っ黒に焼けたお芋。
新聞の上でその黒く焦げた皮を剥ぐと、オレンジ色の目に眩しいオヤツが現れる。
ふわっと鼻をくすぐるのは、白い湯気に載った甘く暖かな香り。
ご褒美だと、お芋にとろとろのバターとか、蜂蜜とかを載せてくれた。
両頬が膨らむほどに口一杯に噛り付く。
ホクホクとした食感と滑らかな舌触り。
人工甘味料に慣れきった舌にも、確かに素晴らしいと言わせる一品だった。
自然の甘味とは掻くも素晴らしいと実感でき、幸福感が更に増す。
美味しいかいっと聞かれ、うんっと満面の笑顔で返す。
幼馴染の彼と顔を見合わせ、美味しいねと言いあいながら食べた。
そんなひと時が私は一番好きだったことを思い出す。
祖母がなくなったのは、小学生のころ。
私が小さかった事もあり、その顔を思い出せないのが心苦しい。
夢の中でも、逆光の影の祖母の顔が真っ暗のままだ。
遺影の祖母の顔を見ても違和感が拭えず、首を傾げるばかりで、
ずっとその写真と祖母の影が重ならないままだった。
母はそんな私を見て、
「貴方は、お祖母ちゃんの本当の姿を知っているから、写真に納得しないのね。」
と、唯笑っていた。
でもそれは、悪いことではないのだと。
「世界には沢山の人がいて、その人数の分だけ見方が変わるわ。
だから正解も不正解も、悪も正義も、本当は世界にはあるようでないの。」
何が言いたいのか解かるようで解からない言葉に、首を傾げた。
だけど、両手をぎゅっと握ってくる自分とは違う暖かな柔らかい手に嬉しくなった。
私を否定しないその言葉と手の温もりが、子供心に喜びを与えてくれた。
だが、その握っていた手が不意に大きなごつごつした暖かな手に変わる。
慌てて顔を上げれば、私の手を握っていたのは緑の瞳のレヴィ船長。
母とは違う安心感に、ほっと一息つきその手を握り返す。
側にいたはずの母の姿が、すっと離れたところに立つ。
(芽衣子、帰ってらっしゃい。お母さん、待ってるのよ。)
母が目の前で両手を広げていた。
心が酷く揺れる。
レヴィ船長の手を離さなければ、母の所には帰れない。
でも、ここで離したらレヴィ船長に二度と会えない気がした。
(芽衣子、また美味しい芋を一緒に食べよう。)
死んだ祖母の声が追い討ちのように続けられる。
(芽衣ちゃん、僕と一緒に居るのが楽しいって言っただろ。)
懐かしく悲しい顔の幼馴染が、幼い姿のままで泣いていた。
声が重なり、耳鳴りのように音が割れる。
キーンという甲高い不協和音に顔を歪める。
頭が痛くなり頭痛が酷くなる。
頭を抱えてしゃがみこんだら、次に目を開けたとき、
私の周りには誰も居なくなっていた。
母の姿も祖母の姿も、幼馴染の姿も、レヴィ船長の姿も、全て消えていた。
「ねえ、芽衣子さん、もう時間がないよ。
どちらを選ぶの?」
姿は見えないけれど、記憶の中の春海の声だとわかった。
この言葉は、いつかどこかで言われたのだろうか。
それともやっぱり、この夢は私の夢ではなかったのだろうか。
懐かしい祖母と母、幼馴染のいる風景と心安らぐ家族の待つ場所。
郷愁に駆られ、目を離せなくなった。
だけど、その風景を侵食する光景も浮かんでくる。
手放したくない愛しい人と、優しい人たちと強い絆を作った場所。
この世界で、私を心から受け入れてくれた人たちとその光景。
どちらも比べようもない大事な場所。
まだ心は決まらない。
ゆらゆらと揺れ続ける自分の心が、不安定で泣きそうになる。
春海の言うとおり、時間がないと解かっているのに。
白い霧に囲まれて立ちすくむ。
余りの自分の情けなさに、思わず唇をかみ締めて俯いた。
(本当にそうなの?)
幼馴染の声がした。
顔を上げて周りを見渡しても誰も居ない。
(僕の知っている芽衣ちゃんなら、見つけているはずだよ。)
幼馴染の声が、段々と誰かの声に変化する。
白い靄が、ゆらゆらと揺れて人影をつくる。
(ええ、そう。 本当は、見えているでしょう。)
人影は、小さな私。
そして、その発している声は私自身。
(私だけの正解を、本当は私の心は知っているはず。
見つけるのは、私だけの正義。私の心。)
小さな私が言っていることは、私の心に尋ねること。
それならば速やかに作業を行おう。
昔、何度も何度も、迷った時に行った自分なりの決まり。
さあ、目を瞑って心に灯りを燈そう。
心の中に一つ、また一つと暖かな灯りを置いていく。
その灯りは私の想い。心に留まる沢山の想いの欠片。
多ければ多いほど明るく輝いていく。
私だけの真実を見つける為に、目を瞑ったまま、
足を明かりの中に一歩踏みだした。
白い場所から足を踏み出すと、視界がざあっと風に呷られた。
髪を押さえながら、そうっと目を開ける。
目の前にたたずむのは、レヴィ船長とカースやセランの姿。
後ろで微笑んでいるのは、懐かしい母や家族、幼馴染の姿。
なんだ、もう決まってたんだ。
心がストンと軽くなった。
背筋を真っ直ぐに伸ばして、姿勢を正す。
腹筋に力を入れて、すうっと息を吸い込み、大きく吐く。
くるりと背後を振り返り、その場で片手を挙げる。
にっこりと背後の母達に笑いかけ、手を大きく振った。
母達の姿が白い霧に紛れて、薄れていく。
私は、それを見ずに視線を前に戻す。
そして、真っ直ぐにレヴィ船長達がまつ前方に向けて歩いた。
私だけの真実を見つけた。
*********
メイが、ふっと目を覚ましたのは、多分夜明け前。
耳に聞こえてくるのは、自分の他の3人分の寝息。
部屋の中は、相変わらずの斜め生活だったが、目を開けたとき、
物凄い爽快感が心の中にあった。
心の上にあった重石が見事に消えていた。
雨上がりの空気みたいに、爽やかな気分だった。
その半面、左手に重みを感じた。
レヴィ船長の硬いごつごつした大きな手が、
私の手を包むように握っていたことに気がついた。
昨日までの私なら、それを嬉しく思う半面、
泣きそうな心地も同時にしていた。
でも、今の私は違う感覚を覚えていた。
この手が、自分に伸ばされていることに、充足感のようなものを覚えている。
泣きそうな感覚は鳴りを潜め、暖かな嬉しさだけが広がっていた。
これは、私の心が齎したもの。
ああ、そうか、とたんに理解した。
寝ている間に、私の中で心が決まったということだろう。
無意識の中で起こる自分なりの決定。
人間は寝ているときに情報の整理をすると、以前に聞いたことがある。
私も昔から寝たら何故かすっきり解決していることがよくあった。
本当に、人間はどんな時でも考えることを止めないものだと、
対象が自分であるのに、変に感心する。
私の明らかなる心の変化。
それは、私の居場所はここに、レヴィ船長の側にある。
自分で解かったということだろう。
改めて見直される自分の心と相まって、
レヴィ船長のこちらに向けられた寝顔が愛しく、暖かな吐息に笑みがこぼれる。
握られた手の平をすっと持ち上げて、レヴィ船長の指にちゅっと軽く口付けた。
そして、その手を胸でそっと抱きしめた。
閉じられていたレヴィ船長の瞼がふっと開く。
耳元に口を寄せ、二人だけにしか聞こえないように小声で話す。
「メイ、どうした。」
吸い込まれそうなほど綺麗な緑の瞳に、自分の顔が映っていた。
「お早うございます、レヴィ船長。」
手は繋いだままであったが、胸に引き込んでいた手をそっと離した。
「もう直に夜明けだ。 寒くないか。」
私の体の上には、短い毛布が一枚かかっていたが、
レヴィ船長の上には何も乗っていない。
「レヴィ船長は寒くないですか。 」
レヴィ船長の質問に首を振りながら質問で返す。
「俺は慣れている、だが、暖めてくれるか?」
目を瞬かせながら、レヴィ船長の目を見返すと、
悪戯を思いついたような顔と秘めている欲望の色が見えた。
その対象が自分であることに、途轍もない満足感を覚える。
ぽっと顔を赤くしながら、すっと毛布を持ち上げた。
「毛布、一緒に使いましょう。」
私の言葉に、レヴィ船長の目がびっくりしたように見開かれた。
私の意図することを理解しようとじっと私の目を見つめてくる。
私は、その視線を受けて、赤くなったまま微笑んで、
私の体を支えていたカースの荷物をちょっとずらした。
「メイ?」
レヴィ船長の声には答えず、毛布をレヴィ船長の背中に掛けて、
その胸にそっと寄り添った。
「これで、二人とも暖かいですね。」
レヴィ船長の胸元で顔を隠したまま、腕をレヴィ船長の背中に回した。
一瞬レヴィ船長の体がこわばるのを感じたが、
すぐにそれは優しい抱擁となって返された。
「ああ、そうだな。」
ため息にも似た吐息が頭の髪の毛を揺らした。
つむじに落される吐息の暖かさに心が嬉しさで弾む。
「ねえ、レヴィ船長。」
「なんだ?」
緑の目をゆっくりと見上げる。
「この遺跡から帰ったら、レヴィ船長に聞いて欲しいことがあるんです。」
私の心が少しでもレヴィ船長に届けば良い。
そう思って緑の瞳をじっと見返していた。
「それは、今では駄目なのか。」
私は、ゆっくりと首を振る。
「今、私はやらなくてはいけないことの真っ最中なんです。
中途半端なままじゃあ、私、最高にカッコ悪いです。」
緑の目がびっくりしたように瞬いた。
「皆が無事に家に帰れて初めて、私のやらなくてはいけないことが終わるんです。
私は、レヴィ船長に、貴方に胸を張って言いたいんです。」
神様から押し付けられた5つの宝珠探しも、
レヴィ船長のお友達探しも、
この里に囚われている沢山の人たちを助けることも、
そして、助けてっていってきた何処かの誰かを助けることも、
旅が終われば、全て終わる。
そうしたらなんの問題も無く、唯のメイとして、貴方の前に立てる。
「そうか、楽しみだな。」
レヴィ船長の緑の瞳が嬉しそうな光で煌く。
「はい。 楽しみにしておいてください。」
貴方を好きな唯のメイとして、貴方に告白したいから。
すべての厄介ごとは全てまるっとかたづけた後に、さっぱりとだ。
レヴィ船長が眩しいものでも見るように、目を細める。
そして、かすれたような声で呟いた。
「……本当に、どこまでも予想外だ。」
予想外?
首を傾げると、レヴィ船長が私の手をすっと持ち上げて、
私の手に強く唇を押し当てて、痕のついた場所をぺろっと舐めた。
「惚れ直す。」
欲を顰めたその表現に、一気に頭の先から湯気が沸いた。
その色気にくらくらきそうなところでぐっと踏ん張る。
ここで、負けるわけにはいけない。
旅が終わるまで、我慢するんだ。私。
「まだです。 まだまだ淑女には程遠いですよ。」
何を言っているのか、自分でも解からないくらいに混乱してきた。
「淑女?」
面白がるようなレヴィ船長の言葉に、むっとして応える。
「レヴィ船長の横に立っても可笑しくない淑女になる予定なんです。
カースやセランだって、さすがだって認めるくらい。」
外見ではなく、内面で淑女を目指すあたりが姑息かもしれないが、
目標が達成したなら、それもありだろうと心の中のハードルを設定する。
レヴィ船長に負けないくらいに、色っぽくは無理かもしれないけど、
美人も無理だと思うけど、内面ならば何とかなるように頑張ればいい。
そう、有名な昔の人も言うではないか。
なせばなる。
とりあえず旅から帰ったら、マーサさんに貰った本を最初から、
飛ばし読みしないで、じっくりと読むことにしたいと思います。
「そうか。わかった。
ならば、旅の終わりには、俺からの申し出も受けてもらえるか?」
申し出?
こういう淑女になって欲しいとかのリクエストかしら。
マーサさんのように、完璧にとか。
それはちょっとかなり難しいと思いますが、努力はしますよ。
誠心誠意で努力します、勿論。
「はい。」
レヴィ船長が嬉しそうに、満開の笑顔を見せた。
「約束だ。」
額に、頬に、首筋にレヴィ船長キスの雨が降る。
それを受けながら、レヴィ船長の頬に手を伸ばす。
「はい。約束します。」
そして、レヴィ船長の頬に私からキスを返した。
ちなみにこの会話はゼノさんもカースも聞こえてます。
勿論ですよね。




