レグドールの里:祭
夕日が大地に眠り、空がオレンジから紫に、そして濃紺に変わった。
いつもなら、各家の玄関前に小さな光が燈されるだけなのだが、
今日はいつもとは違い、その灯りが燈されることはなかった。
その代わりに、中央広場に設置された木の半鐘が
コーンコーンと叩かれる音が、里中に響いた。
それを合図に、決められた5つの家から一人ずつ松明を持って現れる。
彼らは、ゆっくりと決められた作法通りに、
里のあちこちに設置された松明に火をつけて回る。
一つ一つ点けて回ると暗闇に沈んでいた里の景色が、
夜の世界とは隔離された様に明るくなる。
あらかた灯りを燈し終わり、5人全員が揃って里の中央の大灯篭に周りに集まった。
この大灯篭は祭りの最終日から数えて一週間前に長によって燈される。
現在、そこで待ち受けているのは、長くさらっと靡く鈍く光る金の髪、
朱金の瞳を持つ美しく麗しい長の娘、アニエス。
里の住民が認める長の代理人である。
大灯篭の明かりを受けてキラキラと反射しているのは、胸に掛けた大きな翡翠のネックレス。
翡翠の形は大きな円。 そこには魂の象徴としての2対の勾玉が掘り込まれていた。
全身真っ白なワンピースのような式服は、
背が高くメリハリのある体躯の彼女に大変似合う。
白い式服の胸元に描かれた文様は卍、緋色で染められたその印は長の証でもあった。
アニエスが右手に持つのは、一本の細い錫のような黒い棒。
その棒の先には小さな黒い灯篭があり、その蓋が開けられ中から赤い蝋燭が取り出される。
5人の里の住民に見守られながら、無言で赤い蝋燭を大灯篭に近づける。
大灯篭の火から、黒い灯篭に火が移される。
そして、その黒い灯篭がアニエスの左手に掲げ持たれ、
開いた右手には、アニエスの後ろに控えていた従者がそっと差し出した、
鈴の独鈷がしっかりと握られる。
鈴の独鈷は大小の鈴が取り付けられており、一振りするだけで、
シャランシャランと軽快な音を立てる。
アニエスはその鈴の独鈷を高く掲げ、シャララララーと大きく揺らした。
それを合図に、今までそれぞれの家の中で待っていた住民達が、
祭りの衣装を着てぞろぞろと集まってくる。
勿論、全員、一言も口を開かない。
これは、里の祭りのはじめの儀式。
「無言の行」である。
無言の行とはその名のとおり。誰も口をきかないこと。
それゆえ、里の赤子や体力ない老人などは除外されるが、
里の住民全員参加が義務付けられている大事な儀式の一つだ。
だから里の住民は、この日のために織った一張羅の服を着て、
当日朝から禊をし、実に美々しく飾り立てていた。
これは、祭りのこの時のために、前回の祭りの後日から一年以上の月日を掛けて、
各々が用意していた着飾りである。ましてや、今回は100年に一度の大祭だ。
それゆえ、全員にも気合が入ろうというもの。
彼らは一様に、誇らしそうに前を向いて大灯篭の前に集まっていた。
ほぼ全員が集まると、松明を持った5人の若者がアニエスを問いかけるように見つめる。
アニエスは、黙ったまま大きく頷いてくるりと背を向ける。
そして、遺跡の方へと鈴の独鈷をシャラシャラと鳴らしながら、
ゆっくりと歩き始めた。
その後を追うように、供物を持った女性たち、花や香木、布や糸を持った子供達、
そして、大きな矛のような槍を構えた男達、大きな盾と剣を構えた男達。
そして、布が掛けられたお皿のようなものを掲げ持つ3人の女性が続く。
大きな荷車が2つ用意され、一つには酒が入った大きな瓶が幾つも乗せられる。
もう一つには、冷めた料理や鍋などが載せられる。
満杯の重い荷車が、がらがらと皆の後に追っていく。
全員がアニエスの後に続き、最後に5つの松明を持った男達が殿を勤める。
全員の規則正しく行進する足並みが、小さな土煙を立てる。
遺跡までの遠くも短くもない距離の道。
その道は、先程の里と同じように真っ暗な道。
その中をアニエスが掲げ持つ小さな灯篭の灯りだけが指針となり、
ぼうっと道を照らす。
全員が暗闇の中、唯一つのアニエスの灯りだけを頼りに、
真っ直ぐにアニエスの背中を追っていく。
その間も、アニエスが振り仰ぐ鈴の音が、シャラシャラと小気味の言い音を立てる。
殿の男達が、列を乱さないように、通り過ぎる後に設置されていた松明に火を付けていく。
これは、レグドールの一族が決して真実の光を見失わないようにとの、
格言にそって催されている儀式の一つ、「闇問行」。
全員が粛々と儀式を遂行していく。
そして、遺跡の入り口までついたら、先頭のアニエスが始めて口を開いた。
「供物を。」
その言葉を聞いて、供物を持つ女達が一斉に前に出る。
大きな岩の鎮座する遺跡の入り口には、大きめな祭壇と、
塩で盛られた三角錐が祭壇の左右に用意されていた。
供物は、豆や動物の毛皮、そして地下水を汲み上げた水の入った壷。
それにどこから持ってきたのか、里では見たこともないような色鮮やかな果物。
それらが3段の祭壇の二段目と三段目に所狭しと置かれる。
アニエスは祭壇脇にしつけられた右の塩の三角錐に、
黒い棒の小さな灯篭を倒れないように深く差し込む。
そして、布に包まれた皿のようなものを持つ女性たちが、おずおずと布を取り、
祭壇の一番上にちゃんと面を間違えないように3つ立て置いた。
それは、こちらから見ると中央に突起が飛び出している丸い円盤。
装飾の彫りが途轍もなく細かい。
だが、反対は何の隆起もない平面、その上、今や煌々と照らされている広場の
松明の灯りが綺麗に反射して、岩壁を明るく照らし返していた。
これは、鏡である。
3つの鏡は一様に遺跡の入り口の方を向いていた。
祭壇の上が全て埋まり、一人の男が大きな瓶を一つアニエスの前に持ってきた。
アニエスは、瓶の中の透明な液体を柄杓で掬い、
それを左の塩三角錐の上にゆっくりと掛ける。
そして、持っていた鈴を祭壇前の地面に置き、アニエスが祭壇前で3度額づいた。
その背後で、里の住人全員が大きな拍手を2度間違えることなく鳴らす。
アニエスがすっと立ち上がり、鈴の音を響かせながら大きな声で宣言した。
「大祭は始まれり、今ここに子孫一同を持ってして全ての行をなさしめん。
我らが神に届かれし悲願を叶え給う。」
宣言の後、沈黙を守っていた背後の人々から大きな拍手と声援が上がる。
これにて沈黙の行は終わりという合図でもあるからだ。
「神舞を奉納せよ。」
遺跡の前の広場が、歓声に包まれる。
住民の中より、若々しい男女が6人ずつ現れる。
彼らは、腕に額に腰に、赤いスカーフのような長い布を巻いていた。
ひらひらと揺れる赤い布が、松明の光と重なって目に眩しく感じる。
男女でそれぞれ輪になり、その円が2重の円を作る。
彼らは、ゆっくりとした単調なリズムに合わせて、
男性は右周り、女性は左回りに動き始める。
里の住民の先頭にいた髭の男が、鳶が鳴くような甲高い声をあげる。
そして、ごろごろと渦を巻くような音を喉で鳴らす。
これを数度繰り返し、ぴたっと止まった時、
舞人たちもその場でぴたりと止まった。
里の住民は彼らを遠巻きに囲むように重い腰を下ろし、
皆一様に、胸から持参してきた杯を取り出し、
瓶の中の酒を水差しに移した女性がお酒を全員に渡るように注いでいく。
がやがやと和やかなムードで食事が始まったのだ。
後ろからこの日のために作られたご馳走がここぞとばかりに振舞われる。
今日のこの日のために、里の住民は潔斎と称して、
昨夜から一切食べ物を口にしていない。
だからこそ、全員の顔が待ってましたとばかりに、明るい顔を見せる。
松明の横に太鼓と銅鑼と竜笛を持った奏者が座り、
甲高い竜笛の合図と共に、規則正しいリズムを太鼓と銅鑼が叩き始めた。
和やかで、食べ物ばかりに向いていた里の住民の注意が一斉に舞に向かった。
竜笛の音律は時に高く、時に低くと目まぐるしく変化する。
それにあわせて太鼓の音も緩やかから急に荒々しく打ち鳴らされる。
それにあわせて舞いも激しさを増す。
最初は穏やかで流れる川のようなしぐさであった舞が、
大地を踏み鳴らし、両腕を組み鳴らしと力強いしぐさを見せる。
指を、手を打ち鳴らし、舞の円は小さくなったり大きくなったりと様相を変えながら、
次第に男女が入り乱れて一つの輪となる。
これは、「神呼舞の行」、つまり奉納舞である
奉納舞が無事終わったとき、アニエスが錫上を取り掲げ、
遺跡の入り口にある岩をコンコーンと大きく叩いた。
里の住人が見守るなか、遺跡の入り口にあった大岩が右と左にするっと開いた。
アニエスがその中に入り、くるりと振り返り両手を広げて宣言する。
「神の呼ぶ戸は開かれん。さあ、皆で楽しみ騒ぎ神を慰め讃えよ。」
わあっと歓声が上がって、皆が我先にと杯を上に掲げた。
「レグドールの里と我らが神に。」
「おう、祭りの無事を祈って乾杯だ。」
あちこちで小さな杯と杯が重ねあわされカチンと音をならす。
遺跡前の広場は、宴会場のように明るく騒がしい。
人々は今までにないほどの笑顔で、心ゆくまで飲み食いをして笑いあう。
その様子を見ながら、アニエスは顔に貼り付けたような笑顔をのせたまま、
遺跡の中へと消えていった。今日の儀式はこれで終わりということだろう。
一方、今までになくお腹一杯になった子供達や体力のない女性群は、
各自、里の自身の家に帰る。
その時には、小さな人形を置いて帰ることになっている。
これは身代わり人形というもので、素焼きの土人形である。
顔は土偶のような横に広い顔から始まって、縦長の顔に似せたものと、
思い思いに自身の顔に似た顔で作られるのだ。
その人形を広場の端に置かれた箱の中に立てかけるようにして置いていくのだ。
私の魂の一部はここにあると示す為に。
こうやって祭りの夜は過ぎていく。
誰しもが日頃の鬱憤を忘れ、騒ぎに気持ちよく酔っていた。
そうやって深夜が過ぎ、一人また一人と櫛の歯が抜け落ちるように欠けていき、
ひたひたと冷気が押し寄せる頃、
遺跡前の広場には、酔っ払って寝入った数人しか居ない状態となる。
彼らは、遺跡入り口内部の安全な場所に移され、そこで夜を明かす。
そうしないと朝方にくる冷え込みに凍死してしまうことがあるからだ。
遺跡の入り口付近には、罠が解除された部屋が幾つもあった。
ので、今回の大祭のためにそこが明け渡されていた。
酒の匂いが充満し、ごうごうと鼾の音が部屋中に振動する中、
むくりと二人の男が暗闇の中起き上がった。
起き上がった彼らは無言のまま視線を交わして、意思を確認する。
そして、お互いのするべきことをなす為に、動き始めた。
部屋を出た彼らは足音も立てずに、遺跡内部をひたひたと走っていた。
そして、小さな部屋にたどり着く。
何も無い小さな小さな部屋。
1畳ほどしかない部屋に入ると、用心深くあたりを見渡す。
誰も居ないことを確認した後、右壁の絵柄の文様の一部を押した。
そうすると、カコンと音がして、壁が2cmほど持ち上がる。
その壁を押すと、天井を軸に壁がくるりと持ち上げられる。
持ち上げてみて思うのだ。
これは土壁ではなく、木で出来た偽の壁だと。
なにしろ、その壁は余りにも軽い。
壁の材質についてはともかく、その木の壁の向うにはもう一つの部屋があった。
そこに、1人の男が待っていた。
「ご苦労様、なにかわかったかな。」
腕を組んでにこやかに問いかける男を前にして、二人の男はゆっくりと頷き言葉を発した。
「奴隷の半数は、多分この一週間くらいしか持たんだろう。
残りは10日もてばいいほうだ。」
二人のうちの一人、濃い髭のほっそりした男がぼそりと呟くように報告をする。
その言葉を継ぐように、もう一人の小さな頭のはげかかった男が続ける。
「あっちの牢の方は、順調だ。回復し、大人しくしている。
アニエスがなにかを言ったらしく、最初のように暴れることもない。」
待っていた男は、癖のある茶の髪を肩に流し報告を聞いた。
その瞳は髪の色と酷似して優しい色をしていたが、今は嶮しく厳しい目をしていた。
「そっちはどうなっている?」
二人の質問にも、金茶の瞳の男が答える。
「学者達は実に優秀だったということだろう。
最後の壁は、先程開かれた。
これで、5つの扉が全て開いた。
学者達は疲れ果て泥のように眠り続けている。
なにしろ、先程、労いのために酒と食事が振舞われたから。」
小男が眉を寄せる。
「酒と食事?」
「ああ、その酒には眠り薬としびれ薬が大量に仕込まれていた。
眠ったまま死んでしまえるほどに。
まあ、毒消しと攪拌剤も一緒に混ぜて相殺したから、問題ないとは思うが。」
あきれたように呟く彼に、二人はほっと肩を落とした。
細い髭男が、ぼそりと話す。
「総長は遺跡に入った。多分、祭りの前には例の部屋にたどり着くだろう。」
小男も、先を続ける。
「頭領も3人を連れてこちらに先程ついた。
今、例の部屋で落ち着いている。
コナーという男をあの部屋まで誘導できるか?」
今は、祭りの祭事中ということもあり、
眠っているはずの学者達には見張りはついていない。
問題はないだろう。
男はしっかりと頷いた。
「今夜中に、あの部屋に連れて行け。
それから、学者達への根回しとタイミングはアンタに任せる。
祭りの最終日の明日の深夜だ。」
「わかった。」
男は懐から、ビン底眼鏡を取り出して、顔に装着する。
そして、その場から一番に先程二人が入ってきたときと同じようにして、
壁もどきの回転ドアを押し上げて、足音一つ立てずに帰っていった。
「あんな眼鏡かけてて、よく前が見えるな。」
ぼつりと髭顔の細男が呟いた。
「あれで軍部なんて、詐欺だと俺は思うがね。」
小男も首を軽くふる。
彼らは闇の影である。
頭領の指示で里の祭りに潜入しており、
今回の協力者として軍部の連中との連絡係をしていた。
闇の影としての経験深い彼らからみても、
ゼノ総長や彼の部下、ミオッシュやエリオット、カミーユは、
実に見事に諜報活動をこなしていた。
あんな人間達を抱える軍部が、本気でこの里を潰しにかかったら、
彼らの故郷は塵と消えるだろうと、背筋が寒くなった。
「頭領からの仕事に取り掛かるか。」
「ああ、問題なく進めないと後が怖い。
そうだ、そういえば例のアレはどこに。」
「レミに渡した。老人達に配り終えているだろうから、
里に戻った住人には問題ないはずだ。
あとは、ここで転がっている馬鹿親父達だけだ。
それは、俺らが明日の朝、水に混ぜて飲ませればいい。」
二人は頷いて、真剣な顔で目を交わす。
「仕掛けは大灯篭を除く全てにとの指示だ。
いくぞ、今夜中に済ませろとの命令だ。
俺は右、お前は左だ。」
二人は、部屋での話しを終えると、
来た時と同じように、回転ドアの扉をくぐって出て行った。
そして、カコンと音がしてその部屋の壁が隙間なく降りた。
祭りの本番は明日の深夜。
時間は容赦なしに流れていた。
今夜は、ある者達にとって最も長い夜となる。




