罠に気をつけましょう。
全員が目の前の部屋に入ってすぐ、背後の壁がずずずっと音を立てて
下から上に上がっていきます。
そして、あっという間にぴちりと一部の隙間も無い壁が背後に現れました。
本当に昔の人の技術って凄いですね。
これどういう仕組みになっているのでしょうか。
って、感心している場合ではありませんでした。
明らかに遺跡内部と思われる部屋は広さだけなら結構広い、
20畳くらいあるだろうか。
窓もない部屋なのに、ジジジっと音を立てながら手に持った松明の火が揺れていた。
松明を掲げ持って部屋全体を見渡すと、やけに灯りが反射します。
目に眩しいのは、天井に貼られた白い布が原因です。
不規則に白い小山を作っているデコボコな布の波のような天井。
分厚いような、薄いような、微妙な暑さの白い布はよく見ると白い糸の集合体でした。
よく言えば式場の緞帳のようですが、唯のカーテンではないと解かるのは、
ちらほらと見え隠れしている細い、長い足。
い、いますよね。
私は天井をそうっと伺いました。
ちらっと黒い沢山の目が、ちらっと覘いて、
今、隠れたようなないような。
皆の反応を知るために見渡すと、意外に皆さん平気な顔をしておられました。
なるほど、皆さん、男の人ですからね。
虫はお友達なのかもしれないですね。
本当に頼もしい限りです。
そんな中、トアルさんは嬉しそうに手帳を取り出して、
なにやら書き始めました。
記者としての使命に燃えているのでしょうか。
縦穴を進んでいる時は話をしないようにと言われていたので、
ずっと我慢していたんでしょう。
この部屋に入ったとたんに、弾丸のようにゼノさんに質問を始めました。
「ゼノ総長、こんな入り口どうやって見つけたんですか?
あの縦穴を作るにあたって製作時間はどのくらいかかったのですか?
まさかお一人で作られたわけではないでしょう。」
記者特性というものですかね。
トアルさんは、どれから答えるべきかと迷うぐらい早口です。
いつか早口大会があれば、入賞間違いなしです。
ですが、やはり天井が気になるのか、トアルさんはちょっぴり中腰です。
勿論松明を掲げ持つレイモンさんの腕をがっしりと掴んでいる。
なにしろアレがいる部屋ですからね。
「あの入り口は、昔ワグナーの手記の一部を偶然に手に入れたときに、
俺達で掘った。 そりゃあもう大変だったんだぜ。
遺跡に通じる隠された部屋はこのへんだって辺りをつけて、
墓堀人に化けて何日も何日も掘ったんだ。
まあ、あの頃にはレグドールの中にも俺達を偏見もなく
見てくれる奴らがいてな、そいつらに協力してもらった。」
あの縦穴はゼノさんたちが掘ったんですね。
それはさぞかしご苦労様でした。
降りた感じでも単純に20m以上あったと思う。
岩盤を抉り取ったような穴の壁面、硬さに加えあの狭さ。
並大抵の作業ではありえない。
「レグドールの中にも、話せる人がいたんですね。」
トアルさんの言葉に、フィオンさんが肩をすくめる。
「レグドールの大半は、無知で深く考えずイルドゥクを憎み嫉み反発し悪意を育てる。
だが、自分で考えることのできる情報を与えられたごく一部の住人は、
過去の蟠りや確執は捨てるべきだと主張していた。
ゼノ総長はそういった一部の人間に運良くあたったんだろう。」
へえ、レグドールの里の革新的人物ってことですね。
確かに、昔の人の恨みつらみに振り回されるのは辛いことだと思う。
恨まれる方も、本人に悪いことをした覚えがないのに、
勝手に犯罪者ってレッテルを貼られているようで気の毒としか思えない。
昔に戦争があったのはわかるし、事実だとも解かる。
でも、その感情を後世に伝えるのは毒を吹き込むのと同じことだ。
悪い噂話がすぐに蔓延するように、悪感情は伝染しやすい。
昔、仲良くなった友人のことを、近所の人が悪し様に噂していたことがあった。
その噂を鵜呑みにして私の他の友人が彼から離れていった。
私も噂に戸惑い悩んだ時に祖母が言った。
狭い心では平穏は語れない。
だから、お前は広い心で真実を見なさいと。
誰かの言葉ではなく、自分自身の鏡に映しなさいと。
あの頃には解からなかったが、今なら解かる気がした。
「実際に里から出て世界を見たなら、そんな考えは消えるんだがな。
闇の影に入って一番に見せ付けられるのが、
俺達が考えるほど、イルドゥクは俺達を気にしちゃいないってことだ。
気にしているのは俺達だけさ。」
肩を軽く持ち上げて平気な顔で言うフィオンさんの顔が、
なんだか無表情な人形に見えた。
その表情に思わず首を傾げるが、言っていることは普通の事だ。
共存する未来を見つけるために、広い心を持とうってことだよね。
それを知っているからこそ、そのレグドールの人たちはゼノさんに協力したのだろう。
それはともかく、えーと、今は目の前に集中しませんか。
白い糸の塊がうっそうと天井を覆ってます。
天井の壁付近には大きな丸い繭玉のようなもの。
そして、白い糸の膜のようなものが何層にも渡って天井を白く光らせていた。
その間から垣間見える、アレな存在。そう、毒蜘蛛です。
4つの黒光りする目に、大きなクワガタのような牙。
黒と白と黄色の3色の6本の長い手足。
頭と胴体はほぼ円形のボールのような形です。
体部分の描写だけみれば、なあんだって思われるかもしれませんが、
問題は大きさです。
あれ、物凄く大きいです。
人間の5歳児くらいは平気でぺろりといけそうですよ。
「あいつ等は獲物に毒をさして、仮死状態にして自分の巣に引っ張りあげる。
そして生かしたまま、何ヶ月も掛けてその血や肉を溶かしてすするんだ。
なかなかグルメでな。 死肉は食べん。」
「コナーがあの中にいるってことはない……よね。」
聞いてはいけないことを聞いたように、恐る恐るトアルさんが上を指差します。
「違うな。 断言は出来ないがコナーが居なくなってからおおよそ2ヶ月未満だ。
もし毒蜘蛛に捕まったなら、まだ2ヶ月、それなりに大きな繭玉だ。
あれを見る限り最後の獲物は半年ほど前だな。 かなり小さくなっている。」
ゼノさんは、顎を摩りながら毒蜘蛛の繭玉薀蓄をご披露してます。
とりあえず、コナーさんはここでご飯にはならなかったようです。
ちょっとだけ安心しました。
「どのくらいの期間で人一人を食べ終わるんですか?」
「約一年だな。体の大きな固体は、保存しながら最後は卵を産み付けるんだ。
親と子供で、骨も残さず喰らい尽くす。」
へえっ、無駄がないエコ先駆者です。
て、そんな情報を与えられても全然安心できませんよ。
それに首元にちくっていかれたら蜘蛛のご飯まっしぐらですよ。
某CMのように猫なら可愛いけれど、
蜘蛛まっしぐらでは恐怖にしかならない。
恐る恐る真上に顔をあげると、居ましたよ。
ひょえーって叫びたくなるような大きな蜘蛛。
それも大量にです。
4つの目が松明の光りに反射するようにゆらゆらと光ってます。
あ、そういえば、私の目のちかちかはまだ治まってません。
目の前が粒子が飛ぶように光った粉が舞ってます。埃ですかね。
そして、蜘蛛達はチキチキと声を立ててます。
ここで役に立たない神様の守護者能力発動です。
つまり、蜘蛛の言葉、チキチキが意味をともなって聞こえるのですよ。
それも歌のように元気よくです。
「沢山、沢山、美味しそう。
あれも、これも、旨そう。
神様の守護者、食べる、駄目。
柔らかい、美味しそう、駄目、残念。」
いやあああ。
食べるって言ってますけど。
ご機嫌な鼻歌風なんですけど。
一匹の言葉が沢山の言葉に重ねて聞こえてきます。
これは、全員が輪唱ならぬ合唱をしているようです。
「「「「沢山、美味しそう、旨そう」」」」
声の深みに何匹居るんでしょうと問いたくなりました。
しかし、数えたくありませんよ。
なんとなく3分クッキングのCMソングが背後から聞こえてきそうです。
自身が食材の立場でなければ、楽しそうな歌ですねで終わったかもしれない。
そして、私は今、蜘蛛と視線がばっちりあってます。
目と目があったらミラクルー。
って以前に何処かできいた歌の歌詞がぐるぐると頭の中で回ります。
私の脅える視線を受けて、返される視線は捕食者の熱い視線です。
「あれ、駄目。
これ、いい。
どれ、迷う。
どれに、し、よ、う、か、な。」
つまり、私以外の皆がご飯候補ってことですね。
これは急いで移動しなければいけませんよ。
蜘蛛さんが迷っているうちに、さっさとこの部屋から抜けましょう。
「皆さん、早くここから出ましょう。
蜘蛛さんがお腹すかせていたら、ちくっが来て大変になります。」
レヴィ船長とカースの手をがしって握って、足早に先導します。
ゼノさんが眉を上げていたら、フィオンさんが楽しそうに言いました。
「小動物は察しがいいね。
ここの蜘蛛は火や灯りは苦手だけど、手を出さないって訳じゃない。
要は、松明を取り上げて消してしまえばいい。
それくらい蜘蛛だってわかっている。
ほら、部屋の天井近くに沢山の繭玉があるだろ。
あれは、そうやって捉えられた彼らのご飯だね。」
ひええええ。
フィオンさんの言葉に、全員が早足になって出口に殺到しました。
物騒なことを言ったフィオンさんだけが、のんびりしてます。
「は、早くこっちに、フィオンさん、なに悠然と歩いているんですか。
ご飯になっちゃいますよ。」
皆が追い抜いてしまって、必然的に一番最後になったフィオンさんを振り返り、
私は慌てて招くように宙を手でかいた。
「俺の着ている服は、この蜘蛛の糸で出来ているのさ。
それを奴らの嫌う染料で染めている。
そうすると、やつらは寄ってこない。」
な、なんと。フィオンさんは必殺防護服を持っていたんですね。
茶色の土の色に似た黄ばんだ普通の服だと思ってましたよ。
あれなら、万が一こぼしても汚れが目立たなくてよいとも。
その上に、隠れた素晴らしい性能ありですね。
なんて羨ましい。
出口付近と見られる場所には4段の下に降りる階段がありました。
でもその先は壁です。道がないですよ。
どこに出口があるのでしょうか。
ゼノさんは足元を探って、緑のタイルがはまっている場所を手で無造作に探し当てる。
それをぐいっと押すと、階段下の壁が右に少しだけ動いて5cmほどの隙間が出来る。
「レイモン、これを半分だけ空けろ。
いいな、半分だけだぞ。
全部開けると、底が抜けるからな。」
「お、おお。半分だな。」
レイモンさんがごくりと唾を飲み込み、その怪力で半分だけ扉を右にずらす。
「底が抜けるってこの部屋の底が抜けるってことですか?」
トアルさんが、ゼノさんに問いかける。
「ああ、部屋の扉を全開に開くと
底がぱかっと開いて毒蛇の巣にまっ逆様だ。」
毒蛇って、蜘蛛の続きは蛇ですか。
なんなんですか、この遺跡は昆虫爬虫類の王国なんですか。
レイモンさんが注意深く半分だけ空けた壁を、
皆が体を斜めにして無事に通り過ぎる。
その扉を抜けてほっとしたら、新たに入った部屋になんだか違和感を感じる。
なんでだろう。
よくわかんないけど、閉塞感というのかな。
なんにも無い茶色の壁、どこにもへこみがない普通な部屋です。
天井も床も壁もきれいに磨いたように歪みがない真四角です。
「ここは地図にあった小部屋ですね。
ああ、レイモンもトアルも壁には触らないように。
下手なところを触ると天井が落ちてきます。」
カースの言葉に、ほっとして壁にもたれかかろうとしたレイモンさんが、
何か変わったところが無いかと壁を触ろうとしていたトアルさんが、ぴたっと固まった。
「それから、部屋の端には行かないでください。
バランスが崩れると同じく床が抜けます。」
二人とも慌てて中央付近に駆け寄りました。
バランス?
なんのバランスなんだろう。
それはともかく、天井が落ちてきたら、間違いなく全員死んでしまうでしょう。
圧縮死って痛そうですね。それを防ぐ為に床板か開くんでしょうか。
「天井が床近くまで降りてきたら同時に床が開く仕掛けになってます。
実に見事です。 床を汚さない上に、毒蛇のエサというわけですね。」
カースは感心してますが、蛇のご飯の仕掛けに納得してどうするんですか。
そのご飯ってこの場合私達ですよ。
部屋の中央付近にゼノさん。
そして、奥の壁付近の床にエリオットさんが居て床の模様を手で確かめている。
壁には赤い朱色の鳥居のようなマークが描かれており、
その鳥居のマークの上に青い石、下に赤い石がはめ込まれてます。
ちなみにその石には漢字のような文字が一文字書いてあります。
赤の石には乙。青の石には甲。
これって意味があるんだっけ?
「エリオット、1,2,3の後、同時にその赤い石を押す。
いいな。タイミングを外すな。 外すと全員終わりだ。」
エリオットさんがしっかりと頷くのを確認してから、
全員の顔を見渡してゼノさんが真剣な顔で言う。
「俺の合図で一斉にエリオットの方の壁に向かって走れ。
時間にしてきっかり1分程、エリオットの側の壁が奥にずれる。
ずれた壁の左右の隙間が道だ。
手筈どおりに二手に別れる。
エリオット、フィオン、トアル、レイモンは右の道へ。
カミーユ、レヴィウス、カース、メイちゃん、俺は左の道へ。」
全員が深く頷く。
「カース、メイの荷物をもて。
メイ、俺の手を絶対に離すな。」
レヴィ船長の指示で荷物をカースに渡して、
レヴィ船長の差し出された手をギュッと握りました。
「レヴィウス、カース、ゼノ総長、カミーユさん、メイちゃん。
それじゃあ、またね。」
「お前らなら大丈夫だと思うが、お互いに気をつけようや。」
トアルさんとレイモンさんが皆の顔を見渡して挨拶をしました。
「ああ、無事に生きて全員で戻るぞ。」
レヴィ船長が真剣な顔でレイモンさんとトアルさんに向き直る。
その場にいるフィオンさん以外の全員がしっかりと頷いてお互いの顔を見た。
フィオンさんは、すっと私の側に寄ってきて、
私の耳元でぼそっと呟いた。
「メイちゃん、こっちを早めに終わらして会いに行くよ。
少しの間寂しいと思うけど、待っていてくれよ。」
いや、寂しくないですが。
むしろ蚊人間から離れられて安心してます。
背後から忍び寄る変態とは距離をおきたいですからね。
レヴィ船長がまた怒っても嫌だし。
「えーっと、フィオンさんもお元気で。」
一応、お別れの挨拶はしっかりとです。
王城でマーサさんに躾られましたからね。
膝を軽く折って、ちょっと頭を下げます。
挨拶は大切です。
「そんな永遠の別れのような言葉はいらないよ。
護衛の仕事もあるからね、必ずいくよ。」
へらっと笑ってますが、先ほどからのこの遺跡の罠を知っていて
このセリフが出てくるのでしょうか。
「くおら、フィオン。 案内人の仕事をさぼるつもりか。
しっかりそっちの作業を済ませろ。
そうしないと、メイちゃんに会わせてやらん。」
はい?
ゼノさん、私を仕事の引き合いに出さないでください。
「はいはい。 解かってますよ、もちろん。」
カースがフィオンさんの手を私の頭の上から叩き落し、
同時にレヴィ船長がぐいっと手を引っ張ってフィオンさんから
私を引き離しました。
そしてあっという間に、レヴィ船長の胸の中に抱きしめられました。
左手は私の腰をぐいっと引きつけ、右手は私の頭を胸に押し当てる。
突然の行動に私の低い鼻が潰れました。
鼻を押さえて涙目になっていると、レヴィ船長の硬い声がはっきりと聞こえた。
「メイは渡さない。」
その言葉に出てきた涙もあっという間に引っ込みました。
レヴィ船長からこのような言葉が聞けるなんて、嬉しくて顔が思わず緩みます。
「今はいいさ。 俺は案内人だからね。」
フィオンさんのおどけたような声が聞こえました。
私の顔はレヴィ船長の胸に押し付けられてますので、
二人の顔が見えませんが、なにやら喧嘩腰というか、ぴりぴりしてますよ。
レヴィ船長、もしかして別れの挨拶も駄目なんでしょうか。
うーん。どこまでが許容範囲かわかりませんね。
フィオンさんはレヴィ船長に相当嫌われたのですね。
悪い人ではないとは思いますが、蚊属性の変態さんですからね。
レヴィ船長に抱きしめられたまま、その暖かい胸を堪能して、
じっと取り留めのないことを考えていると、ゼノさんの声が響きました。
「おいお前ら、いい加減にしろ、この部屋に長居は出来ん。
部屋の床板は長時間の重みに耐えるようには出来てないからな。
別れの挨拶も程ほどにしとけ。いいか、行くぞ。」
1,2,3と号令が鳴り響き、ゴウンっと大きな音がして、
正面の壁がずずずっと後ろにずれました。
「走れ!」
レヴィ船長に掴まれたまま、左の道に入りました。
後ろを振りかえって見たら、上の天井がずずずっと落ちてきてました。




