闇の影というもの。
メイが寝ている間の出来事です。
パチパチと火が爆ぜる音がして、頭上でかすかに揺れる木々の囁きと、
小さな虫の声がチキチキとどこかで鳴いていた。
夜も深けて、明らかに混乱した顔のメイはさっさと眠ってしまった。
随分と疲れたのだろう。
赤くなったり青くなったりと目まぐるしく変わるメイの百面相に、
誰も何もいえなかった。
ゼノですら、メイを生暖かく見守るような目で見ただけで、沈黙した。
レヴィウスに向けて、ゼノが親指をぐっと立てたのをみて、
カースはじろっとゼノを睨み、
トアル達は、かろうじて困ったように眉を顰めるにとどめた。
ゼノの軽口もなく、静かな夜。
トアルもレイモンも、見張り番があるので早々と寝入る。
起きているのは、レヴィウスとカース、そしてフィオン。
木に寄り掛かって寝ているようだが、多分ゼノも起きているだろう。
レヴィウスは、傍らに眠るメイの顔を愛しく見つめていた。
メイの顔に、はらりと横切る髪の一房を、
ゆっくりと起こさないように耳元まで移動させる。
メイの口元で手が止まり、その寝息の暖かさを確かめるように、
触れるか触れないかの距離で指を迷わせる。
その手つきは慎重で細やかな柔らかさが際立つ。
メイを挟んだ反対側にはカースが勿論座っており、
メイの黒髪を撫でたり、肩を摩ったりとしながら、
毛布の横から出ているメイの手をそっと握っていた。
時折寝返りをうつメイの毛布を肩に掛けなおしたりと、
実に甲斐甲斐しくメイの世話をしている。
お互いの動きを牽制するでもなく、
二人ともが思い思いにメイを守るように触れていた。
そんな二人のメイを見つめる視線は、穏やかで優しい。
「ふうん、二人とも、随分彼女が大事なんだな。」
焚き火の反対側に座って物珍しそうに見ているのは、案内人のフィオン。
彼は、随分と面白そうな顔で彼ら三人を順番に見渡して言った。
フィオンに声を掛けられ、途端に不機嫌になったレヴィウスが、
髪をかきあげながら、目を細めて向き直った。
「観察は終わったのか。」
「ああ、やっぱり気がついてた?
まだ十分ではないけど、今の時点ではこんなものかな。」
フィオンの言葉で、カースが眉を顰める。
「やはり、メイを試していたんですね。
それで、何か出てきましたか?」
フィオンは苦笑しながら、首を振った。
「いいや、全く解からないままだよ。
知れば知るほど、謎が深まる存在だよ、彼女は。
反応は、確かに面白いし飽きないし、側にいても不思議に居心地がいい。
だが、彼女からは警報のようなものが常に鳴り響いている感じなんだよ。」
笑いながらじっとメイの寝ている様子に目を向ける。
「警報ですか? それならば近づかないで居てくださってかまいませんよ。」
カースはフィオンの視線を遮るようにして、
手を大きく扇ぐように動かす。
そんなカースの冷たい対応に、フィオンはくくくっと笑う。
実に楽しそうだ。
「全てにおいて厄介だね、まったく。
だけど、そこが面白いし気になるんだよ、仕方ないね。」
レヴィウスの反応は冷静に見える。
「それが結論か。」
フィオンはにっこりと笑って、牽制をするようにレヴィウスに向き直った。
「俺個人の見解だけならね。
誰も知らない毒の解毒方法を知っていて、古代文字が読める貴重な存在。
でも、それだけの子ではないということだな。
なにしろ、王城の爺さんから、直々に彼女の護衛も任されたからね。
なにかしらあるかなと思ったので、ちょっと実際にあたってみたんだ。」
その言葉に、ゼノもレヴィウス、カースも目を見開いて驚いていた。
「護衛だと?案内だけでなく。
あいつら一体何を勝手なことをしてんだよ。」
木の根に寄り掛かって目を瞑っていたゼノが、険しい顔で毛布を跳ね除けた。
そして、ぶつぶつと恨み言のような文句を言いながら、焚き火の側まで寄った。
「俺の作戦遂行中に茶々を入れる気か、あの爺。」
ゼノは、足元に積まれていた枯木の枝を、ぼきりと折りながら、
手荒に焚き火の中に放り込む。そして、フィオンをぎろっと睨んだ。
「唯の一市民に闇の影を護衛につけるなんて、普通ありえない。
何処かの貴族だとかなんらかの背後があるかもと疑うのは当然だ。
もしそうなら、別の疑惑も上がる。
契約を考え直さないといけない。」
「おいおい、メイちゃんの背後には俺の息子と俺くらいだ。
変な疑いを掛けんな。 仕事に支障がでるだろ。」
フィオンはにこやかに笑うように口角を上げてゼノに返す。
「そうですね。我々の情報網を駆使しても彼女には何も出てこなかった。
これが何処かの諜報員ならば、見事と言わんばかりに。
それゆえに、疑わしいと。
ゼノ総長、王城の方々も同じように思ったのでは?」
カースは眉を寄せてフィオンとゼノを睨む。
「メイを監視する為の護衛ですか?」
「いや、違う。
監視するだけなら、この旅の同行を許可しなければいい。
王城が知りたいのは、彼女の利用価値ですよ。
こちらとしても同じことを求めているので、護衛話を受けたに過ぎない。」
フィオンの目はゼノを真っ直ぐに見て、言い放った。
ゼノはふうっとため息をついて、フィオンに説明を始めた。
「いいか、世の中には、運の良い人間と悪い人間がいる。
だが、絶対的天運というのを持つ人間は確かに存在するらしい。
ポルク爺さん曰く、メイがそれだということだ。
だが、俺の勘が告げている。 彼女は普通の人間だ。
怪我もするし、泣いて笑う、どこにでもいる子だ。」
真剣な顔でメイを擁護するゼノに、フィオンはちょっと笑って答えた。
「そうですね。 一見、彼女は普通の子です。
面白いくらいに緊張感のない世間知らずの甘い子供だ。
だが、奇妙な違和感がどうしても拭えない。
俺には彼女が違って見える。
ゼノ総長ほどではないにしても、俺も勘は鋭いほうなんですよ。
その俺の勘が、彼女は俺達には、
いや、俺には欠かせない人間だと告げているんですよ。」
フィオンがメイに向けて視線を動かすと、カースがそれを遮るようにして、
毛布をメイの上に掛けて隠す。
「あん? フィオン、お前、それって……。
あー、俺が思うに、それって違う感情が元なんじゃねえの?
自分が気がついていないだけで……。」
ゼノが米神をかきながら言いにくそうに呟くと、カースがにこやかに、
且つ鋭く、ゼノの言葉を遮った。
「そんな勘は貴方の気のせいです。盛大な勘違いですね。
そんな考えは、メイにとっても迷惑でしかありません。
さっさと気を取り直して、唯の案内人としての職務を真っ当したらいいでしょう。」
フィオンは肩を軽くすくめて、目線を焚き火に向きなおした。
「まあ、いろいろ俺達にも事情があるんですよ。
とりあえずそこは、前金も受け取ったし引き受けたので安心して良いですよ。
任務中には、基本、彼女には手も出しません。」
レヴィウスの緑の目がすうっと細められ鋭くフィオンを見据える。
「事情とは?」
レヴィウスの鋭い視線から少しだけ視線を逸らしながら、
フィオンは軽く肩をすくめる。
「取引の内容について話せと言うことかい?
無理な注文だね。」
カースがレヴィウスの言葉の後を引き継ぐ。
「我々が知りたいのは、闇の影である貴方が、何故、
レグドールの祭りの邪魔をしようとしている我々の
手助けをするのかということです。」
カースのずばっとした切り口の口上に、
ゼノの口から思わず口笛がでる。
「利害が一致したからとしか言い様がないね。
俺達闇の影は、今回の祭りの嗜好は断固として潰したい。
なぜなら、この祭りが行われたなら、俺達の存在そのものが危うくなるからだ。」
フィオンは赤金の瞳をぐっと持ち上げて、カースやレヴィウス達を見返した。
ゼノがめったに見たことのない、フィオンの怖いほどに真剣な顔。
「しかし、祭りにより国土を回復すると彼らは言っているのでしょう。
それは、レグドールの悲願ではないのですか?」
「ああ、そのとおりだ。
しかし、その為に奴隷とは言え、多くの人間を生贄として殺せば、
レグドールに対して正面から恐怖と疑惑を民衆に植えつけることになる。
奇妙な力で持って真正面から国に対抗したとしても、それは結果的に部族どころか、
闇の影自体も世界中から敵対視される様相を生むだろう。
そうなれば、俺達一族に生きる場所などどこにも無くなる。
それが解かっているのに止めないのは、論外だ。」
レヴィウスは、フィオンを見据えたまま、端的に問いかける。
「お前が、闇の影の首領なのか。」
ゼノやカースが、その問いに驚愕する。
「ああ、今はそう呼ばれている。」
だが、フィオンはその二人の視線にも感知せず、
レヴィウスに平然と事実を述べる。
それに口調もどこと無く、先程までの気軽さが消えた。
今まで闇の影の頭領は誰もわからなかった。
どんなに調べても誰を責めても何も出ないのは、
闇の影という組織ゆえだったのだろう。
そこまで直隠ししてきた秘密をあっさりと暴露する、
フィオンの心情がわからない。
だが、レヴィウスは先に確認することがあった。
「闇の影が二つに割れているのは、事実なのか。」
フィオンはそれに対しても素直に頷く。
「ああ、正確には闇の影の三分の一ほどが、俺に離反した。」
「全体の数はわからんが、三分の一とは穏やかじゃねえな。」
ゼノの言葉に、軽く肩をあげただけで応える。
「離反者と里の住人全員が祭りを支持しているのですか?
祭りに反対するものは誰一人里には居ないのでしょうか。」
カースの言葉に、フィオンは小さくため息をついた。
「里にやっかいな女がいる。
あれに、里の人間や闇の影の一部が薬で洗脳された。
彼らはまともな常識はもはや持ち合わせていないだろう。」
それに対して、ゼノがくわっと大きく口を開いて抗議した。
「おい、フィオン、お前、俺にそんなこと一言も言ってなかっただろうが。 」
そんなゼノを捨て置いて、カースは考え込みながら話を進める。
「薬で洗脳ですか。アトス教の一件と類似してますね。」
ゼノはその一言で米神に指をあてて、一瞬考え込む。
「うん? アトス教?
あ、もしかして、王城の王妃毒殺実行犯の一件に関わりがあるのか。」
ひらめいたとばかりに手を打つゼノに、フィオンは苦笑する。
「相変わらず、野生の勘はよく働く。
その通り。
あの男はもともと、里の動向が怪しいとの報告があったので、
里のあの女を探る為につけていた密偵。
それが、あの女に洗脳され、闇の影の組織が隣国についたように
見せかけるために、わざと毒殺騒ぎを起こした。
成功しても失敗してもよかったということだろう。
邪魔な鼠を片付けて、
序に国の注意を闇の影という組織と隣国に向けるのが目的の示唆。
我々の動きを封じたかったということだろう。 」
「ふん。 暗殺犯が生き返ったのが誤算だったってことか。」
「生き返ったことで洗脳が溶けた奴の証言で、
俺達に対する直接の疑いは晴れたが、里がきな臭いと思うのは当然だ。
王城からの条件の一つとして、奴の身柄を交換条件に案内役を引き受けた。」
「……闇の影がたった一人のために、里を売るのか?」
ゼノの言葉に、フィオンが髪を軽くかきあげながら、
胡坐を組んでいた足を組み合える。
「これは里を守る為に必要なことで、闇の影の総意でもある。
里を、一族を売ったわけではない。」
フィオンの真っ直ぐに見据える目は、厳しくゼノを見つめていた。
赤金の目に怒りの感情が見え隠れする。
その目の鋭さに、ゼノが返答に躊躇する。
「その男を助けたから、メイの警護を引き受けたのか。」
レヴィウスの言葉に、フィオンの目から怒りの感情が消えた。
「ああ、そうだ。
奴は、俺のたった一人の弟だ。
助けてくれた彼女には個人的に感謝している。
俺自身が警護を引き受けた半分の理由はそうだ。」
「半分なのか?」
ゼノの言葉に、フィオンがちょっと肩をすくめる。
「あとは、俺の勘だ。」
それ以上はフィオンは話さない。
ゼノは、はあっと疲れたように大げさなため息をついた。
「まあ、いいさ。俺の作戦の邪魔だけはするなよ。」
レヴィウスは、そんなゼノを横目にフィオンに質問を続けていた。
「あの女とは誰のことだ。」
ごまかしは許さないとばかりに、真っ直ぐに緑の目がフィオンを捉える。
「……長の孫娘、アニエスだ。」
言葉少なく問い詰めるレヴィウスに隠し事は出来ないと悟ったのか、
フィオンは一呼吸ついた後、諦めたように話した。
声の口調が微妙に重く低くなる。
じっと黙って聞いていたカースが、口元に手をあてて、
考えを纏めるように口を開いた。
「一体、その女は何がしたいのでしょう。
私には支離滅裂な行動に見えるのですが。
態々、王城で騒ぎを起こすなど、里に注意を向ける羽目になると
わかっているはずです。 それに薬や奴隷についてもです。
アトス信教の裁判で国自体が薬や奴隷という存在に注目している中です。
儀式に邪魔が入るのは当然でしょう。
そんな状態で、国土回復などできようはずも無い。
その女の本当の目的はナンなのでしょうね。」
「……俺もそれが知りたい。」
フィオンがぼそりと答えた。
それが自分達に同行した理由なのだろう。
訳のわからない面倒な状況で全員が肩を深く落とした。
突然訪れた沈黙に焚き火の音が、奇妙に耳に残る。
「うぅん。 待って、オレンジ……。」
メイの寝言がはっきりと聞こえた。
全員の目がメイを見ると、メイは寝返りを打って毛布から体が半分出ていた。
実に安穏としたのんきな寝顔だ。
メイの頭の上には髪の毛に埋もれるようにして、子猿が大人しく寝ていた。
その顔は実に平和そうで、メイの顔との相乗効果で緊張感がふっと消えた。
「平和なのは、メイちゃんと猿の夢の中だけってことか。」
ゼノの言葉にレヴィウスもカースも、もちろんフィオンも、
その目に暖かな柔らかい光りを燈した。
そして、ふうっと安堵のため息が誰からとも無く聞こえてきた。
全員がしばらく、なにかに引き付けられるようにように、
ただじっとメイの寝顔を見つめていた。




