怒らないでください。
ぱちぱちと薪が小さく爆ぜる音がする。
食事を無事終えた後、全員が焚き火を囲むようにして座っていた。
ゼノさんとカミーユさんとエリオットさんは、フィオンさんと共に、
地図を広げてなにやらごそごそとしていた。
その横で、レヴィ船長とカースはトアルさん、レイモンさんに
本を広げてなにやら遺跡の説明をしていた。
なんだか、私だけぽつんと仲間はずれです。
確かに難しいことを言われても私はさっぱりなんですが、
ちょっとだけ寂しいです。
竈の残り火で明日の食事の用意と後片付けを済ましたら、
手持ち無沙汰になってしまいました。
お猿を見たら、毛づくろいをしてました。
小さな手で、細やかな作業。うーん、なかなかやりますね。
私もお猿に負けないように、荷物の中から布のお花製作の続きを始めました。
一針ずつ丁寧に、ちくちくと縫っていくと、段々と気分が落ち着いてくる。
ミリアさんが幸せになりますようにって願いを込めながら造るのは、
心がほこほこするようで、暖かい気分になる。
「おい、神様の守護者、これ匂い無いやい。あやしい偽者だ」
お猿の言葉で我に返るまで、多分一心不乱に縫っていたのだろう。
はっと気がつくと、花束風のコサージュにする予定のお花達がお猿の頭に飾られていた。
くりくりの目につぶらな頭とそれよりも大きなピンクと白のお花。
あら、意外にお猿似合いますね。
「そうだよ。本物のお花じゃないけど、可愛いでしょ」
そうだよ。ちっとも怪しくないはずだよ。
猿の頭に手を伸ばして、お花を頭から取り上げる。
お猿は半分瞼を閉じて、ちょっと残念そうな顔をしていた。
なで肩なお猿の肩がいつもよりもっと下がっているような気がした。
ので、聞いてみた。
「お猿、お花欲しいの?」
「へん。おいらはちっとも欲しいだよい」
は?それは、どっちの意味?
首をかしげていると、お猿はぷいっと横を向いたまま、
片手を差し出してきた。
「神様の守護者、おいらによしでよい」
うーん。これは、欲しいと言う事でいいのでしょう。
(メイ、素直じゃない猿にはあげなくていいわよ)
うん?この声は……
ちょっとだけ首を捻って私の左肩を見れば、ミニ照がそこにいた。
おお、照、目が覚めたの。
もう調子はいいの?ずっと起きていられる?
(ええ、大分調子はいいわ。多分、あと2,3日眠れば安定すると思うの)
そうっかあ、照に会えて本当に嬉しいよ。
2,3日かあ、これまでに眠るといった期間で一番長い物は三ヶ月以上掛かった。
それに比べたら今回のは随分と短い。
照には一杯話したいことがあるんだよ。
はやく元気になってよね。
「やい、神様の守護者とそこのちび、おいらを忘れるなやい」
あ。
(猿の癖に、私をちびと呼んだわね。どうなるか解かってるんでしょうね)
照の髪が怪しげにゆらりと揺れた。
えーと、照さん。
お猿が地雷を踏んだのはよくわかります。
ですが、子供相手に大人気ないですよ。
たださえ今は、ミニ照バージョンなので仕方ないでしょう。
「お猿、とりあえず落ち着こう」
照も落ち着いてください。
(大体、メイ、何だってこんな猿を連れて歩いているのよ)
えーと、それには深い深ーい訳があるのですよ。
加害者と被害者という深ーい谷底があるんです。
「へん。
おいらは神様の守護者に頼りにされてるよし、だから頼みよい」
(結構よ。メイには私がついているから、猿なんて必要ないわ)
「ちびは後ろでおとなしよし、おいらが任されるやい」
おお、男気という奴ですね。
お猿かっこいいですよ。
(猿の癖に、何を言っているのかしら。私が、メイを守るのよ。
貴方は引っ込んでなさい。大体、半属性の癖に何を偉そうに)
照、ちょっと待って、照。
(何よ!)
今の照の言葉は、お猿に失礼だよ。
お猿は、照も一緒に守ってあげるって言ってんだよ。
(守れないでしょう、たかが猿なんだから)
「ちびは黙っているよし」
「お猿、うん、ちょっとだけ黙っていてくれるかな」
違うよ、照。
そうじゃないんだよ、照。
(何よ、私よりあんな猿を採るって言うの、メイ)
違う、照、自分で言った言葉をちゃんと理解している?
(私が言った言葉?)
以前に照は言ったよね。
自分が仲間のセイレーンから、味噌っかすって言われてたって。
いつまでも成長出来ない子供だって、苛められていたって。
(……そうね)
自分がその言葉を言われたとき、どのくらい傷ついたか覚えている?
(……ええ、覚えてる)
先ほどの照のお猿に対する言葉は、他のセイレーンが言った言葉と同じだよ。
お願い、照。
照には覚えていて欲しいの。
(覚える? 何を?)
傷つけられたのなら、誰かを傷つけても良いと思わないで。
心の傷は見えないけれど、痛みは確かに残り深く永く残るの。
(そんなのもちろん、知っているわ)
私は、照には誰かを傷つける言葉を使って欲しくない。
照を傷つけた他のセイレーン達と同じになって欲しくない。
(……私が、あいつらと同じ?)
ねえ、もう一度お猿の言った言葉の意味をきちんと考えてみて。
そして、照が返した言葉の意味も。
(……言葉の意味?)
誰かを守りたいという大事な心。
小さな力かもしれない、でも強く優しい気持ち。
小さかった照の心をちゃんと覚えている、今の照には解かるはず。
大事にして欲しいの。
お願い、照、忘れて欲しくない。
(……考えてみる。またね、メイ)
うん、またね、照。
照の姿がふっと肩から消える。
それと同時に腕輪にふっと照が入ったのがわかった。
照を守ってあげる言葉をいえなくてごめんね。
照は私と一緒にいてくれるって信じているからの甘えかもしれない。
でも、私はどうしても照に解かって欲しいの。
私は、服の上からそっと腕輪を抱きしめるように手を置いた。
立派なことが言いたいんじゃない。
誰のことも大事にしろなんていわない。
だけど、照の心が歪むのは嫌なんだ。
自分でも解かってる。これは唯の私のわがままだよ。
大事なものを守る心を、誰かを傷つける心に変えて欲しくない。
ごめんね、照。
「神様の守護者、怒ったか? おいら駄目だったか?」
お猿が、首をかしげて聞いてきた。
「ううん。怒ってないよ。
そうだ、お猿にはオレンジのお花を作ってあげるね」
確か、裁縫箱にはオレンジ色の花びらの布がまだ沢山入っていたはず。
「へへん。おいらも、神様の守護者はオレンジ好きやい」
お猿の目はキラキラと輝いている。
さっきの照との喧嘩は、もう覚えていないのかもしれない。
まあ、いいか。
お猿の前に手を伸ばし、指で頭を軽く撫でようとしたら、お猿に手のひらをとられた。
そして、握手するように手のひらを上に向かされた。
そっか、うん、そうだよね、仲直りはやっぱり握手だよね。
だけど私の手のひらに乗せられたのはお猿の手ではなく、
小さなオレンジ色の石。
「これは?」
お猿は頭をかきながら、真っ直ぐに見返してきた。
「おいら、神様の守護者に渡すよし」
直系2cmくらいの透き通った綺麗なオレンジ色の石。
石をつまんで透かして見ると、中には小さな虫がいた。
へえ、これ、以前にお母さんの宝石箱で見たことがある。
確か琥珀っていうんだったよね。
樹液が石化して出来たものだっけ。
綺麗だなあ。
焚き火の光りがキラキラ、琥珀の中で波打っている。
うん、本当に綺麗。
森の中にこんなものがあちこちに落ちているのでしょうか。
でも、まあ、くれるものは貰う主義です。
怪しくない人からの限定ですが、お猿からだから大丈夫でしょう。
これがお花との物々交換というものでしょうか。
素晴らしいですね。
琥珀に負けないように、綺麗なお花を造りたいと思います。
「ありがとう、お猿」
うん、大切にするよ。
お猿は、私の手のひらから腕を通って頭の上に登った。
「おう、任せとよい」
そして私の髪を掴んでせっせと毛づくろいし始めた。
え?
任せとけって毛づくろいですか。
猿が、毛づくろいしながら、私の頭の上で小刻みにリズムをとって揺れているのが、振動で感じられる。
お猿は随分ご機嫌良いみたいだ。
頭の上で、フンフンと一本一本指で髪を梳いてくれている。
はあ、まあ、実際に守って欲しいわけじゃないけど、
照との喧嘩が一体なんだったのかと、なんとなく肩がストンと落ちた気がした。
気がつけば、私は、可笑しくなって笑ってた。
オレンジの石をポケットに入れて、また針を持ち上げてお花を作り始める。
ふふん、ふんふん、たらったら。
猿の揺れるリズムに合わせて鼻歌を歌いながら、実に調子よく運針を進めていた。
「猿との喧嘩は仲直りした?」
私の右の耳元で、ぼそりと小さく呟かれた。
「ひゃ?!あ、痛!」
私は、びっくりして声が裏返ってしまった。
勿論、そんな真似をするのは、フィオンさんです。
「ごめんね。でも、そこまでびっくりされると驚かせがいがあるよね」
いや、それ微妙に謝ってないよね。
心臓がばくばくと音を立ててます。
驚きすぎて針でひとさし指を刺してしまいましたよ。
それも、爪と指の間です。
微妙な場所でじんじんと痛んで涙が出てきましたよ。
「フィオンさん、驚かせないでください。
指刺しちゃったじゃないですか」
爪の間から血が出て、ぷうっと赤い血が丸い玉を作りました。
「ああ、本当だ、痛いねそれは」
もちろん痛いですよ。
言い返そうと睨んだんです。勿論フィオンさんに。
フィオンさんは、困ったような申し訳なさそうな顔をして、
私の指をぱくっと口に入れました。
そして、私の指を生暖かい舌がべろりと舐めました。
背中を、ぞぞぞっと何かが走ったような気がします。
これは、まぎれもなく悪寒ですね。
親切でしてくれていることかもしれませんが、傷口が広がるサインかもしれません。
もしくは、口の中のバクテリアが傷口で大量発生している危険信号かも。
誰かに傷口を舐められるなんて、子供の頃以来ですよ。
フィオンさんの脳裏には私は子供に映っているのかもしれません。
はあ。
大きなため息をつきました。
「フィオンさん、お母さんではないんですから、舐めなくていいです。
血なんてすぐ止まりますから」
そうしたら、フィオンさんはちらっと私の顔を見たかと思うと、
途端に私の指の血をちゅうっと吸い始めました。
「ちょっと、フィオンさん、貧血になりますから止めてください。
それに、血は飲むとお腹壊しますよ」
慌ててフィオンさんの頭をばしばしと叩いて止めてもらいました。
ふうふうっと息を切らせながら、やっとのことで指を取り返すと、
私の人差し指は真っ白になって微妙にふやけてました。
「酷いな、責任を感じたから手当てしたのに」
フィオンさんは、肩をすくめながら笑ってます。
「手当てと言い繕って血をすうなんて、フィオンさんは実は蚊ですか」
ふやふやになって白くなった指は、なんだか哀れにみすぼらしい。
へにょんと眉を下げたまま、指を見ていた。
「蚊って、それはないだろ。
普通の女なら、ドキっとかするところだと思うけど」
は?
血を吸われてフヌフニ老婆のような指に何をドキドキしろというのでしょうか。
「吸血行為にドキドキする人は、変態だと思います」
はあ、と大きくため息をついた。
そうしたら、その手をぐいっと引かれて、フィオンさんが私の口に噛み付いてきた。
正確にはぶつかったと表現したほうがいい。
私の歯が、フィオンさんの唇にあたって、切れて血が出た。
「うーん。自分の血は甘くないね。 君のはびっくりするほど甘かったのに」
多分、血液型が違うのだと思います。
私が、ぶつかって痛む歯を押さえて涙目になっていると、フィオンさんが謝ってきた。
「ゴメンネ。 でも、君にしたのは謝りたくないな」
いきなりぶつかってきたくせに謝りたくないとは、喧嘩を売ってますね。
だけど、フィオンさんの目は私の顔を見てませんよ。
私の頭上を見てます。
頭上?
振り返ったら、眉を寄せてなんだか怒っているレヴィ船長が立ってました。
「必要以上に、メイに触れるな」
私の背後から、レヴィ船長の声がしました。
そして、ぐいっと腕を引っ張られて立ち上がると、
レヴィ船長の胸にぐいっと引き寄せられました。
そのまま、レヴィ船長とフィオンさんは、じっと睨めっこをしてます。
しかし、なんだか二人とも真剣な顔でにらみ合ってますよ。
睨めっこという感じではないのです。
どちらかというと、がまの油のかえると鏡のごとくに、にらみ合ってます。
どちらが勝つか実況中継したいところですが、
今は、掴まれている腕がちょっと痛いです。
レヴィ船長はいつも痛く掴むなんてしないのに、どうしちゃったんだろうか。
困惑のまま見上げると、レヴィ船長の怒った顔が私をぎっと睨みつけました。
ええ?どうして?
レヴィ船長、なんで、どうして怒ってるの?
私の頭のなかでレヴィ船長の怒った顔が、張り付いて離れません。
なんで怒っているのかさっぱり解かりません。
ですが、痛む腕に怒った顔、レヴィ船長は私にも怒っているようだ。
もしかして、もしかしなくても、私、レヴィ船長に嫌われたんでしょうか。
背中から、冷たい汗が全身にすうっと流れていきます。
レヴィ船長は怒ったまま、私をぐいぐいと引っ張って、
獣道の先の道に連れて行かれました。
ある程度ずんずんと歩いた場所に、木々が少しだけまばらになっていて、
月の光が薄っすらと出ている場所がありました。
レヴィ船長の足はピタッと止まり、くるりと私の方を向きました。
丁度、月の光りで逆光になったレヴィ船長の顔は余りきちんと見えません。
ですが、先程までの怒った顔が脳裏から離れません。
レヴィ船長に嫌われたかもしれない。
そう思ったら、心臓がきゅうっと締め付けてきて体が震えてきました。
怖かった。
自分が、レヴィ船長の特別な好きになれるなんて思ってない。
でも、嫌われたくない。
嫌われたくないんです。
「レ、レヴィ船長」
震える声で話しかけ、そっとレヴィ船長の顔を伺うけど、
逆光でどんな顔をしているかわからない。
私の問いかけにもレヴィ船長は声を返してくれない。
何時もなら、必ず、すぐに暖かな声が返ってくるのに。
「ご、御免なさい。 私」
怖くて、悲しくて、思わず謝った。
テノールのいつもなら聞きほれるレヴィ船長の声が、
怒ったままの硬く厳しい声なのに、もっと震えが来た。
「何故謝る、メイ」
何故?解からない。
震えるままで大きく首を振る。
「解からないのに、謝るのか」
「だって、……レヴィ船長、怒ってるから」
静かに響く声。
レヴィ船長が掴む腕は酷く握られたままだ。
「どうして、俺が怒るのか、お前はわからないのか?」
レヴィ船長の質問は私にはわからない。
だから、何度も首を左右に振った。
唸るように、低い声が上から落ちてくる。
びくっと私の体が痙攣した。
こんな声は私に向けられたことはない。初めてだ。
私、嫌われたんだ。レヴィ船長に。
私は、心臓が痛くて呼吸が出来なくて、
震える体を押さえられなくて、涙がぽろぽろと出た。
「御免なさい、御免なさい、レヴィ船長。
私、何をしたのかわからないけど、怒らないで。
お願い、嫌わないで。 嫌わないで、お願い」
レヴィ船長はまだ怒っているのだろう。
怖くて顔を下に向けた。
レヴィ船長は理不尽な怒り方をする人ではなかった。
ということは、私がなにか確実にしたのだ。
レヴィ船長に嫌われることを。
心臓が締め付ける。
体中が痛みに悲鳴をあげる。
嫌われた。
他の誰でもなくレヴィ船長に失望されたのだ。
足元がふらっと覚束なくなって、力が抜ける。
足元の暗い影に自分の体も入ってしまいそうになった。
重力に逆らうように腕をぐいっと持ち上げられ、
レヴィ船長の顔が唐突に近づいてきて、柔らかなものが唇に押し当てられた。
それがレヴィ船長の唇だと認識する前に、歯の間を割るように、
するっと何かが私の口内に侵入してきた。
それは、私の舌を絡めとるように口内で勢いよく暴れ、小さく水音を立てる。
耳の中に水音が響き、くらっと三半規管の感覚がぶれる。
歯の周りや舌の裏、何度も何度も暖かな柔らかいものが引っ張り吸い付いてくる。
口内の空気さえも、吸い取られて苦しくなる。
更に空気を取り込もうと大きく口を開くと、もっと強く唇を押し付けられた。
そして、先程までのものよりも、もっと激しくびりびりと刺激が走る。
レヴィ船長の大きな手が私の頭を抱え込むようにぐっと力が入る。
頭の先からつま先まで、体中に電流が通ったような刺激が駆け巡る。
顔の向きを何度も入れ替え、そのたびに強く激しく狂おしいほどに口付けが続いた。
「むうぅ………はぁうん……ん………はあぁん。」
鼻から何度も息が抜け、自分のものではないような声がでた。
レヴィ船長の腕が私の体にぎゅっと回されて、
今までに無いくらいに強く抱きしめられた。
私の体温は、かなり上昇している。
頭がぼうっとする。
息が苦しいせいかもしれない。
体中のほてりが、全ての感覚がレヴィ船長と密着している部分に集中する。
熱くて、苦しくて、
どうにかなってしまいそう。
頭の中も何も考えられなくなった。
ただレヴィ船長の唇が、抱きしめている体が、
私の全ての感覚を支配した。
そして、どのくらいの時間が経ったのだろう。
くちゅっと水音がして、レヴィ船長の唇がゆっくりと離れた。
月の光で銀に輝く糸が、つうっと唇の脇から伸びた。
逆光になってわからないが、もう怒っている様子はない。
レヴィ船長の手が優しく私の上気した頬に触れて撫でる。
私は、ぼうっとした情けない泣き顔のまま、レヴィ船長を見上げていた。
「メイ、俺がお前を嫌う? 出来るわけが無い。
俺は、お前を気が狂うほど愛しているのに」
とうとうレヴィウスが暴走しました。




