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箱をあけよう  作者: ひろりん
第5章:遺跡編
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閑話:カースの執着。

このお話はカース視点の話です。

話の始まりは船を降りる一週間前が起点となってます。

本筋とは時系列が違うので、混乱するかもしれませんが、

そこは閑話ということでご容赦ください。


本編を読む上で少しでも彩りを添えられればいいのですが。

楽しんで読んでいただけると嬉しいです。

夢を見る。


子供の頃から何度も見た夢。


母と妹。 大切な私の家族。

この二人が目の前で殺される。


あの時、子供だった体は大人に成長している。

だが、体は全く動かない。


そうして死んだ母が、あの時と同じように微笑んで最後の言葉を言う。


(よかった)


そのあと、小さな声が耳の中で反響する。


(貴方の代わりに死んだのです)



聞いた事のない冷たい母の声が、耳に囁きかける。

耳を塞ごうにも腕一本すら動かせない。


母が消え、殺された小さな妹がじっと見つめてくる。


(どうして助けてくれなかったの。お兄ちゃんだけ助かってずるい)


小さな妹に詰られる。

伸ばされる手は、血で赤く染まっていた。


抱きしめようにも体は動かず、妹は血の涙を流す。



妹の流す涙が地に落ちて地面を真っ黒な泥に変える。


足元がどんどんと汚泥に変わり、足先からずぶずぶと沈み始めた。


周りを見渡しても暗い闇が広がるだけ。


母の姿も妹の姿もそこにはなく、ただ冷たい泥の感触に飲み込まれていた。

頭が、体が気だるく、唯、億劫で仕方なかった。



何も考えたくない。

何もしたくない。



だんだん感覚が麻痺してきて、自分が誰なのかすらわからなくなりそうだった。



ふっと気がつけば、頭上に小さな星がちかちかと瞬く。

遠い所に見える灯台の火のように、小さく瞬いている。


なんだと見上げれば、星がどんどんと大きくなり、近づいてくる。


体にまとわりついていた冷たく重い泥が、ぼろぼろと体から剥がれ落ちる。

足元の汚泥が、ざらざらとした乾いた砂利に姿を変える。



星は光を増し、どんどん落ちてくる。

大きさは、丁度両手で抱えるくらい。

光は空中で停止し、目を開けていられないくらいに強く輝くと、

さわやかな風がふわっと光の周りから起こり、

周りに漂っていた闇と湿った空気が、さあっと風に浚われる様になくなった。



気がつけば、体が驚くほど滑らかに動く。

体が動くと共に、足が手が、全身が前へ走り始めた。


あの星をどうしても手に入れなければいけない。

それしか考えられなかった。


砂利を踏みしめながら、光の真下まで走っていく。

そして、両手を精一杯伸ばして、光へ手を差し出した。


真っ白な大きな暖かい光が、真っ直ぐに降りてきた。


両手でしっかりと抱えるようにして、輝く星を受け止める。

胸に抱きしめると、ふわっといいにおいがして、驚くほど暖かい。

その温もりは涙が出そうなほど、切なく愛しい。


私の星。

もう、絶対に手放さない。


カースは、今までに無い程の幸福感を胸に感じていた。





*********




カースが、目を覚ましたときに目に入ったのは、見覚えのあるいつもの天井。



目を覚まして暫くは、ただ、ぼうっとしていた。


何か大切な夢を見ていた気がした。


思い出そうとしても、覚えているような、覚えていないような覚束ない感覚が、

なんとも気持ち悪く落ち着かない。


だが、夢の内容なんて所詮夢に過ぎない。

何を気にすると言うのだろうか。

それよりも、起きてしなくてはならないことがあったような気がする。


何気ないことを考えながら記憶の整理をする。

ぼうっと靄が掛かっているような頭の霧が少しずつ晴れていく。



窓から差し込む光がだんだんと明るくなって、

薄く開いていた瞼の奥まで光が届く。


耳に入るのは船の揺れ軋む音と、

船の切っ先が波先を掴んでざざざっと小波が立つ音がしている。


寝ていても感じる、慣れた海の上の揺れの感覚。

そして、早番の船員達の交代の声が響き渡る。


「朝だぞー。交代だ。夜明けだぞー」


その声を聞いたら、寝ている船員達は目を覚ますのだ。



カースも体を起こして、歯を磨き顔を洗って髭をそる。

いささか長くなりすぎた髪を皮紐で一つに縛る。


着替えてから、ベッドサイドに置いてある母の形見のペンダントを持ち上げる。

色鮮やかな糸で作った美しい紐がするっと手から毀れる。


その綺麗な色彩の紐を見ると、メイの顔が浮かんできた。

その顔は、いつもカースに向けてくれる無邪気な笑顔。

別段美人というわけではないが、愛嬌のある笑顔が可愛いかもしれない顔だ。



その紐は色んな糸を組み合わせて作っているのは解るのだが、

驚くほど頑丈で、更にびっくりするほど美しい。

まるで南国の鳥の羽の様な極彩色な紐。 



メイが私の為だけに作ってくれた、手間が掛かったであろう特別な紐。

暖かく心地よい何かが体にじんっと染み渡ってくる。


カースは、気がつけば無意識にその紐をそっと撫でていた。


母の形見のペンダント。

持っていると、母を妹を、そして怒りと喪失感を強制的に思い起こさせる。

持っていないといけないが、持っていたくない。

忘れたくないが、忘れたい。

それは、カースにとって一種の呪縛にも近い重い形見だった。


だけど、メイがこの紐をつけてくれた時から、呪縛は祝福となり、

記憶は思い出に、そして、いまやカースにとっての宝物になっていた。


不思議なものですね。


しみじみと感じながら、じっとペンダントを見つめた。

カースは、無意識に微笑んでいた。



船員達が動き始めた音が、下の船室から聞こえてくる。

無造作に立てるけたたましい音は、感傷に浸ることを忘れさせる。


「今日も暑くなりそうですね」


ペンダントを首からかけて、服の中に入れる。

そして、そっと服の上からペンダントの紐を押さえてから部屋を出た。





航海は無事恙無く進み、最後の補給地にも立ち寄り、

予定より10日程遅れているが、このくらいは範疇内である。


あと一週間もすると、久しぶりの故郷にたどり着く。


すれ違う船員達の顔も何処か明るい。




航路の確認をしようと、いつものように羅針盤をもって甲板に出ると、珍しいことにメイが甲板に出ていた。


メイは、マスト付近に括りつけてある樽の上に座って、足をぶらぶらとさせている。早起きで気持ちが良いのか、やけに気分よく鼻歌などを口ずさんでいる。


頭は左右にリズムを取るように揺れ、楽しんでいるのが解る。

そのしぐさと表情はあどけない子供のようで、カースは思わず目を細めて微笑んでいた。


現在、雑用と厨房の仕事を兼用しているメイは、大層疲れるのか、

やけに早くに寝てしまうとルディが言っていたのを思い出した。


あまりにも早くに寝すぎたので、早くから目が覚めたのでしょう。

本当に子供のようですね。


声を掛けようとしたら、甲板後方の階段からルディが顔を出してメイを呼ぶ。

メイはあわてて、樽から降りてルディと一緒に降りて行った。


声を掛けられなかったことに、些かがっかりした感があったが、

朝一番に見た顔がメイだったことが嬉しくて、

自分でもわからないまま頬が緩んでいた。


「おう。カース。 お前、何て顔してんだよ。

 朝から寝ぼけてるんじゃねえだろうな」



いつの間にか後ろに来ていた甲板長のバルトが、声を掛けてきた。


「お早うございます、バルト。

 朝から、結構の挨拶ですね。

 私の顔について何か文句があるのですか?

 寝ぼけているのは、貴方の頭でしょう」


顔を引き締め、バルトに向き直る。


「ふん。大方メイが甲板にいたんだろう。

 お前の顔がそんな顔している理由はそれしかねえからな」


バルトは、喉の奥が見えそうなくらいに大あくびをした。

のんびりとしたバルトに苛つき、カースのこめかみが引きつる。



「私の顔がどうであれ、それこそメイに関係ないでしょう。

 大体、何故、そこにメイが出てくるのです」


バルトの頭は、未だに夢の中に居るに違いない。

噛み付くように軽く言い返したら、

バルトからあきれたような視線と言葉が返された。



「おいおい。 お前自分で気がついてないのか?

 はあ、まあいいか、あそこを見てみろよ」


バルトは甲板のあちこちで作業をしていた幾人かの船員達を指差した。


もちろん、どれも全て見覚えのある船員達の顔だ。

だが、彼らの顔は、ぼうっと熱に浮かされたように幸せそうな顔をしていた。

そして、先程までメイが座っていた樽のあたりに熱い視線を注いでいる。



「さっきのお前の顔、あれと全く同じだったぞ」


「私が?

 あんなしまりのない顔をしていたというのですか」


ありえないとばかりに首を振ると、バルトの次の言葉に息が詰まった。


「奴ら、メイに惚れてるぞ」


はい?


「まあ、メイの気持ちもあるし、今はお前達の監視つきだから抑えているが、

 若いのは早々にそのつもりだぞ」


バルトはニヤニヤと笑いながら、私の袖をつついてきた。


「そのつもりとは、どう言う事です」


「お前、存外に鈍いな。

 奴ら、船から降りる前に結婚を申し込むかも知れねえな」


その言葉に思わず目を剥く。


「結婚? 誰が誰に」


バルドが、はあっと大きなため息をついた。


「おい。朝飯も未だな内から疲れさせんじゃねえ。

 奴らが、メイにだ。 決まってんだろ」


メイにですか?

どうして、いつのまにそんなことに?


頭の中で小人がぐるぐると回っているような気がして、

驚き混乱するばかりで考えがまとまらない。


「メイは、いつも一生懸命で、丁寧な仕事をする。

 小さいのがくるくると動き回りながら動く姿は見ていて気分がいい。

 その上、会話をしていても嫌味が無い。

 その快活な性分が皆の心の癒しになったようだ」


小動物の癒し効果でしょうかね。


「そんなことでいちいち惚れるんですか?」


そんなことで腫れた惚れたというなら、

何度も結婚しなくてはいけないだろう。随分お手軽だ。


「おいおい、それこそ解ってんだろ。

 メイは、人の心の痛みがわかる娘だ。

 一緒に痛みを分かち合い、和らげ、未来を切り開く為の術を知っている。

 どんな時でも、前を見ることが出来る女はそうはいねえ。

 腕っ節が強いわけでもないのに、心が暖かく強く、どんなときでも折れない。

 ちびっ子くて弱いくせに、俺達でも感心するくらいに強い女だ。

 そして、性格は目に見えて素直で実直で二面性がねえ。

 働き者で、心根が優しい愛嬌のある娘。

 どうだ、これだけそろえば、惚れても仕方ねえだろ」

 

バルトにしては、かなり高い評価ですね。

ですが、一体メイは彼らに何をして惚れる腫れるとのことに成ったんでしょうね。


カースの苛つきはますます増していく。



「確かに美人でもなく、どこにでも居る普通の娘だ。

 だけど、男が本気で惚れるっていうのは外見じゃあねえ。

 ここに、心に、響くかどうかだ」


バルトは自身の胸をどんっと叩いた。


心に響く。


カースが思わず納得してしまいそうになるくらいに説得力がある。

バルトの言葉は、確かにそうだと思う。


「それに、惚れてしまえば最上の美人に変わるってもんだ」


メイが、最上の美人?


「バルド、目をどこかで取り替えてきたらどうですか」


カースは、はっと小ばかにしたように笑いながらも、

気持ちがやけに焦る。

握った手のひらに汗が溜まる。


自分よりもバルトの方がメイのことを解っているのではないか。

そんな気がして、手の開閉を落ち着かなく繰りかえす。


カースは、じわっと額に浮かんだ汗を指で弾いた。


バルドは、ぼさぼさにのびきった長い髭を一纏めに顎の下で撫で付ける。

その間延びしたような態度に、一層いらいらする。 


「時折メイは、あんな風に早朝に甲板で一人で座ってんだよ。

 そしたら次第に、早起き、早番の船員達が、立候補するようになってな。

 気がつけば結構な数の船員が、メイのあの顔を見るためだけに甲板に上がってる。

 そして、やけに幸せそうな顔でメイを見て微笑んでいるんだ」



は?


「奴らも、メイの内面の一部が見えて気を許した序に恋心ってとこだろう。

 あの島で、命を救われたってのもあるが、まあ、それはメイだからだな。

 海の女神様レアナの遣いだなんて言っている奴らもいるしよ」

 

まあ、確かに。

あの無人島を出て、メイを受け入れない奴は一人も居なくなった。


海の女神様の遣い?

あのメイが?


「拾われた漂流者は、幸運のしるしですからね。

 ですけれど、メイがレアナの遣いとは、明らかに似合いませんね」


そう言葉では返したものの、なんとなくそれも、

まかり間違えば似合うのかもしれないと、ふと考えている自分がいた。


子供の頃より持っていたトラウマにも近い、

自分でももてあましていたカースの暗い感情を消してくれたのは、

確かにメイだと今の自分は解っているからだ。









以前に、私は押さえきれない激情に我をなくして、

メイの首を絞めて殺そうとした。


だが、嵐の中、メイは私を命をかけて守ってくれた。

海に投げ出されかけた私を、自分の身を張って庇ったのだ。

それも一度や二度ではなく、何度も大波に引きずり込まれるところを

自分の体を盾にして庇っていたのだと聞かされた。


メイは私を助けるのは、無意識に体が動いたからと言っていた。

私がメイの首を絞めて殺そうとしたことなど、さっぱり忘れていたと。


警戒心など欠片も持たないきょとんとした目。

それを見たら、本当に忘れていたのだと解った。

あきれるを通り越して、開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。


本当にどこまで貴方は、お人よしなんでしょうね。


「私、妹、思う、いいよ」


貴方が私の妹?


そういい返そうとしたが、それも面白いと思う自分に楽しくなった。

このお人よしに浸け込むのも悪くない。



「ほう、私の妹になりたいというのですね。

 良いでしょう。

 私の妹になるならば、才色兼備とまでいかなくても、

 それ相応になってもらいましょう」


にやりとわざと意地悪な表情を浮かべた。

メイは、目を下に逸らしながら、口ごもっている。

その様子は明らかに、しまった、口が滑ったっと焦っている顔だ。

随分と解りやすい事この上ない。


カースは、いつの間にか笑っていた。

心が軽く、何のためらいも無く笑えたし、楽しかった。


こんなふうに何の躊躇も無く笑ったのは、久しぶりだった。



ああ、レヴィウスがメイを見て楽しそうに笑っていたのは、

これだったのかっと正に実感した。


事実、メイとの会話は楽しかったのです。


彼女は、感情を隠すことをしない。

いや、出来ないくらい馬鹿正直です。

よほど、能天気な気質なのだろう。


楽しければ全開で笑い、悲しければ顔を歪め、

怒ると頬を膨らまし、嬉しい時は飛び上がるごとくに喜ぶ。

メイの、感情表現は決して隠されることが無い。


その上、メイは困っている人を見捨てない。

自分に何とかできないかと一生懸命考え行動する。

損得の勘定を一切考えない彼女の思考行動は、

いつか忘れていた純粋だったかつての自分を思い起こさせた。


私の心から最後の警戒心が消えた。


馬鹿としか上につけられないくらい素直な反応には、

あきれる前に笑うしかない。 

以前にあれ程疑っていた自分に、馬鹿だろうと鼻で笑いたいくらいだ。


それに、馬鹿馬鹿と連呼しているが、メイは本当の馬鹿ではない。

言葉を教えると、拙いながらも何度か繰り返すと覚える。

簡単な読み書きを教えると、戸惑うことなく素直に書きはじめる。

これは、高い教育を受けてきた習慣があるのだろうと推測される。


一週間で、たどたどしい言葉遣いは流暢とまでにはいかないが、ましなくらいになる。


私の指導についてこられたメイは、本当によく頑張りました。

以前に同じように学友に勉強を教えた時は、

鬼だ蛇だ悪魔だと、好き勝手言われたものです。


最初はここまで詰め込むつもりは無かったのですが、

素直な反応につい行き過ぎてしまったのは、まあ楽しかったというか。


とりあえず、私の妹分になるからには、そのくらい賢くて当然といいましたが、

本音は、メイに労いの言葉をかけているのです。

まあ、口には出していいませんけどね。


ですが、レアナの遣いと称すには、まだまだ及ばないでしょう。


あの無人島での出来事が、私達に与えた影響は大きかったと言う事でしょうか。


海には不思議な出来事があちこちで転がっていて、

船乗りならば、いつかどこかでその不思議に会うらしい。


今回は私達の船が、そのいつかにあたったのでしょう。


ありえないと笑って聞いていた話が、現実となったのです。

それは、全ての私達の常識を覆す現象を引き起こした。



見たこともない海流に流されていくと不思議な島に誘導される。

無人島とは思えない程に緑が茂っている島に着いた。


誘導される間にも、乱立する島の木々を見て眉を顰めた。


「レヴィウス、通常の小さな島ではありえない木々です。

 海水に周りを囲まれた小さな島にも関わらず、

 瑞瑞しい大きな葉の背の高い落葉樹。

 何処かに大きな水源がないとこのような大きな木々は育ちません」


他の島に見ない特徴に、レヴィウスも軽く眉を上げたが、

大きな水源という言葉に、船員達が食いついてくる。


「雨水はあるが、綺麗な水源があるなら補充しときたいですな。船長」


「ああ、池か何かがあるのかもな」

「水浴びできるかもな」

「それは、楽しみだ」


能天気な船員達を横目で見つつ、不安が消せない。

そこで、何故だか目に入る、メイがちょこまかと動く姿。


セランが捕まえると、一番エコーは私がしたかったのにと涙目で訴えた。

船員の緊張が一気に解け、笑いが広がった。


ああ、一番の能天気がいましたね。

彼女のことを思えば、船員の能天気など、気にするまでもありませんね。


船が海流に引っ張られている以上、この島に上陸するしかないのですから、

不安を訴えるだけ無駄でしょう。

何事も無いかもしれませんし。


しかし、私の不安は嫌な感じで的中した。


夜になり次々と眠りに落ちて目覚めない船員達。

何が起こっているのかさっぱりわからない。

病気というわけでなく、ただ、目覚めない。


メイが知らせたセイレーンと言う怪物に、非現実的だと反論するだけの要素がない。

今の自分達の状況は、非現実そのものだからだ。

人間の手でどうにもならない脅威に、誰しもが恐れ慄いた。


私達はこの島で、化け物に食われて死ぬのかもしれないという

考えても無かった未来の凄惨な絵が頭の中でふと過ぎった。



嵐の船から落ちると思った時には感じなかった死への恐怖が、

背筋をべっとりと舐めた気がした。


この島で死んでしまうのか、このまま。

嫌だ、死にたくない。

船員達は、誰しもがそう呟いて背を小さく丸めて震えていた。


だが、皆わかっていた。 

喚いても泣いてもどうにもならないってことに。


自分の周りにいた船員達が、一人一人と眠りに引き込まれていく。

どんなに抗っても強制的に訪れる眠りに、恐怖の雲はどんどん広がっていった。

絶望の闇に、誰しもが引き込まれていた。


「いた」


メイの声がして振り返れば、メイは恐怖に動けなくなった自分達を置いて走り出した。


何を見つけたのか、我に返って後を追ってみたら

幽霊にあってセイレーンの居場所の手がかりを見つけたらしい。

私達を助ける為に、恐れもものともせず、まっすぐに化け物に向かって飛び込んでいく。


迷いのない強い瞳のメイを、初めて凄いと思った。

キラキラと光るメイの瞳を、初めて美しいと感じた。

どんな困難な状態でも、決して希望を失わない彼女の意志がひどく眩しい。

その時、雷に打たれたように、唐突に理解し戸惑った。


彼女が本当は、子供でも妹でもなく、一人の女性であることを。

そして、私がメイに惹かれていることを。

だが、ありえない。いや、まさかという思いの方がまだ強かった。


だが、湖に行ってなかなか帰ってこない彼女を追って降りると、

船員達のように湖のほとりで眠り込んでいるメイの姿を見つけた。


その刹那、自身の死よりももっと恐ろしい恐怖を実感した。

一気に奈落の底に落ちてしまうような激しい衝撃。

見えていた希望という光が一瞬で消え、暗闇で目の前が真っ暗に染まる感覚。

足元がぐらつき、全てを絶望の淵に投げ入れたいほどの喪失感。


「嘘、でしょう」


震えが治まらない声でメイの側に走り寄る。


「駄目だ、嫌だ、メイ、目を開けてくれ。

 貴方が私より先に死ぬなんて、絶対に認められない。

 化け物が魂を望むなら、私のをやる。

 彼女を、メイを連れて行かないでくれ。

 メイを連れて行くのなら、私も一緒に連れて行ってくれ。

 お願いだ、私を、一人にしないでくれ」


崩れるようにして跪き、震える声で何度もメイの名前を呼んだ。

そして、動揺のまま力を込めて、メイの肩を大きく揺すった。


メイが薄っすらと目を開けた。

その一瞬に、世界全てに、神にすら感謝した。


衝動的に、メイの小さな瞼に唇を押し付けていた。


本当に目覚めてくれてよかった。

安堵で肩が、そして全身の力が抜ける。


メイが目覚めたのが嬉しくて、久しく使ってなかった涙腺が緩み始める。

それを見られたくなくて、思わずメイを腕に抱きしめた。


メイが生きている。


それだけで歓喜の渦が頭を支配し、何も考えられなくなった。

メイがそこに生きて私の側に居ることだけが、私にとって大事なことだった。


しかし、霧に巻かれてメイを見失った時、自分を呪いそうになった。


あんなに近くに居たのに、何故、私はその手をその体を、

抱きしめていなかったのか。


後悔で何度も爪を握りこみ、ぎりぎりと歯をかみ締めた。


レヴィウスに状況を話すと、多分、

メイはセイレーンとやらに浚われたのだと推測できた。


何故かセイレーンの力が効かない私達4人とメイに、セランは推測を更に続けた。


「俺達が起きていられるのも、多分、メイの影響だろう。

 原因はわからないが、セイレーンの力は女性には効き辛いと書いてある。

 俺達の船の唯一の女性であるメイに、程近い距離に居る4人のみが何かしらの

 理由でセイレーンの力が届かないと言う事かもしれない」


船の中にあった書物のなかでそれらしい文献を探し出したセランが、

今の状況の理由付けをひねり出した。


「メイが居なくなったら、僕達は眠ってしまうのですか?」


ルディの言葉で、セランは多分と言葉を濁す。


「ああ、多分な。

 だから、早いうちにレーンの花のあるところを探して、

 メイをセイレーンから取り返すのが先決だろうな」


「レーンの花はあの崖の谷間辺りだ」


レヴィウスが、指差す先は先程メイが見つけた場所。

カースは手書きの地図を出して、大きく丸をつけた。


「ここに行くには、ロープとなにか杭のようなものがいりますね。

 船にどちらもあるはずです」


レヴィウスは、深く頷くとセランとルディに指示をだした。


「朝を待って、俺とカースで登る。

 セランとルディは船員を目覚めさせてくれ。

 予測では、昨日のほぼ半分は起きてくるはずだ。

 彼らを起こして、全員で眠った船員を船に運べ」


セランとルディは、レヴィウスが指差した崖の場所を見上げて頷いた。

 

ほぼ丸一日かけて切り立った崖をナイフと杭を突き立て、

ロープをお互いの体に繋ぎ、山肌を削る要領で上に進んでいく。

崖自体は自然の隆起が所々にあり、足を踏み外すことはそこまで無かったが、

かなり危険な要所だった。


だが、私もレヴィウスも、引き返すとか諦めると言う言葉は頭に無かった。


メイを必ずこの腕の中に取り返す。


それだけを胸に崖を上がっていった。


崖を上った先にやっと見つけたメイ。


その顔を見たとたん、カースの心は歓喜に溢れ、世界は光に包まれる。

気がつけばレヴィウスと取り合いのようにメイの体を抱きしめていた。


感極まるようにメイの肩に顔を押し付け、

メイの首筋に、肩にキスをしていたレヴィウス。


レヴィウスが、メイを愛し始めていると解った瞬間だった。


メイの態度を見るに、レヴィウスのことが好きなのは間違いない。

それがどこまでの感情かはわからないが、

好意以上の視線がお互いを絡め取っている。


レヴィウスを長年知っているが、

ここまで熱烈に好意を示した相手は見たことが無かった。


二人は、意外にお似合いなのかもしれない。自分よりも。

そう考えると胸がずくんと痛んだ。


その理由を考えることをカースは拒否する。

メイはかけがえの無い妹のはず。

そうだ、そうでないといけない。


妹であるから、私は彼女が誰を選ぼうと永遠に側に居れる。

だから、深く考える必要はないのだ。

そう思っていた。


だが、それはメイの相手がレヴィウスだから言えること。






バルトの言葉で知った新たなる恋敵の存在は、

カースにとって許せるものではない。



カースはレヴィウスを生涯の相棒にすると決めている。

もし、メイがレヴィウスを選ぶなら、カースもずっとメイの側に居れる。


だから、レヴィウス以外の他の誰かに、メイを取られるつもりは毛頭無かった。

メイの人生に他の男など必要ない。



船員達の恋心など、降って湧いた危ういものだ。

そんなものにメイを奪われるなど言語道断だ。




他の男が私とメイの間に入るなんて、絶対に許さない。

それくらいなら、いっそ私がメイを……。


そこまで考えて、頭を振る。

それを考えるより先に、しなければいけないことがある。


綿密に、精巧に、慎重に、用心深く。

恋敵である船員達の、メイに対する恋心を片っ端から折っていく。

メイに危険が及ばぬように、細心の注意を払って。


ある者には、商館の独身女性を紹介してやり、

ある者には、それは気の迷いだと耳元でささやいた。

その他にもあらゆることで、メイに知られないように、周りから固めていった。



バルトやセランにもあきれられた行為だったが、

これは妹を守る兄としては当然の行為だ。

それくらいで諦める奴は、もともとメイには相応しくないのだから。


船を降りてほっと安心した。

恋敵の船員をもう排除しなくて済む。


ところが安心もつかの間で、メイは私の手の届かないところで、

ことごとく危険なことに巻き込まれていく。


これは運命が、私からメイを取り上げようとしているのかと、

気が焦って憤慨し、動揺して心が始終乱れた。


人身売買組織に誘拐されたと聞き、転げるように慌てて警邏に駆けつけると、

メイは、傷だらけの手足に、真っ白な血の気のない顔で意識を失っていた。

頬に、泣いたのであろう涙の後がくっきりと残っていた。


その顔をみたとたんに、メイに説教しようと意気込んでいた気持ちが小さく萎む。

無事で、生きて私のところに戻ってきてくれたことに、ただただ感謝した。


後で、気丈そうにみえたメイが、レヴィウスの顔を見たとたんに、

泣き崩れたとセランに聞いた。


メイの心の中のレヴィウスの存在は、自分よりも遥かに大きい。

メイの中での、私の位置は、やはり兄以上ではないのか。


悔しさに歯噛みして、ぎゅっと手のひらを握りこんだ。


だけど、同時に理解していた。

レヴィウスならば、メイを必ず守る事が出来る。

なにしろ、私が人生で唯一叶わないと認めた男ですから。



頭で解っていても、心は常にきりきりと音を立てる。

メイを守る為には、レヴィウスは不可欠。

何度も、自分で自分に言い聞かす。


しかし、肝心のメイは、私の心の葛藤も知らないで好き勝手走り回る。

レヴィウスは信頼しているが、メイには安心できない。

だから、常にはらはらしっぱなしだ。


メイを、失ったらと思うと、喉が詰まる。

だから、大人しく家に篭ってくれていればいいと思う。

だが、同時に、生き生きとしたメイを見ているのは楽しかった。

相反する思いに葛藤しながらも、毎日、自然に視線がメイの姿を追った。


頼むから、危険なことはしないでくださいと

メイに直接懇願するようになったのはそのころからだ。


遠まわしに言っても、メイにはさっぱり通じないのが解ったからだ。


それに対して、はいっという気持ちよい肯定の返事がかえってくるが、

これがまた本当に当てにならないとつくづく思い知ることになる。

 

王城への召還、殺人、脅迫、篭城、暴力。

次々に顔を青くさせる事件がメイに降りかかる。


打撲擦過傷で包帯で全身をぐるぐるに包まれていたメイを見て、

正に血の気が引いた。

心のどこかで、メイは大丈夫だと言い聞かせていた自分の枷が壊れた。


王城などに行かせるのではなかったと、心から悔やんだ。

一歩間違えば死んでいたかもしれない大怪我に、自分の立ち位置が、

薄氷一枚でしかない不安定さであった事に理解した。


心が凍る。


確かな繋がりと求めて、メイに手を伸ばす。

メイに触れて、その柔らかさに、笑顔に癒される。

それを何度も繰り返した。



けれど、メイは、本当は血の繋がりなど無い赤の他人。

今は、誰よりも近く触れることが出来るが、

いつまでもそうとは限らない。


偽りの兄妹という関係。

心地よい距離と信頼。

暖かな触れ合いと笑顔。

そして安心と平穏、愛しさが心に満ち溢れる。


この状態は綱渡りのような細いもの。

ならば、私は確かなものを必ず手に入れる。

私の人生全てをかけて。


メイが、側に居る。

それだけで、何かが満たされていくのがわかる。


湧き出でる泉の水が、乾いた大地を潤すように、

貴方は私を潤し癒したのです。


そんな貴方を欲するのは当然でしょう。


私は、どんなにしても貴方を失いたくない。


明るく照らすメイの魂に、その心に惹かれ、焦がれていた。

私の求めているものは、メイそのもの。


本当は、誰にも渡したくない、レヴィウスにさえも。

レヴィウスにもいえない歪んだ独占欲をぎゅっと握りしめ、笑った。


メイは、レヴィウスを選ぶのだろう。

私は、メイの人生を手に入れられない。


ならば、最後に手に入れるのが私であればいい。

その為には、どうするか。


私の側が一番心地よいとメイが理解すればいい。

そうすれば、メイはどこにもいかない。



そして、唐突に思い出した。



夢の中、落ちてきて私が掴んだあの星は、メイだったのだと。


決して手放しはしないと決めた唯一の私の星。

失うことなど決して許さない。


神であろうが、悪魔であろうが、私からメイを奪うことだけは

誰であろうと許さない。


この私の醜い独占欲を知ったら、メイは逃げてしまうかもしれない。

ですが、貴方が無ければ、私はもう生きては行けないのですから、

我慢してもらいましょう。


お人よしのメイは、助けを求めて縋る人間を拒まない。

私は、知っているのですよ。

だから、私は貴方に縋りましょう。


私は生涯かけてメイを離さない。


どんな方法を取っても、私はメイと一緒に生きていく。

誰にも、レヴィウスにだって止めさせない。


メイがレヴィウスを選ぶなら、喜んで祝福しましょう。

なぜなら、メイを守る為にはレヴィウスは最適な親友ですから。

ですが、決してメイの心の中の私の場所は渡しません。


レヴィウスがメイと共に生きるのならば、

私は、メイと共に死にましょう。


レヴィウスがメイの伴侶となり、その人生を守るなら、

私はメイの人生の終焉を一緒に迎えるために生きましょう。


暖かい星、私の道しるべ、その光さす場所を全ての人生かけて寄り添う。

輝く星を、輝く星のままに。


夢の中での星を抱きしめたように、

壊れないように、怖がらないように、

ある夜、部屋で眠っているメイを、そっと抱きしめた。



「私から、逃げないでください。

 貴方が居ないと私は生きていけないのですから」



その柔らかい唇に、そっと自身の唇を寄せた。


兄妹のままをメイが望んでも、私は貴方を愛することを止めません。


覚悟してください。


メイの唇は、柔らかく滑らかで、どこか懐かしく、狂おしく愛しい。


絶対に貴方を逃がしません。


カースは、メイの柔らかい唇に、そっと重なるように口付けを続けた。

角度を変えながら、何度も何度も、心ゆくまで。


メイの眠りを妨げないように、細心の注意を払いながら。


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