ゼノの親心。
このお話は、街道沿いの宿屋の夜のお話です。
もちろんメイは、話の内容はさっぱり知りません。
「よう、邪魔するぜ。
明日からの旅程について話をしたいんだが、いいか」
街道沿いの宿屋で夕食を済ませ、各自が部屋に入ってすぐに、
ゼノが、頭をかきながら部屋にノックもなしに入ってきた。
カースは、ゼノのいつもながらの無遠慮さにちょっとだけむっとするが、
口から出された事柄は必要なことなので、そのまま黙る。
メイは、夕食を堪能したらしく、ベッドの上に座って
実に上機嫌にお腹を押さえている。
レヴィウスは、そんなメイをちらっと見た後で、カースに目線で合図を送る。
カースはそれに頷くと、座っていた椅子から立ち上がりメイに話しかけた。
「メイ、やはりレイモンの調子が悪いようなのです。
薬箱を持って隣の部屋にいき、レイモンに薬を飲ませてくれませんか?」
カースはにっこり笑って、メイに薬が入った一抱えの木箱を持たした。
大食漢のレイモンが夕食を半人前しか食べなかったのを全員が見ていた。
このカースの言葉は普通なら想定内だろうに、
メイは、それは大変だとばかりに、
目を大きく開いて驚き、慌てて隣に走って行った。
その素直な反応に、カースの頬が思わず緩み、目に優しい光が燈る。
カースは、メイの後姿を追うような形で出て行った扉を静かに閉めた。
「ふうん。 随分大切にしてるんだな。
確かにいい子だと思うが、お前達が執心するほどの娘とは思えん。
美人でもなければ、秀でた才能があるわけでもない。
落ち着きも無く、無教養の、掃いて捨てるほど居る普通の娘だ。
お前達なら、あんな子供でなく、もっと良い娘が幾らでも居るぞ。
それに体つきも、女性らしさに欠けている。
俺としては、もう少しこうあちこちが育った後の方が好みなんだがなあ」
ゼノは妄想の中の女性の体つきを手で空中に再現してみせる。
それに対して、レヴィウスは今までに無い冷たい蔑みに似た視線を向けてくる。
「メイを侮辱するな。それ以上言うなら、日の出は拝めないと思え」
そして、返された言葉は氷柱が刺さるがごとくに厳しい。
仮にも愛する父親に対しての息子の言葉とは思えない。
カースに到っては、敵意にも近い厳しい視線と返答が帰ってくる。
「貴方の無節操で自堕落な好みで、メイを汚さないでください」
二人の言葉と態度にこれは本気なんだなと改めて肩をすくめた。
レヴィウスは勿論だが、カースのことも子供の頃からよく知っている。
元は、レヴィウスの母親がそうしていたことであったが、
ゼノは、どちらも我が息子のように思って同じように扱ってきたつもりだ。
墓前に立ち、これからもそうすることを、亡き妻にも自分自身にも誓ったのだ。
だからこそしかる時は一緒に尻を叩き、
二人いっぺんに容赦なく拳骨で頭から殴りつけた。
父の愛というやつだ。
先程のメイを酷く言った事だって、真実その様にゼノが思っているわけではない。
彼らの本気具合を確かめたかったからだ。
ゼノは、顔には出さないが変われば変わるもんだと、唯、驚愕する。
自分にも覚えがあるが、男は女で変わるものだ。
その事実と経験に後押しされた結論に、
この二人をここまで変えたメイに賞賛の拍手を心から贈った。
二人の変化が良いか悪いかは、未来に期待するだけだ。
ゼノの子供の事とはいえ、恋愛に親の出る幕はないことは、ゼノでも解っている。
だが願わくばこの二人の恋が、
仲のよい兄弟のような二人の関係に亀裂を及ぼすことの無い様、
本心から祈るばかりだ。
「それで、明日からの旅程のこともあわせて、
他の話も聞かせてもらいましょうか。
貴方が来た本当の理由をね」
カースはわざとにっこりと笑いながらゼノに椅子を勧めた。
その正面に来るようにレヴィウスも椅子を動かして座る。
その二人のしぐさで、ゼノは、そもそもここに来た当初の目的を思い出した。
しかし、ちょっとだけ真面目な二人をからかってみたくなり、
口が軽くなるのは日頃の習慣のせいだろう。
「うん? 他の話?
お前らのメイちゃんの王城でのあれこれか?
いいぞ、噂話も含めてあれこれ話してやる。耳をかっぽじって聞いていけ」
ゼノは用意された椅子にどかっと勢いよく座る。
相変わらずの馬鹿げたゼノの言動に、カースが眉を顰め、
何か反論しようとするが、レヴィウスの言葉に遮られる。
「軍のトップが俺達についてくるということは、
軍部が動く確証を得たということで良いのか」
レヴィウスは、真っ直ぐに父であるゼノの目を見つめる。
ゼノは苦笑して顎の周りを擦った。
こうして真っ直ぐに見つめる息子にいささかの居心地の悪さを感じるのは、
レヴィウスには嘘をつくことは出来ないと知っているからだ。
あの瞳は自分の瞳でもある。
他人から疎まれない為に視線をあわせるのを止めたのは今の自分。
そして、目の前にいるのは、恐れを知らないかつての自分。
いや、かつての自分よりももっと強いと認めるしかない自慢の息子。
誇らしい気持ちと羨ましい気持ちが混ざって、親としては複雑な心象だ。
「ああ、間違いない。
だから、お前達には悪いが便乗させてもらった。
当初、俺が用意して単身先行する予定だったんだが、奴らの警戒が思ったより厳しい。
目くらましが必要でもあるんだ」
ため息を吐きながら、正直に答える。
「私達は囮ですか。随分ご立派な方々ですね。
国民を盾に使う貴方達は」
カースが吐き出すようにして言葉を乱暴に乗せる。
「何いってんだ。 危ないってお前達にカレンは忠告したはずだぞ。
それを無視して行動しているお前達は、危険も承知のはずだろう。
泣き言なぞ今更いうな」
あきれたような物言いをしているが、ゼノの視線は真剣そのものだ。
先程までのふざけた態度から一転しての顔つきと圧力に、
ゼノを子供の頃から知っているカースですら、言葉を飲み圧倒される。
「軍はいつ動く」
何時もの飄々とした顔つきから、軍の総長に様変わりした男に、
レヴィウスは改めて気持ちを切り替え、同じように真剣な顔つきで尋ねた。
「実は、もう動いている。
この作戦は一月前には計画されていた。
だが、不確定要素が多すぎて力技しか使えないかもしれないと
思っていたところで、お前達という駒が出現した。
ならば、お前達の動きを込みで作戦を立て直すのは当然だろう」
「作戦というのは、どういったものなのでしょうか。」
カースの質問は最もなものだが、それには答えるわけにはいかない。
「今は言えん。
闇の影があちらについている以上、お前達に話すわけにはいかん。
あいつらは人間の意志を操る技に長けていると聞いている。
知ればどこかに表れる。危険は回避したい」
「闇の影。今回は本体が動くのか」
レヴィウスが聞いてきたのは、噂にでも知っているからであろう。
闇の影の頭目は、どうやってでも捕まらないという伝説にもにた噂を。
「それが、どうにも解らんから頭を悩ますところなんだ。
ポルクは奴らがもしかしたら、二つに割れて行動しているかもしれんと
予測を立てていてな。その為に大々的に軍を動かすことは出来ん。
だが、あいつらの狙いがわかっている以上、
国としても軍としても放置することは多くの犠牲を出すことに繋がる」
「闇の影の狙いは、レグドールの国土回復ですか」
カースの言う事は、このイルベリー国民であるなら誰でも知っている。
有名な建国記の一文は子供の頃から読まされる。
「それだけではない」
自分の出した声が、今までになく低くかすれていることに気がついていたが、
言葉にすると背中に冷や汗が流れてくる。
声がこれ以上かすれないように、腹に力を入れてから、
ごくりと唾を飲み込んだ。
目の前の二人も俺の様子を察して、息を呑む。
「問題は遺跡と集められた100人からの奴隷にある。
奴らは、遺物を手に入れるかもしれんということだ」
苦々しげに吐き出した言葉の意味は、二人にも伝わったようだ。
カースとレヴィウスはお互いに顔を見合わせ、軽く頷いた。
「遺物とは何だ」
「何かは解らんが、ポルクが言うに、今までに類を見ない殺戮兵器だろうと。
神の力と呼ばれている遺物は、かつて緑溢れる谷であったタシオスの谷とその住民を、
一夜で死滅させたとあるらしい。
奴らがそんな兵器を持てば、使う先はイルドゥクの末裔である我らの国と民しかない」
神の力という殺戮兵器。
夢物語にしかすぎない御伽噺だと思っていた。
それが現実になるなどど公に出来ようはずがない。
だからこその国をあげての秘密の作戦なのだろう。
「神の力。本当にそんなものが、あるんでしょうか」
誰しもが疑問に思い口にするであろう。
俺ですら、ポルク爺さんに同じように返した。
「どちらにしても、レグドールの奴らは本気で動いている。
そして、集められた奴隷100人、いや学者も入れてもっとだろう。
奴らは儀式の為、必ず殺される。
血に酔った奴らは、何を引き起こすかわからん」
血に酔う。
レヴィウス達も伊達に修羅場をくぐってきたわけではない。
血に我を忘れる人間は少なくないことは重々知っている。
血に酔った人間は、もっともっとと血を求める習性がある。
彼らは結果として正気を失ったと言われるのだ。
「そんな奴らは、とことん潰すしか手は無い」
レヴィウスとカースはその意見には深く同意する。
「コナーとディコンを探す過程で、私達に何をしろと」
カースが難しい顔で聞いてくる。
「正確には、お前達ではなくメイちゃんだな」
「は? メイを?
な、何故、メイを使うのですか!
彼女には何の力もありません」
カースは今までに無いくらいに動揺し始めた。
レヴィウスに到ってはまだ平静に保っているが、
その目つきは射殺さんとばかりに殺気を放っている。
二人の恋心知って、だからこそ、先程その熱具合を確かめたのだ。
ここでこの計画の一部を知ることは、結果として、
彼女の命を救うことにも繋がるかもしれない。
だから、正直にそのことを話す。
「ポルク爺さんが言っていた。
古代文字の本を何の気なしに区分分けしていたと。
それはつまり、メイちゃんは古代文字に精通している。
それも、読み書き話せる学者以上に。
それで、遺跡の中の遺物の情報を奴らより先んじて手に入れて、
儀式を潰せといわれた。 俺はその為の先行だ。
もし万が一の場合は遺跡ごとふっとばす。
軍の本体の最終地点はその位置だ。
お前達もそのつもりでいてくれ」
カースは、歯をぎりぎりとかみ締めながら睨みつけてくる。
今にも自分をかみ殺しそうな勢いだ。
レヴィウスの拳は今にも俺を殴り倒そうとしているが、
どうにか理性で押さえているらしい。
現に、吐き出される言葉に揺れはないが、すぐにでも怒りで爆発しそうな様子だ。
「大勢の国民を守る為に、最小の犠牲というわけか」
低く低く、低音で響く声と殺気に寒気さえ覚える。
長年戦場で戦った経験のある自分さえも怖気づく気に驚愕する。
我が息子ながら、ここまでとは。
「そうだな。 王の言葉を借りるならそうだ。
だが、ポルク爺さんは希望があるとするならば、
お前達が持っているワグナーの書とメイだけだと言った。
俺達は、いや、俺は正直、その言葉に縋りたいとまで思っているくらいだ」
「それは、国お抱えの学者でも問題ないでしょう。
ワグナーの書はわかりますが、何故、メイなのです」
それに関しては、俺だって不確かなのでポルク爺さんの言葉どおりに
二人に伝えながら、小さなため息をつく。
「ポルク爺さん曰く、あの子の持つ不可思議な運が決め手だそうだ。
ぎりぎりのところで必ず生き残るその強運。 周囲も含めてだ」
「運に、命を懸けろというのか」
レヴィウスは、片方の拳を握り締めるようにして、
押し出される怒りを抑えている。
指先は白くなっており、かなりの力がそこに集中しているのがわかる。
これは、ひょっとしなくても殴られるかもしれないなとさえ思った。
俺は軽く鼻をならして、レヴィウスの言葉を貶す。
「おい、運は決して馬鹿に出来ないものだって、今のお前達ならわかるはずだ。
生と死を決定的に分けるのは、運だ。
誘拐事件しかり、籠城に毒殺未遂。
必ずその騒動の中心に居ながら、生き残る。
武術の心得も全く無い普通の人間ならば、どこかで死んでる」
「ですが、今まではそうだからといって、
これからもそうだとは限らないでしょう」
そのカースの意見は、平穏時には賛同したいが、今回はするわけにはいかない。
国にとっても、メイちゃんは折角見つけた駒であり、大事な鍵だ。
それに、学者をあてにする時間ももはや無い。
囲って大事に守るだけじゃあ、強運さえも持ち腐れになる。
それに、俺達だって、運に胡坐をかくわけではない。
全ての出せる手を尽くしても、後に頼るのは運しかないのだ。
我々は全能な神ではないのだから。
あの子がどこまでの運を運んでくるのか、
俺達にとっても大きな賭けなのだ。
もし、儀式を事前に阻止出来たなら、無心論者の俺が神にだって祈るかもしれない。
大きな犠牲という生贄もなく、軍本体も違法奴隷の捕縛を兼ねての
里の取り潰しに問題なくあたれるだろう。
「強運を理由に、メイを生贄に差し出すということか」
レヴィウスの声は、ギラギラと尖った視線を後押しするように、
低く冷たい響きを耳に残す。
この二人がこんなにも感情をあらわにするのは、本当に久しぶりに見た。
ゼノは、その二人の顔に、子供の頃の面影の片鱗を見たような気がした。
「馬鹿野郎!
俺が言いたいのは、お前達がわかった上で、
メイちゃんを、惚れた女を守って見せろということだ」
一瞬で見開かれた二人の瞳に乗った驚愕の意に、にやりと笑いを返す。
「おい、俺が、ここまで話したのは何のためだと思う。
お前達が、最後まで惚れた女を守り通せるようにだ。
いい加減な覚悟じゃあ、命は拾えねえ。
彼女も、今回は運を使い果たすかもしれねえからな」
俺は、奴らの骨を拾う係というわけだ。
親として、そこまでは面倒見てやろう。
後は自分達でやれってもんだ。
「足をしっかりつけろ。 そして、覚悟を決めろ。
男の意地を見せてみろ。 馬鹿息子達」
レヴィウスは、いつもの表情を取り戻し、にやっと笑った。
「当たり前だ」
カースは、顔を改めて引き締める。
「言われなくても、そうします」
二人の目にはもう揺らぎも迷いもなかった。
これならば、勝機を見逃すことも、万が一の危険を見過ごすこともなかろう。
国の決定は、俺でもどうしようもないし、あえて反抗して、
多くの犠牲を出すわけにはいかないのだ。
だから、それに振りまわられないよう、後手後手に回らないように、
忠告を与えておくこと。
そして、親として、恋に浮かれた馬鹿息子達の目を覚まさせる。
今日の本当の自分の目的はそれだった。
ゼノは、目的達成に満足した微笑みを浮かべた。
「まあ、問題なく収まれば捕まっているコナーとディコンも無事に戻るはずだ。
今回の本来のお前達の目的も達せられるだろう」
補足までに、これも伝えておくことを忘れない。
「ええ、そうですね。
ともかく当初の予定通り、ワグナーの書とメイを筆頭に
私達は遺跡の中で探索をするのが第一前提ですね」
「ああ、そうだな」
疲れたように大きなため息をつく息子達の肩を、
ぽんぽんと子供の時のように軽く叩いて、俺はかっこよく退場した。
まあ、その後の余談として、明日の行程と遺跡までの道筋の説明を
地図を交えて話すってのを忘れて部屋を出て、
カースに首根っこを捕まえられ部屋に戻らされた。
親代わりの俺に対する仕打ちがちょっと酷いじゃないか。
親ってもんは、つくづく損な役回りだ。
ちょっとくらい敬えと声高に言いたいね。




