レグドールの里。
カラカラと小石が谷の外壁を滑るように落ちる。
黄色く腐食した岩棚が、
幾重にも積み重なって出来たように見える背の高い岩群。
岩の塔にも見えるそれらは、天辺が小さく細い。
下に行くほど太く大きな岩石の塊を作り出していた。
岩と岩が重なっている部分には、灰色の石灰石が積み重なり岩を横に繋ぐ。
上から見ると、巨大な芋虫が幾つも横たわって見える岩の群れ。
そして、その芋虫岩の全体に、下から上に向かって、
大きな切り込みを入れられたように、幾つもの縦穴が伸びていた。
まるで不規則に入れられた縦穴の大きさはまちまちで、
大きなものは岩の天辺まであり、小さなものは下から1m弱といったところだ。
その縦穴の一つ、ひときわ大きな穴の天辺に、
いつ誰が作ったのかはわからないが、大きな深緑の鐘楼が吊り下げられていた。
だが、度重なる強風にも雨風にも、
その鐘楼は音を一切立てず、揺れもしない。
唯、そこにあるだけだった。
丁度、鐘楼のある場所は里の中心部に当り、
谷を見上げる上での目印となっていた。
その鐘楼を見渡せる谷の一際高い岩棚の上に、他の岩とは明らかに違うものがあった。
天辺に平らな大きな一枚岩が乗っているのだ。
切り立った円錐の先に乗っているように見える。
小さな小屋が一軒建つ程に大きな一枚岩だ。
岩にはどこからも登れない。
なぜなら岩のすぐ下は既に風化が激しく進んでおり、
今はわずか1本の石の柱のみがそれを支えていた。
乾いた空気と熱い熱気がその岩盤の上に揺らぎを起こし、
その景色を歪ませる。
歪んだ景色の中に浮かぶのは蜃気楼。
どこにも無い背の高い植物と真っ白な白亜の建物。
豊かな自然ときらきらと光る水面。
色彩豊かな見たことのない鳥達、いつも後ろを向いている麗しい人影。
その幻影を初めて見たのは、3つの時。
当時の長であり、父親でもある男がここに連れてきてくれた。
ここは、タシオスの谷の最奥に位置する枯谷。
国境の検問がある谷の要所からは程遠い場所。
この枯谷は外界から見捨てられた場所であるが故に、訪れる者は殆ど居ない。
里の人間は外の人間を拒み、決して旅人など受け入れぬ。
ここへ続く道も無く、あるのは里の人間が使う踏みしめられただけの獣道だけだ。
何も変わらないことが常である、枯れた谷にある貧しい里。
ここはレグドールの里。
二人が立っているのは、唯一影が出来る谷の切れ目。
何一つ植物は育たず、硬い土はカラカラに乾いてヒビ割れ、
前を歩く父の足元からは砂埃が舞い上がる。
大地は岩のように硬く硬質化し、足元でこつこつと音をたてる。
偶さかに降る雨は、大地を潤すことなく鉄砲水となって谷を蹂躙する。
生命が、大地の恵みが、一切失われた場所。
黄色く割れた大地に照りつける太陽の反射。
真上から無慈悲に浴びせられた熱線に、
悲鳴をあげるように時折吹きすさぶ風。
その風は、谷の空洞という空洞を通り、
人の悲鳴にも似た声を谷全体に響き渡らせる。
怨嗟にも悲鳴にも聞こえる声に、父の服の裾を掴み、反対の手で耳を塞いだ。
恐ろしいと感じたのはいつまでだったか。
「アルナ、恐れることはない。
この声は我が一族の死者の魂。
この声は決して我らに害をなさぬ。」
父はそう言いながらアルナの手を握ってくれた。
そして、この谷で、最も天に近い場所を目掛けて首を廻らす。
「アルナ、決して忘れるな。
あの幻は、我らの約束された土地。
あの人影は我らが縁人。
これは我が一族の悲願。
いつか、必ずや、逢い見まえん。
アルナ、覚えておくのだ、そして、繋ぐのだお前の子々孫々に。
聖なる力は、我ら道標。
縁人も、そして我らも幸福も、
約束された我らの土地も、全てが手に入れられる。」
父の目は、まっすぐに岩棚の上の幻影を見つめる。
アルナに語りかけているはずの父の目は、アルナを映さない。
だが、それよりも衝撃だったのは、父を仰ぎ見たときに目に入る幻影。
風光明媚が現れ出し夢のように美しい場所。
そして、背に流れる長い髪、自分とは違う白磁の肌の神。
男のようにも女のようにも見える人とは思えない程の気高い姿。
一瞬で目を奪われ、逸らすことなく一心に見つめ続けた。
幻影が消えて見えなくなるまで。
それは、年老いて老婆となった今も同じ。
自分は年老いたというのに、彼の人も幻影も全く変わらない。
砂が舞い上がる音で、首を上向きから下ろす。
頭の先から腰まで覆われた分厚い、茶けた布を目深になるように指で引っ張る。
ゆらゆらと砂埃が立ち上る中、地面の上に実際の人の姿が見えた。
アルナは目を細めて、その人物を特定し、小さなため息をついた。
「長、シャッサが探してるわ。
食事の時間だそうよ。」
女性にしては背が高く、青みがかった褐色の肌にすすけた金の髪。
羊毛を赤と緑の顔料によって染めた糸で織った分厚い布で作られた服を着ている。
目に飛び込む色彩の組み合わせと織り方は、この里の住人一人一人違うものだ。
甲高い声を響かせ、近寄ってくるのは、長の孫娘。
赤金の瞳を瞬かせ、長い睫毛を物憂げに揺らしながら、ゆっくりと歩いてくる。
その顔をみて、長は自身の顔を歪める。
忌々しい。
長である老婆の顔には、その感情がありありと浮かんでいた。
「長、私の顔を見るのが気に喰わないのは解ってますが、
あからさまにそのように顔を歪められなくてもよろしいのではないでしょうか。
私は、貴方の孫娘ですよ。正真正銘血の繋がった。」
長の孫娘である女は、年は20後半くらいだろう。
にやりとゆがめられた唇は真っ赤に濡れ、
面白そうに笑った顔は、妖艶な婀娜花を思わせる。
「それはお前に言われるまでも無い、アニエス。
神が、運命が決めたことだ。
どんなに私が嫌がろうと、変えることは叶わぬ。」
老婆である長は、白く濁った青い目を細め、目の前の女を睨みつける。
「あら、今の長は貴方ですよ。御婆様。
もうじき、長はその運命に抗う力を手に入れるのではありませんか。
始祖と同じ、両目に赤金を持つ私が側にいますから、ご安心なさって。
準備も万端ですし、里の皆も認めていることですわ。」
金の髪をゆっくりとかきあげ、首にまとわりつく汗と髪を後ろに流す。
髪の間から見えるのは、耳につけた豪華な金の装飾具。
細い指が、自身の唇に触れ、自信有りげな微笑みを作る。
その顔は、長にとって紛れも無く憎憎しい顔。
かつて長の夫であった男が、自分を捨てて選んだ女の顔に瓜二つだ。
長が産んだ二人の実子。
二人とも自分より先にあの世に旅立った。
長男は、一族の中から嫁を取る仕来り通りに、
一番血の近い者、かつての夫とその新しい妻の間に生まれた娘と契った。
次男は、長の反対を押し切り、一族以外から嫁を取った。
二人とも、長にとっては身を削っても惜しくないほどに愛しい存在だ。
だが、早くに亡くなった。
いけ好かない一人の孫娘だけをこの里に残し、
彼女の血筋の者は誰一人居なくなった。
「貴方が大事にしていた一族も、里も、あの幻影も、
もうじき全てが長の物になるのではないですか。
祭りは、今度こそ正しく行われる。
神は長に、全てを与えてくれる。
我ら一族の悲願の達成の時を言ったのは、貴方でしょう。
今更、怖気づくなど、可笑しなことですわ。
儀式が終われば、全てが始まるのです。
我らを馬鹿にした奴らに、裁可を下すことができますわ。」
いかにもな善人面に、反吐がでそうだった。
「私の為、ひいては一族の為か?
そうではなかろう。」
長は、アニエスを睨みつけるが、にこやかに笑う顔は崩れない。
「ふふ、私が次期長なのは、一族の総意。
長である貴方にも、それは変えられない。」
アニエスは微笑みながら、軽やかに踵を返した。
向かう先には、神殿がある。
神殿というのは、今は遺跡となっている昔の一族の名残だ。
以前は、かつての栄光を忍ぶだけの場所。
そして、今は大事な祭りが行われようとしている場所でもある。
その立ち去った孫娘の姿を追うように、短い色濃い影が後を追う。
背中の曲がった小男だ。
その顔は醜い為、いつもフードで顔を隠していた。
いつのころからか、アニエスが拾ってきたよそ者だ。
アニエスの手足となり、いろんなことをしていると聞いている。
二人が立ち去った後、長は小さなため息をついて、
側に置いてあった古ぼけた木の杖を手に取る。
杖を前に進ませ、一歩一歩、ゆっくりと歩き、日向に足を踏み入れる。
視力の乏しくなった目にも飛び込んでくる強烈な日差しに、
思わず目を細め、鼻に皺を寄せる。
消えてしまった幻影があった岩棚にもう一度目を向ける。
「……彼の人は、私が生きている間に遇い見まえることは叶うのか。」
誰にも聞き取れないほどの小さな呟き。
それは、長にとっても一生涯をかけた願望。
だが、それが齎す条件をすべてそろえるのは、恐ろしく難しい。
そもそも、古代文字をきちんを解読できない為。不鮮明な部分が多かったのだ。
100年前も、200年前も、一族の誰もが失敗した。
だが、神の導きとも言える丁度この時期に、
解らなかった遺跡の儀式の解読がなされた。
偶然に持ち込まれた一枚の石版。
あれが全てを変えた。
一族の夢が、自分の願望が叶うと知った時、
私は、それ以外の全てを捨てた。
しかしてそれは、本当に長として正しい判断であったのだろうか。
長は、視線を下に戻し、こつこつと杖を突きながら、
真っ直ぐに谷の住居に向かって歩く。
老人でありながら、長の足取りは全く危なげないものだ。
岩と岩の通り道を歩き、鐘楼の釣ってある中心の岩棚にある住居に、
足を踏み入れ、入り口にかけてある分厚い布を手で払いながら中に入る。
その住居は里の誰の住居よりも高い位置にあり、
入り口付近からは、里が一望できた。
長であるがゆえに住める、眺望つきの住居だ。
岩の穴を利用した、岩穴の住居だ。
縦穴のある部分には分厚い布と板を渡し、
岩肌の必要な部分を削り取って、住居としている。
中に入ると、外界の灼熱が嘘のように涼しく快適だ。
谷を吹き抜ける風は、必要に応じて取り入れられ、
天井では、空気をまわす為に、
プロペラのような丸い4枚の羽が回っていた。
部屋の床は、色をベーシュで統一した絨毯が所々に敷かれていて目に優しい。
壁際には木の木目がむき出しになった荒々しい作の箪笥や本棚が
岩壁に、ほぼ埋まるような形で設置されていた。
部屋の中央には、同じような木目調の楕円形のテーブルに
椅子が4客。
「ああ、長、お帰りなさいませ。
ご飯の支度が出来ているのですよ。
先程から、ずっと探していたのです。」
そういって部屋の奥に垂らしたタペストリーのような布の向うから、
長である自分よりも、少しだけ年若の女が出てきた。
「ああ、シャッサ、すまない、時間を忘れていたようだ。」
そう言いながら頭にかけてあったフードを下ろした。
「またあの陽炎に会ってこられたのですか。
それならば、時間を忘れるのは同然ですわね。」
シャッサは、申し訳なさそうに下を向く長の顔をみて微笑む。
この顔は、今まで何度も何度も見てきた顔だ。
幼い頃からの付き合いである自分には、
長はいつまでたっても、自分の姉のような妹のようなものだった。
長である彼女が、長になる前からずっと一緒だったのだ。
一族の外に出ることが叶わない彼女が、願い続けてきた想いも知っている。
「今日は、ヘラウの所の鳥が卵を沢山産みましたの。
それに、ポロポロも罠に掛かってましたし、
私の菜園も収穫時ですから、ご馳走ですよ。」
そういってシャッサは、奥から木の器に盛り付けられた料理を運んできた。
「少し冷めてしまったので、暖めなおしますわ。
先に、こちらを食べていてくださいな。」
差し出されたのは、緑の苔を砕いたようなサラダ。
「シャッサ。 暖めなくてよい。
冷めたほうが、私には程よいのでな。
知っておろう。」
長は、部屋の中央の木の切り株を一枚削いだ感じ木目のテーブルに手を突き、
椅子を引いて、浅く腰をかける。
「あら、そうですね。
今日は、私の自信作なので、残さないでくださいね。」
その返事を解っていたかのように、にこやかに笑いながら、
シャッサは残りの料理の皿を運んできた。
「本当に、今日はご馳走だな。
ポロポロなんて、もうこの辺では、とんと見かけなくなっていたはずだが。」
コトリと置かれた木のスプーンとフォークを手に取り、
先に食べろと言われていた苔のサラダを口にする。
いつもと同じ味だ。
苦味が強いが、酸味はなく、噛んでいくと甘味が増す。
その上に掛けられた入り豆のスライスと木の蜜を集めて作った樹液が、
ぱさぱさ感をなくしている。
そして、二口目は目の前に置かれたポロポロの漬焼きだ。
ポロポロとは鶏のような見かけだが、逃げ足が速く、嘴も爪も鋭い鳥だ。
爪と嘴には毒を持ち、引っかかれたらその毒で体の弱い者なら命を落とすこともある。
だから、森の生き物の中でも、比較的生存率の高い動物だ。
繁殖力が強く、一度に5つから6つの卵を産み落とす為、
今も昔も、彼らにとっては貴重な食料だった。
だが、ここ数年、森での鳥達の生息域が変わったのだろう。
ポロポロは罠には掛からなくなっていた。
ゴマをすって練った油と肉の脂身を一緒に溶かし出すように漬け込む。
ほぼ一昼夜漬け込んだ肉を、網で焼き、
その上に、シャッサの特製のたれを何度も何度も塗りつけるのだ。
外の皮はぱりぱりで薄く焦げ目がつき、
中の肉はよく引き締まって、ジューシーだ。
旨いと長は何度も繰り返した。
そして、冷やし卵だ。
半燻製にした卵を井戸でキンキンに冷やす。
香ばしいだけでなく、口の中に広がる黄身のまろやかさが広がる。
一緒にかけられた特製塩たれが、さらに甘味を増加させる。
どれもこれも、最近では食べたことの無い品ばかりだった。
それぞれに旨いといい、全てを食べた後、長は尋ねた。
「で? シャッサ、本当はどうなんだい?」
暖かな豆茶をテーブルの上に置きながら、シャッサは困ったように微笑んだ。
「長には、解ってましたのね。
これは、すべてフィルドの息子からの贈り物です。」
そのシャッサの言葉に長は、眉を顰めるが咎めることはしなかった。
「帰っておるのかね?」
出された豆茶をふうふうと息をかけながら、
ずずずっと長は茶とすすった。
シャッサも、同じお茶を手に持ち、長の前の椅子に腰掛けた。
両手で暖めるようにしてそのお茶の温みを楽しんでいた。
「ええ、3日前に。
最後の檻を引いてきました。
あの子たちを責めないでくださいませ、長。」
シャッサは悲しげにその茶色の瞳を揺らした。
長は顔を変えることなく、お茶をすする。
そして、ぼそっと呟いた。
「責めることなど私に出来るはずもなかろう。
あの子達が居なければ一族はとうに滅んでいただろう。
半端者だと蔑んだあの子達は、今の我らにとって、命綱と同じなのだ。」
淡々と語られる言葉には、嫌悪感や苦々しげな響きは全く感じられない。
長の言う通り、今の里は、全て彼らの持ち込む外貨によって支えられているのだから。
たとえその方法が、法を犯すものだとしても、
その利益を受け取る我らも同罪であろうと、長は頭の中で答えていた。
「祭りは、本当に行われるのですか?」
シャッサは、幾分温くなった豆茶を一口、二口と飲み込んだ。
その静かな問いに、長は口調を厳しく改める。
「古の記述どおりの正式な祭りだ。
失われた我らの力を取り戻す為の、儀式。
罪にまみれた我らが、更に罪を犯すことになんの躊躇いがあろうか。
それに、アニエスは、今更引くことをせんだろう。
この里の実権は既に私から手を離れておる。
現に、祭りの進行に関して、誰も私に聞きにこぬ。」
長の頭のなかで、先程の忌々しい孫娘、アニエスの顔を思い出す。
目的の為ならば、誰をも利用する。
自分の為以外の利益を認めず、蛇のように執念深い。
親しいもの以外には、決して本性を見せること無いアニエスの気質は、
皮肉なことに、誰よりも自分に似ているのかもしれんと、
長は、苦笑するしかなかった。
あれに、からめ取られた哀れな里の男達には、失笑すら浮かばない。
底に残った幾分濃い茶の成分を、わずかに残った湯でまわして
くいっと湯呑を呷る。
「どちらにしても、この祭りで我らの命運も決まる。
それが神の裁可だとするならば、受け入れるべきだろう。」
何かを諦めたような、投げやりにも聞こえるその答えに、
シャッサは、大きくため息をついた。
神の裁可。
それは、ここまでしてしなければならないものなのだろうか。
シャッサはその疑いを口にすることが出来ずに黙っていた。
*********
ピチョン、ピチョン。
天井から落ちる水音が、規則正しく水桶の中に溜められる。
真っ暗な、灯りが一切無い場所。
暗闇に慣れた目でも、見渡し判別することが出来ない暗い闇。
肌に触れる直接の感触から、ここは洞穴のような、
岩肌がむき出しになった場所。
そして、時折食事を運んでくる際の光から、地下深くの牢だとわかる。
ここに連れてこられてもう何日が過ぎただろうか。
後ろ手に縛られた手を動かして、壁際をわずかに移動する。
岩壁に刻まれた、小さな傷が幾つもある。
手で確認するだけだが、その傷は彼がここに連れてこられてからつけた物。
食事は日に1度。
チースと硬いパンだけの食事だが、それが出てくる度に、
壁にこうして傷をつけていた。
傷を触ってみて、20を遥かに越えていることに、小さくため息をついた。
自分は何のためにここに連れてこられたのか、なんとなくだが解っていた。
多分、祭りがあるせいだろうと。
ここに連れてこられた当初、食事を運んでくるものに尋ねたら、
祭りが済むまで大人しくしていろと言われた。
その男の外見は、レグドールの一族の者だった。
詳しく聞こうとしたら、次に食事を運んできたのは背の曲がった子男。
明らかに一族の者ではないが、周りから恐れられているようだ。
この男は、とにかく無口だった。
口が利けないのかと、疑いを持つほどに何も話さない。
暴れて逃げようとしたこともあったが、
この子男、見かけによらず腕が立つ。
腕っ節に自信があると自負していた自分が、子供のようにあしらわれた。
そうして彼は、捉えられてから既に20日以上の日を、無為に過ごしていた。
自分が捕らえられている場所もわからず、
何のために囚われ、生かされているのか、さっぱり解らぬままであった。
日々が過ぎ、体力も徐々に底をつき、
いまや、逃げるだけの力は残っていない。
暗闇と、冷たい石壁、そしてじめじめした空気が、
彼から、全ての気力をも、そぎ落としていっていた。
もはや、生きて帰ることは叶わぬかも知れないと、
頭のどこかで思い始めた。
捕まった時一緒にいた友人が、彼らに殺されていないことを、
運命に祈ることしか出来なかった。
「コナー、お前だけでも生きて帰ってくれ。」
誰も居ない暗闇のなかで、彼はぼそりと力なく呟いた。
牢に捕まっているのは、誰だかもう解りますよね。




