さあ、出発です。
朝日がもうじき登るようです。
空の色合いが、微妙に薄明るくなっているのです。
黒から紫になり、白い雲が横に靡くようにして薄い層をつくってます。
鳥の囀る音より早く目を覚ましました。
というのも、本日、夜明けと共に出発することになっているからです。
その為昨日は、いつに無く早く就寝しましたから、十分に睡眠をとれました。
だから、目もぱっちりと気分よく、勢いつけてベッドから降ります。
まだ暗い部屋の中、ランプをつけて浴室に行き、
顔を冷たい水でしっかりと洗って、タオルで拭きます。
ナイトキャップのお陰で格段と手が掛からなくなった私の髪の毛は、
今では、毛先のみを水でチョイチョイって感じで直ります。
これだけでも、王城生活は役に立ったって言えますよね。
船で着ていたような男物の服に着替えて、くるりとその場で廻ります。
鏡に映る姿は、なんだかやっぱり男の子みたいです。
王城で侍女として働いていた時は、私でも女らしく見えるし、
ちょっとでも、もしかしたら女性として成長したかも、なんて思っていたのに、
目の前の私は、なんだか船を降りたときの状態となんら変わりないような気がします。
背が伸びないのは、成長期が終わっているせいだけど、
心持ち女らしくなってたっていいのに。
神様に、加護ついでに女らしくって頼むのは駄目だろうか。
狸のような訳しり顔の春海の笑顔を思い出して、
それはないなと確信に似たため息をついた。
こればっかりは、どうにもならないと言う事かもしれない。
ミリアさんに、色気の出し方って聞いたら教えてくれるだろうか。
しかしどうも当てにならない気がする。
脅し方や、宥め方などは直伝してもらったけど、それすら私には荷が重く、
どれもミリア姉御のような威力を発揮していない。
事実、シオン坊ちゃんに試しに斜め下から睨みつけたら、
青くなるどころか、赤くなる始末でした。
いやはや、人には向き不向きがあるということでしょうね。
エリシア様に聞いても、多分、建設的な意見は帰ってこないだろう。
だって、常に天然色気発信してるみたいで、王様はメロメロだし。
色気。
それは私の頭を斜めに振っても欠片も出てこない代物だろう。
カースやセランに聞いても、大爆笑されるだけだろうし、
こういう悩み事相談とか、愚痴談義って、本当なら照がいいんだけど、
あれから、まったく起きてこない。
左の腕輪にそっと手をあてて、照に話しかける。
早く元気になってね。
小さくてもいいから、照に会いたいよ。
いつも返ってきていた照の返事が無い。
照がいるのはわかるので、不安は無いけど寂しいと思うのは当然だろう。
もう、照の居なかった以前の自分を思い出すことは出来ないくらいだ。
照が私に依存していると、以前に照が言った事があったけど、
私の方こそ、依存しているのかもしれない。
口を引き締めて、両手で頬をバシっと叩く。
「しっかりしろ、私。
こんなことで、どうするの。
これから、レヴィ船長のお友達を探しに出発するんだから。」
そう言い聞かせて、拳に力を入れる。
そして、鏡の中の自分の顔をじっと見つめる。
叩いた頬が、少しだけ赤くなってジーンとしびれを残す。
もう少ししたら、トアルさん達と、馬と馬車を連れた王城からの案内人がくる。
もう時間が無いのに、こんなお馬鹿な考えに振り回されている場合ではない。
セランは出発間際まで知らせないって言ってたけど、
王城ではもう早々と知っていました。
その上、馬や馬車や案内人まで至れり尽くせりです。
これで、絶対に迷いませんね。
実は、王城から来るのが誰かは知らないけれど、
ポルクお爺ちゃんが手配してくれたんです。
私が受け取ったポルクお爺ちゃんの手紙は、勝手気ままというか、
傍若無人というか、まあ、相変わらずだった。
「メイちゃん、元気かの?
ワシは寂しくて、安い紅茶も喉を通らんくらいじゃ。
ところで、酒呑み友達のカレンちゃんから、
メイちゃん達が、ファブリアド遺跡に行くと聞いたのでな。
ここはワシがメイちゃんを助けるべく、一人案内をつけることに決めたのじゃ。
おお、メイちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶの。
ここで断ったりして、年寄りの寿命を縮めるまねは、
優しいメイちゃんは、もちろんせんじゃろうの。
案内の男は、メイちゃんがびっくりするので、ここでは書かないでおくからの。
会ってのお楽しみじゃの。
出発当日の朝一番に馬車と馬を、案内と一緒に、
そちらに差し向けることにしたから、安心してよいぞ。
目立たない馬達だが、その足には高い評価がついておる。
多分、メイちゃんの船長さんが見たら、すぐ解るくらいにの。
なにせ、大変苦労して懸けた先で手に入れた一品どもよ。
ゼノ達も欲しいと歯噛みして悔しがる顔が、実に楽しかったの。
それもこれも、メイちゃんが喜ぶと思おてのことよ。
感謝の言葉は、土産でいいからの。
ファブリアド遺跡の宝とかでもいいのう。
キラキラ光っているものでも、ぶっさいくな仮面とかでも文句はいわんよ。
メイちゃんの笑顔が嬉しいからのう。
それでは、帰ってくるのを楽しみにしておるからのう。
もっともっと書きたいのじゃが、返却本が溜まっておってのう。
ステフが怒るばかりするのじゃ。
メイちゃんからも、ステフの石頭の唐変木のカチカチに言ってくれんかのう。
年寄りを苛めると、碌なことにならんぞっと怒ってくれると嬉しいのじゃが。
ああ、それではまたの。
帰って来るのを楽しみにしておるよ。
王城図書室に閉じ込められてこき使われる可哀相なポルクより。」
王城から帰ってきて、丁度5日目に届いたこの手紙に唖然とする。
カレンさんに会ったのは3日前の事だ。
出発する日を決めたのはその翌日だ。
手紙が届いたのはその次の日の朝。
船の引継ぎやら、責任問題やら、商会からの依頼など、
一切をバルトさんとセランに任せて、出発できるのは、
再度の話し合いの日から4日後になった。
つまり、私が王城から帰って丁度一週間後に出発になるということです。
レヴィ船長とカースとセランにこの手紙を見せたら、
皆、眉をしかめて唸っていました。
「カレンの奴、王城に情報を流したな。
カレンが口を割るなんて、よほどいい酒用意したんだろうな。
さすが、王城ってことだろうな。」
あれ?
感心する所はそこですか。
「メイは出汁か。」
レヴィ船長の言葉に首を傾げる。
出汁って、お味噌汁の?
ここではスープですね。
豚骨とか鶏がらではないのでしょうか。
「馬と馬車と案内人は正直助かりますが、こうも早手回しだと、
どこまでわかっているのかと首を捕まえて揺さぶりたい気分ですね。」
カースはぶすっとした顔のままで、手紙の紙をヒラヒラさせる。
そうですよね。
昨日の今日でどうして、いろいろ知っているんでしょうか。
何処かにカメラが設置してあるとか?
王様がポルクお爺ちゃんは千里眼だと言っていたけど、
やっぱり真実そうなのだろうか。
きょろきょろととりあえず天井付近を見渡してみたが、
やはり何もない。
うーん。ポルクお爺ちゃんですからね。
いろいろ諦めたほうが、多分早いですよ。
だって、話通じないどころか、いつのまにか、ポルクお爺ちゃんの良い様に、
行動させられるって王城では日常茶飯事でしたからね。
気がつくとなんでだろうと、
遠くを見つめていたのは私だけではありませんでしたし。
私やステファンさん、レヴィ船長のお父さんのゼノさんは言うに及ばず、
王様や王妃様まで、そのペースに巻き込まれているのですから、
もう仕方ないのではないでしょうか。
王様いわく、ポルクお爺ちゃんが唯一敵わないのは、奥さんだけだったとか。
どんな人だったんでしょうね、お爺ちゃんの奥さんは。
そんな強引なお爺ちゃんですが、誰一人嫌ってないのですよ。
だってお爺ちゃんは、ちゃんと人の心の痛みを解る人でしたから。
本当に傷つくようなことはしなかったのですよ。
まあ、微妙に愛のムチっぽいのがありましたが。
今は、どうやらステファンさんが、ポルクお爺ちゃん係となっているのでしょう。
あの綺麗な長い髪が、心労で禿げなければいいのですが。
ゼノさんや、王様だって、ポルクお爺ちゃんの存在を心の支えにしていたと思います。
思うに、仕方ないなあって愛される存在なのだと思うのですよ。
その甘え方とか、絶妙ですし、老人に怒るなんてどうにも出来ないでしょう。
手紙の上でも、断りようが無いというか、そつが無いんです。
それより、お土産って遺跡に売っているのだろうか。
王城で侍女修行した一月の間に結構な額の給与をいただきましたので、
多分、美味しい紅茶とかお饅頭とか買えるかもしれません。
ファブリアド遺跡特産紅茶とか、温泉饅頭とかあるのかしら。
キラキラって、お面って、何?
そういえば、昆虫の背中を模した仮面がアフリカの原住民であるって聞いた事がある。
昆虫の背中って、カメムシだろうか、やけにテカテカ光ってた記憶がある。
あんな感じなのかしら。
こっちにもキラキラしたお面って、あるのかな。
カメムシもどきの仮面が欲しいなんてポルクお爺ちゃんは、
意外に奇抜な収集家なのかも知れません。
た、高いのかしら。
宝になるくらいだから、お高いかも。
一月の給与で足りない額だったら、レヴィ船長に前借出来るかしら。
「宝とあるな。 いい鼻だ。」
レヴィ船長は、口角を上げてくくくっと笑っていました。
「ワグナーの地図のことまで嗅ぎつけたのでしょうね。
この事は、トアルとレイモンにしか言ってないので、多分そちらからでしょう。」
セランは腕を組んだまま、背を壁に凭せ掛ける。
「口が軽くなるのは、カレンだけじゃないってことだな。
とんでもない爺さんだ。
メイもおかしな爺さんに好かれたものだな。」
愛され存在でもあるんですが、
とんでもない、おかしいという表現に反論のしようがないですね。
ともかくそういったことで、王城から馬と馬車と案内人が一人来るんです。
どんな人なんでしょうか。
とりあえず、ここで鏡とにらめっこしていても仕方ないので、
荷物の麻袋を持って下に降りることにしました。
一応、往復で10日から2週間前後を予定しているので、
そのつもりの荷物ですが、私はもともと余り荷物が多くないので、
小さな麻袋一つで十分に治まります。
石鹸や裁縫道具と着替えを入れても、まだまだ余裕がありました。
ので、荷物の中には、なんとなく日本から着てきた服や持ち物もそっと入れておきます。
照が居ないので、どことなく寂しくなったせいではありませんよ。多分。
もとの世界の持ち物を持ち歩くことで、少しだけ心強いというか。
まあ、気分の問題です。
麻袋の中を確認して、袋の口を紐できゅっと縛り、肩に担いでドアに向かいました。
下の階に降りると、玄関付近にはレヴィ船長とカース、
そして、トアルさんと知らない女の人。
セランとバルトさんが階段下にいました。
「お早うございます。レヴィ船長、カース、セラン、バルトさん。」
大き目の声で挨拶をすると、それぞれに返事が返ってきました。
「ああ、お早う、メイ。」
レヴィ船長は、いつもの満面の笑顔。
ゆっくりと歩み寄ってくる精悍な姿は、いつ見ても惚れ惚れします。
私が駆け寄ると、大きな手で髪をそっと撫でられます。
「お早うございます、よく眠れましたか、メイ。」
カースは、私の顔に手をあてて、私の目の下の隈チェックをするべく、
私の顎をくいっとすくいあげる。
目の下に隈があったのは、王城に居た時だけですが、
私のあのお岩な姿が大分恐ろしかったのか、王城から帰ってからほぼ毎日、
カースは、こうやって毎朝私の健康チェックもかねて、じっと顔を観察してます。
カースの美人な顔がドアップで、最初は照れましたけどね、
今では歯医者の検診と同じだと思うようにしてます。
今日は合格点ですね。
にっこりカースの手が、ゆっくり顎から離れます。
カースのため息がでるのはいつものことですから、気にしてません。
本当に心配性なお兄さんです。
「ああ、お早う、メイ。まあ、メイに限っては問題ないだろ。
どんな所でも眠れないなんて細い神経は持ってないからな。」
セランは、階段下付近でどっかりと座り込んで、
持って行く薬品箱のチェックをしながら、
返事を返してくれるけど、顔はこっちを全然向いてない。
幾つか舌打ちしながら、自分の鞄の中をかき回し、ビンの幾つかを入れ替える。
それぞれ分量と効能を記した紙をそれぞれに巻きつけている。
うーん、実に忙しそうだ。
この薬品箱は、トアルさんが用意してきたものらしいです。
セランが用意していたものもあったのですが、
重複すると荷物が増えるので、今、両方をつき合わせてセランが薬品を選んでいる。
「おう、お早うさん。メイ、お前も次から次へ、大変だな。
まあ、頑張れよ。2週間で戻ってくるんだろ、後は任せろ。」
バルトさんが豪快な笑みを浮かべて、私の背中をバンバンと叩きます。
いつもの事ながら、その勢いに前のめりにこけそうになります。
レヴィ船長とカースが、玄関を入ってきたトアルさん達の側にいくと、
笑顔のトアルさんと手を繋いでいる女性が、にこやかに朝の挨拶をしました。
「お早う、レヴィウス、カース、やっぱり早いね。
それに、レイモンがやっぱり最後か、まあ、いつもどおりだね。」
「ああ、お早う、トアル、ポピー。」
「お早うございます、トアル。ポピーも久しぶりです。」
二人がトアルさんに答えた後、茶色の髪の細身の眼鏡の女性がにっこりと微笑んだ。
「はい。お早うございます。
本当にお久しぶりです、レヴィウスさん、カースさん。
先日は、こちらにこられなかったので、せめてお見送りをと思いまして。」
銀の眼鏡が、ようやく登り始めた朝日の光でキラッと光ってます。
知的美人って感じですね。
トアルさんと手を繋いでいると言う事は、奥さんか恋人ですね。
じっと4人を見つめていたら、トアルさんに無言で手招きされました。
猫を招くように、片手でくいくいって。
たたたっと小走りで近づくと、トアルさんに知的美人の紹介をされました。
「メイさんは、初めてだね。
彼女は僕の妻のポピーだよ。」
おお、やっぱり奥さんでしたか。
私は膝を軽く曲げて、頭を下げてお辞儀をします。
王城で習った、道で会ったときの挨拶お辞儀基本形その3です。
「メイです。 ポピーさん、よろしくお願いします。」
ポピーさんも、私のお辞儀に同じようなお辞儀を返してくれました。
「トアルが道中迷惑かけると思うけど、メイさん、よろしくお願いしますね。」
顔を上げて目が合うと、にこやかな笑顔はマーサさんにちょっとだけ似てる。
美人だなあ。朝から、眼福です。
笑顔には笑顔で返しながら、にへらっと笑いました。
「本当に、デリアとウィケナの言ってた通りね。
メイさん、合格ね。」
「そうだろう!
それに、君も見ただろう、あの二人の顔。」
「そうね。あれには、話に聞いていたけど、びっくりしたわ。」
トアルさんとポピーさんは二人で手を組み替え組み買えしながら、
会話が私抜きで既に弾んでいる。
「あの、合格って?」
私の聞き違えですか?
「ああ、御免なさい。
私達女性の目からみての高感度のことなの。
気にしないで、女性だけの秘事だから。」
ハイファン?
女性だけのタクト?
訳のわからない単語の羅列に首を傾げます。
そこに、馬の足音と馬車の車輪の音が近づいてきているのに気がつきました。
ガラガラガラ。
カツカツカツ。
真っ黒い馬と茶色で白ぶちがある馬が見え、
その後ろに、馬車というより荷馬車ですかね。
屋根が申し訳程度についている馬車がきました。
四角い箱馬車ではなくて、幌馬車に近いものですね。
御者代には男の人が一人。
あれが案内人の男の人ですね。
それから、馬が1頭、2頭と続いてます。
上にはもちろん誰か乗ってますね
近づいてきて、口がパカーンと開いたのは仕方ないと思います。
御者台に座っているおじさん、もしかしなくても、
レヴィ船長のお父さん、軍部総長のゼノさんです。
いつもと違って、軍のマントもつけてなければ剣も帯びていない。
ですが、間違えるはずが無いでしょう。
左にばっさりとある目から頬ににかけての大きな傷跡もそうですが、
レヴィ船長と全く同じ色彩を持った風貌の逞しい体つきの男性なんて、
どこを探してもゼノさん以外には居ないでしょう。
それに、後から来る馬の上に居るのは副団長のロイドさんと、あと誰か知らないけど、
丸顔のほんわかしたお地蔵さんのような顔の男の人が馬で続いていた。
お地蔵さんもロイドさんも軍の制服を着ている。
えっと案内って、お地蔵さんの男の人かな?
馬の手綱を上手に引き、ぶるるっと馬の鼻息が聞こえ、
馬の足並みがピタリと止まる。
御者台から、ゼノさんがにやっと笑いながら、大きな声で挨拶した。
「よう、待ったか?」
レヴィ船長はもとより、カースもトアルさんも、ポピーさんでさえも
石のように固まってしまって動きません。
「なんだなんだ、もっと歓迎してくれてもいいんじゃねえか。」
そんな中、ひらっと元気よくゼノさんは御者台から飛び降りました。
カッコいいですね。運動神経はさすがです。
じゃなくて、どうしてゼノさんがここにいるんでしょうか。
「固まるのは当然でしょう。
内緒にして驚かそうと思っていたんでしょう。
それならば、成功でしょう。」
もういいでしょうとばかりに、あきれた顔を隠そうとしない、
苦労症のロイド軍団長が、はあっとため息をついた。
「お、レヴィウスも固まってるぜ。親父。
作戦成功だ。 レヴィウスの驚いた顔を見るのは何年ぶりだ?
子供のとき以来じゃねえかな。 懐かしいな。」
にこにこ地蔵顔の男の人から、顔とは似つかぬ爆弾発言が飛び出した。
今、なんていいました?
親父?
ここは、そう。
親父さんとか、世話になっている下宿屋のおかみさんの要領での発言でしょうか。
いち早く立ち直ったレヴィ船長が、いつもの表情になって、
ゼノさんと地蔵さんに向き直りました。
「ああ、お早う。 案内はどっちだ?」
「なんだ、もう立ち直ったのか。
相変わらず、感情の起伏が乏しい奴だな。
もっとあたふたと慌てると思ったのによ。」
ゼノさんは、口を尖らし、足元の石を蹴りつけました。
「親父、レヴィウスだぜ。 それを期待するのは、他でしろよ。
ほら、その辺にいるだろ。」
地蔵顔が、くいっと親指を右に曲げると、
トアルさんとポピーさんが、えっとか、なんでっとかあたふたしてました。
私は、セランに背中をぽんっと叩かれたあげくに、下から顎を突き上げられました。
アッパーカットの簡易版ですね。
「おい、驚くのは良いが、娘の癖に口を開けたままにするな。
色気もへったくれもないぞ。」
セランは、さすがのお医者さまです。
あまり動揺はしていないようです。
しかし、警告なしに顎を突き上げるのは、いかがなものかと思うのですが。
もう少しで、舌を噛むところでしたよ。
でもとりあえず、セランのお陰で口も閉まりましたし、
金縛りからも脱出できたようです。
「あ、あのゼノさん、お早うございます。
どうしたんですか? こんな朝早くに。
レヴィ船長のお見送りですか?」
とりあえず口が動くようになったので、ゼノさんの側に走り寄ったら、
カースに右腕を取られ、ぐいっと引っ張られました。
「それはそれは、御大自らお見送り有難うございます。」
にっこり笑ったカースの眉間に十文字の皺が浮かんでます。
これは、怒ってますよね。
「おう、カース坊、相変わらず可愛げないな。
メイちゃんの純真さをちったあ見習え。」
ゼノさんの言葉に、カースの眉間の十文字の数が増えていきます。
ですが、それを呷るようにお地蔵さんが言葉を畳み掛けます。
「へえ、これがメイちゃんかあ。
まあ、本当に、普通っちゃあ普通だな。
取り立てて美人というわけでもないし、頭がよさそうにもないし、
どこにでもいるごくごく普通の子だな。
レヴィウスの趣味も、ステファンの目も変わったもんだ。」
あう。
解っていますが、私の容姿に褒め所はこれっぽっちもないんですよ。
ええ、ええ、普通ですとも。
解ってますが、ちょっと下を向いて足でのの字を描くのは、許してください。
お地蔵さんとゼノさんから隠すように、カースが背中に隠してくれます。
有難うございます。
ですが、真実を今更突きつけられたところで、変わりません。
私は、私だし、平気ですよ。
カースの腕をそっと掴んで、にぱっと笑顔を向けました。
「カース、大丈夫、有難う。
本当の事だもの。 悪口でもないし、私は平気。」
レヴィ船長がカースとお地蔵さんの間にすっと立ちはだかり、
低い耳に響く素敵な低音で、嶮しい目をしながらお地蔵を睨んで言った。
「ルドルフには解らなくてもいいことだ。
それより時間が無い。
質問に答えろ。どっちだ。」
真っ直ぐに睨みつける緑の目を避けるように、お地蔵さんが顔を背けた。
そして、先程のゼノさんのように膨れっ面です。
「なんだよ。可愛い弟が執心な女性を見定める役目は兄貴の役目だぞ。
それぐらいさせてくれたっていいだろ。」
兄貴?
兄ってイイマシタ。
パンパンっと後ろから手を叩く音が聞こえた。
「はいはい、親子兄弟喧嘩してる場合じゃあないでしょう。
案内はゼノがします。
ファブリアド遺跡案内については、多分、一番の適応者だと思いますよ。
性格とこの口を我慢してもらえば、腕も立ちますし護衛としてもいいでしょう。
まあ、10日くらいは我慢できるでしょう。
馬車一台とそれを引く馬2頭、そして、連絡用もかねて予備1頭です。」
全員を纏め上げるように、ロイド軍団長の手が拍手を叩く。
我慢するとの言葉で、カースが嫌そうな顔になった。
ゼノさんは、ロイドさんに文句をいいたいようで、お前っとくってかかっていたが、
さすが、ロイドさんは慣れているので、全て無視。
レヴィ船長はなんとも無いようにその言葉に頷き、カースに合図を送る。
それに気づいたカースが、顔を改め口を引き締め、
幌馬車に近寄って車輪や軸などの点検を始めた。
「一応、簡単な野外料理の道具を積んであります。
この度の道行には宿町は一件あるだけでしょう。
食料、水、薬の類は用意されたと聞きました。」
淡々と事務的に告げられる言葉にレヴィ船長とセランが頷いて答えた。
「レヴィウス、問題ないようです。
トアル、メイ、荷物を積み込みますよ。」
カースのチェックが終わって、トアルさんとポピーさんの呪縛が解けたようだ。
「あ、ああ、荷物。 荷物ね。
これをその馬車に積むんだね。 解った。」
トアルさんが足元の木箱を3つと麻袋5つを積み込んだ。
私も自分の荷物とカースとレヴィ船長の荷物を積み込んだ。
セランも薬箱を積み込んだ。
そして、大きな木樽が一つ。水ですね。
これはどうやって持ち上げるんでしょうかと思っていたら、
「おーいい。 遅れてすまん。
間に合ったか。」
レイモンさんが、大仏面に汗をかきながら走ってきた。
その後ろをデリアさんが走ってきた。
「ご、御免なさい。
出掛けにウィケナがどうしても見送りに行くって聞かなくて。
やっと説得して家に置いてきたの。」
はひはひと息を切らせながら、胸を押さえているデリアさん。
なるほど、妊婦には走らせるとか無理ですからね。
置いてきて正解でしょう。
「おそいよ。レイモン。」
「デリア、旦那の管理が足りないわよ。」
立ち直ったばかりだったトアルさんとポピーさんから二人して責められる。
「すまんすまん。 おお、この馬車だな。
うん?この樽も載せるのか。 よいせっと。」
簡単に、石かなにかを持ち上げるように、レイモンさんが、
目の前の水が一杯詰まった木樽をヒョイっと持ち上げて幌馬車に積み込みました。
おお、怪力ですね。
そして、自分の荷物を載せて自分も乗り込みました。
「よし。俺は準備良いぞ。いつ出発するんだ?」
キラキラした目の大仏レイモンさんが、幌馬車の荷台を
ぱんぱんと景気よく叩きます。
その台詞にトアルさんががくっと肩を落とします。
ゼノさんが、お地蔵さんが、ロイドさんが、噴出しました。
セランもバルトさんも、思わず苦笑してます。
「相変わらずだな。お前の友人は。」
ゼノさんの言葉で、レヴィ船長の目がふっと緩みました。
その声で、はじめてレイモンさんがぎょっと目を開きました。
「え? なんでいるんだ?
レヴィウス、親子参観なのか?」
その言葉で、更にお地蔵さんが噴出してお腹を抱えて笑い出しました。
ああ、笑い上戸なのですね。
そんなお地蔵さんはほっといて、ロイドさんは、
皆に馬車に乗るようにいい、ゼノさんに馬に乗るように言いました。
「少しは真面目にしてください。
これは軍の仕事の一環ですからね。」
ロイドさんの言葉に、ゼノさんがふんっと鼻息荒く答えますが、
レヴィ船長やカースは、右眉を上げてきつい視線を送ってます。
ゼノさんは、ひらりと馬に乗り馬上の人となりました。
真っ直ぐに伸ばした背中が、カッコいいですね。
私もカースに手を取られて馬車に乗り込みます。
トアルさんもレヴィ船長も乗り込んで、幌馬車の荷台に無事、皆収まりました。
セランが荷台に近づいてきて、私の両手を握りました。
「メイ、無茶をして怪我をするなよ。
お前の役目は、力仕事でも走り回ることでもないんだ。
だから、大人しく。いいか、大人しくしてるんだぞ。
くれぐれも危険に立ち向かうのは、止めろ。
そういうのは後ろの男達に任せておけばいいんだからな。」
私は、大きなカサついたセランの手を、ぎゅっと握りかえして笑いました。
「はい。 セランお父さん。」
セランが嬉しそうに目を細めて笑いました。
「よし。行ってこい。」
その言葉がかけられて、御者台にいるカースとレヴィ船長が頷き、
馬の手綱がピシっと音を立てました。
馬がブルルと嘶き軽く首を振り、足を一歩ずつゆっくり進ませ始めました。
見送るセランやバルトさん、お地蔵さんやロイドさんが段々と小さくなります。
馬の走る速度が次第に早足に変わり、
カツカツ、ゴロゴロとリズムよく街畳を走っていきます。
角を曲がって、セランたちが見えなくなりました。
私は、大きく息を吸い込み、息を吐きました。
そして上を見上げます。
朝日が顔を出し、街中は明るくなってます。
白みがかった真っ青な空に、横にふわふわと浮いている白い雲。
いい天気ですね。
まさに出立日和です。
さあ、出発です。
空を見ながら、これから行く所はどんなところだろうと、
新しい景色を期待して、なんだかわくわくしていた。




