新しい謎かけです。
ポロンポロンと弦を爪弾く音がする。
ジャラランとハープのような弦が追走して曲を奏でる。
流れてくる懐かしい旋律。
耳に優しく響く柔らかな音楽。
おお、これは。
待ちに待っていた、体が楽になるマッサージじゃなくて、
癒しの音楽です。
あれ、でもなんだか、いつもと違いますね。
笛のような甲高い澄んだ音が一緒に旋律を奏でてる。
それに、なんだか木管楽器のぽこぽこと言う音も聞こえる。
うーん、木管ピアノってこんな音だったっけ?
いつもの綺麗な音楽の中になんだか、ちょっとだけ微笑ましい音色が混ざる。
なんだか、ほっとして気が楽になる。
もしかして、もしかしなくてもバージョンアップ?
よく、同じ曲でアレンジを変えて収録してあるのが、アルバムに入っているけど、
いろんなバージョンを目指しているのかしら。
神様もいろいろと新しい世界を目指すということなのかしら。
努力してるんですね。
日々精進なんて、神様なのに偉いですね。
でも、パンクとかサイケとかには走らないで欲しいなあ。
だって、音楽に合わせて首シェイクする人がいたりしたら、
鞭打ち悪化するかもしれないしね。
それにしても、この夢ヒーリング。
本当に、本当に久しぶりです。
音楽の音符の一つ一つが奏でられる度に、体のあちこちから、
ぽうっと灯りが燈るように、暖かくなってきました。
昨日、針仕事していて、爪の間を指したのがとっても痛かったんですが、
その指先もぽわっと暖かくなり、痛みがすうっと消えていきます。
そうしたら、体全体がなんだか光に包まれている感じがしました。
蛍光灯の光とどっちが明るいんでしょうか。
体の間接の痛みが消え、こわばっていた筋肉が緩やかにほぐれていく。
骨に痛みがあった部分は逆に冷やされ、熱い部分がすうっと移動する。
背中から足まで、そして首から、頬、頭の先までのぼせた感覚が何度も廻る。
冷たさが廻った所から順に、熱い痺れが手足から体全体に廻る。
どんどん、血流がよくなり、体がじんっと暖かくなってきた。
心臓が、どっくんどっくんと規則正しく打たれる。
ああ、この治っていく感覚。 気持ち良いですねえ。
温泉につかって極楽気分って感じで。
それにしても、幾千秋の思いを込めて、
この音楽が夢で流れることを何度希望したか。
特に裁判の前なんか、願掛けしたんですよ。
神様の守護者なんて大層な肩書きつけてくれたんだから、
一生懸命に念を送れば、私からのお願いが届くかもって。
でも、駄目でした。
そうですよね。
四柱の神様は、基本、人間の世界への関与が難しいっていってたからね。
私からのお願いメッセージは届かなかったのでしょう。
郵便屋が居ない世界はなんて不自由なんでしょうね。
そういえば、某有名な妖怪アニメでも、妖怪ポストってのがあるんだから、
どっかに神様ポストを作ってみたら良いんじゃないかな。
日本にも、江戸時代に一般市民からのお願いが届くなんとか箱って言うのがあったよね。
ああ、目安箱だ。思い出した。
目安って、何をもって目安なんだろうか。
はかりとか?
それとも目に安い箱?
あ、なんだか考え事していたら、なんだか小顔になってきた気がします。
某化粧品CMで、きゅっと顔が引き締まる感じって女優さんが言っているのが、
なんとなく実感できた気がします。
目を瞑ったまま、動くようになった両手を頬に、顎に、
目の上にとぺたぺたと触ってみました。
特に、目の上は昨日まで触ると痛かったんですよ。
微妙に紫と黄色の斑になって腫れていたんです。
それが、痛くありません。
目を瞑ったままですが、触れば解りますよ。
それに、目の奥とか、後頭部の瘤になっていたところとか、
あと、肩の痛いところとか、お尻とか、足とか、
次々と痛かったところを思い出して、触っていきます。
自分の体ですからね。
遠慮なんて全くしませんよ。
結構強めに押しているのに、痛み、無いです。
ひゃほうって手放しに喜びたいんですが、
もしかして夢落ちとか言う事もあるよね。
余り期待しないでおこう。
この癒しの音楽よ来たれって願いすぎて、
願望から夢に見たのかもしれないしね。
実際、夢って起きた時余り覚えてないんだよね。
あの春海との会話がある夢だけはなんとか覚えていられているんだけど……
あれ?
そもそも、私、この世界にきて、夢、見た?
考えてみたら、元の世界に居た時でも、悪夢以外は見ていない。
というか、いい夢ってすっぱり忘れてる気がする。
なんてもったいない。
どうせ夢に見るんだったら、レヴィ船長とかカースとかの夢が見たい。
現実に見れないなら夢で、なんて乙女の夢だよね。
でも、明日には、やっと会える。
つまり、今、夢見ているということは、寝ている。
起きたら朝、お迎えの日です。
やっとやっと、長かったわ。
早く、目が覚めないかな。
ドキドキしてきましたよ。
「ねえ、いい加減、目を開けてこっちを見たら。」
あら?どこからか空耳が。
気にしちゃいけませんね。
「わかってて目を瞑っているよね。音楽も終わっているでしょう。
諦めて目をあけたらどうなのかな。」
えーと、諦めたら人間そこで終わりなんですよ。
一応あがくということでどうかな。
「それ、使いどころ間違えていると思うよ。
それより、目を開けて上に来てよ。
美味しいオヤツがあるよ。」
なんですと、オヤツとな。
コーヒーは勿論ですが、オヤツはジンジャークッキー以来ですよ。
「本日のオヤツは、芽衣子さんが涙を流して喜ぶものだよ。」
……どうやら、武士の情けを発動する時が来たようです。
オヤツと聞かされたからには、いかないと渡世の風が滲みるかもしれません。
「なんだか、なにをと聞くのが馬鹿馬鹿しくなるような感じですね。
素直に目を開けて、上がってきなさい。いい子だから。」
むっ目安箱とか考えていたら、時代劇思いだしたんですよ。
子供扱いしないでください。
「いいえ、芽衣子さん。
あんまり遊んでいると僕が食べちゃうからね。」
まて、まって、先に食べるなんて義理人情は発生しないのか?
今、行くから、お待ちあれ。
私は、そうっと目を開けた。
そうしたら、なんだか、今までになく目の奥がちかちかする。
あれ、これ何?
視界に、光の線のような細い網、まあ、糸のようなものが浮いていた。
その糸が、キラキラと光っている。
いままでに、こんな風になること無かったのに。
新しいバージョンアップの副作用とか?
「ああ、それは、後で説明するよ。
今は上がってきてよ。」
上に頭を上げると、相変わらずの龍宮堂古書店が、ででんと浮いている。
私の目の前から、真っ白なリボンのような道が
真っ直ぐに宙を浮いて古書店に向かって繋がっていた。
しかし、何度も瞬きをしたけど、このキラキラ視界、消えないんです。
目の前の視界がちかちかして、なんだか平行感覚が狂ってきているような気がします。
このまま道をよたよた歩くと、足を踏み外して落ちるんではないでしょうか?
そう思うと、道幅がぐんっと広くなった。
おお、言って見るものですね。
これならば、下を見ないで上がれるし、キラキラ視界でもなんとかなるかな。
幾分早足で真っ直ぐに上がっていく。
息も切らさずに古書店の前に立ち、自動ドアのスイッチをぽちっと押した。
するっとスライドする自動ドア。
そこで、目に飛び込んできたのは、
いつもの天を貫くような吹き抜けの本棚。
また一段と高くなっているような気がします。
一体誰が上に並べているんでしょうね。
高所恐怖症のお客とかきたら、恐怖の本屋かもしれませんよ。
そして、ピンクのソファです。
ピンク!
それもショッキングピンクですよ。
私の気分がピンクなんでしょうか。
まあ、否定はしませんよ。
本当に明日が楽しみでしたからね。
それにしても、嫌味なくらい長い足を優雅に組んで座っているのは、
相変わらずに変わらない、茶色のスーツがよく似合う春海の春ちゃんです。
でもピンク、似合いますね。
ピンクって可愛い女の子ってイメージがあったんですが、春ちゃんの背景にピンク。
なんだか、美形って得ですね。
ピンクでさえも私ではなく春ちゃんに味方している気がします。
「褒めてくれてありがとう。 さあ、それはいいから、コーヒーをどうぞ。」
あ、そうでした。
待ちに待っていた懐かしのブレンドコーヒーです。
ああ、この匂い。
鼻からつんと漂うコーヒーの香りです。
トムさんのお菓子に時々ココアもどきがあったから、
もしかして、この世界のどこかにコーヒーあるのかもしれないよね。
いつか飲めるかなあ。
まずは一口、ああ、美味しい。
「よかったね。 それからこれは、何かわかる?」
あああ、それは!
真っ白なお皿の上に並べられて、宝石のように輝いている。
有名デパートにしか置いてないあの和菓子の老舗が作った、
復刻版懐かしオヤツ、鈴カステラです。
なんだ、鈴カステラかって思っちゃいけませんよ。
ほら、鈴カステラって、縁日でも売っているんだけど、
これは一味も二味も違うんです。
決め細やかなスポンジ生地にまろやかな舌触り。
茶色と白の生地は二色の味で、甘すぎずくどすぎず。
甘味は昔からのザラメと黒糖、仕上げに和三盆を使っている老舗の味です。
以前に、大学でお金持ちのお馬鹿お坊ちゃんが
教授に単位くださいって菓子折り持ってきたんだよ。
その菓子折りの中身がこれでした。
和菓子好きな教授は菓子折りに弱かったのか、本人に補習授業を行い、
3度のテストを用意してあげた。
それでようやく単位を取れた彼は、終わったと燃え尽きてました。
一生分に近いくらい勉強したって言ってましたね。
大げさだなって思ったけど、目の焦点がいささか合ってなかった。
倒れる寸前だったみたいで、後日熱だしたって誰かが言ってた。
でも、そのせいで、彼は鈴カステラの菓子折りを何度も持ってきたんです。
折りしも大学での賄賂、収賄疑惑などがテレビを騒がすことがあると
よく知っていた教授は、同じゼミ生徒の希望者を募り、皆で教室で大々的に食べていた。
疑惑をかけようとも、証拠は全て腹の中です。
ええ、一つも残りませんでしたよ。
私も、割り当ての一人2つを何度かいただきました。
ご馳走様でした。
あれは、天国の味でしたよ。
「でしょう。 僕も始めて食べたけど、美味しいねえ。」
ああ、人が思い出に浸っている間に、何先に食べているんですか。
「ほら、だって、芽衣子さん、あんまり美味しいって連呼するからねえ。」
いいですか?
美味しいものは半分こですよ。
「え? いいの? ほとんど芽衣子さんにあげるつもりだったんだけど。」
そうなの?
でも、まあ、いいよ。
これは、美味しいし、久しぶりに会った春ちゃんには、半分あげようではないか。
「はは、ありがとう。 随分寛大だね。」
だって、久しぶりだし。
さっきの音楽で体の痛み取れちゃったから、体軽いし。
それに、ああ、鈴カステラ、美味しい。
「ああ、光と闇の神様、頑張っていたからねえ。
何しろ、今までなかなか治らないように、神様のほうで逆回転させてたんだから。
それをやっと癒せるって奮闘したってところかな。」
は?
「ほら、芽衣子さんが裁判で証言するみたいだったから、
芽衣子さんのために、治りを遅くしてもらったんだよ。」
治りを遅くって、なんで?
「頑張ったんだよ。気を利かせたんだよ。僕。
裁判とか人間界の資料を集めて、芽衣子さんの為に。
ほら、裁判とか、同情票を引いた者が勝ちって、いうでしょ。
人間の心理を見事についた作戦だよね。 僕の。」
え?
人間の心理って?
「そう、なかなか治らないって思わなかった?
あれは、芽衣子さんの為に、僕が一生懸命に考えたんだよ。
ちょっとだけ。」
治らなくて痛いままなのが、私の為なのですか。
「酷い怪我をしている人間相手に、暴言吐ける人間はなかなか居ないからねえ。
だから、裁判でも皆、同情してくれたでしょう。」
うーん。
確かに、じろじろと見られたし、新聞にも載っちゃったけど、
裁判はなんとかなったような。
そうか、あれは、ぼこぼこ顔同情テクニックだったのか。
「そう、それに芽衣子さんの為でもあるんだよ。
体のあちこちが痛いままだと、無茶しないでしょう。
最近、怪我が目立ってたから、少しは大人しくしたらどうかなって。」
そ、そうなの?
えーと、私の体を気遣って?
「そうそう、あんまり癒しを何度も使うと、効かなくなるんだよねえ。
ほら、薬を飲み続けると、効きが悪くなるっていうよね。」
え?
癒しの効果も制限ありだったの?
知らなかった。
あ、だから、バージョンアップ音楽なのか。
「そうだね。 それに、明日、会いたい人に会えるんだよね。
だから、その前に治しておきましょうって、神様が。」
なんと。
レヴィ船長が迎えに来てくれるまでに治りそうも無かったから、
諦めていたんですよ。
まあ、この顔、なんども見られてますけどね。
でも、やっぱり斑顔は嫌なんですよ。
やっぱりちょっとでも綺麗であいたいとか……乙女心ですよ。
それに、王城の皆にお別れの挨拶するのに、斑顔で最後を決めるのは
いやだなあって思っていたんですよ。
明日は、斑無しの顔で皆に挨拶できる。
ああ、今日、治してくれてよかったあ。
あ、鈴カステラもうちょっとだけ食べても良いよ。
神様にも持って行きますか?
「それに、あの白いお爺さんが、芽衣子さんを観察してたからねえ。
神の力を使って、下手なこと出来ないでしょ。」
お爺さん? ポルクお爺ちゃんのこと?
「そうそう。人間にしとくのがもったいないほど、優秀だよね。」
ああ、そうだね。
「でも、明日でお別れみたいだし、もういいよね。
普通の怪我なら、本当はとっくに治っている頃合だしね。
お別れの際に疑っても、人間ならどうしようもないよね。」
そういえば、ポルクお爺ちゃん、人間離れしてるかも。
もしかして、春ちゃんの仲間?
「残念ながら、人間だねえ。
でも、人間は本当に面白いよ。」
残念で面白い?
「うん。だって、芽衣子さん気がついてるよね。
4つ目、そろってるって。」
ああ、そういえば、もう一色増えてましたね。
「そうそう、綺麗な紫だね。
今回は難しかったから、駄目かなって思ってたんだよね。」
へえ?
ところで、紫は何を求めていたんですか?
「今回の宝珠は、我愛だよ。」
我愛?
って、なに?
「自我の発生と認識、自分を形成する欲求の元のことだよ。」
自我かあ、よくわからないけど、
自我って人間が生まれながらに持つものじゃないの?
「本来ならばそうだね。
でも、我愛は自己愛が無ければ生まれてこないんだ。
自分が存在することを、生きることを欲してなければ発生しない。」
自己愛ですか?
ナルシストになれば、自己愛が生まれるの?
「いや、ナルシストは自己愛とは正確には違うから。
本能によって全ての生き物が持つ特質の一つだよ。」
本能って、食べたいとか寝たいとか?
「そうそう、人間に本能で備わっているものなのに、
彼はそれを失くしていた。
自分で、全否定して本能を消してしまったんだ。
人間は本当に、いびつで面白い。」
いびつねえ。
でも、心の形が歪んでない人っていないでしょう。
それが個性だし。
「そうやって個性で済ませられる芽衣子さんは、おおざっぱというか、
いいかげんというか、芽衣子さんだねえ。」
褒めてないよね。
微妙に貶している気がするんだけど。
「ところで芽衣子さん、所作とか綺麗になったねえ。」
え?そう?
マーサさんにしごかれたからですね。
一月の集中訓練でしたけど、ちょっとは身になっているのかな。
そうだとしたら、嬉しいな。
「あ、鈴カステラのお替りいる?」
いります。もちろん。
あ、コーヒーもお替りくださいな。
「はいはい。 じゃあ、そろそろ本題に入ろうか。」
ええっもう?
待ってください。
鈴カステラのお替りあんなに残っているんですよ。
焦って取ったら落としそうですよ。
あ、落とした。
「落ちたものを拾うときは気をつけようね。」
大丈夫ですよ。
3秒ルール適応ですし、ゴミを払えば食べられます。
「その糸は、読むのに必要だからね。
必要な時だけ動かしてね。」
糸? 何の?
「あ、供物は基本、僕達関係ないから。」
糸と供物のを拾って動かしたら、関係ない?
「それから、歪んだ玉は芽衣子さんだけならば、
中に入れるし、出せる。」
玉が出てはいる?
パチンコ?
やったこと、一回くらいしかないよ。
「あ、でも容量を超えると、破裂するから。」
破裂?
パチンコが出すぎて破裂?
「大丈夫だよ。多分。
あの子も、君にだけは手出しできないはず。
だって、あっちの世界の方が明らかに高い頂にあるからね。」
あの子ってどの子ですか?
春ちゃんの隠し子?
あっちの世界がなんだって?
もう、もう、諦めたら駄目でしょうか?
さっぱり解りませんよ。
でも、前回みたいに、命に関わるってことにはならないよね。
「……芽衣子さん、頑張ってね。」
オーノー、否定してください。
せめてその件だけでも。
「あと、一応謝ろうかなって、後で。」
謝るって。何を?
「ほら、そこは照れるから、後でね。」
照れてないで、正直に言ってください。
「でも、もう目が覚めるし、しょうがないよねえ。」
え?
もうですか?
「もうです。 うん、全部伝えたね。
それではまた会える日まで、またね、芽衣子さん。」
はあ、そうですか。
あ、怪我、治してくれて有難うって神様に言って置いてください。
「はい。 わかりましたよ。
あ、そうそう、隠し子は、僕はまだ居ませんからね。
変な誤解はしないでくださいね。」
*******
春海の前で、鈴カステラを両手に持ち、
精一杯頬ばっていた芽衣子の姿が次第に薄くなって消える。
そうして、跡形も無くなってから、もう一度手を軽くふった。
芽衣子と一緒に消えたはずのコーヒーと鈴カステラが
目の前のテーブルの上に鎮座していた。
春海はずるずると体を滑らせて、ピンクのソファに体を投げ出すようにして、
凭れ掛かり、目を閉じ、大きなため息をついた。
その顔は、先程までの余裕のある表情が無くなっており、
頬の窪みが濃い影を落とし、疲れを濃厚に示していた。
「ねえ、春海、貴方、無理しすぎじゃない。
私も手伝うわよ。
それに、皆にも頼みましょうよ。
貴方だけが、全ての澱を引き受けるのは、無茶よ。」
目を閉じたままの春海の頬に、冷たい手がひやりと触れる。
持ち主に気がついて、目を開けた。
夏凪だ。
「芽衣子さんを、契約なしでこちらの世界に引き込んだ責は俺にある。
だから、芽衣子さんに掛かる世界軸の澱は、俺が引き受けないといけない。」
春海は疲れた体をゆっくりと起こしソファに深く腰掛けた。
そして、テーブルの上のコーヒーをゆっくりと口に運ぶ。
「ならば、私達が貴方に波動を送るわ。
それは、貴方にではなくて、芽衣子さんのためになるからよ。
それならば、貴方も受け取れるでしょう。」
春海は嬉しそうであり、寂しそうであり、
なんだか複雑そうな顔をしていた。
「神様達も、芽衣子さんを見てるのよ。
当然、貴方がしていることも。
その結果が、私の今の言葉だと思っていいわ。」
それは、神様達からの許可があるということ。
その言葉に目を見張る。
そして、薄い息を吐き、大人しく頷いた。
事実、春海にはかなりの負担が掛かっていた。
このままでは、春海の存在自体が消えてなくなるかもしれないほどに。
でも、4つ柱の神様達の後押しがあれば、持つかもしれない。
5つ目の宝珠がそろうまで。
「ねえ、本当に教えなくていいの?」
頭上から、最近になって、芽衣子のことを気に入っていた
もう一人の同僚が話しかけてきた。
泡秋だ。
「ああ、話しても話さなくても同じだろ。
4つの宝玉を持つ芽衣子さんは、力のある宝玉をひきつけるんだ。
それは、今までと全く変わらない。」
春海は、目を細めながら、目の前の鈴カステラを一つ持ち上げた。
「お前らも一つどうだ? 旨いぞ。」
「あら、いいの? いただくわ。 コーヒーもね。」
「うんうん。 美味しそうだね。」
その軽い口調に、春海は軽く苦笑する。
手を軽く振ると、机の上にコーヒーカップがもう2客現れる。
「どうぞ。 そうそう、謝る時は一緒にだったよな。
もちろん、覚えているよな。」
机の上のコーヒーは湯気を立てている。
そのカップを持ち上げて、夏凪は眉を顰めた。
「そんなこと、言ったかしら。」
春海はにこやかに鈴カステラを一つ取り、夏凪の口に持っていく。
「自分の言葉には責任を取らないとね。」
出された鈴カステラをぱくりと平らげ、夏凪は肩をすくめた。
「わかってるわ。憶えているわよ。」
「ねえ、春海、夏凪、その時は皆で謝ればいいよ。
冬波も多分、問題ないと思うよ?」
春海はびっくりしたように、目を見開く。
「冬波もか?」
「うん。楽しいねえっていってたから。」
そうして、泡秋は鈴カステラをぽいっと口に放り込んだ。
その味は、食べたことの無い甘味。
本当に芽衣子の世界の食べ物は美味しい。
いつかこのような美味しいものが、我々の世界でも作り出されるだろうか。
この世界の力が、バランスが強くなり、
芽衣子の世界のように、力強い躍動を物にする。
春海はまだ見ぬ未来を呼び寄せる大きな波を渇望するように、その手を握り締めていた。
やっと春海の同僚の全員の名前が出せました。
いろいろ春ちゃんがいままで悪役になってましたが、
中間管理職は大変だということですね。
さて、これから最終章です。
よろしくお付き合いください。




