街の子供達:前編
お待たせいたしました。
本編ではありませんが、レヴィウスやカースの子供の頃のお話です。
前中後の3話で終わった後、本編を始めます。
この三編は、次のお話の元にもなっているので、
少しだけお付き合いください。
「いい、レヴィウス、覚えておくのよ。
貴方のお嫁さんになる人は、私が認めるくらい素敵な人じゃないと駄目よ。
私より良い女だと納得しなくちゃ許さないからね。」
事あるごとに、言っていたのは俺の母親。
この夢を見たのは、本当に久しぶりだ。
以前にははっきりと映っていた母の面影が、今では輪郭が歪んで見える。
心が温かくなるような母の笑顔。
その感覚だけは、忘れないでいたいと切に願う。
この国の辺境の寂れた街、母の故郷で俺を一人で産んだ。
俺が5歳になった時、母の両親が相次いで亡くなり、俺を連れて街に帰った。
そこで始めて俺の父親というものに出会った。
どうやら、父は母をずっと捜していたらしい。
俺が物心ついたときには、俺には父という存在はいないのだと思っていたから、
予想外にびっくりした。
始めて会った父は、俺と同じ赤褐色の髪に緑の瞳をしていた。
多分、自分が年をとったら、こんな顔になるのだろうと予測できるほどによく似ていた。
「お前がレヴィウスか、俺はゼノ。お前の父親だ。」
やっとあえたと嬉しそうに破顔し抱きしめてくる男は、確かに父親なのだろうと、
すんなり理解できた。 ごつごつした大きな手が乱暴に頭を撫でる。
それが、なんだかくすぐったいような、嬉しいような初めての感覚だった。
父は、先妻を病で亡くし、後に母に出会って惚れたらしい。
やっと子供ができるような関係になって求婚したら、逃げられた。
ようやく見つけた母を妻に迎えようとしたが、またもやきっぱりと断られたらしい。
何度も何度も、母に求婚しては断られる父が、いっそ哀れと思われるぐらいに、
母の対応は厳しかった。
それでも父は一向に懲りてなく、一層の熱心さで毎日のように母の顔を見に来た。
以前に、何故そう父に邪険にするのかと尋ねると、母は笑いながら言った。
「あら、私は心の狭い人間なのよ。
私の愛は今は貴方で手一杯なの。
それに、私はあの人を愛したけど、あの人の生きている世界は愛せないの。
貴族なんて、真っ平。」
口には出さないけれど、その指には、何時もきらりと光るエメラルドの指輪。
父と同じ瞳の石。
母は確かに父を愛していたのだと思う。
母は、とにかく気風のさわやかな女性だった。
心が狭いなどと、間違ってもいえないほど懐が広い女性だった。
それに、本当にそれでいいのかと思うほどに、全てに思い切りがよかった。
賢く暖かく優しい、それでいてさっぱりしている。
人情に厚く、強気、十人が十人振り返るであろう美貌、
それなのに気取らないその態度が周りの全ての人に親しまれていた。
街では、店の給仕から裁縫までありとあらゆる仕事をこなした。
本業は商館の事務員をしていたが、礼儀作法にも精通した母は、
街では多くの人から必要とされていた。
そんな母には、いつも父の他にも数多くの求婚者がいた。
お金持ちに、貴族、大商人に学者や職人、有名な船大工の棟梁。
だけど、どんな相手も母を頷かせることは出来なかった。
母はいつも言っていた。
「人間の本当の価値はね、お金でも容姿でも地位でもないの。
ここよ、ここ。 私の心を奮わせる事ができる人でなきゃ駄目なの。」
そういって、胸をどんと叩く母をみて首を傾げたのは遠い記憶のかけら。
その指にキラキラと光る指輪が、なんだか目に眩しかった。
指輪の光が目に差し込み、思わず瞼を手で覆う。
目を瞑って、入ってくる光を予測しながら、そっと瞼を上げた。
そうして、目を開けたら、いつもの天井でいつもの朝だった。
*******
イルベリー王国では、子供は7歳になるころから学校に通いはじめる。
生活に余裕のある子供だけだが、7歳から15歳までの8年間を学び舎で、
同じような年頃の子供達と共に過ごすのだ。
この街では、子供の通う学校は大きいものが二つ。
一つは、貴族や金持ちが通うサットン王立学院。
校舎は、赤レンガ造りの立派で煌びやかな装飾が目立つ建物だ。
校舎のあらゆるところに豪華で高価な展示物が所狭しと置かれている。
それらは、金持ちや貴族達が贅を凝らした寄付という名前の自慢の種にもなっている。
校舎の位置する場所は街の中心部にあり、役所にも近く便利なところだが、
毎朝、数多くの馬車が通学の為に学校付近で混雑する交通渋滞を作っている。
また、親の身分がそのまま子供の身分といった校風が自然と蔓延している。
もう一つは、一般市民や外国人の移民市民の子供が多く通うガバナー国民学校。
場所は、市街地よりも倉庫群の立ち並ぶ造船所の近くで、職人街にも程近い場所にある。
元は職人達の子供達の通う学校だっただけに、その学び舎は堂々とした石造りだ。
ぱっと見た限りでは、外見は倉庫のような建物だが、実は、中は城砦のごとくに、
堅牢で頑丈な造りになっている。
こちらは、卒業生達からの寄付や国からの支援金、親達が捻出する授業料だけで、
運営している学校なので、経営はいつも苦しみがちだ。
だが、その分、身分差などの閉塞感がなく、むしろのびのびとした校風で
自由に育てを実践している学校だ。
生徒数はどちらの学校もあまり変わらない。
大体が250人から300人と言うところだ。
この二つの学校は、何かをなす時には必然的に比べられる傾向にあったため、
学校の教師から生徒に至る迄、自然と敵愾心を呷られる形で成長する。
それが旨く正の部分に働けば、切磋琢磨するライバルで微笑ましいものだが、
昨今、生徒間での争い事は、警邏の手を煩わせるほどに進展してきていた。
年に2回、交流試合と称して対決試合があるが、流血沙汰にまで発展しそうな勢いだ。
どちらの学校の実力も平行しており、勝ったり負けたりとを交互に繰り返してきたが、
ある年、ガバナー国民学校の圧倒的勝利を記録した。
その時から、丸二年が経った今現在、その連勝記録は続いている。
******
母が突然亡くなったのは、レヴィウスが10才になったばかりの頃。
当然のように、父の館に引き取られた。
レヴィウスは母が死ぬ前からガバナーに通っていたので、
父に引き取られて後もガバナーに通うことを強く希望した。
父の家の戸籍に入らないかと尋ねられたが、それも断った。
母の意志を尊重したかったからだ。
そんなレヴィウスに、父はそうかと呟いただけで、何一つ強制することはなかった。
引き取られて二年が経ち、父は後妻を娶って弟が出来た。
もともと兄や父は物事に無頓着なことがあり、新しい家、新しい家族にも
特に疎外感を感じることもなく以外に住みやすかった。
その上、新しい幼子の存在で、一気に明るくなった。
母の死亡で暗く沈みがちだった父の様子が、一転して変わる。
屋敷中が、幸せな空気を漂わせていた。
その半面、レヴィウスは父や父の家族と自然に距離を置き始めた。
幸せなのは良いことだ、歓迎したいと心より思っているが、
母のことを思うと、その喜びの輪に入るのは躊躇われた。
家に帰らず、学校の友人との触合いや学内で任された仕事を片付けているうちに、
ガバナーの代表格として、頭角をあらわすことが多くなったのは、
レヴィウスが12の年を越えた頃である。
「おい、聞いたか? 隣の組の奴ら、またサットンの奴らともめて、
警邏のお世話になったらしいぞ。」
明るい茶色の癖のある髪を揺らしながら、本来なら正面に向かって座る椅子の背に
腕で背もたれを抱え込むようにして逆さに座っている少年は、
そばかすが鼻を覆うようにして広がっている低い鼻のトアル。
淡い青の瞳が、くりくりと表情を変えてよく動く。
まだ声変わりもしていない声は、キンキンと喧しい。
「おいおい。またかよ。
これで何度目だ? 校長の話がまた長くなるぜ。」
トアルの隣の席の少年が横から意見を挟んだ。
濃い焦げ茶の角刈りにも近いほどの短髪に明るい茶色の瞳。
ぴんぴんと立っている髪は、ちくちくと刺さりそうなくらい尖っている。
体つきは細身で手足や首がやけに長い、元気がよく機転がきくコナー。
俊敏さにかけては校内で右に出るものはいないのが、もう一つの自慢だ。
「けどよ、今回はサットンの奴ら、泣いて帰ったらしいぞ。
ざまあみろってんだ。 大体、いつも親の権力をあてにして男らしくないんだよ。」
トアルは、口を尖らせるようにして反論する。
いかにも勇ましく言っているつもりで、その右手を大げさに振り回している。
「はん、奴らが男らしくないなんて、当たり前のことを言ってやるなよ。
こっちが同情心を覚えちまったらどうすんだよ。」
トアルを挟んだ反対側から、勢いよく身を乗り出す少年が援護に廻る。
体つきは熊を思わせるくらいに、筋肉隆々な子供にしてはごつい体、
黒っぽいグレー縮れ毛気味のパンチパーマのような髪と細い目が、
優しい大仏を思わせる顔立ちをしているが、実は言動が一番危ないレイモン。
「全くだよ。 レヴィウスもそう思わないか?」
レイモンに持ち上げられて調子に乗ったトアルが、
キラキラした目で見つめている先にいるのは、
正面に座ったまま無表情のレヴィウス。
赤褐色の柔らかそうな髪に、冴え渡るエメラルドを思わせる硬質そうな瞳。
顔立ちは丹精なつくりなのに、薄っすらと日に焼けた肌。
顎の輪郭から首にかけての線は、少年から青年へと体つきが変わり始めていた。
肩から背中にかけて流れる筋肉のしなやかな動きが、若い野生動物を思わせる。
彫りの深い柳眉に落ちる影、そして、その落ち着いた雰囲気。
全てが、紛れも無い王者の品格を漂わせていた。
14歳から15歳に変わる時期。
彼は、このクラスの誰よりも早く大人の輪郭を手に入れかけていた。
そんな彼に正面から見つめられると、誰もがたじろぎ身をすくませる。
そんな中で彼にこんなふうに気軽に声をかけるのは、彼の仲間内だけだ。
朝っぱらから堂々と、教室のほぼ真ん中で大声で会話をしている友人たちに、
レヴィウスの冷たい視線が下ろされた。
「やることをやってから話せ。
もうじき、先生がくる。」
淡々とした口調に、真っ直ぐに伸ばされた視線は、友人達の机の上に集中した。
そこには、本日までと出された宿題。
丸まったパピルスのような、硬い材質の紙の束。
実は今現在、彼らはレヴィウスの宿題を丸写ししている真っ最中であった。
友人達は、軽口を止めて自身の手元にあわてて視線を戻す。
「ああ、そうだな。 すまない。」
頭を掻きながら答えるコナー。
「いつもは、カースが止めてくれるけど、今はいないから、つい。」
言い訳をしながら口ごもるトアル。
「先生が来たら、ごまかしてくれ。 もうじき終わる。」
一心不乱に写し始めたレイモン。
彼らは一つの机の上で、カリカリと音を立てて、宿題を写していた。
まあ、いつもの光景なので、このクラスの人間は誰も何も言わない。
言い訳をする友人達から視線をずらし、レヴィウスは肘を机に突きながら、
窓から入ってくる気持ちのよい風に軽く目を閉じていた。
その横顔は、凛々しくカッコいい、絵本の中にでてくる勇者様のようだ。
ずっと眺めて、額にいれて飾っておきたい。
レヴィウスの隣の席にすわっているおさげ髪のミリーは、
そう思ってうっとりと横目で、尚且つ堂々とレヴィウスを見つめていた。
見つめているのはミリーだけでなく、クラス中の女生徒の大半と、
幾人かの男子生徒も同じように羨望の眼差しで、彼を見つめていた。
それらの目は、ハートに形を変えそうなくらいに、熱い。
ちりちりと焦げそうなくらいに熱い視線、
それに対して、全てに無反応を決め込むレヴィウス。
普通の人間なら決して落ち着かない状態だが、それがレヴィウスの日常であった。
「おい、知ってるか? カースが、今朝呼び出された理由。」
カリカリと羽ペンを動かす音がする中、沈黙に耐え切れなくなったトアルが、
またもや口火を切った。
「いや、カースに頼みごと、つまり、レヴィウスにだろう。
あの先生、カースやレヴィウスが頼りになるからって頼りすぎだぜ。」
コナーの言葉に、レイモンが先生を野次った様子で、軽口を叩く。
「先生は大人のくせに、まるっきり頼りにならないからな。
嫌味ならはっきりと言ってやれ。 どこもかしこも弱いんだから、仕方ないってな。」
「レイモンが、大人顔負けの怪力過ぎるんじゃないかな。
普通の子供は、造船所の碇を一人で持ち上げられないんだよ。」
トアルが口を尖らして、体が大きなレイモンの肩を、羽ペンの先でちょんとつつく。
「俺の親父は、もっと大きな碇を持ち上げられる。」
ふんっとつつかれた肩に力をいれて、ここぞとばかりに筋肉の隆起を見せびらかすレイモン。
「まあ、レイモンは親父さんに似てるからな。で? カースが呼び出された理由って?」
レイモンの筋肉自慢は見飽きたとばかりにコナーが、話を元に戻す。
「そうそう、なんと転入生だって、このクラスに。 ちょっと問題があるみたい。」
「「問題? なんだ、それ。」」
二人がそろって顔を上げた。
その視線にトアルがちょっとたじろぐ。
「そ、そこまでは知らないよ。 だけど、転入先はレヴィウスの居るこのクラスと、
ポピーの居るクラスに限定されたみたいだよ。」
「ポピーって2学年下か、まあ、彼女のクラスなら問題など起こらないだろう。」
コナーは、インク壷にペン先を軽く浸け、軽く液をこそぎ、またかりかりと書き始める。
「ということは、転入生は女の子か?」
レイモンは、まだぐっと筋肉体操をしている。
「うん。 ポピーのところはそうだろうね。 だけど、俺達の方は多分男だよ。」
トアルも、羽ペンをインク壷に浸けこみ軽く淵で擦り取り、またかりかりと音を立て始めた。
「何でだよ。」
あわてて、レイモンも筋肉体操をやめて羽ペンを持ち上げた。
「だって、カースが呼び出されたからね。」
「ああ、なるほど。
カースって女嫌いだからね。」
「隣のクラスの一番の美少女のレイラにも、全く興味ないって感じだしよ。
アイツ、理想が高すぎんじゃねえの。それに、レヴィウスもだよ。
なあ、お前達の好みの女性ってどんなタイプよ。」
いきなり会話を振られて、レヴィウスの閉じていた目がゆっくりと開かれた。
その会話の流れに、クラス中の視線が、レヴィウスに一斉集中した。
勿論、ミリーも他の女生徒も、耳に、その目に、全神経を集中させる。
「何故、そういう話になるんだ。」
コナーに頭を小突かれながらも、レイモンはさらに話を進める。
「いや、だってよ。 俺の姉ちゃんも、レヴィウスのファンだからよ。
さりげなく聞いておいてくれって頼まれてるんだよ。」
「どこがさり気なくなんだよ。 堂々過ぎんだよ。」
「いや、でもさあ、俺達も気になるよね。
だって、あれだけ沢山の女の子に言い寄られても、二人とも知らん顔してるだろ。
どんな女の子なら、二人の目にかなうのか。
興味はつきないよね。」
トアルは面白そうに、レヴィウスに話題を振る。
レヴィウスは、口角をかすかにあげて、くくっと楽しそうに笑った。
「女の好みか、まあ、理想はあるな。」
レヴィウスの返事に、ミリーの喉がごくりと鳴った。
机の上で、ぐっと拳を握りこむ。
その続きは、一体……。
「理想って、どんなだよ。」
この三人とカースを加え、大体がこの5人で行動している彼らは、
ガバナーでも有名な集団であった。
情報通で、どんな情報も聞き逃さないし、見逃さないトアル。
発想が奇想天外で、奇抜なアイデアをだす、早足のコナー。
口が悪く根は明るい、怪力無双を誇る力持ち、レイモン。
頭がよく、口も達者で、面倒見のよいレヴィウスの相棒、カース。
それぞれが各々秀でた才能を持ち、何かにつけ下級生や先生まで一目置いている集団だ。
特に、有名なのが圧倒的な支持を得ているガバナー校の生徒代表頭、レヴィウス。
彼はサットンとの交流試合で、一度たりとも負けたことの無い生徒だった。
本来なら卒業間近でないと代表に選ばれないのだが、レヴィウスは12歳の時には、
既に前代表から指名を受け、翌年全校生徒一致で選ばれた信頼厚き、優秀な少年だった。
現在任期2年目で、サットンとの交流試合はこの2年間一度も負けてない。
その実績と生徒を動かす指揮能力は高く評価され、学校内外でも有名なほどだ。
彼を含む5人の生徒は、ガバナーの全校生徒から、尊敬と信頼と親愛を一身に集めていた。
特に女生徒は彼らに傾倒するものが多く、親衛隊のごとくに抜け駆け禁止令なるものが
できているらしい。
その彼に、理想の女性像があるらしい。
そう聞かされて、どんなと聞かずにはおれない人間は
このガバナーには誰一人いないだろう。
クラス全員が、その答えを固唾を呑んで待っていた。
その空気を知ってか知らずか解らないが、レヴィウスが笑いをおさめて椅子から立ち上がり、
前の席の友人達の中心にあった自分のノートをさっと持ち上げた。
ああっという声がしたが、冷たく声が下ろされる。
「時間切れだ。」
レヴィウスが席についてすぐに、カースと先生が一緒に教室に入ってきた。
どうやらレヴィウスの理想の女性については聞けないようだ。
クラス全員が、失望のため息を心の中で大いについた。
長い真っ直ぐの黒髪に淡い青い瞳の全体的に細身の少年、
カースがレヴィウスの側を通り過ぎる時、そっと呟いた。
「例の転入生だ。このクラスと2学年下に入る。」
そうして、カースがレヴィウスのすぐ真後ろの席についた。
先生が教壇につき、席を立っていたほかの生徒も自分の席に着席する。
先生は、クラス全員、30名の生徒をぐるりと見渡し、満足そうに頷いた。
大声は泣く時にしか使わない大人しい先生が、久々に大きな声でクラス全員に話しかける。
「皆、今日からこのクラスに仲間が増えるぞ。 さあ、入ってきてくれ。」
ドアノブがまわされ、入ってきたのは、洗いざらしのようなすすけた金髪の少年。
マッシュルームのような髪型だけみれば、子供らしく大人しいという印象を受けるが、
その瞳に、その肌に、みんなの目がぎょっと目を見開いた。
群青色の右目に金の左目。
目が猫のように大きいが、顔全体としては割と整っている、肌は青黒い。
そう、青黒いのだ。 まるで国はずれの岩場で暮らす、ある一族そのものだ。
そのある一族とは、この国の歴史にも由来するぐらいに悪い意味で有名だった。
これが、トアルの言っていた問題か。
クラスの全員が、一瞬で理解した。
イルベリー国には船乗りが多いので、日に焼けた肌は珍しいことは無い。
だが、青を混ぜ合わせたような浅黒さは、天然でしか造り得ない。
つまり、日焼けではなく生まれ持った肌色。
トアルはびっくりした様子で、独り言にはいささか大きいのではと思われる声量で叫んだ。
「レグドールか?」
周りにいた生徒が、その言葉にざわめき始めた。
先生が騒ぎになる前にと、慌ててカースに目配せをした。
先生の露骨な合図を受けて、眉をひそめたカースが席を立つ。
「そうだ。 転入生はレグドールとの混血だ。だが、このクラスにはいる以上、
俺達の仲間の一人だ。 差別や迫害は一切無しだ。」
周りの生徒達は、あえて大きな声では何も言わない。
ひそひそとしたささやきがクラスのあちこちから聞こえる。
カースはその様子に苛つきを覚えて、彼らをぎっとにらむが、あまり効果が無い。
皆の間には、明らかに戸惑いと困惑が広がっていた。
カースの目の前の席に黙って座っていたレヴィウスが、がたっと立ち上がった。
皆の視線が彼に集中し、ささやき声もざわめきもぴたっと止まり静かになる。
「お前の名前は?」
レヴィウスは、先生の横で皆をにらみつけている大きな目の
オッドアイの少年に向かって無表情で話しかけた。
少年は、レヴィウスをぎっと睨みつけたまま、声変わり途中のややかすれた声で答えた。
「自分から名乗らない人間に、俺の名前を教えるつもりは無い。」
その反抗的な態度と言葉に、カースをはじめ、周りの生徒達が反感を覚えそうな雰囲気が
周りに漂い始めた。
だが、レヴィウスが面白いものでも見つけたように、くくっと笑ったのだ。
まあ、実際には口角をほんの少し上げただけだが。
皆の視線が、転入生から彼に一瞬で移動した。
「そうか。 俺は、レヴィウス。」
その楽しそうな表情と、あっさりと少年の言動を受け止めたレヴィウスに、
いささか毒を抜かれたようで、気がつけば少年は自分の名前を口にしていた。
「お、俺は、ディコン。」
「ディコン。 この学校で解らないことがあれば俺に聞け、よろしくな。」
そのレヴィウスの言葉に皆の顔が驚いた。
そして、先生を筆頭にはらはらとしていた一部の生徒から安堵のため息が漏れた。
同時に、先程まで畏怖の目を向けていた転入生に、羨望の視線が一斉に降り注いだ。
レヴィウスの、よろしく、の言葉のせいだ。
いいなあ、アイツ。
自分にも言ってほしい。
そう皆の視線が物語っていた。
周りの感情の余りの移り変わりの速さに、ディコンは戸惑い落ち着かない。
そんな時、レヴィウスの正面の椅子が音をたて、トアルが勢いよく立ち上がった。
「レヴィウスがそういうなら、あやしい奴じゃないな。
よし、俺はトアル。 何でも言ってくれ。
噂話から愚痴まで、話せる男だぜ俺は。」
低い鼻の下に右の人差し指をあてて、自慢げに話すトアルに両脇から
ストップが掛けられる。
「俺は、コナー。
トアルは話し出すととまらないから、馬鹿じゃないなら辞めたほうがいいぞ。
俺も相談に乗るからな。良い知恵貸すぜ。」
コナーはトアルの片方の肩にその体重をかけ、トアルを席に戻す。
「俺はレイモン。
トアルに話すと、小さな問題すら危険物に変わるぞ。
馬鹿じゃないなら、辞めとけよ。
力仕事は俺に任しとけ、手伝ってやる。」
レイモンが、いつもの筋肉自慢の要領で、ぐっと腕を突き出した。
彼らのいつものトアルをからかう会話に、生徒の笑い声がどっとおこる。
「ディコンの席はレヴィウスの右隣のミリーの席だ。
ミリーは、前の空いた席に移動しろ。
目が悪くなっているようなので、そっちのほうがいいだろう。」
先生の言葉で、レヴィウスの隣の席のおさげ髪の女の子、ミリーがショックで一瞬固まった。
そのあと、両目を極限まで見開いて、泣きそうな顔になり先生の感情に訴える。
だが、先生はにこにこと笑ったまま、ミリーの移動を待っていた。
実は、レヴィウスの隣の席に座る為には、かなりの強運が必要なのだ。
席替えの時に、女生徒の殆どが彼の側を希望する。
くじで何度も破れ、やっと引き当てたのが10日程前。
7つの時から同じクラスになれるようにと願いをかけて、6年目でようやく、
同じクラスになれたミリーの唯一つの野望は、レヴィウスにクラスメイトとして認識され、
隣の席に座って、いつかおしゃべりをしてみたいだった。
まあ、それでゆくゆくは、レヴィウス、ミリーとお互いに呼び捨てする関係にと、
そしてそして、手を繋いだり、一緒に帰ったり、なんていつかなるかも。
ミリーの夢は大きく膨らんでいたところだった。
その実現に向けて、ようやくあと少しで一歩というところで、
神様の、いや先生の仕打ちは酷すぎるとミリーは拳を握り締めて唇をかみ締めた。
成績が下がった理由を聞かれた際に、
目が悪くなったせいだと、答えた数日前の自分を心から殴りたい。
だけれども、今の自分にあれは嘘でした、なんて言える心臓は持ち合わせていない。
仕方ないと、ミリーはゆっくりとした動作で立ち上がった。
ミリーがしぶしぶと荷物をもって、前の席に移動する。
そのミリーの席に、ディコンが座って、授業が始まった。
ディコンの為に、レヴィウスが自分の羽ペンを一本貸したところを、
授業の進み具合などを、レヴィウスが話している姿を、
恨みがましい目で見ることをやめられないミリーの頭に、
先生の教本の角が炸裂するのは、もうじきであった。




