裁判は斯くもあれり。
夜明け前からぽつぽつと降り始めた雨が、だんだんと大きな粒となり、
窓の外の木々や葉を激しく叩きつけ始めた。
そして、木々の間をすり抜けるようにして届いた雨水が、
窓ガラスにあたってはじけ、重いリズムを刻む。
今日は、雨です。
私の目が覚めた時には、雨音は非常に強くなってました。
風は北から吹き、雨風となって、上や横から激しく降らした。
雨の日は、体のどこかが痛むって誰かが言ってました。
でも、それって事故とかの後遺症だと思ってました。
自分で、まさか、実感するとは思っても見ませんでしたよ。
実は、首が廻りません。
本当に、実際に、全く廻らないんです。
かろうじて動くのは、前後左右に5cm程度。
くっ、首が動かないだけで、こんなにも体の機能障害が出るなんて。
ベッドから体を起こすことも、大変でした。
どうやって出たかというと、転がって落ちたんです。
肋骨は軋むし、首も肩もお腹もあちこちが痛むんです。
その上、顔を下にして落ちたので、低い鼻が朝からもっと低くなった気がします。
洗面所も大変でした。
まあ、詳しくは言えないけどね。
人間は行動する時には、必ず頭から動くっていう基本動作を改めて再認識しました。
朝から何度もよろめきながら厨房にたどり着き、トムさんにお願いして、
熱々蒸タオルを作ってもらって、やっと、首廻範囲が10cm程度に広がりました。
さっきまで、前しか見えないお魚状態でしたからね。
ああ、周囲が見えるって素晴らしい。
さて、私の意識が無事戻ってから、早一ヶ月が経ちました。
裁判も終盤に差し掛かってます。
私の顔は、斑ミックスのお岩カメレオンから、薄斑じゃがいも蛙くらいになりましたが、
まだまだ、普通の人が見たらぎょっとする素晴らしい恐ろしさです。
セランの2週間って診断はやっぱり、希望予想だったみたいです。
もしかしてと期待した分、がっくりします。
今なら、お化け屋敷に即就職可能なくらい。
私が怪我をしていることを知っているお城の使用人達にも、
すれ違うたびに、毎回、ぎょって、びっくりされる。
それに、皆が、知っているんだよね。
そう思ったら、心にも、なんだか雨が降りそうです。
部屋のゴミ箱に破り捨てられた紙が、かさかさと音を立てて揺れた。
その紙の存在に、思わず鼻に皺を寄せた。
******
裁判は一月前に始まりました。
今現在は、最終公判と判決を待つのみとなってます。
今回は、以前から聞いていた通りというかなんと言うか、
今までに無い大掛かりな裁判です。
何しろ、国議会の議事堂を使ってするのです。
議事堂は、100人は座れるであろう椅子がぐるりと扇方に300度くらいに囲っていて、
円形の舞台のようになってます。
後ろの方でもよく見える劇場スタイルで、階段の段差が10段あり、
100人が、はっきりと裁判の内容が確認できるようになっています。
中央に、審議の為の証言台があり、周りから見下ろされる形です。
そして、証言台の目の前には、議長、法制館の長、執政官代表、軍部総長が、
ちょっと背の高い位置で4席並んで座っています。
審議は、議事進行の法制館の職員がそれぞれに担当します。
そして、執行官の代理人として、担当省庁の代理人の弁論者が長々と弁論する形。
時間通りに進めるために、甲高いベルが事務職員の手に渡されます。
ベルが、裁判の開始、途中休憩二回、そして終了の合図となります。
あの音、耳に慣れなくて結構びっくりするんですよ。
何故知っているかと言うと、裁判の様子を事前に知ったほうが良いと、
カースに初回の公判に連れて行ってもらいましたし、
もちろん、私も証言台に立ったからです。
100席の内、裁判関係者で占められる席は80席。
前二列の半面、2列5席で、計10席は、アトス教の司祭と関係者。
半面2列5席で、計10席は、警邏の関係者と弁論人、そして証人。
3列目からは、法制館の書類係や記録係、
そして、それぞれの証拠と証人に関連する人物が座ってます。
私やカースが見学に座った席は、その内の2席。
法制館の長である王様に頼んでもらいました。
ものすごい倍率ですよ。
残りの席は、もちろん満席でした。
残りの20席は、新聞とか会報の記者達で占められます。
毎日、「イルベリー国情報誌」「皆の街会報」「法制館御報」
っと言ったこの国の三大新聞が、一面に大々的にこの件を載せている。
それも、詳しい劇化タッチな描写つきで。
それを街の皆に限らず、このお城の使用人達も、興味深い娯楽のように、
端から端までしっかりと目を通しているみたいで、かなりの詳しさだ。
まず、初日を終えた時点で、号外が出た。
なんと号外は売り切れ続出で、増版が何度も出ました。
それを、お城の皆で回して読みました。
初日は、裁判の公判内容の読み上げと、決議事項の期限が明記され、
それぞれの項目を審議する為の公判開始時間、公判検事、終了予定時間などが発表された。
2日目からは、公判に入ります。
最初の議題は、アトス教区の病院の不正経理と着服について。
アトス教区の病院で実際に使われている薬とその用途、効能についての審議。
そして、実際に治療に通った人達の経過と結果。
医師会館のビシン総長や、高名な医者が何人も証言台に立った。
「アトス教会の病院での医療行為は、全くの意味を成さずその効果は無い。
国からの病院への助成金は、薬や医療行為には全くと言って良いほどに使用されず、
多くのこの国の患者が、無為に命を落としたのです。
これらのことが、本当に許されて良いものでしょうか。」
法制館の警邏の執政代理からの弁論は、証拠も証人もそろえた完璧な弁論で、
聞く人も完全に納得できるものだった。
対するアトス教区の自称医者もどきのガマガエル司祭は、必死で弁論する演説者を鼻で笑った。
「助かった人間は、神の御意志に副った者なのだ。
助からなかった者は残念だが、神の加護が得られない無為な人間だということだ。
助成金とやらは、神の御意志を問う為に必要に応じて使われただけ。
我々が神のご裁可を疑うなど、不敬極まりない。
異教徒どもは、そんなことも理解できぬのか。 誠に愚かしい限りだ。」
椅子に大きく踏ん反り返った、ガマガエルの司祭は、にたにたと笑いながら、
太ったその手をヒラヒラと宙に動かしながら後ろで、発言した。
この公判はほぼ一週間掛かった。
このようなあきれた物言いと、いかにも腹の立つ態度と顔は、
新聞の記者達が、かなりの熱の入れようで、審議の間、ずっとこき下ろしていた。
多分、彼らはガマガエルを見るのも嫌になったであろう。
2つ目の議題は、教区の学校と孤児院の運営と不正経理について。
学校に通っている生徒の半数以上が実際に通っては居らず、
中にはすでに死亡した子供も通っているようになっているずぼらな処理。
孤児院でも、死亡したり失踪した子供の数をそのままにしていた。
その上、彼らの生活はかなりの困窮を強いられている。
国からの給付金は、彼らの生活に全く直結していないことが判明していた。
それがなんと10年以上前から行われ、そのことを咎めた教師や生徒の辞職や死亡。
物騒な殺人にも関与していると警邏の弁論者が証拠とその証人を提出した。
「我々の国を騙して、給付金を着服しただけでなく、
我々の何の罪も無い国民が、力の無い子供達が、彼らによって害され、
その罪を隠すために、数多くの不条理を押し付けられました。
その罪は正されるべきなのです。」
それに対して出てきたのは、見たことないカマキリのようなアトス教の司祭。
背は低く、頭毛は薄いバーコード。
色は白いが、全体的に骨骨していて、
瞼が大きいのに、細目がぎろぎろと左右に動いている。
「この様な事で、大げさに論じるとは可笑しなことだ。
我々の学校はアトス教徒の通う学校です。
信仰に疑いを持ち、居なくなった者達がいずれ帰ってくるかもしれないと
席を残してあっただけのこと。彼らは居なくなったとしても、彼らの為に
祈りを捧げた我々が、アトス神にその費用を浄財として捧げただけのこと。
それを、大げさに着服などと。
また、彼らが死亡したり失踪した件には、我らは全く知らぬこと。
大方、彼らが神の御心に背いた罰をうけたのであろう。」
不遜な態度で人を見下した言動に、聞いていた多くの人間の沸点が臨界点に達した。
彼らの怒りに満ちた感情が、一身にカマキリ司祭に向けられるが、一向に気づく様子は無い。
それに対しても、新聞記者達は、ガンガンと非難批判の雨あられ。
公判は同じく一週間。
この国にはアトス教徒が数多く存在しているが、
多くの国民が、善良な一般市民の人々が、彼らに腹を立てていた。
それこそ、隣近所の教徒と知られている人達を迫害しそうな勢いで、
毎日が、喧々囂々と渦を巻いていた。
信仰心に薄い教徒たちは、我先にアトス教徒離反宣告を教会に提出し、
新聞媒体を通して教徒離脱を宣言した。
本当に信仰しているアトス教徒は、わが国の戸籍課に移動願いを出し、
犯罪に関わってない人間ならば受理され、
あわてて家財一式を持って隣国に引越しする有様だ。
それらは新聞だけでなく、人々の口から口へと伝わっていき、
沢山の噂話が飛び交った。
毎日、街のありとあらゆることが変わっていった。
中には過激派と呼ばれるものが存在し、アトス教徒の家を焼き討ちしそうになった。
そういった市勢の状況が、警邏と軍部の人間を朝昼なく扱き使った。
オーロフとその部下達が、働きすぎて体から魂が離れそうになったくらいだ。
それから、王妃様がアトス教徒だと知っているものは多く、
それに対しての不満、不平も多くでた。
王妃様は、最終日に王と一緒に、今回の誘拐騒ぎの真相解明のための証言に立つと
宣言して、新聞や国民に、近日中に是非を問う形になり、今は治まっている状態だ。
3つ目の議題は、教会で使用されていた薬品について。
麻薬効果がある薬品を教徒に使用していたのは、多くの教徒が全く知らなかった。
押収した香炉とその中身の練り香の成分分析結果。
医師会館の薬品研究者の人達が、証言台に立った。
その香の効能と結果を証人と証拠をそろえた上で、執政官代理が論ずる。
「この香を服用したものは、一種の催眠暗示に掛かりやすくなる上に、常用すると
判断力を鈍らせ、また、麻薬と同じく酷い禁断症状を引き起こすのです。
教区の司祭はそれを知った上で、自身は解毒剤を服用し、
教会で教徒に対し、薬を多用していたのです。
我らの善良な国民は、薬に縛られ、財産を失い、その身すら儚くなったのです。」
それに対して出てきたアトス教区の司祭は、横に平らな鰐顔の司祭。
中肉中背だが、小ぶりな目がこれでもかとばかりに長方形の顔の中心に寄っており、
鼻は低く、口が大きい、そして、八重歯が口から常に見えている。
彼は、つばを飛ばしながら、証言台で力を入れて力説していた。
「この香は、神に近づく為に必要だから使用していただけです。
そのような効能があるなど、我々にはあずかり知らぬこと。
我々が飲んでいる薬は、我々はすでに神に近しい者だから
我々には香は、必要なかっただけ。
財産を失ったとか、その身を儚くされたとかは
彼らが心から進んで寄進されただけのこと。
我々、アトス教区の司祭には、何の責任も咎もありようはずが無い。」
論じられる内容がことごとく理不尽だと、鰐顔司祭はかんかんに怒っていたらしい。
新聞を読んでいた私達からしてみれば、その発言はどうかと思う。
身代を失った挙句に体を売ることになった教徒達の行方は、ようとして知れない。
新聞には、若い身空で奴隷や売春宿に身を売られるだけでなく、
海賊に奴隷として売られたものも多いと書かれていた。
信仰の代償としては大きすぎるだろう。
全く、割に合わないとはこのことだ。
こちらの公判は一週間ほど。
毎日のように、真実が明らかにされていく。
国議会の議事堂の周りには、アトス教区の排斥運動家なるものが、
毎日のように座り込みを続け、その数を増やし、
日々、声高に教区の司祭達の死罪を訴える声は大きくなった。
それに応じて、警邏、軍部の末端までの人間までもが、議事堂の警備に当てられた。
国中が、真っ直ぐにこの裁判に向かって正しい判断をと言い始めた。
4つ目は、わが国のアトス教区の司祭と一緒にその利益を甘受してい売国奴について。
多くの商館が、アトス信徒と組んで不正経理を働いてきた組員達の明確な証拠を用意した。
たとえば、造船組合会館からは、海賊船やアトス教徒の不正輸出に繋がる人間達を告発した。
銀行公庫会館からは、不正送金の手続きをしていた連中を。
通商貿易商館からは、隣国への不正売買取引に参加していた連中を。
軍部からは、軍部の情報を流し、海賊と癒着していた連中を。
警邏からは、人身売買組織に情報を流していたり、証拠を盗もうとしていた連中を。
医師会館ですら、アトス教徒に不正に薬剤を目こぼしをしていた者達を差し出した。
この裁判が始まる前に、彼らはすでに裏切り者として捉えられており、
公判会場の証人席は埋まることなく、裁判は刻々と進められた。
売国奴は、その家族ごと摘発され、軍の牢や、警邏の牢、国の牢倉庫にて処分を待っていた。
この公判はすでに決定しており、読み上げるのに1日かかったのみ。
その中に侍従長ももちろんいた。
王城内部からの売国奴は、一層大きく取り上げられ、
以前の記事で使われた「信頼の置ける侍従長」の宣伝文句が入った記事の顔も、
でかでかと「信頼を裏切った侍従長」と宣伝文句をつけて新聞の一面を飾った。
彼らの処分は、粛々と決められ、数多くの犯罪者は死罪。
それも、鞭打ち500回や杭打ち刑をした上での処罰となる。
殆どの犯罪者は、死罪を執行する前に死亡する。
杭打ち刑などは、イエスキリストのように磔になるのではなく、
文字通り、吸血鬼を退治するかのごとくに大きな杭を体の7箇所に打ち込まれる。
最後に心臓に打ち込まれるまで生きているものは、一割にも満たない。
死罪は、首切りと脚切り。
比較的、簡単に罪を認めたものは首切り。
最後まで、知らんと突っぱねた者は脚切り。
ただし、脚切り死罪は、一番最後の執行となり、
それまでに無実の証明が出来たものは、無罪となることができる。
そして、犯罪者に無理やり働かされていた者達は、国への強制賠償金と、
無料奉仕活動を余儀なくされた。
賠償金は、おおよそ使ったであろう金額の約3倍相当額。
無料奉仕は、一生涯、国からの呼び出しに応じなければいけない。
まあ、これが一番軽い刑。
国外追放とかは全く無いみたい。
それどころか、国から全く出さないってことみたい。
これらの刑の執行内容と、適用される人たちへの告知文を見たとき、
ああ、やっぱりここは異世界なんだなあって、強く思った。
だって死罪って、私達の世界じゃあ、本当に執行してもよいのかと
考えられる位に重いものだったと思う。
でも、この国では死罪は、恥ずべき死で、犯罪者はそれを甘受すべきだとか。
皆が、平気な顔で新聞を見ながら言っていた。
常識って、やっぱり違うんだなあ。
それに、国を裏切った代償は、本人のみならず、
その利益を甘受していた家族にまで及ぶのだ。
彼らは、自由民としてのこの国の権利を一切失う。
つまり、イルベリーの花は、彼らの身分証明のタグからその花を散らす。
そして、犯罪者の家族として、一生掛けてこの国に償いを求められるのだ。
家を持つこともならず、財産を築くことも出来ない。
一生、責任あるポストにつく職種に付くことも出来ない。
一生、監視される為、この国を出ることはかなわない。
犯罪者の家族という、最悪なレッテルを貼られる。
それも、今回のアトス教区の裁判が余りにも有名になりすぎたため、
その家族は、一般に多くの者からのさらし者となる。
新聞には、生まれたばかりの赤ちゃんまでもがその対象となると書かれてあった。
今回の売国奴として名前があげられたのは、おおよそ200名。
その家族はその3倍の数がいたが、それに対しての温情は一切なかった。
その判決文は、新聞を長々と埋め尽くし、人々が、知り合いの名前を見つけると、
まあ、あの人もと声高に叫んでいたが、同情の色は一切無かった。
全ての人の心情はわからないが、罪を罪として断罪する。
この国のれっきとした姿勢が、垣間見える気がした。
5つ目は、人身売買組織とアトス教区、及び、アトス神皇国の関わりについて。
死んだはずの孤児達が、数多く組織から隣国に奴隷として売られていたこと。
その売り上げが浄財として、また隣国への献金として流れていたこと。
そして、こともあろうに、教会こそが人身売買の会場に使われていたこと。
私が証言したのは、ここです。
斑のちょっぴり(希望)お岩カメレオン顔で、証言台に立ちました。
緊張して右足と右手が同時にでている私に、
緊張をほぐすように爽やかに笑った弁論者が
優しく声をかけてくれました。
「貴方が人身売買組織にさらわれ、市場として連れて行かれた先は、
どこでしたか?」
「わが国の、アトス教区の教会の拝殿でした。
地下通路を使い、組織の隠れ家より教会の地下へ入りました。」
皆が、私のお岩な顔を凝視してます。
「貴方は、そこでここにいる誰かと会いましたか?」
「はい。 そこに居る司祭さまです。」
私は、真っ直ぐにガマガエルを指差した。
「ふん。 私はお前なぞ不細工な人間は、見たこともないわ。」
口を歪めて、私の指差す先でガマガエルが大きく笑った。
「この少女は、売国奴な奴らに拷問を受け、このような姿となりました。
以前は黒髪黒目の美しく可愛らしい顔立ちでした。」
思い出したとばかりに声をあげ、私をじっと見つめたガマガエル。
「黒髪、黒目は確かだろうが、容姿は、一風変わった顔立ちの間違いだろうが。」
ガマガエルの言葉が、ぐっさりと心に刺さります。
それに、えーと、拷問って。
DVも拷問になるのだろうか。
「彼女はこの証言台に立つため、国に保護されていましたが、
警護の不覚により売国奴達に捕らえられ、このようなむごい目にあったのです。
それも、裁判での証言を撤回することを拒否したため、殺される目前でした。」
会場の人々の同情の視線が一身に集まります。
彼の言っている事は間違ってはないのですが、ええと、多分間違ってない。
でも、ちょっと誇張されてます。
身に覚えの無い、尊敬の念も感じられるその視線が、ちくちく痛いです。
ともかく、人身売買に使われていたと思われる教会で会ったのは私と、
ガマガエルは認めました。
私は、証人の任を立派に勤め上げましたよ。
ですので、ここは、新聞記者の皆様、
どうか新聞に私の顔の絵を書かないようにお願いしたい。
顔を微妙に下に向けて、その場を去りました。
去り際に記者席の絵師のしゃしゃって筆が滑る音が聞こえたのが、
唯の悪夢だと思いたい。
さて、一番大きな問題は、子供の人身売買に加担していたアトス教会と司祭。
そこにあげられる内容は、隣国との軋轢を生み出すばかりか、
戦争の引き金になりそうなほど物騒な事柄だった。
「親を失ったわが国の孤児達は、彼らの利益の為に、その人権を奪われました。
本来ならば、人々に生きる道筋を教え説く教会で、彼らは売られたのです。
その金は教区の全ての司祭達によって、隣国に献金として送金されていました。
浄財としてではなく、彼ら個人からの献金として、隣国の貴族に流れてました。」
弁論するのは警邏の代行を務める弁論者。
今までの弁論者に比べると、かなり若い。
多分年は30台に入るか入らないかくらいだ。
背は高く全体的に細身だが、しっかりと筋肉は付いているように見える。
濃い焦げ茶の髪をオールバックに纏め、細い銀縁眼鏡を掛けたいささか神経質そうな男だった。
売られた孤児の幾人かをすでに警邏の手で保護しており、
その輸送過程を事細かに説明した。
アトス教司祭、いままでの三人も加え、計5人の司祭が断罪対象となった。
彼らを代表して、ガマガエルが証言台に立つ。
「誤解もはなはだしい。まったくの言いがかりだよ。
孤児達は、我々を通して隣国に養子に行ったのだ。
子供のいない隣国からの要請を受けて、新たなる家族を我らが推薦したのだ。
彼らが隣国に渡り、その家族とそりが合わず、
また宗教観の違いから奴隷に身を持ち崩したまでのこと。
それは、彼ら自身の非であって、我々に責任などないわ。」
「養子、かなりの金を受け取っておきながら、養子といいますか。」
弁論者は、細い眼鏡を持ち上げ、厳しい目つきでガマガエルを叱責した。
「それは、ほれ、養子縁組先からの謝礼金ですよ。」
若造を見下すように、にたにたと笑いながら、脂肪分たっぷりな指を
くるくると宙で字を書くように回していた。
「それらは全て、隣国のとある公爵の口座に送金されておりますが。」
「それは、かの公爵様が養子縁組の窓口になっておられたから、仕方ないこと。
公爵様に、隣国にお問い合わせいただけたら、その後のお金の使い道が示されましょう。」
余裕のあるふてぶてしい笑みに吐き気さえ覚える。
「その件につきましては、すでに隣国の教皇様より、返答をいただいております。」
真ん中をすくい上げるように、眼鏡を親指でくいっと持ち上げ、弁論者がかすかに笑った。
そして、机の上に用意されていた大きめの羊皮紙を何枚か取り出した。
「ここに、わが国の王にあてて、隣国の教皇から出された正式な文書があります。
王城からの提出ですが、ここに提示させていただきます。
かの公爵やその一族郎党は、アトス神皇国に置いて、
長年の不正を行った罪を断罪され、すでに死亡。
とあります。 また、彼らに献金をしたそこの司祭達は、
もともとアトス神皇国において正式に司祭職を任命されておらず、
アトス神皇国には一切の関連は無い。
と書かれております。
つまり、アトス神皇国に任命されていない司祭が、隣国の犯罪者と結託した。
そう、貴方達5名は、もっとも罪深き嘘つきにして、虚偽犯罪者。
数多くの人たちをアトス信教の名の下に、虚言と絵空事を罪無き国民に説き、
多くの犯罪を導いた最も罪深く、醜く醜悪な極悪人です。」
弁論者は、その羊皮紙を高々に掲げ、そこに居る全ての人々に見せ付けた。
それらの明かされた事実に、今まで余裕綽々だったガマガエルの顔が蒼白に変わる。
「そ、そんな。 我らは、公爵様を通じて、正式に司祭の任に叙せられた。
その証拠もある。」
「ほう、司祭の任命権は、教皇、および、5人の枢機卿にあることは存じておられるはず。
それに、司祭はアトス神皇国に生まれし者のみと聖典にある。
貴方達5名は、この国の生まれであったり、他国の生まれであることは明白です。」
「そ、それは、我らは、かの国に還俗した為、受け入れられたのだ。」
しどろもどろになって、鏡に映ったガマガエルのごとくにたらたらと
冷や汗をかいている。
「隣国の戸籍も問い合わせましたが、かの国には貴方達の戸籍はありません。
また、貴方の戸籍は、とある議員の親戚筋に養子に入った形になっているが、
この国から動いてはいない。
つまり、還俗してはいないということ。」
そのとある議員との表現に、会場がざわめく。
それに対して、水を得たかのようにガマガエルの顔がぱあっと明るくなった。
「そうだ。 私はフロドノン議長の息子だ。
名誉ある国議会議長の息子なんだ。
その私にこのような裁判に立たせるなどと、無礼極まりない。」
会場が、誰しもが知っている大物議員の名前に大きくざわめいた。
「つまり、貴方の司祭の任命権にフロドノン議長が関わっていたと、
貴方が証言するのですね。」
淡々と、確認事項のように弁論者がガマガエルに追い討ちを掛ける。
それに気がつかないガマガエルが、ご機嫌な様子で了承した。
「ああ、もちろんだ。 可愛い我が子の為、司祭職を買ってくださったのは、
我が父、フロドノン議長議員だ。
だから、私はなんの問題もないのだ。」
その返事に、弁論者はにっこりと笑った。
「皆様、フロドノン議長議員を新たなる犯罪者として、断罪対象として、
ここに告発いたします。」
議事堂に、大きなザワメキが波をなって、駆け巡る。
「な、父上は、議長だぞ、もっとも国議会で偉いのだ。
何故、断罪されねばならんのだ。」
ガマガエルがつばを吐きながら、喚いた。
「もともとの罪の始まりは、貴方達に司祭職を買ったこと。
隣国の公爵を縁を通じ、隣国へ賄賂を贈り、わが国を裏切った行為は明白です。」
「は、待て、父は、議長だぞ。
この国の……」
「ええ、今まではそうでした。
ですが、貴方は勘違いしておられる。
議会議員で議長だから、立場や地位が偉いのだからといって、
犯罪を犯してもよいという法は、この国のどこにも存在しないのです。」
ぶるぶると震えているガマガエルの視線が、うろうろと周りを見渡した。
その視線は、彼らにとって、殺意にも匹敵するほどの悪意をもって迎えられた。
そんな周囲の視線に、ガマガエルが耐え切れないようにへなへなと膝を突き、
噛みあわせが悪いのか、顎をがくがくと震わし、歯がカチカチと音をたてた。
「そして、本日未明、フロドノン議長は自宅にて毒を煽られました。
すでに死亡しておられます。」
その言葉に会場の空気が一変する。
会場のザワメキが一層大きくなり、それにあわせるように進行担当の事務員が、
時間が来た為、公判終了のベルを鳴らした。
そのベルに誰しもが、はあっと大きく息を吐いた。
そして、王の言葉が最後を締めくくる。
「これにて、本日の公判は終了する。」
一週間にわたるこの公判も終了した。
ガマガエルや他の司祭たちは、警備の人たちに拘束され、
軍の牢屋に収容されるため、両脇をもち抱えられるようにして、その場を去った。
次々に裁判関係者がその場を去り、後に残ったのは、
止められない絵筆を握る絵師と、その場で、臨場感溢れる記事を書きなぐる記者だけであった。
翌日の新聞三誌には、大きくガマガエルとフロドノン議員、そして、
いささか小さいが、しっかりと描かれた、自棄に細やかに劇画タッチの
斑お岩カメレオンの私の似顔絵が一面を飾った。
それを見て、思わずムンクのとある絵のごとくに叫び声をあげてしまった。
ちなみにその新聞紙は、破られ丸められゴミ箱に放置されて、
現在に至るのは言うまでも無いことです。
誤字訂正いたしました。
ありがとうございます。




