梟の言葉とその後。
ああ、体が随分と重い。
なんだか、妖怪こなきじじいを背負っているかのようだ。
メイは、自分が今、どこに居るのかさっぱりわからなかった。
自分の記憶には、もともとあまり自信が無いが、こんな場所は夢でもみたことがない。
足元には、かさかさと音のする枯れ枝が、周りを見渡すと暗くつるつるした表面の壁。
そして、目の前には丸い大きな穴と言っても良い等身大の穴。
そこから、冷たく重い風が入ってくる。
重い体を引きずるようにして、一歩一歩前に出て、穴から顔を出した。
目の前には、真っ暗の中で、ざわめく暗い色の緑の木々。
だが、特筆すべきなのは、私が居る位置。
間違いようもなく、木の上です。
見下ろしてみると、かなり高い位置の。
どうやら、私は、大きな木の洞に居るようです。
何故、こんなところ、アルプスの少女のごとくに高いところに、私はいるんでしょうか。
……。
あわてても、しょうがないので、
まずは、自分の過去を振り返ってみましょう。
えーと、確か私は、塔に居たのよね。
紫と王妃様と一緒に塔の部屋にいたでしょ。
それから、侍従長が来て、そう、グーで殴られた。
あれは、目から星が出た。
テレビでボクシングって、時々夜中にしてたでしょ。
あれ痛そうだなって思っていたけど、実感したよ。
本当に目から星が出るって感じがわかった。
ボクサーの人達って、かなり我慢強いのかもと思ったくらいに、痛かった。
ああ、脱線しましたね。
もとに戻りましょう。
そうそう、侍従長が私を蹴っている時に照が帰ってきたんだった。
それで、切れた照が侍従長を殺しそうになって止めたんだった。
あ、そういえば、照に聞けばわかるのかな?
おーい、照。
起きてるかい?
うーん、返事が無い。
寝てるのかな?
腕をまくって腕輪に直接話しかけようとして、気がついた。
私、腕輪してない。
それどころか、腕が無いんですけど。
そうして、両手の替りに付いていたのは、灰色の翼。
あれ? どうして。
目を瞑って、米神を押そうとして、押せないので羽で頭を覆う。
この羽は天然ですね。 でもこの羽では羽毛布団は無理だなあ。
違った。 そうじゃない。ここは落ち着こう。
右を持ち上げて、左を持ち上げて、両手を前に、片手を下げて……
駄目だ。
手旗信号をしている場合じゃなかった。
落ち着こうとして、もっと混乱してきた。
うーん、過度にではなく、適度に混乱のほうが、実は頭の回転がいいのかもしれません。
これは、考えれば考えるほど、わからないと言うことではないでしょうか。
困った時は誰かに相談と思っても、誰もいませんね。
おーい、誰か居ませんか?
そうしたら、上からばさばさって音がして、自分と同じ色の翼の何かが降りてきた。
呼んだら降りてきたってことでしょうか。
「ああ、右の。何か見えたか。」
「おお、左の。 まだ見えぬ。」
私の呼びかけに対して、降りてきた梟が答えた。
びっくりした。
今の声、私の体から出たよ。
私、こんなにしゃがれた声してたんですね。ハスキーボイスって感じ。
でも、正確に言うと、私が喋ろうとしてないのに、私の口が勝手に喋ってます。
「ああ、やはり間に合わんか。」
「おお、風は間に合わぬ。」
あれ?
この口調、聞いたことありますね。
どこでって、目の前みたらわかるでしょう。
私の目の前には、梟の目が光ってます。
彼らは、私の部屋の前で、謎々会話していた梟達ですよ。
ところで相方、そんなに目を光らせたら、怖いです。
梟って、猛禽類なんだよね。
それが納得できる目つきですよ、貴方。
「ああ、鶫ならどうだ。」
「おお、だが鶫でも間に合わぬ。」
間に合うって、何が?
鶫って鳥だよね。
「ああ、夜が明ける。」
「おお、朝が来る。」
うん?
気がつけは、空が白んできてますね。
木々の緑の間から明るい朝の空気が広がっていきます。
「ああ、赤の花弁は息をとめる。」
「おお、茎は胸の音を小さくする。」
花弁?茎?
何かの花?
「ああ、枯れたら青が残る。」
「おお、青で元通り。」
は?枯れたら、落ち葉だよね。
茎って言うからには、木になっている花ではない。
でも、枯れて残るのは、何もないよね。
残りで元通りって、マジックでもあるまいし。
駄目だ。
そういえば、私が今までに育てたことのある植物は、
小学校の時の朝顔だけだった。
朝顔は、枯れたらしぼんで、それからどうなったっけ。
観察日記は夏休みの間しかつけてないから、余り覚えてない。
朝顔で覚えているのは、花を潰して、その絞り汁で絵を描いたくらい。
落ち葉も、さほど無かったような気がする。
やっぱり、朝顔じゃないね。
「ああ、だがやはり青には、まだ早い。」
「おお、風はまだ足らぬ。」
早いって、何が。
お花と茎が、朝顔と落ち葉が、
何故に早くて、青の風って何?
主語が欲しいです。梟よ。
「ああ、東の庭のおじじは、どうだ。」
「おお、青に間に合うかもしれん。」
東の庭?
私が一度行った、あの庭かな。
謎々にさっぱりでお手上げです。
理解力のある、カースのような頭脳が欲しい一瞬です。
そのとき、耳の奥で、パキって何かが折れる音がした。
同時に視界がぐるんと反転する。
目の前の梟の姿も、木の上の高い景色も、全てが一瞬で消えた。
首をかしげたはずが、なんだかいきなり体が固まった。
瞬きしようとしても、それすら出来ない。
体が硬直して、思考が止まる。
固まったまま、体の熱が頭の先から足の先まで冷たくなる。
寒くて凍えるところだが、体は震えさえも許してくれない。
完全に動かない冷たい人形だ。
私、どうなってるのだろう。
そう思った時、風が頬を通り抜けた。
そう、間違いなく、通り抜けたのだ。
気がつけば、鳥の羽の手ではなく、元の人間の手。
だけど、固まったままの手足がうっすらと輪郭をぼやかしていた。
そして、何故だか感じる。
途轍もなく引っ張られる意識。
如いて言うなら、掃除機で吸い込まれるように、背中から引っ張られる。
背中の向うには、途轍もなく黒い何かが、ぱっくりと口を開けて待ち構えている。
そんな錯覚を起こし、意識が錯乱し始める。
足が、後ろに引きずられる。
見えないところからの引き込みは、恐怖を覚える。
そうして、動かない手足は風に閉じ込められ、視界が変わる。
渦を巻いた風に引き込まれていく体。
悲鳴さえも、あげることが出来ない。
恐怖に意識が支配され、絶望が目の前に横たわる。
その絶望がものすごい勢いで体中を支配する。
そうして、とたんに襲ってくる否定的な意識。
洪水のように襲ってくるそれを避けることなど出来ず、飲み込まれる。
私は、すこしは成長したと思っていた。
でも、本当は、何も変わってない。
そして、自分がいかに増長していたかと失望の想いが心を占める。
紫に言った言葉。
あれは、本当は誰に向けて?
本当は、わかっているでしょう。
偉そうに言っても、八つ当たりだって。
神でもない、なんの力もない異邦人。
この世界では異質の私。
現に、自分では何も出来てないじゃないか。
こんな私が、誰かに意見なんて、おこがまし過ぎる。
なぜ、こんなに他人の為に必死になるのか。
それは、自分の為だろう。
自分が異質だと認めないためでしょう。
唯の自分勝手だ。
渦の風の中から、もう一人の私が現れる。
そうして、言うのだ。
もういいよ。
あきらめよう。
私は異質なのだから、所詮、誰とも分かち合えない。
私は一人だ。 だから、諦めたとしても、誰にもしかられない。
楽になれるよ。
耳をふさぐことも出来ず、呆然ともう一人の私を見つめる。
そのセリフは紫が言った言葉と同じ。
私は、逃げだって紫を非難した。
でも、本当は私こそが、ずっと逃げたかったのだと理解した。
だから、あんなにも心の傷が開き、血を流すように胸が痛む。
あきれて物も言えないとはこの事だ。
目の前の私、そっくりな私。
もう一人の自分を見ると死期が近いんだって。
私、この世界で死ぬのだろうか。
対峙した私の顔をじっと見る。
なじんだ顔、鏡で落ち込む要素が時々発生する低い鼻。
顔は、泣きそうに歪んでいた。
私はこんな顔で泣くのだろうか。
他人事のように自分を見ている私に可笑しさを覚える。
手足は動かない。
人形のように、見合ったままだ。
ふと、その平凡きわまりない顔を見て思った。
ただ、情けないなあって。
本当に、なんて情けないんだ、私。
小さな子供でもあるまいし、自分自身すらどうにもできないなんて。
そんな自分に怒りが沸いてきて、泣きそうな自分を叱咤する。
諦めないって言ったのは、決めたのは誰。
私でしょう。
楽になる資格なんて、最初から持ってないくせに。
何処かの空間から、誰かの手が生えた。
それは肘から下の手の部分。
手のひらは、もう一人の私の頬に伸ばされる。
目の前の私は、その手のひらに泣きそうな顔を擦り付ける。
同時に私の頬の同じ部分が、温かくなっていく。
そうして、声がした。
上からだ。
「メイ」
私の名前だ。
その声を聞いたとたんに、意識が正しいあるべき方向へと導かれる。
自分で言い聞かせるように、そして、目の前の自分にもわかるように、はっきりという。
「大丈夫。 大丈夫なの。」
何故その言葉が出てきたのかわからないが、自然とそうなのだと理解する。
その手が、その暖かさが確かにそうなのだと。
そうして、言葉を何も考えないまま、もう一人の私に紡ぐ。
「異質でも、異邦人でも、特別な力がなくても、情けなくても、
私は私。それでいいの。」
もう一人の私の目に戸惑いが浮かぶ。
「それに、一人じゃないの。 だから、見失わない。
そして、本当は暖かい。 わかってるでしょ。」
そう言ったとたんに、体の中にぽうっと温みが生まれる。
じわじわと手足が冷気から解放され、筋肉のこわばりが解ける。
そうだね。
そういって、泣き顔の私が消えた。
引っ張られていた黒い何かも、風の渦も消えていた。
私の頬に温もりを残して。
いつのまにか動けるようになっていた私の体が、もっと透ける。
耳の奥に先程の声が届いた。
周りを見渡したが、誰も居ない。
でも、確かに私を呼ぶ。
「メイ。」
誰かの声。あれは誰だろう。
体が、ふわりと浮いた。
「メイ。」
低いけれど、耳になじんで離れない声。
この声を私はずっと聞きたかった。
その想いに、どんどん体が浮上する。
「頼む、目を覚ましてくれ。」
もちろんです。 でも目を覚ますって、どうやるんだっけ。
そう、瞼を開けるんだ。
瞼は、目の上。
目の筋肉に力を入れるつもりが、入らない。
瞼が、ピクピクと動くだけ。
そうしたら、瞼の上に暖かな温もりが落ちた。
右に左にと順番に落とされる温もりに瞼の硬直も解ける。
その暖かさに押されるように力の入り始めた瞼が、ゆっくりと開き、眩しい光が突き刺さる。
眩しさに、瞼が痙攣を起こす。
また目を閉じかけていた私の左手が、ぐっと握りこまれた。
その強さに視線が左手に向く。
目の前は眩しい光、そしてそれを遮る黒い影。
逆光の中、誰かが、私の左手を握っていた。
「メイ。 俺がわかるか?」
いつも必要以上は話さない引き締まった口が、私の名を呼ぶ。
目を何度も瞬かせ、視界を確保する。
逢いたくて逢いたくてたまらなかった瞳が、私を見つめる。
「レヴィ船長。」
呼びかけながら、力の入らない左手の指を曲げる。
「ああ。」
「レヴィ船長、本物?」
左手を逆手に持ち替え、レヴィ船長が唇を私の手のひらに押し当てた。
「ああ、俺だ。」
暖かい手。
夢の中で私を支えてくれたのは、この手だった。
私は、夢の続きを見ているような感覚で、その手を引きよせる。
そして、私の頬に持っていき、猫のように目を瞑ってその手に擦り寄る。
気持ちいい手。
大きな力強い手。
嬉しくて、思わず喉を鳴らすようにかすかなため息が鼻から漏れる。
手の動きが止まり、強張る。
硬くなった手の動きにいぶかしみ、目をあける。
レヴィ船長の優しいエメラルドの瞳が、真っ直ぐに近づいてくる。
私は、カチンと思考が固まる。
そして、そのまま額と額をあわせる。
赤褐色の髪が、私の顔に掛かる。
「熱は、もうないな。」
そういって、ゆっくりと額が離される。
あっ、うっ、これは、熱を測ってたんですね。
いきなりのドアップにどきどきを通り越して、心臓がとまるかと思いました。
「熱?」
私、熱出してたんですね。
そういえば、なんとなく体がべとべとします。
「ああ、お前は3日間、眠ったままだった。」
3日間?
そう言われて見れば、ここはベッドの上ですね。
あれ、お城なのに、どうしてレヴィ船長がいるんだろう。
「おい、メイ。」
もしかして、私、まだ都合のいい夢でも見ているんだろうか。
そうかもしれない。
「おい、聞いてるのか。」
あんまり妄想激しい女って、ちょっと痛いよね。
いい夢はいいんだけど、後にひきずるとね。
「おい、メイ。
いい加減にこっちを向けって言ってるだろ。
父親の言う事が聞こえないのか。」
父親?
思わず声の方向に顔を向けたら、ズキンっと首が、胸が痛んで、
うめき声に近い声を上げた。
「セラン。」
レヴィ船長の厳しい目が、右側に立っていたセランに向けられる。
い、痛い。
ってことは夢じゃなかった。
よかった、妄想癖の想像の産物じゃなくて、ほっとした。
「悪い。 だが、いつまでたっても、気がつかないから、つい。」
胸元を押さえて涙目になった私を、セランがベッドの右側に立って見下ろしていた。
「あー、メイ。 まずは、安静にしろ。
お前の肋骨は折れてはいないが、ヒビが入っているのは間違いない。
それから、首の症状は、うん、筋違えだな。 2,3日で治るだろ。
あと、問題は、体の打撲と擦過傷だな。 多分、腹部のは当分消えん。
あと、頭部に瘤が出来てるが、まあ、それもいずれ消えるだろ。
別段、命にかかわるとかはない。 良かったな。」
はあ、まあ、あれだけ蹴られて殴られて、打撲とか当然だろう。
むしろ、こんなに軽い症状で驚きだ。
「そうだね。」
痛む肋骨を押さえて、軽く呼吸を繰り返す。
でも、笑おうとして、顔が。
が、顔面神経痛です。
手を持ち上げて、顔に触ろうとしたら、セランに止められた。
そうして、手のひらをベッドの上に戻される。
「あー。まあ、気にするな。
俺達は、全く気にしないから。 いいな。」
は?
気にしないって何が?
首が痛いので動かさず、何のことだかわからないって感じで
レヴィ船長を見上げると、レヴィ船長は暖かい笑顔のままで、
私の頬に二度、三度とキスを落とした。
だが、しかし、顔面神経痛のせいで、本来感じられるであろう暖かな感覚が、
全く感じられません。
なんてもったいない。
眉をへちょんと下げて、情けない顔をしていたのだろう。
セランも、私の額に父親のキスをしてくれた。
「まあ、もとに戻るのにあと2週間ってとこだな。
裁判での証言は外せないから、どこまで治るかわからんが、
それまでには多少よくなるように、一応、シップとかで押さえるしかないな。
まあ、お前は仮にも女の子だからな。」
シップ?
押さえるって肋骨をですか?
それに、セラン、仮にも女の子って、仮じゃなくて本物ですよ。
「おいおい、セラン、あまり患者に軽はずみなことを言うな。
医者として、あるまじき行為じゃぞ。」
私の足元の方向から、トンボ眼鏡の救護室のお爺さん医者がやってきた。
だけど、トンボ医者は、ビン底眼鏡をくいっと持ち上げ、
次のように、私に宣言した。
「メイさんや、お前さん起きて顔を鏡で見たかね。」
「いいえ。」
トンボ医者は、大き目の手鏡をさっと取り出して、ベッドの上の私の手の上に乗せてくれた。
セランが私の手を、レヴィ船長が手鏡をさっと押さえる。
「ワシは、本人が現状を知らんことには、早く治りようがないと思うんじゃが。」
現状?
その言葉で、二人の手がゆっくりと外される。
私は、手鏡を持ち上げ、自分の顔を映し出した。
そこには、見たことも無いお岩な顔。
目は腫れて、ものもらいのようになっていて、目じりから頬にかけて、
紫色、黒色、緑色の三色斑が広がって、
その部分が、アンパンのように膨れ上がっていた。
これは酷い。
以前のお岩なチェットさんより更に気持ち悪い。
「は? 誰これ。」
「お前さんじゃよ。
命に関わるようなことはないが、その顔で証言台に立つんじゃから、
まあ、覚悟をきめんとな。」
さあああ
斑の色調に邪魔されて解り辛いが、私の顔が一気に青くなる。
証言台といえば、沢山の人が注目する場所。
特に、今回の裁判では新聞や多くの広告が裁判の様子を逐一記述するそうだ。
そんな観衆に囲まれた中で、お岩な証人、メイとして立つ。
絶対に、いやだああああ。
「お願いです。 裁判の証言日までに直してください。」
無理やり体を起こして、トンボ医者の白衣の裾を掴む。
トンボ医者に縋るような目を向けるが、返ってくる返事はそっけない。
「無理じゃ。」
セランとレヴィ船長が、諦めろと言うばかりに肩に手を置いて、
慰めるように、何度も弾ませた。
「しかたないさ。」
「問題ない。」
それでも、乙女として、お岩な顔で公衆の面前に立つなんて。
絶対に、絶対に嫌に決まってるでしょう。
「証言までに治らないようなら、包帯を頭から巻いてやるから。」
セランの言葉は慰めにならない。
お岩からミイラになるだけじゃないの。
いやだあああああ。
叫ぶと首も肋骨も痛むので、心の中で泣きながら叫んだ。
メイは本当に、踏んだり蹴ったりです。




