人の話はよく聞きましょう
この小説の主人公は特別な能力はありません。
ガランガラン。
大きな鈴の音を響かせながら神社の境内で
芽衣子は熱心に祈った。
ー今年こそ大吉とまでは言わないものの、せめて中吉くらいの幸せがきますように。
その後、お財布から百円玉を1枚取り出し、賽銭箱にいれた。
そうして、もう一度、手を合わせて再度祈る。
冷たい風が、後ろから吹き付ける。
正月もすでに10日過ぎて、境内には数えるほどしか人はいない。
本当は、年始のお参りは三が日の内にというものだが、
この不況時に、やっと手に入れた職業が、それを許さなかったのだ。
大学を卒業して、就職できず、フリーターと呼ばれる人種に分類されてから
半年あまり。
何度も面接を受けに行ったが、これといって美人でもなく
コネもなく、資格もない芽衣子を受け入れてくれる会社があるわけがない。
アルバイトでなんとか食べてはいけるものの、希望どうりの職につくなんて、
夢もいいところだ。
一応国立大出だし、いろいろ希望を持っていたのだが。
なんとかならないものだね。人生は。
誰が言ったかわからない言葉が頭によぎって、大きなため息をつく。
そうして、手にもった竹箒を、左右に動かして境内の掃除をはじめた。
北風が、またふきこんで、箒の先にあつめた落ち葉を散らしていく。
ふいに、芽衣子の後ろから男性の声がした。
「すいません。おまもり1つください」
芽衣子は竹箒を右脇に抱え、急いで社務所に入っていった。
「はい。交通安全のお守りですね。5百円になります」
この年末年始の怒涛の受付で、顔にはりついたサービス0円の笑顔を振りまきながら、男性に手を差し出した。
男性は年は30前後だろうか。
背は芽衣子より10cm以上高く、肩が割合しっかりとしていて、
顔つきは丹精というより男らしい顔立ちだった。
着ているものは茶色のセーターやこげ茶のウールコートといった、高そうな格好。全体的に上品で柔らかな雰囲気をまとっている。
男性は、芽衣子の顔を見ながら、手の上にお金を置いてくれた。
「毎年、この神社におまいりにくるけど、君は初めてだね。
アルバイトは三が日だけだし、ここの巫女さんでいいのかな?」
「はい。昨年度末よりこちらで働き始めました。
ご近所さんですか?
これからもよろしくお願いいたします」
本当は、こちらの社務所でやとわれた事務員、なのだけども
巫女服を着ている今は、巫女さんでいいのではないかしら。
そんな風におもって、あえて否定しなかった。
ちょっと説明するのメンドクサイと思ったのもある。
「まあ、近所といえば近所だけどね。
あそこの本屋が入ってるビルわかる?
あそこが僕の仕事場です」
男性の指差した先、境内からまっすぐに降りた
突き当たりに聳え立つビル郡の中に、クリーム色の「龍宮堂古書店」の看板がみえた。
あれ、あんなめだつところに本屋って?あったっけ?
首をかしげてみて、気がついた。
この辺はまだそんなになじみがないのに、覚えがないなんて当たり前だよ。
うっかりさんは私だよ。
「綺麗な看板ですね。私は入ったことがないのですが、
誰が入ってもいいのですか?」
あせって答えて、なんだか変な回答をしてしまったようだ。
男性は一瞬驚いた顔をして、そのあと笑い出した。
どうやら笑い上戸のようだ。
なんとなく面白くない。
そこまで笑われるようなこといっただろうか?
私は、むっとした顔をしていたけど、
彼は、なみだ目になりながら、まだ笑っている。
「君、見えるんだね。
でも、本屋に、はいってはいけない人は、なかなかいないと思うよ。
あと一番に、看板ほめるってどうなの?君、変わってるね」
目は両方とも裸眼で1.5はあるし。
見えるに決まってる。ばっちり看板の字も見えるとも。
それに、今、本屋があるの気づいたばかりだし。
本屋に、昔からなじみがない私にとって、本屋を題材に話なんて、本屋上級者でない私には到底むりな話だ。
でも、いきなり笑われたことで、芽衣子の彼に対する評価は、見事に急降下している。
ちょっと、かっこいいと思ったのに、がっかりだ。
そんな芽衣子に、笑いを収めた彼が、右手のこぶしを差し出した。
「なんですか?」
「いいから手をだして。はい」
芽衣子の手の上には、小さな10cm角くらいの長方形の朱色の箱があった。
「それは玉手箱かな。
まあ、幸せがつまっているって、いわれているけどね」
玉手箱?
開けると、煙が出てきて、おじいさんになっちゃうあれでは?
「開けると帰ってこれないけど、持っていると、幸せになること請け合いだよ」
訳わかんない。
この怪しい箱は、呪いの箱の間違いではないだろうか?
「君、気にいったから、これあげるよ」
いまの会話のどこに、気に入る要素があるというのだろう。
風が大きく凪いだ。
ブルっと、体を震わせていたら、社務所の奥から声がした。
「芽衣子さん。そろそろお昼にしたら?」
神主さんの奥さんだ。
箱を返して、お別れしようと振り返ると彼はもういなかった。
なんてすばやい。
呪いの箱もって帰れってんだ。
小さなため息をつき、社務所の窓口をしめる。
今日の仕事帰りでも、あの本屋によって箱を返してこよう。
呪いの箱だろうと、一応しあわせの箱って言ってたから、
捨てるのはしのびない。
社務所の奥から呼ぶ声がして、足をむけた。
お昼ごはんのお弁当を食べていると、
外から、阪神巨人のお笑いコンビのように、大小って体格の2人のおじさんが入ってきた。
「芽衣子さん。お疲れ様。外は寒かったね。
裏庭はあらかた終わったから、明日からは本殿前を掃除するよ」
よほど寒かったのだろう。
背の低い小太りおじさんが、鼻の頭を真っ赤にして、
休憩室の中央に位置しているだるまストーブの前まで、
外から入るなりまっすぐやってきた。
「お疲れ様でした。お先にお昼いただいています。
私は鳥居前とお賽銭箱まえの石畳の掃除終わりましたよ」
お弁当を食べる手を一旦とめて、こちらも報告する。
「今年も大変だったね。でも芽衣子さんがいてくれて助かったよ。
背の高いちょっと頭頂部が薄いおじさんが、
芽衣子のそばの長机に湯のみを二つ置いた。
そのまま、だるまストーブにかけてあるやかんから、
置いてあった急須に熱いお湯を注ぐ。
二人のおじさんは、同じ社務所の職員だ。
芽衣子は、昨年の12月に急遽空きがでた求人で雇われたため、
あまり馴染みがあるわけではないが、この年末年始の怒涛の忙しさを分かち合ったのだ。それで、まあ、お互い親近感みたいなものを感じていると思う。
だって、いい人たちなのよね。
この職場に人たちって。
雑務が多いし残業代もつかない。
給料は今迄で見た中では安いほうだ。
でも、やっとつかんだこの職場は、芽衣子は小さな大吉だと思っていた。
さて、先程からみんなでストーブを囲んでお弁当を食べながら
何を報告していたかというと、掃除報告である。
普通の大掃除は年末にするのだが、神社は正月後が大変なのだ。
正月は、とにかく人が多くて、掃除にまで手が回らないのだが、いざ、正月が過ぎてみると、ここまでかといったほどの悲惨さを晒すのだ。
参拝客であふれている時には気が付かない。
いや、見ないふりもできるだろうが、いざ人が少なくなってくると、
ここは夢の島分院かと思うほど、ごみが落ちてる。
その上、あちこちに落書きやたばこの吸殻、柱や木々の幹にガムが張り付き、タバコの吸い殻入りの空き缶などが無造作に散乱しているのだ。
お蔭で、正月過ぎたここ最近の毎日は、職員総出で、まあ人数は神主さまと奥さんあわせても6人ほどしかいないのだが、毎日掃除して回っているのだ。
なので、本来社務所の事務員として雇われた芽衣子も
ここ数日は、掃除しか仕事してない。
でも、やっと終わりが見えてきたらしい。
少なくなってきたゴミ袋の数と段々綺麗になっていく境内に爽快感を覚える。風が吹いても目立って飛ぶのは紙屑ではなくて枯葉になった。
この巫女衣装とも、もうじきお別れできる。
ここの神社では、旧正月付近までは参拝客が多いため、職員はみんな制服(男性は直垂、女性は巫女服着用)で仕事することになっている。
ちなみに、オジサンたちは色違いの直垂をきている。
コスプレかと思ったけど、職員と、そうでない人の違いがわかって、いいみたい。それに、この服以外にあったかいのよね。
「そういえば、さっき近所の方が、参拝に見えられてましたよ」
思い出して、話のねたにする。
「へえ。近所はほとんど三が日にくるんだけどね。
どこの人だろ」
「坂の下の本屋さんで、働いている人だそうです」
おじさん達はお互い目をあわせて、
「「本屋?」」
「はい、クリーム色の大きな看板の龍宮書店だったかな?
本屋の店員さんで、交通安全のお守り、買っていかれましたよ」
「本屋なんて、あったかな?
駅前ならあったけど」
おじさん達は首をかしげてる。
変なの。
あんなに、目立つ看板なのに。
まあ、興味がないと目に入らないって言うものね。
実際、芽衣子は本屋に用事がある時しか行かないから、
自分のアパートの近くでも、どこに本屋があるのか把握していない。
「そういえば、芽衣子さんの前に働いていた彼女も
本屋がどうとかいってなかったか?」
小太りオジサンが、なにか記憶にひっかかったようで、
眉間にしわをよせて言った。
前任者の彼女?って結婚して、やめたんじゃなかったけ?
面接のときに、神主さんがぽろって言ってた気がするんだけど。
「そういえば、彼女は突然宝くじは当たるは、
彼氏に新しい職が決まるはと、いろいろよいことずくめで、
やめていったときは幸せ満開だったね」
う、うらやましい。
「幸せの箱って、なんか小さい箱を大切にしてたね。
あれ、中身なんだったんだろうね」
は?
「ああ、赤い箱ね。持ってたね。
中身はなんだって聞いたら、秘密だって嬉しそうにいってたよ。
案外、彼氏との想いでの写真とか入ってたのかな」
なんですと?
「さあなあ。 彼女は、奥さんと仲良くしてたから、
奥さんならもっといろいろ知っているだろうけど。
ま、それは兎も角、芽衣子さん、幸せは人それぞれだからね。
それに、お金があたると悪いこともいろいろあるし、
それから、思い込みっていうのもあるからね」
おじさん達の言葉は、芽衣子の頭の中を上滑りしていくようで、
聞こえていても、なんとなく頭の中に入ってこない。
なんと。
呪いの箱ではなかったのか。
玉手箱なんて名前つけるなよ。
あれは、たしか幸せになれるって、いってたよね。
その前、不吉なことを言っていたような気がするが、
おじさん達が言っていた、振って沸いたような幸運。
あの赤い箱でそれが手に入るの?
想像したら、目がくらみそうですね。
早速今日、アパートにかえったら開けてみなくては。
本屋に返すのは、開けて幸運がこなかったときに、
知らん振りして返しにいこう。
うん。
本屋の彼が、言っていたことをちゃんと聞いていれば、もっと慎重になれたのかもしれないが、そのときは、頭の中から綺麗さっぱり、彼の言葉は消えていたらしい。
だって、今、大変混乱しているから。
「ここどこーーーー。」
*********
芽衣子は、アパートから帰るなり赤い箱を開けたのだ。
もちろん、それなりの幸せを期待して。
芽衣子は、目をぎゅっと閉じて
「これは、夢。そうに決まってる」
一生懸命、念ずる。
そぅっと目をあける。
しかし、そこは一面の海原。
芽衣子は、海の上にただよっている船の上いた。
船といえるのかな?
2畳ぐらいの、いかだ状態の木切れだ。
それにのってちゃぷちゃぷ浮いているのだ。
と、いうより漂流している。
何故、こうなった。
混乱している頭を抱えて、記憶を呼び戻す。
アパートで玉手箱を空けたら、煙がでて、むせていたら気を失ったのだ。
そうして気がついたら、ここに漂流してた。
原因はどう考えても、あの玉手箱のせいに違いない。
「なにが、幸せになる赤い箱よ。
死ぬ一歩手前ではないの。
あの、うそつき。詐欺師。笑い狸男」
ぶつぶつと文句言っていたら、疲れてきた。
なにしろ熱いのだ。
太陽が、さんさんと照りつけている。
さえぎるものが何もない。
オーブンの中の秋刀魚状態だ。
じりじりと焼けている。
真冬の日本にいた為、芽衣子が着ている服は、
セーターにパーカージャケット、デニムのジーンズである。
持ち物は、かろうじて腕にかけたままだったトートバックひとつだけ。
とりあえずジャケットをぬいで、頭の上のかぶせて影をつくる。
ゆっくりと、周りの海を見渡した。
島影ひとつ、船ひとつ、見えない。
視力1.5も役に立たない。
「視力3.0くらいあったら、もっと見えたのかな?」
とんちんかんなことを言っているのはわかっているが、
今のこの状態が受け入れられない。
そうしていると、のどが渇いて、お腹がすいてきた。
自分を一緒にきていた、愛用の母の手作り布バックを
手繰りよせる。
中には、いつも携帯しているガムと、のど飴、
明日の朝用に買ってきていた、固形の栄養補助食品2本、
あと、昼に飲んでいた緑茶のペットボトルが半分。
それに、なぜか、コンビニでかってきていた
サランラップとお湯を注ぐだけのカフェラテのスティック。
あとは、いつも使っている簡易救急セットとお裁縫セット、
手帳にボールペン。携帯電話。
もちろん、携帯は圏外だ。アンテナなんて立たない。
こんなことになるのなら、サバイバルキットとか、
お腹にたまるパンとか、携帯用食料買っておけばよかった。
とりあえず、ソイバーを半分食べて、お茶を一口飲む。
もっと食べたいけど、いつ船がとおりかかるかもわからないので我慢することにした。
生きていけるように、最大限の努力をしなくては。
芽衣子が考えていたのは、それだけだった。
そうして、波の色も音もまったく変わらない風景にどのくらいしていただろうか。次第に、太陽の位置が傾きはじめた。
夕日が斜めに差し込んで、まぶしい。
あちらが西になるんだ。
夕日を見ながら、そう思った。
そして、夜がくるんだと。
この暑さが去ったのだ。ちょっとほっとした。
だけど、日が沈むと回り一面、真っ黒になった。
自分の手足さえも目で確認することができない。
ここまでの暗闇は、未だかつて体験したことが無い。
その上、寒い。
夜を渡る風は、芽衣子が昼の間にためていた暖かな空気を根こそぎ奪っていく。汗でぬれていた服は乾いているが、風でどんどんしけっていくようだった。
頭にかけていたジャケットをはおり直して、風にあたる面積をすこしでも減らすために、座っていた木切れの上に横たわる。
体勢は安定し、風は遮ることが出来たが、
チャプチャプを海の音が耳に近くなって、恐怖が忍び寄る。
怖い。
真っ暗がこんなにも怖いと思わなかった。
昔、明かりがなければ星がよくみえて、いいよねっていってたけど、
こんな、海の上では、星の光なんて届かない。
月も出ていない今夜のような日は、ただ、暗闇のみがある。
恐怖がすぎると涙も出てこないって、本当だったんだ。
その時、木の板越しに何か海が揺れていることに気がついた。
さっきまでの凪いだ波ではなく、うねり始めている。
どうしよう。
思ったけど、こんなところでは、どうにもならない。
そのまま木の板に体を押し当てるようにして、
波のうねりにたえる。木板からせめて落ちない様に、
ぎゅっと端を掴んで耐える。
ざぶぶ。
どこかで音がした。
どんどん音が大きくなっていく。
そして、ドン。
大きな音がして、芽衣子は乗っていた板切れごと跳ね飛ばされた。
それは、交通事故にあった衝撃といった感じ。
ふわって浮いたかと思うと、次に引っ張られ
床にたたきつけられて何かに引っ張られているような。
衝撃は立て続けにやってくる。
そして、それに重なるようにして肩と足に痛みを感じ、
ああっと叫んだ口に、しょっぱい海水が飛び込んできた。
芽衣子は何がなんだかわからなかった。
「:::::」
誰かが叫んでいる。
視界の端、海面向うに小さな光が揺れていた。
誰?
助けて!
死にたくない!
芽衣子は沈みかけていた手を必死で伸ばして、
光に向かって何度ももがいた。
小さな光の向こうで、誰かの顔を見た感じがしたのだが、
強烈に襲ってくる痛みと、どんどん何かにひっぱられているような意識がふっと沈んだ。
そうして、芽衣子は本日2度目の気絶をしていた。