Sweet & Spicy
人生なんて、憂鬱だ。
高校の午後のかったるい授業を真面目に受けるはずもなく、ただただぼうっと窓の外を眺めていた。
もうすぐ終わりを告げるチャイムが鳴る。
それは私にとって地獄の門が開く合図。
私も空を飛ぶ鳥のように自由に羽ばたけたなら、チャイムと同時に空へと逃げるのに。
だが悲しいかな、私は人間だ。
空は飛べないし、………奴からはどうしたって逃げられないだろう。
逃げたら逃げたで、後で面倒だし。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、先生が教室を出ていく。
それと同時に部活へ向かう者、遊びに行く者、まっすぐ自宅に帰る者など様々だ。
「柚、今日も一緒に帰ろう!」
隣の教室から全速力で私の所まで来やがった、ムカつくほどキラキラっとしたイケメンこそ、私の憂鬱の原因。
佐々木透……私こと川上柚の幼馴染である。
透はどこかの少女漫画ばりに勉強もできるし、スポーツもできる。
しかも爽やか好青年でもあるから、昔から勉強もスポーツもついでに容姿も中の中の癖に、幼馴染であるという理由で一緒にいる私に対する周囲の女子の反応が凄まじかった。
もう本当に、鬱陶しいくらいに。
しかし彼女たちも透と遊ぶにつれ、奴と付き合うと言う強者は確実に減っていき、今じゃ奴にアプローチを掛けるのは透の実態を知らない人間だけである。
彼の実態を知った女子の皆様は、一様に透を観賞用とし、そして透へと憤怒の視線を投げるのである。
一見弱点などないように見える幼馴染殿は、しかしほとんどの女子を敵に回しかねない体質の持ち主だったのだ。
「今日は駅前のドーナツ屋で新作ができ上がったみたいだから、まずはそれを買うだろ? それ食べたら新しく西口にできたケーキバイキングの店に行って、それから…!!」
聞いてるだけで胸やけがしてくる。
そう、佐々木透の唯一の欠点とは………周囲が引くほどの甘味好き。
そして大食らい。
毎日余裕でケーキ1ホールは食べる。
気分が乗った時は、もっと食べる。
それなのに奴は太りもしないのだ!
最初は甘い物好きの女の子たちが、透と一緒に甘味巡りをしていたようだが、それを毎日毎日続けてみろ?
しかも相手は目の前でケーキ1ホールを食べるんだ。
スポーツ万能だが、必要な時以外あんまり動いていない癖に太る気配もないとくれば、次々に女の子たちは脱落していった。
可哀相に、彼女たちの中には一気に5キロも体重が増えてしまった子がいるし、他にもにきびが顔中にできてしまった子など、被害は大きい。
いくら甘い物が好きでも、当分は甘い物は見たくないと言っていた子さえいる。
そして私もその1人。
幼い頃からこの幼馴染に振り回されていた私は、すっかり甘い物が苦手になっていた。
口にしても一口で充分、気が向いた時に食べられればそれでいい。
甘い物より辛い物をくれ!
おかげで私は立派な辛党になれたのだが。
「透、言っておくが私は行きたいなんて…。」
「あ、やっぱり柚も新しい西口のケーキバイキングのお店気になってたんだね!」
「いや、私は別に…。」
「うんうん、柚が気にするのは分かるよ。柚の家はケーキ屋さんだもんね! 敵情視察は大事だって分かってる。でも新作ドーナツも食べたいから、ケーキバイキングのお店に行くのはちょっと待ってて!」
人の話を聞けよ。
1人で勝手に頷く幼馴染に、深いため息しか出てこない。
透の甘味好きは、私の両親が経営しているケーキ屋の影響もある。
透は事あるごとに、両親が作るケーキが一番美味しいと言ってくれる。
それはそれで誇らしいし、嬉しくもあるが、自宅がケーキ屋だと余計甘い物が苦手になるってもんだ。
ケーキを嫌いにならなかっただけ褒めて欲しい。
「透、ドーナツを食べてからケーキバイキングのお店に行くというが、お店に到着する頃には夕飯の時間だよ。まさか、ケーキが夕飯なんて言ったらぶん殴るぞ。」
「嫌だなわかってるよ、あははははー!」
だったら何故視線を逸らす。
言葉も棒読みだ。
透には過去何度も何度も何っ度も、ケーキは夕飯じゃないと言ってきた。
放っておくとケーキや甘味を夕飯にしかねないので、彼の両親が多忙でほとんど家にいない為1人ぼっちの透を我が家に呼び、何とかバランスの良い食事をさせているのだ。
「透、何度も言うようだが、このまま同じ生活を続けていたら確実に生活習慣病になるよ。」
「高血圧、糖尿病にはなりそうだよねー?」
「分かっているのなら、少しは自重しろ。」
太りにくい体質かもしれないが、ある日突然太っていってメタボになったらどうするつもりだ。
せっかくイケメンの癖に勿体ない。
この顔の所為で嫌な思いをさんざんしてきたが、だからと言ってこの顔がどんどん太っていく様を見るのも嫌だ。
「大丈夫、柚がいれば何とかなるよ!」
何とかって何だ、何とかって。
しかも最終的には人任せってどういう事だ。
「よし! じゃあ新作ドーナツを買って、それからケーキバイキングのお店に…!」
「却下。私はそんなに甘い物を食べたくない。他の人を誘いなよ。」
「他も誘ってみたけどみんな用事があるって言うんだ。柚なら今日は用事ないって知ってるし。」
これだから幼馴染は嫌なんだ!
お互いの用事とか情報が筒抜けだ。
「………ドーナツか、ケーキバイキングどっちか片方だけだ。それ以上は譲歩しない。」
「っ、究極の選択!!」
どこが究極の選択だ。
少しは糖分を控えろ。
さんざん悩んだ透は、苦渋の表情で小さく呟いた。
「…ドーナツで。」
そんなに絶望に満ちた顔をしなくても…。
ドーナツもケーキバイキングも逃げやしないというのに。
「分かった、じゃあ駅前のドーナツ屋ね。」
「でも柚が敵情視察を優先させるならケーキバイキングのお店でも…!」
「ドーナツ屋でいい。」
金さえ払えば好きなだけ食べられるバイキングよりも、まだ普通のドーナツ屋の方が私の精神には優しい。
さっさと帰る準備を終わらせて、一緒に下校する。
その際に感じる同情の視線と嫉妬の視線。
割合にすると7:3くらいか。
だいぶ透の甘味好きが浸透してきたみたいだ。
というか同情するなら代わってくれ。
「今日はねー、西やんのヅラがちょっとずれててさー!」
他愛無い話をしながらドーナツ屋へと向かうのはいいが、その内容が教頭のヅラ話ってどうなんだ。
それに教頭のヅラがずれてるのなんて、意外と多い話だし。
「…あ、これだよ新作!」
そうこうしている内に、ドーナツ屋に辿り着いた。
透が指し示した先にピンクのドーナツがある………うん、一目で凄く甘そうだと分かった。
「ストロベリーチョコが美味しそうだろう!?」
いや、全然。
さすがにお店の中でそれを言うのは憚られて、言わなかったが。
透は嬉々としてピンクのドーナツを買っていた。
しっかり自分の分だけを買っているのは、甘い物が苦手な私への配慮だろう。
以前は私の分まで買ってくれていたのだが、一口二口で胸焼けして食べられなくなってしまい、結局2つとも透が全部食べてくれたのだ。
それが何度か続くと、透でも学習したのだろう。
食べてみたい物は1つだけ買って、その一口を私にくれる事になった。
「ん~っ、んま!」
本当に幸せそうに食べるなぁ。
「はい、柚も一口どうぞ。」
食べかけのドーナツをそのまま差し出されて、私は甘いと分かってても透が食べた所から一口食べた。
…………………………うん、この一口で十分すぎる。
ものすっごく甘い!!
なにこの甘さ!
美味しい云々の前にまず甘い。
どうして世の甘い物好きは、こんな物を平気で食べられるんだ!?
「柚、もういいの?」
「…もういらない。」
それ以上いるか!
透は何が嬉しいのか、いつもよりニコニコしながら再びドーナツを食べていた。
「…そんなにそれが食べたかったの?」
「うん。でもやっぱり柚のお母さんたちには負けるね!」
…あ、そう。
「今日の夕飯は何かな?」
「今日は私のリクエストで、激辛キムチ鍋になってる。」
「え!?」
今まで楽しそうにドーナツを食べていたというのに、透はヒクリと頬を引き攣らせて固まっていた。
透は甘い物は全然平気なくせに、辛い物はダメなのだ。
カレーも牛乳を入れたり、はちみつを入れたりしなければ食べられないとか…このお子ちゃまが。
「俺、辛い物は…。」
「少しは辛い物も食べろ。」
がっくりと項垂れる透を見るのは、楽しい。
こっちは透のわがままに何度も付き合ってるんだ、これぐらい仕返ししてもいいだろう?
とりあえず、デザートにお母さんたちが透の為にケーキを用意している事は、黙っておこう。