9.椿
何だ!?何で二人で買い物に行ってるんだ!!
そりゃ、小梅を頼むとは言ったけど其処まであからさまに一緒じゃなくても良いのにさ。
松子おばさんもこの二人の雰囲気を読んだのか、何だか嬉しそうにしゃべってるし、本当に面白くないな。
しかし、此処に来てハルさんの笑い顔を初めて見た時は驚いた。
東京で一緒に仕事をしている時も、別のスタジオで仕事をしているのを見た時も、彼が笑っている所を見た事が無かった。あの見た目だから、当然女性が寄って行く。嫌、男性も寄って行く。初対面の挨拶は至って普通で、穏やかな微笑みを作りながら必ず握手を要求する。しかしその後が悪い。まるでさっきの挨拶は無かったかのように他人になってしまうのだ。
彼自身の音楽をプロデュースする才能や、機械を操作する技術、ミキシングの時の意外な発想やテクニックには神業と思える物が有る。だからこの業界では無くては為らない人となっている。
僕は出来るだけ自分で何とかしたいタイプだから、冬樹と二人で悪戦苦闘しながらも音を作る作業を試し続けている。それでも時々立ち塞がる壁に手も足も出ず悪態を吐いていると、何処からともなくハルさんが現れて一言二言助言めいた会話をして行くのである。
端からハルさんを当てにして仕事を組んで居る人達に対する態度は、あからさまにぞんざいで評判は最悪である。
だからなのか、最近は難しい事が有ると先ず僕に矛先が向けられる。いつも通りに冬樹と悪戦苦闘しているとハルさんが現れると云う構図が出来上がりつつある。でもね言っておくけど、ハルさん登場前に無事解決って事も有るんだよ。
そう、十日程前、ハルさん登場前に問題を解決して、さあ帰ろうかと思った時に携帯電話が着信を知らせているのに気が付いた。ポケットから取り出して表示画面を見ると登録外の電話番号だった。珍しい事でも無いので「はい?」と電話に出ると、ハルさんだったのである。突然の電話にも驚いたけど、突然の誘いにはもっと驚いた。
「飲みに行かないか。冬樹くんも一緒で」
ハルさんとはいつも簡単な会話しかした事が無い。それも殆どが切迫している状況での会話であるから好い雰囲気な訳では無い。それでも、もう少し話したいと思わせる人だった。
僕は多分この人が好きなんだろうと思う。冷たい男「クールマン」と呼ばれているこの人を何故か信頼していたのである。だから当然お誘いを受けて冬樹と二人指定された徒歩五分の某牛丼屋の前へ向かった。
牛丼屋の前には若い女の子が四・五人集まっている。今は若い女の子もこんな店に行くのかと思って近づいたら、その中心にはハルさんが立っていた。それも無表情で。怖いな、と思ったが自分達を見つけたらさっさと歩きだし、こっちだと言ってスタスタと行ってしまった。冬樹と顔を見合わせ相変わらずだなと頷き、急いで後を追って走ったのである。
連れて行かれたのは会員制の上品なバーで客も余り多くは無く、ゆっくりと話が出来る雰囲気の良い店だった。別に改まった話をする訳でも無く仕事の話で盛り上がり、三人共かなり酔っぱらって騒いでしまったと記憶している。その帰り際に「自分達で面倒を抱えないで、俺にも振っていいからな」とのお達しである。この人、陰で何て言われて居るか知ってるんだと思った。僕たちを労ってくれたのかなと思うと嬉しくて、要らぬ申し出をしてしまったのである。
「来週僕の実家に行くんですが、一緒に行きませんか?」
後悔しても今更だ。
僕と冬樹で夕食を作り、四人で食卓を囲む。
僕の作った料理は全てが小梅の為の料理だ。
小梅が喜び、残さず食べてくれる物。
嫌いな物が多い小梅の為に、嫌いな物をこっそり混入しているのは内緒であるが。
食事の後片付けをしている二人を見るのは、何とも気分が悪い。
冬樹と二人、居間で焼酎を飲みながらテレビを見ているが、台所の二人の会話に耳がダンボになっている。我ながら情けない。
小梅には絶対に幸せになって欲しいんだ。絶対に。
小さい頃から仲が良かった。小さい頃から小梅と一緒に遊ぶのが大好きだった。
小梅は小さい頃から目鼻立ちの整った人形のような子供だった。
小梅はお人形遊びが余り好きでは無かったがお人形を沢山持っていた。可愛い女の子だったから、親戚や親の友人が小梅に買ってくるお土産は人形とぬいぐるみが多かった。その人形で遊べるのが嬉しくて、週末には必ずと言っていい程小梅の家へ行っていた。
小学校へ通う頃になると、小梅は可愛い洋服を着る様になった。フリルの付いたブラウスに赤いスカート、ピンク色のカーディガン、真っ赤なエナメルの靴を見た時は衝撃を受けたのを覚えている。
小梅は何故かそれらの洋服を僕に着せ、そのまま持ち帰るように言って聞かなかった。お互いの親が何故だと聞くと「椿の方が似合うから」と言って聞かない。
逆に小梅は僕の来ていたチェックのシャツとジーンズを着て喜んでいた。この方が楽ちんだと言って。
小梅は確かに綺麗な顔立ちをしているが、何処か少年っぽい面差しがある。
僕と二人でお使いに行くと、「お姉ちゃん、弟と一緒にお使いかい?」と声を掛けられる事もしばしばあった。まるで逆なのだが、なんと言ったら良いのか分からなかった。
中学に入る頃には僕の親も、僕の性質を悟り、それなりに接してくれていたが田舎で暮らすには不便では無いかと都会へ進学する事を薦めてくれた。
しかし小梅と離れるのはまだ考えられず、高校まではこのまま地元の高校へ進学する事に決めた。髪の毛も伸ばしたかったのだが、そこはカモフラージュの為短髪で通した。
中学までは小梅と仲良しで通っていたから、別段気に障る事も無かったが、高校へ入るとそうは行かなかった。小梅が入学するまでの二年間は女子生徒に追われると言う悪夢に苛まれたのである。この時点で自分の性別と容姿をハッキリと確信したのは言うまでも無い。
高二の冬に小梅が僕と同じ高校を受験すると聞いて嬉しかった。県内で一番の進学校だが、小梅も頭は良かったから心配はしていなかった。合格発表も一緒に見に行った。入学式も一緒に行った。新入生代表の言葉を述べた小梅は恰好良かった。
その次の日、長くて綺麗な髪をばっさりと切り落としショートヘアで現れた小梅に驚いた。何が有ったのかと聞くと、昨日の入学式の時に職員室で髪の色で色々と言われたと言うのである。小梅の髪は腰まで届くロングヘアで少し茶色っぽい。昨日はゴムで一纏めにして壇上に上がったが、家に帰って直ぐに、近くの床屋に行って切って来たと言うのだ。面倒臭がりの小梅らしいが、流石の僕もそんな小梅に怒鳴ってしまった。少し猫毛だけどさらさらの綺麗な髪の毛を事も無げに切った小梅が憎らしかった。それも床屋って。
「髪は切るな、絶対に伸ばせ」
学校に着き、小梅の頭を見た先生達は当惑し、放課後には小梅に謝ったと教えてくれた。
「髪の毛は伸びるから本当は短い方がいいんだけど、椿も親も伸ばせって五月蠅いじゃん。これ幸いと思ってダッシュで切って来たんだ。楽だよー」と笑っていた。
台所に立って居る二人は少し似ている。腰まである長い髪を三つ編みにしてゴムで留めている二人はお似合いだと思う。
僕が高校を卒業する時、小梅の髪はやっと肩に届く長さになっていた。
僕は東京の大学へ進み、そのまま東京で就職した。
小梅が東京の大学へ進学する事を願ったが、本人が希望せず地元に残ると知った。
高校の首席が進学しない事で学校内で色々な憶測が飛んだらしいが、本人が飄々としていた為先生達も諦めたらしい。
「小梅先輩、付き合ってる彼氏と結婚するんだって!」
その彼氏とは、僕の事だったらしい。
小梅の相手は、小梅の体の体質と向き合ってくれる人じゃないとダメだ。
小梅を大切にしてくれないと困るし、幸せにもして欲しい。泣かせるなんて言語道断だ。
僕の大切な大切な彼女であり、妹であり、友達である。
僕が女じゃなかったら、誰にも渡さ無いのにと昔から思っていたけど、神様は意地悪だ。
昨夜、ショート寸前の小梅を見た時はパニックになった。
倒れかけた小梅を抱き留めたのがハルさんで、それにも拍車を掛けた。
小梅を抱き上げ居間へ連れて行き、ソファで膝枕をして寝ている二人を見た時はショックだった。
揚句に、手を繋いでスタジオから出てきた二人を見たら悔しくて睨んでしまったし。
ハルさんは小梅に触れられる人なのだ。
僕には出来ない。覚悟を決めて洋服の上から抱き着く位なら何とか出来るが、素肌に触れると電気が走り膝を付いてしまう。必ず「ごめん」と小梅に言われるのが嫌で堪らない。
ミキシング作業も早々に切り上げ上に登って行くハルさんに、「やっぱり取り消す」と言ったが「ごめん」と言われて頭を撫でられ何も言えなくなった。
上に続く階段からハルさんの姿が消えた時には、冬樹に抱き着いて泣いていた。
「小梅を頼むなんて、言うんじゃ無かった!何なんだ、あの大人の余裕は!子ども扱いするんじゃねえー!」と悪態を付いて冬樹を困らせてしまった。
結局仕事に為らず、冬樹が散歩に行こうと誘ってくれたのは嬉しかった。確かに気分転換には良いと思うし、冷たい夜風は気持ちも落ち着かせてくれた。
僕には冬樹が居る。小梅にも誰かが居てくれれば嬉しい。
そう思って帰ってきたら、部屋の前でハルさんが待っていた。
「もう少し時間をくれないか。いずれ必ず話すから」
「・・・小梅を泣かせるな」
「分かってる。泣かせない」
今は言えないと言う何が特別な雰囲気を感じて、頷くしかなかった。
椿ちゃんは男の心と女の心が同居しているタイプなので、結構しんどいですわね。椿ちゃんの心の中心は何時でも小梅なんだけど、何時かは卒業しないといけないのかも知れません。




