5.蒼い月
「乾杯―!」
ここはグリルサイトウ。
何時もの如く、竹さんの所に予約が入っていた。
「竹、日曜の夜から入れるか?」
「明日は娘と遊ぶ約束したから無理だよ。月曜なら入れるけど」
竹さんと椿は同級生で同じ軽音部のメンバーだ。私も同じ高校に入った為に三年の椿に頼まれて軽音に1年だけ入った。部員不足だった為に翌年は廃部となり、私はそのまま帰宅部となった。
私の家の地下にはブースと呼ばれるレコーディングスタジオとミキシングルームが有る。
父の仕事の関係で作った物なのだが、海外出張になって以来手つかずだったのを椿が借りる事になったらしい。そのせいで最低でも半年に一度はやってくるようになったのである。
古い物だから当然アナログだと思う。それが良いと言って、わざわざ東京から来るのには感心する。
「小梅、ボーカル頼む」
「えー やだよー」
「頼んだぞー」
「決定事項なのかー」
明日からの打ち合わせを簡単に済ませ、音楽の話に花が咲く。
途中厨房が一段落した竹さんも混ざり、時折飛び出す昔話に顔を赤くしたり青くしたりと笑いが零れる。
ふと、正面より少し斜め左に座っている彼と目が合う。優しい目元にどきりとする自分を誤魔化しながら笑顔を返す。
「椿、こちらの方を紹介して欲しいんだけど」
「・・・ごめん、紹介したつもりで居た」
「えー、それは無いよ」
「彼は桜坂春臣さん。小梅の好きな蒼い月を歌ってる人でDJのハルオミだよ」
「!!!!!」
蒼い月はマイナーな曲で知っている人は少ない。CDショップで売られていないし宣伝をしているのを見た事も無い。取敢えずネットのホームページには掲載されているが、CDジャケットが載せて有るだけである。私は椿がたまたま持って来た沢山のCDの中から見つけて、たまたま聞いたのが最初だった。だから先日ラジオからこの曲が流れた時は驚いた。
DJとしてのハルオミも金曜日の深夜の番組を担当しているから余り知られていない。良く通る低目の声で濁りが無く艶が有る。この声を聴いているととても落ち着くので安心する。
そんな人だから、当然メディアや雑誌にも紹介される事が無く顔も素性も性別も知らない。
嫌、知らなかった。
その、ハルオミ さん が目の前に居る。
「宜しくね」と笑顔を向けらている。
まずい、窒息しそうだ。
途中席を立って、洗面所へ逃避する。
冷たい水で手を洗い、ドアに凭れ掛かってぼーっとしていた。
他のお客さんが洗面所のドアを開けたのに気が付いて、慌てて退室する。
店内へ戻り椿の方を見るとまだ昔話で盛り上がっている様だ。
ハルオミさんは自分の手元、携帯電話を操作している様に見える。
少し外の風に当たろう。そう思って店の看板下に置いてあるアンティークのベンチに腰を下ろして空を見上げる。今夜は、星が綺麗に見える。
「小梅」
「・・・ん?冬樹さん」
「疲れたのか」
「少し。昨日まで残業続きだったから」
「ああ、菊からメールが来ていたな。明日は好きなだけ寝るといい」
「うん。そうする。ありがと」
「ハルオミさんには気を付けろ」
「えっ?・・・」
「店へ戻ろう」
そう言って、さっさと店内へ戻って行く。
あの、冬樹さん。気になる言葉を残して置いて行かないで下さいませんか。
深夜に帰宅しシャワーも浴びずにベッドに転がる。
少々飲み過ぎた気もするけど、前日までの疲れも重なり酷く眠い。
ラジオのスイッチをオンにしたけど、黒ちゃんに掛けた言葉は「おやすみー」だった。
≪今夜は特別番組の為、ラジオリミット、眠気なんかぶっ飛ばせ、ミュージックステーションはお休みとなります。この後も引き続き特別番組ラジオ小説をお楽しみ下さい。≫
翌日私が目を覚ましたのはお昼を少し過ぎた頃。
「黒ちゃん、おはよう」
「小梅はん、おはようさん」
「今日はパソコンだったね」
「ありがとさんです。助かりますわ」
机の上のパソコンのスイッチをオンにして、ラジオのスイッチをオフにする。黒ちゃんをラジオの隣からパソコンの隣へと移動する。
昨夜遅くに帰って来てから、黒ちゃんにはこの先の予定を大体説明しておいた。居るには居るのだけど地下のブースに入りっぱなしになると思うので、お伺いを立てておいたのである。
パソコンが立ち上がると同時に黒ちゃんも青く光り出した。
「あーデジタルは久しぶりですわ。はい、大丈夫でっせ」
「そう、なら良かった」
喉が渇いてきたので水を飲みに台所へと降りて行く。水を流している音がするので誰か居るのだろう。
「おはようございます」
そう言いながら顔を出すと、泡の立ったスポンジを片手にお皿を洗っているハルオミさんが居た。
「おはよう」
爽やかな笑顔であります。
「あ・・・あの、洗いましょうか?」
「いいよ。結構楽しい」
そう言いながら洗っている姿は確かに楽しそうだ。
冷蔵庫から麦茶を取り出しコップへ注ぐ。椅子に座って飲みながらハルオミさんの後ろ姿を見ていた。
昨日は恥ずかしくてまじまじと見る事が出来なかったが、物凄く男前だと思う。年齢は不明だが、30歳以上40歳未満では無いかと大雑把に見当を付ける。185cmは有るだろう長身に肩幅の広い背中。それ程筋肉質では無いがしなやかそうに見える身体つきは男っぽい。腰の位置が割と高めで足がめちゃくちゃ長い。男性にしては珍しい長い髪は色素の薄い茶色で腰まで届き、緩く三つ編みにしてオレンジ色のゴムで留めている。オレンジ色のゴムが何だか可愛い。思わずクスリと笑ってしまった。
「ん?何?」
洗い物が終わったのか、手を拭きながら振り返る。
「オレンジ色のゴムが可愛いなって」
「?・・・ああ、これね。サンドイッチの袋を止めていたゴムを拝借した」
テーブルの上には竹さんから貰った朝食用サンドイッチの袋が有る。私の分が残っている様で、少し膨らみが有る。中を覗くとビニール袋の口をオレンジ色のゴムで留めているのが見える。
「あ、これね」
「そう、それ。 コーヒー入ってるけど飲まない?」
「はい。頂きます」
ハルオミさんはコーヒーメーカーに手を伸ばし、私はコーヒーカップを取りに後ろを振り返る。
目の前にハルオミさんが居る。
そりゃね、向い合せてコーヒーを飲んでいるんだから目の前なんだけど、少し緊張する。
かなり人見知りをする自分としては今の状況が不安でしょうがない。
別に何か話をする訳でも無く、ただ一緒に居るので思わず観察してしまった。
はっきりとした眉は右側が少し上がり気味で、やや切れ長の大きな目、少し鷲鼻系の大きな鼻孔、口は大きくそこから覗く歯は白く綺麗に整列している。肌の色は小麦色に焼けており何か運動をしているのかと思わせる。コーヒーカップを持つ手は骨ばっていて大きいが、奇麗な形の爪をしている。
「何を見ているの?」
「綺麗な爪の形だなって。ネイルアートが似合いそうって思って・・・・・」
観察中だった私はぼーっとしたまま返答してしまい、はっと気が付くが遅かった。
「あははは!」向かい側で大笑いされてしまった。
「小梅―!そろそろ降りて来いよー!」
「顔洗ったら行きまーす!」
椿から呼び出しが係ったので二人の時間は終わりです。カップを片づけ洗面所へ行こうとしたら、ハルオミさんに「今度頼むよ」と手を差し出された。
数秒その手を見つめたまま固まった私をみて、ハルオミさんは首を傾げている。
「ごめんなさい」と頭を下げて洗面所へ駆けこんだ。
やっと春臣さんの登場です。前置きの様な話が長くてすみません。この作品はファンタジー設定ですが、もう少しだけ現代のお話が続きます。