37.黄泉の淵
龍が迎えに来た。
でも、何処にも龍が居ない。
其処は真っ暗闇で何も無い場所だった。
暫くの間、何か見えないかと思い暗闇に目を凝らす。
足元から青白くて丸い月の様な物が上へ向かって昇って行く。
綺麗だった。
暫く眺めていたけど、その月の光は何も照らし出さなかった。
少し歩いてみる事にする。
歩いている足元の感じはアスファルトに近い。
砂利道でも石畳でもコンクリートでも無かった。出来れば草原とかが良かったな。
幾ら歩いてもどれ位歩いたのか、どれ位進んだのか分からない。
でも、どれだけ歩いても疲れなかった。
自分が進む先にオレンジ色の小さな光が見えた。
それを目印に歩いて行く。
オレンジ色の光は船の先にぶら下がったランプだった。
其処へ行きたいのだけど、自分の居る場所が高い建物の上らしく、船はずーっと下に見える。
何故、ランプが見えたのだろう。
平坦だと思って歩いていた道は、どうやら斜面を下りる様な傾斜だったらしい。
そのまま下りて行けば良いのだろうが、どうも其処から先は断崖になっている様だ。
ぐるりと回ってみるが、下りて行く道は無い様だ。
もう一度下を見ると、オレンジ色のランプが少しずつ動き始めているのに気が付いた。
船に向かって飛び降りれば良いんだ。
そう思った時、肩に雨が落ちて来た。
雨?何処から?
ポタポタと上から雨が落ちて来る。
上を見上げると青白い月から雨が落ちて来る。
ああ、喉が渇いたな。
青白く丸い月が何かを思い出させる。
水が飲みたくて、月に向かって坂を上って行く。
上った先には小さな甕が有り、月から落ちてくる雨が「ぴちょん」と音を立てながら溜まっている。
目の前まで行って見ると甕から溢れ出た水が、足元に雨を降らせていた。
両手ですくい飲んだ水は冷たくて美味しい。
もう一すくい飲もうと思い手を伸ばすが、水面に何かが映って揺らめいている。
覗き込んでみると、其処には自分の顔がある。
誰? と思う。
そのまま不思議そうに見つめていると、別の顔がこちらを覗いている。
誰? でも知っている。
心臓がどきどきと鼓動を早める。
思い出しそうで思い出せず、片方の手を水面に沈め「彼」の顔を触ろうと思った。
「あ」
誰かに手を引かれ、水面の中へと引き込まれて行く。
息が出来ないと思い、息を詰める。
でも水の中とは違う事に気が付き、思い切り息を吸い込む。
瞑っていた目をゆっくりと開くと、其処には人の顔があった。
明かりの付いて居ない部屋には窓の外から差し込む月の光だけで、俯いて覗き込んでいる顔が影になって見えない。
「だあれ?」
「小梅・・・お帰り」
「・・・ハル・・オミさん?」
「うん」
「・・・お帰りって?」
「その話は後で。水、飲む?」
「うん。喉が渇いた」
水差しにはたっぷりの水が入っており、それを手渡されるとゆっくりと飲み干した。
春臣さんの胸に背中を預け、寄り掛かった格好でまた眠ってしまった。
何やら、騒がしい。
もう少し寝たいんだけど、私の名前を何度も呼んでいる様なので薄目を開けて見る。
部屋には誰もいない様だが、違う一人居る。私を後ろから抱きしめている人物がいる。
騒がしいのは隣の部屋らしい。
「そろそろ顔を見せてあげたら良いと思うよ」
「誰に?」
と言うのと同時に障子が開いて、見覚えのある美人さんが入って来た。
「小梅!大丈夫か?何処か痛む所は無いか?」
「・・・椿?」
「・・・何でハルさんが一緒なんだっ!」
春臣さんが居る事も、ここが桜都だと言う事も、何で椿が居るのかと言う事も不思議でしょうがない。
「春臣さん、さっぱり分からないんだけど。説明プリーズです」
「小梅、僕は先に帰ってるけど一度早目に来てくれ。多分明後日にはアメリカからお前の両親が来るはずだからさ」
「うん。明日には行くよ。行く前に連絡するから」
白い携帯電話をちょんと突いて苦い笑いをしてしまう。
「連絡、待ってるから」
椿が春臣さんと共に日本へ帰るのを見届けた後、それを待っていたかの様に医務室の先生方が診察に訪れた。
実際の所、「何で生きてるんだろう」ってのが正直な感想なのだ。
龍が迎えに来た時点で自分の人生は終わりだと思っていたし、桜都にも二度と来る事は無いと思っていたから自分なりのけじめは付けていた。
そもそも、どうして道が繋がっているのか不思議だ。
キーマンは春臣さんか。
椿が居たから、余り突っ込んで聞いていないけど色々聞きたい事が有る。
「小梅様、お湯に入られますか?」
側で世話をしてくれるのは花梨さんだ。そう言えば花梨さんに守れない約束をしてしまっていた事を思い出す。
「・・・あの、花梨さん。あの時は何も言わずに帰ってしまって、すみませんでした」
きちんと腰を折って頭を下げて謝りたいのだけど、ここはベッドの上で上半身だけが起きている状態の為、頭を下げるだけの格好になってしまった。
「いえ、気にしておりません。小梅様が夢見であり先読みだと分かった時点で、それが選択された事だと思いました」
「選択ですか。本当は、もっと話がしたかったんですよ。でも、それをすると別れる時が辛いからと初めから諦めていたんです。・・・それが私の選択だったんでしょうね」
「でもこうしてお会い出来ました。それだけで私は嬉しいですよ」
花梨さんは本当に嬉しそうに笑いながらも、照れ隠しなのかさあお湯に入って下さいと私をお風呂へ追い立てた。
お湯から上がると、そこには可愛い部屋着が置いてあった。
白の浴衣地にピンク色の梅が沢山散っている。
手に取ると、浴衣地で作られたカシュクール仕立てのワンピースであり、胸元の直ぐ下に、赤い一本のリボンが有り調整が出来る様になっている。
それとお揃いの様に、同じ柄の肌着とショーツも置いてあった。
「か、可愛過ぎませんか?」
「まあ!とてもお似合いです」
この服は入院中や病気療養中の為の物で、締め付け感が無くとても着心地が良い。
只、余りにも可愛い柄なので着ていて落ち着かないのである。
ベッドの脇には、ロータイプの大きなソファが用意されており、テーブルの上には茶器が用意されている。
其処には春臣さんが座っており、私をじっと見つめていた。
花梨さんはお茶を入れると直ぐに部屋を出て行き、二人だけとなってしまった。
花梨さんが入れてくれたお茶は冷たい緑茶。
少しだけ長風呂をした為に火照った体にはとても有難い。
二人、黙ったままにお茶を飲んでいると、カランと氷の解ける音が響く。
「何処か痛む所は無いか?」
「大丈夫。何処も痛くないよ」
「・・・そうか」
「うん。・・・ありがとう」
氷がゆっくり溶けて行く。
春臣さんは只黙って私を見つめている。
何を話せば良いのか分からなくて、私も只黙っている。
お茶のお替わりを飲もうと冷茶の入ったクリスタルの茶器に手を伸ばした時、隣から大きな手が伸びその胸に引き込まれる。
「・・・・・」
何も言わずにただ抱き締められる。
「・・・ごめんなさい」
言いたかったけど、今まで言えなかった言葉を口にする。
春臣さんは何も言わずに力を込めて抱きしめた。
うおっ。小梅かわゆす!(死語か?)自分のツボに嵌ってしまいました。可愛い女性に憧れつつ執筆中。