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30.歌手




翌日は普段着で良いと言われていたので、ジーンズに半袖の小花柄シャツ、その上に紺色のジャケットを羽織るスタイルで待っていた。

椿はお昼前にやって来て、冷蔵庫をチェックした後少しだけ渋い顔をしていた。

「お昼は?」

「さっき朝昼兼用で食べたよ」

「じゃあ、少し早いけど行こうか」

「うん」

エレベーターで地下の駐車場まで降りる。

エレベーターのすぐ横に駐輪場があり、そこを指差して回り込んで入って行く。

「これ、小梅の自転車」

「おー 自転車いいねー」

「僕の後を付いて来てよ」

椿も自転車に跨りスイスイと走って行く。

私もその後を追って自転車をこいで行く。

風が気持ち良かった。


十五分位で会社に着き、自転車を止めて裏口から入って行く。

その途中、椿から首から下げる社員証を渡され身に着ける。

そのまま会社に入り、社員の人達と挨拶を交わしながらスタジオに入る。

スタジオには冬樹さんと他に二人の女性が機械を操作していた。

「練習する?」

「しない」

「あっそ」

二人の女性が出て行き、代わりに偉そうなおじさんが三人入って来た。

「じゃあ、スタンバイして」

「はーい」

後は、いつも通りに歌を歌って、自転車に乗ってマンションへ帰った。


歌を歌ったのはその日だけで、後は契約書にサインをする日々だった。

それも一週間を過ぎると殆どする事が無くなった。

後は自由時間だ。

社員証は本物なので、行きたい時には堂々と入って行ける。

しかし、この一週間で一度もテレビを付けなかった事をこの後後悔する。



ある日、某有名演出家M氏の舞台のチケットが手に入った。

出演している女優さんから椿が貰った物だそうだが、舞台に興味が無い椿にとっては紙屑同様の扱いを受けていた。

だって、ごみ箱にそのチケットが入っていたのだからごみなのだろう。

「げっ!これ捨てるの?即日完売のプレミアムチケット!しかも今日!」

「ああ? だって行かないし、今夜も仕事あるもの」

「私行くし!」

「ご自由に」

「やったぁー!」



いざ行かん!渋谷パルコ劇場へ。

渋谷までは自転車では遠いので、地下鉄を使って移動する。

六年ぶりの地下鉄なので、凄く緊張する。

魔力と一緒に、私の電気体質も少しは緩和された気がするのだが、地下鉄の改札はどうにも苦手である。

それでも何とか停電させる事も無く、目的地へ着いた時には既に沢山の人で溢れていた。

開場までは時間が有るので近くのコーヒーショップへ入り、ラテとホットサンドを頼み窓際のカウンター席へ座る。

東京へ来て初めてのお出かけはとても緊張したが、都会へ遊びに来たと言う感じが味わえて結構楽しい。


桜都へ言った事は良い経験になったのかも知れない。


開場となったのか、人の波が建物に吸い込まれ混雑が緩和されて行く。

開演まで十五分となった時点でコーヒーショップを出、劇場へと入って行った。

今回の公演は、英国留学中の夏目漱石が、英国で知り合った女性との心の交流を描いた作品。出演者が全体に好きな方が多いので、大変楽しい作品だった。

そして今日が最終日の為、公演後には演出家のM氏と出演者が舞台に並び、深々と頭を下げての挨拶で終了となった。

その時、某女優さんと目が合った気がしたのだが・・・。


前から三列目の中央付近の席だった為、両側の人が立たないと出て行けない。

私の両隣は中年だが何処かで見た事がありそうな雰囲気の方で、そのまた隣側には年配の方が座っていた為、帰るのは最後の方になってしまった。

急ぐ訳では無いので、パンフレットを見ながら呑気にしていたのだが、やっと席を立ち出口に向かおうとした時に声を掛けられた。

「失礼ですが、小沢様のお知り合いの方でいらっしゃいますか」

十年後は確実にロマンスグレーだと思われる、とても紳士な男性がにこやかに立っていた。


「楽屋まで来て頂いて申し訳ありません」

「いえ」

目の前には、さっきまで舞台で輝いていた有名女優の深沢朱音さんが座って微笑んでいる。

「小沢さんには以前、お世話になりましたのでそのお礼だったのですが、やはり来て頂けませんでしたね」

「も、申し訳ございません。帰ったら言っておきます」

「いえいえ、いいんですよ。舞台には興味が無いとおっしゃってましたから」

「あーそうですか」

それじゃあ、どうして私が呼ばれたのだろう。

「疑問ばかりでしょ?」

「はい。それはもうクエッションだらけです」

「あなたは面白いわね」

「いえ、普通です」

「あははは ねえ、これから打ち上げに一緒に行かない?」

「打ち上げ・・・はちょっと、無関係者ですから」

「そうなの。気にしなくてもいいんだけど。じゃあ、明日って予定ある?」

「明日は無いですよ」

「じゃあ、明日ケーキバイキングに付き合ってくれないかしら」

「おー ケーキバイキングは興味ありますねー」

「じゃあ決まりね。連絡先とか教えてくれる?」


結局何も分からないまま、明日の約束をさせられマンションまで高級車で送ってもらった。

送ってくれたのは最初に声を掛けた紳士な方だった。


翌日の昼過ぎにマンション前には昨夜の高級車と紳士な方が迎えに来てくれた。

その車には深沢さんも一緒に乗っていた。

「昨日はごめんなさいね?慌ただしく約束させちゃったから悪い事したかと心配だったの」

「大丈夫です。少しは吃驚しましたけど、楽しみも出来たから」

「本当!?良かったー」

深沢さんは余り女優らしからぬ人だった。

ざっくばらんで、大雑把、かなり強引な所が有るがそれがまた可愛い。

椿(小沢さん)との間柄が友人だと言うのも頷ける。


「小沢さんと初めて会ったのはレコーディングスタジオだったのよ」

「そう言えば、五年位前でしたっけ? 映画の主題歌歌ってましたよね」

「そうあれよ。私凄い音痴なのよね。でもどうしても歌えと言われて前日なんて眠れなかったのよ」

「音痴ですか?よくラジオで掛ってましたけど上手でしたよね?」

「それがね、小沢さんにそんな下手な歌でスタジオに入るな!って怒られる位酷いのよ」

「あー それ程酷かったんですか・・・」

「そうなのよ。でもこっちだって好きで歌うんじゃない!音痴だってわかってて来てるんだから何とかしてくれ!って怒鳴っちゃってね」

「それって、椿のツボに入ったかも」

「らしいのよ。でね、人前では絶対に歌うなって約束であの主題歌が出来たのよ。小沢さん曰く、アレンジ率120パーセントなんですって」

「へー、全然分からないもんですねえー。私は深沢さんって、顔は良いし、演技も上手いし歌も上手くて、神様は不公平だーって思ってた一人ですよ」

「そんな訳ないわよ。顔は化粧次第でどうでもなるわ。大木さんの方がずーっと美人だと思うけど」

「・・・私が女だって良く分かりましたね」

「最初は少年だと思ったのよ。小沢さんの趣味っぽいしね。でも、話す時の表情とかが女性っぽかったから、不思議な人だなって思ったのが第一印象」

「流石女優!」

「人を見る目は確かよ」


この後も次から次へと話に花が咲いて、超有名ホテルのケーキバイキングで二人で三十個近くのケーキを食べても終わらず、そのまま深沢さんのマンションへと行って話してしまい、気が付いたらもう夕刻という時間だった。

それでもまだ話し足りない。こんな事は初めてだ。それは深沢さんも同じだったらしく泊まって行かないかと誘われた。

「私は小さい頃から芸能界にいたから友達って居ないのよ。こんなに話が弾む事も無かったし。ごめんね、何だか調子に乗ったかも」

そう言って恥ずかしそうに笑う顔が少女の様で可愛い。私より五才位上なんだけど。

「じゃーですね、明日はお泊りしに来て良いですか?」

「!!!嬉しいっ!!!」

その時、点けていても意味の無かったテレビから聞き覚えのある音楽が流れて来た。


化粧品とのタイアップ曲に使われていたのは、プラムボックスの魅惑と言う曲だった。







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