26.紅梅
関白殿が亡くなられた後、私は秋乃を始末せねばならなかった。
それが関白の望みであり、秋乃の望みでもある。
しかし、春臣殿の事を考えると直ぐに行動に移すことも出来なかった。
春臣殿と姉の関白殿は仲の良いご姉弟で、喧嘩も多いがその分理解度は深かった。
十年に渡り一緒に政務をこなし、戦を戦い抜いた二人にはご姉弟以上の絆がある。
それでも関白は春臣殿には最後まで偽りの自分で通していた。そうして居なければ関白として、仕事を続けることが辛かったのかもしれない。
その姉が亡くなられた事は、覚悟を持っていたとしてもかなりお辛かった事と思う。
それから時間を置かずに秋乃を亡き者にするには、余りにも春臣殿が気の毒でならなかった。
それに、次期関白への受け渡し等の引き継ぎ事項が多く、この時期に春臣殿が動けなくなるのは避けたかった。
もう一つ、秋乃の心が春臣殿に向くかも知れないと願ったのもある。
出来れば、これ以上不幸な事を増やしたくは無かった。
いくら関白殿の望みと云えど、あの方はもうこの世には居ない。
私の采配次第でどうとでも出来る事だ。
秋乃も春臣殿と婚姻と言う形を取り、思い人の弔い人となって落ち着いた生活をしている事に安堵した。
しかし三年の月日で人の考えは変わるのか、秋乃が不穏な行動を取る様になったのである。
テレポートを使って、街外れの廃墟を買い取り、行き場の無い人々を住まわせる事を始めた。それも、同性愛者が中心の住居だと知り私は慌てた。
直ぐに秋乃に文を出し、会いに行く事にしたのだ。
その日の行動は不可解だった。
秋乃は一度、わざわざ出かけると言い残し、裏玄関から外出している。
その後テレポートで自室へ戻り、私が来るのを待っていた。
秋乃の自室は奥にある為、密かに会うにはここが一番都合がよかった。
私が来るなり、私の懐から毒の入ったカプセルを盗み、直ぐに呑み込んだ。
「ありがとう」
それだけを言い、彼女はテレポートで裏玄関へ飛んだ。
私の五秒先を読む力を発動させない方法は、自分の思考を閉ざし決めた行動を実行させる事だ。少しでも躊躇すれば私に先の行動を読まれてしまうだろう。
彼女の不可解な行動は、春臣殿が探すであろうテレポートの軌跡を曖昧にする為だった。
それは最初から、死ぬつもりであり、私を逃がす為だったと思う。
私は騒ぎの中、春臣殿の寝室へ逃げ込み、うさぎの人形に或る物を隠した。
関白が秋乃へ残した一枚の動画カードであった。
春臣殿が随分前に試作品として作られたカードで、キャッシュカード大の大きさがある。
数枚作られたが、市販には至らなかった物である。
秋乃が関白へ渡した動画カードは関白の遺体と共に焼かれている。
「これを取り返しに来たんですよね?」
差し出したのは真っ白い無地のキャッシュカードと似たものであった。
「・・・・・」
黙ってそれを見つめる目が、とても悲しそうだった。
「私はもう休みます。では、明日」
盆の上の杯の隣にカードを載せて、そのまま寝室へと向かった。
「のう小梅。わらわの元におらぬか」
「んー?この世界に残れって事?」
「それとも違うのだが、月の城へ来ぬか」
「月ねえ・・・人じゃ無くなりそうだら辞めておくよ」
「そうか」
「くすくす うさうさは過保護過ぎだね」
「小梅が可愛いからのう」
「またそうやって茶化すしー」
「ははは 明日が【無月】の終わりの日になる。とっておきの夜桜が見られるぞ」
「それ本当!?うわ!楽しみが出来たよ」
今夜もうさうさを抱きしめて、頭まですっぽり布団を被って眠りに着いた。
置いて行かれた、かの婚約者殿。
「余りに無防備で、無邪気で、こちらの気が削がれますよ」
懐から取り出したのはカプセル状の毒物が一粒。
「この世界から消える者ですか。理解し難いのですが、急ぐ事でも無いですし、様子を見てから考えましょう」
残った杯を飲み干し、盆の上のカードを懐に忍ばせて庭先へと消えて行った。
翌日の夜は宴となった。
藤森のおじいさん、婚約者殿、サバトラの猫、それと私の四人である。
「今夜が【無月】の終わりの日だって、どうして分かるの?」
「もう何度も迎えていますからのう。感ですかなあ」
藤森のおじいさんは深く考えるでも無く答える。
「私はまた明日、と言われたので少し早めに来ただけですよ」
婚約者殿は終わりの日を別に気にしていない様子である。
「にゃーう」
サバトラちゃんは呑気に座布団の上で丸くなっている。
うさうさも一緒にと思ったけど、本人が嫌がったので、庭が見える障子を開けておいた。
日が傾き少しずつ日が陰って来ると、日中つぼみになっていた桜の花が少しずつ色付いて来た。昨日までは、薄いピンク色だったのだが、今夜のつぼみは少し色が濃く膨らみが大きい様に思う。
数日前、桜の花がつぼみになる所を見たくて、朝まで起きていた事があった。
日本では咲いた桜は散るまでが命、しぼむ事は無いのである。
日が昇り始め、少しずつ空が明るくなると、「スポン」と言う音と共に一斉に花がしぼむのであった。少しずつ花が閉じるのを想像していた私は、予想の光景とは全然違う一瞬の出来事に声も出なかった。
もう一度見たくて次の日は、早起きをして庭に駆け出した。
やっぱり「スポン」と言う音と共に一瞬でつぼみに姿を変えたのだった。
あの光景は忘れられない出来事だ。
庭の奥の方がそろそろ見えなくなりそうな頃、桜の花がゆっくりと開き始めた。
その花びらの色は濃いピンク色、中央には黄色く細い花弁が数本見える。
これは桜の花では無い。
八重咲きの紅梅が、桜の木にたわわに咲いているのである。
「これは、何と見事な梅の花でしょうか」
藤森のおじいさんは、こんな事は始めてだと言って梅の花に目を奪われている。
それはおじいさんだけでは無く、その場に居た皆が驚いたのである。
「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
平安時代の貴族で、学問の神様と言われた人が謳った詩。
自分が住んでいた家を越す時に大切にしていた庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌。
後に庭の梅木が越した先へ飛んで来たと言う伝説がある。
「良い詩ですね」
「はい。私も今夜の事は忘れたくは有りません」
皆が帰った後も一人残り、梅の花を見ていた。
少しずつ空が明るくなり、そろそろ日が昇る頃、梅の花は一斉に散ったのであった。
庭一面に、紅梅の花びらが絨毯の様に散っていた。
寝室に入り、うさうさに声を掛ける。
「ありがとう」
「この位の事しか出来なくて申し訳無い」
「十分だよ。凄く嬉しかった。とても良い思い出になったよ」
「小梅は私の大切な友だからな」
「私もだよ」
日が昇る頃に寝入った私は、お昼近くまで寝ていた。
最近は余り見なくなった夢を久しぶりに見ていた。
私のミニクーパーを黒ちゃんが運転している様子は楽しそうだった。
桜の木に、紅梅が咲いたのはこの庭だけでは無い。
桜都の桜の木が全て、紅梅を咲かせ、一斉に散った様子は後世語り継がれる事になった。
物凄く個人的な事ですが、桜の花より梅の花、特に紅梅が好きです。あの赤い桃色の花が大好きです。