25.婚約者
♪ さくら さくら
やよいの空は 見渡す限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん ♪
「小梅様はその歌がお好きですな」
「私の国の童謡なんです。さくらを見ると歌いたくなりますね」
離宮の庭に、大きな桜の木が数本ある。
通年春の季節のこの国だが、桜が咲いているのを見ていない。
別の種類の樹木かと思っていたのだが、その謎がやっと解けた。
こちらの国のさくらは、日本と同じさくらで一年中咲いているそうだ。
しかし、【無月】の期間だけは何故か夜にだけ咲くのだそうだ。
最初の夜は花梨さんとの話に夢中になり気が付かなかったし、翌日からは研究室や書斎で過ごして居た為に気が付かなかった。
それでも数日目の夜、開けていた研究室の窓から数枚のさくらの花びらが入り込んだ時に、ようやく気が付く事が出来た時は嬉しかった。
それ以来、夜は夜桜の為に庭でお酒を飲む事にしているのだ。
「こちらにもさくらの歌は有りますが、小梅様の国の歌が落ち着いていて良いですな」
「それは嬉しいですね」
藤森のおじいさんは、私が歌うさくらの歌に誘われてやって来る。
そして一緒に酒を飲む。今では飲み友達となっている。
「藤森さんは【無月】が短くなって、元に戻って欲しいですか?」
「そうですな。私が幼い頃は四・五日程でしたのを覚えておりますが、今の方が好きかもしれませんな」
「不便じゃないですか?」
「不便も楽しいものですよ。それにこうやって夜桜を長く楽しめるのはなかなか乙なものですしな」
そう言って、ふぉっふぉっと笑っている。
藤森のおじいさんが帰って暫く立ち、そろそろ寝室へ行こうかと思った時、桜の木の下に一人の男の人が立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは。今夜は少し冷えます。明日、もう少し早い時間にいらして下さい」
「・・・分かりました」
その男の人は、桜の木の下に立ったままだったが、私は寝室へ入り障子を閉めた。
次の日の夜、いつも通りに藤森のおじいさんとお酒を飲み、いつも通りにおじいさんは帰って行った。
昨日の男の人は来るだろうかと思いながら、またさくらの歌を歌っていた。
「素敵な歌声ですね」
「ありがとうございます」
先程までおじいさんが座っていた場所に手招きする。
少し驚いた様だが素直に座り、新しい杯に酒を注ぐと目じりを下げた。
「誰かと飲む酒は随分久しぶりです」
「そうですか」
「夜の桜を楽しむのも後数日ですね」
「その様ですね」
「心残りは御座いませんか」
「楽しい日々でしたね。私には贅沢過ぎました」
「そうお思いですか。私に頼みごとは御座いませんか」
「私は月が昇ればこの世界からは居なくなります。貴方達の事を知る者は誰もおりませんよ」
「・・・・・」
「・・・・・」
「私をご存じでしたか」
「そうですね、知っている事になるのでしょうね」
少し前に、夢で見たお店の前を通った。
通り過ぎるつもりだったのだけど、女性達に囲まれ、その店に連れ込まれてしまった。
連れ込み宿では無いが、斡旋をする為の茶屋の様なものだと思う。
綺麗なお姉さん達が沢山居て、あちらこちらで噂話に花が咲いている最中の様だった。
「お兄さん、私の見受けをしておくれよ」
「すまないな。私は無一文なんだ」
「あの離宮に住んでいるのに無一文なのかい?」
「そろそろ追い出される頃なんだよ」
「あら、じゃあ私が囲ってあげるわよ」
等と、冗談とも本気ともつかない話をしている所へ、別の女性が入り込んできた。
「桜の上の若様が元の奥方にそっくりな女性と一緒になるんだってさ!」
「元の奥方って秋乃様だろ?」
「そうそう、その秋乃様のいとこの方で生き写しの様にそっくりなんだってさ!」
「へー!秋乃様を忘れられなかったのかねぇー」
「でもつい最近は男の人と仲良くしてたって話だったじゃないかい?」
「その男の人も見なくなったって話だよ」
「ねぇねぇ、秋乃様って言えば昔は此処の宿を使ってたって噂があったじゃないか」
「あ!それ知ってるよ」
「でも、秘密裏に会合とかで使ってたって話もあるよね」
「実はさ、一度だけ秋乃様が泣いてる所を見た事があるんだよ」
「えー、それって何時の事だい」
「前の関白様が臥せってる頃だったと思うよ」
「じゃー悲しくて泣いてたんだろうさ。関白様が自分よりも大切だって言う人だったじゃないか」
「私もそうだと思ってたから今まで言わなかったんだけどさ、よーく思い出すとどうも男の人が絡んでた様な話だったと思うのさね」
「あの秋乃様が、男ねえー。ましてや泣くような事なんて信じられないけどねえ」
「何人の人を殺めて、何人の男を貶めたか知れない女だよ。ばかばかしい」
「でも前の関白とその恋人と秋乃様が揃うと、華やかだったよねえ」
「あの三人は何時でも一緒に居たからねえ」
「偶に桜の上の若様が混ざると、もう、この世の物じゃ無かった感じがしたよ」
「あの頃の城の中は戦乱だったけど、華があったよね」
昔を懐かしむ話から、最近の噂話に戻り、着物のバーゲンの話になったかと思うと男の話に移って行った。
少しづつ後ろへ下がりながら、噂話に膨らんだ人の輪の中から抜け出しやっと外へ出た。
「ああ、あの夢が繋がったな」
姐さん達の話は私の知りたい事だった。
「お屋敷には行って見たのでしょう?」
「はい。秋乃にそっくりで驚きましたが、まるで別人でした」
「それなら良かった。彼女は関係無いですからね」
「あなたは私が何故此処に来たのか知っているのですか?」
「私に毒を盛りに来たのですよね」
「・・・・・」
「でも私に毒を盛れば、騒ぎが大きくなります。あと数日待ちませんか?私はこの世界から消える者です。わざわざ嫌な事をさせたくは有りません」
「・・・全てを知っておられるのですね」
この国にも倫理は有る。
女性を神の如く崇める人々は、女性が子を産み育てる事を柱に物事を考える。
だから女性が少々面妖でも性格に問題が有っても、それがその女性の特性と考える習性がある。特に年配の人や男の人達は懐が深く、女性を大切にする。
それが普通であり、ごく当たり前の考え方として教育されている。
しかし、この国にも少し外れる者が居るのだ。
同性愛者である。
同性であれば子は望めぬと言うのが理由で、家から出され離縁を言い渡されるのである。
若い女性が一人で生きて行くには大変困難な為、自分を偽り、普通を装って婚姻し子を産み育てる者が多い。
この国では女性は殆ど働かず、男性の仕事が大半を占めている。
中には、ひっそりと田舎の片隅や他国で仲良く暮らす者達もいるが、肩身の狭い思いをしているのは間違い無いだろう。
ある程度、世の中に認められつつある私の世界でも、まだまだ偏見の目は多い。
まして関白である女性なら、何処にも逃げ場は無いだろう。
それと知って、お互いの思いが通じた時は喜び歓喜しただろうが、その後の悲壮感は地獄に等しい物だったかもしれない。
関白の婚約者であり恋人だと言われていたこの男性は、関白と関白の真の思い人である秋乃さんを見守っていたのだと思う。
誰にも知られない様に、細心の注意を払った彼の日々も大変辛い物だったろうと思う。
「私は、あの方達の事を知る者を始末せよと、前関白より仰せ付かっております」