24.春臣
桜都に来て、もう直ぐ二十日が経つ。月が昇るのも後数日だろう。
手の中の黒い携帯電話を眺めている。
着信履歴を何度確認しても、小梅からの着信は無い。
此方から電話をすれば良いのだが、何を言って良いのか分からない。
彼女から、文句の一つも言ってくれれば此方も言いようが有るのだが。
「自分に都合の良い事を考えているな」
小梅から電話が来る事は無いだろう。
彼女は、自分から行動を起こす事は無いのだ。
彼女の人生観は自然そのものだ。其処に生まれ、与えられた人生を歩んで行く。
抗う事も無く、それらが過ぎて行くのを見つめて居る。
彼女に何かを言わせたくて、驚く顔が只見たくて、強引に口づけをしたりしたのだが、結局彼女は笑っていた。
あのうさぎのぬいぐるみは、小梅をとても大切に扱う。
「この国に居る間、何が有っても、わらわは小梅の傍を離れぬぞ」
魔力を戻して貰う為だけでは無く、彼女を気遣っているのが手に取るように分かるのだ。
何故なのか。如何してなのか。何度聞いても教えてはくれなかった。
「小梅が言わぬ事を、わらわから言う事は出来ぬ」
それでも一度、知らぬ存ぜぬを繰り返しながらも、ポツリと言った一言が気になっている。
「幼子に預けるには大き過ぎる魔力だった。あの者の心を壊したくは無いのだよ」
その後は口を噤んでしまい、眠ってしまったのか何も話さなくなった。
「春臣様、如何されましたか?」
「・・・嫌、少し考え事をしていたよ」
「難しい事でしょうか?」
そう聞きながら、好奇心で目が大きくなる所は秋乃にそっくりだ。
初めて藤乃に会った時の衝撃は大きかった。
秋乃が蘇ったのかと本当に思う程良く似ている。
その時一緒にいた小梅の存在を忘れ、彼女が声を掛けたのすら聞こえていなかったのだ。
あの時俺は、十年前に戻っていたと言っても過言ではない。
あの夜に小梅の元に行っていればと今更ではあるが思わずにはいられない。
今は秋乃、違うか、藤乃から離れられなくなってしまっている。
俺が離れた隙に、また命が奪われるのでは無いかと思うと手を離すことが出来ないでいるのだ。
自分でも情けないと思う。
これが【無月】で良かったと心底安心している自分がいるのだ。
彼女のパラメーターは50を切ると言っているし、知り合いにもテレポートが出来る人物は居ないらしい。
【無月】が過ぎたらどうするのか。
俺はこのまま彼女の側を離れる事が出来ないのだろうか。
このまま離れずに一緒に居るのも悪くないと思う自分も居る。
秋乃との婚姻生活は三年程だった。
しかし、秋乃は奥に住み、殆ど顔を会わせる事が無かったと言って良い。
平時の朝食と、週末の夕餉は一緒に取っていたがどれも一時程の時間だけである。
それでも他愛も無い会話をし、秋乃の笑顔を見るのが楽しみだった。
秋乃は元将軍の娘で有る為、陰口を言われる事は多かった。
父に似た物言いが、他の者達に憎悪を与えている事は明白だが、その将軍を切り捨てた俺が彼女の後ろ盾になっていた為表立っての争いは無かった。
しかし関白が亡くなられた後は、父である元将軍を彷彿とさせる言動が増えて行った。
自分中心であり、それに従わぬ者への容赦の無い言動がエスカレートしていた。
彼女は大臣でも無ければ関白でも無い。只の「影」なのである。
亡くなった関白の悪口を言った者へ刀の先を向けた時は、私にももう庇う事が出来ない始末になっていた。
秋乃は友であり戦友である。
頭も良く、似た魔力の持ち主だった。何より話が合う一番の理解者だった。
そんな彼女に触れた事は、一度も無い。
藤乃は秋乃のいとこにあたる血筋だった。
母方の姉妹の娘で、この桜都の北の外れの町で商人の娘として生まれている。
秋乃やその両親とも「影」だった為に、交流が無く、会った事が無いのだそうだ。
それなのに、仕草や、物言いがこれ程似るのかと思うと不思議である。
その地は現関白の出身地で有り、幼い頃より仲良く遊んでいた藤乃が都に来ていた。
それを知った関白は藤乃を呼び出し、ここへ連れて来たのである。
彼女には何も言わずに。
関白は、俺をこの地に縛りたいのだろう。
事あるごとに呼び出し、女を連れて来る。
俺がここ数年、何処で何をしているのか薄々感ずいてはいる様だが、其処まで言及する事も無い。
俺は内政に関わるつもりも無いし、好きな事をして生きて行きたいだけなのだ。
三十八歳でまだ若いと言われれば聞こえは良いが、十代の頃より大人と一緒に居た為、考え方は年寄りじみている。
そんな俺に好奇心を持たせ、楽しませてくれた小梅は貴重な存在になっていた。
なのに、手を離してしまったのだ。
藤乃に会ったあの日、俺は藤乃を「落とした」のである。
俺を愛せと。俺を見ろと。
二日後の朝、藤乃と一緒に眺めていた庭を一台の人力車が通って行った。
それには小梅が一人座っており、頭を下げて遠ざかって行く姿に息を止めてしまった。
俺は最低の人間になってしまったのである。
泣かせないと約束した筈なのに、泣かせるより酷い事をしている自分に情けなさを覚える。
その日以来、夜は自分の寝床に戻る毎日となっている。
どうにも小梅の顔がちらついて、真面に藤乃を抱く事が出来ない。
秋乃の一件を解決していないせいなのだろうか。
人の死を見るのは辛い事だった。
姉の死を見届けたのは俺と、姉の婚約者の二人だけで、姉のうなじに有る関白の標の「さくら」の模様が段々と薄れ、消える頃には姉の息も消えて行った。
両親は健在だが、外交の仕事に就いている為隣国で生活しており、直ぐの帰国は困難であった。
人々は姉の若すぎる死に悲しんだが、彼女が残した平和と言う功績を褒め称え盛大な国葬となった。
秋乃の死を見届けたのは俺一人だった。
既に毒に身を蝕まれた体は色あせ、意識も戻らぬまま息を引き取った。
秋乃の両親も既に他界しており、仲が良い者も居なかった為寂しい葬儀となった。
自分が死に逝く時は異国で静かに送り出されたいと願うのは我儘なのだろうか。
「春臣様、この着物が良いですわ」
今日は呉服屋が入り、藤乃の欲しい着物を何点か購入する事になっている。
朱色、藤色、茜色と華やかな色の反物が所狭しと並んでいる。
「好きな物を選ぶと良いさ」
「春臣様のお好みも知りたいのです。少しはお手伝い願えませんか?」
俺を見て微笑んでいる顔が、媚を売っているようで気に食わない。
「好きにしろ」
それだけを言い残して色取り取りで足の踏み場も無い部屋を後にした。
どうにも最近の藤乃が鬱陶しくてイライラする。
昨日は宝石商が来て、宝飾品を買っていた。
その前は美容師を呼んで、髪の色を変えていた。
俺はそんな事に興味が無い。
散歩やドライブをしたいのだが、藤乃は家の中に居る事を望む。
小梅に会いに行きたい。
少年の様に着流しを着こなす小梅が堪らなく愛おしい。
俺の名前を呼ばぬ唇に口づけを落としたい。
しかし、藤乃を見ると秋乃が帰って来たようで側を離れがたくなる。
月の出ない夜を眺めながら、小梅が好きだった庭を眺めながら酒を飲んだ。
個人的な意見ですが。女性の染色体はX、男性の染色体はY。男性は女性よりも一本足りないからと、心の中では結構馬鹿にしている作者です。ごめんなさい。(笑)