22.離宮
昨夜は久しぶりに楽しい夢を見れたからか、気分よく目覚める事が出来た。
「桜都」を良く見ておこう。それが私の彩になるのだから。
大丈夫。悔やむ事はとっくの昔に卒業している。
「小梅様、そろそろ宜しいですか」
「はい。何時でも結構ですよ」
男装なら一人でも着られる様になった。
今日の着物は紅梅色に赤い小梅柄の鼻緒のぽっくりが裾にあしらわれた着物を選んだ。帯は烏羽色を合わせて引き締めておく。
「本日の着物もお似合いですね」
「ありがとう」
「では参りましょうか」
何時もは通らない、奥の少し暗い廊下を歩いて行く。
其処には裏玄関が有り、玄関の前には人力車が止まっている。
草履に足を入れ、一歩を踏み出そうとした所に水仙さんと牡丹さんがやって来た。
「小梅様!もう行かれるのですか?」
「今日辺り、お茶にお誘いしようと思うておりましたのに」
「ああ、ここでお会いできて良かった!挨拶もせずに行くのが心苦しかったんですよ」
「その様な事を気に為さらずに良いのですよ」
この方達にも随分と世話になったのだ。やはりお礼だけでも言いたかった。
「いえいえ、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「また来て下さいね」
「嬉しいですね。それでは、お元気で」
「お気を付けて」
頭だけを下げて裏門を潜り、人力車に一人乗り込んだ。
裏から中庭へ続く廊下が見える。
そこには一組の男女が寄り添うように庭を眺めている姿が見えた。
これが見納めなのだと、心に刻んだ。
人力車は徐々に加速を付けて大きなお屋敷を後にした。
「離宮」と言われて、煌びやかなイメージを抱いていたが、違っていた。
木造建築の日本家屋に似ており、畳を敷き詰め障子戸を用い、床の間と言う座敷飾りが趣を出していた。床の間には一輪の花が飾られている。
曲り家に似た建物で、馬屋は無いが全ての障子を開け放つと、家を取り囲んでいる庭が全て見え風が行き交うのを感じる事が出来た。
なんて気持ちが良い場所だろう。
庭に面した渡り廊下に腰を下ろしていると、自分が森の中に居る様な気分になる。
「気に入られましたかな」
庭の木立の影から現れたのは一人のおじいさん。
「はい。気持ち良いですね」
「それは良かった」
少しすると、花梨さんが冷たいお茶を持って来た。
「この離宮を管理して下さっている藤森様です。この庭の奥に住んでるんですよ」
「それは羨ましいな」
「足をお運び下され。美味しいお茶が有りますからの」
「はい。ありがとうございます」
私はそのままずーっと庭を眺めていた。時折瞳を閉じて風を感じていたから、眠っていると思われたかもしれない。
お昼が近くなる頃、おじいさんは帰って行った。
お昼も簡単な昼食を其処で済ませた。
やはりそのまま庭を眺め、夕日に暮れる空を見ていた。
辺りが暗くなりかけた頃に、花梨さんが庭の灯篭に火を入れてくれた。
それが合図だったかの様に声を掛けた。
「藤乃さんは、秋乃さんにそっくりですね」
花梨さんは灯篭を向いたまま動かない。それでも少し経ってから返事が返った。
「・・・・・ご存じでしたか」
「はい。名前だけです。秋乃さんがどのような方かは知りません。教えて下さいませんか」
花梨さんは渡り廊下の私の少し隣に腰を下ろし、数分、考えてから話し始めた。
「秋乃様は、・・・若様の奥方だった方です」
若様の姉様が二十歳で関白の座に付き、それと同時に弟の若様が大政大臣と任命された。それは若様がまだ十七歳の時だった。
前関白の在任期間が長く、その間、大臣以下の変動が全く無かった為に汚職が蔓延していた。
新しい関白と大政大臣に取り入ろうと賄賂が横行し、前将軍や左大臣・右大臣の娘息子、それらと一緒に汚職に手を染めていた商人達やその娘息子等が、連日都城の内でも外でも溢れ返っていた。
しかし、新関白はその者達に一切会わず、都城で仕事をしている下々の者達との交流を深めていた。食事を調理する者達はその日の料理の趣向や人数、酒の数で事の次第を把握する。部屋を預かる者達はその日の使用する部屋や数、枕の数で事の次第を把握する。玄関を預かる者達は下駄や草履の形と色で、どの店の色事かと把握する。
仕事の内容に至っては、メインコンピューターにアクセスすれば全てが歴然だった。
本人に聞かずとも、内の者達が雄弁に語ってくれていたのであった。
それらから知り得た情報は全て大政大臣(以下大臣に略)の若様に降ろされた。
口頭で片付くものは早々に片づけ、のらりくらりと先延ばしするものは期限を切って、残すか切り捨てるかを決断した。
それでも片付かない者達の方が多かった。
由緒の有る家の者が陰に隠れていたり、将軍が直接に係わって居なくともチラリと垣間見える影の様な事も多い。気になるもの全てを叩き潰すのは簡単なのだか、その中にも違和感を覚え、自分なりに正そうとする者まで巻き込む訳にはいかなかった。
こちらも人不足であり、見込みのある者を多く見つけたいと言う理由もあった為、その者達を取り込みながら、少しづつの戦略が着々と進み、実を結んで行く事になる。
大臣になって三年が過ぎようとする頃、桜都の最東端の村から火が昇ったと言う連絡が入った。其処は正に、前将軍が囲っていた「影」達の住む村で前将軍の故郷でもある村だった。前将軍は数々の功績も有ったが数々の黒い噂も絶えなかった。
将軍に逆らえば「影」が死を運んでくると言われ、皆が口を噤んで下城する程だった。
実際に調べてみると、不穏な死が多数浮かび上がり、その殆どに将軍が関係していた。
それらの事が露見されようとしたのに慌てた将軍は、村に火を放ち、「影」ごと隠ぺいしようとしたのであった。
警報装置、消火装置等、全ての機能が破壊されており、このままでは全てが灰になるかと思った時、直ぐに駆けつけた大臣が両の手で風を送るような仕草をすると、突風が幾筋もの方向から走り瞬く間に火が消えたのだった。お蔭で誰一人死ぬ者も出ず、数名が軽い火傷程度で済んだのだった。
その場で事の成り行きを見ていた将軍は、大臣の手によって切り殺された。
しかし後にもう一人、将軍と密約を交わして懐を潤していた村の村長が全てを告白し自害している。
上月家は代々「影」を生業としている。
警護や見張りと云った仕事もするが、隠密としての役割の方が多い。
この事件をきっかけに、上月家は大臣の加護を受ける事になった。
早速大臣は自分だけでは手が足らぬと申し、数名の若い影達を配下に置くようになった。
その中に、椚と秋乃様が入っていた。
秋乃様は女性では珍しい六十を超える魔力の持ち主で、的確な仕事と感情を伴わない手腕が定評だった。見た目は麗しく、身の熟しも上品で、頭脳も明晰と非の打ち所が無いのが欠点では無いかと言われる程だった。この様に突出した女性と対等に会話が出来る者もおらず、彼女は殆ど人と話す事をしなかった。
その彼女がある日、大臣と口論をしたと言う。何が原因なのかは知らないが、それを切っ掛けに二人は急速に近づいて行った。
仲が良いのだが、どちらかと言うとライバルの様な関係に近かった様に思う。
二人の思想は似ており、関白様が一番に大切だった。有る時、身の潔白を証明出来なかった官僚が関白との謁見で最後の足掻きと刀を抜いた時、この二人はほぼ同時に切り付けていた。
情報収集する時は、大臣が女性を、秋乃様は男性を誑かし、口づけと同時に相手に暗示をかけると言う力を良く使われていた。暗示を掛けられた相手は睡魔が襲い、眠りと共にその記憶も無くすのだと言う。
気が付けば知らない内に寝ており、介抱してくれた彼女や彼に好意を寄せる者が多かった。
仲間の間では「落とし合い」と言っていたらしい。
新しい関白と大臣、一年の後には将軍ほか大臣も決まり態勢は整って来ていた。
数々の賄賂や暗殺等に負ける事無く、都城内の膿を出すことに十年近くも費やし、やっと平穏な日々になろうかと思った頃、関白様が倒れてしまったのであった。
日々願った幸福が垣間見えた時、緊張の糸が少しづつ解けるのと同時に病の進行も急速に進んで行った。床に伏せる様になって二月も経たない内に崩御された。
一番悲しんだのは大臣であり弟である若様より、秋乃様であった。
次期関白は現関白であり、その座に就いた時は前関白と同じ二十歳の年だった。
現関白は溌剌とした行動と歯に衣着せぬ物言いが一般の人々には支持され、前大臣達との意見を取り入れながら国内を統制する能力も長けていた。
秋乃様はその関白と折り合いが悪かったのである。