19.兎
「わらわが「闇の月」じゃ」
思わず大切なうさうさを巨大なベッドの向こうへ投げ飛ばしてしまった。
「小梅!放るで無い!」
耳を押さえて春臣にしがみつく。しかし、しがみつくには耳から手を離さなければならない。
「空耳だよね」
「嫌、間違いなくうさうさがじゃべってるよ」
「聞かなかった振りしていい?」
「うさうさが怒ると思うよ」
「小梅!何をしておる!」
しぶしぶ、うさうさを回収して元の椅子の上に座らせる。
だって、ぬいぐるみの目が金色に光るなんてホラー並に怖いんだよ。
それに高ビーなしゃべり方は少し気に障る。
「何故「闇の月」と名乗る」
彼が聞きたいのはその名前なのだろう、私をベッドの上に置き手を握りしめたまま聞いている。
「皆がそう呼んでおるであろう。七十年前起こった厄災での月の欠片を「闇の月」とな」
「それは誰でも知っているお伽話では無いのですか」
「元は、「酔いの月」と呼ばれておったのだが、聞き違えた誰かが「闇の月」と言い始めたのだろうが」
そう言って、目の前に少しだけ欠けている小さな月が現れた。それは魔力を使ったビジョンだ。
「・・・本物ですね」
「嘘は言わぬ」
「今まで声を掛けなかったのは何故ですか」
「小梅がおらぬからじゃよ」
「私?」
この世界の源は月に有る。
陽(太陽)も一つの源だが、月は魔力の源でも有る為、殊更月を崇める習慣が有る。
その「月」も年の数日、「月の泉」で身を清め、宴を楽しむと言われているが、実際は年の疲れを取るために休み、魔力の調整をするのだそうだ。
「月」はこの世界の人々が放出する魔力を吸い取って輝いており、その輝きを必要とする人の為に放出する。この世界の月は常に満月で、満ち欠けを見られるのは【無月】だけなのだ。
七十年程前までは五・六日だけ「月」が留守になる月が【無月】だったが、ある日、隣の異世界の日本で大きな爆発が起こり、その振動でこの地が揺れた。その時に彼方から飛んで来た火の玉が「月」にぶつかり、「月」が欠けたのだ。
当初欠けた「月」は魔力の調整が不安定になり、三十日間の【無月】が数年続くようになったと言う。
人々の不安も多く、この世の終わりと騒がれ、自害する者も出たと言われている。
それでも少しづつ期間が短くなり、現在の二十日間に落ち着く頃には人々も落ち着きを取り戻した。
七十年前と言えば、日本が戦争をしていた頃であり、あの核爆弾が投下された頃だと思う。
あの悲劇は、毎年お盆が近くなる頃になるとテレビで特集が組まれる。
本当に悲惨な体験をした人々の話を聞くと胸が詰まる思いがするし、二度と有っては為らない事だと思うのだ。
それの余波が、この異世界にも投げられたのかと思うと唖然とする。
さて、欠けた月「闇の月」はその名の通り闇に落ちていた。
異空間と言う闇の中で彷徨っていたのだ。
火の玉が飛んで来た異空間の道に引き込まれ、閉じ込められたと思われる。
最初は酒でも飲みに行ったのだろうと囁かれ「酔いの月」と言われていたが、とんと姿を現さないので本当に闇に落ちたのではと「闇の月」と言われたらしい。
「酔いの月」と言われる程、酒好きなのも本当の事らしい。
それから約四十五年程経った時に、一筋の光が走り抜けた。
それがうさうさを抱いた小梅だったのだ。
ここぞと思い小梅に取り憑き元の世界へ戻って来たが、器が小さくて窮屈だった為心が空のぬいぐるみに心を移した。
そして、魔力を取り戻す前に小梅が元の世界へ戻ってしまったのだ。
「だからじゃ。わらわが言葉を申せなかったのは」
「それじゃぁ、私の魔力はうさうさの分だったんだ」
「嫌、それも違う。小梅が魔力を持っていたから取り憑く事も出来たのであって、話が出来たのであるぞ」
「話?」
「お主、わらわと話した事を忘れたのか!」
「・・・だって三才だったもん」
体を借りるとか、名前は何と言うかとか、そんな話だったらしが。
「しかし・・・「闇の月」が二十何年も此処に居たとは・・・」
「気にするな。わらわも忘れる事にしよう」
「・・・っつ」
彼の顔が微妙に歪んでいる。
「あ?・・・あー・・・そーね」
「小梅、変な想像はするな」
「嫌・・・別に・・・ははは」
だって、ここは彼の寝室なのだ。いろいろと想像はしてしまう。
「うさうさの魔力はどうやって返せばいいのかな」
「わらわの左の目に、そなたの左手を置くと良い」
うさうさの前に立ち、言われた通りに手を置く。
手のひらがほんわりと暖かくなったが、少しすると何も感じなくなった。
「小梅、一度に戻すとお主の体が持たぬ。少しづつ返しては貰えぬか」
「私はいいけど、うさうさは急ぐんじゃないの?」
「新月が出るまでは何も出来ぬから、それまでに返して貰えればよい」
「了解~ふぁあ~あ」
「何だ、そのだらしない返事は」
「んー 眠い」
「そろそろ休もう」
「そうだね。部屋に行くよ」
「ここで良い」
「へっ?」
問答無用で巨大ベッドへ引き摺り込まれる。
お互い酒を飲んでいる上、うさうさと話をした事で余計に疲れていた。
抵抗する気も失せて、あっと言う間に二人共寝息を立てていた。
「小梅。そなたの心が壊れぬ様に出来るだけの事をしようぞ」
余談では有るが、過剰になった魔力を落とす「月の泉」の水を飲めば不老不死になると言われているが、その存在は定かでは無い。