18.兄弟
紫苑さんに呼ばれて赴いた先は、庭に篝火が置かれた風通しの良い一室だった。
庭にはツツジの様に背の低い樹木が多く、池には錦鯉が数匹泳いでいる。
小さい頃に家族で行った温泉旅館を思い出す。
祖父母と五人で行った最後の温泉は「離れ」になっている部屋で、部屋からも露天風呂からも庭が見える作りになっており、そこにも錦鯉が数匹泳いでいたのを覚えている。
「気に入られましたか」
美しい女性に声をかけられるまで、皆の視線を集めて居る事に気が付かなかった。
「すみません。見惚れました」
「それは嬉しい事です」
「妻の牡丹だ。美人だろう」
「まぁ、あなたったら・・・」
「いえ、本当にお美しい方ですね」
「紫苑の惚気は聞くだけ無駄だ。切りが無い」
紫苑さんは体格の良い男性で首も太く筋骨隆々、顔も少々厳つい感は有るが奥方を見る目はやさしそうだ。その奥方もきりりとした美人で、かなりのしっかり者だと思われる。
このお屋敷を取り仕切るに値する主人達だろう。
「牡丹、急に来てしまって申し訳ない」
「あに様、何を申します。気にせずにごゆるりとなさって下さい」
「小梅様。お酒はお口に合われますか」
「はい。美味しいですね」
「それは良かったですわ」
こちらのお酒は、何て言うか、大変美味しい。
日本酒にワインを合わせたような飲み口で、後味は焼酎の様にさっぱりとしている。
軽めなのかと思いきや、意外と重くアルコール度数三十度だと教えられた。
彼が、こちらでしか飲めない酒だと言った意味が理解できた。
しかし、このお二人は「大吟醸」と書かれた見慣れた一升瓶を飲んでいる。
「兄様に頂いたこの酒がとても気に入りましてな、年に二度程お願いして届けてもらっているのですよ」
「俺を酒屋か何かと間違っているよ。紫苑」
この兄弟は仲が良い。
特に紫苑さんは彼を慕っているのが手に取るように分かる。
彼が大臣だった頃の武勇伝を惜しみなく語り、自慢の兄様だと言って満面笑みを浮かべている。
そんな紫苑さんも今は将軍の職に有り、国を治める大事な役職に付いている。
話が段々と幼い頃の話になり、正面玄関に有る大門の脇の大きな樫の木に登って叱られたとか、お寺の屋根に上って昼寝をしただの楽しい話にお酒も進む。
「そう言えば、兄様の誕生日の時に、買って貰ったばかりのゲームを持って行って一緒に遊んでいたら、電気が落ちてゲームが壊れた事がありましたな。あの時はゲームが壊れた事よりなかなか付かない電気に怖い思いをしましたな」
「そんな事も有ったな」
「そうそう、電気がやっと付いて兄様の部屋へ行ったら、ウサギの人形を抱いて寝ているのを見て大層驚いたものでした」
「えっ、ウサギの人形ですか」
「そう、ウサギですよ。淡い肌色で大きな耳が付いたウサギ。確か赤い洋服を着ていたと記憶しておりますが」
「紫苑。それは誰にも言ってはならぬと教えたであろうが」
「あはははは 誰にも申しておりませぬよ」
「今、申したでは無いか」
「これは失礼致しました」
まだまだ続く思い出話は止みそうに無い。
赤いワンピースを着たぬいぐるみのうさうさは、私の誕生日の時に父から貰ったプレゼントだった。
何処に行く時も一緒で、私が抱きしめても壊れない大切な友達だった。
でもある時から居なくなってしまったのだ。
私が何処かに置き忘れたのだと思い、泣きながら探したのを今でも覚えている。
神隠しに遭う前は持っていた。見つかった時は持っていなかったと言う。
まさか、ね。
そのウサギの人形はまだ有るだろうか。後で聞いてみよう。凄く気になる。
「兄様!今度は剣の相手をして・・・・・・・・・・・せぬか・・」
どたっと言う音と共に、意味不明な言葉を言った紫苑さんが、大の字になって転がった。
「潰れたな」
「やはり、あに様には敵いませんね」
「嫌、俺も酔ったよ。小梅、戻ろう」
「はい」
「牡丹、今夜はありがとう。紫苑にも楽しかったと伝えてくれ」
「もったいないお言葉です。何時でもお寄り下さい」
「ご馳走様でした」
この人は本当に酔っているのだろうか?
ふら付きもせず、何時もと同じ様に手を繋いで歩いている姿は酔っ払いでは無い。
紫苑さんと殆ど同じペースで飲んでいたと思うけど。
「つまらなく無かったか?」
「ううん。小さい頃の話が聞けて楽しかったよ」
「そうか」
「あのさ、うさぎ、まだ有る?」
「大切にしてあるよ。こっちだ」
入った部屋は最初に通された鳳凰の部屋だ。
その奥の襖を開けて入った先には巨大なベッドが鎮座している。
そのベッドの左側に朱塗りの椅子が一脚置いてあり、その上に可愛いうさぎのぬいぐるみが赤いワンピースを着て座っていた。
「・・・・・やっぱり」
「小梅のうさぎ」
「なっ!・・何で知っているの」
彼は私の唇辺りを指でなぞりながら微笑む。
「このほくろと、蒼い月」
通称「神隠し」に遭ったのは私が三才の時。
自分では何が有ったのか良くは覚えていない。
その時一緒に居たのが椿で、断片的に記憶しているのは椿と喧嘩をした事と、一緒に歌を歌った事なのだ。
二才上で五才だった椿の話では、私が片時も離さない「うさうさ」を、貸してと言ったが嫌だと言われた事に始まった喧嘩が原因だと言っていた。何時でも貸して、頂戴、と言えば素直に差し出す私が、この時だけは嫌だと言ったのに腹が立ったと言うのである。
「一緒に遊ばない」と言って反対側を向き、一人で別の人形で遊んでいたが、やっぱり一緒に遊ぼうと思い振り返ると其処に私が居なかったと言うのだ。
慌てて探したが見つからず、私の母や自分の母にも事の次第を説明して探してもらおうと思ったが、「うさうさと隠れたんだよ」と言われ、また腹が立ったと言うのである。
とんでもない事を言う親である。
私が居なくなったと言い出してから一時間が経ち、二人の母親は慌て出した。
二人の父に連絡をし、家の中、外、近所を探したが見つからない。家の周りは親戚やご近所さんで騒がしくなっており、いよいよ警察に電話をしようとなった時に、見つかったのである。
家の裏手にあるブランコに乗っていた私は、歌を歌っていたと教えて貰った事がある。
最初に私を見つけて声を掛けてくれたおじさんに「おにいちゃんは?」とも言ったらしい。
椿に聞いても歌は歌っていないと言われ、一緒に居たのも椿では無いと言われたのだ。
約三時間、私が何処に居たのかは不明のままだ。
彼が「蒼い月」を歌い始めた。
この歌を聞くと、とても懐かしく感じるし安心する。
取り立てて流行りの歌では無いから、他の人が聞いても興味を示す事も無い。
「この歌は、あの時一緒に歌った歌なんだ。この国の童謡に別の歌詞を載せて作ったCDでね、君を探す為少しだけ魔力を使って配った物なんだよ」
「本当に、探す気、有りましたか?」
「うん・・・ごめん、本気でも無かったんだ。不確かな事だしこの世界とも限らないしね。でもこのうさぎを返してあげたかったのは本当」
「そっか」
うさうさに手を伸ばして抱きしめる。記憶の頃のうさうさはとても大きなぬいぐるみだったが、今は胸にすっぽりと収まる大きさになっていた。
彼はベッドに腰を下ろして座っている。
その彼の膝の上でぬいぐるみを抱きしめたまま座っている。
「小梅か」
彼の声では無い声がする。そもそも女性の声だ。
後ろを見上げると、彼も不思議な顔をしている。
「小梅や、わらわを離せ。顔が見えぬ」
ゆっくりと抱きしめていたうさうさを、目の高さまで両手で持ち上げる。
「暫く見ぬ内に、大きゅうなったのう」
うさうさの目が金色に光っていた。
私には兄が1人だけおります。しかし年が離れているせいか余り話しません。願わくばお姉さんが欲しかった!切実に親に向かって言い放ったが、時既に遅しですよね。(笑)