16.黒子
「花梨と申します。何時でもお呼び下さい」
「はい?」
にこりと笑い、後ろへ下がった。
振り返って見たが、もうその人は居なかった。
「小梅」
「んー 猫と美人さんが居た」
庭の隅にしゃがんだまま、猫が居なくなった辺りをじっと見ていた。
何処かに猫の通り道が有るのだろうが、奥に茂っている竹林には入って行けない。
「花梨に会ったのか」
「庭の奥へ行こうとしたら止められた」
「ああ、あの竹林の向こうには侵入者除けの仕掛けが有るからだろう」
「へー これだけ大きいお屋敷だと大変だね」
「そうでもないさ」
着物の裾に付いた土や草をぽんぽんと払い、彼の近くへ行って腰を下ろす。
「何時の間にか寝てしまったな」
「昼からお酒を飲んでるからだよ」
「ははは 帰った時の楽しみだからな」
「今夜は早く寝るといいよ」
「ああ、そうだな」
私に用意された部屋へ戻り、備えられている備品について説明をしてくれた。
その説明に唖然としつつ、この国の科学の発達に目を見張るばかりだった。
部屋は普通に見れば普通なのだか、視点を変えて見れば様々な便利な物が存在している。
例えば、机の前の椅子に座る。と同時に何も無かった机の上にパソコンが3Dの様に浮かび上がる。タッチパネルで操作をすると様々な情報が一瞬で検索される。
音楽を聴きたいと思えば、画面上の♪のマークをタッチすれば部屋中に音楽が流れだす。選曲やラジオ番組もタッチパネルで何百と云うジャンルから選ぶ事が可能だ。音量の変更は左手を上げ下げする事で出来るし、左手を前へ押す格好をすれば止まる。勿論画面上でも操作は出来る。
同じようにテレビを見たければ、テレビのマークをタッチすれば大型ワイド画面のテレビが現れる。
何と言うか、着いて行けない。
寝室のクローゼット奥にはお風呂が有り、それも全てタッチパネルで操作出来る。
湯船に浸かりながら、テレビも音楽も電話も使えるし電子書籍も呼び出し可能だ。
ベッドの頭部に有るスイッチを押せば、スリープモードとなり快適な眠りを約束してくれるとか。何処かのホテルのキャッチコピーを聞いている気がする。
「何て言うか、凄いね」
「そうか?日本ももう少しするとこうなるよ」
「ははは 数十年先の未来だろうね」
「でも遠い未来では無いと思うよ」
遠くて近い未来、私は何処でどうして居るんだろうな。
今は、穏やかでは無い毎日に翻弄されているけど、それだって何時かは終わりが来る。
私は私の人生が全う出来ればそれで良いと思っている。可も無く不可も無く。
まずはこの三週間を楽しもう。異世界で過ごすのも私の人生の彩になるだろう。
二人で過ごす時間は意外と穏やかで、他愛も無い話をしたりしなかったり。
他人と一緒に居ると、無言が辛く感じる事がしばしば有るけど、無言までが楽しく彼との時間は本当に穏やかに過ぎて行った。
豪華な夕食も二人で取り、のんびりと食べる食事はやはり美味しかった。
食後のお茶を頂き、お腹も落ち着いた所で彼に電話が入った。出かけてくると言うので、私も部屋へ戻るからと一緒に食事の部屋を出た。
長椅子に深々と座り込み、はあー と一つ溜息を付く。
やっと一人になれた。
今日一日の緊張と出来事が大き過ぎて、自分でも思いの外疲れている。
目を瞑ればこのまま寝てしまいそうだ。
襖を開けて奥の部屋へ行き、着物を脱いで衣文掛けへ掛けて置く。
ベッドの上には夜着と女性用の下着が用意されているのを見つけて安心する。
そのまま着替えるのも気分が悪いし、やはりシャワーだけでも浴びようと浴室へと向かう。
浴室には湯が張られており、エメラルド色のお湯から立ち上る森林の香りに癒された。
こんなに親切にしてもらって申し訳無いと思う一方、全てを一人でして来た一人暮らしの私にとっては無意識に笑顔がこぼれる位嬉しい事だった。
「小梅」
エメラルドのお湯に浸かりながら、うとうとしていたらしい。半分まで浸かりかけていた頭を引き上げ、声のする方へ顔を向ける。
そこはコントロールパネルが有り、赤いランプが点滅している。
「ふあい」
「寝ているのか」
「んーお風呂」
「そっちに行くぞ」
「眠いよ」
「布団に入っていろ」
「な・・・・」
返事をする前に赤いランプが消えて、会話が切れてしまった。
お風呂から上がり、髪の毛を乾かすのも中途半端に布団へ潜り込む。
お風呂に入ったら余計に眠気が強くなった。
それから間もなくしてベッドが軋み、隣に人の気配を感じる。
あー誰かが来ると言っていたような気がするが、瞼が重くて起きられない。
腰に腕が回り、引き寄せられた様な気がするが、そのまま眠りの淵に落ちて行った。
何がどうしてこうなった?
彼の腕の中にすっぽりと納まって寝ていたらしい。私の目の前には彼の胸がある。
このまま寝た振りをして遣り過ごしたいと思ったが、早くなる鼓動にじわりと汗をかいてしまう。そーっと上目使いに彼の顔を覗き込もうとしたら、目線がぶつかった。
「おはよう」
「おっ、おはようございます」
「良く眠れた?」
「眠れましたが、何故居るんでしょうか」
「昨日、行くって言ったよ」
「ああ・・・そうでしたか」
布団の中で考えてもしょうがないのだけど、今の現状は自分に物凄く期待を持ってしまうのだ。でも、彼の心は掴めるようで掴めない不確かさが有るのも否めない。からかわれているのかも知れないな。直ぐに結論を出さなくてもいいのかも知れない。まだ時間は有るから、ゆっくりと見極めよう。それでも分からない時は奥の手がある。
私に覆い被さる様に体制を変えた彼は、只黙って見つめている。
「あの、起きませんか」
「もう少しこのままで」
そう言いながら彼の手は、私の唇の隣にあるほくろを撫でている。右、左と何度も往復する行為に私の顔が段々と赤くなる。
「嫌だ・・・」
恥ずかしくて顔を背けても、大きな手で戻される。
「逃がさないと言ったはずだ」
顔が近づいた瞬間に、自分の手で自分の唇を覆う。咄嗟の行為だ。
「ほー それが答えか」
片方の眉がきゅっと上がる様は、まじで色っぽい。
いや、そんな事を考えている場合では無いし、その手を簡単に除けられたのも心外だし、朝っぱらからこんな甘いどきどきに対処の仕様が分からない。
「はっ・・・や・・・」
「若、紫苑様がお待ちです」
「待たせておけ」
「こちらにお見えです」
「・・・今行く」
紫苑さん!ナイスタイミングだ!と心で大絶賛しておく。知らない人だけど。
そうじゃなきゃ、ベッドの上から出られないのでは無いかと思うほどのキスの嵐を浴びていたのだった。
「時間はたっぷり有るからな」
不敵な笑みを私に向けてベッドから出て行った。
印象的な黒子の持ち主って居ますよね。特に顔にあったら速攻覚えますね。私は両方の耳に黒子を持っておりますが、顔には無いのが残念です、