第35話 ライブ準備
ライブの一週間前。
月曜日。
朝。
インフラ運用課。
コーヒーを飲みながらメールを確認していた。
バンドのグループチャットに通知が来ていた。
涼:『今週の練習、木曜19時確認。ライブまで最後の合わせ。全員参加で』
返信した。
『問題ない』
スマホを置いた。
その時だった。
「先輩」
美咲が来た。
「おはようございます」
「おはよう」
「先輩、来週ライブですよね」
「……なんで知ってる」
「前に教えてもらいました」
「そこまで詳しく言ったか」
「11月23日って言ってましたよ」
「……まあ」
美咲はにこっとした。
「チケット、取っておいてくれましたか」
俺は少し止まった。
「……取った」
美咲が目を輝かせた。
「本当ですか!」
「一枚だけだ」
「ありがとうございます!!」
「ただし」
「はい」
「デスボイスで引いても知らない」
「引きません」
「本当に引かないのか」
「カラオケで聴きましたよ」
「ライブは音量が違う」
「楽しみです!」
「……そうか」
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火曜日。
昼休み。
俺は一人でメールを確認していた。
ライブ当日のタイムスケジュールが来ていた。
涼:『当日スケジュール。16時スタジオ入り・リハ。18時終了。19時開場。19時30分開演。出番は三番目、21時頃予定。終演後物販あり』
確認した。
来週だ。
毎回ライブ前はそれなりに準備がある。
セットリストの最終確認。
歌詞の確認。
ステージメイクの準備。
衣装の確認。
普通の週末とは違う。
その時。
「先輩」
美咲が戻ってきた。
「お昼、一緒に行きませんか」
「まあ」
近くの定食屋に入った。
向かいに座った。
注文して、しばらく黙っていた。
美咲が言った。
「先輩、なんか少し違いますね」
「何が」
「緊張してますか」
「してない」
「してそうな顔してます」
「してない」
美咲はじっと俺を見た。
「ライブ、緊張しますか」
「毎回多少はする」
「へえ」
「何がへえだ」
「先輩って緊張するんだと思って」
「する」
「仕事の時は全然緊張してないように見えるのに」
「仕事は慣れてる」
「ライブは慣れてないんですか」
「慣れてるが、感覚が違う」
「どう違うんですか」
俺は少し考えた。
「仕事の障害対応は、解くべき問題がある。答えがある。でもライブは」
「ライブは?」
「答えがない。自分が出すものが全部だ」
美咲は少し黙った。
「……それは緊張しますね」
「まあ」
「でも」
美咲は少し真剣な顔で言った。
「先輩は毎回ちゃんとやってるんですよね」
「まあ」
「だったら今回も大丈夫じゃないですか」
「そうだな」
「私が見に行くから、絶対大丈夫ですよ」
俺は少し止まった。
「……それは関係ない」
「関係あります」
「なんで」
「先輩が頑張ってるところ、ちゃんと見てるので」
俺はうまく返せなかった。
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木曜日。
最後の練習。
スタジオに入ると、涼が待っていた。
「よう」
「よう」
「来週だな」
「そうだ」
「調子はどうだ」
「普通」
「声は?」
「問題ない」
真が来た。
「凛! 今日ばっちり合わせよう!」
「そうだな」
剛が来た。
「よ」
「よ」
全員揃った。
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練習を始めた。
セットリスト通りに通す。
一曲目。
二曲目。
三曲目。
新曲を挟む。
四曲目。
五曲目。
六曲目。
全部通した。
一時間半。
涼が言った。
「いい仕上がりだ」
「そうだな」
「本番、楽しもう」
「そうする」
真が水を飲みながら言った。
「そういえば、会社の人来るんだよね」
「一人」
「誰?」
「後輩だ」
「ほう」
真はにやっとした。
「例の後輩か」
「普通の後輩だ」
「また普通の後輩か」
「そうだ」
剛が静かに言った。
「緊張するか」
「ライブは毎回少しする」
「その子が来るから、か」
「……ライブの緊張だ」
「そうか」
剛はそれだけ言ってスティックを片付けた。
相変わらず核心だけ突く男だ。
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金曜日。
会社。
昼前。
美咲が椅子を寄せてきた。
「先輩、明日ライブですね」
「そうだ」
「楽しみです!」
「来なくていい」
「もう来ます! チケット貰いましたから!」
「まあ」
「先輩から来るなって言われなかったですよ、今日は」
「……言いそびれた」
「来るな、ですか」
「……」
「見ても楽しくない、ですか」
「……まあ、そういう意味だ」
「先輩」
「何だ」
「私、先輩の全部が楽しいですよ」
俺は少し止まった。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味です」
「具体的に言え」
「インフラエンジニアの先輩も、メイクが詳しい先輩も、バンドのボーカルの先輩も」
美咲は少し笑った。
「全部先輩じゃないですか。全部見てて楽しいです」
俺はうまく返せなかった。
「それって」
「何ですか」
「全部見る気か」
「見ます」
「仕事も?」
「もう見てます」
「バンドも?」
「明日見ます」
「……他には何もないが」
「先輩って他にもいっぱいあるじゃないですか」
「何が」
「普段の先輩とか」
「それは見てる」
「毎日見てます」
美咲はにこっと笑った。
「全部見てますよ、先輩のこと」
俺は何も言えなかった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「心拍数が」
「言うな」
「上昇しています」
「……分かってる」
「保存しました」
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夜。
家。
明日の準備をした。
衣装を確認する。
ステージ衣装は普段着とは全然違う。
黒のスキニーパンツ。
黒のロングシャツ。
メタル系のバンドらしいスタイルだ。
ステージメイクの道具を確認する。
アイライン。
シャドウ。
コンシーラー。
ライブの時は普段とは違う、少し濃いめのメイクにする。
中性的な見た目をさらに際立たせるためだ。
鏡を見た。
これが会社の自分とは全然違う。
「全部先輩じゃないですか」
美咲の言葉が頭に来た。
会社の自分も。
ライブの自分も。
こいつは全部見ると言っている。
「全部見てますよ、先輩のこと」
俺は鏡から目を離した。
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「明日のライブ当日スケジュールを確認します」
「してくれ」
「16時スタジオ入り、19時30分開演、出番21時頃予定です」
「問題ない」
「チケット発行済みは一枚です」
「そうだ」
「結城美咲宛てです」
「そうだ」
「それと」
「何だ」
「緊張していますか」
「多少」
「ライブの緊張ですか」
「……そうだ」
「他の理由ではないですか」
「……ライブの緊張だ」
「了解しました」
一拍。
「保存しました」
俺はため息をついた。
NIAには何も隠せない。
ただ。
明日のライブ。
美咲が来る。
初めて、会社の人間がライブを見に来る。
……何でもない。
ただのライブだ。
いつも通りやればいい。
……たぶん。




