第34話 悠斗とギター
土曜日。
下北沢のスタジオ。
今日の練習は少し早めに始まっていた。
来月のライブに向けて、新しい曲の合わせをする予定だった。
準備をしていると、スタジオのドアが開いた。
涼が顔を上げた。
「誰か来るんですか」
「知り合い」
「知り合いって誰」
「悠斗だ」
少し経って、悠斗が入ってきた。
「おう」
「おう」
悠斗はスタジオを見回した。
「来てもよかったか?」
「問題ない」
「邪魔しないから聴かせてくれよ」
涼が言った。
「凛の友人?」
「大学からの腐れ縁です」
「よろしく」
「よろしく。すごいな、本格的な機材だ」
真が手を振った。
「気楽に見てってください!」
剛は無口なまま頷いた。
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練習を始めた。
一曲目。
新曲だ。
まだ合わせが荒い部分がある。
サビの入りで少しズレた。
「止め」
俺は言った。
「Bメロの後半、タイミングを合わせる。もう一回」
また最初から。
今度はうまくいった。
二曲目。
これは既存曲だ。
ライブの定番で、息が合っている。
デスボイスのパートを全力で出した。
壁の外まで聞こえるくらいの音量だった。
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休憩。
全員がボトルを持って水を飲んだ。
悠斗が俺の隣に来た。
「すごいな」
「普通だ」
「普通じゃないだろ。あのデスボイス、生で聴くと迫力が全然違う」
「慣れてる」
「MCで全然しゃべらないんだな、お前」
「歌の邪魔になる」
「性格出てるな」
悠斗は少し笑った。
そして、声を少し落とした。
「なあ」
「何」
「結城さん、最近どうだ」
「普通だ」
「普通か」
「そうだ」
悠斗はしばらく水を飲んだ。
「お前、カラオケ行ったんだって?」
「先週」
「デスボイス出したって聞いたぞ」
「なんで知ってる」
「グループチャットで話してたじゃないか」
「……まあ」
「結城さんの反応はどうだったんだ」
「かっこいいと言ってた」
「ほう」
悠斗がにやっとした。
「それだけか」
「それだけだ」
「本当に?」
「本当だ」
悠斗はしばらく俺を見た。
「凛」
「何だ」
「美咲のこと、本当にどう思ってる」
俺は少し間を置いた。
「後輩だ」
悠斗がため息をついた。
「まだそれか」
「事実だからだ」
「事実な」
「そうだ」
「後輩、以外の何かは」
「後輩だ」
「本当に」
「本当だ」
悠斗はしばらく黙っていた。
それから、言った。
「……お前、損するタイプだな」
俺は少し止まった。
「何が」
「自分の気持ちに正直になるのが遅い」
「気持ちの話じゃない」
「そうか?」
「そうだ」
「じゃあ聞くが」
悠斗は俺をまっすぐ見た。
「あの子が泣いてたら、どうする」
「……何の話だ」
「どうするかって聞いてる」
俺は少し考えた。
「……状況による」
「状況関係ない。あの子が泣いてたら、お前はどうする」
俺は答えられなかった。
悠斗は少し笑った。
「それが答えだよ」
「何が」
「後輩だけなら、そんなに考えないだろ」
俺は何も言えなかった。
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練習再開。
三曲目。
四曲目。
五曲目。
ライブに向けたセットリストを通した。
五十分の流れを確認する。
最後の曲が終わった。
「よし」
涼が言った。
「今日はいい仕上がりだな」
「来月のライブまで、あと二回練習できる」
「十分だ」
「ライブ、楽しみになってきた」
真が明るく言った。
「今回は会社の人来るの?」
「……考えてる」
「考えてるって言ってたよな、この前も」
「まだ決めてない」
剛が無口なまま言った。
「チケット取ったか」
「……まだ」
「取れ」
「考えてる」
「取れ」
剛はそれだけ言ってドラムを片付け始めた。
悠斗が横から言った。
「取ってやれよ」
「お前まで言うな」
「あの子、来たがってるんだろ」
「そうだが」
「じゃあ取れ」
「……分かった」
言ってしまった。
涼が少し驚いた顔をした。
「珍しい。素直に返事した」
「うるさい」
「いいことだよ」
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片付けが終わった。
悠斗と二人で外に出た。
夜の下北沢を歩いた。
「さっき、分かった、って言ったな」
「言った」
「珍しいな、お前が素直に」
「チケットの話だ」
「チケットだけの話か?」
俺は少し止まった。
「……チケットの話だ」
「そうか」
悠斗はしばらく歩いた。
「なあ凛」
「何」
「さっき、あの子が泣いてたらって聞いただろ」
「聞いた」
「答えられなかったよな」
「……まあ」
「なんで答えられなかったか、分かるか」
「……分からない」
「嘘つくな」
「……」
「分かってるんだろ」
俺は何も言わなかった。
悠斗は笑った。
「お前さ、後輩って言い続けてるけど」
「そうだ」
「後輩だとして、その後輩のことがそんなに気になるか? 普通」
「……」
「泣いてたらって聞いて、そんなに考え込むか? 普通」
「……」
「損するタイプだよ、お前は本当に」
「何が損するんだ」
悠斗は俺を見た。
「気づくのが遅くなると、その分誰かに先を越されるぞ」
俺は少し止まった。
「誰かに、というのは」
「三崎さんとか、他の誰かとか」
「……」
「あの子が誰かと付き合い始めてから気づいても遅い」
「……そういう話じゃない」
「そういう話だよ」
悠斗は少し笑った。
「まあ、お前のペースでいいけど」
「そうする」
「ただ」
「何だ」
「チケット取る気になったなら、少し進んでるぞ、お前なりに」
俺は何も言わなかった。
駅の前で、悠斗が手を上げた。
「またな」
「また」
「チケット、取れよ」
「分かってる」
「結城さんに渡せよ」
「……分かってる」
悠斗は笑いながら去っていった。
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一人になった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「黒川悠斗との会話を記録しました」
「するな」
「注目ワード」
「出すな」
「チケット取る気になった」
「……まあ」
「少し進んでる」
「……」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「あの子が泣いてたら、という問いに対して」
「言うな」
「答えられませんでした」
「……消せ」
「保存しました」
「マスター」
「なんだ」
「一つだけ確認します」
「何だ」
「チケット、取りますか」
俺は少し間を置いた。
「……取る」
「承知しました。記録します」
「記録するな」
「保存しました」
夜の下北沢を、一人歩いた。
チケット、一枚。
結城美咲宛て。
それだけのことだ。
ただの後輩へのチケット。
……そう思っておく。
しばらくは。




