第32話 スタジオ
土曜日。
夜。
下北沢。
スタジオの前に立った。
地下に続く階段を降りる。
受付でスタジオの鍵を受け取る。
廊下を歩く。
防音扉を開ける。
机の上にドラムセット。
壁にはアンプが並んでいる。
ここが、俺のもう一つの場所だった。
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少し経って、メンバーが来た。
最初に来たのは涼だった。
風間涼。
二十九歳。
楽器店のスタッフだ。
ギターケースを背負って、いつも通りクールな顔で入ってきた。
「よう」
「おう」
「今日はちゃんと来たな」
「いつも来てる」
「先月一回遅刻したろ」
「サーバ障害があった」
「そういうやつな」
涼はギターをケースから出しながら言った。
「最近会社どうだ」
「普通」
「大規模障害があったって言ってたよな」
「直した」
「相変わらずだな」
次に来たのは真だった。
佐伯真。
二十七歳。
バーの店員で、ムードメーカーだ。
「凛ー! 久しぶり!」
「先月も会った」
「そんな感じしないわ。元気?」
「まあ」
「仕事きつかった? なんか障害がどうとかグループチャットで言ってたけど」
「直した」
「さすが。俺だったら泣いてる」
最後に来たのが剛だった。
東條剛。
三十三歳。
配送業で、無口な職人気質だ。
「よ」
「よ」
それだけだった。
剛はドラムのセッティングを始めた。
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準備が整った。
スタートする。
ギターのリフが入る。
重い。
低音が腹に来る。
ベースが加わる。
ドラムが入る。
俺はマイクを持った。
息を吸う。
声を出す。
普段の声じゃない。
ライブの声だ。
会社で使う声でも、電話で使う声でもない。
これが本来の、手術で手に入れた音域の全部を使う声だ。
クリーンボイスでメロディラインを乗せる。
高音が伸びる。
サビでシャウトを混ぜる。
Bメロにデスボイスのパートが来る。
低く、重く、腹から出す。
一曲目が終わった。
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休憩。
涼がギターをスタンドに立てかけながら言った。
「調子いいじゃないか」
「まあ」
「声の乗りがいい。何かいいことあった?」
「別に」
「嘘つくな」
「何もない」
真がペットボトルの水を飲みながら割り込んできた。
「凛ってさ」
「何だ」
「最近グループチャットでよく後輩の話してるよな」
俺は少し止まった。
「そうか」
「会社の新人って言ってたっけ」
「まあ」
「どんな子」
「普通の後輩だ」
「でも結構話してるよね」
「報告してるだけだ」
真はにやっとした。
「報告ってどんな内容?」
「障害対応の話とか、教育の進捗とか」
「それ報告じゃなくて自慢じゃない?」
「違う」
「なんか嬉しそうに話してるじゃん、いつも」
「してない」
涼が静かに言った。
「例の後輩か?」
俺は少し止まった。
「違う」
「でもよく話してるよな、その子の話」
「……普通の後輩だ」
「普通の後輩の話をそんなに頻繁にするか?」
「教育担当だからだ」
剛が無口なまま、静かに言った。
「名前」
「何だ」
「名前は」
「……結城美咲だ」
「ふーん」
剛はそれだけ言って、スティックを持った。
また練習を始める合図だった。
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二曲目。
三曲目。
四曲目。
練習は続いた。
俺は歌いながら、少し考えていた。
「例の後輩か?」
違う。
普通の後輩だ。
ただ。
「名前は」
すぐ出てきた。
結城美咲。
すぐ出てきたことが、少し気になった。
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練習が終わった。
機材を片付けながら、涼が言った。
「ライブ、来月だな」
「そうだ」
「チケット、余分に取るか」
「……考えてる」
「誰か呼ぶのか」
「まだ決めてない」
「後輩か?」
「……まだ決めてない」
涼は少し笑った。
「決めてないが決めてるっぽいな」
「違う」
「まあ、呼んだらいい。たまには会社の人間に見せても問題ない」
「キャラが違いすぎる」
「どっちも凛だろ」
俺は少し止まった。
「……どっちも本物だって言うやつが多いな、最近」
「そりゃそうだよ。どっちも本物だろ」
真が横から言う。
「会社でどんな感じなんだよ、凛って」
「インフラエンジニアだ」
「見た目どうなの」
「普通に仕事してる」
「OLっぽいって言ってたよな前に」
「それは言うな」
「女性扱いされるってやつ」
「言うな」
真は笑った。
「後輩の子はどう思ってるの、それ」
「知ってて距離が近い」
「ほう」
「それだけだ」
「知ってて近いってどういう意味?」
「そういう子だ」
「好意的な感じで?」
「……まあ」
「ほう」
真はにやっとした。
「凛が『まあ』って言った」
「何でもない意味だ」
「凛が人間関係で『まあ』って言うのは珍しい」
「そんなことはない」
剛が荷物を持ちながら言った。
「呼べ」
「何を」
「後輩。ライブに」
「……考えてる」
「考えてる時点で答えは出てる」
剛はそれだけ言って先に出ていった。
無口なくせに、要点だけ言う男だ。
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スタジオを出た。
夜の下北沢。
駅に向かって歩いた。
NIAがイヤホンから言った。
「マスター」
「なんだ」
「バンドメンバーの発言を記録しました」
「するな」
「注目ワード」
「出すな」
「例の後輩」
「違う」
「呼べ」
「……考えてる」
「考えてる時点で答えは出てる、という発言も記録しました」
「消せ」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「名前をすぐ言えました」
「当然だ。教育担当だから」
「はい」
「ただ」
「何だ」
「迷わず出てきました」
「……」
「0.3秒です」
「分析するな」
「保存しました」
駅のホームに立った。
電車を待った。
「考えてる時点で答えは出てる」
剛はいつもそういう言い方をする。
無口だが、核心を突く。
……チケット、一枚。
一枚だけなら。
いや。
もう少し考える。
……本当に、もう少し考える。




