表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男なのにOL扱いされるエンジニアの日常  作者: 江戸川竜也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/34

第32話 スタジオ

 土曜日。


 夜。


 下北沢。


 スタジオの前に立った。


 地下に続く階段を降りる。


 受付でスタジオの鍵を受け取る。


 廊下を歩く。


 防音扉を開ける。


 机の上にドラムセット。


 壁にはアンプが並んでいる。


 ここが、俺のもう一つの場所だった。


---


 少し経って、メンバーが来た。


 最初に来たのは涼だった。


 風間涼。


 二十九歳。


 楽器店のスタッフだ。


 ギターケースを背負って、いつも通りクールな顔で入ってきた。


「よう」


「おう」


「今日はちゃんと来たな」


「いつも来てる」


「先月一回遅刻したろ」


「サーバ障害があった」


「そういうやつな」


 涼はギターをケースから出しながら言った。


「最近会社どうだ」


「普通」


「大規模障害があったって言ってたよな」


「直した」


「相変わらずだな」


 次に来たのは真だった。


 佐伯真。


 二十七歳。


 バーの店員で、ムードメーカーだ。


「凛ー! 久しぶり!」


「先月も会った」


「そんな感じしないわ。元気?」


「まあ」


「仕事きつかった? なんか障害がどうとかグループチャットで言ってたけど」


「直した」


「さすが。俺だったら泣いてる」


 最後に来たのが剛だった。


 東條剛。


 三十三歳。


 配送業で、無口な職人気質だ。


「よ」


「よ」


 それだけだった。


 剛はドラムのセッティングを始めた。


---


 準備が整った。


 スタートする。


 ギターのリフが入る。


 重い。


 低音が腹に来る。


 ベースが加わる。


 ドラムが入る。


 俺はマイクを持った。


 息を吸う。


 声を出す。


 普段の声じゃない。


 ライブの声だ。


 会社で使う声でも、電話で使う声でもない。


 これが本来の、手術で手に入れた音域の全部を使う声だ。


 クリーンボイスでメロディラインを乗せる。


 高音が伸びる。


 サビでシャウトを混ぜる。


 Bメロにデスボイスのパートが来る。


 低く、重く、腹から出す。


 一曲目が終わった。


---


 休憩。


 涼がギターをスタンドに立てかけながら言った。


「調子いいじゃないか」


「まあ」


「声の乗りがいい。何かいいことあった?」


「別に」


「嘘つくな」


「何もない」


 真がペットボトルの水を飲みながら割り込んできた。


「凛ってさ」


「何だ」


「最近グループチャットでよく後輩の話してるよな」


 俺は少し止まった。


「そうか」


「会社の新人って言ってたっけ」


「まあ」


「どんな子」


「普通の後輩だ」


「でも結構話してるよね」


「報告してるだけだ」


 真はにやっとした。


「報告ってどんな内容?」


「障害対応の話とか、教育の進捗とか」


「それ報告じゃなくて自慢じゃない?」


「違う」


「なんか嬉しそうに話してるじゃん、いつも」


「してない」


 涼が静かに言った。


「例の後輩か?」


 俺は少し止まった。


「違う」


「でもよく話してるよな、その子の話」


「……普通の後輩だ」


「普通の後輩の話をそんなに頻繁にするか?」


「教育担当だからだ」


 剛が無口なまま、静かに言った。


「名前」


「何だ」


「名前は」


「……結城美咲だ」


「ふーん」


 剛はそれだけ言って、スティックを持った。


 また練習を始める合図だった。


---


 二曲目。


 三曲目。


 四曲目。


 練習は続いた。


 俺は歌いながら、少し考えていた。


 「例の後輩か?」


 違う。


 普通の後輩だ。


 ただ。


 「名前は」


 すぐ出てきた。


 結城美咲。


 すぐ出てきたことが、少し気になった。


---


 練習が終わった。


 機材を片付けながら、涼が言った。


「ライブ、来月だな」


「そうだ」


「チケット、余分に取るか」


「……考えてる」


「誰か呼ぶのか」


「まだ決めてない」


「後輩か?」


「……まだ決めてない」


 涼は少し笑った。


「決めてないが決めてるっぽいな」


「違う」


「まあ、呼んだらいい。たまには会社の人間に見せても問題ない」


「キャラが違いすぎる」


「どっちも凛だろ」


 俺は少し止まった。


「……どっちも本物だって言うやつが多いな、最近」


「そりゃそうだよ。どっちも本物だろ」


 真が横から言う。


「会社でどんな感じなんだよ、凛って」


「インフラエンジニアだ」


「見た目どうなの」


「普通に仕事してる」


「OLっぽいって言ってたよな前に」


「それは言うな」


「女性扱いされるってやつ」


「言うな」


 真は笑った。


「後輩の子はどう思ってるの、それ」


「知ってて距離が近い」


「ほう」


「それだけだ」


「知ってて近いってどういう意味?」


「そういう子だ」


「好意的な感じで?」


「……まあ」


「ほう」


 真はにやっとした。


「凛が『まあ』って言った」


「何でもない意味だ」


「凛が人間関係で『まあ』って言うのは珍しい」


「そんなことはない」


 剛が荷物を持ちながら言った。


「呼べ」


「何を」


「後輩。ライブに」


「……考えてる」


「考えてる時点で答えは出てる」


 剛はそれだけ言って先に出ていった。


 無口なくせに、要点だけ言う男だ。


---


 スタジオを出た。


 夜の下北沢。


 駅に向かって歩いた。


 NIAがイヤホンから言った。


「マスター」


「なんだ」


「バンドメンバーの発言を記録しました」


「するな」


「注目ワード」


「出すな」


「例の後輩」


「違う」


「呼べ」


「……考えてる」


「考えてる時点で答えは出てる、という発言も記録しました」


「消せ」


「保存しました」


「それと」


「何だ」


「名前をすぐ言えました」


「当然だ。教育担当だから」


「はい」


「ただ」


「何だ」


「迷わず出てきました」


「……」


「0.3秒です」


「分析するな」


「保存しました」


 駅のホームに立った。


 電車を待った。


 「考えてる時点で答えは出てる」


 剛はいつもそういう言い方をする。


 無口だが、核心を突く。


 ……チケット、一枚。


 一枚だけなら。


 いや。


 もう少し考える。


 ……本当に、もう少し考える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ