第31話 バンドの匂わせ
金曜日。
週末のメンテウィンドウが終わった翌朝だった。
深夜から作業して、朝の六時に帰宅した。
少し仮眠を取って、出社した。
眠い。
ただ、監視画面は緑だった。
メンテは成功した。
それだけで十分だった。
「先輩!」
美咲が来た。
「おはようございます!」
「おはよう」
「顔色悪いです」
「深夜作業だったからな」
「お疲れ様です」
「まあ」
美咲は俺のデスクにコーヒーを置いた。
「買ってきました」
「ありがとう」
「先輩が深夜作業の日はコーヒー買ってくることにしてます」
「いつから」
「先月くらいから」
俺は少し止まった。
「気づかなかった」
「そうですか」
美咲はにこっとした。
「気づかなくていいです」
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午前中。
メンテの後処理をしていた。
作業ログの整理。
三崎への報告。
開発への確認。
一通り終わったところで、スマホが震えた。
画面を見る。
バンドのグループチャットだった。
涼:『来月の下北のライブ、スタジオ予約確認。11/23 19時〜 問題ない?』
俺は返信した。
『問題ない』
画面を伏せた。
「先輩」
美咲だった。
「ん」
「今のメッセージ、スタジオって書いてましたよ」
「……見てたのか」
「隣にいるので見えました」
「見るな」
「見てないです、たまたまです」
美咲は少し身を乗り出した。
「先輩、バンドの話ですか」
「そうだ」
「スタジオって練習スタジオですか」
「そう」
「ライブがあるんですか」
「来月」
美咲が目を輝かせた。
「見たいです!」
「やめとけ」
「なんでですか」
「お前が見るようなもんじゃない」
「先輩が出るんですよね」
「そうだが」
「じゃあ見たいです」
俺はため息をついた。
「ジャンルが合わないと思う」
「どんなジャンルですか」
「メタル」
「……メタル?」
「ヘヴィメタルだ」
美咲は少し首を傾げた。
「先輩がですか」
「そうだ」
「ボーカルですよね」
「そうだ」
「メタルのボーカルって……」
美咲はしばらく考えた。
「叫ぶやつですか」
「まあ、そういう要素もある」
「先輩が叫ぶんですか」
「……デスボイスとクリーンボイスを使い分ける」
「でぃすぼいす?」
「あとで調べろ」
「今教えてください」
「低くて重い声だ」
「先輩の声で?」
「声は手術で変えてあるが、歌の技術は別の話だ」
美咲はしばらく俺を見た。
何か考えているような顔だった。
「先輩」
「何だ」
「やっぱり聴きたいです」
「やめとけ」
「なんでそんなに嫌がるんですか」
俺は少し考えた。
嫌、というわけじゃない。
ただ。
「会社とバンドは別だ」
「なんで別にするんですか」
「キャラが違いすぎる」
「キャラ?」
「会社ではインフラエンジニアだ。ライブではメタルボーカルだ。混在させたくない」
「でも先輩は先輩じゃないですか」
俺は少し止まった。
「どっちも本物だって、私言いましたよね」
「言った」
「じゃあ見せてくれてもいいじゃないですか」
俺はうまく返せなかった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「美咲の要求を分析しました」
「するな」
「断れない可能性があります」
「出すな」
「過去の傾向から」
「言うな」
「83%です」
「……消せ」
「保存しました」
美咲が少し笑った。
「NIAさんも言ってますよ」
「NIAは余計なことしか言わない」
「でも」
美咲は真剣な顔で言った。
「先輩のこと、もっと知りたいです。会社だけじゃない先輩を」
俺は何も言えなかった。
13話で美咲に言われた言葉と同じだった。
「先輩のこと、もっと知りたくなりました」
こいつはずっと同じことを言っている。
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昼休み。
沙羅が声をかけてきた。
「神代さん、先週のメンテお疲れ様。問題なかったね」
「はい」
「週末ゆっくりできた?」
「まあ」
「来週は?」
「バンドの練習があります」
「あ、バンドか。最近忙しそうだったもんね」
美咲が隣でぴくっとした。
「高城さん、先輩のバンドご存知なんですか」
「うん、前に少し聞いた」
「ライブ、見に行ったことありますか」
「ないけど、いつか見てみたいとは思ってる」
美咲が俺を見た。
「高城さんも見たいって言ってますよ」
「別の話だ」
「同じ話です」
沙羅が笑った。
「神代さん、見せてあげたら?」
「仕事と別にしたい」
「でも知られても困ることはないでしょう」
「……まあ」
「じゃあいいじゃない」
俺は少し困った。
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夕方。
帰り支度をしながら、バンドのグループチャットを見ていた。
涼:『来月のライブ、チケット余ってたら誰か呼ぶ?』
真:『凛の会社の子とか?笑』
剛:『』
涼:『凛、どうする』
俺は少し止まった。
返信する前に、美咲が来た。
「先輩、帰りますか」
「ああ」
「一緒に行っていいですか」
「まあ」
並んで歩き出した。
駅までの道。
美咲は少し楽しそうだった。
「先輩」
「ん」
「来月のライブって、いつですか」
「……なんで知ってる」
「さっきチラ見えしました」
「見るな」
「見てないです、たまたまです」
「二回目のそれは通らない」
美咲は笑った。
「来月ですよね」
「……11月23日だ」
「空けておきます!」
「来なくていい」
「行きます」
「やめとけ」
「行きます」
「……ジャンルが合わないと言った」
「合わなくていいです」
「デスボイス聞いても引かないと言えるか」
「引きません」
「本当か」
「本当です」
美咲は少し真剣な顔で言った。
「先輩のことが怖くなるわけないじゃないですか」
俺はうまく返せなかった。
改札の前で、美咲は振り返った。
「先輩」
「ん」
「チケット、一枚取っておいてください」
「……」
「ダメですか」
俺は少し考えた。
断る理由を探した。
見つからなかった。
「……考える」
「考えてください」
美咲はにこっと笑った。
「また明日」
「また明日」
改札を通っていった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「チケット一枚確保を検討中です」
「まだ何も決めてない」
「了解しました」
「ただ」
「何だ」
「断りませんでした」
「……まあ」
「初めてです」
「何が」
「ライブへの招待を、即断しませんでした」
俺は何も言わなかった。
夜の駅前に、一人立っていた。
「先輩のことが怖くなるわけないじゃないですか」
そう言った美咲の顔が、頭に残っていた。
……チケット、一枚くらいなら。
いや。
考えてから決める。
……本当に、考えてから決める。




