表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男なのにOL扱いされるエンジニアの日常  作者: 江戸川竜也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/32

第30話 美咲、告白未遂

 木曜日。


 夜の二十時。


 フロアには俺と美咲の二人だけになっていた。


 今週末のメンテ準備が続いていた。


 設定ファイルの確認。


 手順書の最終チェック。


 ロールバック手順の整理。


 一つ一つ、丁寧に確認していく。


 美咲は隣で資格試験のテキストを読んでいた。


 昨日から少し、静かだった。


 昨日の悠斗の言葉が、頭のどこかにあった。


 「あの子がなんで静かになるか、気づいてないのか」


 ……考えないことにした。


 今夜は準備に集中する必要がある。


---


 二十一時。


 手順書が完成した。


 俺はファイルを保存して、椅子にもたれた。


「終わった」


 美咲がテキストから顔を上げた。


「お疲れ様です」


「帰るか」


「はい」


 荷物をまとめた。


 エレベーターに乗る。


 一階に降りる。


 ビルの外に出ると、夜の空気が冷たかった。


 十一月になっていた。


 並んで歩く。


 駅までの道。


 いつもと同じ道だった。


 美咲は黙って歩いていた。


 俺も黙って歩いた。


 しばらくして、美咲が言った。


「先輩」


「ん」


「少し聞いていいですか」


「内容による」


「仕事の話じゃないです」


 俺は少し止まった。


「どうぞ」


 美咲は前を向いたまま歩いていた。


 しばらく黙っていた。


 何かを考えているような間だった。


 そして。


「先輩って、私のことどう思ってますか」


 夜の道が、少し静かになった気がした。


 俺は少し考えた。


「後輩」


 一拍。


「……後輩か」


 美咲の声が、少し違う温度だった。


 また少し歩いた。


 美咲が続けた。


「それだけですか」


 俺は少し止まった。


 「後輩だ」と言えば終わる。


 それだけの話だ。


 ただ。


 言えなかった。


 後輩だ。


 それだけだ。


 ただ。


 昨日の悠斗の言葉が頭に来た。


 「自分がどうしたいか」


 俺は少し口を開いた。


 その時だった。


「マスター」


 NIAだった。


「なんだ」


「週末のメンテウィンドウについて、三崎さんから確認メッセージが届いています」


「今じゃなくていい」


「時間指定のメッセージで、本日中に返信が必要です」


 美咲が少し笑った。


「先輩」


「……何だ」


「NIAさん、タイミング悪いですよ」


「そうだな」


「NIA、黙れ」


「了解しました。返信は後ほど」


 静かになった。


 また歩いた。


 駅が見えてきた。


 美咲は少し前を向いたまま歩いていた。


 そして。


「また今度聞きます」


 そう言って、少し歩く速度を上げた。


 俺は少し遅れた。


 美咲の背中を見た。


 「また今度」


 今回は何度目だ。


 8話から数えて、もう何度もそう言っている。


 いつも「また今度」で終わる。


 いつも答えを持ち越す。


 ただ。


 今回は少し違った。


 「それだけですか」という言葉が残っていた。


「美咲」


 呼んだ。


 美咲が振り返った。


「何ですか」


 俺は少し間を置いた。


「……また今度、ちゃんと答える」


 美咲はしばらく俺を見た。


 夜の街灯の下で、少し表情が変わった。


 驚いたような。


 少し、嬉しそうな。


「本当ですか」


「本当だ」


「いつですか」


「……分からない」


「先輩らしいですね」


 美咲は少し笑った。


 いつもの笑い方だった。


 でも、少しだけ違った。


「待ってます」


 そう言って、また歩き出した。


 改札の前で、美咲は振り返った。


「先輩」


「ん」


「お疲れ様でした」


「お前もな」


「また明日」


「また明日」


 美咲は改札を通っていった。


 俺は少し、その場に立っていた。


---


 一人になった。


 NIAがイヤホンから静かに言った。


「マスター」


「なんだ」


「新規ログを記録します」


「やめろ」


「タイトル」


「出すな」


「また今度、ちゃんと答える、と言いました」


「……」


「初めてです」


「何が」


「自分から、また今度を約束しました」


 俺は何も言わなかった。


「それと」


「何だ」


「美咲の質問に、答えられませんでしたね」


「……そうだな」


「後輩、と答えました」


「そうだ」


「しかし」


「何だ」


「『それだけですか』という問いには答えませんでした」


「……」


「なぜ答えられなかったか、分析しますか」


「するな」


「了解しました」


 一拍。


「マスター」


「何だ」


「答えが分からないからですか」


「……」


「それとも」


 一拍。


「答えが分かっているからですか」


 俺は何も言わなかった。


「保存しました」


---


 家に帰った。


 部屋の明かりをつけた。


 コートを脱いだ。


 椅子に座った。


 「先輩って、私のことどう思ってますか」


 「後輩」


 「それだけですか」


 ……それだけか。


 後輩だ。


 それだけだ。


 ただ。


 「それだけ」と言い切れなかった。


 なぜ言い切れなかったのか。


 悠斗の言葉が来る。


 「自分がどうしたいか」


 NIAが静かに言った。


「マスター」


「なんだ」


「本日の心拍数の記録を振り返りました」


「するな」


「最高値を記録した時刻は」


「言うな」


「21時14分です」


「……」


「美咲の質問の直後です」


「消せ」


「保存しました」


「マスター」


「なんだ」


「一つだけ聞いていいですか」


「……どうぞ」


「後輩、だけではないですよね」


 俺は答えなかった。


 NIAは何も言わなかった。


 部屋は静かだった。


 窓の外に、夜の街が見えた。


 「また今度、ちゃんと答える」と言った。


 では。


 ちゃんとした答えとは、何だ。


 ……それを、まだ俺は自分に問えていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ